よこすか50回目の演奏会を終えて
50回記念演奏会が終わりました。
今までの演奏会で、一番準備が慌ただしかった演奏会でした。
例年の冬のコンサートは2月が恒例だったのですが、諸般の事情で4月29日にずれ込んだため、夏の「50回記念」の準備期間が3ヶ月になってしまったこと。
これは、アマチュア楽団の練習期間としてはかなり厳しいスケジュールでした。
特に記念企画の目玉であった「ジュークボックス」では、10曲準備しておいて当日にお客様に3曲選んでいただく企画で、外れた7曲は演奏されません。
アンコールを含めると、約6回の練習で15曲練習するわけで、1回の練習が正味約2時間で単純計算しても、通し練習をするだけでも時間が足りない。
演奏者との企画についての意思疎通の時間も足りなくなるという、ストレスの溜まる日々は、演奏上の事以外の諸準備を担当する団員も同様です。
企画面では1年前から企画委員会を立ち上げて、月に2回ぐらいのペースで会議を行ってきたが、最初の頃は実感が沸かないのか会議の出席率も悪く、具体的な意見も出てこなかった。
途中で、春のコンサートのため1ヶ月ほど会議を中断して、5月に再開したあたりから企画委員もやっと本気モードになってきました。
練習スケジュールが3ヶ月という短期間であった特殊事情も重なり、15曲を6回半の合奏で扱うのも現実的には相当な負担がありました。
毎回の練習に全員が揃う訳でないため、1回の練習で可能な限り多くの曲を演奏させることが優先になり、団員も曲に馴染む余裕が無かったように思うし、正直なところ、練習した気がしないまま時間が過ぎました。
アマチュアの場合、練習でコツコツと時間を掛けて曲を仕上げていく時間も楽しみの一つであると思うが、その時間が、指揮者にも演奏者にも足りなかった。
今回は「回数の記念演奏会」ということなので、今までの慣例に従い音楽監督である私が中心になって企画事業を進めてきたが、その業務量は予想をはるかに超え、たまたま、私の体調が悪くなった時期と、腰椎の手術という想定外の出来事も重なり、体力的にもかなりな負担であったというのが正直な感想。
途中からでも全役員に参入を求めて役割を分担した方が良かったと、後になって思った位に大きな行事になってしまった。
今回は、自分としても最後の大仕事と思って取り組んできたが、同時に「よこすかの抱える負の課題」の存在するかを見た。
よこすかの次の大事業は2年後の「結成30周年」であるが、それは役員主導で行う事業なので私の仕事は大幅に少ないはずです。
ほぼ同時期に、私には「小金高校創立50周年記念」と「小金高校吹奏楽部創部50周年」という大きな行事が控えているので、むしろ来年・再来年が大変です。
今回の演奏会が、私のよこすかウインドアンサンブルにおいての最後の大仕事となるので、特に中堅以上の年齢の人に期待したいと考えています。
もともと、人に喜んでもらうことが好きだった私は、当然のように、後輩たちが望んでいることを実現することに喜びを感じていました。
その対象が「後輩たち」と「お客様」の両方になって具現化したのが「OBバンド(よこすか)」です。
コンサートの中身も、後輩たちが演奏したい曲をまず選んで、私のすることは、それを一般のお客様にも喜んでもらえるような姿に整えることです。
若い世代から見れば、私が自分の考えで全てを決めて実行しているように見えるかもしれませんが、それはむしろ逆です。
私がすることは、テーマ(課題)と理由を提示することと、自分の経験上で「これは止めたほうが良い」と思ったことをストップする事だけにしています。
当然、テーマを提示するときには私の頭の中にはラフ・スケッチが出来上がっていますが、それは自分の心の中に留めておいて、団員には別の視点で提案したり考えてもらうことで、目標以上のものが生まれることを期待しているからです。
自分が設計段階で「時間的に無理だろう」とか「団員の負担が大きくなる」などの理由で除外しておいた案が、企画委員や役員から提案されることも案外多いのですが、それは逆に頼もしく、大歓迎なことです。
同じ内容であっても、私の指示で実行するより、団員が自主的に実行した方が潜在能力を発揮できたり、本人たちの達成感も生まれるケースが多々あるからです。
もしかしたら失敗するかも知れないという事でも、人に迷惑がかからないようなことなら、敢えて失敗のリスクを背負うのも後輩たちの良い経験となるだろうと思って見守ることが出来る過渡期的な見方も出来ます。
自分の考えを変えなくとも、新しい事や方法は自由に後輩たちに任せる。それが永い目で見て良い結果に繋がれば、楽団にとって何よりの財産になるでしょう。