青木タカオ「ちょっくら・おん・まい・でいず」

「今日の夜話」過去ログ'04.11〜'05.1月

「わっかがふたつ」'05.1/30

 ほら、縁日とかで売っていた、ボールペンをわっかに差してくるくる回して図形を描くやつ。

 おぼえているだろうか。

 それがふたつ。ふたつのわっかをゆっくりと回す。

 今、新曲の創作をしているが、一日のうちに、何度か、ふたつのわっかが組み合って創作できるのだ。

 そのときにギターを持ち、カセットテープを録音状態にする。そして唄うのだ。

 時間がくるとまた、その時間から外れ、お茶を飲んだりテレビを観たり。。

 そのうちまた、ふたつのわっかは同調し、僕はギターを手にとる。

 「集中していっきに作っちゃえばいいじゃないか」

 と、言う人もいるかもしれないが、そのときでないと、うまく集中できないのだ。

 相撲の立ち会いみたいなものか。

 新曲を創作していないときは、ふたつのわっかの同調時間はやっては来ない。

 その同調時間は、日に何度かあり、だいたい28分くらいで終わる。。


「霧の中」'05.1/28

 毎日出かけるときに、詩集を一冊持ってゆくようにしている。

 それが今年続けようと思っていることだ。

 詩集の本棚があり、そこから選んでゆくのだけれど、昨日は何を思ったか「ヘッセ」を選んだ。

 僕がその文庫本を買ったのは、もう25年も前の話。

 とりあえず詩を読もうと、本屋さんの文庫本コーナーにあったものを集めていったのだ。

 「ヘッセ」というと、なぜか文学少女が読むようなイメージがあった。

 詩集と言えば「ヘッセ」という小さな常識も、いつかの昔にはあったのだ。

 買ってからもう25年もたっているので、文庫本も焼けて、いい色と、香ばしい匂いになっている。

 ヘッセには「霧の中」という有名な詩があるが、18才頃の僕にはこの詩がわかっていたのだろうか。

 あれから25年ほどたち、本も古くなり、僕も古くなり、25年前に眺めた同じページをもう一度読んでいる。

 「ヘッセなんてもう古いなぁ・・」と思っていたけれど、その古さがよみがえる日というものがあるんだな。

 僕は文学青年のような時間を、朝の電車の中で過ごした。


「誰かの朝にちがいない」'05.1/26

 冬の朝、ホームまで来てみると陽がきれいに登りかけていた。

 ここ最近の僕は寝不足も重なり、足下もふらふら、、。

 いろんな問題の解決にはほど遠く、今日だって明日だって同じことだ。

 そして電車に乗り込み、ドアのガラス窓から、暖かそうな陽を見た。

 ・・あの太陽には、見覚えがある。

 いつかの遠足の日、すっきりと晴れていた朝に見た太陽だ。

 あの嬉しさを覚えているか。

 また今朝は、誰かの新しい朝にちがいない。

 誓いのような、始まりのような、そんな朝。

 靴をはく玄関に満ちる光と、一日の始まり。

 かつて僕もそんな朝にいたことがある。

 今日の僕がどんな心であろうと、君から始まっているのだ。

 生まれよ、生まれよ。

 (水筒は持ったか? 手帖は買ったか?)

 電車は走ってゆく。あの日の玄関のような光の中を。


「先生たちの話」'05.1/21

 僕は面白い話を聴くのが好きだ。

 思い返してみると、中学の時、すごい面白い話をする先生がいた。

 社会の先生だったかな。たとえばこんな話。

 ・・22才のとき、私はホームに立っていた。こっちのホームに来る列車に乗れば、ある仕事に。反対のホームに来る列車に乗れば、教員になるということだった。そして、私は反対ホームの列車に乗り、先生になって、ここにいるとわけだ・・。

 45分の授業の内、半分以上は話してたかな。授業なんて、そっちのけで。。

 他にも、雪山で遭難して、山小屋を訪ねたときの話とかすごかった。

 想像するに、先生たちの生き甲斐は、授業からは横道にそれた人生話を、僕らに伝えることではなかったか。

 こうして40年くらいたっても、よく憶えている先生たちの話。

 一年しか一緒になれない担当の先生の、伝えたい話たち。そのときの先生の話の輝きと言ったら・・。

 今は学業優先のような風潮があって、先生が無駄話をしているのは、ちょっと困りものと言われるかもしれない。

 しかしだ。きっと先生たちは、いくつかの無駄話を授業中に話すために、日々、頑張っているのだろう。

 憶えているよ。あの話。あの話。

 僕は面白い話を聴くのが好きだ。

 ああ、先生に幸あれ。


 「ごん助の話」'05.1/17

 満員電車のドア付近。

 ホームに着いて、ドアが開くと必然的に外に押し出されてしまう。

 しかしドア付近にいながらも、ぜったい降りようとしない人がいる。

 僕はその人のことを最近「ごん助」と呼んでいる。

 「ごん助」の由来はまったく不明である。僕がそう思ったという事だ。

 ごん助はぜったいに降りてたまるものかと、ふんばってみる。

 しかし、たいがいは押し出されてホームに出てしまう。

 いつもどおりなんとかなると思ってしまうのだ。

 そんな「ごん助」。「ごん助」の「ごん」って何だろう?

