クラシック音楽との出会い
小学校時代に音楽部で鍵盤楽器を担当していたので、多少は音楽に興味はあったのかも知れませんが、あまり物事に熱中しない性格であった当時の私は、音楽より鉄道が好きな子どもでした。
中学生になった頃、親が頼んだ家庭教師に「クラシック音楽も良いよ」と勧められ、初めて買ったのは、モーツアルトの「ハフナー」と「ジュピター」のカップリング。
演奏は、オイゲン・ヨッフム指揮のアムステルダムコンセルトヘボウ(現在の、ロイヤル・コンセルトヘボウ)だったと思います。
残念ながら、当時の私には、やや退屈な音楽でした。
この時代、家庭のテレビは茶の間に1台というのが一般的で、番組は生放送が多く、内容も海外のドラマとかお笑いのバラエティ、そして音楽番組が多くありました。
ドラマのテーマ曲やBGMもオーケストラが演奏していて、ゴールデンタイムにクラシックの音楽番組も放映していました。
今思えば贅沢な事ですが、各テレビ局には専属のオーケストラがあり、近代日本を代表する「芥川也寸志」「黛敏郎」「團伊玖磨」の3人が、それぞれ冠番組を持っていたので毎週クラシックの演奏をテレビで見ていました。
また、警視庁、消防庁、自衛隊の音楽隊が学校の校庭や公園で演奏活動を盛んに行う様になり、私がクラシックに興味を持ち始めたのがこの頃だと思います。
今の高齢者が意外とクラシックに親しみを持っているのも、このような時代を経てきた影響があるのかもしれませんね。
このうち何回かは、柏で公開収録を行い、葉書を出して観覧に行きました。
このとき体感した團伊玖磨の「西海賛歌」や、若き小澤征爾が指揮した「運命」等は、一生の思い出です。
もうひとつ思い出すのは、前段の話より前の時代ですが、警視庁や消防庁の吹奏楽団の出張演奏。子供の頃のことなので詳しくは覚えていませんが、学校の校庭や公園に制服姿の音楽隊がクラシックやマーチを演奏しに来ていました。
東京にまだコンサートホールなど殆ど無い時代でしたし、国民の多くは戦後の貧しい生活をしていた時代でしたから、生の音楽を聴く数少ない機会でした。こうした吹奏楽団の印象も、今の自分の活動に影響を残していると思います。