青木タカオ「ちょっくら・おん・まい・でいず」

「今日の夜話」過去ログ'02.11〜'03.1月

「四角い石油ストーブ」1/30

 最近なかなか見ないけれど、今でも、あの四角い石油ストーブは数多く残っているだろう。

 駅の待合室。みんなの帰ったあとの、どこかの工事現場の作業員詰め所。新築の家では物置小屋のところで、使えなくなった炊飯器の下になっているかもしれないが・・。

 四角い石油ストーブには、応接間がよく似合う。赤くなる部分にくらべ、体全体の方が大きい。それはそれで、いい。でも、今考えると、ちょっと不格好でもある。猿カニ合戦のうすのようだ。

 部屋全体を暖めるというよりは、目の前の人向きの作りである。'70年代、四角い石油ストーブは天下を取っていた。どこの家にもあり、それは日本中の部屋を暖めた。

 一発着火機能はとても便利なのだけれど、一年二年もすると、だんだん効かなくなり、無理矢理、芯を出してマッチで着火する。なんともアナログなシーンだ。そしてマッチ棒は、右端のところにたまってゆく。

 こうなったら、四角い石油ストーブも近所のおじさん状態。

 ・・わしも、長生きしたもんじゃよ・・

 四角い石油ストーブは、上の部分が広く、やかん他・いろんなものが乗せられる。鍋。おしるこ。パン? そのうち、いろんな汁ものがこぼれ、まだら模様になってししまう。

 機能性はばっちりなのだけれど、ちょっとオシャレとは、いえないかもしれない。新しく石油ストーブを買う人は、ダルマタイプのヤツを買う人が多いだろう。それは、部屋に似合い、オシャレだからだ。

 四角い石油ストーブは、「うす」に近い。しかし、その明るいオレンジは'70年代を照らしていた。

 今もきっと照らしている。本人もきっとそのつもりだ。


 「カレー屋にて」

 1300gのカレーで有名な、カレーのCoCo一番屋では、自分で、ご飯の量を選ぶことができる。

 まあ、普通の成人男子なら300gだ。

 「ごはんの方は普通でよろしいですか?」「はい・・」

 しかし先日、僕の隣に来た青年は、いつもどうりといわんばかりに、

 「600g、ソーセージ」と注文していた。600gと言えば、僕の二倍だ。まあ、1300gほどないにしろ、かなり皿も大きい。

 僕の隣で、とても美味しそうに600gカレーを食べる青年。揚げられたソーセージが、5本乗っている。

 ・・ああ、僕の幸せは300gで終わってしまう。。

 とても600gのカレーは食べられそうにない。もし、それが可能なら僕も600gカレーを注文したい。

 食べても食べてもまだあるカレー。(ときどきのソーセージ)

 隣の青年に負けてる私。。

 なぜだ、 なぜなんだ? 僕だって、こんなにカレーが好きなのに・・。

 くやしいけれど、しかたがない。


「冬の夜話」1/20

 冬の夜、誰も通らない夜道を、ひとり荷車をひいたおじさんが通りかかる。カラカラカカラ・・。窓を少し開けその姿を見た者は「見たなぁ」と目で言われ殺されてしまう。・・

 そんな話を小学校の頃、どこかで読んだ僕はすっかり信じてしまった。

 それは7才か8才の時だ。その頃、二階の部屋に白黒テレビがあり、家族はそこでコタツに入っていた。古い木造の家だ。窓近くの布団が重ねられている上に乗っているのが好きだった。そこは僕の場所だった。

 そこには、木で出来た40センチくらいの小さな窓が道路に沿って付けられてあり、ときどきはそこから道を眺めていた。

 ・・冬の夜、誰も通らない夜道を、ひとり荷車をひいたおじさんが通りかかる。カラカラカカラ・・。窓を少し開けその姿を見た者は「見たなぁ」と目で言われ殺されてしまう。・・

