「今日の夜話」過去ログ'14.8月〜'14.11月
「思い切りギター」14.11/29
中学の頃は実家暮らしだったので、
ほんとあに思い切りギターを弾いていた。
これでもかってくらい。
そのうち、ギターの音もわからなくなるくらいに。
そういう時期だったのかな。
ロックのつもりでいたのかな。
先日、スタジオに入り、思い切りギターを弾いた。
新しい弦を慣らすために。
じっさい、大きな音も出るけれど、
ほとんど、意味がないなと思えた。
いいことなんてあんまりない。
感覚が伸びてしまう。
やっぱり、柔らかく弾かなくっちゃね。
「アナと雪の女王」14.11/24
友達が貸してくれた映画「アナと雪の女王」を観た。
さすがにディズニーの制作なので、よく出来ているなと思った。
あのストーリーのまま、江戸時代にな置き換えて、それも実写版にしたら、すごいスペクタクルな恐怖映画になると思う。
一大傑作の。
しかし、なぜかアニメでは、きれいな映像に変わってしまうんだろう。
それも夢に満ちた。
ディズニーのマジックかな。
それにして、最近のアニメは立体化がすごいな。
ほぼ実写だものな。
夢に出てきそうだ。
「そのうちやせると」14.11/20
自分では思っている。
この一年半で7キロくらい太った。
完全に太り過ぎ。信じられない。
しかし、まあ、そのうちやせます。
少し今、ふわっとしているだけで、
心はしっかりしている。
食べた食べたと、ふわっとしてみたいなと思っただけ。
人生で一番食べてる。
こんな一年があってもいいんじゃないでしょうか。
「こんなふうに過ぎてゆく」14.11/16
この二日間、時間はたっぷりあったはずなのに、
思っていることの半分もできなかった。
まあ、眠ってしまったということもあるけれど。
たぶん、人生もこんなスピードで進んでゆくのかな。
今年の最初にやろうと思ったことは、
なんとなくだが実行された。
ぎりぎりの精一杯で。
たぶん、これからもこんな感じで過ぎてゆくだろう。
・・ああ、眠っちゃたなぁ、、言いながら。
「野次と言えど、、」14.11/13
先日の友達のライブで、ずっと野次を言っていたシンガーさんがいた。
そのときは、大きな声だなとか思っていたが、
映像編集をしていて、野次が実よくライブにはまっていると思った。
音楽的というか、、。
長い事、野次をやっていると、それなりにうまくなるのか。
間合いがいいというか、
それがライブのときは気付かなかった。
それが不思議。
「ずっと頑張れる人もいるけれど」14.11/8
今年の前半は、アルバム作りでかなり集中した。
完成して、もう四か月はたっているけれど、うまく集中できないでいる。
昨年は引越しの疲れで、後半パワーが出なかったし。
人によっては、一年を通し次々とこなしていけるだろうけれど、
僕はやっぱり、疲れが出る。
三か月とか半年とか。
テンションが低いというわけではない。
筋肉を休めているのだ。
「ボードに揺れてゆくようなもの」14.11/5
ここ最近、レゲエのボブ・マーレーを聴いていたら、
突然にはっとひらめいた。
ボブ・マーレーは疲れ知らずで、歌い続けていけるのはなぜかと。
たぶん、力を入れずにボートが揺れるように歌ってゆくのではないかと。
そう思ったら急に、自分の歌を歌えるような気持ちになった。
実際、今回のツアーでは、一曲を余裕を持って歌いことができた。
ボブ・マーレー効果かな。
「声の響き」14.10/31
小樽の友人より、以前出したCDアルバムを、
おみやげでもらった。
制作してから、もう11年もたっているけれど、
曲目をみると、彼の定番の歌も多く、
かなり力を入れて作ったんだとわかる。
聴いてみると、なるほどと思うほど、魂が感じられた。
この一枚にすべてをかけたような。
それでいて自然体で、いい感じに仕上がっていた。
彼とはながいつきあいでもあるので、声の響きで、
伝わってくるものがある。
彼は「11年も前のものだけれどね、、」と言ったけれど、
まったく古さを感じなかった。
作った当時の心意気がみごとに録音されていた。
「耳がある」14.10/29
