青木タカオ「ちょっくら・おん・まい・でいず」

「今日の夜話」過去ログ'06.7〜'06.10月


「ハーモニカ」'06.10/30

 ハーモニカが吹けるようになったのは、中学三年のとき。

 コードの合わせて一日吹いていたら、吹けるようになった。

 プーブカプカプーだけれど。。

 その頃からだから、かれこれ30年は吹いているのだ。

 ブルースハープはコードに合わせて吹けば大丈夫なので、音が外れることはまずない。

 自由に心のままに吹くことの出来る素晴らしい楽器だ。

 若い頃は、それでも、いろいろ曲に合わせて吹き方を考えてみたりしたけれど、

 最近はまったく本番にときに、心のままに吹いているというのが、本当だ。

 練習したって、しょうががないんだよね。。

 どんなふうに自分が吹くかは、自分でも、わからないのだから。

 そのときの自分の口まかせなのだ。

 ・・あっ、ハーモニカが流れてるなぁ。。

 と、気付くような、気付かないような、、自然さで吹きたいと思っている。

 自分じゃなくて、まるで歌がハーモニカを吹くような感じでね。

 僕はただ、ハーモニカに空気を送ってるだけ。。

 そんな風に最近は吹いている。


「いつか良いこと」'06.10/28

 帰り道、いつも商店街の電気屋さんの前に立ち止まってしまう。

 薄型大画面テレビを映りの良さをチェックするのだ。

 もう5年くらいになるかなぁ。薄型テレビも、映りが良くなったものだと思う。

 毎日の帰り道にその進化のチェックはかかせないのに、僕はと言えば、とても大画面テレビは買えそうにないのだ。

 いつか、欲しいなぁとは思っている。

 しかし、これだけ毎日のように電気屋の前に立ち止まっているのだから、そのうち、何か良い事がないものかなと思う。

 できればね、、、一台もらえないものだろうか。。そんなドラマってないものかな。

 ・・・・

 同じ商店街に、老舗の靴屋さんがある。

 その店先のバーゲン品の靴チェックも僕は毎日、忘れていない。

 2990円シリーズの中に、今、僕のはいている靴がかつてあったのだ。この靴は最高だった。

 最高だったけれど、一回しか、店先に並ぶことがなかった。

 今度また、並んだら、ぜったい、もう二足くらい買おうと思っている。

 思っているが、さっぱり並んでくれない。もう二年くらい待っているが。。

 そのうち、並んでくれると思っている。

 ・・・・

 その同じ商店街のつきあたりに、今、新しい店を作っている。

 ライブハウスができないかなと思っていたが、何かスーパーが出来そうだ。

 僕は心の中で、(99ショップ、99ショップ、、)と願う。

 店がオーブンするたびに、そう願っている。 

 いつか、そのうち。。


「復活する歌」'06.10/25

 僕はライブがあるごとに、歌詞ノートの全曲をめくっている。

 一応、気になる歌は、ちらちらっと歌ってみて曲選びをする。

 もう、15年くらい前に作った歌もあり、古い歌として忘れそうになっているものもある。

 久し振りに部屋で歌ってみると、(あれっ、いいじゃーん)と、今、思える歌になっている事がある。

 よく歌っていた頃は、それなりに好きだったけれど、自分なりの名作!?と、までは思っていなかったのだ。

 今、歌ってみると、、不思議に良い歌になっていた。

 歌は復活する。

 ・・・・

 そこで思い出すのが、その歌を、その昔、友だちが「あの曲、すごい良いよ!!」と、ほめてくれた事があったのだ。

 「えーっ、そうかなぁ??」と、そのときは答えていた。そして、言われた事は印象深く覚えていた。

 また、別の歌も、友だちが「あの歌、テレビのみんなのうたになってもいいのになぁ。」と、言われたことがあった。

 「そんなことないよ。まだ未完成だし。。」とか、答えた記憶がある。

 それから、ずっとたって、今あらためて歌ってみると、なかなか良い歌だったと気が付く。

 友だちは最初から、こんなふうに聞いていたのだろう。

 ほめられた歌には、何かあるんだな。そう思う。

 自分がそのときピンと来てなくても。その言葉は忘れないでいよう。

 歌は復活する。


「新曲は・・」'06.10/23

 新曲はやってくる遠い船のようなもの。

 それは、ゆっくりとした長い時間。

 僕が新曲のことを思うとき、メロディーや歌詞のことは、いつも二番目の出来事として考える。

 まず、その船が近づいてくるのだというイメージをする。

 ここから遠く、見えない向こうからやってくるのだ。

 ライブの当日には、僕はその船をなんとか形にしなくてはいけない。

 ひと月前、二週間前、一週間前と、だんだんと近づいてくる。確実に。。

 とても遠い船のことを、この部屋から想うのだから、もちろん見えるわけがない。

 そこが大事。

 実際に見えてくるのは、2キロくらい手前からか。

 ホントに来るということがもっと大事。

 それは自分を信じるしかない。

 僕は心の準備をする。忙しさに負けてしまうと、船はそのまま行ってしまうのだと。

 新曲のインスピレーションが、生まれるとき、

 遠いところで、船が出るのだ。


「パーティのある生活」'06.10/21

 テーブルにはいろいろな食べ物のお皿が並ぶ。

 そこはどこかのお店で、お母さんたちと子供たちが、同じテーブルでわいわいとしている。

 片手にはフォーク、グラスにはオレンジジュース。。そんな、現代では普通の光景。。

 子供らはとても楽しそうだ。。誕生会のパーティーかもしれないな。

 思い出せば、僕にはそんなパーティーのある生活がなかった。小さい頃はとくに。

 東京に出てきてからは、友だちとしょっちゅうテーブルを囲んで、わいわいとする機会も多かった。

 とても楽しいのだけれど、僕にはいつもどうもしっくり来ない気持ちが残る。

 たぶんもともと、自分の中にない感覚なんだな。

 明るい光の下の白いテーブルという生活がなかった。

 ・・・・

 小さい頃から、パーティーのある生活があったとしたら、それは楽しい気持ちと重なっているだろう。

 大人になっても、その感覚は自然と残る。

 僕はいまだに、白いテーブルと椅子のあるパーティーは、異国に来ているような錯覚を起こしてしまう。

 あまり、深くは考えないが、、。

 あと、30年くらいしたら自然に楽しめるのかもしれない。


「小さな柴犬」'06.10/19

 昨日は、秋なのにとても良い天気であった。

 外歩きの仕事にて、先日会ったまだ小さい柴犬が、家の中から今日は駐車場にいた。

 ながーい綱と一緒に。

 僕はその小さな柴犬のそばを何度も仕事で通らねばならなかった。

 そのたびに長い綱で僕の前に立ちはだかる小さな柴犬。

