青木タカオ「ちょっくら・おん・まい・でいず」

「今日の夜話」過去ログ'14.8月〜'14.11月

「思い切りギター」14.11/29

 中学の頃は実家暮らしだったので、

 ほんとあに思い切りギターを弾いていた。

 これでもかってくらい。

 そのうち、ギターの音もわからなくなるくらいに。

 そういう時期だったのかな。

 ロックのつもりでいたのかな。

 先日、スタジオに入り、思い切りギターを弾いた。

 新しい弦を慣らすために。

 じっさい、大きな音も出るけれど、

 ほとんど、意味がないなと思えた。

 いいことなんてあんまりない。

 感覚が伸びてしまう。

 やっぱり、柔らかく弾かなくっちゃね。



「アナと雪の女王」
14.11/24

  友達が貸してくれた映画「アナと雪の女王」を観た。

 さすがにディズニーの制作なので、よく出来ているなと思った。

 あのストーリーのまま、江戸時代にな置き換えて、

 それも実写版にしたら、すごいスペクタクルな恐怖映画になると思う。

 一大傑作の。

 しかし、なぜかアニメでは、きれいな映像に変わってしまうんだろう。

 それも夢に満ちた。

 ディズニーのマジックかな。

 それにして、最近のアニメは立体化がすごいな。

 ほぼ実写だものな。

 夢に出てきそうだ。



「そのうちやせると」
14.11/20

 自分では思っている。

 この一年半で7キロくらい太った。

 完全に太り過ぎ。信じられない。

 しかし、まあ、そのうちやせます。

 少し今、ふわっとしているだけで、

 心はしっかりしている。

 食べた食べたと、ふわっとしてみたいなと思っただけ。

 人生で一番食べてる。

 こんな一年があってもいいんじゃないでしょうか。



「こんなふうに過ぎてゆく」
14.11/16

  この二日間、時間はたっぷりあったはずなのに、

 思っていることの半分もできなかった。

 まあ、眠ってしまったということもあるけれど。

 たぶん、人生もこんなスピードで進んでゆくのかな。

 今年の最初にやろうと思ったことは、

 なんとなくだが実行された。

 ぎりぎりの精一杯で。

 たぶん、これからもこんな感じで過ぎてゆくだろう。

 ・・ああ、眠っちゃたなぁ、、言いながら。



「野次と言えど、、」
14.11/13

  先日の友達のライブで、ずっと野次を言っていたシンガーさんがいた。

 そのときは、大きな声だなとか思っていたが、

 映像編集をしていて、野次が実よくライブにはまっていると思った。

 音楽的というか、、。

 長い事、野次をやっていると、それなりにうまくなるのか。

 間合いがいいというか、

 それがライブのときは気付かなかった。

 それが不思議。


「ずっと頑張れる人もいるけれど」14.11/8

  今年の前半は、アルバム作りでかなり集中した。

 完成して、もう四か月はたっているけれど、うまく集中できないでいる。

 昨年は引越しの疲れで、後半パワーが出なかったし。

 人によっては、一年を通し次々とこなしていけるだろうけれど、

 僕はやっぱり、疲れが出る。

 三か月とか半年とか。

 テンションが低いというわけではない。

 筋肉を休めているのだ。



「ボードに揺れてゆくようなもの」14.11/5

  ここ最近、レゲエのボブ・マーレーを聴いていたら、

 突然にはっとひらめいた。

 ボブ・マーレーは疲れ知らずで、歌い続けていけるのはなぜかと。

 たぶん、力を入れずにボートが揺れるように歌ってゆくのではないかと。

 そう思ったら急に、自分の歌を歌えるような気持ちになった。

 実際、今回のツアーでは、一曲を余裕を持って歌いことができた。

 ボブ・マーレー効果かな。



「声の響き」
14.10/31

 小樽の友人より、以前出したCDアルバムを、

 おみやげでもらった。

 制作してから、もう11年もたっているけれど、

 曲目をみると、彼の定番の歌も多く、

 かなり力を入れて作ったんだとわかる。

 聴いてみると、なるほどと思うほど、魂が感じられた。

 この一枚にすべてをかけたような。