今回の北海道ツアーでは、お客さんに恵まれた。
みんな楽しみに待っていてくれて、会場があたたかさにつつまれていた。
そのな雰囲気の中で歌うのは、とてもリラックスできた。
あせる必要など何もない。そこに聞いてくれる耳があるから。
最高のライブをしようと思った。
それに近いライブは出来たんじゃないかな。
こっちにいるときよりも、落ち着いたライブが出来た。
ツアーでは、なかなかこんなことはいままでなかった。
いつもついつい力が入ってしまった。
「歌ごころ」14.10/23
ここずっとレゲエのボブ・マーレーを聴いているので、
自分の中では、どこかしらボブ・マーレーっぽい歌ごころになっている。
レナード・コーエンの新作アルバムも昨日発売されだが、
それを聞いたら、自分がまたレナードの歌ごころに影響されてしまう。
それぞれの歌い手には、それぞれの歌ごごろがあり、
それがもとになって、大きなアルバムになっている。
もちろん自分にもあるわけだけれど、ついついふらふらと、
歌ごごろはすぐ影響されてしまう。
しばらくボブ・マーレーを聞いていたので、
今、かなり影響されている。
「ギターチューナー」14.10/18
最近と言わず、ここ10年くらいは、
ギターのヘッドに直接付けるタイプのチューナーが主流だった。
僕もひとつ持っているが、ギターのヘッドにちょこんとキノコが生えて感じになってしまう。
有名ミュージシャンもみんなつけていたし、しかたがないなぁと思っていたけれど、
でも、本当はヘッドの内側に付いていてくれたらなぁと思っていた。
もう10年くらいずっと。
そしたら希望どおりのチューナーが出ていた。
ダダリオというメーカー。
そういえぱ、僕の使っているギターのカポもダダリオ。
どちらも、ギター弾きの希望にかなり応えていると思う。
ギターチューナーに関しては、本当にみごと。
思っていることって、伝わるんだなぁ。
「おとぼけの日」14.10/15
今日は、行きも帰りも電車の駅を乗り過ごしてしまった。
電車だれではない、他にも七つも八つもおとぼけをしてしまった。
今日はそういう日であった。
これだけいろいろ続くと、必ずしも、偶然とはいいがたい。
何かしらの原因があるのだ。
石のつまづく日があるように。
今日はおとぼけの日。
睡眠不足かな。
いや、何か不足なのだ。
「その昔」14.10/13
今やインターネットの時代になった。
ふと考えてみた。その昔のことを。
今でゆうところののインターネットは、
全国紙の雑誌の読者コーナーだったのではないか。
もしくは、投稿コーナー。
漫画家の若い頃のエピソードには、よく投稿コーナーの話が出てくる。
それは、いまで言うところのネットだったのではないかな。
全国のみんなが、投稿コーナーや読者コーナーを見て、
仲間のことを知る。
あとはラジオに出るとかかな。
テレビのお便りコーナーもあるな。
その頃は狭かったね。
その頃は本だったね。
「高級靴」14.10/11
仕事からの帰り道、
靴の問屋さんが店頭販売で、在庫整理をしていた。
定価の三分の一の値段で。
見れは、そこそこにいい感じの靴で、
これなら一足買っておいてもいいなと思った。
わけあり品かもしれないが、、。
今日はちょっといい買い物をしたと思って帰宅した。
玄間の靴置きを見たとき、ショックを受けた。
かつて激安靴店で買った一足と、それは同じメーカーであった。
(おかしいなぁ・・・)
高級靴を買ったつもりだったのに。
「歌を作っているとき」14.10/9
途中途中で、分かれ道のようなものがあり、
こっちへゆくと、はまってしまうな、、やめとこうかな、と、
思うことがよくある。
これで完成かなーと、ふと頭をよぎるけれど、
まとまりすぎてるよって、誰かが言う。
それでまあ、そっちの道にはいかないわけだけれど、
もし行っていたなら、そのメロディーや歌詞にとらわれてしまう。
ちょこっと行って、すぐ戻ってくる。
あぶない、、あぶない、、と。
人の作品を聞いていたりすると、
ああ、ここではまったんだなぁと、わかるときがある。
もう一本先にいけば、良かったのになぁ、