 まだ生まれて三ヶ月くらいだろうか。すくっと立ったその足。つぶらな瞳。ありきたりな表現だが。。

 子犬はみんなかわいいけれど、柴犬は小さい頃から頭が良さそうだ。

 その犬を飼っているのは、おじいさんとおばあさんだがホント嬉しそうに遊んでいる。

 子犬の可愛さって特別だと思う。あんなに人になついてくるなんて、、。本能としか思えない。

 いのししでは、ああはならないだろう。

 僕はちょっとはなれて、小さな柴犬と目を合わせてみる。

 毎日、おまえと会いたいな。そんなことはできないけれど。。おまえには何かある。

 路地を曲がってゆくと、きゃんきゃんと吠える声がした。


「ここでは聞こえてこない音」'06.10/16

 ステレオって知ってるか? ・・知っているよなー。

 ライトとレフト。もちろんそうだ。CDラジカセも、もちろんステレオだ。

 今はもうセパレートタイプの「ステレオコンポ」が一般的ではあるけれど。。

 しかし僕には「ステレオ」と言えば、あの応接間に置けるようなステレオセットが思い浮かぶ。

 さて、僕か実家にいた頃は、その大きなスピーカーで、レコードを聴いていたものだった。

 10畳くらいの部屋で。買ってきたレコードを開けて、そしてかける。流れてくるのは、

 三枚目の弾き語りのボブ・ディラン。「アナザー・サイド・オブ・オブ・ディラン」

 ジャケットとそしてレコード袋が、ステレオセットの前にある。

 平日の夜、土曜の午後、日曜の午前、、

 僕はステレオセットから流れてくる弾き語りのボブ・ディランを聞いた。

 何度も何度も、そのメロディーと歌詞に感動しながら、、。

 しかし、今日のテーマはボブ・ディランの話ではないんだ。

 そうステレオとレコードの話。東京に出てきてレコードはやがてCDに変わった。

 ステレオセットはとても置けなくて、CDラジカセで聞くことがほとんどだ。

 弾き語りのアルバムを聞く。実家で聞いていた同じ弾き語りアルバムを聞いてみるけれど、何かちがう。

 音楽の包まれ方がちがうのかな。。レコードジャケットだって、CDだしね。。

 この部屋から、あの実家で聞いていたステレオセットの音は聞こえてこない。

 CDラジカセの幅の中から、弾き語りの唄が流れている。


「ずっとたってふたたび聞く」'06.10/14

 以前は、なかなか聞けなかったアルバム。

 ひさしぶりに聞くと、そのCDがとてもしっくり来ていることがある。

 おどろおどろしかった歌詞など。。暗いテーマだったものなど。

 最初聞いたときは、重く感じられていたものが、10年くらいたつと、ひとつの作品としてわかってくる。

 だいたい唄っている本人は、最初から、そのつもりで唄っているのだろうけれど。。

 僕は歌を聞くとき、歌詞を聞きすぎる傾向がある。

 ひとつひとつの言葉のつながりや、イメージの展開、その歌を作ろうとしたそのときの気持ちなんか考えたり。。

 自分が作るとしたら、どうするかなぁとかね。。

 すると印象が強力になってしまって、お腹いっぱいになってしまう。

 しかし10年もすると、同じ歌をフレーズで聞けるようになっている。

 (いいフレーズが多いな、、)とか、思いながら。。

 ひとつひとつが慣用句みたいに聞こえてくる。

 「ここで、会ったが百年目!!」とか、「うらみはらさでおくべきか!!」とかね。。

 ページで歌詞をみると、つながっている言葉がまとまりが見えてくるけれど、

 ライブの音としたら、やって来て消えてゆくフレーズのつながりなんだよね。

 三行前の歌詞はぼんやりとして残ってゆくのが、本当だろう。

 10年たって聞いてみると歌詞は、吹いてきては遠くなるフレーズの風景のようなのだ。。


「ウディの音」'06.10/12

 ウディ・ガスリーはアメリカで'20年代〜'40年代に活躍したフォークソングの歌い手である。

 「This Land is Your Land」などの誰でもが知る歌を作った人でもあり、若きボブ・ディランが憧れたシンガーでもある。

 僕もまた、高校時代から聞きはじめて、レコードになっている歌を多く日本語に訳して唄ったりしていた。

 「青木タカオ、ウディ・ガスリーを唄う」とか言うテープも自分で作ったものだ。

 ちょっと鼻にかかったような声と、シンプルなカーターファミリーピッキングでのギター演奏。

 歌の内容は、砂嵐がやってきて追い出されてしまうというストーリーが多い。

 ・・・・

 最近になってもういちど、ウディのギターの弾き方を再現して弾いてみたら、

 とてもシンプルでありながらも、ひとつのサウンドを作っているのがわかった。

 なんというか、砂嵐サウンドというか、、。ざらざらとした音の感じ。

 今、ライブでも自宅でも、あんなふうにギターを弾くことはまずなくなった。

 しかし、弾こうと思えば、すぐに弾くことができる。

 弾き方のこつは、古くさーい気持ちと、伝統を大事にする気持ち、そしてウディへの想いが大事だ。

 僕は若い頃、その弾き方をマスターして良かったとホントに思う。その弾き方には、懐かしい心があるからだ。

 まるでゴムのプロペラ飛行機のような、あの軽い弾き方。。


「表板の焼けたギター」'06.10/9

 先日、友だちのライブを見に行った。30年ほど前に買った生ギターを、その日は使っていた。

 でも、ほとんど使っていないギターだったので、まだ表板が新品のように白いままだ。作られて30年もたっているのにね。。

 やっぱりギターケースにしまったままだと日焼けしないのだな。

 僕が先日、買った中古のギターは、やはり30年くらい前のギターだけれど、表板が相当に焼けている。白よりも茶色に近いほどだ。

 中学時代、表板の焼けたギターほど、良い音が鳴ると信じて、ギターを陽に当てて色を少しでも付けたものだった。

 夏の屋根の上に、ギターを干したりしてね。。今、思うと、ギターには良くなかったな。

 今、中古で並んでいるギターは表板の焼けたギターは多いけれど、それはやっぱり、それなりに外で弾いたり、太陽の当たる部屋に長い間、置いておいたりしたのであろう。

 この現代、アパートやマンション暮らし、また外では弾いたりしなければ、表板はなかなか色が着いて来ないだろうと思う。ギターケースにしまっていれば、なおさらのこと。

 誰も居ない、昼の陽の入る部屋にギターが置かれている姿は、とてもギターに似合っている。自然な姿だ。そうやって10年、20年。。

 たとえ、ひと月に一度しか弾かなくても、表板はどんどん焼けてくるだろう。いつのまにか、鳴るギターになってゆくのかもしれない。

 今の僕の部屋なんて、陽当たりがあまり良くないので、表板が焼けてくるのは、あまり期待できない。

