「デイヴ・ヴァン・ロンク in コンサート1980」'06.6/29
デイヴ・ヴァン・ロンクは白人のアメリカのフォーク・ブルースシンガーだ。
'02年に、もう亡くなってしまったけれど。。
'80年に録画された、ライブコンサートのビデオを僕は持っていて、久しぶりに見た。使っている生ギターが、僕の買ったギターと同じメーカーなので、その音色を聞きたかったのだ。
ユニバーシティでのライブ。生ギター一本、60分のライブ。とてもよくビデオが撮られており、ギターテクニックも、その歌う表情もよくわかる。
本当、60分で十分なくらいだ。12曲ほど歌っているかな。かなりいろんな事が伝わってくるライブビデオだ。
晩年のデイヴは、メガネをかけ、どこかの船長さんのようであるが、若い頃? は、恰幅のいい酒飲みのやからのような風貌だった。'80年のビデオは、まだ60年代のデイヴのイメージを残していた。年齢は40代前半。
と、言う事は、'60年の頃はまだ20歳ちょっとだったんだね。嘘みたい。。僕はもう40歳近いかと思っていた。それほど古いフォークやブルースに精通しているように思えたからだ。
・・・・
さて、ライブを見ていると、まさにデイヴは、古いアメリカのフォークシンガーのように見える。しかし、そんな事はない。'60年で、まだ20歳くらいだったのだから。ユニバーシティに聞きに来ているみんなには、デイヴは、ひとりの良き伝承シンガーに映っている事だろう。デイヴもまた、それに答えているようだ。でも、僕から見ると、デイヴの歌は、ほんと、デイヴらしい歌になっていて、古い伝統的な歌でありながら、あきさせない努力があちこちに見られる。
そして恰幅のいいデイヴは、ギターの名プレーヤーでありながら、もうその存在が歌っているように聞こえる。歌が存在と一緒になっているのだ。
古さの中に埋もれているのではなく、すでに歌っている体になっている。歌は生きたまま今にあるのだ。
ユニバーシティに来たデイヴは何を伝えに来たのかな。僕にはそれは、やっぱりフォークソングへの限りない気持ちのように思えた。
コンサートの最後、デイヴは、それまでのフィンガーピッキング奏法ではなく、荒々しい指のストロークでボブ・デイランの「Song to Woody」を、ぶっきらぼうに歌って終わった。バーンとストロークでギターを弾きおろして、デイヴは椅子を立ち、ステージを後にした。ラストの曲を歌った男は、ギターテクニックをつかわなかった。
その姿に、僕は、裸の歌を見た。いままで聞いてきたデイヴの歌のすべてを、黒板消しで、全部消していったようでもあった。そしてそこに伝承的なシンガーの幻が見えた。
それは荒くれ男の歌のようでもあった。それはレコードの音ではない。オブラートで包んだ音ではない。歌手を越えた響きがあった。
そのビデオの視聴は、こちらで少し見られます。(real player 映像)
「シーラカンスの映像」'06.6/27
つい先日ニュースで、生きた化石と呼ばれる「シーラカンス」の海底での映像の撮影した映像を見た。
何を勘違いしたのか、僕はシーラカンスは、もういないものだと思っていた。
インドの博物館で、木彫りのシーラカンスをまじまじと見た事がある。場所はハイデラバードだったかな。
すぐ目の前で見たシーラカンス。・・・木彫りでも迫力あったよ。
シーラカンスの思い出といえば、小さい頃、よく見ていた魚貝の図鑑の中の特別ページに載っていたのをしっかりと憶えている。
「生きた化石」だなんて、、変な言い方。
それからどうまちがったのか、僕の中の記憶は「シーラカンスはほぼ絶滅」というふうにインプットされてしまった。
ちょっと考えれば、それはちがっていたとすぐわかるけれど・・。
そんな中、突然にシーラカンスの生きた映像を見たのだから、僕なりにびっくりしてしまった。
生きていたんだね。
そこにはインターネットもなく、ワールドカップもないだろう。カードローンもなく、SUICAのカードもない。
しかし、海底での映像を見たおかけで、おまえの事をイメージする事ができる。
帰りの電車にゆられているときも。待ち合わせで、なかなか友達が来ないときも。ライブ開始まで、あと10分というときも。
僕はおまえの事を思い出すだろう。おまえの手のようなひれを左右に揺らしている姿を。。
「ライブ時間」'06.6/25
もともとライブ時間なんて、決まり事はなかったんだろうね。祭りと一緒で。
でも、現代ではいろんな事情もあり、ライブ時間というものが、あらかじめ言われる。
そのとおりにゆくのは難しいとしても、時間オーバーは、他の出演者の時間を削る結果になってしまう。それは、さけたいよね。
言われてる時間よりも、少し短めに予定しておくのが礼儀というものだろう。なんだかんだと延びて、結局は時間通りになるものだ。
さて本題。ライブ時間といえば、、。
15分。20分。30分。40分。45分。50分。60分。70分。90分。だいたいこんなものかな。
まるでカセットテープの分数みたい。でも、まさにそんな感じだ。僕らがカセットテープの分数にイメージするものが、そのままライブにもあてはまっているようだ。
まずは、15分。これは簡単。三曲ですね。普通に三曲。
次は20分。これだと4曲歌える。それはふた通りできる。四曲歌うと、意外とトークで時間をとってしまう事が多いので、一曲は、ちょっと短めの歌を選ぶのがいい。それとも三曲にして、ラストの一曲の長めの歌にすることもできる。
問題は30分ライブ。これが難しい。ああ、聞いたなぁと思うような30分にしなくてはいけないからだ。五曲歌えれば、問題はないのだけれど、普通に歌ってゆくと、たいがい5分くらいオーバーしてしまう。でも四曲では、物足りないんだよね。僕の見た、ヴァン・モリスンのビデオでは、立て続けに5曲くらい歌って、それプラス、ラスト2曲でじっくり聞かせていたなぁ。それは特別だとしても、何曲かは続けて歌うしかなくなる。よく見る方法は、前の曲の拍手をもらっているときにもう次の歌のイントロに入ってしまうやり方。それでも30分ライブは難しい。ある程度、曲が決められてしまうからだ。そんなの壊しちゃえばいいんだけど、なかなかそうもできない不思議な30分ライブ。
40分ライブ。これは簡単。30分ライブより10分あるからね。ひとつの長めの話と、それにつながる一曲を入れると、ばっちりかな。
45分ライブ。これはノーマル。ひとつのアルバムを作るような流れで、歌っていけば大丈夫。弦が切れると、困ってしまうけれど。。
50分ライブ。これは余裕ですね。気持ちは45分ライブ。でも、一曲は好きな他の人の歌を歌えたりするな。ずっこけ話もできたりしていい。
さて60分。60分もやりやすい。ストーリー性のある長め歌が入れられる。最初の三曲とラストの三曲は大事で、あとは、けっこう曲をうめる感じでいいな。逆にあんまり決めすぎない方が、歌う方も聞く方も楽なんじゃないかな。
90分。あんまりやった事がないんだよね。僕ならどうするだろう。二枚組のライブアルバムを思い出そう。前半、後半とわけて曲出しないとね。90分は難しいな。疲れないようにするかな。
120分ライブ。未開の地です。まだ語れません。
このライブ時間に関する感想は、あくまで僕の感想ですから。まあ参考程度にしてください。
「公園のギター」'06.6/22
外仕事のアルバイト中、下町の公園のそばを通った。
すると、ベンチから、生ギターをつまびく音が聞こえてきた。演歌だ。それもけっこううまい。
公園の植込み越しにのぞいてみれば、しゃれた帽子をかぶった、おじさんがベンチでフォークギターを弾いていた。
かたわらには、近所のおばあさんが聞いている。
(ああ、、公園から聞こえてきるフォークギターの音って、なんでこんなに良く聞こえるんだろう・・)
どこのメーカーのギターだろうなぁ。。僕は気になってしかたがなくなり、なんとなく近づいてみた。
(ヤマハだ・・。それもサンバースト仕上げ。)
しゃれたハットのおじさんは普通に演歌のギターを弾いているけれど、僕の耳はすっかりその音にとらえられてしまった。
サンバースト仕上げのギターもとても魅力的に見えた。