なんて思うときがある。
「絵を探す」14.10/6
以前に書いたイラストの絵を探した。
みっつのくらいの筒の中にいままで描いた絵はまとめてあるので、
そのどれかに入っているかと思ったけれども、なかった。
なぜかは不明。
そのかわり、今まで自分が描いた絵を全部見た。
もう14年ほど前になるけれど、富山に歌いにいったとき、
ライブのとき、壁にかざるものとして、自分の歌の絵を10枚ほど描いた。
ふつうの画用紙の大きさ。けっこう大きい。
ちゃんと全部、水彩の絵具で塗って、、。
その絵を今回、探しついでに見たのだけれど、
どれもそこそこに良い絵であった。
僕もまだ若かったし、、。パワーがあったのかな。
いまでは、ちょっと信じられない。
ほんと集中していたんだな。
東京に来てから描いた水彩画は、
ほとんどが、その一日で描いた。
なんという一日だったのだろう。
「ギターの音が良すぎ」14.10/3
先日、ライブで聞いた生ギターの音は、
ピックアップを通してではあったが、
とても良い音を出していた。
低音もばっちりだし。文句ないほどクリヤーな音であった。
演奏者のテクニックにもよるのだけれど、
硬質な音であった。
普通に聞いているぶんには、とても良い音のギター音、
でも良すぎるかもしれない。
きっと、弾く側が、ちゃんとしたテクニックを持っていて、
ブレない演奏なんだろうなぁ。
フィンガーピッキングにしても、僕なんか、ふにぁふにぁだし。
(こんな音、出したいんだー)という、ギターの心の音が聞こえるとき、
それは、ときおり『こんな音が出た』という瞬間につながる。
最初から、実現された音だとなぁ、、。
応援のしがいがないんだよなぁ、、。
「折り返し地点」14.10/1
新しいカバンを買った。新しい靴も買った。
秋用の服も出した。
冬になったら、あたたかいジャケットを買おうと思う。
ウールのセーターも買おうと思う。
ダウン風ジャケットは、今年は着ない。
冬なんだし、寒くて当然。
五年前まで、普通に冬のコートを着ていたんだし。
新しいカバンは、肩掛けタイプの薄いカバンである。
靴は茶色のほぼ革靴である。
カバンの中には手帖と新しく買った創作ノート、そして詩集を一冊入れた。
うん、明日から、一人の弾き語りシンガーとして、
きちんと生活してゆこうと思っている。
シンプルに。
きちんと、僕はまた創作者として、日々を過ごしてゆこうと思う。
「あら、あの人、フォークシンガーさんかしら、、」
明日はきっと、僕にとって創作の折り返し地点。
また強力な磁石になって、歌を引き寄せたい。
準備はできている。あとは明日を待つだけ。
「たまたまかもしれないが、、」14.9/29
昨日の、共演した歌い手ふたりは、
どちらも、フィンガーピッキングが僕好み
ライブでの感じであった。
情感豊かと言うか、、。
多くのライブを観ているけれど、フィンガーピッキングは、
ひとつの伴奏という感じで弾く人は多い。
昨日、共演したふたりは、一音一音に気持ちがこもっていた。
それだけで、何か通じるものがあるなぁと思えた。
言葉を超えて、通じるもの。
歌の方も、言葉ひとつひとつを大事に歌っていた。
会えて嬉しかった。
お互い何十年も歌ってきて、ライブで出会うって、
なんだか、不思議な気持ちがします。
弾き語りライブの良いところかな。
「大事な手紙」14.9/27
大事な手紙を書こうと思う。
今日も休みなのでたっぷり時間もあるのだけれど、
夜中の12時を過ぎてから、手紙を書こうと思う。
いままでもそうだったし、今回もそうやって手紙を書こうと思う。
この昼間に書いても、すらすらと書いてしまうし、
夜の12時すぎて書いてもやっぱりすらすらと書いてしまうのは、
知っている。
ただ、一日の終わりに、その手紙を書きたいのだ。
もう眠たいだろうけれど、それはかまわない。
世の中が静かになって、君のことを想う。
それでいい。
「フォークのにおい」14.9/26
家の近くの駐車場に、
フォルクスワーゲン昔のワゴン車が止まっている。
なぜか妙に新しいのが不思議なのだが、、。
