「今日の夜話」過去ログ'14.4月〜'14.7月
「若者たち」14..7/29
先日、寄ったタイ料理店の隣のテーブルに、
大学生のサークルの仲間が話で盛り上がっていた。
僕の年齢の半分以下のみんなではあるが、
驚いたのは、その話のスピードが早いことだ。
びっくりするほど早い。そしてよくしゃべるしゃべる。
僕にももちろん若い頃があり、友達と話で盛り上がっていたこともあったが、
さて、その話はこんなスピードであったろうか。
まさかなぁ、と思うけれど、実際にほんとに早かったかもしれない。
僕なんかはいま、一週間があっというまであるが、
若い頃はたしかに一週間が長かった。
当時の僕は、今の二倍のスピードで考え、そしてしゃべっていたのではないか。
なんだか、そんなような気もする。
「一曲・二曲」14..7/26
友達のお店に寄ったら、
聞くのは初めてのBGMがかかっていた。
ギターに歌、そしてバイオリンの演奏であったが、
とても印象深く聞くことが出来た。
流行ものとは別次元で、その場の空気がよく伝わってくる音作りであった。
一曲・二曲聞いただけで、その音楽性の豊かさが伝わってきた。
一曲・二曲聞いただけでいろんなことが伝わるなんて素晴らしいな。
僕の音楽もそんなふうに伝わっていると嬉しいんだけれど、、。
それはそれはほんとに小さなスピーカーでの再生であった。
それでも十分に伝わってくる。
ギターも良かったし、歌もなかなかだった。
バイオリンも控えめでとても素晴らしかった。
ただ、楽曲がもう、いかにもというメロディーであり、
それがもったいないという気がした。
しかし、そのメロディーラインが好きなんだろうなあ。
一曲・二曲、、。それでも多くのことが伝わってくる。
「夏がやばい」14..7/23
今日はほんとに蒸し暑かった。
外仕事をしていると、汗が顔から噴出してきた。
体の内側がなんだか燃えるように暑い。
水分はとっていたけれど、なんだか全部体にたまるようであった。
・・まずいな、、。
すでに夏に負けてきた。
過去いろいろ夏を経験してけれど、
今年は、頑張らないと、本当にバテテしまいそうだ。
明日から、暑さ対策に本腰を入れようと思う。
夏に負けそうだ。
負けてはならぬ。
「久し振りに」14..7/21
初めての街をぷらぷらと散策した。
ただ夕食の店を探していただけだけだが。。
不動産屋の貼り紙に、この街のアパートの相場を見たり、
質屋さんのショーウインドウに中古ギターを見たり、
らーめん屋さんを探したり、古い中華さんを探したり、
久し振りに街歩きをして楽しかった。
本当は古い中華屋さんに入りたかったのだけれど、
お休みで、それはかなわなかった。
こぎれいだけど古めかしいらーめん屋に入った。
そこは、空間がたっぷりと使ってあり、せせこましくないらーめん屋であった。
一杯のらーめんであったけれど、ずいぶんとゆっくりとさせてもらった。
考えてみれば、最近の店はどこも、せわしない。
場所より味なのかもしれないが、、。
ああ、やっぱり古い中華屋に入りたかったな。
壁に書かれているメニューを見たかった。
1980年代、ほんとによく街を歩いた。
たぶん僕は今、その頃を探しているんだ。
「熟睡後の朝」14..7/18
ここ数日、暑かったせいか、
外仕事はとても疲れた。
帰りの電車でもう、もうれつに眠くて、
夕御飯を食べているときには疲れがピークであった。
普段、こんなに疲れることはないのにな。。
それですぐに横になった。
夜中にトイレに起きると、ふらふらで、
まともに歩けなかった。
どうしちゃんだろ、俺、、。
しかし、朝起きてみると、すこぶる調子がいい。
疲れがみごとにとれていた。
頭もすっきりしていね。
たとえて言えば、パソコンをリフレッシュしたみたいな感じ。
そのまま朝の電車に乗り、いつものように、
最新作の自分のアルバムを聴いてみると、
なんだかままでちがったように聞こえて来た。
歌詞もメロディーもきれいに耳に入ってくるというのか。
数曲聞こうと思っていたのだが、こんなことはめったにないと思い、