 たぶん30年たってもそんなには、表板は焼けてこないだろう。

 表板の焼けたギター。そこには広々とした時間があり、ギターが過ごした陽のあたる場所が感じられる。


「なくならない水筒」'06.10/5

 近くの駐車場の道路沿いに、ひとつの青い水筒が置かれてある。

 もう、ひと月くらいの間。。

 たぶん、工事の人の忘れものであろう。青い背の高い水筒。

 一日のうちにここを多くの人が通るだろうに、水筒は約ひと月の間、同じ場所に置かれているままだ。

 なくならない水筒。。

 水筒が必要な人なんていないのかな。遠足に持ってゆくには、ちょっと大きいし。。

 工事の人は、やがてまた同じ場所にやって来るとき、その水筒を見つけるだろう。

 はるか何ヶ月か前のその日に忘れてしまった水筒。

 忘れた本人は、(こんなことってあるのかな)と、思うだろう。

 来る朝、来る昼、来る夜と、水筒はそこにあり続けたのだから。

 そこを通るすべての人が、その瞬間のことをみな思い浮かべている。

 時間はそれまで止まったままだ。

 誰も、人の水筒なんて持っていきはしない。


「墓場の鬼太郎」'06.10/2

 水木しげるの「鬼太郎シリーズ」のもとになっている、「墓場鬼太郎」の漫画が今、文庫本になっていて買ってしまった。

 墓場の鬼太郎は、貸本まんが時代に生まれたキャラクターであった。

 たぶん、今回買った本は以前にも買ったような気がする。二冊目かもしれない。

 昭和43年に始まった「ゲゲゲの鬼太郎」のその後の活躍は、みな知っての通りだ。

 それからはるばると約40年もたった。。

 今はすっかり定着した鬼太郎ワールドではあるけれど、初期の頃はまだ、おどろおどろしさが共存していたように思える。

 ねずみ男も、ホントにねずみを感じさせるキャラクターで出てくる。

 哀しい風の夜に生まれ出てきた鬼太郎はテレビに出るようになり、それからまた長い人生を送っている。

 いろんな出来事が毎週のように起こる中ね。

 今回、鬼太郎が生まれた頃の漫画を読んでいると、現実感がとてもあることがわかる。

 怖くなり逃げだそうとする背広の主人公の足にすがりつく、生まれたばかりの鬼太郎。

 結局、主人公は鬼太郎を育てることになってしまう。そして、もの心つくと、鬼太郎の毎夜、もうひとつの世界を行き来するようになってしまうだ。

 その頃の鬼太郎の漫画を読んでいると、実際に僕らもまた、もうひとつの世界を行き来するような感覚になってしまう。

 リアルさがあるというのかな。テレビ「ゲゲゲの鬼太郎」のなる頃はとっぷり漫画の世界が広がっている。

 「墓場の鬼太郎」を読んでいると、今の自分の感覚とまだつながっているのがわかる。鬼太郎に体温を感じる。


「さらばアンテナ回し男」'06.9/30

 ひょんな事から、ケーブルテレビがこの部屋にも入った。

 もちろんデジタルではないが。。それでも室内アンテナに比べたら、びっくりするくらい良く映る。

 どのチャンネルも、みごとに。

 つい一昨日まで僕はチャンネルを変えるたびに、室内アンテナをつまみを調整してした。

 どのくらいの期間かというと、東京に出て来てアパートを借りた'80年から'06年までの26年間だ。

 それは事実。まぎれもなく。

 まさに、僕は室内アンテナ回し男だったのだ。一階に引越してから特に映りが悪く、良い映像にはどのチャンネルもならなかった。

 常に砂嵐のようなチャンネルもあった。録画しようとするときなんかかは大変で、アンテナを斜めにしたり、横にしたり、棚の上に置いたり。。

 そうやって26年が過ぎた。。

 僕の部屋の映りの悪いテレビが我慢が出来ないと言っては、怒った友だちもいた。

 僕は、よくまあ26年もアンテナを回していたものだと思う。

 でも、確かに大変だったけれど、特に何も怒ってはいなし、ちゃんとしっかりテレビを楽しんでいたと思う。

 昔はみんなチャンネルを回していた。僕は同じように、ただアンテナのつまみを回していただけだ。

 だからそんなに苦労したとは思ってはいないのだろう。

 ただただ自然に26年が過ぎた。水道の蛇口を毎回ひねるようにね。


「最近のコインロッカー事情」'06.9/28

 コインロッカーも進化していた。

 先日、旅先の大きな駅で、ギターの入れられるコインロッカーを探した。

 ギターが入るとなると、一番大きなロッカーでないとだめなのだけれど、どこのロッカーにも鍵がなく、引いてもあかず、使用中だった。

 駅の中にあちこちに、コインロッカーはあるけれど、みごとにどれも空いていない。

 (これでは一日、ギターを持ち歩くことになってしまう、、。大きなロッカーはそんなに人気なのか、、?)

 あちこちロッカーの回りをうろちょろしていたら、そこにいた係のおじさんに声をかけらられた。

 「大きなロッカー、空いてませんでしたか?」「ええ、どれも鍵がなく、使用中なんですよ」

 「いえいえ、そちら空いてますよ」

 なんと、そのコインロッカーは中央の液晶パネルで操作して、開け閉めするものだった。鍵はレシートのバーコードになるという。

 扉の方は使用、不使用に限らず開かないのだ。

 僕らの意識としては、鍵がなく扉が開かなかったら使用中ということだろう。はじめから鍵がないなら、大きく「鍵のキーはありません」と書いて欲しい。

 中央のパネルで、使用の場所をセットして、料金を払うとバーコード付きのレシートが出てくる。すると扉が自動で開いて、荷物を入れ外ボタンを押すと閉まるのだ。

 鍵がレシートというけれど、こんな薄い紙では鍵の実感がないではないか。

 取り出すときは、バーコードをかざすと了解となるのだけれど、そのかざす所が見つかりにくい。

 機械やパソコンに少しは慣れている僕だってそうなのだから、ご老人のみんなは、とてもさっと使えるとは思えない。

 液晶画面が変わるということは、何が出てくるかわからないものね。不安だよ。

 まあ、ながなが書いてきたけれど、進化したコインロッカーは使いづらいという話だった。

 結局、係りの人がいないとだめなんだよね。鍵のないロッカーのシステムは理解が難しい。

 東京駅の新幹線の自動改札には、何人もの人がいて、「切符を二枚重ねてお入れ下さい」といい続けている。

 自動改札なのにね。


「30年ギター」'06.9/23

 テレビの生放送で、吉田拓郎&かぐや姫の「2006、つま恋コンサート」を見た。

 1975年の8月に、つま恋オールナイトがあってからだから、約30年ぶりだ。

 南こうせつは、僕の目がまちがっていなければ、前のつま恋ライブと同じギルドのギターを使っていた。

 (確信ではないが・・、たぶん。)