ボブ・ディランのセカンドアルバム「フリーホイリン・・」のジャケットにも
左側に写っていて、とても懐かしい。
ワゴン車ではあるけれど、小さめな車であり、
時代を感じるデザインにもなっている。
逆にこの車を見ると、ディランのセカンドアルバムを思い出して、
フィンガーピッキングやギブソンの生ギターの音が聞こえてくるようだ。
不思議と、イメージぴったり。。なぜかは不明。
レトロなデザインのせいだろうか。
頑丈な感じではなく、エンジン音が大きく響きそうな。
このしゃれた古いワゴンから、フォークの響きが僕には聞こえる。
フォークってどのようなものかと、尋ねられたら、
僕はこのワゴン車を見せるであろう。
僕と同世代の人たちは、みなそれぞれにフォークのイメージがあるだろう。
日本だったら、「関西フォークの歴史」のレコードのジャケットような感じであろうか。
たしかに、そうとも言えるが、僕には、少しちがう。
もうちょっと、しゃれた感じなんだよなぁ。
「共演」14.9/23
久し振りに、ライブで、初めてのシンガーさんたちと共演する。
ふつうのブッキングライブを続けているみんなにとっては、それは当たり前のことだが、
僕なんか、慣れていない。いつも知り合いの人ばかりであった。
今度、共演するみなさんは、みな実力派のシンガーさんばかりなので、
どうしょうかなーと、思っているところ。
どこの街の商店街でもいい、
お店構えというものがあるとしたら、他のみなさんは、ちゃんとしたお店という感じ。
僕は手作りの看板とか出している、よくわかんないお店って感じ。
ごたごたとしたお店の奥から、よっこらと出てくる主人のような。
それともお店の前で、何か作りものをしている、風変りなご主人のような。
そうそう、骨董屋みたいな感じか。
何年も売れていない品物に付いている古い値札。
この人、毎日何食べてるの?って感じ。
困ったなぁ、、。この人、変わり者だから、、って、、感じになるかなぁ。
僕なんかはやっぱり、カッコワルイアルバムジャケットを作るタイプなんだよね。
カッコイイが似合わないというか、、。
だから、それでいいんです。
骨董品屋の主人でいいんです。
「素晴らしい弦」14.9/21
ふと、思い立って新しい弦を買ってみた。
生ギター用。とても有名な弦で、スタンダード弦とも言われている。
不覚にも、その弦をいままで使ったことがなかった。
たまたま思い立って、今回新しい弦にしてみたのだが、
いやぁ、おどろいた。こんなにも弦で変わるものかと。
値段も700円ちょっと。
まず張ったときから、良い音だったということ。
これもびっくりしたが、低音の豊かさにもびっくりした。
しかし、6弦に関して言えば、いままで使っていた6弦よりも少し細いのだ。
ほんのちょっとの差ではあるが、これが大きな意味をもっていた。
その分、ネックへの負担も少なくなり、弦高が多少低くなった。
それによって、音全体がしっかり合うようになった。
特に6弦の音のずれが少なくなった。
僕の使っているギターは弦高が高くてなかなかチューニングが合いずらかったのだが、
おどろくなかれ、この弦では、ほぼぴったりと合うようになった。
奇跡だ。それも低音弦はしっかりと音が出ている。
僕が予想するに、、
古い70年代のギター、弦高が少し高くなってしまったギター、
6弦だけがなかなか合わないギター。
もしかしたら、この弦を使ったら、かなりチューニングが改善されるのではないか。
(もともと、フレット音痴のものは別として・・)
それでも6弦が合わなくて苦しんでいる人たちは、
ストレスが半分くらいになるのではないかと思う。
素晴らしい弦を見つけた。僕ももうずっとこの弦を使うだろう。
まあ、一番有名な弦ではあるけれど。。
ギターを弾いて40年の僕が初めて買ったくらいだから、
この弦を試していない人は多いのではないか。
今日は弦の話をしているのだけれど、実はギターやライブのことを言いたい。
僕のギターが弦によってかなりチューニングが改善されたように、
多くのギターが、また命を吹き返すように思えるのだ。