そのまま最後までアルバムを聞いた。
よかった。美味しく一枚いたたきました。
「うん、これから」14..7/13
新しいアルバムが出て、
少ないながらも感想をきけている。
全12曲。みんな気に入ってくれている歌が、
多少なりともちがっていて、それがいい。
現在、5曲ほど、その感想をもらった。
今回のアルバムはちがうタイプの歌がそろっていて、
それぞれにお気に入りになる可能性がある。
あと7曲。その知らせを待っている。
ひとりでもいいんだ。その歌がまず気に入っくれたら、
素晴らしいこと。
僕はその知らせを待っている。
全曲、そんな知らせがきたら、
アルバムは完成するような気がする。
「よく聞いたなあ」14..7/10
1997年に最初にCDを作ったときは、
録音に二年かかった。
完成したときはほんと嬉しくて、ほぼ毎日、
半年くらい聞いた。
その前の録音、ミックスの時期を入れたら、
二年半かな。
笑っちゃうね。
今回も、新しいアルバムが完成して、
よく聞いている。
とてもファーストの頃と似た気持ちがある。
イメージしたものと、かなり近くなった。
アルバムを作るって、ほんとに嬉しいものだな。
曲順があるっていう、シンプルなことなんですけどね。
「赤坂見附」14..7/4
銀座で乗り換えて、
荻窪方面への地下鉄丸の内線に乗っていると、
赤坂見附の駅のホームにやたらと人が列んでいる。
あの人たちがみんな乗ってくると思うとぞっとするほどに。
その列を見ているとクラクラしてくる。
あまりにも他の駅との差がはげしい。
扉があき、完全に満員状態。
そして、次の四ツ谷の駅で、またかなりの人が降りる。
JR線に乗り換えるのであろう。
たったひと駅の物語であるが、
そのひと駅がきつい。
赤坂見附からひと駅乗ってくる人たちも、
そう思っているにちがいない。
銀座方向から乗ってくると、
赤坂見附でいっぱいの人が列んでいる。
そしてひと駅だけ満員になる。
「コピーのない時代」14..7/1
先日、ボブ・ディランのイラスト入り手書きの歌詞が、
大変高い値段で落札されたが、(ライク・ア・ローリングストーン)
考えてみれば、その昔、コピーというものがなかった。
僕らだって、1976年ごろまではコピーというものを使わなかった。
コピーをするといえば、ガリ版印刷。
先生たちは毎日のように配ってくれた。
あれ大変だったろうなぁ。
僕らは今、バンド練習というと、コード譜などをコピーしてみんなに渡すけれど、
コピーがない時代だったら、きっと手書きだったろう。
10曲以上一緒にやるときなどどうしていたんだろう。
カセットテープをダビングして渡すだけだったのかな。
学生時代、ほとんどガリ版なんて使わなかった。
その間、どうしていたんだろう。
きっと教室の黒板に書いていたんだな。
教室の黒板は、コピー機だったんだな。
「正装をして」14..6/30
郵便局へ、新しく完成をしたCDアルバムを手にして、
約束していた友達のところに送った。
いよいよ、新しいアルバムの船出だ。
このアルバムには、一曲、レパートリーから完全に外れた歌が入っている。
以前に一度、レコーディングもしたのだが、
うまく歌えないということで、そのままになった。
ライブでは、15年ほど歌っていない。
そんな歌が、このアルバムに入っている。
それもとても大事な役割を持って。。
うまく歌えないからとしまわれてしまった歌。
その歌がアルバムの一員となって、
いよいよ船出した。
今日は正装しているような気がしてならない。
「本場の味、和のテイスト」14..6/28
僕には、どうにもひとつのこだわりがあるのだが、
それが大きくゆらいでしまった。
ランチで入ったタイ料理のトムヤムクンの麺と春巻きが、
どうにも美味しすぎたのだ。
タイ料理はタイ料理であり、
日本の食文化と似ていないからこそ、この味がある。
イタリアンもインド料理もそうかもしれない。
本場の味とはよく言うけれど、
本格的であるばあるほど、僕らの舌はうなるのではないか。
僕はいつも、自分の中から出てくるビートを大事にすべきだと言ってきた。