(ギターっていい音だなぁ。あらためてそう思うよ。)
とか、言う僕ではあるけれど、今朝だってギターを弾いてきたし、昨日だって、おとといだって、ギターを弾いているのだ。
部屋に帰れば、すぐそばに24時間、365日、そばにギターがあるのに。いまさら、驚かなくていいのにな。
僕は公園でギターが弾きたくなった。その音が僕の脳をどうにかしている。なぜ、こんなに惹きつけられるのだろう。
公園のギターは良い音だ。きっとギターだけじゃないな。バイオリンも、マンドリンも、フルートも、良い音に聞こえるだろう。
「歌本」'06.6/19
フォーク全盛の頃、いろんな歌本が出ていたなぁ。
今になって思う事は、もっと買っておけば良かったという事。
いつでもまた買えると思っていたけれど、そうではなかった。
あれはやっぱりブームのなせる技だったんだなぁ。
・・・・
今月に入ってから、いろんな歌を新しいギターで歌っている。
レコードを出してきて、歌詞カードを見ながら歌ってみるけれど、コードを忘れているものも多い。
(ああ、こんなことなら、歌本を買っておけば良かったな・・)
相当にマニアックなシンガーたちの歌本も出ていたんだよなぁ。
そうしたら、いつでも、歌うことができるのになぁ。
歌本は素晴らしい。僕の歌本もいつか作りたいな。
ギター譜も入れてね。
「アパート」'06.6/17
昨日、僕の部屋に遊びに来たお客さんがいた。
その人は、毎月、インタビューをしていて、そうやって家を訪ねてゆくのが楽しみなのだという。
僕の部屋は、台所の他に部屋がふたつあり、真ん中の部屋は来客用に広くしてあるが、奥の六畳は物でいっぱいだ。
それも、ほとんど音楽活動関係のものばかり。本も多いな。以前は六畳に住んでいたので、奥の部屋に住んでいたのだ。
そこはまさに、アパートの部屋だ。物がごちごちゃしていて、好きなポスターやレコードジャケットが飾られてある部屋。
今、友達の部屋に遊びに行くと、結婚している人も多く、きれいにされている所も多い。
普通に生活しているという部屋。
若かった頃、よく友達のアパートに遊びに行き、泊まったりしたものだった。
木造モルタル造りの、四畳半とか六畳とかにみんな住んでいた。今ならワンルームマンションという事か。
僕はそんな友達のアパートを訪ねるのが、本当好きだった。特に初めての部屋は。
途中のお店で飲み物とお菓子を買って行く。
「ここです」と声がかかる。そして鍵を開ける音。
「おじゃましまーす」。物がいろいろ置いてある。ひと部屋のみの友達の部屋。そこに貼ってあるポスターやお気に入りのチラシ、ちょっとした飾り物。
本棚の本。かけてくれる音楽。出してくれる珈琲。そこで話す話。すべてが新鮮であった。
そんなアパートの部屋、もう久しく訪ねていないなぁ。
僕の奥の部屋は、まさにそんなアパートの部屋そのものだ。そこは物置状態で、僕自身ほとんど活用していない。
「手紙がくれたもの」'06.6/14
新しいギターを買ったので、今、いろいろと歌本を出して弾いている。
中学時代によく弾いていたのは岡林信康の歌本だ。よく弾いたという次元ではない。そればかりだったと言ってもいいだろう。
1ページ目から順に弾いてゆくと、あの一曲が出てきた。それは「手紙」だ。放送禁止歌の代表曲とも言われている歌で、詳細については、あまりここでは書かないが、大変に暗い内容である。それでも、とても美しいメロディーで、中学生の僕は感動した。
そしてリパートリーになったのだ。
フィンガーピッキングは、マイナーから始まるアルペジオであり、サビのところでメジャーコードに移ってゆく展開。出だしはAm C Dm E7 。サビは C Em Dm E7 と変わる。懐かしいその展開。本当によくテープレコーダーに録音したものだった。アルペジオの1音1音の強弱にもこだわって録音した。
なぜそんなにも、こだわったのか。。
それはやっぱり、歌詞の内容が中学生の僕には心に深く訴えるものがあるからだった。「差別問題」や「結婚」や「死」もからんでくる内容でもあったし、感情のままで歌ったり演奏したりはできない。なんとか、歌という形にしようと努力する結果が、そうなってしまったのだろう。特にサビのメジャーメロディーに変わるところが微妙だった。
同じような内容の歌に「チューリップのアップリケ」という岡林の歌もあるが、そちらは普通のフィンガーピッキングで大丈夫だった。
「手紙」だけが特別な歌であったのだ。
あれから30年以上たって、今もう一度ギターで「手紙」をアルペジオで弾いてみると、ある大きな事に気がついた。
それは、今の僕のフィンガーピッキングの強弱のテクニックはすべて、この「手紙」から得たものだったのだ。他の歌ではなく、この歌だった。
「手紙」の歌詞のストーリー展開がとても豊かであり、そしてラストフレーズの「それでも私は書きたかった・・」にたどりつく流れ。あきさせないで、最後まで聞かせる変化。感情に伝わるようにするには、1音1音の強弱が大事だった。まるで生きてる歌のように、弾くことが大事だった。
歌のパワーなのかな。放送禁止歌の代表曲になってしまうだけ力とメッセージがあったのだろう。
この歌の演奏するときのいくつかのポイントがある。それは、名曲なのだという予感と、そして、いたわりの心だ。それが表現できないと、だめだと思っていた。
「手紙」という歌がなかったら、僕は今のようなフインガーピッキング演奏は出来てなかっただろう。
「いろいろ弾いてみる」'06.6/12
新しいギターの音色を、今、発見しているところ。
音量のあるギターは、個性豊かな音を出してくれる。
小さく弾いてもいいし、大きく弾いてもいい。真っ平らに弾いてもいいし、でこぼこに弾いてもいい。
(おっ、こんな音もあったのか)と、いろんな音を見つける。ちょっとした弾く場所によっても、変わってくる。
そんなふうにいろんな音を見つけるので、楽曲もまたいろいろ弾いてみる。
いままでと同じように弾いてしまうのは、ギターにとっても悲しい。
知っている曲は何でも弾いてみることが大事だ。一曲一曲、また新しい気持ちと弾き方でね。
そしてだんだんと、新しいギターに慣れてくる。
前と同じように、弾く事は僕には出来ない。そば粉を練るのと似ているかな。
「素晴らしきハーモニカ」'06.6/10
先日、新しいユニットの初ライブがあった。
それぞれの曲を演奏するのだけれど、僕に出来る楽器といえば、ギターかいつもハーモニカだ。
今回やってみて、ハーモニカのすばらしさを実感した。ハーモニカにはそれぞれキーがあり、曲のキーと合わせるだけで、簡単に吹けてしまう。
こんな僕でも、他の楽曲に合わせていけるなんて、信じられないくらいに嬉しい。
ちらっと曲を覚えているだけで、吹けるものね。それも、感情を込めることもできる。
人によっては、ハーモニカに甘えていると言われるかもしれないが。。
こんなふうに、キーを合わせるだけで、一緒にセッションできる楽器は少ない。そのかわり8本くらいは常に必要になる。
いちいちキーごとにハーモニカを変えるめんどうくささはあるが、まあ小さいのでかさばることもない。
他の楽器もこうだったら、もうちょっと簡単にできるかもしれないな。
とは、思う。
僕はそんなにハーモニカがうまく吹けるわけではないが、とりあえず合わせられて、何かしらの形にはできる。
それは難しくなく、実はみんなも出来るんだよね。
他にも、こんな楽器があったらなと思う。しかし数は少ない。もっとあってもいいのに、なぜか少ない。
「道」'06.6/7
さて、僕は新しいギターを買った。とてもよく鳴るギターである。
ただなんとなく買ったわけではない。僕はギターソロの弾き語りアルバムを作ろうと思っているからだ。
それはバンド録音に対してのソロアルバムという形ではなく、弾き語りの良さをバンドと同じ場所までつれていったアルバムにしたい。
ライブもそうだ。バンドと同じくらいの豊かなサウンドを、ギター一本で作りたい。
そのためには、いろんな表情のサウンドが作れるギターでないと出来ないのだ。どうしても、そのためには豊かな低音が必要。