 「ごんだくれ」の「ごん」か? 

 (ごんだくれとは 大阪の下町の言葉で、暴れん坊とかいう意味らしい・・)

 満員電車でドアが開くと、たいがい一人は「ごん助」がいる。

 (ああ、いたいた。ごん助だ。気持ちはわかるけど無理だよ。。)

 僕の中だけで盛り上がってる「ごん助」話。


「エンディング奏法」'05.1/15

 演奏していれば、歌の終わりが来る。

 ♪じゃーん。♪じゃじゃじゃーんじゃーん。♪じゃじゃじゃーん・・・じゃん。

 まあ、そんなにバリエーションがあるわけではないけれど、「なんとなくこんな感じで終わり」という感じの終わりかたで落ち着くのだろう。

 僕が一番影響を受けているのは、ボブ・ディランの初期弾き語りで使われていた、「適当風、しょぼしょぼエンディング」だ。

 まあ、昭和の歌謡曲ならぜったい考えられない。まるで手抜きのようなエンディング。

 それは・・こんな感じか。。

 「まあ、いつまでもこの曲を唄うこともできるんですけどね、この辺で終わりにしましょう。ばか騒ぎふうの歌だったかもしれません。こんなふうに歌いましたけど、10年後に同じで気持ちでいるかはわかりませんし、嬉しいことも終わってみればその分さびしいといこともあるじゃないですか。それが人生、それが歌ということで、また会いましょう。。」

 友達と会い、さんざん盛り上がった最後、駅の改札で実に軽く「じゃあ。」と手を振ることがあるようなものかな。

 それが似合っているエンディングがある。「♪じゃーん」だけが終わりの印ではない。

 エンディングは表現の中でも、一番奇妙な部類に入る。

 映画の終わり、小説の終わり、一日の終わり、鉛筆の終わり、、。

 終わらない終わりも終わりである。

 ・・・・

 余談だが、ボブ・ディランはエンディングもけっこう適当だけれど、歌に入るまえにも何かギターをポロポロと奏でていることが多い。

 それがきっと自然なのだろう。その事に対しての名称がない。「歌前ポロポロ」とでも名付けておくかな。


「みんなのうた」'05.1/12

 ベータのビデオレコーダーをやっと修理に出した。

 それで、昔のベータのビデオテープを久し振りに見てみた。その中にあったNHK「みんなのうた」の5曲。

 '89年頃、ふと見たNHKの「みんなのうた」にはまってしまったのだ。

 それは「秋物語」という歌だった、歌は尾崎紀世彦、イラストレーションは古川タク。

 歌とイラストレーションが本当に一致していて、イマジネーションも豊かで僕好みの色あいだった。

 録画して何度も何度も見てしまった。そのうち他の「みんなのうた」の作品もお気に入りが出てきた。

 そしてお気に入りをビデオに残したのは'89年。それから何度も何度も見たビデオ。

 あれから15年ほどたって、もう一度見ても、やっぱり良い。

 音楽も映像も越えて、ちがう存在になってしまっているようだ。

 15年前、また始まっていなかったいろんな物語。その頃の気持ちへの懐かしさもあるのだろう。

 もうDVDに焼いてしまった。。

 イラストレーション付きの歌っていいな。これだけアニメ文化も進んでいるのだから、

 どのテレビ局でも、もっと「みんなのうた」を作るべきだな。

 年末には「みんなのうた」大賞があるといいな。


「悪魔くんの帰り道」'05.1/7

 両国の江戸東京博物館でやってる「大(Oh) 水木しげる展」を見に行った。

 水木しげるの作品といえば「ゲゲゲの鬼太郎」が有名だけれど、僕の中では「悪魔くん」の存在が大きい。

 僕の人生を戻りたどってゆくと、「悪魔くん」と「猫目小僧」(楳図かずお)から始まっている気がしている。

 そして小さかった頃は、妖魔の出てくる世界に住んでいるつもりだったのだ。

 水木しげる展では、怪談話が当たり前のように語られ、その世界の大きさに改めて驚かされた。

 「みんな、ほんとうですよ」。そう、水木さんの声が聞こえてくるようだった。

 現実に追われ、僕はすっかり妖魔の世界から遠くなっていたのだ。

 駅へと向かう帰り道、僕はなんだか泣きそうになった。

 僕はいったいどこに帰るというんだろう。そしてなぜ、帰ろうとしてるんだろう。

 今日見た漫画のどの場面にも、かつて僕はいたはずなのに。。

 (そんなのあるわけないよ・・)と、自分に言ってしまったのだ。

 大きくなった悪魔くん。

 君はいったいどこに帰るというの?

