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全国長南会通信  20号
2005年8月20日発行  全国長南会
あの年恵が笠森詣で?
 
  千葉県長南町の笠森寺。手前の石灯籠に寄進の長南氏の3名の名あり。堂内には法難の日蓮と、彼を匿う長南光重の家老須田五郎時秋の対面の絵馬あり。

  平成8年参詣した北海道足寄町の長南一男氏の手紙によれば、寺では長南年恵が参詣したという。

  年恵は日露戦争時代の鶴岡の人で、刑務所に拘留されていたのに、ここに来られたのか。超能力の彼女にはそれが可能だったのか。

  なぞ解きのヒントを皆様から募集します。
年恵の名たしかに見た        長南 一男(北海道足寄町)

 前略 もともと地理的なことに興味があって、車を持っていない時分から道路地図などをめくっていました。

 そこで我が姓と同じ長南町を発見して、どんな関わりがあるのだろうと思っていました。そこへ上田沢の実家から「先生」の書かれた本があることを伝え聞いて、購入して読み進むうちに、ぜひ吾が先祖様が発祥した町を訪ねて見たい想いが募りました。
 平成8年4月、家内の戦時中の同期会が仙台で開催されるのに出席するというので、思い立って旅行することにしたのです。
  足寄、苫小牧〜船〜大洗、成田、長南町、勝浦、野島崎、館山、千葉、我孫子、取手、東京、仙台〜船〜苫小牧、足寄と車で走って10日余の旅をしました。

 長南町には4月22日の午後到着し、役場を訪ねてその旨を話したら、公民館が詳しいからと、近くの建物に案内してくれました。姓と同じ町だかから、関わりのある場所を知りたいと申上げ、白井さんという女性職員の車に同乗して出発しました。
 「庁南城主の碑」がある長久寺を訪ね、長南城址、長福寿寺と回って、遠い昔に九州からこの地に来て、生き続け更に東北に散って行った、先祖、同族に想いをめぐらして、感ひとしおのものがありました。意外なことに長南を名乗る人が移り住んできた。ただ一軒だと聞いて驚きました。
 
   
 白井さんにはその夜の宿に、ユートピア笠森を手配していただいて、家内と温泉で疲れをとることができました。
 翌日、笠森観音にお参りをして、あの地形を利用して建てた堂宇に昔の人の巧みな技術に感じ入りました。
 最上階でお参りして、巫女さんと話したら、「長南年恵」さんもお参りをしたと、(賽銭をあげたら寺で名前を書く赤い布切れに書いたものを)見せてくれました。
 帰りに公民館に寄ってお礼を申しあげたところ、町誌「わがふるさと長南」をいただいてきました。(以下略)


栽松記念碑を拝観して           長南由雄(大田原市)

 宮城県松島町瑞巌寺境内に栽松記念碑が建立されて一年半になろうか。私もおかげで名前を碑に刻んだ一人です。

 以来、その記念碑の由来等については、全国長南会通信から情報を入手し興味もあったことで、一度は拝観したいものと思っていたが、松島までわざわざ出掛ける気持ちにはなれずにいました。

 ところが今年2月上旬、同僚とともに松島湾の牡蠣祭りに参加する機会があって、これを逃しては拝観の機会はないと思い、同僚に事情を説明して、付き合って貰うことにしました。

 冬の松島は、海から吹き上げる冷たい風とときおり雪のちらつく寒い日でしたが、それでもイベント会場は、各地からの観光客で賑わい、熱気で盛り上がっていました。

 私たちは記念碑を拝観するために瑞巌寺境内に行きましたが、その場所がわからず、探し歩いても見当たりません。境内の案内所を尋ねて教えてもらい、ようやく発見することが出来ました。



 その石碑は、瑞巌寺を正面にして中央参道の右側の洞窟参道沿いに立っており、初めて目当たりにした黒御影石の碑には、威厳と、「和泉守」が島々清々に黒松を植樹した気宇壮大な志と、この地方にはもともと無かった黒松を育成した技術的苦心にひしひしと想いを致したのでした。