ものまねではなくて、、一度自分の体を通し、自分の言葉とメロディーとリズムで、
表現するべきだと、、。
それはもしかしたら、食で言ったら、
「和」のテイストを加えなさいということのような気がしてきた。
もっと極端な表現をすれば、日本そばでイタリアンスバゲッテイを作るような気がしてきた。
かつおだしとかつかって、、。
世界中には音楽があるけれど、やっぱり僕は日本語でそれらを演って欲しい。
向こうの人になりきるなんて、やっぱり変だ。
そうは思ってきたものの、それがゆらいでしまった。
今日のタイ料理のランチを食べていて。
・・・・・・・・・・
和テイストってなんだろう。
本場の味ってなんだろう。
これはむずかしくなってきたぞ。
「絵描き歌書き」14..6/25
この二年間とても忙しかった。
それでも、自分なりに良い歌ができたので、
それは本当に自分をほめてあげたい。
ふと、絵描きの人たちのことを考えてみた。
絵描きの人たちは、常に新しい作品に向かうぱかりである。
それに集中できるってほんと素晴らしい。
この二十年ほどの自分を振り返ってみると、
常に新しい歌に集中していたように思う。
歌い手ならば、いろんろにすべきことも多い。
そのどれも、おろそかにするわけにもいかないのだが、
この二年間は、歌作りだけはしっかりとやってきた。
限られたような時間の中で。
そしてこの十か月は、新しいアルバムのことに集中していたので、
創作のほうはあまり出来なかった。
そのアルバムはあと数日で完成する予定である。
完成したら、また創作にとりかかろうと思う。
絵描きの人が新しい作品のことを想うように。
「缶コーヒーよシンプルになれ」14..6/19
缶コーヒーの種類が尋常ではなく増えてしまった。
もういいよって思うくらい。
一度、シンプルにしてもいいんじゃないか。
ありえないくらいに多い。
それぞれ缶コーヒーにファンがいるのもわかる。
しかし、これではいけない。
外国から来た人たちがぴっくりするであろう。
日本の人たちはなんと、缶コーヒーにこだわりがあるのだろうと。
いえいえ、ちがうんです。
これには深い訳が、、
ただ単に作りすぎたんです、
恥ずかしいくらいに。
むやみやたらとは、このこと。
しかし、そうでもない事情もあるかもしれない。
それがあるなら、それを知りたい。
「時間のない古い喫茶」14..6/15
古い喫茶店に、大きめなスピーカーがあり、
それから'50年代録音のジャズボーカルが流れていた。
録音はもちろん古いのだけれど、ボーカルのうまさはよく伝わってきた。
それはあの大きなスピーカーのせいかもしれない。
あのスピーカーも古そうだ。
喫茶にねあるもの、どれももう20年から40年はたっているであろう。
骨董もいろいろ置いてあるので、ここ100年くらいのものが、数多くはある。
そんな中では、ほんと自然に'50年代のボーカルが聞こえてくる。
スピーカーから声が出てくると、そこは現代のようで現代でない、
時間のない空間の喫茶。
僕はその響きを聞いた。声が自然に空間の中でとけてゆく。
その響き。
時間のない喫茶。
「アルバム」14..6/11
制作期間十か月。
やっと、今日、新しいアルバムの盤面がプレスされて届いた。
短かったようで長かった十か月であった。
プレスした音源を確認して、やっと少し肩の荷が降りたような気がした。
思い出せば、最初は5曲入りのCD-R盤を作ろうとしていたのだ。
それが12曲入りの立派なCDとなった。
まるで、5人で結成した劇団が、旗揚げ公演に向けて、
とりあえず12人のメンバーをそろえてみたところ、なかなかの作品になったような、、
いくつかの奇跡が起こっているアルバムになった。
最初のレコーディングから、その奇跡のようなことが起こり、
もしかしたらと思っていたら、そのラッキーは、録音の間続いた。
じっとしてじっとして、明るい夜窓にはりつく、やもりのように
じっとして、、無事に、CDを生みました。
ラッキーのつまった、アルバムです。
「もうあるもの」14..6/9