 ・・そんな話を小学校の頃、どこかで読んだ僕はすっかり信じてしまった。

 そんな冬の夜、窓の下で何か台車のようなものをひいてゆく音がしていた。僕は心から震えてしまった。もし今、この窓を開けてしまったら・・。

 見たい。しかし見ることは出来ない。見たい。しかし見ることは出来ない。

 その音はほんとに時々、夜道に聞こえていた。

 ・・この話に落ちはない。。僕は結局、窓を開けることは出来なかったのだ。

 だから今でも、その話が僕の中で生きている。


「つらら大漁」1/16

 東京に住んでいると「つらら」になかなか会うことがない。

 僕の生まれは新潟なので「つらら」は冬の定番だった。

 つらら。20センチのつらら。30センチのつらら。40センチのつらら。50センチのつらら。

 つららの感覚はなんとも言えない。冷たい魚のようだ。そして溶けてゆく。

 つららの持っている数字は「2」いつまでも「2」。

 つららの楽しみは、根本に雪の玉をぶつけて、下に落とすことだ。

 校舎の屋根のつららは大きい。落ちてくるときの迫力は満点だ。

 どっしゃーん!!

 学校のつららを教室に持ってくる。アノラックに抱きしめてくるつらら。

 魚のようなつらら。机の上で溶けてゆく魚。屋根の下の深海魚。


「電化製品」1/13

 この冬、電化製品が異常に壊れた。

 ビデオ・デッキ。DATデッキ。DATポータブルデッキ。ICレコーダー。小型テレビ。ビデオカメラ。スキャナー。プリンター。カセットデッキ。カメラ。電話機。そして今日はCD・MDラジカセが壊れた。

 異常じゃないか? 何かが変だ。こんなに一緒に壊れたこは今までにない。すでに、修理代にかなりかかってしまった。

 さて、次はパソコンか?

 100円ショップで買った時計が、良く見たら1時間遅れていた。自分が合わせまちがえたのかと思って、しばらくそのままにしておいたら、徐々に遅れてくる。

 ・・・何かが変だ。

 特にラジカセの壊れ方は普通じゃない。とつぜんにガーガーピーピー言い出したのだ。

 この部屋で何かが起きている。

 そのうち皿が飛びそうだ。


「今、8度」1/9

 朝、起きたら妙に寒い。久し振りにがくがくしている。顔をさわってみると、冷たい。

 (もしかして、2度くらい?)

 そんな部屋の中の温度を想像しいたのだけれど、実際は8度だった。8度じゃまだまだ寒くないな。

 寒い。→寒いね。→いゃあ、寒い。→ホント寒いよ。→うぁぁ、寒い。→すげー、寒い。→死ぬほど、寒い。

 寒いにもいろいろあるけれど、8度でこんなに寒いんじゃ、2度になったらどうなってしまうんだろう。

 想像がつかない・・。

 とか言って、僕は新潟生まれじゃないか。

 まだ1月だし。これから2月も来る。

 富山の友達だって、寒い。

 僕には、もう寒いという言葉がまひしてしまった。

 これは現代病ではないか? 昨年は30度でも、暑い暑いと言ってたし。。

 その昔、僕は気温を当てるのが得意だった。

 壊れてしまった。体内温度計・・・。


「初夢コンプレックス」1/6

 今朝、初夢を見た。

 AM7:40分。見たけれど、もう忘れてしまった。

 どうも僕の人生は、初夢に恵まれていないようだ。これと言って、いつもちゃんとした夢を見たことがない。

 ・・小学校の頃・・。

 友達と初夢を見る日について、いろいろと議論があったものだ。

 元旦の朝に見るのが初夢だとか、二日の朝に見る夢がホントだとか。。

 僕はほとんどこの両日に見たことがない。友達は「じゃあ、初夢はみなかったんたんだ」とか言う。

 それじゃ困る。だから僕の場合は、その年に初めて見た夢が、初夢にしてある。

 しかし、たいした夢は見てない。。

 友達は、初夢について、驚きを込めてみんなに話している。どうやったら、あんな夢を見られるのか?

 二日の朝。(くっそー、また今年も見なかった!!)と、いつも思う。

 元旦と二日は、僕は夢を見ようと徹夜で起きてるんじゃないの?