ライブで、6弦が合わなくて苦しんでいる人の古いギターにも。
古いギターには、救世主のような弦があった。
「300年」14.9/17
どこの商店街にも、
庚申塔やお地蔵さんなどが、そっと途中にある。
そしてその言われの書かれた立板。
たいがいは、1700年代のものが多い。
250年から300年前のもの。
すっかり街が変わっても、変わらずにあるもの。
以前は、それほどでもなかったが、最近は妙に愛しく思える。
眺めていると、時をどんどんさかのぼっていける気がしてくる。
300年。僕が今50歳なので、その6倍。
僕の50年があっというまだったから、
その6倍と言っても、あっという間の6倍であろうか。
でも、あの地蔵さんの6分の一の時間は僕と同じということにもなる。
妙に身近に思えてきているのは、そういうことなのか。
商店街の地蔵さんの前に立っている人がいたら、
それは僕でしょう。
「ギターの弦」14.9/15
以前から買ってみたいと思っていたギターの弦を買って、
張ってみたら、驚くほど良い音になった。
評判は本当だったんだな。びっくり。
もう30年近く、マーチンのライトゲージを使っていたんですけど、、。
マーチンの弦は、とても慣れていているので、
張ってからどんなふうに音が変わってゆくかも知っている。
張ってから、1週間目くらいがほんとに良い音になる。
しかし、今回の弦は張ったときから良い音になっている。
へーえー。
まあ、値段もそれなりなんですけど。
しばらく弾いてみると、サウンドがとてもまとまっていて、きれい。
ちょっとまとまりすぎているかなぁとも思う。
グレードが高い。
これが1週間たったら、どう音が変わるか、まだわからないのだが。
マーチンの弦は、なんというか、最初はうまく乗れない馬というか、、。
だんだんと慣れて、ひとつになっていく感じなんだよね。
そして、一番良い音にするのは、ちょっと押さえる加減などが必要だ。
良い音が出たときは、それなりに嬉しい。
今回の弦は、そのテクニックが、ほぼいらないようにも思えてくる。
うーん、、これでいいのか。
マーチンの弦は、弾いていて、ぐっと、良い音になるときがある。
その瞬間に、聞いてくれてるみんなと一体感があるんだよね。
今回の弦は最初から、良い音だからなぁ。
その瞬間があるかどうか。心配だ。
また、マーチン弦に戻るかもしれないけれど、
しばらく今回の弦を使ってみようと思う。
「しまったお店」14.9/13
二年ほど使っていた和風の珈琲カップが割れてしまった。
お気に入りだったけれど、しかたがない。
それは以前住んでいた街の商店街の
老夫婦でやっているお茶屋さんで買ったもの。
お茶も売っていたけれど、湯呑茶碗やカップも売っていたのだ。
それでいくつもお気に入りのカップを買った。
たぶん同じ工房で焼いていると思われるデザインのカップを。
その街を引越すとき、その店は閉店してか開いていたか、
記憶があいまいだった。老夫婦がやっていたので、
いつ閉店してもおかしくなかったからだ。
あれから約一年半、カップは割れて、また同じタイプのカップが欲しいと思った。
そのお茶屋さんが今も開いていれば、まだ棚に並んでいるだろう。
でも街の変化は早いいからなぁ。閉店して、もう新しい店になっているかもしれない。
・・・・・・・・・・・・・
かすかな希望を抱いて、僕はその街を訪ねていった。
だんだんと近づいてくるそのお店のあった場所が、、。
お茶屋さんの看板はまだあったけれど、シャッターは閉まっていた。
今日は定休日かもと思ったが雨戸も全部閉まっていた。
もう老夫婦はここに住んではいないのであろう。。
まだ店はあったけれど、残念、、。
同じカップのことはあきらめた。他の瀬戸物屋さんでも探すかな。
・・・・・・・・・・・・
そんなふうにあきらめて、また駅へと歩いていったのだけど、
ふと考えてみて気付いたことがあった。
それは僕の欲しいカップはまだきっと、
あのシャッターの向こうの棚にあっただろうということ。
シャッターの向こうにありなから、僕はまた帰らねばならない。
もしたまたま老夫婦が戻ってきていて、シャッターが開いていたなら、