いろんなものが欲しいといえば欲しいが、
もう十分と思えるものもある。
いつもライプで弾いている生ギターは、とても良い音がする。
そこそこに良い音ではなくて、ほんとに良い音で、
とても満足している。
僕が持っている物の中の宝物。
そのギターに向かうとき、もうそこに何でもある。
素晴らしい一本だ。
僕がもう持っているものの中で、そんなふうに素晴らしいものは、
まだあるだろうか。
考えてみる、、。あった、、。
それは、僕の部屋にある本やレコードやCD。
たぶんもう十分に必要なものがそろっているであろう。
そのレベルはかなり高い。
この生ギターと同じくらい高い。
僕の宝物。
「それは幻だよ!」14..6/6
夢の中で、僕はそう何度も声に出して言った。
夢の内容は忘れたのだが。
「それはまぼろしだよー!!」
たしかに。
それは真実。
「ノート一冊作ればよかった」14..6/2
今回のアルバム制作で、
やっぱりノートを一冊作れば良かったと思った。
はじめはたしかに一冊のノートに書いていった。
しかし、いつしかばらばらになってしまった。
昨年の引越しのときは、ちゃんとノートを作り、
そこに何もかも書いてある。
それがいいよね。
今回はなぜ、途中であきらめてしまったのか。
何でもそこに書いておけたら良かった。
本当だよ。本当。
「耳で魂を抱いていた」14..5/31
やっと新しいアルバムをプレスに出すことができた。
録音を始めてから半年、毎日かかわってきたというわけではないが、
その間は、ほぼ他のことは出来なかった。
新しいアルバムは、やっぱり自分そのものの魂みたいなもので、
それはそれ、これはこれ、というふうには出来ない。
なにしろ魂を抱いているようなものだから。
「なによりもライブが大事で、CDアルバムなんてものは、
そのときどきに残る記録みたいなものさ。」
なんて、おっしゃるシンガーさんたちも多いのですが、
僕はそんなふうにはできない。
そしてやっと、アルバムをプレスに出すことができた。
新曲をまた作ろうと思っている。
「別の部族」14..5/27
世界のこと、そして新曲のこと。
今、日々の生活に追われている。
計画ノートは、スケジュールがうまっている。
いや、そんなにではないのだが、、未解決の未来が、、。
世界、それは世界。
たとえば、僕がアフリカのどこかの村にいたならば、
世界というのは、知る限りの世界であろう。
見える限りのもの。
いろいろやることであふれてはいるのだが、
新曲のことも考えている。
新曲、それはどこからやってくるのであろう。
それはきっと、世界の外からではないかなぁ。
僕がいま、どんなに現実のことでこんがらがっていても、
新曲はその外からやってくる。
アフリカの民族でたとえていえば、それは
やってくる別の部族のようだ。
「燈篭」14..5/23
隅田川沿いにひとつの看板が立っている。
江戸の頃から残っている古い燈篭のそばに。
その昔、この燈篭に灯りがともっていて、みんながそれを目印にして歩いたと。
そっと目を閉じてみると、その風景が目に浮かんでくる。
今でも、あちこちに燈篭が残っているが、
僕の記憶では、そこに灯りが実際灯っていたことはほとんどない。
ただの石の置物のような、、燈篭。
しかし、本当は灯りがついていたのだ。遠くから近くから見えるように。
・・・・・・・・・・・・・
今インターネットは、どんどんと生活に浸透している。
どこか、でも、未来文明のような、どこかよそよそしいところもある。
インターネットの弊害も、たしかにあるであろう。
僕が思うことは、このインターネットの文化がもっと自然な形になり、
あの燈篭にもう一度灯りがともるようにならないかということだ。
抽象的な話で、よくわからないかもしれない。
・・・ああ、夜に燈篭が灯っているな。
ついてるついてる、、。ほらどの燈篭にも、、。
「だんだんと、、」14..5/19
毎日、毎日、銀座・霞ヶ関・国会議事堂前と、電車に乗っていると、
やっぱり人間の感覚がおかしくなってくる。
なんというか、下町の匂いかしないというか、、。