「それでも」1/3

 近くのラーメン屋さんに入ると、必ず出るときに

 「何だったっけ?」と、おやじさんはきく。三回行って三回ともそうだった。

 もうきっと、おぼえるのやめちゃったんだな・・。

 昨日、入ったすし屋さんでも、注文をかなりの数で忘れていた。ふたつ注文して、ひとつを渡すときに

 「もうひとつ、何だったけ? 」「あっ、いわしです」

 こんな調子だ。年は60才くらいかなぁ。どんなに注文を忘れても平気な様子だ。それもまた快い。

 人間、ああなりたいな。

 すし屋の注文もどこか無理があるんだよね。

 7つ目からは、きっとどこかへ。

 ダリも知らないどこかへ、その注文は消えてゆく。なんだかシュールじゃないか。


「海のさきっぽ」12/31

 12月31日から元旦にかけて、僕はいつも海のさきっぽまで出かけた。

 「海のさきっぽ」って何?

 新潟の実家のすぐそばが海で、その突堤の先のことである。イメージ的には「海とのさきっぽ」かな。

 家から歩いて2分のところにある神社。そこからまた歩いて2分で着ける海。暗い暗い明かりのない海は、雲が光って見えるようだ。

 その突堤の先に行かないと僕の新年は始まらなかった。そこまで行かないと年があけなかった。

 この10年以上は、大晦日に実家にいないので「海のさきっぽ」に行くことが出来ない。

 しかし僕の体は、海のさきっぽを求めて、この部屋から歩き出すだろう。

 ・・どこに行けばいいの?・・

 きっと僕の中では、海のさきっぽからしか新年がやってこない。

 この部屋から遠く、僕の新年がきている。


「時代おくれ人間」12/28

 昨日、ベータのビデオデッキと、8mmもビデオカメラをソニーショップに修理に出して来た。

 その帰り道、8mmのビデオテープを買おうと安売り店に寄ってみると、欲しいテープがない。きいてみると、いろいろともう生産中止になっているというのだ。やがては8mmはソニーのハイエイトしか残らなくなる勢いだ。

 ・・今日、8mmのビデオカメラを修理に出してきたのに。

 帰りに、ソニーのDATの小さな再録機をローンで買ってかえった。高い。。DATのデッキもソニーから一機種だけになった。まあDATはなくならないだろうけれど。。

 たった今の朝のニュースで、ワープロを作っているメーカーが消えたというニュースをやっている。どーすんの?

 なんか、俺、時代おくれ?

 写真もフイルム派だし。

 だんだんと老人?

 歌もふるい?

 人間も中古?

 「申し訳ございません、もう修理不可能でございます」


「甲斐バンド・安奈」12/25

 1979年の冬、甲斐バンドの「安奈」がヒットしていた。

 と、言ってもピンと来ない人も多いんだろうな・・。

 僕には、この歌が忘れられない。この頃ちょうど、レコード店の店員をやっていて、クリスマスの日に仕事をやめたのだった。

 仕事をやめる日と、クリスマス。

 「♪♪安奈〜、クリスマスキャンドルの火は燃えているか〜」

 店内に流れていた、その歌は、数ヶ月前から流れ続けていたけれど、とうとう歌詞の内容の日になったのだ。

 そして、その日にやめてゆく僕。約束の日、約束の歌。

 甲斐バンドの「安奈」はけっこうヒットしたはずだったので、毎年、僕はこの歌を聞くたびに思い出すだろうなぁと思っていた。

 しかし時はたって、クリスマスの日に「安奈」は街から流れては来ない。(流れているかもしれないが・・)

 しかし僕の耳には約束どうり、街から「安奈」の歌が聞こえてくる。

 歌っているのは、僕だ。
 


「プラズマ病」12/23

 一日がなにげなく終わろうとするとき、どうしても足は向かってしまう。

 電気店のプラズマテレビの前へと・・。

 自分でもその心理がよくわからなかった。しかし、よーく思い出してみると、以前にもこうゆうことはあった。

 それは、中学のときの楽器屋に寄って帰った日々だ。

 ギターを見上げては、時間を忘れて、これが欲しいあれが欲しいと願ったものだ。

 プラズマテレビは今、30万円ほどする。とてもじゃないが手が出ない。きっとそこがいいのだろう。

 僕は電気屋の前で、ついついプラズマテレビに心奪われてしまう。その瞬間が、僕の中で忘れかけてたものがよみがえるようだ。

 ・・僕は本当に、プラズマテレビに憧れてるのか?