かるーく、かるーく、弾いても、ふわっとして、強く弾いたときと、同じくらいのパワーの出る音のギター。
それは僕のなりたい未来の姿であり、そこには新しいギターが見えている。
ということは、新しく買ったオールドのギターは、僕の未来につながる道なんだよね。
いろんな迷いや、うまくいかないこと、泣きたいときや、へとへとなときがあっても、僕の道は、このギターにある。
それはまちがいない。僕はこのギターについてゆくだろうから。
行くべき道がそこにあるということ。僕はもう何も迷わなくていいのだ。
一本のオールドギターを買ったつもりだったけれど、実はそれは道だったという話。
「俺は頭に来ている。」'06.6/3
なーんてね。これはラーメン屋の話。
とてもお気に入りの美味しいラーメン屋が住んでいる街にある。
オープン当時は、張り紙で『味の自信あり、かならずとりこにしてみせます』との意味合いのことが書かれてあったものだ。
店長さんは、実にいつも気合いが入っていた。大声を出すということではなくてね。
「気」が満ちていたのだ。味もまた、その気迫が感じられるものだった。
どこにもないような味のラーメンであり、あっというまに、雑誌やインターネットでも話題になっていった。
ときには行列が出来ている店であり、いつもスープがなくなり次第、終わりになっていた。
僕は月に一度は通っていた。あの店長さんの「気」をもらいにいっていたのかもねしれない。
しかし、いつしか弟子というか、見習いというか、その人が店を任されるようになった。
今日も入ったら、なんと厨房に四人もいた。確実に見習いと思われる人もいた。
店長はいない。四人はそれぞれに一所懸命やっているのだけれど、見ていると「気」が満ちていない。
出てくるラーメンは、同じ味であるけれど、どうも僕にも、その「気」が感じられない。
ぼんやりとした味に思えてしまう。実際は同じかもしれないけれど。
だんだん自信がついてきて、やがては自信たっぷりのラーメンが出てくるんだろうか。
「ノートの響き・ノートのにおい」'06.6/1
いつからだろう。歌の創作ノートが、歌詞そのままになったのは。
先日、聞いた弾き語りライブでは、歌詞が心象日記風であった。
ノートにそのまま書いていったのかなぁ。そしてギターでメロディーを乗せて、、。
僕も若い頃は、そんなふうにノートに書いた感情のような歌詞を、そのまま歌っていたがある。
そこにはノートの響きがある。ノートのにおいがある。
ステージから流れてくる歌に、ノートの時間が重なって見えてくるようだ。
それは何か、集中した、柱時計がコチコチと聞こえるような、ぬるくなったコーヒーがかたわらにあるような、
そんな時間ではないか。
いつからだろう。僕がそんなノートの時間を無くしてしまったのは。
ここ10年くらいは、直接、歌詞を書いてゆくが多い。
ノートには書いているけれど、それはメモに近い。書き留める歌詞という感じだ。
メロディーに歌詞を乗せてゆく作業。それはもちろん、それでよい。
若い頃、僕は最初にノートに向かった。こころのままに書いていった。そんな時間がある。
そこにあったノートのにおい。歌の中にもそのにおいがあった。
いつからだろう。僕の創作ノートが、歌詞そのままになったのは。
「接着剤」'06.5/29
僕の心は崩れてしまった。
ふいとした事で。
しかし、明日は元気にしているだろう。
今はそっと静かにして、心がくっつくのを待つ。
急がずに、もうちょっともうちょっとと。
思い出すのは、木工用の接着剤。
あれは、待たねばならない。途中で、試したりしてはいけない。
そっと、そっと固まるのを待つのだ。
思い出すのは、小さい頃に作った、アイスシャービック。
何度も冷凍室をのぞいては、固まっていないか確かめたものだった。
あれも待たねばならない。やがて徐々に固まってくるだろう。
ハートだって同じ事だ。今僕は静かに、もとに戻るのを待っている。
「古い声」'06.5/26
古い声だなんて、マスターに怒られちゃうかな。
ちょっとした企画があり、マスターといろいろと話すことになった。
マスターと言っても、それは数限りなくあるけれど、'70年代最初からジャズ喫茶、そしてライブハウスをやっているマスターだ。
「では、6月8日にいつにするか決めようか、よろしくー」
いつも企画は僕の方からばかり頼んでいるのだが、今回はマスターからの企画。
その声の響きの中に僕は、なぜか'70年代最初の響きを聞いた。
ぜんぜん自分でも、何をここで書いているか、もうひとつはっきりしていないのだが書いてみよう。
・・・・
ライブハウスにも、誕生の流れがあったような気がする。
その昔、'60年代は「歌声喫茶」なるものがブームだった頃があると、本や話でよく知っていた。
率先して唄う人がいて、小さな歌本を片手に、愛唱歌をみんなで歌うのだ。カラオケとも違う。。若者文化のひとつの形かな。
'80年代最初、僕は「歌声喫茶」に連れていってもらった事がある。老舗中の老舗のその店。いわゆる名曲を、心から、お腹から唄う店。
僕は照れてなかなかうまく歌えなかったけれど、その店の持っている雰囲気と空気はよく伝わった。
店で話される言葉使いは、昭和30年代40年代の日本映画の中で話されるような、はっきりとしていて丁寧な話し方のようではなく、もうちょっとラフな感じであった。自由さがある響き。しかし、ライブハウスよりは丁寧な受け答え・・。微妙だ・・。
「歌声喫茶」はみんなで唄う場所でもあるが、'60年代終わりくらいからそれは、弾き語りや生演奏喫茶に流れが移ったのではないか。
(僕はその頃は、まだホント子供なので、その辺の流れはよくわからないのだが・・)
「弾き語り喫茶」は、だんだんと「ライブハウス」という形態の店になっていったのだと思う。(それは'73年頃かな・・)
僕が東京に出てきた'80年頃は、もう「ライブハウス」文化は確立されていた。システム的には、オーディションの日もあり、みんな自由にライブをしていた。
ほぼ今と一緒。
・・・・
昨日、電話で聞いたマスターからの企画の声は「一緒に何かやろう」という響きがあった。
それは、'70年代最初のようだと思った。ライブハウスが始まった頃も、こうではなかったか。
「10才」'06.5/25
10才と書いて天才と読む。
そんなふうに思ったのはやっぱり10才になったときだったかな。
このことは何度も書いているけれど、10才ってもうかなりしっかりしていると思う。
大人とはいえないけれど、ちゃんと物事を考えられる年齢だ。
自分の事を思い出してみると、小学二年と三年では、まるでちがっている。
三年になった時、馬鹿な事もいっぱいしたけれど、思考力をフルに使って分析もしていた。
人生の事もいっぱい考えていたし、感情の事も考えていた。
どうなったなら、こうなって、こうなったら、ああなるとか、探偵のように思考していた。
絵の事、音楽の事、アートの事、その世界の深さの事も認識していた。
物事には、見える世界と見えない世界があり、不思議な事はいくらでも起こるものだと確信していた。
どんなに難しい話も、理解しようといつもしていた。自分なりにわかったつもりでもいた。
そんな10才のとき。今の僕とほとんど変わっていない。10才のとき、突然に自分を発見したのだ。
だから10才からの事はエッセイでいくらでも書ける。そのときと同じ気持ちの流れで。
・・・・
街で小学生の低学年のみんなと会うとき、僕はいつもこう思ってしまう。
(あと二年、10才になったら大人になるから。突然に何でもわかるから)と。
「60テイク自宅録音」'06.5/22
友達より、聞きたいと頼まれた歌を自宅で録音することにした。
弾き慣れたフィンガーピッキングの曲。でも、まあ、3テイクくらいかな。
録音機をRECにして弾き始める。まずタイトルを入れてからね。
最初の2テイクくらいは何事もないように録音。
こんなもんかなーと、ラジカセで再生してみると、フィンガーピッキングのアレンジのアイデアが湧いてしまう。
そしてまた録音。完全に出来るもんだと思っているけれど、とちってしまう。くそー!!