 それでいて自然体で、いい感じに仕上がっていた。

 彼とはながいつきあいでもあるので、声の響きで、

 伝わってくるものがある。

 彼は「11年も前のものだけれどね、、」と言ったけれど、

 まったく古さを感じなかった。

 作った当時の心意気がみごとに録音されていた。



「耳がある」
14.10/29

 今回の北海道ツアーでは、お客さんに恵まれた。

 みんな楽しみに待っていてくれて、会場があたたかさにつつまれていた。

 そのな雰囲気の中で歌うのは、とてもリラックスできた。

 あせる必要など何もない。そこに聞いてくれる耳があるから。

 最高のライブをしようと思った。

 それに近いライブは出来たんじゃないかな。

 こっちにいるときよりも、落ち着いたライブが出来た。

 ツアーでは、なかなかこんなことはいままでなかった。

 いつもついつい力が入ってしまった。

 何、あせることはなかった。そこに待っている耳があるんだから。


「歌ごころ」
14.10/23

  ここずっとレゲエのボブ・マーレーを聴いているので、

 自分の中では、どこかしらボブ・マーレーっぽい歌ごころになっている。

 レナード・コーエンの新作アルバムも昨日発売されだが、

 それを聞いたら、自分がまたレナードの歌ごころに影響されてしまう。

 それぞれの歌い手には、それぞれの歌ごごろがあり、

 それがもとになって、大きなアルバムになっている。

 もちろん自分にもあるわけだけれど、ついついふらふらと、

 歌ごごろはすぐ影響されてしまう。

 しばらくボブ・マーレーを聞いていたので、

 今、かなり影響されている。



「ギターチューナー」14.10/18

  最近と言わず、ここ10年くらいは、

 ギターのヘッドに直接付けるタイプのチューナーが主流だった。

 僕もひとつ持っているが、ギターのヘッドにちょこんとキノコが生えて感じになってしまう。

 有名ミュージシャンもみんなつけていたし、しかたがないなぁと思っていたけれど、

 でも、本当はヘッドの内側に付いていてくれたらなぁと思っていた。

 もう10年くらいずっと。

 そしたら希望どおりのチューナーが出ていた。

 ダダリオというメーカー。

 そういえぱ、僕の使っているギターのカポもダダリオ。

 どちらも、ギター弾きの希望にかなり応えていると思う。

 ギターチューナーに関しては、本当にみごと。

   思っていることって、伝わるんだなぁ。


「おとぼけの日」
14.10/15

  今日は、行きも帰りも電車の駅を乗り過ごしてしまった。

 電車だれではない、他にも七つも八つもおとぼけをしてしまった。

 今日はそういう日であった。

 これだけいろいろ続くと、必ずしも、偶然とはいいがたい。

 何かしらの原因があるのだ。

 石のつまづく日があるように。

 今日はおとぼけの日。

 睡眠不足かな。

 いや、何か不足なのだ。



「その昔」
14.10/13

  今やインターネットの時代になった。

 ふと考えてみた。その昔のことを。

 今でゆうところののインターネットは、

 全国紙の雑誌の読者コーナーだったのではないか。

 もしくは、投稿コーナー。

 漫画家の若い頃のエピソードには、よく投稿コーナーの話が出てくる。

 それは、いまで言うところのネットだったのではないかな。

 全国のみんなが、投稿コーナーや読者コーナーを見て、

 仲間のことを知る。

 あとはラジオに出るとかかな。

 テレビのお便りコーナーもあるな。

 その頃は狭かったね。

 その頃は本だったね。



「高級靴」
14.10/11

  仕事からの帰り道、

 靴の問屋さんが店頭販売で、在庫整理をしていた。

 定価の三分の一の値段で。

 見れは、そこそこにいい感じの靴で、

 これなら一足買っておいてもいいなと思った。

 わけあり品かもしれないが、、。

 今日はちょっといい買い物をしたと思って帰宅した。

 玄間の靴置きを見たとき、ショックを受けた。

 かつて激安靴店で買った一足と、それは同じメーカーであった。

 (おかしいなぁ・・・)