 それもまた、考え中。


「お年玉の計算」12/21

 今はそんなこはないけれど、その昔は、この時期、ノートにお年玉の計算をしたものだった。

 一年を通しても、自分の買いたいものが買える大きなチャンスだ。

 ノートに何度も書かれた、非常に細かい計算。可能性のある人はみんな書かれている。自分の心持ちとしては、最大限にもらうことを予想してある。

 そして次は、買いたいものの予定だ。これもまた最大限にもらうことを予想してある。

 今想えば、何かまちがっている。

 オフクロ・オヤジから実際もらうときは、もう自分の中の計画の始まりだ。ここで失敗したら、次には進めない。あらかじめ言っておいたかもしれない。

 実際にもらえるお年玉の合計は、予想よりはるかに下回っていることは確実だ。

 そんなときのための最低の買い物計画がこのとき役に立つ。

 どっちにしろ、1月4日には、すべてなくなっている。

 お年玉の計算。

 そのとき人は、ひとりの経済学者のようだ。


「新年の誓い」12/18

 新年の誓いには、いつもふたつある。

 それは個人的に望んでいることと、神社とかお参りに行ったときに思うことだ。

 数年前までは、毎日、バイトから帰ってきても、これと言ってすることもなくて、二ヶ月に一曲くらい新曲を書く程度だった。そういう生活もいいのだけれど、自分の気持ちとしたら、毎日創作し続ける暮らしにも憧れていた。

 パソコンのMacが僕の家にやって来たときからすべての時間が変わった。自分から始めたことだったけれど、毎日エッセイを書くことになったのだ。睡眠時間もいつも4時間くらいになった。

 こうして年末になってみると、今年もけっこうがんぱったなぁと自分でも、ちょっとだけ思う。Macが来る前は、いつも(もっといろいろてできたのになぁ・・)と、後悔してきたのだ。

 来年は、予定では、唄を書き続けるつもりだ。それ専用のシステム手帖も作った。

 でも、いろいろやることがあって、毎年日記が書けてないんだよね。それだけが、毎年の失敗だ。


「思い出喫茶」12/15

 何年も前よく通っていた、喫茶店に入った。

 そこのハンバーグ定食を食べたかったのだ。そこは改装されて今ではオシャレな店にはなっていた。

 入ってみると、席の半分は、俗に言う「おばさん」たちで埋まっていた。話声が聞こえる。どうもバレーボールのスポーツクラブの帰りらしい。話は盛り上がっている。

 注文が一度に来ていたせいか、店の奥でお店の人は食器洗いをやっていて、僕のことは気がつかない様子だ。

 「あのう・・すいません・・」

 思い出は自分から声をかけた。

 スポーツおばさんたちの話は、まるでスポーツのようだ。それもバレーボール・・? 今ではすっかり使わなくなった言葉や慣用句がここではまだ生きている。健康から政治のことまで、話題は尽きないようす。

 意外にも早く注文のハンバーグとライスは出てきた。味だけは変わってはいないのが嬉しい。

 ハンバーグの味だけが変わってないのなら、僕は何の不満もない。

 思い出は、箸を使い、ハンバーグを口にほおばり、アイスコーヒーをストローで飲んだ。ガムシロップとミルク・・。

 人生のようにやって来て、人生のように去ってゆく、ほんのひとときのアイスコーヒー。

 おばさんたちの世間話が店いっばいに盛り上がるなか、思い出はひとり席を立ってレジで精算をした。200円のお釣り。

 夜になるにはまだ早い。僕は200円のお釣りのようだ。なんか買おうー。


「ちょっとの疑問」12/12

 中華屋さんがオープンする。そのメニューに書かれている味は、ずっとそのままなのだろうか?