 その絵の中からやって来たっていうのに。。

 そこから生まれてきたっていうのに。。


「時間を愛してみようかな」'05.1/5

 僕の部屋には柱時計がある。

 午後8時。柱時計と夜8時。。

 そこにどう関係があるかはわからないが、なんとも重厚な、お菓子で言ったら、まるでカステラのような充実した時間帯である。

 夜7時台も、また味がある。お菓子で言ったら、カップに入ったデザートかな。

 夜6時台も愛しいな。。

 僕らは毎日毎日こうして、それぞれの時間を暮らしていながら、12ヶ月のように味わっていないのではないか。

 もっと時間に個性を持たせれば、それぞれの時間も長く感じるのではないか。

 (たしかに時間にも昔ながらの名前はあるけれど。。)

 時間に名前の付く世の中を待っていたら、あと500年くらいかかりそうなので、

 自分で付けて、自分の人生を豊かにしてゆくしかないかもしれない。

 えーっと。じゃあ、名前でも付けてみるかな。

 基本的には24コ、考えないとね。

 朝5時台・・「こっけの時」。朝7時台・・「さったさらさの時」

 午後2時台・・「たっちゃの時」。午後6時台・・「ほーの時」

 夜8時台・・「でんでの時」。夜10時台・・「ざんざの時」

 自分でも何を書いてるなんだか、さっぱりわからなくなってしまった。

 でもまあ、それでもいいかな。自分の時間なんだし。


「本の未来」'05.1/3

 最近、いたるところで本屋さんがなくなっている。

 みんなの本ばなれか・・。

 インターネット時代というせいもあるのだろう。

 しかし僕は思う。あと10年もしないうちに、またもう一度本は復活するだろうと。。

 今ももちろんあるけれど、もっとシンプルな統一規格による「電子ブックス」が登場するだろう。

 こんなにみんながホームページを作っているのだから、本にしたいという人も多く出て来てるはずなのだ。

 しかし本を出版するのはあまりに高い。どんなに安くても高い。

 それも作りすぎたら怖い。怖いけれど、出版したい。

 そこで、こういう案はどうだろう。

 まず、統一規格で、「電子ブックの再生器」と「電子ブックス」のソフトを作る。

 (先駆けとして・・Macより「i-book」が登場・・)

 ・・軽く・・落としても大丈夫で・・そして持ちやすく・・

 そして僕たちもまた、作ることの出来るソフト。

 まるでDPEサービスのように、紙の本にするサービスを充実させる。

 (一冊500円から1000円程度)

 現在のカメラ屋さんが、受付窓口となる。

 いいじゃないか。そうなって欲しい。

 (複製問題はあるけれど・・)