  高級靴を買ったつもりだったのに。



「歌を作っているとき」
14.10/9

 途中途中で、分かれ道のようなものがあり、

 こっちへゆくと、はまってしまうな、、やめとこうかな、と、

 思うことがよくある。

 これで完成かなーと、ふと頭をよぎるけれど、

 まとまりすぎてるよって、誰かが言う。

 それでまあ、そっちの道にはいかないわけだけれど、

 もし行っていたなら、そのメロディーや歌詞にとらわれてしまう。

 ちょこっと行って、すぐ戻ってくる。

 あぶない、、あぶない、、と。

 人の作品を聞いていたりすると、

 ああ、ここではまったんだなぁと、わかるときがある。

 もう一本先にいけば、良かったのになぁ、

 なんて思うときがある。


「絵を探す」14.10/6

  以前に書いたイラストの絵を探した。

 みっつのくらいの筒の中にいままで描いた絵はまとめてあるので、

 そのどれかに入っているかと思ったけれども、なかった。

 なぜかは不明。

 そのかわり、今まで自分が描いた絵を全部見た。

 もう14年ほど前になるけれど、富山に歌いにいったとき、

 ライブのとき、壁にかざるものとして、自分の歌の絵を10枚ほど描いた。

 ふつうの画用紙の大きさ。けっこう大きい。

 ちゃんと全部、水彩の絵具で塗って、、。

 その絵を今回、探しついでに見たのだけれど、

 どれもそこそこに良い絵であった。

 僕もまだ若かったし、、。パワーがあったのかな。

 いまでは、ちょっと信じられない。

 ほんと集中していたんだな。

 東京に来てから描いた水彩画は、

 ほとんどが、その一日で描いた。

 なんという一日だったのだろう。



「ギターの音が良すぎ」14.10/3

 先日、ライブで聞いた生ギターの音は、

 ピックアップを通してではあったが、

 とても良い音を出していた。

 低音もばっちりだし。文句ないほどクリヤーな音であった。

 演奏者のテクニックにもよるのだけれど、

 硬質な音であった。

 普通に聞いているぶんには、とても良い音のギター音、

 でも良すぎるかもしれない。

 きっと、弾く側が、ちゃんとしたテクニックを持っていて、

 ブレない演奏なんだろうなぁ。

 フィンガーピッキングにしても、僕なんか、ふにぁふにぁだし。

 (こんな音、出したいんだー)という、ギターの心の音が聞こえるとき、

 それは、ときおり『こんな音が出た』という瞬間につながる。

 最初から、実現された音だとなぁ、、。

 応援のしがいがないんだよなぁ、、。



「折り返し地点」
14.10/1

 新しいカバンを買った。新しい靴も買った。

 秋用の服も出した。

 冬になったら、あたたかいジャケットを買おうと思う。

 ウールのセーターも買おうと思う。

 ダウン風ジャケットは、今年は着ない。

 冬なんだし、寒くて当然。

 五年前まで、普通に冬のコートを着ていたんだし。

 新しいカバンは、肩掛けタイプの薄いカバンである。

 靴は茶色のほぼ革靴である。

 カバンの中には手帖と新しく買った創作ノート、そして詩集を一冊入れた。

 うん、明日から、一人の弾き語りシンガーとして、

 きちんと生活してゆこうと思っている。

 シンプルに。

 きちんと、僕はまた創作者として、日々を過ごしてゆこうと思う。

 「あら、あの人、フォークシンガーさんかしら、、」

 明日はきっと、僕にとって創作の折り返し地点。

 また強力な磁石になって、歌を引き寄せたい。

 準備はできている。あとは明日を待つだけ。



「たまたまかもしれないが、、」
14.9/29

 昨日の、共演した歌い手ふたりは、

 どちらも、フィンガーピッキングが僕好み

ライブでの感じであった。

 情感豊かと言うか、、。

 多くのライブを観ているけれど、フィンガーピッキングは、

 ひとつの伴奏という感じで弾く人は多い。

 昨日、共演したふたりは、一音一音に気持ちがこもっていた。

 それだけで、何か通じるものがあるなぁと思えた。

 言葉を超えて、通じるもの。

 歌の方も、言葉ひとつひとつを大事に歌っていた。

 会えて嬉しかった。

 お互い何十年も歌ってきて、ライブで出会うって、

 なんだか、不思議な気持ちがします。

 弾き語りライブの良いところかな。



「大事な手紙」
14.9/27

  大事な手紙を書こうと思う。