 味が進化するという事は確実にあるとは思うのだけれど、基本的にどの中華屋さんも味が変わらず、そのまま営業するようだ。

 ラーメン屋もそうだ。カレー屋もそうだ。

 では、美味しさがいまいちの店は、ずっといまいちなのか。きっと、いまいちのままだろう。

 吉野家の牛丼は、確実に味が良くなった。90年頃かな。それは吉野家自身も認めていて、ワインとか使って肉を煮ているらしい。肉そのものも変わったのかもしれない。

 昔の味を求める人もまたいるだろう。

 「マスター、味変えた? 美味しくなったね」

 「マスター、味変えた? 前の方が良かったなぁ」

 味については僕は専門ではないし、あまり語ることもできないが、微妙なところだ。

 しかし、こう言われるかもしれない。

 「いや、まったく同じだよ」

 自分の体調で味が変わるということもあるだろう。

 「味を変えないのが料理人だよ」とか、言われるかもしれない。

 まあ、これだけお店屋さんがあり、その店の数だけ味もちがうのだから、どんどん変わってもおかしくないのだけれど。。

 ほとんどのお店の味は、ずっとそのままだ。ちょっとの疑問。


「目覚まし時計っていうけれど」

 今朝、目覚ましの電子音が、宇宙戦争のマシンガンのように聞こえた。。

 「ギャー」

 朝から、死んでどうなる。

 しかし、イメージ的には、それと似ていないだろうか?

 今の時計は目覚ましは電子音だけれど、その昔はみんなベルだった。それも寝る前にわざわざ、そのベルを鳴らすためのネジを巻いたりしていたのだ。

 ジリリリリリリリ!!

 これでは目覚まし時計という名前そのものではないか。

 もうこうゆうのは、やめたいな・・。

 もっと別な方法で起こして欲しい。「目覚まし」とか言う観念ではなくて。

 「朝呼び時計」なんてどうだろう。「朝鳴き時計」でもいいな。

 ・・朝じゃないかもしれないけれど。

 ex1・・電子音ではなく、ニワトリの「コー・ココココ・・」と鳴き始める。今にも鳴くぞといわんばかりに。

 「コ・ココココココー」「コーコーコー」「コケー・コケコケ」

 (わかったよー、もう・・)

 そして、時計の止め方の理想はこうだ。

 どこかの農家に電話。

 「すいません、起きました。よろしく!!」


「市場では」12/3

 青果市場では今頃から、みかんの仕分けで大変なはずだ。

 地方から送られて来たみかんの箱をひっくりかえし、くさってしまったみかんを取り除き、また箱につめなおすのだ。

 それをしないと、くされのみかんが明日には、どんどん増えていってしまうのだ。

 地方から送られてくるみかんの箱の山、それをひと箱ひと箱を開けるなんて気の遠くなる話。

 青果市場にて、ずっとアルバイトしていた頃、12月に入ると、毎日毎日、遅くまでみかんのくされチェックをして市場に残った。

 ストーブを付けて、防寒具を来て、布を片手に持って、ただただみかんの箱をあけて、ひとつひとつチェックをする。市場の仕事は、午後の2時には、ほとんど終わってしまうので、それからの時間の長いこと長いこと・・。

 市場をやめてもう15年ほどたつけれど、くされみかんチェックも近代的になっただろうか? そうとも思えないが・・。

 年末になるといつもアメ横がテレビのニュースで流れるように、青果市場のくされみかんチェックもまた、12月の風物詩として、ぜひニュースでとりあげて欲しい。

 知っている人は、たぶんほとんどいないだろう。まあ、そういう事は多いか・・。そんな風物詩。


「僕の夢の面白さ」11/30

 夢の中で、大事件を解決した。

 それは、事件自身から起こっているので、すべて夢の中の作り話だ。

 それも、その夢の中で、夢が出てきて、その夢が事件を解決してしまう。

 しかし、、なぜ、いつも僕の見る夢は、こんな事件なのだ。もっと、ほんわかとした夢を見ることが出来ないのか。

 以前聞いた話では、次々と好きな食べ物が出て来る夢を見る人もいると言う。

 起きた時の僕は、いつも現実の柔らかさに満ちてしまう。(ああ、夢で良かった・・)

 僕の夢の面白さは、どんな事件が起きても、それなりにラストへと物語が向かうところだ。

 もしも、未解決事件になってしまったら、僕の朝からどこにも行けない気分になってしまうだろう。

 みかんから生まれたみかんは、みかんが解決?


