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「長南氏の研究」著者  中村就一の自己紹介

  1923年、栃木県宇都宮市に生れ、宇都宮中学から逓信官吏練習所に進む。15年戦争の末期、敗色濃い1943年、繰上げ卒業で兵役につく。ガダルカナル島、フランス領インドシナ、沖縄への命令を次々に受けたが、いずれも到着前に陥落して果たさず。

  大宰府村の隣村に滞在中、広島への派遣の予定が、他人が代わりに行き原爆に遭う。

  復員し蒲田郵便局時代に斎藤房江と結婚、5周年記念事業として先祖調べに着手。房江は、幕末、彰義隊参加の長南平七の子孫とわかり、寒風沢島、長南町から調査を開始。

  電電公社勤務の余暇、主に山形、福島、宮城、茨城各地で地元長南氏の手厚い協力を得て調査する中で、房江の死後は後添いの柴田ひさの協力が続き、33年かけてひとまず完成、1987年、退職金で「長南氏の研究」別冊とも1899頁を自費出版した。

  逓信官吏練習所卒業時に、高橋直服先生から、はなむけとして「仕事でもその他でもよい、日本中で誰もやってないテーマに生涯をかけてみよ」と、ライフワークを持つことを進められたが、自分にとっては長南氏の研究がそれだったことを、今にして自覚している。

 

著者からのお願い

  菅原道真から書き起こしたこの著書と並行して、釜石市の長南良一氏は、道真以前に遡って研究し、「土師菅原史記」三分冊計622頁を1997年に発表した。かくて、長南氏の歴史は、通算2000余年に亘って研究された。15000に達する日本の姓氏の中で、このような類例の少ない研究成果をもつ長南氏にとって、これからは著書が残した細部についての研究や補正を、子孫の課題として受け止めていただきたい。

  そこで、全国の、特に若い長南氏にお願いしたいのは、さしむき以下の諸点についての調査研究で、地元の利点を活かし、必要ならグループで、ぜひ研究を進めて解明していただきたい。調査のノウハウは、知れる限りお手伝いするつもりです。

 

これから解明してほしいテーマ

 

  1.長南次郎の土着から武田氏の侵入まで

   長南次郎が住みついてから、1456年に武田信長が長南氏を征服するまで、約500年間の長南庄の様子がほとんどわかっていない。

  2.長南忠春その後

  1189年、義経が衣河館で討たれた後、その忠臣忠春は岩手県下閉伊郡田老の青沙里に、上総忠春として住み、病を得て死去したという。衣河館ででの働き、死ぬまでの様子、墓所などを知りたい。

  3.武田に征服された長南氏

  武田氏の伝えるところでは、そのときに長南は「もぬけのからだった」という。一方、長南氏には「長南氏は抵抗せずに降伏したから、流血はなかったが、主だった人は人質として連れ去られた」という言い伝えがある。

  どちらが、それとも両方とも真実なのか。山形県立川町の長南氏の先祖書には「先祖は信濃松本よりの牢人」とある。これは人質の話しと関連があるのか。

  4.鎌倉幕府の長南氏

  長南忠清が幕府の問注所など、複数の長南氏が勤務したが、中でも長南勘景由は1213年に鎌倉を去って、山形県大蔵村の豪雪、地辷地帯に住みついたが、幕府職員の長南氏の全容がほしい。とくにどんな事情で鎌倉を出たかを知りたい。

  5.元寇と長南氏

  元寇を防ぐために動員された長南氏がいたが、どこの誰か、役の後には九州に住みついたというが、その後の様子や子孫は現在いるのかを調べたい。

  6.霞ヶ浦の長南氏

  常陸国と長南とは、古来から行き来があったようで、現在の土浦市や阿見町の長南氏は、どのような経緯で土着してきたのか。

  7.清水大蔵の長南氏

  出羽の国最上の清水大蔵候に仕えていた長南氏は、長南からどのような経緯をたどって、ここに来たのだろうか。

  8.銚子から上田沢まで

  銚子の海上城が落城して、長南氏は長駆、日本海を望む山中まで、どの経緯をたどって落ちていったものか。それはどんな旅だったろうか。

  9.荘内藩の長南氏

  長南八右衛門が1564年に、豊橋で酒井氏に召抱えられた後、酒井候は臼井、高崎、高田、松代と転勤し、最終的に鶴岡に落ち着くまでの長南氏の様子が、わかっていない。

10.里見水軍

  長南内記が編成したという里見裏水軍とは、果たしてどんな実態で、どんな活躍をしたものか。

11.戸沢候と長南氏

  現在、新庄市に住む長南氏は、戸沢候に従って、岩手県雫石から来たというが、戸沢候との縁はいつどのようにして出来たものか。

12.福島市の長南氏

  市内松川の長南氏は、和泉、出雲の兄弟が開拓したのだが、兄弟はどのような経緯でここに来たのか。

13.宇和島の長南氏

  伊達秀宗に従って、姓を船山に変えて宇和島に行った長南氏の様子が、ほとんど知られていない。

14.砂金採りの長南氏

  1622年ころに、僧路念に従い立谷沢に砂金採りに入った長南氏は、どこから来たのか。

15.瑞巌寺の文書にあるか

  長南和泉守は雲居和尚と相談して、浜松辺から黒松を取り寄せて、松島の景観を作り、和尚から賞状を受けたが、寺の記憶にあれば確認したい。

16.長南殿の謎

  長南町の長福寿寺にある、石造四重の塔、長南殿の謎のような文字を解読したい。

17.笠森観音の石灯籠

  1830年に笠森観音に石灯籠を寄進した3名の長南氏は、長南氏の大部分が房総を離れた後に、残った一族らしいが、石灯籠寄進までの様子が知りたい。

18.国定忠治と長南仙州

  長南仙州は、寒風沢を出て、どこでどんな学問を修めて、忠治の先生になったのか。赤城山でどんな講義をしたものか、極めて興味深いが、皆目わかっていない。

19.鶴舞藩の長南氏

  1868年頃に上総国鶴舞藩にいた長南山三郎について調べたい。

20.屯田兵の長南氏

  1883年に屯田兵として、北海道に渡った広淵の長南幸三郎や山形県からの長南氏の、ご苦労の実態を知りたい。

21.予科錬と長南氏

  苦労して開いた水田を、帝国海軍は長南氏から、どのような単価で買収したのか。