 30年後も同じように現役で使えるなんて、さすが生楽器だな。

 電化製品は10年も使ったら、それこそ長持ちと言われるのに。。

 しかし考えてみると、30年たって、ちゃんと使える生ギターはやっぱり、新品でその頃に買ったのだろう。

 僕も最近、中古でギターを買ったが、それはやっぱり約30年前のものだ。

 とても良い音で鳴ってくれているけれど、さて、30年後もこのままで使えているかどうかは不明だ。

 60年目のギターになってしまうからだ。。年齢的には、おじいさんギターになってしまう。

 僕らは今、経済的にも、サウンドの好みで言っても、オールドのギターを買ってしまう。

 今は問題がないけれど、さて、また30年後にライブで弾けるかどうか。。微妙だな。

 たしかに30年前だと、中古と言っても、そんな古いギターはなかったし、みんな新品を買っていたはず。

 僕も東京に出てきたとき、新品でマーチンギターを買った。そんな心を僕は忘れかけていた。


「自転車のライフ」'06.9/21

 昨日、仕事先で新しい自転車が届いた。

 小学校の頃、僕は「将来なりたいもの」の欄に競輪の選手と書いたことがある。

 自転車屋に寄っては、新しい自転車を見上げたものだった。キラキラして綺麗だったこと。。

 今まで使っていた自転車はずいぶんと乗ったけれど、さすがに限界。引退ということかな。

 新しく届いた自転車は、初日からハードな外仕事回りと出た。昨日まで店頭にあったのだからすごい差だ。

 自転車の人生が始まったわけだ。

 店頭にいた頃とは、まったく違うライフ。自転車は目が回るようであったろう。

 自転車置き場にあるベテランの自転車たちは新人君を、「エヘン」という顔で迎えているようだ。

 思えば、それは今の外仕事に僕が最初についた頃と似ているな。先輩たちと新人。

 自転車はなんだか、乗っている人の人生と似ているな。

 店頭に飾ってある自転車たちは、キラキラとしているけれど、まだ何も知らない。

 ああ、人生とは道なのだ。


「部屋の片付け」'06.9/19

 昨日はずっと部屋を片付けていたが、なんとも物が増えたものだ。

 最初はバックとギターしかなかったはずなのに、よくこんなにいろいろ買ったものだ。

 ほんとにシンプルな荷物で暮らしている人もいるけれど、どうやったらあんな生活ができるのかなと思う。

 僕の押入には、捨てられない電化製品が多い。捨てることが有料になってから、なかなか外に出せない。

 壊れたパソコンだってある。まだ使えるものもあるんだけどね。

 賢い人は、壊れる前に、なんでも屋に持っていって、新しいのと買い換えるのかもしれないな。

 紙類もすごく多い。いままでもらった友だちからのチラシはほとんどとってあるし、余った自分のチラシもとってある。

 いつか、配る機会もあるんじゃなないかとね。そう思いながら20年もたったけれど。。

 CD-RやMD(ミニディスク)も、やまほどある。テープも多かったけれど、もう完全に量が越えたな。

 本も増え続けていたけれど、最近はそうでもない。

 定期的に引越をするといいのかな。。ふーっ、片付けは大変だ。


「鬼太郎の風」'06.9/16

 中央線に乗りながら、うとうととしていると、風の音が聞こえてくる。

 ・・ゴーーッ。

 電車の音はどこかさびしくて懐かしい風の音のようだ。

 さびしい風の事をぼんやりと考えてみた。。

 水木しげるの漫画「墓場の鬼太郎」の登場シーンには、さびしい風が吹いていた。

 アニメ「ゲゲゲの鬼太郎」にも、もちろん風は吹いているけれど、ちょっとイメージがちがうんだよね。

 「墓場の鬼太郎」の頃の方が、風がもっとさびしく、それでいて、なまあたたかい感じもする。

 どういうのかな、風が生きてるっていうのか。。

 僕も実家にいた頃は、すぐ近くが海だったので、学校帰りに寄ったりすると、ほんとさびしい風が吹いていた。

 冬なんか特に。。

 今、東京に暮らしてて、なかなかあの風に会うこことがない。同じ風なのに、、何がちがうのかなと思う。

 たぶん、「あきらめ」がないのだろう。

 どこにいても、屋根や地下鉄、駅やコンビニエンスストアー、他、どこかに入れてしまう。風の中、10分と進まない。

 鬼太郎の風は、吹いてこない。。 


「宝島」'06.9/14

 高円寺の駅を出て、小雨の中、横断歩道を渡ってゆく。

 秋になりかけの雑踏っていうのかな。そして僕はふと「宝島」の事を思っていた。

 そう僕も読んでいない、あの有名な小説の「宝島」。きっと何か、宝を探しにゆく物語なんだろうなぁ。

 そんな少年の夢のような「宝島」の話なんて、僕には関係ないものだと思っていた。

 しかし、しかしだ。僕はまさに今、そんなストーリーの中に住んでいるような気がするのだ。

 もう少年ではないけれど。。

 地図の上、あっちに行ったり、こっちに行ったり、まるで徳川埋蔵金探しのように、ヒントを見つけてゆく。

 噂があれば、あちらに。何か出たといえば、こちらに。無駄のように、掘ってみたり。。

 ここは、高円寺の雑踏ではあるけれど、たぶんストーリーはそんなには変わらない。

 たまたまここに、こうしているというだけで、僕は本気で探しているんだ。

 30年前、日本のフォークを聴き始めて、探そうと思ってから、はるばると今まで。

 あれやこれやの歌さがし。あれやこれやの歌づくり。


「ピックを無くした男」'06.9/11

 昨夜は遅くまで、無くしたピックを探していた。

 明日も早いって言うのに、馬鹿な男。。ピックなんて、帰りにお茶の水の楽器屋で買ってくればいいのに。

 パソコンのあるテーブルから、ピックがパラッと落ちて、下ではねたような音がしたのに、どこにも見つからない。なぜ? と思ってみてもない。

 それは「フェンダー社」の堅さがミディアムの白いピック。もう25年以上、愛用しているピックだ。堅さの中にある柔らかさがなんとも、指と弦とのアタックに自然さがあるピックだ。

 どこの楽器屋に寄っても、フェンダーのミディアムピックは数が少ないので、相当に使っている人が多いピックだと思う。

 他のメーカーのピックもいろいろ使ってみたけれど、やっぱり、フェンダーの白のミディアムピックが、指との一体感がある。

 ・・・・・

 そのピックをいつも、楽器屋に寄るたびに何枚も買ってくるのだけれど、いつのまにか無くなってしまう。たぶん友だちにギターを貸したりするときに、そのまま連れていってしまうケースが多いんだよね。本当に。。あとは楽譜の間に入ってしまうとかね。

 気がつけば、一枚しかなくなっていたりする。しかし、一枚あれば、弾くには問題がない。僕にとってピックとギターの一体感が生まれる。たいがいは二枚くらい、いつも部屋にあるんだよね。

 しかし、昨夜は、最後の一枚が見つからなくなってしまったのだ。あるはずなのに、、なぜかない。他にも、ピックはいろいろ持っているけれど、やっぱりフェンダーの白いミディアムじゃないと、しっくりこない。

 もう夜中の12時を過ぎているのだから、明日、楽器屋に帰りに寄れば済む話なのに、、僕のこころが落ち着かなくなってしまった。こんなことになるなんて自分でも思っていなかった。。テーブルからパラッと落ちたはずなのに、見つからないピック。ああ、夜中のピック探し。あればさ、それで済むんだけれど。。ないんだよね。

 無くしたピックの話で、ここまで長く書くのはどうかと思うけれど、僕は昨夜、はじめて自分にとってのピックの存在の大きさを気が付いたんだよ。

 人それぞれ、小さくて意外なものが、なくなると落ち着かなくなるじゃないかな。。僕にとっては、なじみのピックだったのだ。

 今日は、帰りにお茶の水の楽器屋で、フェンダーピックを5枚も買ってきてしまった。


「はたけとくわとそうさくと」'06.9/7

 実家の裏にも小さな畑があったけれど、僕はほとんど手伝ったことはない。

 カマもクワもあまり使った事もなく、畑での物作りもまったく知らない。

 でも、僕にもきっと唄の創作という畑が裏にあり、そこで何か作ってきたにちがいない。

 作り始めて10年20年と毎年のように豊作だったと言えるだろう。

 そして、ここ10年ほどは思うように創作の作物が出来てくれない。あんなに良く採れていたのに。。

 こんなはずではなかった。予想外のことではある。しかしどうやってこの畑で作ったらいいのか。

 とりあえず、クワを持って畑を耕してみる。それもむやみやたらに、どこここと言うわけでなく。

 まったくあてもなく、ポケットに残っていた種をぱらぱらと蒔いて。

 もらってきた種をぱらぱらと蒔いて。机の引き出しに残っていた種をぱらぱらと蒔いて。。

 何年も何年も耕してきた。マニュアルなどなく。畑の先生もなく、、。

 あるとき、ふと、小さめ芽が出ているのをみる。予感を感じさせる楽しみな芽。

 何ができるんだろう。いつ蒔いた種なのだろう。そんな事を想う。

 町内の人が言う。

 「あら、あの人、またクワを持って、むやみやたらに耕しているわ。。」

 「ほんとだわ。その割に、あんまり生えてこないわね。」

 しかし、僕には予感がする。ほら、あの芽を見てごらん。


「野外ステージのラッパの青年」'06.9/2

 柏崎の街には以前、市営グランドの隣に野外ステージがあり、そこでコンサートやプロレスをやっていた。

 僕の通っていた小・中学のそばでもあり、野外ステージは遊び場や体力訓練の場になっていた。

 そこにあったラッパ吹きの青年の像。海のそばの潮風の中、夕暮れの空にむかってラッパをふいていた青年。

 ギターを弾きはじめた頃の僕は、いつか東京で歌で成功して、この野外ステージで歌うことをラッパの青年と約束したものだった。

 そして僕が東京に出て来てしばらくしたら野外ステージはなくなってしまった。大きな行楽施設ができたのだ。

 あのラッパの青年もいなくなったのか。僕は回りを探したけれどみつけることはできなかった。

 ああ、柏崎市よ。いろんな施設を作るのはいいが、あのラッパの青年はなくしたらだめだ。。

 さてさて、そんな事を思ってから、はや15年。さっき自転車で走っていたら、学校近くの片隅に僕の目を吸い込むように、ラッパの青年の像が見えた。

 そばに行ってみる。何も書かれてないが、たしかにそうだ。

 いつからあったのかな。あれば気付いているなぁ。ありがとうね、柏崎市。

 友達よ、知っているか?


