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全国長南会通信  8号
2002年5月10日    発行  全国長南会  編集  長南光夫
日本初・地元の力結集 ひたち長南史研究会

 

 

  さる4月6日、霞ヶ浦南岸の長南武氏宅に8名が集まり、この地方の長南史研究会が発足した。こうした会は、全国初の快挙だ。


 長南一族が辿った歴史については、遠祖菅原道真からの中村就一著「長南氏の研究」と、遡って道真より昔の歴史を研究した長南良一著「土師菅原史記」とがあり、これをつなげば、なんと長南氏の2000年に及ぶ歴史が解明されたことになる。


 このことは、日本の姓氏15000の中では、きわめて珍しい。しかし、これらの著書も各地域の長南氏については、必ずしも十分に研究されたとは言いがたい。


 霞ヶ浦南岸の阿見を中心とする一族についても、中村の調査は、ご自分も興味があり、長南正志氏(照光氏の叔父)が専ら協力した賜ではあるが、史実の半分にも及ばないと言われても無理はない。
 

  そこで、長南 武氏 (青宿)らは、かねてから中村の未調査の部分を調べ、民話、口碑の発掘から青宿長南史全般を解明したいと 2000年の「語る会」を機に提案しているが、工務店の社長だから意欲は旺盛でも時間がとれない。しかし全国長南会のホームページを立ちあげた長南秀則氏も身を乗り出した。

 そこへ、今年1月の「語る会東京」で、初めて歴史を学んだ長南安紀氏が、祖父が出た青宿について自分なりに調べたいと言いだした。

 このような機運の中で、地元の熱意が結集し、かねてからこの地方の郷土史研究を進めてきた長南光男氏や全国長南会通信を地域に配布している長南照光氏も参加を申し出て、この会合となったもの。

 

博昭夫妻に続く快挙

 銚子の海上城から、長駆山形県上由沢に落ちていった長南氏については、すでに博昭夫妻が調査を続けているが、地域ぐるみの取組みは、これが日本で最初となる。いずれにせよ、長南氏が自らの力で、自分たちの歴史究明運動を立ちあげるのは、すばらしいことで、各地の長南氏への影響は計り知れない。

 話合いは、まず現在の青宿に残っている史料こは、何があるかから入ったが、日露戦争勝利祝賀会の花火が法泉寺に落ちて、丸焼けとなり、さらに現代になって隣接する予科練が米機の空襲を受けたために、再び史料が焼け、記録類はゼロに近いという問題がある。


 長南倉之助(光男氏の伯父)の「郷土史科研究論集」と、最近刊行された「阿見町史」くらいしかないが、長南氏がまとまって住む地区そのものについては、これらでもあまり期待できない。


今から700年の昔

 しかし、口碑「青宿村のおこり」(別掲〉や、町史編纂委員山中正夫氏は「青宿村の長南氏は700年くらい昔からいた」と語っている。また、1338年頃に長南氏が上杉氏に従って常陸国に入ったと思われる(「長南氏の研究」P.334)ことから、口碑は史実を伝えていると考えていいのではないか。このように青宿長南氏の歴史は、かなり古く曲折に富んでいるらしいことがわかったので、一同は勢いづき、これからの進め方を相談し、次のようにきめ、午後は共同墓地に行き、家紋を整理するなど、早速調査を開始した。


当面の研究テーマと分担

1   1300年代における上杉、土岐氏の動向から長南氏について調べる。(光男、安紀)
2 仙台簿の領地となった歴史との関連から、長南氏について調べる。(光男、安紀)
3 地元の口碑、民話類の発掘調査(武、照光、秀則)


研究会の運営


会  長:長南武
副会長:長南照光
事務局:長南秀則

 なお、今後地元中心に研究会員に新顔を加えていく。中でも有力な候補者として長南光二氏(武氏の弟、牛久高校教諭)に武氏から協力をお願いする。


 車で30分の隣町、竜ヶ崎市にも長南氏が6世帯いるが、ここも仙台藩の領地だったから、青宿とセットで考えるべきだとの意見も出て、この研究会の名前も「ひたち」がついた。
                          

