東日本大震災
(震災当日)
この日は、2週間前に急に倒れた親父の容体を聞きに名戸ヶ谷病院脳外科の先生に面会に行く日でした。
約束の2時に着いたのですが先生は手術中との事でしばらくナースセンターの前で待っていました。
その時です、急に大きく長い揺れが始まり、看護師や付き添いの人たちと一緒にベッドを押さえたり点滴が倒れない様に必死に協力しました。
大きな地震は第2波が直ぐに来ると知っていたので「もう一度来ますね」と声をかけていると直ぐに第2波が来ました。屋上の貯水タンクから水が溢れ「いよいよ首都直下が来たのか」と思っていました。
担当の先生が手術を終えて部屋で病状の報告を受けました。
脳出血で脳全体に血液が回っているので恐らく意識が戻る事は無いでしょうとの告知があり、看護師から今後の説明を受けて家に帰りました。
病院がこんなに揺れているということは、我が家はどうなってるのだろう?・・・ 家に入るのが怖いな。 家が無くなっていたらもっと怖い。
車に乗っても、度々訪れる大きな余震。 ゆっくりと安全運転で我が家に帰り、玄関を開ける。
まず、あの重たい消火器が倒れている。が、玄関はそれ以外の被害は無さそう。
問題は2階のCDラックとAVラック。
見るのが怖いので後回し。
台所に入る。トースターが半分落ちかけている。 棚から殺虫剤の缶が落ちている。
思ったより被害は少ないじゃないか。
2階へ上がる。案の定、薄型TVが倒れている。
TVは後にしてパソコン周辺を見ると、大量の書類が床に散乱。ため息。
パソコンの位置もずれているので直して電源を入れてみる。OK。
本棚を見る。DVDが床に散乱。大きなため息。
CDラックを見る。何百枚も入っているのに、以外にも2枚しか落ちてない。
CDラックの上に乗せてあるDVDのファイルが1冊だけ落ちていた。
よく見ると、CDラック自体が移動していて20センチぐらい前に出ていた。
こんなに重いのによく動いたもんだ。
さて、最後に倒れていた薄型TVを元のラックに戻せば一応終わりかな。
えーーーーーーーーーー!!
TVの液晶の下に、金属製のミッキーの置物が。
液晶パネルは全面にヒビが入って完全にお釈迦です。
これじゃ地震のニュースも見れない。
とりあえず、1階のアナログTVをつないでニュースを見れるようにして、明日はTVを買いに行くことにした。
明後日に控えていた、うちの楽団のコンサートも中止になってしまったし。 それにしても刻々と露になる被害の大きさに驚いていた。
団員にもメールで様子を聞きまくる。
コンサートは、団員の都合が合えば、振替コンサートの案を検討することになりました。
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(震災翌日)
先ほど、柏駅周辺に行ってきました。
思っていたより車は多く、でもいつもの土曜日ほどでは無い感じです。
私は、駄目になったテレビを買い替えに、ビックカメラに行きました。
柏のコジマ電器は地震の被害が大きかったようで、営業を停止していました。
ビックカメラも意外に混んでいたのは、やはり地震で壊れたケースが多かったのでしょうか。
店員に尋ねると、運送関係が安定していないので、即日配達をお断りしているのと、在庫が減っているので、ご希望に添えない場合がありますとのこと。
1階に残っているアナログの買い替え予定もあったので、この際、2台購入することに。
1台は自宅に持帰り、電源を入れて設定を始めるが、画面は相変わらず地震の映像。
地震の被害は、時が経つに連れて大きさが分かってきた。
ひと晩過ぎると、昨日は分からなかった被害が徐々に伝わってくる。そして、被害の大きさに、やりきれない気分になる。
まだまだ地震は収まらず、震源地が移動しつつ不安をあおっていますね。
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(2日後)
一昨日、ホールの安全面の理由で使用禁止の連絡があり、演奏会は中止になりました。
その時点では、中止ではなく延期にして開催できるとことを望んでいましたが、偶然にも4月下旬にホールの空きがあると団長から知らされ、今回のホール使用料については、返却または次回の使用に振替という選択肢が提示されました。