 今日も休みなのでたっぷり時間もあるのだけれど、

 夜中の12時を過ぎてから、手紙を書こうと思う。

 いままでもそうだったし、今回もそうやって手紙を書こうと思う。

 この昼間に書いても、すらすらと書いてしまうし、

 夜の12時すぎて書いてもやっぱりすらすらと書いてしまうのは、

 知っている。

 ただ、一日の終わりに、その手紙を書きたいのだ。

 もう眠たいだろうけれど、それはかまわない。

 世の中が静かになって、君のことを想う。

 それでいい。



「フォークのにおい」
14.9/26

  家の近くの駐車場に、

 フォルクスワーゲン昔のワゴン車が止まっている。

 なぜか妙に新しいのが不思議なのだが、、。

 ボブ・ディランのセカンドアルバム「フリーホイリン・・」のジャケットにも

 左側に写っていて、とても懐かしい。

 ワゴン車ではあるけれど、小さめな車であり、

 時代を感じるデザインにもなっている。

 逆にこの車を見ると、ディランのセカンドアルバムを思い出して、

 フィンガーピッキングやギブソンの生ギターの音が聞こえてくるようだ。

 不思議と、イメージぴったり。。なぜかは不明。

 レトロなデザインのせいだろうか。

 頑丈な感じではなく、エンジン音が大きく響きそうな。

 このしゃれた古いワゴンから、フォークの響きが僕には聞こえる。

 フォークってどのようなものかと、尋ねられたら、

 僕はこのワゴン車を見せるであろう。

 僕と同世代の人たちは、みなそれぞれにフォークのイメージがあるだろう。

 日本だったら、「関西フォークの歴史」のレコードのジャケットような感じであろうか。

 たしかに、そうとも言えるが、僕には、少しちがう。

 もうちょっと、しゃれた感じなんだよなぁ。



「共演」
14.9/23

 久し振りに、ライブで、初めてのシンガーさんたちと共演する。

 ふつうのブッキングライブを続けているみんなにとっては、それは当たり前のことだが、

 僕なんか、慣れていない。いつも知り合いの人ばかりであった。

 今度、共演するみなさんは、みな実力派のシンガーさんばかりなので、

 どうしょうかなーと、思っているところ。

 どこの街の商店街でもいい、

 お店構えというものがあるとしたら、他のみなさんは、ちゃんとしたお店という感じ。

 僕は手作りの看板とか出している、よくわかんないお店って感じ。

 ごたごたとしたお店の奥から、よっこらと出てくる主人のような。

 それともお店の前で、何か作りものをしている、風変りなご主人のような。

 そうそう、骨董屋みたいな感じか。

 何年も売れていない品物に付いている古い値札。

 この人、毎日何食べてるの?って感じ。

 困ったなぁ、、。この人、変わり者だから、、って、、感じになるかなぁ。

 僕なんかはやっぱり、カッコワルイアルバムジャケットを作るタイプなんだよね。

 カッコイイが似合わないというか、、。

 だから、それでいいんです。

 骨董品屋の主人でいいんです。



「素晴らしい弦」
14.9/21

 ふと、思い立って新しい弦を買ってみた。

 生ギター用。とても有名な弦で、スタンダード弦とも言われている。

 不覚にも、その弦をいままで使ったことがなかった。

 たまたま思い立って、今回新しい弦にしてみたのだが、

 いやぁ、おどろいた。こんなにも弦で変わるものかと。

 値段も700円ちょっと。

 まず張ったときから、良い音だったということ。

 これもびっくりしたが、低音の豊かさにもびっくりした。

 しかし、6弦に関して言えば、いままで使っていた6弦よりも少し細いのだ。

 ほんのちょっとの差ではあるが、これが大きな意味をもっていた。

 その分、ネックへの負担も少なくなり、弦高が多少低くなった。

 それによって、音全体がしっかり合うようになった。

 特に6弦の音のずれが少なくなった。

 僕の使っているギターは弦高が高くてなかなかチューニングが合いずらかったのだが、

 おどろくなかれ、この弦では、ほぼぴったりと合うようになった。

 奇跡だ。それも低音弦はしっかりと音が出ている。

 僕が予想するに、、

 古い70年代のギター、弦高が少し高くなってしまったギター、

 6弦だけがなかなか合わないギター。

 もしかしたら、この弦を使ったら、かなりチューニングが改善されるのではないか。

 (もともと、フレット音痴のものは別として・・)

