久しぶりに故郷へ
2011年3月9日、自分の誕生日に天気が良かったので、何となく幼少時代を過ごした日暮里に出かけました。日暮里と言っても最寄り駅は常磐線の三河島駅かた徒歩1分程度。
三河島で降りるのは久しぶりです。
子供の頃住んでいた方に向かって歩くと、3年前に来たときには無かった蕎麦屋が営業していたり、住んでいた家の向かい側に喫茶店が出来ていたりと、街の様相は変化していました。
まだお昼には早いので、尾竹橋通りをぶらつき、昔のまま残っている店を探しました。
子供の頃によく遊びに来ていためがね屋は健在。となりの写真屋も健在。
その隣にあった天ぷらやは店頭販売だけになっていました。
親に「この天ぷらやは伊東四郎のお兄さんの家だよ」と教えられ、確かに顔が似ているのを思い出して表札を見ると、確かに「伊東」と書いてありました。
私が子供の頃、近くに松島トモ子という女優が住んでいて、うちの犬が噛みついたことがあったという話も思い出しました。
小学生の頃住んでいた私の家は、産婦人科医・我が家(電気屋)・駄菓子屋・釣り具屋(親父の兄弟)・氷屋、が並ぶ小さな商店街でしたが、今はその姿はありません。
私が住んでいた場所を通り過ぎ、七五三通りを渡って出身小学校(第2日暮里小学校)まで行くと、そこは有名な生地問屋です。
裏道には韓国料理の店やアジア系の飲食店が並び、総菜などの商店街もあり、日暮里駅の反対側に行けば谷中・根津・千駄木です。食べ物には苦労しない街です。
昔は気がつかなかったけど、この辺りはどこに立っても必ず食堂や弁当屋が目に入ります。
しかも値段が安く300円未満の手作り弁当が店頭に何種類も並び、お客さんも列を作っています。
下町なので小さな町工場や事務所が多いため、お昼時は作業着や制服姿の人々が目立ちます。
日暮里駅前に出て都バスで浅草に向かい、仲見世をブラブラしました。
下町生まれの私にとって、この界隈は和むんですよ。
このあと地元に戻り市役所で確定申告をし、親父が入院している病院に寄って、久しぶりの長時間外出の一日でした。
まさか、この2日後に東日本大震災が来るとは…