参加者

 

長南光男
長南 武
長南照光
長南秀則
長南安紀
小野きの
中村就一
中村ひさ

阿見町の学生生徒の皆様へ


  誰でも、遠い国より、茨城県のわが町の、自分が住んでいる所のニュースだと、興味がわきます。歴史も同じで、年号などを暗記するより、ずっと楽しく、やりがいのある、皆さんの町の長南一族の歴史の発掘に参加しませんか。


 長南とか青宿とかいう名前の由来だって、ご存じですか?これは、生きた社会科です。ご一緒に身のまわりから探検してみましょう。自由研究のテーマにもぴったりだと想いませんか。さあ、お友達を誘って、上記のどなたかに連絡してみてください。

青宿村のおこり

今から七百年も前のむかしのこと、仙台の殿様が霞ヶ浦の東の方にある鹿島神宮へ、北の海からはるばると船に乗ってお参りにきました。


  神宮のある関東の地は、東北の仙台よりも気候がおだやかで暖かく、土地は平らで広々としていました。その上、広いきれいな湖があって草や木が豊かに茂っていました。殿様は、この地がたいへん気に入り、お参りがすんでからも、何日もかけてあちらこちらと見てまわりました。


 そうこうしているうちに、仙台に残してきた奥方のことを思い出し、一度この美しい関東の地を見せてやりたいと思い立ちました。さっそく、手紙を書いて家来を使いに出しました。


 仙台では、殿様が無事にお戻りになるように、神様にお祈りしながら奥方が待っていました。そこへ殿様からの手紙が届いたので、奥方は何事が起こったかとおそるおそる手紙を開いてみました。


 手紙を読んで、奥方は天にも昇るような喜びようでした。すぐに支度をして、家来たちとともに船で関東に向いました。

 船が利根川から霞ケ浦に入って、鹿島神宮に近づいた頃にひどい大風が吹き荒れて、霞ヶ浦の奥の方に流されてしまいました。流れついたところは、まこもが青々と生えしげった岸辺で、その奥には草木が見事に美しい陸地が見えました。奥方と家来達はひとまず陸地に上り、粗末な小屋を建ててそこを宿にしました。何日かそこですごしているうちに、身ごもっていた奥方に赤ちゃんが生まれました。それでしばらくここにいて、からだを休めることにしました。そして、裏山に鹿島神宮をおまつりして、皆が無事に仙台に戻れるようにお祈りしました。

 しばらく暮らしているうちに、奥方も家来たちもこの地がすっかり気に入ってしまいました。奥方のからだもよくなって、仙台に帰れることになりましたが、この土地からはなれにくい気持ちにりました。いろいろと考えた末、この土地を仙台藩の領地として、新しい村をつくることにしました。そして、長南市郎兵衛ほか6人の家来に村づくりの仕事を命じました。市郎兵衛等は喜んでおひき受けして、奥方のお帰りになる船をお見送りしました。

 それからすぐに、6人の人達は土地をきり開き、田畑をたがやし、家も建てて立派な村をつくり上げました。裏山におまつりした鹿島神宮も、新しく建てかえて鹿島神社としました。


  村の名前も青々と草木の茂った土地にできた住み家ということで「青宿」としました。その頃から始まった年中行事の一つで、「おばんず」という行事が今でも九月に行われています。

  それは市郎兵衛家の裏山の竹をつかって竹筒をつくりそれに甘酒を入れて付近にまつられた神々にかけて歩くという行事です。仙台へ奥方が無事に戻り、青宿の村が立派にでき上がったお礼として、神様に甘酒を供えたものだと思います。

稲敷郡阿見町
  茨城県の南部に位置し、土浦市や筑波研究学園都市に隣接しています。
 日本第2の湖霞ヶ浦に面する豊かな自然と、成田国際空港まで約30km、首都60km圏内という好位置にあり、都市化が進んでいます。

