好調期がもたらす不安
後輩たちには、思い付きで自由に行動している様に見えるらしいですが、私は慎重で細かい事に気を遣う心配性な性格です。
だからなのかもしれませんが、私は「安定」「好調」というポジティブな言葉の裏に、何か落ち着かなさを抱きます。本当にこれで良いのか?これが最善なのか?などと、上手く行った時ほど、あれこれと考えます。
自分の歩いてきた道を振り返れば「何も無いところから何かを始める」様な事が多く、しかもその中心に居る事が多かったのです。
高校で吹奏楽部を作り、卒業してOB会を作り、OBバンドや市民バンドを何度も作っては途絶えるという経験を繰り返してきました。よこすかウインドアンサンブルもその中の一つです。過去の経験があったからこそ諦めずに、他人が何と言おうと長期に渡る低迷期を乗り越えて続けてきました。
普通に考えて、毎週5人ぐらいしか集まらない時期を何年も続けて、本番直前の数週間だけ50人集まる楽団を続ける気にはならないと思います。
私はいつ終わるか分からないトンネルを歩き続けました。いろいろな手段を考え、いつか皆んな揃ってトンネルを抜ける日が来るという小さな自信の様なものが心の中にありました。
幸いなことに、仕事においても、市民対象の事業や講座の企画をはじめ、社会人サークル活動の援助や指導を担当した経験も活きています。
長年かけて築き上げたものでも、気を抜けば一瞬にして崩壊することも学びました。
集団のつながり方には「不安定要素+信頼関係」の絶妙なバランスというのがあります。
私が今までの活動において常に細心の注意を心がけてきたことです。
私たちが活動している趣味の団体というのは、企業に就職する様な「社の方針に従って働く代わりに賃金を貰う」契約関係ではありません。
強制や独断は通用しない世界です。
私が楽団でただ1回だけ独断を委ねられたのは、団員が過失で死亡事故を起こしてしまった際に「役員会では遺族の気持ちを考えると除名が妥当ということになりました。この決定を受けるか受けないかは会長に委ねます」と言われた時に、「こういう時こそ彼の日ごろの頑張りを評価して、除名は避けたい。何かあっても僕が被害者遺族に土下座をしに行くから。」と、役員会の決断を翻した時だけです。
同じ目的を持った組織的行動でも「強制」や「命令」によって行動する集団よりも、本人の意思で行動する自由な集団の方が遥かに結束力が生まれます。目標以上の結果を出す事もあります。
小金高校吹奏楽部の1期生としての私の役目は「メンバーが気持ちよく活動に参加できるような環境を作ること」でした。
今のよこすかは波に乗り物事は概ね順調に進んでいます。
私は「安定しているもの」や「軌道に乗っているもの」「変化の無いもの」「ありきたりのもの」「誰がやっても同じような結果になること」には興味が湧きません。
たとえ実現したいことであっても「今はその時期でない」と見極めたときは時期が来るまで寝かせます。
その采配こそが、物事の成否に直結するので、決断も責任も全て自分が負う覚悟でないと出来ません。
周囲から「なぜ直ぐに実行しないんだ」と見える時は、私の中では「今じゃない」か「ほかの方法は無いのか」と思っている場合がほとんどです。
その辺は自分の経験に基づく判断なので他人に理解されない事も多いでしょう。
こればかりは、説明してもしょうがないことで。