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青宿土地買収関連の経緯と当時の物価など
『海軍は海軍航空機の操縦要員を養成するため、阿見原と霞ケ浦湖岸に当時としては東洋一の教育訓練のための飛行場を造ることを計画した。大正6年(1917)頃の事であろう。具体的には海軍省独自でできるものではなく、政党、内閣、国会、県などの立法、行政機関等を巻き込んだ調整が、大急ぎで展開されたことであろう。しかし、この間の事情については、特にこれといった記録は発見できず詳細は不明である。
 いずれにしても、大正9年3月、阿見村の原野と霞ケ浦湖畔合せて約85万坪が海軍省によって、1坪約10銭3厘で買収され、飛行場としての地ならしが開始された。そして約1年4か月後、霞ケ浦飛行場の開場式が行われたのである。買収された阿見村の当時の状況について、阿見町史では東京日日新聞が大正8年11月9日付茨域版に、次のように報じたと記している。

阿見飛行場の住民五百名立ち退きを嫌って騒ぐ移民の喧嘩が全敷地内に波及す。近く委員を挙げて当局陳情
既報海軍飛行場として海軍省が稲敷郡阿見村大字阿見地内に於いて部落田畑、原野等四百町歩を買収せしめる為め、敷地内の村民三十余戸は既に立退きの準備を為すに至れるが、今回新に買収せる敷地五十町歩は多く他地方よりの移民の新開地にして、其の数四十余戸、人口凡そ二百五十名あり、是等は多く細民にして、移住後日尚ほ浅き者少からず、而も日下の処適当の土地なく、且移住を嫌ふ結果、主務省並に県当局を非難し、果ては喧嘩を極むるより、他部落の永住村民に迄波及し、敷地内に住む者約八十戸、四百数十名は七日頃より一斉に騒ぎ出し、家業も手に付かざる始末にて、移住民の不平殊に甚だしく、近く委員を主務省並に県に出頭せしめ、立退地の選定、斡旋等陳情すべしと云ふが、陸軍に於ても同時に飛行場設置の希望あり、愈々実施の暁は海軍飛行場は之と隣接する舟島村に引越すやも知れず。』

以上が阿見町発行「阿見と予科錬」の中の1節で、海軍による阿見町霞ヶ浦周辺(現在の武器学校)と阿見原(武器補給所)の第一次土地買収の様子です。

「長南氏の研究」に青宿の長南氏は地下足袋1足の値段で土地を買収されたとあるが、1坪10銭3厘という金額が当時いったいどのくらいの価値であったか調べてみた。
(資料1)大正10年頃の物価
衣料品 学生服 1着 50銭
背広注文服 30円
地下足袋(大正12年) 1円5銭
長靴(大正13年) 4円
食料品 豆腐 4銭
食パン1斤(大正7年) 14銭
玉子1個 6銭5厘
コーヒー 10銭
もりそば 10銭
カレーライス 10銭
ラムネ 6銭
雑貨薬 鉛筆 5厘
化粧石鹸1個 15銭
桐箪笥 8円
自転車 50円
メンソレータム 25銭
大田胃酸 30銭
大学目薬 10銭
交通機関 山手線 5銭
上野〜青森 7円23銭
新橋〜大坂 6円4銭
手宮〜札幌 55銭
門司〜熊本 2円70銭
資料1より、地下足袋の値段は1円5銭であるから、その10分の1の値段になる。これは東京の物価の一覧なので、地方とは多少異なるかもしれないが、いずれにしても田畑1坪の値段がカレーライスや、もりそばと同じであったわけで、今では考えられないくらいの金額で強制的に買収されたであろうと思われる。

昭和になり満州事変以降、海軍はますます飛行機の搭乗員養成に力を入れ始め、昭和13年には、霞ヶ浦航空隊に第11練習連合航空隊が編成され、司令部を霞ケ浦航空隊内に置いて、各基地における飛行操縦訓練を指揮することになった。
このため、霞空発足時の第一次買収で得た飛行場用地のみでは不足するため、霞空および土空拡張時の第二次、太平洋戦争勃発後の第三次等の買収が必要となつた。第二次買収の対象となったのは、第一次買収時の未買収地約102町歩であり、主として飛行場周辺の土地であった。昭和12年〜14年にかけて阿見原及び花室川流域の水田地帯を買収した。買収価格は、畑地でおおむね1反300円であったという。

第一次買収の時と比べ約10倍に上がった単価で設定され、宅地については家の解体費用などもみてくれて案外割高で補償されたようだ。もちろん戦争下のインフレもあり、大正時代よりも物価は上昇していたはずだが、軍は買収を急ぎたかったのであろう。第一次買収では霞ヶ浦中心、その後の第二次、第三次買収では、阿見原の飛行場あたりが中心に買収になったようだ。阿見原は開拓地で他県からの移住者も多く、畑を開墾して住居を建ててまもなく移転を余儀なくされた人もあったようだ。
(資料2)買収単価
  第一次 第二次 第三次
時期 大正9年 昭和14年 昭和17年
場所 阿見村原野、霞ヶ浦湖畔 鈴木、一区花室川流域
面積 280町歩 102町歩 45町歩
単価 反30円 坪10銭3厘 反300円 反300円

第一次買収に対して、第二、第三次買収は取り壊し,引越し、立替費用などで5000円ほどの金が入ったので預金ができたというところもあったが、後のインフレで金の価値がなくなって無一文になったり、買収費用を使い果たして途方にくれるものもあったという。
(資料3)
阿見原買収地域内戸数 村内移転 村外移転
約80戸余
第一次買収 約21戸 約33戸
第二次買収 約27戸 約10戸
第三次買収 約48戸 約43戸
(資料4)給与の概要(昭和10年頃)
年齢 階級 棒給
15 4等航空兵 6円20銭
16 3等航空兵 11円60銭
17 2等航空兵 13円10銭
18 1等航空兵 36円00銭
19 3等航空兵曹 51円60銭
21 2等航空兵曹 57円40銭
22 1等航空兵曹 64円70銭
25 航空兵曹長 140円50銭
29 航空少尉 201円00銭