「実家ギターを弾く」'06.9/1

 四ヶ月振りに実家に帰ってきた。裏は川。そして海のすぐ近く。

 帰ってきてすぐする事はいつも実家ギターを出すことだ。高校時代に買って半年だけこちらで弾いたギター。それからはるばる30年。帰ってくるたびに弾いてきた。

 今回もすぐに出して来て弾いてみたのだけれど、今までと丸きりちがう。僕自身がそうとうにギターをうまく弾いているのが自分でもわかった。

 そうなんだよ。二ヶ月前に高いギターを買って、毎日弾き続け、ギターの弾き方もそれにあわせて変えたのだ。音量にボリュームのあるギターなので、無理な力がいらない。ギター自身のパワーと余韻を優先できるのだ。そのため、より細かな表現ができるようになったし、音の流れをうまくつかめるようになった。

 新しいギター用に開発した弾き方だったけれど、他のギターでも大きく、その個性を出せることがわかった。実家ギターを、その弾き方で弾いてみると、いままで聞いた事もないような響きがしたのだ。ああ、30年目にしてやっと実家ギターを弾けた気がした。

 (おっ、うまくなったね)。そんなふうにギターも言っているようだ。

 新しい弾き方は「てんびんばかり奏法」と今回、名付けた。ギターをこちらから弾こうてせず、曲にあわせてギター自身に鳴ってもらうのだ。そのためには、まず、てんびんばかりのようにギターに波長をあわせ、あとはギター自身にまかせるのだ。書道でいえば、書こうとする文字自身の力で筆をすすめるのと似てるかな。

 そのためには自由自在な、やわらかいピッキングが必要。まるで筆先のような。

 実家ギターがどんな音がするか、今回はじめて知った気がした。



「おじさんのギター」'06.8/31

 '70年代フォークブームが来てから、もう30年以上はたった。

 その頃、買ったギターは、どれも30年以上たっていて、枯れた音もそろそろ出てきている頃だ。

 国産の高いギターや、輸入ギターを買った人たちもいただろう。

 そして、その頃に中古で買ったギターなら、なおさらに深い音になっているはずだ。

 30年たち、そんな、おじさんが持っていたギターを息子たちが使う時期にきているだろう。

 おじさんのギター。

 僕らの世代にはなかった素敵な現象。

 そのギターから出てくる30年の音色。余裕のある包み込む音。

 僕らの若い頃は買ったばかりのギターだった。その音色は新しい。それなりに似合っていたけどね。

 でも、使うギターは、おじさんのギターでもいいな。それは実に楽器らしい。

 中古で、何十万も出して買った古いギターでなくて、おじさんのギター。

 そこには、おじさんの味がある。おやじの味がある(これは妙だが・・)。

 歌の歌詞の部分が終わり、エンディングに入り、静かに弾いてゆくとき、

 経験豊富なギターは、軽やかなステップのマラソンランナーのような、力の残り具合を出してくれる。

 (ほら、これで終わりじゃないよ。次の曲もあるんだから、まだまだ。。)と、教えてくれる。


「夜中の映画」'06.8/29

 映画館に行きそびれた映画をDVDで借りた。

 ロマン・ポランスキー監督の「オリバー・ツイスト」。2005年の作品。

 テレビのCMで予告編を見て、映画館にぜったいに行こうと思ったのに、行きそびれてしまっていたのだ。

 ロマン・ポランスキー監督は、「ポランスキーの吸血鬼」を観て以来の大ファンなのだ。

 あれは良かった。ドタバタなのに、たっぷりとした恐怖があり、映像がどのシーンも印象的だった。

 ・・・・

 「オリバー・ツイスト」も、良い事はだいたいわかっていた。DVDを観始めてすぐに、映画館に行かなかった事を後悔した。

 最近のDVDは横長の画面なので、普通のテレビでは、よく小さくなってしまうんだよね。映画館のスクリーンの500分1くらい?