  それでも6弦が合わなくて苦しんでいる人たちは、

 ストレスが半分くらいになるのではないかと思う。

 素晴らしい弦を見つけた。僕ももうずっとこの弦を使うだろう。

 まあ、一番有名な弦ではあるけれど。。

 ギターを弾いて40年の僕が初めて買ったくらいだから、

 この弦を試していない人は多いのではないか。

 今日は弦の話をしているのだけれど、実はギターやライブのことを言いたい。

 僕のギターが弦によってかなりチューニングが改善されたように、

 多くのギターが、また命を吹き返すように思えるのだ。

 ライブで、6弦が合わなくて苦しんでいる人の古いギターにも。

 古いギターには、救世主のような弦があった。



「300年」
14.9/17

  どこの商店街にも、

 庚申塔やお地蔵さんなどが、そっと途中にある。

 そしてその言われの書かれた立板。

 たいがいは、1700年代のものが多い。

 250年から300年前のもの。

 すっかり街が変わっても、変わらずにあるもの。

 以前は、それほどでもなかったが、最近は妙に愛しく思える。

 眺めていると、時をどんどんさかのぼっていける気がしてくる。

 300年。僕が今50歳なので、その6倍。

 僕の50年があっというまだったから、

 その6倍と言っても、あっという間の6倍であろうか。

 でも、あの地蔵さんの6分の一の時間は僕と同じということにもなる。

 妙に身近に思えてきているのは、そういうことなのか。

 商店街の地蔵さんの前に立っている人がいたら、

 それは僕でしょう。



「ギターの弦」
14.9/15

 以前から買ってみたいと思っていたギターの弦を買って、

 張ってみたら、驚くほど良い音になった。

 評判は本当だったんだな。びっくり。

 もう30年近く、マーチンのライトゲージを使っていたんですけど、、。

 マーチンの弦は、とても慣れていているので、

 張ってからどんなふうに音が変わってゆくかも知っている。

 張ってから、1週間目くらいがほんとに良い音になる。

 しかし、今回の弦は張ったときから良い音になっている。

 へーえー。

 まあ、値段もそれなりなんですけど。

 しばらく弾いてみると、サウンドがとてもまとまっていて、きれい。

 ちょっとまとまりすぎているかなぁとも思う。

 グレードが高い。

 これが1週間たったら、どう音が変わるか、まだわからないのだが。

 マーチンの弦は、なんというか、最初はうまく乗れない馬というか、、。

 だんだんと慣れて、ひとつになっていく感じなんだよね。

 そして、一番良い音にするのは、ちょっと押さえる加減などが必要だ。

 良い音が出たときは、それなりに嬉しい。

 今回の弦は、そのテクニックが、ほぼいらないようにも思えてくる。

 うーん、、これでいいのか。

 マーチンの弦は、弾いていて、ぐっと、良い音になるときがある。

 その瞬間に、聞いてくれてるみんなと一体感があるんだよね。

 今回の弦は最初から、良い音だからなぁ。

 その瞬間があるかどうか。心配だ。 

 また、マーチン弦に戻るかもしれないけれど、

 しばらく今回の弦を使ってみようと思う。



「しまったお店」
14.9/13

  二年ほど使っていた和風の珈琲カップが割れてしまった。

 お気に入りだったけれど、しかたがない。

 それは以前住んでいた街の商店街の

 老夫婦でやっているお茶屋さんで買ったもの。

 お茶も売っていたけれど、湯呑茶碗やカップも売っていたのだ。