「読書の年」'05.1/1

 新年になりました。

 今年は「読書の年」にしよう。

 年末に素晴らしき本を5冊買いました。

 いろんな国の詩集を集めた本なのですが、たぶん読むのに、一冊50時間くらいかかりそうです。

 でも、今をのがしたらきっとずっと読めないような気がするのだ。

 本はきっと、買ったときに読まないとだめなんでしょうね。

 その5冊を読み終えた頃、僕はきっと読書中毒になっていて、その勢いでどんどん部屋にある本を読んでしまうのです。

 言葉を洪水のように頭に入れて、脳を柔らかくしないとね。

 そしてまた若い脳になりたいな。


「探し物」12/30

 昨日から、探しているものがあるが、どうしても見つからない。

 この部屋のどこかにあると思うのだけれど、それがわからない。

 この忙しい年末に、探し物をするなんて。。

 もし、きちんと部屋が整理されてあるとしても、きっと探し物はなくならないだろう。

 もし、きちんと整理されているとしたら、なおさら見つからないかもしれない。

 この部屋のどこかに必ずあるはずだとは思うけれど、いったいどこなんだろう。

 それが見つかる可能性は高いとは思うけれど、さて、いったいどこにあるんだろう。

 このまま、探し続けてもいいと思うけれど、さて、どれくらい時間がかかるだろう。

 でも、どうしても必要なので、僕はきっと探しあてる。

 自分がかつて、しまった所を。

 どうしても見つからなかったらどうしよう。

 「なくなった」

 いや、なくなっていないのだ。


「ジャイアントコーンよ、復活せよ」12/28

 2005年、おまえは復活してくれるだろうか。

 ジャイアントコーンといえば、ふたつあるらしいが、今回はもちろんグリコのアイスの方である。

 銭湯に行った際、よくアイスを買ってしまう。それは、ジャイアントコーンであることが多い。

 なぜ、僕はジャイアントコーンを買ってしまうのか。必ずガッカリするというのに。。

 僕には、はっきりとした記憶がないのだが、ジャアントコーンはたしかに小さくなっているはずだ。

 しかし、僕自身も小さかったので、いまひとつ確信がない・・。

 そして僕の記憶が確かなら、アイスの上に乗っているチョコが、紙の三角にそって端の部分がとがっていたはずなのだ。

 うまく言えないが、それがジャイアントの印だった。

 うまく言えないが、他のコーンアイスにくらべ、三角頭の包みの分、ジャイアントだったじゃないか。

 あの三角にとがった部分のチョコ・・。

 今、売られているジャアントコーンは、その「チョコ三角とがり」がなくなってしまった。

 (それじゃあ、ジャイアントコーンじゃないぜ!!)と、心が叫ぶ。

 それももしかしたら本体のアイスの方まで、小さくなっているかもしれないなんて。。

 小学生時代、どれだけ僕がジャイアントコーンが好きだったか。。

 グリコは、新製品を出し続けてはいるけれど、何か大事なものを忘れている。

 僕は今も、ジャイアントコーンが昔のように復活するのを信じて、買い続けているひとりなんだ。

 その願いは、きっと僕だけじゃない。

 ジャイアントコーン自身の願いでもあるだろう。


「世界からのプレゼント」12/26

 クリスマスの日、駅前まで出かけてみました。

 サンタに変装した若い女性やヤング男が、ティッシュを配っている。そんなクリスマスの街。

 街はクリスマス気分で盛り上がっているが、今日の僕は予定はなし。

 外は寒く、こんな日はコートのポケットに手を入れて、帽子とマフラーでのんびりと歩くのが、似合っているようです。

 駅前まで来た理由は、古本屋さんに寄る予定があったから。久し振りに欲しい本があるのだ。

 古本屋さんに寄るなんて、ホント久し振り・・。

 英米文学や詩が多く置いてある高架下の一軒の古本屋さんに寄ってみた。もしかしたら探している本があるかもしれない。

 探している本は見つからなかったが、思いもかけない本が数冊見つかった。もう手に入らないとあきらめていた本ばかりだ。

 これはこれはラッキーだった。

 片手にナイロン袋を下げて、僕は南口商店街にある古本屋さんにも向かった。

 なんとなく、探している本が今日は見つかるような気がしたのだ。

 クリスマスラッキー。

 まるで世界からのプレゼントのように。

 商店街を下りながら僕は思った。

 (今日は贈り物を待つ日ではあるけれど、こうして古本屋さんに出かけてみると、、

 そこにもうプレゼントが用意されてあるのかもしれない・・)

 23日頃、サンタは古本屋をまわっていたようだ。

 「これ、よろしく!!」と。


「BOSE・101マジック」12/24

 これで何回目だろう。以前こんなことがあった。

 地下一階にあるCD屋さんに階段で降りてゆくとき、とてもいい音でサックスが鳴っていたのだ。

 (ふーん、今、生演奏やっているんだな・・)

 そして地下の店に来てみると、サックスの生演奏はやっていなく、天井の隅から小さなスピーカーが鳴っていただけだった。

 (ああ、、BOSEの101だ・・)

 スピーカーの有名メーカー「BOSE」の傑作スピーカー「101」は、小さいながらも良い音がする。僕はびっくりした。

 まさにそこで、サックスが鳴っているようだったのだ。

 僕の部屋には、その「101」と同じスピーカーがある。(もうちょっと高級だが。。まだお金に余裕があった頃、買ったものだ)

 ・・・・

 また以前、こんなことがあった。

 友達が僕の部屋に遊びに来たとき、ずっと自宅でミックスしていた作品のCDを、僕の部屋で聞いたのだ。

 「青木さん、このスピーカー本当にいい音するね」

 「あっ、そう、スピーカーコーンはひとつだけどね」

 アパートということもあり、いつも小さな音でしか鳴らしていないので、僕自身のそんなに実感として、このスピーカーが良い音だとは、思っていなかったのだ。

 買ってから、今年でもう8年くらい立っているが・・。

 ・・・・

 そして昨日、こんなことがあった。

 僕は「BOSE101」と同じ大きさの2ウェイスピーカーを持っていて、なんとなくそれをつないでみたのだ。

 そのスピーカーも有名国内メーカーである。しかし、鳴らしてみたら、びっくりするほど物足りない音なのだ。

 僕はあらためて、同じCDを、BOSEのスピーカーで鳴らしてみた。

 その音の違いにびっくりしてしまった。

 音が生きてるのだ。深いのだ。高音はそんなにクリアではないが、オモチャの音ではない。

 (こんなに良い音だったのか・・・)

 買って8年目で実感した、BOSEマジック。

 さすが、スピーカーのメーカーである。


「曲がり角の風景」12/20

 アルバイト先から駅へと歩いて帰る途中、曲がり角でこんなことを考えてみた。

 ずっと唄を作ってきたけれど、それは、どこか風景を歩いてきたのではないか。

 もういちど、その唄を作れるかというと、それは不可能に近いだろう。

 通い慣れたひとつの風景があり、そこを曲がってゆく僕がいる。

 曲がってゆく僕には、作りかけのいくつかの唄。

 その風景の中に僕が自然に溶けているように、唄もまた溶けているのだろう。

 僕はきっと、そんな曲がり角を曲がりながら、いつも唄を作って来たのではないか。

 そして、風景も僕も唄も時間もみんなつながっているように思う。

 僕の中に、いくつかの時代の唄があり、それはみんなひとつの風景の唄だったのだろう。

 その唄を作ったのは僕だって、いうけれど、、、。

 さて、ひとつの曲がり角が作ったと言っても、いいと思う。


「睡眠」12/16

 あなたもそういうことがありませんか?