 舞台は19世紀のイギリス。やっぱり小さい画面では、その中に自分が入っていけない。しかしさすがにストーリーが分かりやすく惹きつけられていった。

 夜中に観ていたので、途中で横になったが、それでも最後まで観てしまった。普通は寝てしまうんだけどね。

 やっぱり映画はこうでなくっちゃな。

 僕は夜中にふと付けたテレビの、深夜映画をつい最後まで観てしまうのが好きだ。さすがだと思う。

 なんというのかな。ぜったい良い映画だと予感させるんだよね。場面場面で。。

 スペクタクルも何もないんだけど。

 あと何年かして、テレビの洋画劇場で「オリバー・ツイスト」は出てくるだろう。それからまた10年くらいして、深夜映画に出てくるだろう。

 そこでこそ魅力の出てくる映画のようだ。


「復活ボーイは寝て待て」'06.8/25

 高校の頃、試験勉強のために10日くらいあまり眠らなかった。

 そして試験のあと、ちょうど10日ほど毎日よく眠った。まるで眠らなかった10日を取り戻すように。

 ふつうに考えたら、一日二日よく眠ったら、復活しそうなものだけれど。。

 なぜなのかはわからなかったけれど、それは当然のような気がした。10日分のバトンなのかな。

 ・・・・・

 最近もイベントのために5日くらい寝不足をしたら、復活まで一週間かかった。

 二日くらいは最初によく眠ったんだけどな。。それでも眠かった。体が必要だと言っているように。

 いろいろやらなくてはいけない事もあったけれど、体は横になってしまう。

 その暗い脳裏の向こう、復活ボーイは、まだやっては来ない。

 まだやって来ないので、僕は何もできない。駅まで歩いてみるけれど、それは仮の僕の姿だ。

 外仕事を毎日こなしているけれど、それも仮の僕の姿だ。

 部屋に帰れば、バタンQとなってしまう。暗い脳裏の景色の向こうから、復活ボーイがまだやって来ないからだ。

 彼が来ないと僕は何も本気でできない。

 今頃、ずっと旅をしているんだなと思いながら。こちらの向かっている途中なのだ。

 そして一週間眠った頃、やっと復活ボーイが、景色の向こうにやって来た。

 まるで映画「アラビアのロレンス」のように。

 彼が来たので僕は復活した。


「中学の頃、レコード買い」'06.8/22

 先日、買いそびれていたレコードが再発されたので、驚いて買ってしまった。

 ・・岡林のライブ盤。。

 中学時代、毎月、友達とレコードを一枚ずつ、注文して買っていった。

 地元では売っていないマイナーなレコードを。

 そしてテープに入れて、友達にも渡すのだ。次の月は何を注文しようかと、ひと月の間、カタログを見てはあれこれ考える。

 「俺、高石友也のセカンドにするよ」

 「じゃあ、俺は三上寛のライブだな」

 それはまさに旅だった。友達からもテープをもらい、ひと月の間、一所懸命に聴く。

 自分の買ったレコードも一所懸命に聴く。もうひとつだなと思えたレコードでも、好きになるまで聴いた。

 友達に「いゃあ、これはちょっとね・・」とか、言われると、そのアルバムの良さを探して、友達に伝える。

 だから、中学時代に買ったアルバムはどれも印象深い。フレーズのひとつひとつまで良く覚えている。

 そんな中、買いそびれたレコードがあった。今回買ってきて、聴いてみるけれど、きっと聴くのは10回くらいなものだろう。

 そんなに思い出深くはならないで、、。もしこれが中学時代だったなら、すりきれるほど聴いていたはずなのだ。

 宝物のように、1曲、1曲に身を任せて。。

 30年以上たっても、そのアルバムの良さを、2時間くらい語れただろう。

 中学時代に買うべきだったな、、。どう考えても、その方が良かった。

 岡林のライブ盤。


「郵便局に行ったら」'06.8/20

 ビニールのようなナイロンのような懐かしい匂いがした。

 あの生ギターが多く置いてあった頃の楽器屋の匂い。

 そして新譜が多く置いてある大きなレコード店の匂い。

 今はどちらも、その匂いはあまりしなくなった。

 僕の実家の柏崎の町にあったレコード店は、普通のレコード店で、あの匂いはしなかった。

 電車で1時間離れた長岡の街の大きなレコード店に、中学のとき初めて行った。

 新譜はみな、薄いビニールに包まれていて、いっぱい並んでいた。

 買ったのは井上陽水の「ライブ・もどり道」だった。

 ・・・・

 これはただ懐かしいという話ではないんだ。

 その大きなレコード店の存在感に、僕がとれだけ圧倒された事か。

 小さい頃から、その店の20分の一くらいの店で、レコードを買い、無いものは注文してきたのだ。

 僕が長岡のその店に行ったときの衝撃ときたら、、みんなに想像がつくだろうか。

 そこにあった、あの店のビニールの匂い。その驚きと天国のような感覚。

 実家のある町には、どこにもなかった、大きなレコード店。

 それ以来、大きなレコード店は僕の憧れになった。強力な磁石のような嬉しさで。


「ちょっと時間を戻り」'06.8/17

 今日は一日雨の中にいた。

 快速に乗らずに各駅停車に乗ってゆく。総武線中野行き。ああ、座ってゆける嬉しさよ。

 中野駅で三鷹行きに乗り換えるとき、進行方向のちょっと手前に、立ち食いそば屋が目に入った。

 そういえば今日は、まともに食べていないなぁ。

 電車はもう来ることになっていたが、僕は一本待って、立ち食いそばを食べることにした。

 みんなが電車に乗り込むそのとき。

 流れている時間をちょっと戻り。

 僕はすごく嬉しくなった。たった10メートルほど戻り歩いていっただけだけれど。

 「さつま揚げそば」の食券を買い、中に入る。お客は僕ひとりだ。

 世の中には、いろんな人がいて、宝石箱の中のダイヤや真珠やルビーを眺めては幸せな人もいる。

 そして、そばどんぶりの中のわかめやネギやさつま揚げを、宝石のように眺める人もいる。

 僕にはわかった。ちょっと時間を戻れば良いのだと。僕の好きな話たちも一緒に立ち食いそばを食べていたような気がする。

 話たちはきっとそこにいる。


「今年の夏」'06.8/14

 この数年、夏の暑さにかなりやられてしまった。

 外仕事をしているせいもあるけれど、これでもかというほど晴れていた記憶がある。

 暑かったなぁ。。年々、僕は暑さに弱くなってなってゆくような気がした。

 今年もそれなりに暑い日もあり、みんな暑い暑いと言ったいたけれど、僕にはそうでもなかった。

 「暑い」って言うのは、もっと「暑い」はずだと。。

 それは38度くらいかな。。

 まだ東京は34度くらいだものね。

 毎年、夏ばてぎみだったのに、今年はしっかりとしている。不思議だな。

 友達は、暑くて水分をかなりとっているけれど、僕はそうでもない。

 じりじりとくる太陽の下でも、今年は意外と平気だ。

 たぶん僕が考えるに、ちょっとだけ進化したんだな。

 暑い夏に対応できるように、体も心も。

 今年の夏は、意外と平気だ。


「カポを想う話」'06.8/11

 お茶の水の楽器屋さんからの帰りの電車、僕は買ったばかりのギターのカポを眺めていた。

 そんなことしているのは、たぶん僕だけ。

 えっ、カポって何かって? それはギターのフレットを押さえるのに使うもの。

 ゴム製だったり金属製だったりして、今、このテーブルの目の前に10個ほどあるもの。。

 先日買った一本の古いギターに合う、カポを見つけるために、ここ最近、僕は新しいカポを四つも買った。

 昨日もひとつ、お茶の水で買ってきたのだった。その他にも部屋には、カポは10個ほどはある。

 古いギターは調弦も合いにくく、カポの相性は重要だ。相性のいいカポを見つけられれば最高である。

 さて、目の前にある10個ほどのカポ。そのカポのひとつひとつを、この古いギターにつけてみて相性を見る。

 金属製のカポも正確であるけれど、このギターには'70年代より、カポの名作と呼ばれているダンロップの「ダブルゴムカポ」が一番良いようである。

 つけてみると、実にしっくりくる。このギターも'73年製だしね。。

 '70年代は、調弦もむずかしく弦高の高いギターも多かったであろう。そんな中で名作と呼ばれたゴムカポは、それなりに理由があるばすだ。

 ギターの方もこのダブルゴムカポがつくと、音も合うし、とても嬉しそうだ。まるでもともと、ずっと付いていたかのように。

 ・・・んっ、、。

 それってあるかもしれない。今まで、そんなふうに思ったこともなかったけれど、そのギターと仲の良かったカポがある。

 懐かしい友のようなカポ。だってギターが嬉しそうなんだ。


「最初の曲」'06.8/7

 個人的に思っていることだけれど、みんな、良い曲を最初に作るのではないかということ。

 僕が最初に歌を作ったのは、中1のときだ。そのときはギターも単音でしか弾けなかったし、コードも知らなかった。

 それでも、作ってみたんだよね。何て歌だったかなぁ。ど忘れした。。

 出来上がってみると傑作のような気がして、書けもしないのに、譜面にしたりした。

 たっぷり時間をかけてね。。すごくメロディアアスだったんだよ。ほんと傑作だと思った。教科書にも載るような気がした。

 ・・・最初はね。。

 しばらくして、今度はギターで二曲目・三曲目と作っていったけれど、一曲目のようにメロディアスではないんだよね。

 一年目くらいまでは、一曲目が一番傑作だった。

 森繁久弥さんも、即興で「知床旅情」のもとになる歌を作ったという。

 まあ、それが一曲目だったかはわからないけれど。

 ・・・・

 最初に作る歌は、何ていうのかな。たぶんコードの観念がないんだろうね。僕もそうだったけれど。

 楽器が出来ちゃうと逆に作れない歌やメロディーはあると思う。

 人の数だけ、良い歌ってあるんじゃないかな。まだ歌を作った事のない人はきっと作る。

 森繁さんが即興で作ったように。。


「小さい頃からのこと」'06.8/4

 「アオキ、ちょっと来いや」

 小学校の五年の頃かな、先生は僕を呼んで、一緒に来て欲しいという。

 ・・・・・

 僕は小学校には、ひとつの話が伝わっていた。

 それは学校のどこかに「開かずの扉」があり、そこに古いピアノがあるという。そして夜な夜な青い手赤い手がピアノを弾くというものだった。

 まあ、そんな話があったのは知っていた。

 で、話は戻るが、先生が僕を連れていったのは体育館の中に壁の一部で、壁だと思っていたら、そこは扉だった。中はけっこう広いスペースであり、相当の年数は開けていない様子であった。使わなくなったものの物置だよね。いろんなものが山のように積まれていた。

 先生は僕に、運動会に使う玉入れか何かがあるので、見てきて欲しいという。僕はその物置の中を山登りのように入っていった。

 もしかしたら、ここが「開かずの扉」なのかなと思いながら。。

 そして僕は見た。入口近く、物に積まれて、隠れるようにあった一台のピアノを。そのピアノの鍵盤のちょっと上に糸巻きのようにものがいくつか見え、それがさびた色の青や赤だったのだ。

 (ここだ・・。それも、あのピアノだ・・)