 それでいくつもお気に入りのカップを買った。

 たぶん同じ工房で焼いていると思われるデザインのカップを。

 その街を引越すとき、その店は閉店してか開いていたか、

 記憶があいまいだった。老夫婦がやっていたので、

 いつ閉店してもおかしくなかったからだ。

 あれから約一年半、カップは割れて、また同じタイプのカップが欲しいと思った。

 そのお茶屋さんが今も開いていれば、まだ棚に並んでいるだろう。

 でも街の変化は早いいからなぁ。閉店して、もう新しい店になっているかもしれない。

 ・・・・・・・・・・・・・

 かすかな希望を抱いて、僕はその街を訪ねていった。

 だんだんと近づいてくるそのお店のあった場所が、、。

 お茶屋さんの看板はまだあったけれど、シャッターは閉まっていた。

 今日は定休日かもと思ったが雨戸も全部閉まっていた。

 もう老夫婦はここに住んではいないのであろう。。

 まだ店はあったけれど、残念、、。

 同じカップのことはあきらめた。他の瀬戸物屋さんでも探すかな。

 ・・・・・・・・・・・・

 そんなふうにあきらめて、また駅へと歩いていったのだけど、

 ふと考えてみて気付いたことがあった。

 それは僕の欲しいカップはまだきっと、

 あのシャッターの向こうの棚にあっただろうということ。

 シャッターの向こうにありなから、僕はまた帰らねばならない。

 もしたまたま老夫婦が戻ってきていて、シャッターが開いていたなら、

 僕はカップを買えたかもしれない。

 明日も、欲しいカップはシャッターの向こうにある。

 ただそれが買えないということだけと思った。


「SONGS」14.9/9

  NHK総合テレビで「SONGS」という30分番組をやっている。

 30分間、そのアーティストが存分に歌うのだ。

 毎回有名アーティストが出演するのたが、

 ぜひ、その番組に出てみたい。

 30分なら、5曲を歌えるかな。

 セットをいろいろと作ってもらって。

 セットというより、映像がいいな。街とか道とかの。

 何の歌を歌おうかな。四曲は決定している。

 一曲目とラストの曲が難しいね。

 欲張らないで四曲にしておくか。

 旅の話とか友達の話とかギターの話とかして、、。

 四曲だな。

 任せてくれないかなー。

 バンドでもやるけれど、バンドの音はそっと聞こえるくらいで。

 ああ、「SONGS」で歌いたいな。

 歌詞の字幕付きで。

 任せてもらえないかな、30分。



「普通のトランクス」
14.9/7

 ここ数か月のことだが、

 トランクスをはいていて、ふいにしゃんがんだりしたとき、

 お尻から、破れてしまう。

 それも一枚だけではない、もう四枚目。

 もちろん、長年使っていて、トランクスの生地が薄くなったためだが、

 こんなことはあまりなかった。

 思い出せば、若い頃は、三枚780円くらいの安いトランクスを買っていて、

 一年もたたないうちに、ゴムが伸びてしまってはけなくなってしまっていた。

 (まあ、安いからいいか・・)

 そしてまたバーゲンの三枚組トランクスを買う生活が、20年以上続いたかな。

 でもさすがに、ゴムがすぐ伸びるトランクスは悲しいものがあり、

 ここ五年くらいは、普通のトランクスを買うようにしていた。

 さすがに、ブランドものなどはゴムが伸びないなぁとか思いながら。

 ゴムが伸びないのは良いのだけれど、長持ちしすぎて、

 今度は生地が薄くなってしまった。

 それで突然にお尻から切れる。ビリッ!!