 同僚たちは、かねてから長南という変わった姓に興味を示していましたが、−族にこのような偉人がいたことに、改めて驚きと敬意を述べましたので、私はわがことのように誇らしい気持ちになりました。ところが、拝観の機会が間もなく再び訪れました。今年五月中旬、余目町の実家で甥夫妻が田植えを終えた慰労とのことで、松島へ連れていつてくれました。兄夫妻はそれまで記念碑を拝観する機会がなく、くやしい思いをし
ていたようです。

 それだけに、碑に対面して立った兄、由市の面には、感激と満足、いやそれよりも長南氏の祖先に対する畏敬の念が溢れているようでした。

 このあと遊覧船による松島めぐり、海の幸たっぷりの昼食に、初夏の松島の風光を満喫した次第です。

 昨年見た映画に女優、吉永小百合が主演する「北の零年」があります。これは幕末から明治初期にかけて、ある藩主とその武士たちが、新政府の政策で土地を追われ、新天地を求めて酷寒の北海道に渡り、そこに展開される壮絶な開拓史の物語です。

 このドラマが繰り広げられる歴史的背景が、鎌倉時代から戦国時代にわたり故地を離れ、生き延びる天地を求めてさまよった長南氏の辿った道と、余りにも似通っているように想われて、深い感動に胸を打たれました。

 長南和泉守の栽松事績と今日の記念碑拝観の旅から、なぜかこの映画に通底するものがあるように想われてなりませんでした。

 最後に、長年のご苦労の末に「長南氏の研究」の大著を世に出された中村氏をはじめ、記念碑建立にたずさわった関係者の方々に心から感謝を捧げるとともに、長南姓を名乗る一員として、−族の誇り高い歴史を継承して行かなければならないと思う次第です。

  お願い二栽松記念碑に参拝される方は、時間に余裕をもって来て、持参の雑巾で碑面をカラブキでもしてくださることはいかがでしようか。
 
長南氏への思い           塚原  茂(上総中世郷土史研究会幹事)

「さらば一族の人々よ
 上総長南の地へ復帰のその日まで
   お互いに健やかであれ、幸福であれ」

と呼び交わしながら決別し、船頭はゆるやかに岸を離れた。「長南氏の研究」より

  このくだりで、しばし活字から目をそらし静かに深呼吸をした。不思識な感情におそわれたからである.なんと悲しくも切ない一族が居たものよと。復帰はいつになるのか、気の遠くなる程の時間かも知れぬ未来にこの一族は掛けたのであろう。それは嘗て房総に君臨した名族の自信と誇りでもあったと思う。

 本棚で長い時間じっと頁の開かれる日々を待っていたこの本。産みの親である著者が直々に我が家へ現れて初めて頁をめくるふがいなさに詫びながら読みはじめて一ケ月が過ぎた頃、中村先生より一通の封筒が舞い込んだ。

「長南山三郎と国吉村の長南氏を迫ったレポートを待つ」との指令であった。

 千年の歴史を持つ長南氏は、郷土上総の国の悲喜交々、そして又更級通りの地名を今に継ぐ市原に居住する我が身にとって捨ててはおけない題材であるが、惜しいかな自分の知り得ることの小ささに歯ぎしりを噛みながらも、先生からの宿題を後光と感じ「鴇越」よろしく駆け下りたことを記してみたい。
 まず第一に「長南氏の研究・中村就一の第十章十七世紀以降の房総長南氏」に登場する「長南山三郎」とは、明治元年、浜松から転封の井上河内守が原野桐木が原を開拓して藩庁を完成、長南宿の今関家仮本営を出立し、延生した新城下町鶴舞の大手天朝門を潜った明治三年四月頃の屋敷割図の中にみえる長南山三郎のことと思われる。

 藩士や商人、職人等が屋敷を与えられ、激動する維新での国替えで、見も知らぬ他国の空に夢と希望を抱いた130有余年も前のことである.当時の屋敷跡と思われる場所は畑地となり、育て軒を並べた住居は林の中に散見する程度で、やっと見つけた老人に往時を尋ねても、近くの鶴舞公園の桜の話になると眼を輝かすが、山三郎は知らないという。