 以前からそうなのだけれど、眠る前にお酒を飲んでたりすると、早く目が覚めてしまうことがある。

 まあ、早めに横になってしまったということもあるだろう。

 しかし、疲れているところへのお酒なので、僕自身が気絶状態にあったとも言える。

 体にしてみたらきっと、気絶状態の方がいろんな作業をしやすいのであろう。

 外界との感覚がゼロなので、作業が進む進む。

 いつもなら5時間かかるところ、3時間くらいで済んだのではないか。

 たしかに起きたとき、すっきりとした目覚めであった。

 すっきりとした目覚めということは、よく眠ったということなのだろう。

 走ってゆく人がいる。

 街は静かで、走り放題だ。

 家の中も通り過ぎてゆく。誰も起きて来ないので、近道もし放題だ。

 目覚めは良かったのだけれど、一日体がだるかったな。。

 そして結局、次の日はとても早く眠ってしまった。

 なーんだ。ただよく眠ったなぁという自分の勘違いなのかもしれない。

 結論・・お酒を飲むと睡眠時間は短くなるかもしれないが、体の疲れはとれない。

 とうぜんかな。

 まだまだ実験は続く。


「そば屋」12/13

 先日、久し振りに普通のそば屋さんに入った。

 僕の中では今や、そば屋さんはぜいたくな食事のひとつになった。

 普段は立ち食いばかり。

 やっぱり、そば屋さんのそばは美味しい。

 本当に美味しかった。。。

 以前はよく、そば屋さんに入ったのに、どうしてこんなに遠くなったのだろう。

 商店街を歩いてゆけば、そこにあるのに、なぜ遠くなってしまったのだろう。

 僕は思った。

 そば屋さんはまるで故郷のようであると。

 どんどん遠くなってしまったのに、今も商店街にあるそば屋さん。

 遠くて近きはそば屋かな。

 そば屋さんに入ることは、僕にとってまるで遠い故郷に帰るようである。

 新幹線のチケットも買わず、東京駅まで行かず、そして帰れる商店街の故郷。

 そば屋。不思議な故郷。


「言葉」12/11

 最近、思うことがある。

 今の若者は「オーバーオール」という言葉を知っているのだろうか。

 それはもちろん胸当てジーンズのことであるが、ここ最近ずっと街ではいている人は見たことがない。

 そうなって久しいので、もう「オーバーオール」の言葉は使われていないのではないか。

 僕にとっては常識でも、もうその言葉が通じなくなってしまっている場合もあるだろう。※

 逆に若者には常識の言葉でも、僕らにはわからない言葉も出てくるだろう。

 そのうち知らない現代用語ばかりになったりするかもしれない。

 そんな世代に僕もなったのか。

 でも、自分の経験で思い返せば、昔あったものや出来事や言葉をどんどん知ろうとしていた。

 今はもう無くなったものがあったとしても、それは何だろうと知ろうとしていたじゃないか。

 そういう考え方も、古くなってしまったのかもしれない。。

 ・・・・・

 で、「オーバーオール」の話。今から20年くらい前、友達が僕に、

 「もう、このオーバーオール、俺もう、はかないから、青木にあげるよ」と、言った。

 そのときは「ありがとう!!」と答えたが、さて、この話には矛盾があった。

 僕だって、はくことはなかったのだ。

※この文を書いている途中、一緒にいたカッキーより、「ペコちゃんもお笑いの石塚さんも今、着てるよー」とご指摘をいただきました。


「唄のビデオクリップ」12/7

 そういえば。。

 僕は歌詞のわかる唄を聴くとき、いつも映像を頭に描きながら聴いている。

 もし、そのままビデオに出来たらどんなにいいだろうと思った。

 ああ、自分の唄のビデオクリップをぜひ作ってみたいな。

 イメージはいくらでもあるのに、それを映像にするとなると大変なんだよね。

 それはわかっている。

 僕に限らず、僕の唄の友達もみんな唄の映像を作れるだろう。

 たぶん頭の中では、簡単な話。

 今はパソコン文化なので、編集もだんだんと簡単になるかもしれない。

 映像も手軽に撮れるようになるかもしれない。

 まるで張り紙でもするかのように、ビデオクリップが完成するかもしれない。

 まあ、それぞれの唄には自由なイメージがあった方がいいけれどね・・。

 それでも、、。

 それでも僕は自分の唄のビデオクリップを作ってみたい。

 愛する唄のすべてに、ビデオクリップを作ってみたい。

 こうして、ホームページがどんどん作れたように、唄のビデオクリップも作れるような気がする。

 友達が作る唄のビデオクリップも見てみたい。

 プロモーションビテオという感じではなく、純粋にイメージで作りたい。

 10000メガのホームページに、そして全曲アップしたいな。

 そんな時間があればね。。


「それぞれの謎」12/3

 先日、ギターの弦を急いで交換した。

 そのとき、なんて手慣れているんだろうと自分で思った。

 まるで熟練した弦換え職人のようである。(おおげさかな・・)