  これ困るなぁ。

 ゴムが伸びていた頃にはなかったこと。

 トランクスも替え時ってあるんだな。

 ここ数か月で、立て続けに四枚お尻が切れた。

 長持ちするトランクスも、一長一短だな。

 生地の薄くなったときの見極めが難しい。

「地下鉄の出入口」14.9/5

  高校を卒業して、最初に住んだ町は、地下鉄の駅のある街であった。

 数年して、中央線に住むようになって、僕は国鉄(JR)の人になった。

 電車に乗るといえば、大きな改札口を通った。

 地下鉄のある街に暮らすことは、数十年遠ざかっていたが、

 今は地下鉄のある街に暮らしている。

 地下鉄の歴史も古い。歩道にポッと現れる、地下鉄の出入口。

 降りてゆこうとすれば、風がふわっと起こる。

 ・・・・・・・・・・・・

 地上に出てゆこうとするときも、階段を上ってゆく。

 そこにある街は今、2014年の街ではある。

 最新の本の宣伝ポスターや、自販機も2014年の缶が入っている。

 階段をのぼって行ったとき、、、ふと、、1980年の街になっていないかなぁと思う。

 まだ携帯電話もなく、本屋さんも活気があった頃の街。

 古くて小さな中華屋さんが、いたるところにあった街。

 1980年、、1979年、、1978年、、1977年、、戻ってゆくと、

 東京に住んでいた、ある人の学生時代にもあたるであろう。

 地下鉄のある街にも、何か青春の物語がある。

 JRの街とはちがう独特の街感覚、街の物語。

 地下鉄の階段の上の出入口で、友達と待ち合わせ。

 やぁっと手を振る。そしてそのまま街の歩道を歩いてゆく。

 そこにもたっぷりと物語がある。

 地下鉄の階段をのぼってゆく。そこにある街、、

 1976年、、1975年、、1974年、、1973年、、

 待っている友、、若い頃のあの人、、。 



「何か魂のようなものが入っている」
14.9/1

 2011年に録音して作った、十枚組弾き語りアルバム

 「30年ブレッド」は、完全に手作り作品だ。

 先日は、一日かがりでふたつ作った。

 ジャケットも含めて、ひとつひとつ作ってゆく。

 思い出すのは、この十枚組を作ったときのこと。

 録音も大変だったけれど、そのあとも大変だった。

 とくに仕上げるまでラストの一週間。

 十枚分のジャケット制作に、十枚分のライナーノーツ。

 外函作成。

 時間はなかったが、妥協せずに、納得いくものを作った。

 とっても集中した。

 やり直さなかったぶん、録音もすべて手作り感がいっぱいではあるけれど、

 何か、魂のようなものが入っているので、よしとした。



「傘のとりちがえ問題」
14.8/30

 家の近くのコンビニにて、この一年で、

 もう二本も傘のとりちがえや紛失があった。

 一回は、普通のジャンプ傘がみごとになくなっていた。

 もう一回は、65センチのビニールのジャンプ傘が、

 100円のショップのビニール傘に替わっていた。

 うーむ、もしかしたらどちらも傘のグレードアップされたのかもしれない。

 今持っているビニール傘よりも、よりよいビニール傘を、、。

 ひどい、、びどいよ、、。

 この前行ったら、そのコンビニの傘置き場に、

 「傘の取り違えが大変多くなっております」。なんて、大きく貼り紙されていた。

 この僕でさえも、一年に二本だからなぁ。

 バス停の前というせいもあるねかもしれない。

 だから、その傘置きに傘を置いておくと心配で、心配で、、ちらちら見てしまう。

 あるとき、雨なのに、傘立てに一本も傘がないと思ったら、

 コンビニの中に数人、濡れた傘を持ち込んでいた。

 ちょっとそれは出来ないなぁ。。でも、みんな痛い目に合っているのかな。

 たぶん、、何も考えないで、すっと持ってゆく人もいるだろうなぁ。

 私も以前、とられたからって、、。お互いさまと。

 コンビニの置き傘問題。これにいち早く対応したコンビニは、まだない。

 みんなみんな困っている。

 銭湯のように、鍵式にしてもいいくらいだ。

 ・・・・・・・・・・

 ちょっとネット調べたら、「青いビニール傘とかいいよ」って書かれていた。

 今、僕は青いビニール傘を使っている。

 時代遅れ感たっぷり だが、、一応、その傘を持ってゆく人はまだいない。



「独学」
14..8/27

 音楽や楽器も含めて、よく

 「独学で、、」って、言うけれど、

 「独学」って、ほぼありえないと思う。

 音源であれ本であれ、そこがヒントになって、

 自分なりにアレンジすることはある。

 ヒントなくて、到達はないかな。

 教えてくれたものは生きている先生でなくとも、

 みんな先生。独学って、自信を持って言えるものは、

 ほぼないであろう。



「やっぱり唄は、、」
14..8/25

 文庫本のにおいが、ぷーんとするのがいいなと思う。

 最近はネット社会になって、液晶画面の中から、唄がやってくるような気もしていたけれど、

 やっぱり唄は文庫本のにおいがぷーんとするとのがいいな。

 それ、とっても大事なこと。うまく言葉では伝えられないけれど、、。

 動画サイトにあがっている歌も多い、、

 それを観たときも、ぷーんと文庫本のにおいがする唄がいいな。


「岩清水」14..8/21

  夏はよく水分をとる。

  六甲の美味しい水のペット-ボトルを自販機でかって、

 強い陽射しの中、飲んでみた。

 ふと、思い立って、インドの人がゆくやるように、

 ペットボトルに口をつけずに、飲んでみた。

 するとひとつの味を思い出した。

 小さい頃、母の実家に遊びにいったとき、

 家の近くの田舎道に、岩清水が湧いていたことを。