テイクを重ねるうちに、指も慣れてきて、完璧に録音。
「カンセー!!」
そう思ってまた、聞き直してみると、妙に歌に力が入っている事が判明。
これではだめだと、今度は歌の力を抜いて録音。録音機もちょっと離してね。
今度こそ完璧と、歌い終わろうとすると、外でアナウンスの車が通る。
「こわれた黒色カラーテレビ、パソコン、アンプなどございましたら、お気軽に・・」
人が録音してるというのに。。なんだよ!!
気持ちを落ち着けるためにコーヒーでも飲もうとお湯を沸かす。
その間にも、ワンテイク。
(おっ、いい感じ。いい感じじゃん。これはベストテイク)と、思っているとお湯が沸いてしまう。
くそーっ!! いったい何テイクとれば、いいんだ。もう60テイクくらい録ってるぜー。
まあまあ、、その怒らずに、、コーヒーでも飲んで、もうワンテイクを。。
「良いギター」'06.5/20
ギターの音色って、予想を超えるな。。
先日、ライブハウスにて、欲しいと思っていたメーカーのアコースティックギターの演奏を十分に聞いた。
低音も高音にも伸びがあり、しなやかで柔らかく、それでいてワイルドな音を作り出していた。
まさに、高級ギター。老舗の有名メーカーの名に恥じない音量とサウンドであった。
素晴らしきギター職人が作り上げた傑作とも言っていいな。
でも、ライブで聞いていると、音が良すぎるんだよね。いかにも高級ギターという感じで。
まさに30万円のギターの音がしている。
僕が残念に思うのは、ギターの音に値段が感じられるということだ。
高級レストランの食事みたい。これはオーバーか。
ぜいたくな希望かもしれないが、値段のつかない、いや、もともと値段の付かないギターの音であって欲しいのだ。
そこらの土や山や海のように。その姿は自然が作り出したものであって欲しい。
ギブソンのギターは、実にそんな感じだなぁ。音の中に、すきまが感じられる。
マーチンのギターは、制服みたいなもので、それはそれで、弾き手が前面に出てくる良さがある。
良いギターは、どこか少しだけ芋くささを残している。それが大事だと知った。
「パンの響き」'06.5/18
お昼前に思い出す言葉がある。
「さあ、パン買ってくるかな」だ。
学生時代はお昼はパンだけでも、なんとかなったけれど、
やっぱりパンだけだと一食としては、どこかもの足りない。
そんなパンの響き。
「ご飯」という言葉には「ランチ」というカタカナがある。
でも「パン」は、「パン」のままだ。日本語の呼び名はたぶん「パン」しかないだろう。
中国ならば、なんとか漢字をあてはめているかな。どんな漢字だろう。「分麗土」?
「パン」の響きは、とても軽く、なんてシンプルなのだろうと思う。僕らにとってとても重要な存在であるのに。。
(「ブレッド」なら、重さを感じるけれど。。)
しかし一食としたら、やっぱり物足りない。
小腹なんて、どこにあるのかわからないが、小腹がへったときにはちょうどいい友だ。
「機械の復活」'06.5/15
現代は機械生活と言ってもいいだろう。
毎日電源の入る機械もあるが、ときどきしか使わない機械もある。
僕の長い経験から、機械は冬に壊れやすい。冬に電源を入れるときは要注意だ。
「あれーっ、こわれちゃったよ」
原因は不明、前は大丈夫だったのに、突然にだめになってしまう。
そして修理に出すこともある。
まあ、ずっと電源が入ってなかったしね。急に動けといっても、無理かもしれない。
しかし、あたたかいときに使っていたら、普通に使えていたのではないかと思える。
また、壊れたとあきらめた機械も、春には復活しているのではないか。
実際、友達のシンセサイザーは冬にだめになったが、奇跡的に直っていた。もう買い換えると決めていたのに。
もうだめだと思っていても、いつしか復活している機械。
そのときならば、ツアーも出来るだろう。武道館コンサートも出来るだろう。
シンセサイザーの日記帳にまた新しいページが加わるだろう。
寒くなると、まただめになってしまい、壊れていることにはちがいないのだが。
しかし、夏には何ごともなかったかのように復活している。
それも完全復活。修理屋に出しても異常なしで帰ってくるだろう。
元気に走り回る犬っころのように。
「二曲目のフィンガーピッキング」'06.5/12
団扇の風にも、すきまがある。
馬の一団が走り過ぎていったあとに、そっと出てくる軒下の猫もいる。
・・・・
ボブ・ディランのセカンドアルバム『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』の一曲目は「風に吹かれて」。
そして二曲目で、甘くはじけるようなフィンガーピッキングの「北国の少女」へと進む。
アルバム全体で考えても、二曲目のそのフィンガーピッキングは、ひとつの反転する世界を作り出している。
映画の画面の中の主役と、そこにいる物売りのように。
一曲目は、アルバムでもライブでも、表の顔というか、ある程度の印象の強さを持って、心地よく過ぎてゆく歌だ。
ライブでは、待ち焦がれた時間とともに、大きな拍手が鳴るであろう。
その拍手が鳴り終わらないくらいのときに、二曲目のフィンガーピッキングの曲が始まる。
まるで昔ながらの語りべのように。
その曲は、ぼやーっと始まり、ラストには不思議に心地よい感動がある歌であった方がいい。
地味ながらも隠れた名曲と言われる歌がいい。
サイモンとガーファンクルには「木の葉は緑」という素晴らしく印象的なフィンガーピッキングの曲がある。
アルバム「ライブ・フロム・ニューヨーク・シティ、1967」の中では二曲目に歌われる。
ジャンソン・ブラウンにも「ソロ・アコースティック vol.1」という弾き語りライブアルバムがある。
その二曲目はNicoによって歌われた「These Days」という、よく知られたフィンガーピッキングの曲だ。
そんな二曲目のフィンガーピッキング。
・・・・・
僕にも最近、やっと一曲、フィンガーピッキングの良い歌が生まれた。
ライブでは、好んで二曲目に歌っている。実にそれが気持ちいい。
最初はよくわからない気持ちで聞いていても、だんだんと伝わってゆくのがわかる。
僕は本当に嬉しいんだ。二曲目のフィンガーピッキングの歌が自分のレパートリーにあることが。
「物語の中」'06.5/9
先日、久しぶりにホールに芝居を観に出かけた。スタインベックの「怒りの葡萄」。
砂嵐におそわれたオクラホマから、実り多きカルフォルニアに仕事を求めて移動する避難民と呼ばれるみんなの話。
しかし、仕事があるはずのカルフォルニアに着いてみると。。
「怒りの葡萄」の主役は、仮出所中で帰って来たトム・ジョードという男だ。
ウディ・ガスリーの歌には「怒りの葡萄」のストーリーを歌った「トム・ジョードの歌」「続・トム・ジョードの歌」という長い歌がある。
