50歳を迎えて
■2000年■
2000年に開催された第22回コンサートで、アンコールに「自由の鐘(E.F.ゴールドマン)」というマーチを演奏したのですが、本番で指揮をしているときに「ああ、これで自分の夢は達成できた」という感覚が湧いてきて、自分の中で何か一区切りをつけられた思いがありました。
この曲は、自分が吹奏楽の世界に入って間もない頃に愛聴していたLPレコードの1曲で、当時耳にしていた他のマーチに比べて、格段にスマートで推進力があり、リズムやベースの動きが印象に残る、思い入れの強い曲だったのです。
「いつかこの曲を演奏してみたい」という初心の思いが蘇えり、それを達成している瞬間の自分が重なって、このような気持ちになったのだと思います。
よこすかを始めてから現在までの長い間には、練習にメンバーが4~5人しか集まらないような時期がかなりありました。
ここまで地道に守り続けた活動が、ようやく軌道に乗り、後は安心して任せられる後進を見つければいい。そんなことを考え始めたのが、この頃からです。
具体的には、よこすか第一線からの引退時期や方法について考えることが多くなりました。いわゆる「老後を考える」ってやつですかね。
第一線から退いた後は、「自分なりの集大成」として、いろいろな人たちに喜んでもらえるような、小さくても自由な発想の活動に力を注ぎたいと思っていました。
楽団は「楽器を演奏すること」が一番好きなのでしょうが、私は楽譜を書いたり、人に喜んでもらえるような企画を創ることが一番好きです。
今までにも、何度か指揮者を探しては自分の指揮の負担を減らそうと試みたのですが、なかなか定着してくれませんでした。
アマチュア団体の指揮者というのは条件が難しく、音楽的に優れていても人間的な魅力がないと育たないし、団員からも受け入れられません。しばらく慎重に時期を見定めていたのですが、やっと指揮を任せられそうな後輩が現れ、先ずは半分肩の荷を降ろして、少しづつ自分の目指すものに時間を向け始めたところです。
周囲に「なんでそんなに急に自分の分担を減らすの?」と驚かれたりしましたが、当初の目的の一つであった「小金OBのシンボル」としての位置付けが必要なくなった今、よこすかでの自分の役割や責任から解放され、身軽になった感覚が嬉しいのです。
私のような特殊な道を歩んできた者としては、自分で転轍機を切り替えて道を広げるのが、楽しみでもあるのです。そして、自分の道を引き継いで頑張っている後輩たちを応援するのも楽しみなのです。
■2007年■
あと3年でいわゆる定年という歳になります。
ここ2~3年、何かと忙しく過ごしてきた故か「残された時間を自分なりに有意義に生きるために」の選択を考えるようになってきました。
「人」と「音楽」が好きで、いろいろな活動を立上げて来た私ですが、楽団の規模が大きくなり、当然のように煩雑な業務が増えて本質的な部分への距離が遠くなっている感じがあります。人生の最終楽章は、自分が最も大切にしていることに力を注ぎたいというのが、今の結論です。
若く健康なときには、「残された時間」などという概念がありませんでしたし、気の赴くままに、やりたいことの幅を広げていきました。
でも今は、やりたいことを絞る年齢に入りました。
時間・労力・体力を多く必要とする事は元気な世代に任せ、自分はサポートやアドヴァイザー的な役に回ることにより、広い世代が同居する団体活動の姿を見直しながら移行していくのが自然な流れであるかと思っています。
別の項でも書きましたが、私の場合は元々「楽器を演奏する」立場ではなく「行事を企画し、計画を立てること」「編曲をすること」「行事を映像作品として編集し保存すること」などに多くの時間を費やしていました。
頑張っている演奏者が揃い、任せられる指揮者がいる現在では、前線での演奏活動を極力減らし、自分の本来のポジションに回帰することが出来ます。
1年後に控えた小金OBの大行事や、2年前に活動を始めた出張演奏ボランティア「コパン」のことなど、手が回らないことがたくさんあります。
今までのような他の事を後回しにして「よこすか」中心の生活を見直して、自分が元来求めていた音楽活動を充実させたいと考えるようになりました。
この事は、よこすか結成20周年記念のコンサート前から考えていたことです。
ここ3年間ぐらいは、よこすかや他の雑務が急激に増え、自分の時間が極端に取れなくなりました。
この忙しさ(時間的+精神的)は、副団長や副音楽監督ともよく話したのですが、少なからず皆が感じているようなので、私だけの感覚では無いようです。
多くの皆さんも、複数の趣味をお持ちだと思います。
私も、「音楽」の他に「写真」や「鉄道」が好きで「鉄道模型のジオラマ作り」や「ビデオの編集」も趣味です。
ビデオカメラと自分の編曲した楽譜を持って、地方の私鉄に乗って、自然豊な地方の学校で15人ぐらいの吹奏楽団と共演して、旅から帰ってビデオを編集してDVDを作る。
そんな実現しない夢を持ちながら、出来る範囲で頑張って生きていこうと思っています。