 それならば「長南氏のことは長南氏に聞け」と思い、少なくも県内に居住する長南一族の実態をと早速中央図書館へ赴き住宅用の電話帳を角からめくった結果、千葉県内に長南姓を名乗る方が51件程あり、一件づつ電話で問い合わせてみると、突然な質問に面食らいながらも何件かは先祖のことに話が進むと心よく出身地など語ってくださり、山形とか福島とか聞く度に中村先生の名も飛び出し、昼夜を問わす広大な山野を駆けめぐり、一件一件、長南氏をお調べになられた先生の姿を思わずにはいられなかった。

 結局は山三郎との繋がりはつかめなかったが、全国に分布している長南氏の片鱗を感じることができたことは新たな体験であった。

 市原市史(下巻)の明治3年4月現在の鶴舞村町人住宅居住図を参考に考えてみると、長南山三郎は藩士ではなく町人として屋敷を与えられたのではないかと思う.当時の藩士録にも名前が見あたらないのである。いったいどこから来て、何処へ行ったのか今後に期待するしかない。

 次に同章366真に記載されている長南町笠森堂の常夜燈寄進者と前出の長南山三郎との関連性を探るべく写真等と「長南氏の研究」を引っさげて同地区の教育委員会を訪ねたが初めて聞くこと故、地元の郷土史研究グループにも話しかけてみたい」と資料を預かって下さり再訪問に期待を寄せている所です。


 珍しくその日は家の仕事をしていた時のことであった。家内が息を弾ませながら裏の畑に登ってきて告げた。「客人がみえた」と。

 どなたかなと思いながら下って行くと待ちうけた方は清楚な感じのする夫婦らしき二人連れで、早速紳士は切り出した。

 「実は長南殿を訪ねた帰りであるが何かこれについて知っている事があれば」との由。

 お話を伺っているとどうも隣接する長南町の長南氏の事柄を調査研究しておられる方とお見受けしたので、「私にはよく判りませんが貴方には大変参考になると思われる書物を持っているのでお見せしましょう」と部屋に適し「これですが」と手渡したのは一冊の部厚い本である。

 内心キッと「いいものが有った」と喜んでくれるかと期待したが、手に持ちながら紳士は静かに云われた。なんと全く予期もしない返答がかえってきたのである。

 なんと云われたと思いますか
「この本は僕が書いたもので中村と云います」と エツと絶句。これには吃驚仰天。いや−驚いた。

 気の遠くなるような完成までの年月と根気と粘り、膨大な資料の整理された内容の濃さに、かねがね敬服していた「長南氏の研究」の著者がじきじきに我が家へお出ましになっのだ。
 こんなことが世のなかにはあるんですね。


 「ところでどうして手前どものところへ来られたのですか」と恐るおそるおたずねしたところ、何でも途中で駅やタクシーや駅裏の寺などで「長南殿」について伺ってみたが首をかしげるばかりで、最後に入った安久谷の「味覚」というラーメン屋さんご主人「野口和男」さんから君のことを開きましてね、やって来ましたとのこと。

 そう云えば野口氏には以前何かとご指導をして頂いたことがあり、時には店に出かけたりしている仲である。

 この野口氏の出身が「月出」という市原の奥まった所でありながら先祖が凄い。何とあの彫刻も見事な三代日成田山本堂の改築に携わった「名工・野口竹治郎」なのだ。その同じ村落に「長南殿伝説」を今に伝える野口邦太郎夫妻がお住まいだ。此処にも何度かお邪魔したことがあり、そういう繋がりでなんと目の前に「巨人」が現れたのだ。