その長いふたつの歌を、僕も若い頃、ストリートで約200回くらい歌った。自分なりに一所懸命に。
充分に伝わっていると信じて。
その歌っていたトム・ジョードが、今ステージで話している。とてもリアルに、まるで本当のトム・ジョードであるかのように。
他の登場人物のみんなも、感情そのままに話かけてくる。そう、劇は物語の中なんだよね。そのストーリーの先には、感動的なラストも待っている。
劇に引き込まれていった僕は、最後には、実際の人物のように思えてきてしまった。そこから発せられる言葉と感情のリアルさ。
怒ったり、泣いたり、笑ったり、暴れたり。。僕は歌の中で、そんなふうには伝えられなかった。やっぱり物語を語るふうに歌っていたんだ。
それはそれなりに楽しく、素晴らしい表現だ。もちろん比べることはできない。ただ、やっぱり自分が物語の外にいたんだなと思った。
それぞれの役を演じた人たち自身が、もう物語そのものになっているんだな。
「ちょっとだけのさすらい人」'06.5/6
まだ連休中。
今回は友達のライブに行ったりはしたけれど、ほとんど部屋にいたり、町に出かけたくらいであった。
10年くらい前であったなら、お昼前くらいに出かけて、ちょっと遠出をしたものだ。
ほとんどが中央線を高尾方面に乗ってゆく。たいがいは立川乗り換えで拝島方面に向かう。
どこか知らない小さな駅で降りる。ただぷらぷら歩くだけのために。名所案内のような立て看板を見つけて、とりあえずそこを目指す。
まあ、その前に腹ごしらえで、どこかのそば屋にでも入る。たいがいは山菜そばかな。そのあと中くらいの国道みたいな道を行く。
ほんとに行けるのかなとか思いながら。道はあっているのかとか思いながら。もう通り過ぎたんじゃないかと思いながら。
(・・ああ、ここだ。。)
そこは小さな神社であったり。大きな樹であったり。立て看板であったり。
駅の方向はだいたいわかるので、そこからはちょっと道を外れてゆく。ただの道や普通の家しかないところを。
だいたい90分くらいかな。途中で飲む自販機のファンタグレープが美味いこと。。
さて夕暮れ近く、家々の灯りがつくちょっと前、僕は帰り道に向かう。犬とかに吠えられながら。
ちょっとだけのさすらい人のように。
けっこう遠くまで歩いてきたので、無事に駅にたどりつけるかどうかは不明だ。
途中にバス停があり、これぞラッキーと、そこで待つことにする。たいがいは隣の駅行きだ。
一時間に二本くらいのバス。そこにある小さなベンチ。なかなか来ないバスに不安になって時計を確かめる。
24時間表示と12時間表示を勘違いしてないかね。やがてくるバス。ドアの開く音。
僕は後ろのシート席ではなく、いつも右前のちょっと後ろに座る。
「高価なギター」'06.5/4
昨日、アコースティックギターマガジンを買った。
今回はボブ・ディランの特集もあり、なじみぶかいギターが多く登場してきた。
ここ最近、すっかり僕はアコースティックギターに気持ちがとりつかれている。中古で欲しかった高価なギター(19万円)があったのだが、いろいろ考えた結果、今のギターを使おうと決めたのだった。まず最初に、そのギターを買うだけの経済力が今なかったという理由もあるが。。
19万円だなんて、高級ギターの中では相当に安い値段である。ちょっとがんばれば買える値段だ。若い頃なら、買うことに悩みはしなかっただろう。
・・・・・
よくお宝鑑定番組で、「たまたまこの掛け軸をお礼にいただいたんです」とか言う話をきく。そんなふうに、高級ギターも、ひょんなことから、自分のところに巡ってこないかなと思う。それはありそうな話なのだけれど、なかなかない。
(パソコンを譲り受けるという話は、よくあるのだけれど。。)
輸入ものの高級アコースティックギターといえば、新品でたいがい30万円以上はするし、中古で20万円くらいだとしても、それを譲り受けるなんてちょっと考えられない。激安値段で買うということも、ないような気がする。
結局、みんな自分で若い頃に買った数本の高級ギターを使うんじゃないかな。一本目は必需品、二本目からは贅沢品として。
ここで思うのは、欲しい高級ギターはいくらでもあるし、それぞれの音についてよく知っていたとしても、実際に持つことは難しいということだ。普通に持っている人で、二・三本であろう。ずっとそれを使うんだ。
どんなに高級ギターが好きであっても、僕のところに高級ギターが巡ってくるなんて、夢で終わるだろう。5万円くらいのギターでも、ただでもらうということはない。譲り受けるといえば、3万円くらいのギターまでかな。
ギター弾きはみーんな、高級ギターを持っている。僕だってそうだ。僕がそのギターを誰かに譲らないように、誰も譲ってはくれない。考えてみればそうだ。だから逆を言えば、高級ギターを持っていない素晴らしいミュージシャンも、自分で買わない限り、いつまでも今のギターを使うことになるだろう。妙な話だけれど、たぶんまちがいない。
ライブやテレビで観る高級ギター。アルバムジャケットに写っているギター。あれ、みーんな自分で買ったんだろう。交換ということはあるかな。もらったという人はきっといない。
・・・・・
しかしこれは、第一ギター世代の話であることに、ここまできて気がついた。第二ギター世代の子供たちは、親や、親戚のおじさんもらうという可能性があるわけだ。可能性どころか、必然的にそうなってしまうだろう。
もしかしたらこれが、高価なギターが巡ってこない最大の理由なのかもしれない。
「出番」'06.4/22
春になった。もう冬物のコートでなくてもいい。
服のかけてあるところから、春のジャンパーを探す。意外と服持ちなんだけれど、ずっと前に買ったものも多い。
「あっ、これにしよう」
手にとったジャンパーは数年前に下町の倉庫のバーゲンセールで、500円か1000円で、とりあえず買ったものだ。
深緑色で、ちょっと変わったボタンのついた僕好みの服。いままで一回くらいしか着たことがなかった服。
着て出かけてみると、これが実に今の気分にぴったりなのだった。
(おかしいなあ、こんなにいい服だったっけ・・)
一度は着てみて、そんなに似合わないと思った記憶がある。服を買ったときは、冬だったのかもしれないが。。
そのジャンパーを着ていると、ちょっとだけ未来への予感がする。たぶんこの春は、この服を着るだろう。
僕はよく、新しい服やかばんや靴から、気持ちをやり直したり始めたりすることが多い。
なりたい自分が着ている服を、僕はかつて買っておいたのだ。この不思議さ。
「歌と会うところ」'06.4/20
雨の降る日はパワーダウンしてしまう。。
こんな日は、サイモン&ガーファンクルの歌う「ボクサー」が聞きたい。