新高円寺・南阿佐ヶ谷まで来ると乗っている人も変わる。
インターネットもかなり発達したし、だんだんと心が、ノーマルのものを求めているのがわかる。
とりあえず今は、小さな良い音で鳴るスピーカーが欲しい。
そんなふうにだんだんとまたアナログ人間に近付くような気がしている。
共存ということでもいいのだが、
年齢かな。
「曲順恩返し」14..5/17
ボブ・ディランに「欲望」というアルバムがあり、
ほんとによく聞いた。
歌もサウンドも良いのだが、なんといっても曲順が良かった。
いろんなタイプの歌が入っていて、実に豊かだった。
あんなアルバム、よく作ったなぁ。
その前のアルバム「血の轍」の曲順も良かった。
フォークブームだった頃の日本のアルバムにも、
かなり曲順で楽しませてもらった。
僕はその曲順に恩返しがしたいと思っている。
本気でそう思っている。
曲順で恩返し。
「そんなきっかけ」14..5/14
孤高のシンガー、ヴァン・モリソンのアルバムを聞いていたら、
ほんとうに歌がうまくてびっくりした。
そのあとで、自分の歌を聞いていたら、へたっぴーで、びっくりした。
そのあとで、友達の出したアルバムをきいていたら、やっぱり歌がうまくてびっくりした。
歌がうまいなぁと感心して聞いていたら、演奏もとてもうまく聞こえてきた。
演奏がうまく聞こえてきたら、何もかも良く聞こえてきた。
こんな日があるものだ。
「童話のような」14..5/12
新しいアルバムの録音、ミックスが昨日終わった。
いざ完成してみると、なんだかその音源が、童話やむかし話になったような気がした。
最終ミックスの前まで、普通に聞いていたのに、、。
もう手の届かない。変わらないものになってしまったような気がした。
なんだか、ひとつの童話やむかし話を作ったのかな。
「ショーウインドウーのエレキギター」14..5/8
いつも自転車で通る下町の小さな交差点の向こうに、
音楽教室が見えていた。
朝、七時半にいつも通ると、もちろんシャツターはしまっているのだが、
なぜか今日は、シャッターが開いていて、
ショーウインドウーには、エレキギターとベースが見えていた。
朝早く、ショウウインドウの中に見るエレキギター。
それがなんとも美しかったこと。
糸巻きやフレット、ボデイーのサンバーストの色あい。
ふだんライブとか、いくらでもエレキギターを見ているのに。
もう芸術品ですよね。
糸巻きまでが美しい。
「ジーンズ」14..5/6
久し振りにジーンズ屋に入り、
普通にジーンズを買った。
ちょっとがんばって、7000円のものを。
本当は、リーバイスとかLEEとか欲しいのだけれど、
さすがに一万円ちかくするので、あきらめてしまった。
買ったジーンズは、自分のイメージするジーンズとは少し違い、
生地が、ふんわりとしていないくて、カリッとしていた。
要するに、少し生地が薄いわけなんだな。
小学校の頃から、ジーンズははいてきた。
「ボブソン」「ビックジョン」ときて、
高校時代には、リーバイスをはいていた。
卒業してからの20年くらいは、リーバイス、LEEとずっとはいてきた。
新品で買うのは、やっぱり高くて、やがては古着でジーンズも買うようになった。
一番のお気に入りは「LEEライダース」。
やっぱりはきこごちが良いよね。
ここ二年も、やっぱり生地のあつめのジーンズをはいていた。
今回、第二ランクのメーカーの薄手のジーンズを買ったのだけど、
うーん、やっぱり肌触りがいまひとつだ。
でも、ジーンズに一万円は出せないんだよなぁ。
かと言って古着では、またすぐに寿命がくるし、、。
僕はまたいつ、LEEのジーンズをはく日が来るんだろうと思う。
高校時代に出来ていたことが、今は夢になっている。
「ラジカセの音」14..5/3
CDラジカセが欲しいなぁと、思っているわけなんです。
できれば、音が良いものを。
大きな電化量販店で、いろいろと見たり聞いたりしていて、
これぞというものも売っているわけなんですが、
リアルな音がするCDラジカセが、
さて、それがいいものかどうか・・・??