 学校に伝わる話は、半分は本当だったようだ。僕は目撃した人。。

 またあるとき、先生は僕を呼んだ。学校の縁の下でなじみの犬が死んだので、僕に毛を集めてきて欲しいという。

 それはさすがに嫌だったけれど、その犬とは友達だったので、しかたなく引き受けた。

 「アオキ、ちょっと来いや」

 僕は小さい頃から、この言葉とともにあったように思う。妙な用事や場所ばかり。

 先生は僕なら大丈夫と思ったのだろう。将来、エッセイにでも書くだろうと思ったのかもしれない。それは当たった。

 今はすっかり、僕も年となり、そのときの先生よりもきっと年上だ。どの場所にも仲間がいて、まるでそれは教室のよう。

 先生はもういないけれど、あの声の響きの中に僕はいるようだ。

 いや、僕の方があの声の響きとつながっているんだな。


「歌の前に立っている」'06.8/2

 映画のスクリーンの後ろをのぞく少年がいる。

 魔法を使うというおじいさんが、道で転んで謎の袋の中身をばらまいてしまった。

 それはガラクタばかり。。子供たちの驚いたこと。。

 まあ、材料は何であっても、リアルに見せる実力があるのであろう。

 ・・・・

 歌を作っているのは、歌詞とメロディーとリズムというけれど、僕にはそれはひとつの材料に思える。

 歌そのものは、短編の映画のようなものではないか。

 たぶん歌の中には、風が吹いたり陽が照ったりしてて、人が歩いていたら、振り返ったり見上げたりできるはずだ。

 歌詞は歌詞であるけれど、歌詞じゃなくて、メロディーもメロディーだけれど、メロディーではなくてね。

 そこにスクリーンはなくても映画になったり、200ページもある本になったり、そんな無限大のものだ。

 自分で作った歌であっても、その歌の存在はもっと大きく、手の触れられないもののように思える。

 そこはステージであるけれど、地球上のいろんな場所にこれから向かうわけだ。

 そんな気持ちでいつも、歌う前は、歌の前に立っている。


「フォーク少年の歌」'06.7/30

 「久し振りにフォーク少年の歌を聴いたよ」と店のマスターに言われた。

 マスターは、僕よりも年上であり、フォークの老舗のライブハウスを続けている人である。

 「フォーク少年の歌」。そんなふうに言われたことは、今まであるようでなかった。

 たしかにその通りなんだよね。'68〜'77年くらいまでの大フォークブームの頃に、フォークに熱中していたのだ。

 「フォークソングぐるいのバカ息子」とは、海援隊の「母に捧げるバラード」の一節だが、ちょっとそれとはニューアンスが違うんだよね。 

 その昔(?)、フォークが不良若者(?)の音楽だったようなときがある。バンダナとか巻いてね。それは17才〜18才くらいに、ギターを買って歌い始めるというパターンじゃないかな。若者音楽というイメージか。少年ではないんだよね。

 僕らが中学のとき熱中したフォーク歌手は、'60年代の終わりに自分たちで歌い始めたフォーク若者だったと思う。どれだけ中学の僕らを熱中させた事か。

 ギターを買い、そして先輩たちの歌を歌いはじめた。はじめからあった、その歌たち。

 それにどっぷりつかった後で、自分たちでも歌を作り出したフォーク少年の歌。そこにある響きとは。。

 フォークという実家のある故郷で育った少年の歌ではないかな。たぶん、フォークという帰る故郷があるんだろうな。

 「生まれは?」


「マホガニーですか?」'06.7/27

 ギルドF-48。新しいギターでの再出発。

 ライブが終わると、お客さんが僕のところに来て、親指を立てて「グッドだよ」と言った。

 声をかけてくれたそのおじさんに声をかけてみると、ギターがとにかくいい音だったという。

 「マホガニーですか?」「ええ」「マホガニーのいい音してましたねー」

 そうなのだ。僕はその言葉が聞きたかったのだ。

 ギターのボディの材料は、ほとんどの場合、ローズウッドかマホガニー、ときどきあるのが肌色の木のメイプル材だ。

 音は特徴としては、ローズウッドは堅くメリハリのある音、マホガニーは柔らかい音。

 音色はまさに発音どおりかな。「MaHoGaNii」は特に。

 ボリュームがあって高音がきれいで、迫力のあるサウンドのギターなら、ローズウッドでいくらでもある。

 でも、僕はやっぱりマホガニーの音が好きなんだよね。音があったかいというか。。人間的というか。。

 「そのギター、ホントによく鳴りますね」とマスターにも真っ先に言われた。音響の人にも言われた。

 このギターが伝えるのは、きっとマホガニーの音なんだろうな。


「一週間」'06.7/23

 今、世界は一週間で、いろいろ動いているのかな。

 学校の先生は教えてくれなかったけれど、江戸の頃、いやそれ以前の日本には、一週間という感覚はなかったのだろうと思う。

 あったのかもしれないが。。

 たぶん、ひと月単位で、暮らしていたと思う。

 それでね。休みはみんなどうしていたのかなという話。

 どうしていたんだろう?  今なら、日曜という休みがあるけれど。

 疲れたら休んでいたのかな。それとも休みという感覚がなかったのかな。

 先生はそんな事、教えてくれなかった。

 一週間が最初からあって、それがそうだからという事かもしれないが、、

 そうではなく、暮らしていたということを、やっぱり教えてくれなくっちゃ。

 だって、今でも僕はそれがわからないのだから。

 楽しみって何だろうと思う。楽しみって日曜の事なのかな。

 僕はそれをきいてみたい。江戸の人にきいてみたい。


「僕らにできない事」'06.7/21

 夏前の雨の中、自販機にて、ファンタグレープを押してみる。

 でも、僕が小さい頃に飲んでいたファンタグレープと、ちょっと味がちがうんだよね。色もちがう。

 目をつぶってみても、やっぱり小さい頃のことは、よみがえって来ない。僕をもう一度、思い出せないんだ。

 今のファンタグレープが言う。「くやしいけれど、ぼくらには、それはできない」と。

 ・・・・・

 僕も知らない利子(としこ)おばさんが下町に住んでいる。

 今は孫の相手をして、すっかり優しいおばあさんであるが、若い頃は、やんちゃで誰にも止められない女の子であった。

 友達はみな愛情込めて「リコ」って呼んでいた。無理を言っては、みんなを困らせたリコ。

 用があり訪ねてきた古い友達が、あたりまえのように庭先で声をかけた。

 「リコ!!」。

 ・・・・・・

 時間がなくて、駅まで急がなくてはいけないときがある。

 僕は走っているつもりだけれど、実際は早足くらいなんだ。それも休み休み。。

 全速力で、ちゃんと走っていた頃がある。走っていたのは、呼び捨てにされる愛称の名前の僕。

 「おまえ、いつも走ったじゃん」

 ・・・・・・

 呼びかけには、答え方の返事がいつもある。

 昔のファンタは僕を愛称で呼び、そして僕は即座に返事をするだろう。

 しかし今日はファンタの話ではないんだ。いやっ、これはファンタの話かな。

 しかし今日はファンタの話ではないんだ。いやっ、やっぱりファンタの話かな。

 心配な先輩がいる。。今こそ、昔の友が来るべきなんだ。そして名前を呼んで欲しい。

 僕らにできないこともある。


「ギターの試し叩き」'06.7/18

 僕は以前、果物市場でアルバイトをずっとしていた事がある。リンゴとスイカ担当。

 スイカはやっぱり、見た目の色と、叩いてみて中身の良さを想像するんだよね。

 スイカ叩きの秘訣は、一応、マル秘。ただ、軽るーく叩くというのが本当。普通だったら、ぽんぽーんと強く叩くけどね。

 最近、思うのは、楽器を叩く人ってあまりいないなぁという事。

 生ギターなんて、叩くと意外と鳴りの良さがわかるような気がする。

 タイコは叩くだろうけどね。

 僕が最近買ったギターは、音にリバーブが付いてくるので、叩くとわかるような気がする。

 バイオリンもチェロも、ピアノも、、叩くプロがいてもいいのにな。スイカ選びのように。

 それも叩くときは軽るーくね。軽るーく。


「高円寺」'06.7/15

 下北沢が舞台のテレビドラマが始まった。小さな劇団の話だ。

 下北沢の街のいたるところが映り、なんだかとても魅力的な街として描かれている。

 そのドラマを見ていると、僕の住んでいる街「高円寺」の事を思ってしまう。

 高円寺が舞台の同じようなテレビドラマが作れるかな? と。。

 そうなんだよ。。実は僕はいつか、高円寺の街が舞台のテレビの連続ドラマを作りたいなとずっと思っていたんだ。

 ホントに。

 そして全国の青年たちが、「ああ、高円寺に住みたい・・」と、思えるような、そんなドラマを。。

 まあ、主役は劇団員ではなくて、弾き語りシンガー。

 僕がそのドラマの中でいろいろ考えていた事も、今やっている下北沢のドラマの中で、実現されてしまう。。

 あ〜あ。。先、越されちゃったな。

 この2006年。下北沢の方が魅力的なのは、認めざるえないな。

 でも、高円寺には文化がある。歌がある。

 それはよくわかっているのだけれど、、さて、それが今の高円寺で伝えられるかというとちょっと自信がない。


「6時ごろ」'06.7/14

 外仕事から事務所へ自転車で帰る途中、後ろの方でこんな声がきこえた。

 「6時ごろねー」

 それは学校帰りの女子中学生で、たぶんその頃、待ち合わせをするということなのだろう。

 6時ごろか。。

 考えてみれば、毎日、同じような6時ごろを迎えているわけだけれど、みんながそれぞれに、6時ごろを持っているんだよね。

 夕方すぎか。

 7時まえ?