  青宿は東側が霞ヶ浦に面し、沿岸には田園地帯が広がり、陸上自衛隊武器学校、700年前に作られた鹿島神社には古墳跡があります。

武器学校

旧、土浦海軍航空隊、(予科練)桜の季節には市民に開放される
クリックすると祭礼の準備の詳細へジャンプします。
鹿島神社

夏祭りには神輿、9月、12月には氏子のお祭りが開催される
全国長南会の会費


 長南氏の研究は、私が結婚5周年記念事業として夫婦双方のご先祖調ペを始め、房江の出身長南氏が、調べるほどに素晴らしい家系に驚き、一族に報告のため、30年間の研究結果を、電電公社の退職金で自費出版、実費2万円で頒布し、その売り上げで会を運営してきました。


 その後徳雄、藤四郎、武夫、光男、俊春、斎藤兄弟らが、全国に呼び掛けて会を結成し支援してくれます。会費は、2000年6月長南町での紅花の集いで相談の結果、「定額でなく、出せる人が出せるだけ出す志納金」方式とし、私の「長南氏の研究」は半額にしました。今年は栽松記念碑や和泉守お墓改修で印刷、通信負などがかさみますので、皆様はゼロでなくいくらかでも、無理のない範囲で会費を振り込んでいただければ大きな力になります。

                                                                              中村 就一

全国長南会   カラー名刺について

 
先年、塩釜市丸長寿司の政直氏の長女智美さんが、福島市で結婚式をあげた時、寿司屋の名刺よりもと、全国長南会の名刺を配ったところ、アレ長南さんて、知人にいますよ、道真公がご先祖ですかなんて話が弾んだそうです。
 

  このカラー名刺は上田沢の博昭氏のディザインで、ロゴマークの円内は、上から順に長南氏の事蹟を象徴しています。虹は紅花(長南の地で栽培し山形へもたらした)緑は栽松事蹟(黒松を植えて名勝松島を作った)水色は海運事業(寒風沢と石巻で廻船問屋)と治水(豊牧新田開発の知恵)黒は苦労して開拓した新天地というわけ。黄金分割の右はひよどり越えの長南忠春の勇姿。裏面は長南氏千年の歴史。


 当会では、千年に及ぷドラマとロマンをちりばめた長南一族の歴史を子孫に伝え、世に広めるために、会費(金額自由)を納めた方には、会の名刺(ひよどり越えの図柄の統一型)を会の負担で印刷して差し上げます。


 ご希望の方はつぎのようなメモを送って下さい。氏名、〒番号、住所、電話、Fax番号、HP、Mailアドレス。全国長南会での肩書が欲しい方は、ご自分がやりたい事なら何でも結構。かりに実行できなくともかまいません。


 もちろん、お仕事などの宣伝に役立つコピーを入れることもできます。    ch0330@support.email.ne.jp
 

 

 

購入希望はメールでお願いします

ch0330@support.email.ne.jp

    送料込み(円) 概要
書 籍 長南氏の研究 一般20,000 中村就一著 A6 1899頁
会員10,000
土師菅原史記 2,500 長南良一著 古代から道真までの研究 B5 631頁
天神様の美術 3,000 NHK制作 道真1000年記念関係の文献、絵画を収集 A4 340頁
長南年恵の生涯 800 雑誌微笑別冊 A4 208頁(売り切れました)
錦 絵 ひよどり越え 2,000 71×36センチ 江戸末期版画カラー原寸大
一の谷 2,000
壇ノ浦 2,000
蝦夷地渡海 2,000
4枚セット 5,500
先祖書巻物 1本 100,000 予約金、送料込み
2本(1本あたり) 73,000
4本(1本あたり) 57,500
6本(1本あたり) 51,400
※会員とは既に毎年会費を納入している方、今回購入の機会に入会する方の年会費は初年度8,000円、以後は金額自由。

 会員には「全国長南会通信」が配布されるほか、「長南氏のルーツを語る会」等各種行事に参加できます。