ラジカセの音ってありますよね。
ちゃっんとした音なら、ステレオセットで聞けばよいわけで、
ちょっとチープなラジカセな音で聞くから、耳にすんなり入ってきて、
なおかつ他の作業をしていても、耳が疲れないということが言える。
これがリアルな音だったら、なかなか他の作業が出来ないであろう。
そんなんで、なかなかCDラジカセを選びきれないでいる。
「前歯」14..4/29
以前より、前歯がほんの少しだけ欠けている。
それで困ることはないのだが、歯医者さんにゆくと、
とりあえず、欠けているところに、きれいに補充してくれる。
だが、すぐとれてしまう。
つけてから、ひつ月はもたずにとれてしまう。
笑っちゃうけれど。
たぶん構造的に無理があるのであろう。
一度は歯をみがいていて、とれた。
基本的なことで、、。
今回もきれいに治してくれたのだけれど、
前歯を普通に使うことが出来なくなった。
たぶん、すぐポロってとれてしまうはずなので。
案の定、、トーストを食べていて、とれてしまった。。
はあ、、、。またですか。
でも、それで楽になった。
またいつものように、前歯を使って食べている。
やっぱり、美味しく食べられるのが一番。
多少、前歯がほんの少し欠けていても。
「イヤホン」14..4/27
先日、いままで一番高いイヤホンを買った。
値段としたら真ん中くらいの6500円。
いやぁ、いいねぇ。なんというか、音が生きてるというか、
音を作った人の願いみたいなものが伝わってくる。
一度買ったら、スピーカーみたいに半永久的に使えると良いのだけれど、
イヤホンは壊れやすい。直せればよいのだけれど。
それがくやしい。僕の場合、過去すべてのイヤホンが断線してきた。
高い生ギターのように、一度買ったら、ずっといい音で楽しめるようなら良かったのに。
もし、イヤホンが10年15年ともつならば、ある程度高いイヤホンを買ってもいいな。
だって、ずっといい音なんだよ。
でも、実際は、そうはいかない。
コード交換式のヘッドホンのように、イヤホンもコード交換できればなぁ。
ああ、10年使えたらなぁ。
「ひと耳ぼれ」14..4/25
家電量販店に、音の良いイヤホンを買いに行った。
最近は、携帯プレーヤーを持っていけば、ほぼ全部イヤホンの視聴もできる。
イヤホンのあるフロアにいき、ふらふらっと歩き、なんとなく目についてひとつを視聴してみた。
それが実に良い音であった。
値段もちょうど予算の範囲内であった。
でも、まあ、ほかにもいろいろあるわけだし、ひととおり視聴してみなくちゃね。
それで、いろんなイヤホンを聞いてみたのですが、いまひとつで、
結局、一番最初に聞いたイヤホンにしました。
ありえるか???
なぜだかわかりませんが、最初にイヤホンが一番、しっくりきました。
人間というものは、こういうものなんですね。
おかしなものです。
「聞き耳」14..4/22
相変わらずCDラジカセのない生活を続けている。
一人暮らしを始めた頃、オーディオは命であった。
パイオニア社から出ていた小さくて、とても思い金属の側を持ったスピーカーをそろえた。
そのスピーカーは、音を吸い込むように、空気をふるわせてくれた。
ボブ・ディランの初期のアルバムは弾き語りであり、
ギブソンの生ギターの音と、あのしゃがれ声か入っていた。
そのパイオニアの小さなスピーカーから、ディランの生ギターの聞こえると、
まさに、そこから生ギターの音が聞こえてくるようであった。
僕は、聞き耳を立てて、そのギブソンの生ギターの音を聞いた。
とてもリアルに。。
あれは、ラジカセの音とはちがったなぁ。
そんなスピーカーを、持っているか。
ああ、おれはどこにいってしまうのか。
「CDラジカセ」14..4/19
引越しの際に、素晴らしいラジカセを全部処分してしまった。
CDは再生できなくとも、スピーカーシステムは生きていて、
いくらでも外付けジャックから、CDはつなげられた。
ほんとに良い音で鳴るCDラジカセも持っていた。
レコーディングするたびに、そのラジカセで出音を確認してものだった。
昨年の引越しの際に、かざばるという理由で全部処分してしまった。
中には買って、数回しか使っていない、ほぼ新品のCDラジカセもあった。
(どうしてそれを買ったのは、理由を忘れたのだが・・)
今、新しいレコーディングが最終ミックスに入っているのだが、