このことは何度か書いているけれど、いつも寄る立ち食いそばやさんのラジオから、ある雨の日の朝に流れてきたことがあった。
そのときは、すべての条件がそろって、すばらしく歌が心に届いた。選曲の良さが出たラジオだった。
今日もまた雨が降っていて、気持ちは「ボクサー」が聞きたいが、アルバムを出して曲をセレクトすることはなかなか出来ないものだ。
やっぱり、偶然のように、町のどこかで聞きたい。
特にそこが立ち食いそばやさんでなくてもかまわないが。。
そうやって聞きたい歌、会いたい歌がある。待ち合わせはできないが、どこかで会える歌。
その歌は、僕だけではなく、みんなに何かパワーをくれる歌。
僕らの町のどこかで漂い、流れている歌。
もちろん、この部屋のCDの棚にもそのアルバムはある。
手を伸ばせば、その歌のクレジットを見ることができるだろう。
「たぶん玄関先に落ちている」'06.4/18
電車に乗っていると、持ってきたはずの時計がないのに気がついた。
たしかにポケットに入れてきたはずなのだが・・。
どこに置いてきたんだろう・・。
いままでもこういうことはあった。そのたびにいろいろ心配したものだが、時計もICレコーダーも、玄関先に落ちていた。
ポケットの中にはドアの鍵があり、それを出すと同時にポケットに入れておいたものも落ちてしまうのだ。
単純な話。そして玄関先に落ちているものは、そうなくならない。夕方までそこに落ちていることが多い。
前にICレコーダーをなくしたときは、相当にがっかりして、絶対に見つからないと確信していたのに、玄関先に落ちていた。
あれやこれや、どこにいったか心配もできるが、たいがいは玄関先に落ちている。
と、信じて帰ってくる。そこになかったらアウト。あればラッキー。
今回の時計は、玄関先にはなかった。、がっかりしてドアをあけると、そこにあった。
「ハーモニカの場所」'06.4/15
実家にあるのは高校時代に買ったギター。
こうしていつもの生活からはなれて、遠くに来てみると、なをいっそうギターが自分に必要だとわかる。ただポロポロと弾いているだけだけれど・・。
ギターケースに一緒に入っているのは、使いものにならないゴムの伸びたカポタスト、そして、やっぱり高校時代に買ったハーモニカと、少しさびているハーモニカホルダー。今回、ふとした思いからハーモニカをギターと一緒に吹いてみた。そう27年も前のトンボのやつ。
懐かしいその音。。ギターを弾きながらハーモニカはいつまでも吹くことができる。シンプルにね。
こうして久し振りに実家でギターと一緒にハーモニカを吹いてみたら、実に今の気分と場所にぴったりと来ることがわかった。
このざらざらっとした響きぐあい。。
きっと世界中どこの場所、いつの時代でも、このブルースハープはしっくり来る響きを出してくれるだろう。
もしかしたら、ブルースハープの響きっていうのは、時間が過ぎていないのではないかなぁ。だって高校時代の音がしてるもの。
僕はこの気持ちと世界をハーモニカで表そうとしているけれど、本当はハーモニカの時間と場所に入っているのかもしれない。
「名前を呼びにいった」'06.4/12
僕の実家の近所では、小学生に上がる子供も、年々少なくなってきているという。
町内でも、ひとりくらいらしい。
今年入学式の子供がいるが、小学校まで一人で歩いてゆくのかな。
思い出すのは、僕が小さかった頃のこと。近所の同級生の家に、学校のある日はいつも、朝に尋ねていた。
「しょーちゃん!!」「うーえきくん!!」
玄関で名前を呼んだのだ。
僕らはいつのまにか、玄関で、「こんにちは」や「ごめんください」と声をかけている。
でも、小さかった頃は、朝に名前を呼んで、何年も何年も同じ友達と一緒に学校に行ったのだ。
前の日に僕らはケンカしたかもしれない。それでも、名前を呼びにいった。
それは、なんて心に近かったんだろうと思う。
今の僕らだって、本当はそうできるはずなのだ。「ごめんください」ではなくて。。
名前を呼ぶ。そしていつも、返ってくる言葉があった。
「ちょっと、まっててーね」か、「いま、ゆーくよ」だ。
たぶん僕らは、その響きをすっかり忘れている。
「土曜の午後とカムカム果汁」'06.4/10中央線、高円寺の総武線ホームにJRのドリンク自販機がある。
その中に「私のビタミンC〜カムカム果汁入り〜」という、小さめの缶ドリンクがある。
アセロラよりもちょっとすっぱい感じかな。炭酸入り。僕はこのドリンクが好きだ。
なんと言っても「私のビタミンC」というネーミングが、自分にぴったりとくる感じである。
僕はどこかにのんびりと出かけるとき、必ずこのドリンクをホームで飲む。ビタミンCの補給を兼ねて。
それは晴れている土曜の午後が多い。
すっぱいこのカムカム果汁を飲んでいると、いつも広々とした土曜の午後を感じる。さて、これから出かけるのだ。
好きなことを思いながら、総武線に乗り込む。各駅停車しかない土曜の高円寺。
時間はたっぷりとあって、良い天気でもある。ものすごく幸せではないか。
その幸せの時間は、いつも「私のビタミンC〜カムカム果汁入り〜」から始まる。
このドリンクを飲んでいるときの僕の幸せな気持ちが君に伝わるだろうか。
それにしてもこの「私のビタミンC」というネーミングを考えた人はさすがだ。
「マスターの言った名言」'06.4/7
とある荻窪のライブハウス。
たいがいはまあ、適当な時間になったら、「じゃあ、そろそろマスターやります」と言ってステージに向かう。
しかし、その日はゲストもあったりして、8時10分になったら始めようと思っていたのだ。時間厳守で。
僕の時計を見ると、もうすぐ8時10分になろうとしていた。
「あっ、やばいマスターやります」と言いながら、マスターの横の時計を見ると、まだ8時5分。
「あれーっ」と、言いながら、僕の携帯電話の時間を見ると、それよりも進んでいる。
「どれが本当なんだ?」と言うと、マスターは笑いながら、こう答えた。
「時計はみんなそれぞれちがうから。」
「改札口のなぜ?」'06.4/4
久し振りに降りた駅が改装されて新しくなっていたりする事がある。
そんな時、改札を出る前に、(あれ、降りる駅を間違えたかな)と、思うことはないか。
たとえばさー。「おおくぼ」と「おぎくぼ」って、ひと文字ちがいじゃん。
さて、僕は改札の前にいる。もし降りる駅を間違えたら、もちろん改札を出てはいけない。
しかし、しかし、その改札の前で、ここが何駅なのか判断できるものがひとつも見つからないのだ。
たぶん、駅の外側には大きく駅名は書いてあるだろう。しかし改札のところではヒントがない。
(まいったなー) 。結局、またエスカレーターでホームに戻り、ここが何駅なのか確かめる。
あってるじゃーん!!