 小学校時代から、中学校時代、そして高校、レコード店員時代、どんなときも、6時ごろはあった。

 6時ごろは、夜の入り口、ライブでいえば開場時間。時計の針が、まっすぐになる時間。

 6時ごろあなたは、いつも、何をしてますか。どこにいるんだろう。

 日本中が6時頃、6時ごろ。


「一人エール」'06.7/11

 ああ、懐かしや。。

 中学時代、部活動のときのエール。

 体育館に部長が円の真ん中に手をついて座り、そして大声を出すのだ。

 「イクゾー」「オー」「いっ中ーーー、ファイト」「オー」「ファイト」「オー」「ファイト」「オー」「アリガトウゴザイマシタ!!」 

 それはもう、ずーーーーと、前の事。

 今では、忘年会の三本締めをしている。ちょっとちがうんだよなー。

 部活動のときのエールなんて、何かスポーツでもしていないとする事もないだろうな。

 でも、僕は思うんだよね。ときどきは、自分にエールをしてみたいと。

 「イクゾー」「オー」「アオキーー、ファイト」「オー」「ファイト」「オー」「ファイト」「オー」

 したって、いいと思う。もしそれが、当たり前とされるなら。 

 駅前で、「一人エール」をする人。通りかかるみんなは、(ああ、ひとりエールやってるな。がんばれよ)と、思う。

 そして、心ある人は、こう声をかける。「一緒に応援していいですか」「えっ、いいんですか」「もちろん!!」

 「名前は?」「アオキです」

 「イクゾー」「オー」「アオキーー、ファイト」「オー」「ファイト」「オー」「ファイト」「オー」

 そして握手。「じゃ、がんぱって」「ありがとうございます!!」

 そんな駅前での光景。。あってもいいのにな。


「アジアの町並み」'06.7/8

 信号待ち。

 商店街のこちらで待っていると、アーケードの続く町並みが見える。

 今は夏。僕は初めて上海に着いたときの事を思い出す。

 なかなか道が渡れなくて、上海の町並みを眺めたものだった。

 ここがアジアか、、と思いながら。。

 東京の商店街も、よく見てみると、やっぱりアジアなんだよね。

 ヨーロッパやアメリカから観光で来た人たちは、十分に東洋的な町並みを感じるだろう。

 僕らにとっては生活に密着した商店街であっても。

 季節、季節のセールをやり、お洒落な英語のネーミングや看板を付けたりしてみても。

 何と言うかな。。家々の庭のガーデニングで、植木鉢がごちゃごちゃと置いてある感じかな。

 すきまには、うまく何か置いてしまおうと感じ。

 どの店もそれなりに片付けられてはあるけれど「漢字」のように、ゴチャゴチャとしている。

 「ひらがな」のようだったら、良かったな。。

 江戸時代までは、ちゃんと日本の町並みだったろう。今はなぜか、アジアの町並み。


「トロピカルドリンクの思い出」'06.7/5

 夏といえば、ちょとだけトロピカルドリンクだ。

 あの独特な、トロピカルな味。。

 いまでこそ、その味は想像できるが、僕が小さい頃は、そんな言葉さえ意味不明だった。

 ああ、あれは、僕が小学5年生の頃。'73 年頃かな。

 近くの酒屋さんに見た事もない、ピンク色の缶ジュースが棚に飾られていた。

 陽に焼けた女性が描かれていて、英語で「HAWAIIAN PIVE」とか書かれていた。(PIVEのつづりは微妙)

 ちょっと太めの缶だったな。350円くらいした。

 そんなドリンクは見たことがなかったし、ドリンク好きな僕は気になってしかたがなかった。

 あるときとうとう、その缶ジュースを買ったのだ。350円かな。家に帰ってきて、缶切りで開けてみた。

 出てきたドリンクは、ピンク色の飲み物で、飲んだ事もない味であった。舌に残る独特な味。。

 今で言う、トロピカルドリンクの味であったが、相当に味は濃かった。

 ドリンク好きな僕でさえ、そのジュースは半分も飲めなかった。値段も高かったので、悔しかった。

 まだ、僕の中に世界に「トロピカルドリンク」がなかった頃。

 とんでもない味として、僕の中に強く残った。何年も何年も。ぜったい忘れないと思った「ハワイアン・ピブ」の名前は。

 今なら、普通に「トロピカルドリンク」と呼ばれているだろうね。ハワイに行けば、売っているかも。

 もう一度、ちょっとだけ飲んでみたい気がする。


「バックパック」'06.7/3

 僕はほとんど毎日、肩掛けカバンで行き来している。

 今日は、たまたま、前に買ったリュック型のバックを背負い、一緒に肩掛けカパンも、ななめにかけてみた。

 リュックの中には、洗濯した物でいっぱいで重い。肩掛けカバンは、横ではなく前に、垂れている。

 (ああ、思い出すなぁ。。バックパックを。)

 ・・バックパックとは、リュックの大きな物で、海外の自由旅行者たちが主に使っている。彼らはパックパッカーとも呼ばれる。

 僕が旅をしていたのは、もう18年くらい前の事。それでも、そのときの気持ちをリアルに思い出す事が出来た。

 駅を降りて、まず空を見上げる。そして、宿探しに向かうのだ。重いパックパックとカバンを二つ下げて、ギターを片手に持って。。

 それは、それなりにいつも重かった。そして僕はずっと、重たそうな顔をして歩いていた。

 あのときの気持ち。忘れられないよ。

 今、こうして歩いている道は、よく知っている通い道ではあるけれど、重いリュックを背負っていると、異国の町のように思えてくる。

 15年以上は、背負っていないパックパック。旅の想いって、これなんだよな。

 体は、旅の記憶をよく覚えていて、空模様を見てみたり、うつむき加減に歩いてみたり、宿の事を思ってみたり、気力をたくわえてみたり。。

 あれから18年もたった。あれから18年たったのは、本当か。

 ・・・ほんとうか? 


「東京」'06.7/1

 僕の中学時代の重要なレパートリーの一曲に、加川良の「東京」という歌がある。

 最近、古いSONG BOOKをひととおり歌っているので「東京」も出てきた。

 〜♪東京の朝、ここにありますと、緑の電車は山手線、草のにおいでも、ふりまくように、落としてゆくのは、ため息ばかり〜

 その頃、僕は新潟の柏崎にいたので、東京の山手線なんて知らない。

 それでも僕は、東京を歌っていたのだった。想像して。。

 〜♪昼も日中の、新宿あたり、歩行者天国蟻地獄、押して押されて、転げ落ち、ほら、軍艦マーチがなっている〜

 新宿にも行った事はないけれど、イメージで歌っていた。

 〜♪あーあ、東京、これが東京、そして東京、ウナセラディ東京〜・・

 この歌はすばらしいギターのベースラインのつながりがあり、僕は得意そうにみんなの前で歌った。

 東京をまるで知っているかのように。。皮肉たっぷりげに僕は歌った。中学生。

 今、またSONG BOOKで「東京」を歌ってみると、この歌を歌っていた中学生の僕に会いたい気分になった。

 「いいぞー。心にじんと来た。もう一回、歌ってくれ!!」

「エッセイ・インデックス今日の夜話」


「今日の夜話・過去ログ'05年3月〜'06年6月」

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