僕はカップを買えたかもしれない。
明日も、欲しいカップはシャッターの向こうにある。
ただそれが買えないということだけと思った。
「SONGS」14.9/9
NHK総合テレビで「SONGS」という30分番組をやっている。
30分間、そのアーティストが存分に歌うのだ。
毎回有名アーティストが出演するのたが、
ぜひ、その番組に出てみたい。
30分なら、5曲を歌えるかな。
セットをいろいろと作ってもらって。
セットというより、映像がいいな。街とか道とかの。
何の歌を歌おうかな。四曲は決定している。
一曲目とラストの曲が難しいね。
欲張らないで四曲にしておくか。
旅の話とか友達の話とかギターの話とかして、、。
四曲だな。
任せてくれないかなー。
バンドでもやるけれど、バンドの音はそっと聞こえるくらいで。
ああ、「SONGS」で歌いたいな。
歌詞の字幕付きで。
任せてもらえないかな、30分。
「普通のトランクス」14.9/7
ここ数か月のことだが、
トランクスをはいていて、ふいにしゃんがんだりしたとき、
お尻から、破れてしまう。
それも一枚だけではない、もう四枚目。
もちろん、長年使っていて、トランクスの生地が薄くなったためだが、
こんなことはあまりなかった。
思い出せば、若い頃は、三枚780円くらいの安いトランクスを買っていて、
一年もたたないうちに、ゴムが伸びてしまってはけなくなってしまっていた。
(まあ、安いからいいか・・)
そしてまたバーゲンの三枚組トランクスを買う生活が、20年以上続いたかな。
でもさすがに、ゴムがすぐ伸びるトランクスは悲しいものがあり、
ここ五年くらいは、普通のトランクスを買うようにしていた。
さすがに、ブランドものなどはゴムが伸びないなぁとか思いながら。
ゴムが伸びないのは良いのだけれど、長持ちしすぎて、
今度は生地が薄くなってしまった。
それで突然にお尻から切れる。ビリッ!!
これ困るなぁ。
ゴムが伸びていた頃にはなかったこと。
トランクスも替え時ってあるんだな。
ここ数か月で、立て続けに四枚お尻が切れた。
長持ちするトランクスも、一長一短だな。
生地の薄くなったときの見極めが難しい。「地下鉄の出入口」14.9/5
高校を卒業して、最初に住んだ町は、地下鉄の駅のある街であった。
数年して、中央線に住むようになって、僕は国鉄(JR)の人になった。
電車に乗るといえば、大きな改札口を通った。
地下鉄のある街に暮らすことは、数十年遠ざかっていたが、
今は地下鉄のある街に暮らしている。
地下鉄の歴史も古い。歩道にポッと現れる、地下鉄の出入口。
降りてゆこうとすれば、風がふわっと起こる。
・・・・・・・・・・・・
地上に出てゆこうとするときも、階段を上ってゆく。
そこにある街は今、2014年の街ではある。
最新の本の宣伝ポスターや、自販機も2014年の缶が入っている。
階段をのぼって行ったとき、、、ふと、、1980年の街になっていないかなぁと思う。
まだ携帯電話もなく、本屋さんも活気があった頃の街。
古くて小さな中華屋さんが、いたるところにあった街。
1980年、、1979年、、1978年、、1977年、、戻ってゆくと、
東京に住んでいた、ある人の学生時代にもあたるであろう。
地下鉄のある街にも、何か青春の物語がある。
JRの街とはちがう独特の街感覚、街の物語。
地下鉄の階段の上の出入口で、友達と待ち合わせ。
やぁっと手を振る。そしてそのまま街の歩道を歩いてゆく。
そこにもたっぷりと物語がある。
地下鉄の階段をのぼってゆく。そこにある街、、
1976年、、1975年、、1974年、、1973年、、
待っている友、、若い頃のあの人、、。
「何か魂のようなものが入っている」14.9/1
2011年に録音して作った、十枚組弾き語りアルバム
「30年ブレッド」は、完全に手作り作品だ。
先日は、一日かがりでふたつ作った。
ジャケットも含めて、ひとつひとつ作ってゆく。
思い出すのは、この十枚組を作ったときのこと。
録音も大変だったけれど、そのあとも大変だった。
とくに仕上げるまでラストの一週間。