改札の外が改装されて判断できなくなってしまったのだ。
僕が住んでいるのは中央線であるけれど、改装された新しい駅は、どれも同じようになってしまった。
似ているんだよねー。改札口から外の街並みが見えれば、また判断は変わってはくるけれど。
なんだよー。何で駅名が書いてないんだよー。
と、心で叫びながら、またホームに戻ってゆく僕の姿。
しかし、駅名がすぐわかるようにどこかに書いてあるかもしれない。
また何かの判断基準で、ここが何駅かわかるようになっているのかもしれない。
「ここに書いてあるじゃーん」。なんて言われたりして。
「花見の遺伝子」'06.4/1
今日は良い天気だったので、近くの公園までお花見にでかけた。
途中のコンビニエンスストアーで、とりあえずビールでも買ってと、、。
本当は「お団子」を買いたかったけれど、いかにもという感じだったので、やめて例の「イカの姿揚げ」にした。
(普通のにしようか、辛いのにしようか・・。花見だし、、ここはノーマルなイカの姿揚げにしておこう。)
あと、助六寿司ね。
そして公園に来て、桜の下で僕はひとり、お花見をした。ビールをあけ、助六寿司をいただく。
江戸時代のお花見にも助六寿司や、イカの姿揚げはあったかもしれない。ビールはなかったかな。
人はいろいろ生まれ変わるという話も聞くけれど、お花見に関しては遺伝子レベルの話かもしれない。
僕が毎年お花見に出かけているように、ずーーーと昔から、それは受け継がれているような気がする。
お花見には、ビールが一般的ではあるけれど、遺伝子レベルで考えると、日本酒だろうな。
前世の記憶というより、遺伝子の記憶で、そう思えた。
桜は日本古来の樹だということは知っているが、花見の習慣はいつからあるのか。太古の時代からやっているような気がする。
さて、イカの姿揚げ。ほんとは、辛いのが食べたかった。でも、その昔、お花見でイカの姿揚げを食べていたとしたら、辛くはなかったはずだ。
・・可能性は高い。かな。遺伝子レベルで、僕がそう感じたのだ。
「ニューバーグのある街」'06.3/30
「さて、ハンバーグを食べるかー。」
杉並区高円寺を語るとき、どうしても外せないのは「ニューバーグ」であろう。
'70年代最初にはもう高円寺にあったというニューバーグ。その魅力はなんと言っても満足感だ。今でも500円の日替わりサービスメニューで、まるで贅沢者になったような気がしてくる。高円寺に縁のあるアーティストたちが、若い頃に通ったという話はよく聞く。僕もまた20年前から通っている一人だ。
この2006年、高円寺にニューバーグは仲通り店の一軒と、庚申通りに支店の「マッシュ」がある。しかしつい数年前までは、北口のあずま通りの入口に1号店があった。ああ、懐かしい1号店。話によれば35年以上はやっていたという。お店のおじさんとオシャレなおばちゃんは、高円寺をながーく見ている大先輩のようだった。
入口のドアは古いバーのような引き戸で、中は芸術的とも思われる、ゆるいカーブのついたカウンターがあった。'70年代の雰囲気もあったし、どこかジャズ喫茶のような大人の空気も漂っていた。
昔ながらの券売機があり、そのすぐ上の道に面した窓ガラスに、手描きの花の絵が描かれてあった。ステンドグラスのように綺麗なその光り。それがなんとも店の古さをいつも物語っていた。小さな白い灰皿には、独特な自由な線で描かれたイラストがついていて、(たしか野原で横笛を吹いている人だったかな・・)、それも味があった。
20年前、最初に入ったときから1号店に感じたことは、このカウンターの席に高円寺の若者がお腹をすかして座り、創作に仕事に勉強に、ハンバーグの力をもらっていただろうということ。たとえ日々の生活が苦しくなったって、ここに来れば精神的に助けられたはずだ。
なんだか、そこにはひとつの川のような流れがあった。ずっと前から続いているひとつの流れ。ああ、僕らの日々にハンバーグあり。僕らの街にニューバーグあり。
もちろん今も、ニューバーグは仲通りにあるので嬉しい限りだ。そこにもまたストーリーと、古くからの多くのファンがいる。
「食堂のテレビ」'06.3/27
午後1時を過ぎたくらいの食堂はすいている。
時間的に余裕がある外仕事なので、お昼ちょうどはさけて入るのだ。先日も入ってみると、お客さんは僕を入れて三人。
その食堂には、大きなテレビが真ん中にあり、その日は高校野球をやっていた。僕はテレビの画面の大きさと映りのリアルさを惚れ惚れと見ていた。
すると、後ろにいた20代後半くらいのメガネのサラリーマン風の兄さんが、なにやら食堂のおばあさんに声をかけていた。
「・・ああ、いいですよ」
お兄さんは、テレビのそばにあったリモコンを手にとった。
(もしや、チャンネルを変えるつもり?)
僕はまあ、かまわないけれど、もう一人のおじさんは、楽しそうに高校野球を見ている。今だって見ている。
(きみ、やばいよ。ひとこと声をかけないと。きみが他のチャンネルを見たいというのはわかる。
でも、今見ている人だって、このチャンネルを見たいと思っているんだ。野球の試合の途中で突然にチャンネルを変えられるのは、きついんじゃないか?)
チャンネルはリモコンのボタンひとつで変わってしまった。NHKの連続小説ではなく、民放のメロドラマ小説だ。
(あぁ、あのおじさんは、どうするんだろう。。)
おじさんは、まったくチャンネルが変わったことを気にする様子もなく、同じようにテレビを見ながら食事をしている。
メガネのお兄さんは、これぞ幸せという顔をしてテレビを見ている。
(良かった。。何も起こらなくて・・)
もともと、おじさんは高校野球が見たかったわけじゃなかったのかもしれないな。僕がそうであるように、おかずのひとつのにように、テレビを見ていたりするのだ。
不思議だったのは、そんなに腹も立たなかったということ。そういうものかもしれない。
「西遊記・1」'06.3/23
最近またテレビで西遊記をやってましたね。
僕が高校時代にも、初代(?)西遊記をやっていて、かなりテレビに釘付けになってみたものです。
時は変わって、今回もまた新しい世代のみんなの中に、それなりに旅心のあるドラマが伝わっていたと思います。
それは良いことだ。
もう終わってしまったことかもしれないが、僕は思う。ぜひ西遊記をテレビでやるときは、現地ロケを一回はやると良かったと。
現地ロケをやっていたと仮定して想いを巡らしてみる。
シルクロードと重なった道を行く、三蔵法師の一行。ちょっと離れた所で、露店を出している兄ちゃんがそれを見る。
「おっ、変なものが来たぞ」
お茶を飲んでいる噂好きの男が話す。「どうも、三蔵法師らしいよ。天竺に向かっているんだって。。」「へぇー」
辺りは暮れそうな夕日が差している。
それからまた10年後。。同じように弟子たちつれた三蔵の一行が、現地ロケで、またそこを通る。
ちょっと離れたところの露店のおじさんが言う。「おい、変なものが来たよ。あれ、10年前にも来たよなぁ。知ってるよ。三蔵法師だってなぁ・・」
(まあ、同じ場所を通るとは限りませんが・・)
でも、その昔、本当に玄奘三蔵が向かったことは確かなので、気持ち的にはリアルなものを感じるであろう。それでいい。
西遊記をテレビでやるのは、日本だけではないだろう。映画も作られるかもしれない。10年おきくらいに繰り返される、現地ロケ。
ちょっと離れたところの露店のじいさんが、懐かしそうに言う。「おっ、また来たよ。。」
「七つの椅子」'06.3/20
よくわからないたとえで、ごめん。
浅草に行ったときによく見かけるけれど、ほら、店先で焼けたせんべいをひっくり返すのを、見たことがあるかい?