 ギターの弦を替えるとき、うまく巻くコツが10コくらいあり、それは守られている。

 めんどうくさいと言うより、よくシンプルに早く確実に交換するためだ。

 しかし、そのポイントを知らないで交換するとしたら、1時間くらいかかるかもしれない。

 ギターを持ってるみんなはどんなふうに弦を交換しているんだろう。

 みんな手際良く、弦を交換しているだろうか。

 突然に、誰かに「ギターの弦替えといて」と言われ預かった人は、ギターと格闘することになるかもしれない。

 ・・・・・

 でも考えてみると、僕も誰かからギター弦の替え方を教えてもらったわけではない。多くの本から知識を得ただけだ。

 そして、他の人の弦の交換もあまり見たことがない。

 なぜだろう。こんなにギターが弾ける人がいるのに、それぞれの謎があるなんて。

 いろんな知恵が集められるといいのに。


「すっかり忘れる事」11/29

 毎日チェックしているホームページがある。

 しかし、何かのきっかけで、二週間くらい見るのを忘れてしまった。

 それまで毎日見ていたのだから、思い出してもいいのに。

 それと同じように、カレーを食べるのを、この10日くらい忘れてしまっていた。

 はっと思い出したときの嬉しさ。

 ついさっき思い出してカレーを食べた。どんなに美味しいだろうと思えた。

 最近、こういうことが多い。

 つい忘れてしまうために、「久し振り」を味わうことになってしまうのだ。

 それもまた良し。

 いや、こわいのは日常を思い出せなくなってしまうことの方か。

 「忘れ行く日常」。

 言葉の響きはいいんだけどなぁ。


「スピーカー」11/27

 (いい音だなぁ)。

 ラーメン店で、ふと見上げると、そこにはJBL社の小型スピーカーが、つり下げられていた。

 その店は最近オープンしたばかりで、店内は木の壁になっており、まるで山小屋のようであった。

 (いい音なんだけれど、スピーカーボックスは木ではないんだよね)

 僕は今でも、スピーカーや、CDラジカセやテレビやラジオの外側が木であって欲しいと思っている。

 最初、スピーカーと言えば、木のボックスだったじゃないか。

 ラジオだって、テレビだって、木だったじゃないか。

 僕らのどこかに、(やっぱり木だと良いなぁ・・)と思う、感覚があると思う。

 メタリックもいいのだけれど、ウッドの感じに戻って欲しい。

 いつか戻ってくるだろうと思い続けて、すでに30年くらいたってしまった。

 もう十分にデジタル文化になったわけだから、そろそろ出して欲しい。

 ウッド感覚のCDMDラジカセを。

 ちょっとくらい高くてもいいからさ。


「ディスコサウンド」11/25

 昼、アルバイト中に通りかかった店で、ビージーズの「恋のナイトフィーバー」がかかっていた。

 1977年から78年にかけて大ヒットした「サタデー・ナイト・フィーバー」のもちろん主題歌だ。

 この2004年に聴いても、いい歌とサウンドだと思う。

 きっとまたいつの日かリバイバルヒットするときが来るだろう。

 そして、ディスコサウンドのブームがまた再来するかもしれない。

 だって、もう25年以上もたっているし・・。

 ディスコサウンドに熱中する若者が出てきてもおかしくないのだ。

 「ディスコサウンドかぁ。なつかしいなぁ。おじさんの若い頃、すごく流行ったんだよ」

 「えーっ、本当?」「本当だよ〜。すごかったんだから!!」

 そんな会話が交わされるだろう。

 僕の年代だときっと、ディスコサウンドがひとつのくぎりになるような気がする。

 「おじさんの若い頃・・」この言葉がすべてを知っているのかもしれない。


「行きたいところ」11/23

 帰り道、行きたいところの事を考えてみた。

 毎日こうして部屋に戻るけれど、行きたいところに向かっていると、いつも考えながら歩いていたのだ。

 と、いうことを考えていた。

 行きたいところなら、いつかは行けるかもしれない。

 しかし、迎えにいきたいところもある事も思い出した。

 (迎えにゆくというよりも、届けたいと場所と言ったほうが近い)