十枚分のジャケット制作に、十枚分のライナーノーツ。
外函作成。
時間はなかったが、妥協せずに、納得いくものを作った。
とっても集中した。
やり直さなかったぶん、録音もすべて手作り感がいっぱいではあるけれど、
何か、魂のようなものが入っているので、よしとした。
「傘のとりちがえ問題」14.8/30
家の近くのコンビニにて、この一年で、
もう二本も傘のとりちがえや紛失があった。
一回は、普通のジャンプ傘がみごとになくなっていた。
もう一回は、65センチのビニールのジャンプ傘が、
100円のショップのビニール傘に替わっていた。
うーむ、もしかしたらどちらも傘のグレードアップされたのかもしれない。
今持っているビニール傘よりも、よりよいビニール傘を、、。
ひどい、、びどいよ、、。
この前行ったら、そのコンビニの傘置き場に、
「傘の取り違えが大変多くなっております」。なんて、大きく貼り紙されていた。
この僕でさえも、一年に二本だからなぁ。
バス停の前というせいもあるねかもしれない。
だから、その傘置きに傘を置いておくと心配で、心配で、、ちらちら見てしまう。
あるとき、雨なのに、傘立てに一本も傘がないと思ったら、
コンビニの中に数人、濡れた傘を持ち込んでいた。
ちょっとそれは出来ないなぁ。。でも、みんな痛い目に合っているのかな。
たぶん、、何も考えないで、すっと持ってゆく人もいるだろうなぁ。
私も以前、とられたからって、、。お互いさまと。
コンビニの置き傘問題。これにいち早く対応したコンビニは、まだない。
みんなみんな困っている。
銭湯のように、鍵式にしてもいいくらいだ。
・・・・・・・・・・
ちょっとネット調べたら、「青いビニール傘とかいいよ」って書かれていた。
今、僕は青いビニール傘を使っている。
時代遅れ感たっぷり だが、、一応、その傘を持ってゆく人はまだいない。
「独学」14..8/27
音楽や楽器も含めて、よく
「独学で、、」って、言うけれど、
「独学」って、ほぼありえないと思う。
音源であれ本であれ、そこがヒントになって、
自分なりにアレンジすることはある。
ヒントなくて、到達はないかな。
教えてくれたものは生きている先生でなくとも、
みんな先生。独学って、自信を持って言えるものは、
ほぼないであろう。
「やっぱり唄は、、」14..8/25
文庫本のにおいが、ぷーんとするのがいいなと思う。
最近はネット社会になって、液晶画面の中から、唄がやってくるような気もしていたけれど、
やっぱり唄は文庫本のにおいがぷーんとするとのがいいな。
それ、とっても大事なこと。うまく言葉では伝えられないけれど、、。
動画サイトにあがっている歌も多い、、
それを観たときも、ぷーんと文庫本のにおいがする唄がいいな。
「岩清水」14..8/21
夏はよく水分をとる。
六甲の美味しい水のペット-ボトルを自販機でかって、
強い陽射しの中、飲んでみた。
ふと、思い立って、インドの人がゆくやるように、
ペットボトルに口をつけずに、飲んでみた。
するとひとつの味を思い出した。
小さい頃、母の実家に遊びにいったとき、
家の近くの田舎道に、岩清水が湧いていたことを。
そこには、湯呑茶碗がひとつ置かれていて、
通るたびに、水を飲んだものだった。
その味はまさに、六甲の美味しい水の味と似ていた。
ペットボトルの水を飲むたびに、小さい頃のことが思い出された。
夏の日のこと、虫とりをしたこと、トンボを追った日のこと。
ぺットボトルの水の中に、こんなに思い出が入っていたなんて、
知らなかった。。
「祭り太鼓」14..8/18
近所で、小さな祭り太鼓と笛の演奏を聴いた。
太鼓はひとつ、笛は一本であった。
路地を歩いていて、それは聴こえてきたが、
確実に生演奏だとわかった。
言葉ではなかなか言い表せないが、空気の震えや、へこみが感じられた。
笛のほうもそうだ。
吹き始めの、微妙な音の唐突に出具合が、
まさに生音を感じさせた。
スピーカーとは何かがちがう。
生演奏であっても、こんなに遠くまで響く。
そして、その音は、自分をどきどきさせてくれた。
