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映画「長南年恵の生涯」で丹波哲郎氏  
                                                       ドキュメンタリに作りたい

  2003年11月18日、東京上野の東天紅で氏を囲んで小さな集まりがあった。顔触れは氏と大学時代の級友佐藤政之助さん、年恵の弟雄吉孫の満知子、久子さんと中村夫妻と丹波哲郎オフィスの皆様、話し合いのあらましは、以下のようだった。

佐藤   鶴岡で宿題の年恵の書は発見した。

丹波   空海(774〜835)は土木工学でも知られていたから、工事を企画した人が空海の名を借りて施工した事があるらしく、日本中至る所に空海の事蹟が残っている。つまり善政は天下に伝わる。長南年恵は特に大師に可愛がられてお筆先として、雄渾な書を残した。
 浅野和三郎がオサナミとルビを振って本に書いたから、オサナミ年恵となった。彼女は全く私欲がなく、すべて世の人のために尽くしたから、死後財産を処分したらたったの15円だった。人間界の愛を超越した神の愛だった。

中村   年恵母子が身を寄せていた千葉家の奥様に、特に尋ねたらチョーナンですと言われた。

長南さんが名前を聞かれてチョーナンですと言うと、なんだ女のくせに、と笑われるのはまだしも、朝鮮語と受け取られかねない。朝鮮語で「私は」をチョーヌンと言います。雄吉は朝鮮で商売をして、オサナミに変えたと思います。雄吉の子孫は解明していただきたい。

佐藤   年恵のおかげで病がなおって、お礼に米や野菜を持ってきた人が多かったらしい。

丹波   「私は要らないから、私のために用意された食事を食べて、ここにいなさい」と、姪が同居していた。彼女は人の肉体をもつ神様で、14年間も物を食べずにいて、病人の95パーセンを治した。だから死んだ時には信者が300人居たといわれる。

 その信者が彼女を独占していたのが煩わかったからかと思うが、一度彼女は布団をかついで姿が消えた。これは富士山に逃避したもので、頂上付近で乃木大将や浅野和三郎の子シンジローに会ったというが、ここまで言うと、マユツバではないかと言われる。

  世を騒がしたかどで監獄に拘留中、警察では彼女のハンガーストライキに閉口した。雄吉が行き、食べない、飲まない、トイレに行かないという事実を証明してと要求した。結局警察はそうした文書は出せないが、口頭で、間違いないと伝えた。全然飲み食いしなくては警察が困るので、最後に彼女は、ナマのさつまいもを50グラムと生水を少し摂ることにした。

  それでいて、二人でかつぐ酒樽を身長140センチそこそこの彼女は、両手で持って走ったという。とうてい人間ワザでない。

  神様に対して、普通の人は平伏するが、そうでなく、友人を迎えるようにした。

このような長南年恵の生活を事実として証明し、紹介したい。

  人は生まれてくる時と同じく死ぬ時もはだかです。でもそれを意識した途端に着物を着ます。生前に死を拒否した人は、自分が死んでも自覚しないから、葬式を盛大にやって死んだことを納得させる必要がある。でも生命は、永遠につながっているもので、自己犠牲、つまり愛のプロセスの最後に神に近づくのです。このことを世の人に広めたいと思います。

ひさ   私の身内に、自分の肉体から意識が自由に抜け出せる人がいます。祖母が死んだ時に、どんな所へ行くのかと、ついて行ったら、明るい所に観音様が並んでいた。そこで祖母が急上昇して見えなくなったので、戻って来たと語りました。

白土   先生の著書「霊人の証明」を読み、小さい時に聞いた話と同じで納得しました。

佐藤   浄土宗の僧に聞いた話です。本山に修業に行くので用意していたお金が、突然紛失したので、巫女に相談したら、使用人を集めて警察に届けると言えばいい、と言われてそうしたらプラスアルファの金が戻されていた。

近藤   雄吉の子サダの長女です。母の写真のこれを貰っての帰路の常磐線で、次の電車が大事故を起こしたので母の加護と感謝しています。

丹波   映画は4本作った。大霊界、これは大当たりした。次に続大霊界、タツゴローの生まれ替り、砂の小舟。あと一作りたい。

中村   「奥様は魔女」みたいな手品のような興味本位のものはいけません。

丹波   為になるものを考えている時に、佐藤氏から長南年恵のことを聞き、心が動いた。

  作るならまじめにドキュメンタリ−なものでないと駄目だと思う。宗教色はなく、どんな宗教者も見られるもの。まずテレビ映画として作り、反響を見てから考える。オサナミ雄吉の帝大出が事実なら、やりやすい。

  なにしろ世の中の関心は霊界に向かっているので、4作の映画はそれなりに貢献したと思う。映画製作には数億円かかるが、長南年恵を描いた映画が出来れば、新しい時代の扉が開かれるだろう。

(文責中村)
        出席者
        
丹波哲郎    俳優、長南年恵研究家
坂井法子     樺O波哲郎オフィス代表取締役
小林正希     同上  事務局長
堀 正彦     同上  企画室長
佐藤政之助   丹波氏の大学級友、鶴岡市
近藤満敦子   雄吉の孫、我孫子市
白土久子     雄吉の孫、福生市
中村就一     全国長南会事務局長、柏市
中村ひさ     同上 妻、拍市