 それがいつで、どこで、誰を迎えに行くかは、もちろんわからない。

 そこは、磁石のプラスとマイナスのように、一番遠くて一番近い場所のようだ。

 ただわかることは、そこに向かって歩いてはいけないということだ。

 遠くなるほどに、近くなるところで待っている人。

 僕が欲しいのはきっと、どこどこ行きの切符。

 「どこどこ行き」の切符、一枚下さい。


「哀しい自分」11/20

 先日、安い靴を買ったのだが、どうもうまくはけないでいる。

 思い出せば、高校時代から、靴にはこだわりがあった。

 ・・・

 先日買った、安いジーンズは、もう糸がほつれ始めている。

 (そんな、ばかな・・)

 思い出せば、高校時代から、ジーンズにはこだわりがあった。

 こだわりがあったのに、ここ最近は(まあ、いいか!!)と、つい思ってしまうのだ。

 ジーンズと靴は妥協できなかったのに。。

 それは、僕の歩き方や、ジーンズの扱い方にもよるのだけれど。。

 ・・・たぶん、これはたぶんの話だ。

 僕と同年代かそれより上のみんなは、同じ気持ちを味わっているのではないか。

 哀しい自分を感じているのではないか。

 いつもどおり、いつもの靴やジーンズを買っていれば、問題はなかったのに、ついつい安い方を買ってしまった自分。

 何十年もこだわってきたのに、今回からやめてしまった自分。

 うまくすれば、安くすむかなと思ってしまった自分。

 そのうち、激安メガネを買ってしまいそうな自分。

 でも、哀しいと感じている限り、また僕は戻ってくるだろう。

 哀しい自分よ、ありがとう。


「早起きはポータサウンドの得」11/18

 アルバイターの朝は早い。

 ときには、とても静かで、まだ世の中が始まっていないようにも見えるときがある。

 今朝、僕は出かけに、古いヤマハの「ポータサウンド」を拾った。

 (ポータサウンドとは電子キーボードの事である)

 まるで、持っていってくれるのを願っているかのように、それは目立つようにチョコンと置かれていた。

 (あらら、これ、使えるじゃん・・)

 さっと、そのまま家に帰って、洗濯機の中にしまってもう一度出かけた。

 ・・・・

 そして駅にまた向かう途中、僕は考えていた。

 一番古いと思われるものが、ときに一番時間の先に出てくるときがあるのではないか。

 それは、朝一番なのかな。

 もうちょっと時間がたてば、人通りも多くなり、それはただのひとつの景色になってしまうだろう。

 早起きの朝の道では、古いものが一番輝くようだ。


「ウォークマンのなかった頃」11/15

 ウォークマン文化もすっかり定着した感がある。

 ウォークマンとは、ご存じSONY社の70年代最後に登場した歩行型音楽ベッドホン再生マシンの事である。

 僕もそうではあるけれど、出かけるときはウォークマンは必需品になってしまった。

 しかし、ウォークマンのなかった頃は、自分で唄っていたのだ。

 ベッドホンをしている人も、自分で歌っている人も同じだと思いたい。

 もしかしたら、歌を口ずさんでいる人の数は激減しているのかもしれない。

 そんな淋しいじゃないですか。

 ウォークマンのなかった頃、口ずさむ歌は、なんて自然であったことか。

 今だって、もちろん自然だ。

 草や木や空気のように、自然ではないですかー!!

 いやぁ、そこまでムキになることは何もないのですが、唄う国民でいたいんです。

 カラオケ文化の国ではなくてね。


「友だち」11/12

 思い出せば、最初に僕の気持ちをとらえたのは絵だった。

 図画工作の教科書に載っている有名な絵は、どれも良かった。

 水彩画も得意で、よく賞も取ったりした。そして将来、絵を描きたいと思っていたものだ。

 教科書に載っている作品は、僕にとってアイドルであり、憧れであった。

 ピカソ・シャガール・ミロ・クレー・etc、、。

 親戚の家のあった美術の百科事典にも心うばわれた。そこに載っている日本の絵もどれも良かった。

 (絵の世界っていいな・・)