「20年」11/20

 今、友達の古い録音を編集して終わり、それを聞いている。

 ほとんどが20年ほど前の録音なのだけれど、これがぜんぜん古くさくないのだ。普通だったら、懐かしいという気持ちが先に立ってしまうだろう。実際に懐かしいのは本当だけれど・・。

 今日聞く限り、どの作品も聞きごたえがあり、その世界に引き込まれてしまうものばかりだ。今でも歌えるとはなかなか思えないけれど、今でも聞ける歌ばかりだ。

 どうやら選曲に、秘密があるような気がする。

 基本的には、20年前の雰囲気の出てる歌を集めてみたのだけれど、それでも、それなりの歌が集まっている。20年は新鮮だった歌ばかりだ。

 でも、さて、あと20年は持つかはわからない。

 この作品群を、聞く機会が生まれるたら、ぜひどんなふうに聞こえるのか、味わって欲しい。

 思っていた事とは、別の意味のある、作品群になったようです。


「古い歌」11/17

 今、ちょっ昔の歌を集めている。約20年前の友達の歌だ。

 数あるテイクの中からどれかを集めてくるかなんて、気が遠くなる作業だ。

 しかし、意外にそうでもないこともわかった。

 一緒に選んでいた友人はこう言う。

 「これしかないっしょ!!」

 「えーっ、これ〜?」

 「こりゃ、ベストテイクだよ〜」

 何回か聞いてると、その友人の言ったことがだんだんわかってくる。

 簡単な話だ。友達の中では、まだその歌がずっと残って生きているのだ。

 気が遠くなるような作業だと思ったものは、意外とシンプルだった。

 これが10年前だったらまた違っていただろう。

 古い写真を選ぶのと、似てるのかもしれない。。


「7時とか、6時とか」11/13

 冬になって、朝起きるのが、おっくうになった。寒いとやっぱり布団の中がいい。

 目覚ましはかけてあるけれど、それはあってないようなものだ。

 そのぼんやりとした時間、考えることは、6時とか、7時とかの数字やイメージのことだ。

 人間の起きる時間は基本的に「7時」のような気がする。「7時」これは時間に、色が薄くついている。そうだ淡いブルーだ。時間の持ってるイメージに角がある。昔の100円札くらいの重さ・・。

 そして6時は、クリーム色に思える。角がまるくなっているように思える。お金にもまだならない重さを持っている。

 5時だいは、イメージさえも定着しない世界にある。

 「7時」マッチ箱とマッチ。「7時」幼稚園の制服。「7時」粉末のソーダ水。・・

 「6時」お米の白さ。「6時」外に干されてるハンカチ。「6時」サッシ戸のほっぺた・・

 まあ、そんなことを布団の中で考えながら、時間の事を考えている。

 今、昔も、ずっと先も、その存在は変わらないだろう。


「リンゴの進化」11/9

 リンゴの味。かじったときに口の中にしみてくる、微妙な酸味と甘さ。

 僕はそんなに食通ではないし、食べ物の全体にこだわりがあるわけではないのだけれど、20代の頃、市場でリンゴを専門にやっていたこともあり、なぜかリンゴだけは、味についていろいろと知っている。

 先日のこと、普通のコンビニエンスストアーで、リンゴが売られていたので、ひとつ買ってみたのだけれど、これがうまかった。がじったときの味がとてもとても懐かしいのだ。

 (ふじの味とはちがうなぁ・・)

 リンゴについているラベルを見ると「北斗」とシールが付いている。僕はそのリンゴの名前を知らなかった。一見、見た目は「ふじ」とそっくりだ。しかし「ふじ」の味ではない。もっと、味わいの面で、深い。