 この機を逃すまいと早速この本にサインをお願いしたのは云うまでもない。宝物が増えたような気がしてならない。

 見えない糸が引いたのかも知れないと思った。その後は、このご緑で中村先生ご夫妻はじめ大多喜の井上順司ご夫妻、さらには君塚善利先生のご指導を仰ぎながら「長南氏千年の歴史」を手探りながら楽しみ、いっの日か長南氏が植裁したと伝う松島の松を見に行きたいと、しきりに思う今日この頃です。
長南の血マンチェスターに    長南  由市 (山形県余目町)
  姪の順子は婦人刑務官として勤めるうち、英語塾で出会った彼と結ばれた。彼は大学時代に専攻したスペイン語を生かして語塾を開設する志やみがたく、英国に帰国することになり、あわただしく大田原から成田直通のバスの客となった。

 順子は、自宅で父に別れを告げ、渡英する覚悟をしたためた一枚の紙を父、由雄に渡した。

 今後の姪には、慣れないイギリスでの生活に様々な困難、苦労に直面するだろう。しかし伯父の私が言うのも何ですが、バイタリティーのかたまりみたいな順子のことなので、環境にも直ちに順応して、我が長南一族の血をかの地に根付かせてくれることを期待しているところです。

 残された弟は、60歳を過ぎたものの、刑務官時代の同僚や退職した部下たちはもとより、現職の後輩たちに恵まれ、独り住まいの彼を気遣って、各地の旅行や宴会に誘ってくれるので、それなりに楽しんでいるもののようです。

 山形の生家にも年に数回は帰省し、老齢で障害をもつ私には出来ない庭木の手入れや何かと尽くしてくれるし、温泉に行っては足裏のつぼの指圧と整体の技術を使ってくれて、兄弟が裸の付き合いを楽しんでいるところです。

 私は、弟に「お前は独りではない、遠くイギリスには娘夫婦と孫が、無事息災で、充実した毎日を送り、立派に長南のDNAを伝えてくれれば、これに越した壮挙はない」と励ましているこの頃です。

           菊根分けあとは彼の地の土に咲け
         
長南氏から芸術家
長南一夫(青宿)

  単純に美しいとかでなく、描く前に、自分は何に感動があったかを鮮明にもっていることが大切です。

  この作品はシチリア島で、海のブルーに心引かれて、ブルーを美しく見せるためにエメラルドグリーン、ホワイトなどのコントラストを大切にまとめてみました。井上画塾の皆さん、頑張ってください。
千葉県大多喜町の絵の会に東光展出品作を贈ってくれた。
長南寿志  「存在感」巨樹は語りかける

さる5月東京銀座のコダックフォトサロンの個展を拝見。数百年の巨木をモチーフにして、ダイナミックな作品を発表していた。

札幌在住としかわからないが、今後の大成を期待している。
ご注文はメールでお願いします。
    送料込み(円) 概要
書 籍 長南氏の研究 一般20,000 中村就一著 A6 1899頁
会員10,000
土師菅原史記 2,500 長南良一著 古代から道真までの研究 B5 631頁
天神様の美術 3,000 NHK制作 道真1000年記念関係の文献、絵画を収集 A4 340頁
長南年恵の生涯 800 雑誌微笑別冊 A4 208頁(売り切れました)
錦 絵 ひよどり越え 2,000 71×36センチ 江戸末期版画カラー原寸大
一の谷 2,000
壇ノ浦 2,000
蝦夷地渡海 2,000
4枚セット 5,500
先祖書巻物 1本 100,000 予約金、送料込み
2本(1本あたり) 73,000
4本(1本あたり) 57,500
6本(1本あたり) 51,400
※会員とは既に毎年会費を納入している方、今回購入の機会に入会する方の年会費は初年度8,000円、以後は金額自由。

 会員には「全国長南会通信」が配布されるほか、「長南氏のルーツを語る会」等各種行事に参加できます。
ch0330@support.email.ne.jp
おかめひょっとこにぎらっぺ

    鴇たかし・作詞
    岡田佳久・作曲
    鈴木英明・編曲
    長南みず代・唄

忍び愛

    鴇たかし・作詞
    岡田佳久・作曲
    鈴木英明・編曲
    長南みず代・唄

    キングレコード