 そこには、湯呑茶碗がひとつ置かれていて、

 通るたびに、水を飲んだものだった。

 その味はまさに、六甲の美味しい水の味と似ていた。

 ペットボトルの水を飲むたびに、小さい頃のことが思い出された。

 夏の日のこと、虫とりをしたこと、トンボを追った日のこと。

 ぺットボトルの水の中に、こんなに思い出が入っていたなんて、

 知らなかった。。


「祭り太鼓」14..8/18

 近所で、小さな祭り太鼓と笛の演奏を聴いた。

 太鼓はひとつ、笛は一本であった。

 路地を歩いていて、それは聴こえてきたが、

 確実に生演奏だとわかった。

 言葉ではなかなか言い表せないが、空気の震えや、へこみが感じられた。

 笛のほうもそうだ。

 吹き始めの、微妙な音の唐突に出具合が、

 まさに生音を感じさせた。

 スピーカーとは何かがちがう。

 生演奏であっても、こんなに遠くまで響く。

 そして、その音は、自分をどきどきさせてくれた。

 うきうきとさせてくれた。それが祭りの良さかな。

 生演奏はやっぱりいい。特に太鼓と笛はそうかもしれない。
 



「夏休み」
14..8/13

 プール帰りの小学生の女の子が、

 へとへとな感じで、ビーチバックを下げて午後に歩いてくる。

 それはまさに、小さい頃の僕ではなかったか。

 思い出してみれば、夏休みはとても長かった。

 とくに小学校の頃は。

 ずっと蝉が鳴いていて、昼も夜も長かった。

 まるで永遠のようだったよ。

 考えてみると、やっぱりあれは永遠ではなかったか。

 たしかに8月の終わりには、海にくらげがいっぱい出たけれど。。

 8月が終わるということは、夏休みが終わるということではなくて、

 あれは「永遠」がただ途中できれただけだったのだ。



「耳ずさみ」
14..8/10

 どうなんでしょうか。

 僕なんかはやっぱり、自分の歌も含めて、

 やっぱり口ずさんで欲しいわけです。

 同じように、好きな歌は口ずさみたいわけです。

 でもたぶん、最近のみんなは、イヤホンなどで聞くことで、

 口ずさんているんじゃないかなと思う。

 形容的に言えば、「耳ずさんでいる」のかな。

 それもよしとしようか。

 でもねえ、やっぱり思うことは、

 自分のノリと、間で、口ずさんで欲しいわけです。

 ここはもっとがんばって、

 ついつい口ずさんでしまうくらいのものを作るか。



「いままでこんなことはなかつたのに」
14..8/8

  バンジョー弾きの楽曲を自分でも歌いたくなって、

 ギターでコピーしてみたのだが、リズムがとても難しくて、

 まるで原曲のように弾けない。

 ある程度、ギター用に簡単に直してみたのだけれど、

 それでもうまく弾けない。

 そして、弾いてみて自分で驚いたことがある。

 一定のリズムで、それが弾けないのだ。

 ずっとギターを弾いてきて、そんなことはなかったのに。

 足や体でビートをきざんでいれば、

 どんな弾き方をしていても、そのビートを守っていた。

 だって体がそのビートを刻んでいれば、

 それからずれるなんて、ありえないなぁとか思っていたのに、

 今回の楽曲に関しては、そのビートからずれることずれること。

 それもちゃんと弾けるときと弾けないときがあるのだ。

 いったいどうしちゃんたんだろ。俺、、。

 よく友達がそういう状態になっていたとき、

 いままでは、(えーっ、ありえないよ〜)とか、思っていたのに、、。

 自分がギターのリズムを刻んでいて、なぜそれがずれるのか、

 今、自分で理解できない。

 年のせいなのか、、運動神経が悪くなったのか、、。

 ただ、ギターをなまけてしまっているからか、、。

 かなりの衝撃で、今、自分にぴっくりしている。



 「どこのアパートにも」14..8/4

 今住んでいるアパートに決めるとき、

 いろんな条件を自分なりに決めて借りた。

 築年数とか、駅から距離とか、、

 ネットで探していたとき、次々と、

 「ここはだめ」「ここはだめ」と、

 ページを飛ばして見たものだった。

 やっと条件にあったアパートはここだったのだが、

 住んでみると、このアパートの先にもアパートは多く、

 ここよりも古く、狭そうにところもある。

 駅よりももっと遠くになるところもある。

 そこには夜には明りがついていて、ちゃんと人が住んでいる。

 ときには、駅から25分とか歩いて、、。

 もちろん、ここよりももっと条件のいいアパートに住んでいる人もいる。

 みんな物件選びをして、そこに決めた。

 どの部屋もうまっていて、どの部屋にも人生がある。


「中村さんの想像力」14..8/1

 昨日、テレビを見ていたら、

 昆虫のさなぎの話をしていた。

 さなぎの中では、一度どろどろになって、

 再構築されるのだという。

 その話、、実は以前にも聞いたことがあった。

 歌うたいり先輩だった。中村十兵衛さんだ。

 十兵衛さんは僕に言う。

 「どう考えても、さなぎの中で、一度どろどろにならないいと、

 あの形には変化しないはずなんだよねー」と。

 そう力説していたけれど、まさにその通りだったわけだ。

 その観察力には、さすがというしかない。

 どうして、そう思ったのかな。

 もういない人になってしまったので、確認することはできないのだけれど、

 当たっていましたよと伝えたい。

 本当なら、くわしく聞きたいところなのだが、、。



「今日の夜話・過去ログ'14年4月〜'14年7月」

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