 僕が市場にいた'80年代はじめの頃は「ふじ」のリンゴが天下を取っていた。りんごといえば「ふじ」が代名詞のようになっていた。「ふじ」は果肉が堅くて、酸味と甘みがあり、他のリンゴと比べものにならないほどの出荷量があった。

 その「ふじ」だって、まだリンゴの世界では、新参者だった。と言っても、生まれて20年ほど経っているが。「ふじ」がリンゴの王様になっていることは事実だった。

 「紅玉」は、リンゴらしい酸味があるけれど、果肉が少し柔らかい。デリシャス系は、大変に甘いが果肉が柔らかい。「つがる」は味があっさりしすぎている。そして「陸奥」。

 「陸奥」だけは、「ふじ」に負けない立場にいた。果肉はふじよりも堅く、日持ちもよく、なんともいえない芳香があり、果肉も密度があり、品もある。

 僕が市場にいた頃、「ふじ」に勝てる力を持っていたのは「陸奥」くらいなものだった。

 しかし、それから約20年。この「北斗」というリンゴは、そのふたつを越えるほどに、いい味を出していた。リンゴの進化だ。僕の知らない間に「ふじ」を越えるようなリンゴが生まれていたのだ。

 インターネットでちょっと調べてみたら、「北斗」はなんと「ふじ」と「陸奥」が交配されたリンゴだったのだ。たしかに美味しいわけだ。

 「ふじ」もまた「国光」と「デリシャス」の交配で生まれたリンゴだ。「国光」は堅く「デリシャス」は甘い。天下無敵だと思われた「ふじ」。その「ふじ」に、天下の「陸奥」を交配するなんて。。

 王様とクイーンの子どもみたい。

 岡本一平とかの子の息子の太郎みたい。。

 マーチン職人の作ったギブソンのギターみたい?

 僕は何を驚いているのかは、とてもシンプルだ。それは「ふじ」が越えるリンゴが出来たということだ。

 何度か「北斗」を食べてみたけれど、その味は遠い遠い昔の懐かしい味がした。ずっと昔に食べていたような味だ。

 その味は大変に「りんご」らしい「りんご」の味だ。

 2002年の秋にこんなリンゴに会えるとは思わなかった。


「ラジオから」11/5

 部屋の飾りのつもりで、ずっと置いていた、30年くらい前のラジオ。

 ウッド感覚の昔ながらのラジオだ。

 その古いラジオに、先日思い立って、CD ラジカセをつないでみた。

 これが実にいい感じで鳴るのだ。いままでいろんなスピーカーで聞いてきたけれど、唄が自然に伝わってくる。それになんだかラジオから流れてくるような感じだ。

 ・・いい音で録られた音楽がある。それが流れるラジオがある。

 ラジオとはいえ、それはいい音に聞こえてくる。

 今、いろんなCDをラジオから流して楽しんでいる。友達のCD、自分のCD。。

 ぜひ、この音をみんなに聞いてもらいたい気持ちでいっぱいだ

 僕の部屋に遊びに来るときはは、ぜひお気に入りのCDをもって来て下さい。


「古い温泉事件」11/2

 九州にみんなで旅行に行ったときのことだ。

 僕は出かけた先で、大きな温泉を見つけた。そこは以前は、立派な屋根を持つ建物だったらしく、建物の資料館まで、作られていた。老朽化で、立て直したのだろう。

 中に入る、大変に大きな湯船、そして高い天井。今はもう作り直されて新しい建物になっているが、もともとは立派だったろう。

 出かけた先から帰り、みんなに「古くて大きな温泉があってね。資料館まであるんだよ」と言った。

 次の日はみんなは、僕の言葉を信じて、その温泉に出かけてしまった。

 帰って来たみんなは、もちろん浮かない顔をしていた。

 ちょっとした勘違いだった。

 「古い温泉」って、何だろう?

 ・・・古い人間。古い手足。古い唇。古い犬。古い道。古い町。古い言葉。。

 ・・・古い恋人。古い老人。

 僕らはみんな新しくて古い。

 教訓。古い温泉事件。

「今日の夜話・過去ログ'02年7月〜10月」

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