 小学校の頃、僕は将来絵を描こうと思っていたのだ。

 しかし、友だちがいなかった。絵の事を話す友というものがいなかったのだ。

 中学に入り、僕は「マイナーフォーク」に友だちと一緒にはまった。

 ふたりで毎月、レコードを買っていったのだ。

 岡林信康・高石友也・五つの赤い風船・加川良・etc、、。

 「マイナーフォーク」を語る友はたったひとりであったが、毎日は楽しかった。

 そして僕は歌を作り始め、いずれマイナーフォークの道を行くことになるのだ。

 小さい頃、絵の事を話せる友だちがいたなら、僕はずっと絵を描いていたかもしれない。

 みんなに、ギャラリーの案内を出している生活をしていたかもしれない。

 しかし、それはなかった。


「大きなノート」11/9

 いつか友達が大きなノートを持っていた。

 何版っていうのかな。A4 版だ。

 友達は、その大きなノートに、普通よりも大きな文字を書いていた。

 憧れたなぁ。。

 僕はバックの大きさに合わせた、いつもB5のノートばかりだった。

 A4のノートを使うには、大きなバックを持たなければならない。

 友達はいつも、大きなバックを持っていた。

 「その理由は?」と、 いつか尋ねたら、

 「A4のノートが入るから」と答えたような、答えなかったような。

 君は見たことがあるか? 西洋の昔の大きな手書きの本を。

 帰り道、僕は考えたんだ。

 大きなノートをゆっくりと開いて、大きな文字を書いてみたいなと。

 インク瓶で、羽根ペンかなにか使って。

 たぶん、早くは書けないだろう。

 そして、またそのノートを見るときは、ゆっくりと開くのだ。


「青木式節約術教えます」11/7

 無駄づかいの定義はなかなか難しいところだ。

 それはきっと自分の心の中で、(ああ、無駄づかいしゃったな)と、思えたときなのだろう。

 自販機にコインを投入しているときから、さっそく後悔は始まる。

 節約術があるとしたら、コイン投入のとき、注文のまえに、(ああ、もったいない)と、思わないといけない。

 さて、こんなとき、最近僕が見つけた、とっておきの節約術があるので紹介しよう。

 ・・・・・

 100円の価値。それは今どのくらいまでの商品に換算することができるだろう。

 バイト先からの帰り道、そこに100円ショップがあり、僕がよく買うのは録画されていないDVDメディアだ。

 それは、DVDメディアが大量に必要になってる僕の今の環境にもよるからで、一枚でも多くDVDメディアが欲しい・・。

 僕の中では今や100円とは、DVDメディア一枚分のこととなった。

 自販機で、ついついジュースを無駄に買ってしまいそうになるとき、僕の心は(この100円で、DVDが一枚買えるよ)と、つぶやく。

 700円のランチを頼むとき(ああ、DVDが7枚分だぁ)と、ふと思ってしまう。

 そうこうしていると、100円玉そのものが、DVD一枚のように見えてきてしまった。

 いっそうのこと、DVDメディアに100円と書いて、硬貨と同じにしてはどうだろう。

 中華屋さんで、こんな会話が交わされる。

 「あっ、ごめん、DVD5枚で払ってもいいかなぁ」「いいよ、いいよ、大歓迎」

 自販機のコイン投入口にも、DVD投入口を作ってもらう。

 何か、特別の経済効果もあるかもしれない。

 バイト先からの帰り道、100円ショップに寄り、節約したお金でDVDを買うのが、最高に嬉しいこの頃である。


「部屋片付け」11/4

 一国の総理大臣ともなれば、それは大変だろう。

 なにしろ、広い国のすみずみにまで、ああだこうだと、目を届かせねばならないのだ。

 しかし、この僕の部屋は、僕でさえも統治できないでいる。

 この部屋が、一国だとしたら僕は総理大臣ということになるのだろう。

 さて、北海道はどの辺かな。首都はパソコンの机か。大阪・京都はどこか、台所か。九州は、物干場か。。

 たぶんこの部屋が片づかないのは、それぞれの場所に個性ある名前を持たせていないからだろう。

 47都道府県のように、部屋を47都道府県に分けてみれば、きっと片づくのではないか。

 (ああ、ちょっと、山口県が、落ち着いてないな、、。)とか、思うのだ。

 今、台所も合わせると、三部屋あるのだけれど、四畳半に住んでいた頃に比べれば三倍の広さである。

 一人で四畳半、みっつ借りているようなものだ。

 そりゃ、片づけるのも大変だ。

 四畳半でも、大変だったのに。大変×3=すごく大変だ。

 村の名前を付けてみるか。

 レコード村。テープ村。文庫本村。洋服村。etc・・。

 そんなことを、考えてみても、部屋は片づいてはゆかないのではある。


「会いたい人」11/2

 昨日から、自分がかつて作ったCDを久し振りに聴いてみた。

 制作してからもう7年もたってしまった。在庫のもう少しになったCD。

 昨日聴くきっかけになったのは、僕のCDを聴いて良かったと言ってくれた人がいたからだ。

 今回聴いてみたら、僕のアルバムは、レコードの大きさからどんどん小さくなってゆき、やっと12cmになったようだ。

 やっと、CDケースの中に、音楽が入ったようだ。

 やっと今頃、CDはカセットテープに似てるとも知った。

 ・・・・・

 さて本題。

 僕には会いたい人がいる。

 それは僕のCDを毎日のように聴いてくれた人だ。

 僕自身はここ20年くらいは、日本のアルバムは、ライブを聴くような気持で楽しんでいるので、すぐお腹がいっぱいになってしまう。

 中学時代、ギターを弾き始めた頃、本当によくフォークのアルバムを聴いた。みんなもそうであったろう。

 僕がひとつのアルバムを楽しんだように、誰かは僕のアルバムを楽しんでくれていないだろうか。

 小さな夢、大きな夢。

「今日の夜話・過去ログ'04年7月〜10月」

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