それを部屋で確認するのが、イヤホンになってしまった。
やっぱりCDラジカセで確認したい。もしくは、カーステレオ。
ノートパソコンやテレビのスピーカーは、やっぱり何かちがう。
もうラジカセなんていらないって、僕は思ったのであろうか、、。
素晴らしいラジカセが四台あった。
全部処分してしまった。
「モノラル思考、ステレオ思考」14..4/15
考えてみれば、腕も二本、足も二本。
耳にふたつ、目のふたつ。
ステレオ、それは立体的に感じているわけだ。
話言葉はモノラルではあるけれど、、。
物事を受け取るとき、頭は実はステレオ的に受け取っているのではないだろうか。
立体的に。
そうそう、常にステレオを意識して、考えてもいいよね。
モノラル的に考えるのではなくて、、。
空間の中のひとつとして、、。
頭の中もステレオ、そう信じてみるのもみいいかもしれない。
たぶん、、実際そうなんだと思うけれど。
「引越一年」14..4/12
昨年の今頃は、引越しを終えて、
部屋片付けで大変であった。
それは想像を超える大変さで、部屋いっぱいの段ボールがあった。
その段ボールの上を歩いたりしたのだ。
あれから一年。あっというまではなかったな。
一年前がずいぶん遠くに感じられる。
この一年の間に何度か歯がかけた。
レコーディングもした。
とにかく新しい場所にきて、生活が慣れるまでが長かった。
よく歩いたし。
引越しから一年だなんてまったく、信じられない。
考えてみると、一年をはかることなんて出来ないよね。
一年の間の途中が、もやもや〜としていて、
向こうが見えないのだ。道の途中がきれているみたいに。
一年前を思い出そうとすると、
どうしても途中が抜けてしまうようだ。
「フォーク手帖」14..4/10
実は、友達から以前、あの有名な「スパイ手帖」をもらった。
小学時代に憧れていた、あの「スパイ手帖」。
そして今僕が思っているのは、「フォーク手帖」のことだ。
まあ、自分で作ることも出来るのだが、出来るならより便利に手帖を目指したい。
フォーク手帖というよりも、「創作手帖」かな。
スケジュールのところだって、ライブ、リハをわかりやすく表示。
題材メモ欄、友達に渡せるように、切れる五線譜メモノートをつけたり、、。
ノートのラストには、日本地図に全国のライブハウスの場所をつけて。
お手がる転調メモ、ウクレレコード表etc
手帖まのすみには、シンガソングライター諸先輩方の名言が、、。
「フォーク手帖」作りたいなぁ。欲しいなぁ。
手帖の裏のページには住所欄、そして使用ギター記入欄。
「ぶるーす」14..4/6
先日、観たライブでは、初老のふたりがブルースを演奏、そして歌っていた。
慣れたブルースギターとハーモニカ演奏。
そして歌のほうは、完全に日本語のブルースになっていて感心した。
さすがに年の功ということか、日本語ブルースは、やっぱり味わいがある。
しかしだ、途中でブルースギターのリードになると、アメリカンな普通のブルースギターになってしまう。
なぜに、、、??
ハーモニカの人も、自分が普段話すように、、ブルースハープを吹けばいいのにと思った。
日本語ブルースの、そのままでいいと思うのに、なぜに、アメリカンなブルースそのもののコピーなのだろう、、。
頭のすみにも、その発想は、出てこないのであろうか。
・・おまえはブルースの深さを知らないんだよ、、。と、言われそうではあるが。
だからこそ、言えるのかもしれない。
「自然の力」14..4/3
休みだというのに、体が思うように動かないでいる。
いろいろやりたいことがあったのに。
明日までに、300時間くらいあればなぁ。
部屋の整理もできるのに。
消費税も8%に上がり、一日じゅう、どこで何をしても、
消費税に追いかけられているような気分だ。
この忙しさ感は、僕だけではなく、みんなもそうなのではないか。
みんな、あと300時間欲しいと思っているにちがいない。
・・・・・・・・・・・
今、新しいCDアルバムを制作していて、
1曲、2曲と、徐々に仕上がってきている。
ミックスをやってもらっている友達も、いろいろと忙しい。
それでも、きっと、今回のアルバムは、素晴らしいテイクが多く残るであろう。
不思議なものだ。
新生児が、自分の力で、生まれてくるように、
歌やアルバムもまた、自分の力で、生まれてこようとしているようだ。
歌には、力があるね。
それが本当にありがたい。