うきうきとさせてくれた。それが祭りの良さかな。
生演奏はやっぱりいい。特に太鼓と笛はそうかもしれない。
「夏休み」14..8/13
プール帰りの小学生の女の子が、
へとへとな感じで、ビーチバックを下げて午後に歩いてくる。
それはまさに、小さい頃の僕ではなかったか。
思い出してみれば、夏休みはとても長かった。
とくに小学校の頃は。
ずっと蝉が鳴いていて、昼も夜も長かった。
まるで永遠のようだったよ。
考えてみると、やっぱりあれは永遠ではなかったか。
たしかに8月の終わりには、海にくらげがいっぱい出たけれど。。
8月が終わるということは、夏休みが終わるということではなくて、
あれは「永遠」がただ途中できれただけだったのだ。
「耳ずさみ」14..8/10
どうなんでしょうか。
僕なんかはやっぱり、自分の歌も含めて、
やっぱり口ずさんで欲しいわけです。
同じように、好きな歌は口ずさみたいわけです。
でもたぶん、最近のみんなは、イヤホンなどで聞くことで、
口ずさんているんじゃないかなと思う。
形容的に言えば、「耳ずさんでいる」のかな。
それもよしとしようか。
でもねえ、やっぱり思うことは、
自分のノリと、間で、口ずさんで欲しいわけです。
ここはもっとがんばって、
ついつい口ずさんでしまうくらいのものを作るか。
バンジョー弾きの楽曲を自分でも歌いたくなって、
ギターでコピーしてみたのだが、リズムがとても難しくて、
まるで原曲のように弾けない。
ある程度、ギター用に簡単に直してみたのだけれど、
それでもうまく弾けない。
そして、弾いてみて自分で驚いたことがある。
一定のリズムで、それが弾けないのだ。
ずっとギターを弾いてきて、そんなことはなかったのに。
足や体でビートをきざんでいれば、
どんな弾き方をしていても、そのビートを守っていた。
だって体がそのビートを刻んでいれば、
それからずれるなんて、ありえないなぁとか思っていたのに、
今回の楽曲に関しては、そのビートからずれることずれること。
それもちゃんと弾けるときと弾けないときがあるのだ。
いったいどうしちゃんたんだろ。俺、、。
よく友達がそういう状態になっていたとき、
いままでは、(えーっ、ありえないよ〜)とか、思っていたのに、、。
自分がギターのリズムを刻んでいて、なぜそれがずれるのか、
今、自分で理解できない。
年のせいなのか、、運動神経が悪くなったのか、、。
ただ、ギターをなまけてしまっているからか、、。
かなりの衝撃で、今、自分にぴっくりしている。
「どこのアパートにも」14..8/4
今住んでいるアパートに決めるとき、
いろんな条件を自分なりに決めて借りた。
築年数とか、駅から距離とか、、
ネットで探していたとき、次々と、
「ここはだめ」「ここはだめ」と、
ページを飛ばして見たものだった。
やっと条件にあったアパートはここだったのだが、
住んでみると、このアパートの先にもアパートは多く、
ここよりも古く、狭そうにところもある。
駅よりももっと遠くになるところもある。
そこには夜には明りがついていて、ちゃんと人が住んでいる。
ときには、駅から25分とか歩いて、、。
もちろん、ここよりももっと条件のいいアパートに住んでいる人もいる。
みんな物件選びをして、そこに決めた。
どの部屋もうまっていて、どの部屋にも人生がある。
「中村さんの想像力」14..8/1
昨日、テレビを見ていたら、
昆虫のさなぎの話をしていた。
さなぎの中では、一度どろどろになって、
再構築されるのだという。
その話、、実は以前にも聞いたことがあった。
歌うたいり先輩だった。中村十兵衛さんだ。
十兵衛さんは僕に言う。
「どう考えても、さなぎの中で、一度どろどろにならないいと、
あの形には変化しないはずなんだよねー」と。
そう力説していたけれど、まさにその通りだったわけだ。
その観察力には、さすがというしかない。
どうして、そう思ったのかな。
もういない人になってしまったので、確認することはできないのだけれど、
当たっていましたよと伝えたい。
本当なら、くわしく聞きたいところなのだが、、。