急いで振替のシナリオを描き、役員や主だったメンバーに第一報を投げました。
その日のうちに何人かの団員に電話やメールで振替公演の聞き取り調査をして、振替候補日の中で最も条件が合う4/24に絞り、ホールの仮押さえを団長にお願いしました。
スタッフ、エキストラ、練習スケジュール、広報など、クリアしなければならない課題はありますが、このコンサートを楽しみにしてくださるお客様のためにも、頑張ってきたメンバーのためにも、開催を目指したいと思いました。
突然の中止からわずか2日後には振替コンサート開催に向けて動き始めた我が団体の行動力は頼もしいです。(結果的には、4月もホール使用開始の目処が立たず、このコンサートは中止になり、夏にコンサートが再開されました)
今日は、中止の告知を知らずに会場に来てくださった方々に案内をするために、団員有志でホールに集まりました。
いずれのお客様も状況説明に対して、暖かく応えてくださりました。
ちょっと慌しい日々が続きますが、団員の皆さん、頑張りましょう。
今日は、穏やかな天気です。
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(3日後)
信号機の停電による渋滞に巻き込まれないため、今日は徒歩で病院まで行ってみた。
いつもより自動車の数が多いような気がする。
今日は電車が動いてないからかな。
帰りにバスで駅に向かってみた。
途中で、壁が崩壊しているビルがあった。
そして、駅の近くを通ったとき、神社の石門が倒れているのが見えた。
すごいな、下の方でポッキリ折れている。
そして柏駅。
駅前の店がほとんど閉店している。
駅前は大型店が多いので、計画停電の時間で閉店を決めていたのだろう。
張り紙には「明日は10時に開店します。営業時間は未定です」とある。
東電が、直前まで停電時間や地域を発表しないから、店も国民も困る訳だ。
駅前通りもガラガラ。
個人経営の店は、電気が点いている間は営業するのだろう。小さな店は営業している。
駅を見ると、ホームに人影がない。
まだ明るい時間なのに、電車の来ない柏駅ってSFの世界みたいだ。
誰も体験したことのない世界が計画停電によって始まる。
明日が見えない世界はまさにSFの世界だよなぁ。どうなるんだろう。
震災後、いろいろな理由で、ほとんどのコンサートが軒並み中止になっていたのですが、久しぶりに生演奏を聴きに行くことが出来ました。
本来の公演は出演者の関係で中止になっていたのですが、同じ時間に同じ場所でチャリティーコンサートが開かれることになったのです。
中止のチケットを払い戻しせず、そのチケットでチャリティーコンサートに来場賜れれば~云々の但し書きがあったので、いつもの友人と出かけてきました。
演目も演奏団体も指揮者も、すべてが変更になってのコンサートでしたが、会場の東京文化会館大ホールには、客席の7割ぐらいのお客さんが来ていました。
最初に演奏されたのは、被災地で亡くなった方々への追悼曲として、バーバーの弦楽のためのアダージョ。
短い休憩の後に、マーラーの5番。
終演後、指揮者から今回のいきさつなどの話があり、「通常はマーラーの5番の後にアンコールなどあり得ないのだけど、今日はコンサートマスターと相談して、エニグマ変奏曲からニムロッドを演奏することにしました」と。
エニグマは、私の好きな曲のひとつですが、生で聴く機会は意外と少ない曲です。
マーラーの演奏では、充分なリハも出来なかったのでしょうか今ひとつ完成度は低かったですが震災への熱い思いが感じられました。アンコールのニムロッドでは涙を流す人も見受けられ、震災の直後のことなので、いろいろな思いが巡りました。
音楽というものは、非常事態に直接は何も出来ないものですが、復興期には人々に意欲を沸かせたり、勇気づけたりする力があると思います。
自分の楽団も、コンサートを2日後に控えていた時、大震災が起きました。
錯綜する情報に翻弄されながら、連絡を取り合った日々でした。
練習を再開することが出来るようになっても、被災地のことを考えると「自分たちは、趣味で楽器演奏などしていて良いのだろうか」と、皆が複雑な気持ちで過ごしています。