なんだかみごとなテクニックで、ひっくり返るよね。そんなふうに表も裏も焼けたとき、ひとつのものは、ひとつのものになるような気がするのさ。
何かのきっかけで。
僕は小学校三年まで、ほんとぼんやりとした子どもだったんだ。それまで撮ったどの写真を見ても、いつも斜め下を見ている写真ばっかり。
いつだって、嬉しいことや悲しいことや、泣きたいことも多くあったはずなんだ。でも僕が突然に活発な子どもになったのは10才のとき。
洋楽のヒットシングル盤に夢中になってからのこと。それは、本当、僕の感情を動かした。
リズムとメロディーと、それぞれの曲のイメージが、僕の何かをしっかりとつかんだ。
さびしげな歌、おおらかな歌、メロディアスな歌、歌い上げる歌、叫ぶ歌、オシャレな歌、、etc。
よくはわからないけれど、たぶん人のハートの中には七つの椅子があり、それぞれの椅子に象徴的なものが座るときが来る。
いままで心のままにしてきた感情が、ひとつの形として見えてくるとき、僕らはきっと、ひとりの自分が出来てくるようだ。
それは焼けたせいべいがひっくり返るとき。
出来上がりの棚に乗せられるのだ。はねあがるように。
僕は、江戸川乱歩の探偵小説も好きだった。「妖怪人間ベム」も好きだった。しかし、それは僕の感情を焼き付けたりはしなかった。
「猫目小僧」の漫画には、かなり心は動いた。
七つの椅子に座るみんなはキャラクターが必要だ。インドの神様や七福神のように。僕の場合、その椅子に洋楽ヒットポップスが座った。
友達によっては、プロレスラーが座ったかもしれない。漫画の登場人物たちが座ったかもしれない。
君のきっかけは、何だったのだろう。。
10才のとき、僕のエンジンは動いた。洋楽ヒットポップスのサウンドとともに。
「大ロシア」'06.3/16
・・・ああ懐かしい「ロシアパン」。
これは僕の記憶の中の話。
何度かエッセイにも書いているはずだけれど、またここによみがえってしまった。
おとといの事だ。街のストアーで「ヤマザキ」の新しい包装の「ロシアパン」を買って食べた。
いままでも「ロシアパン」として出ていていだが、僕が小さい頃に食べた「ロシアパン」とは違う感じがしていたのだ。
「大ロシア」としても出ていた。。今回食べた、新しい包装の「ロシアパン」は、ほぼ完璧に昔に食べたロシアパンの味がした。パンの味も上についている砂糖のように甘い部分も、まったく同じだ。
ただ、大きさが違うだけで。。
僕は思ったのだ、小さい頃によく食べていた、幻のようなあの大きな「大ロシア」のパンは「 ヤマザキ製パン」のものだったのではないかと。
・・・・・
記憶を辿ればこうだ。たぶん、僕が小4の頃、'71年頃。オフクロがよく、「大ロシア」のパンを買ってきてくれた。それは本当に大きかったのだ。食べきれないないほどの大きさ。60センチくらいかな。とにかく、オフクロの買い物袋から大きい外に出ていたのだ。
(なんて、巨大なんだろう・・・)
値段はいくらだったかな。120円だったような気がする。。いつもお腹いっばい食べたので、その味は忘れられない。
小6になった頃だったと思う。'72から'73年頃、その「大ロシア」のパンはひとまわり小さくなった。(と、思う)。
(あれーっ、小さくなったなんて、ロシアパンじゃないよー)
そんな寂しい想いをした。しかし、もしかしたら、僕の体が大きくなっせいかもしれない。それは謎だ。
40センチくらいだったかな。それでも普通のパンよりも大きかった。
幻のように大きかった「大ロシア」は、ほんとに幻となった。
中学、高校と出ていたかもしれないが、「ロシアパン」を見ることはなかった。あんなに好きだったロシアパンは、記憶の中にしまわれた。
とっても大きかった「大ロシア」として。。
・・・・
それから、また20年くらいしてから、街のストアーで「ロシアパン」は復活していた。「ヤマザキ」から出ていたのだ。大きさは25センチくらい。それでも大きめだよね。僕はこう思った。
(昔、みんなよく食べていた「大ロシア」のイメージを、もらったんだろうなぁ。)と。
そのうち「大ロシア」というのも出た。
(大ロシアだなんて、同じネーミングじゃないか。しかしこれが「大ロシア」だと思われるのは、いやだなぁ・・。もっと大きかったのだから。)
しかし、おととい僕の考えは一変した。小さい頃、食べたロシアパンとそっくりな「ヤマザキ」の新しい包装の「ロシアパン」を食べて。
(もしかしたら、小さい頃、食べていたのは「ヤマザキ」の「ロシアパン」だったかもしれない。。)
もしそうだとしたら、そこには、せつないストーリーがありそうだ。
長い話になってしまった。謎は謎のままではあるが。
そのうち「復活!! '70年、大ロシア」というの、出ないかな。
「ちょっとした事」'06.3/13
教えてもらわないとわからない、ちょっとした事がある。
たとえば、カセットテープをまいているセロファンのはがし方。あれは、端っこと、残りと分けられるけれど、
大きい方にななめに切ってゆくと、きれいはがれる。端っこの方を、はがしてしまうと、ひと苦労してしまう。
CDケースの開け方だって、左手の指でケースの上下を押し気味にして、下のケース真ん中を引くと、すっと開くけれど、
上下の手前はしっこを押さなければ、なかなか開かない。
・・・そんなこと、今ではどこにも書いてない。
LPレコード盤のひっくり返し方は、両方の手のひらの真ん中に盤のはしっこを合わせて、くるっと回転させる。
レコードに慣れている人なら、それは簡単に出来るけれど、初めての人ならば、どうやってA面からB面にするか、悩むであろう。
ノック式のペンだって、書いている状態から、後ろをノックして、また書く持ち方にするのは、ちょっとしたマジシャンのような指の動きが必要だ。
初めての人は両手を使うかもしれない。
僕もよく、友達に「こうすれば簡単じゃん」と言われ、「あっ、そうか!!」と言うことがある。
「発明工夫」'06.3/9
夏休みが終わると、宿題だった「発明工夫」を発表しなくちゃね。
今、僕らにはなかなか、その宿題が出されない。それは失敗だったね。
国民行事にすれば、みんな楽しいだろうに。
・・・・
小学校5年のときだったかな。夏休みが明けて、僕は「発明工夫」を発表しに持っていった。
自信を持って堂々と。
それは、一口サイズおにぎりケースである。12個入り。
おにぎりも小さければ、食べやすいだろうに。
僕は教室で先生の前にその発明を持っていった。
机の上に置いたのは、ただの卵ケース、ふたつ。
「何だこれ?」
「ひとくちサイズのおにぎりケースです。誰の家にもあるケースです」
「こんなの発明じゃない!!」「えーっ、大発明です!!」
先生はまったく相手にしてくれなかった。そんな思い出。
たしかに、僕は家から卵ケースを持ってきただけかもしれないが、アイデアはアイデア、発明工夫ではないか。
いや、、工夫ではなかったかな。
しかし、ケースをそのまま使うところが素晴らしくなかったか。
先生は僕をたしなめ、アイデアを評価してはくれなかった。
「とんかつ屋」'06.3/5
昨日、下北沢を昼に散策し、商店街のはずれで、一軒の小さなとんかつ屋に入った。
とんかつ定食680円。
入ってみると、けっこう古くからやっている店で、カウンターと、テーブルがみっつほどである。
ご主人と奥さんのいつものパターン。
馴染みのお客さんが何人か来てて、テレビではNHKの大河ドラマをやっていた。
カウンターに座り、注文。
最近は散策する街で、とんかつ屋に入る事が多くなった。以前は中華屋が多かった。
中華屋もなかなか人間味があるけれど、とんかつ屋には、こだわりを感じる。
実すはよくわからないので、こだわりを感じるものを感じる。
昨日入った店では、テレビでNHKの大河ドラマをやっていて、馴染みのお客さんがのめり込んで見ていた。
あの人、60才くらいかな。ご主人も奥さんも、楽しそうに見ている。
小田信長とか出てくる。戦国時代の話。
僕はまったくと言っていいほど、NHKの大河ドラマを見ない。
しかし、ここでは、そのすべてがわくわくさせているドラマになっていた。
馴染みのお客さんは、次の展開を話している。そんなとんかつ屋。
テレビの下には物置の台があり、その台を小さなウルトラマンが支えていた。
お客さんが帰るたびに、主人が「どうもー」と声をかける。
僕はその声が好きだ。これだけ楽しめて680円は安いなと思う。
「さびしいときー」'06.3/3
アルバイト先からの帰りの総武線に30分ほど乗る。
今日はとてもとても、疲れていたので、うとうととしてしまった。
何もかも、なんだかさびしい気分で。
たぶん相当に疲れが出てきていたのだろう。
総武線の電車に乗っていても、ガタンゴトンの音は耳に聞こえてくる。
その電車の音の続きのいつかに、僕は強力に寂しかった日があるらしい。
記憶のどこかで、電車の音が寂しいかったときと結びついているのがわかった。
わかったけれども、それはいったい何時だったのか。
それが思い出せない。
実家のある田舎から、東京に出てくるときに聞いたのか。
アジア旅行をしていたときに、中国の寝台列車で聞いた音か。
北海道の果ての雪の景色の中を走ったときに聞いた音か。
それが、わからない。
ただ、その電車の音が、僕をものすごく寂しくさせた。
絶望的な気持ちにもなった。
こんなに寂しい音を僕はいつ聞いたのだろう。