青木タカオ「ちょっくら・おん・まい・でいず」

「今日の夜話」過去ログ'04.8〜10月

「世界で一番おいしい水」10/30

 先日、とある荻窪の店で「世界で一番おいしい水」というのを見つけた。

 インターネットで調べてみたら、あった

 しかし荻窪の店にあったのはちがうような気がする。

 まあ、どちらでもよいのだけれど、この「世界で一番」というのは、どこからやってきたのであろうか。

 その店には、どこかの博士の認定というものが付いていたが、その博士の基準というものが、もうひとつ理解に苦しむ。

 しかし、そういう僕でさえも、高円寺にある一軒のラーメン屋さんの事を、こころの中では(ここは世界で一番美味しいラーメンだな・・)とか、思っている。

 僕はその「世界で一番おいしい水」を、買って飲んではみなかった。もし小さなペットボトルで売っていたら、きっと買っていただろう。

 なにしろ、それは世界で一番おいしい水だからだ。その水を飲んだとき、僕がそう思えたなら、そうなのだろう。

 感嘆符の「!!」のように、「世界で一番」というのは、ひとつの感嘆符なのだ。

 その水を飲む人が、みなその感嘆符を言うならば、嘘ではないのだ。

 ・・・・

 ここで考えてみると「世界一」というのは、自分とそのもとの関係だということだ。

 またどこか別のところにも「世界一」は存在する。それは本当だ。

 その水を飲んだとき「あっ、これも世界一だ!!」と思うだろう。

 それは、オリンピックの同じ競技で、過去いくつも「金メダル」が存在しているのと似ている。

 いや、ちょっとちがう。


「宇宙人の旅立ち」10/28

 アルバイト先へ向かう途中の道での事。

 とある会社のショーウインドウの中に、身長約5センチほどの宇宙人がいることを私は気がついていた。

 ・・身長5センチほどの宇宙人?

 それは、ここ20年くらいの間の、よくあるタイプの目が大きい宇宙人で、全身は黄色、そして立つことも可能だった。

 私は知っていた。その5センチの宇宙人が、定期的にショーウインドウの中を、あたかも自分の意志のように移動していることを。

 あるときはお皿の真ん中に立っていたり、ショーウインドウの内側の左端に立ち、何か助けを求めていたり、、とにかく定期的に移動し続けているのだった。

 その事を知っている人は、さて、どのくらいいただろう?

 はるばると長く、二・三年は、移動は繰り返されて来た。

 あるとき、シヨーウインドウの中からいなくなっているなと思っていたら、宇宙人は表の植木鉢の中にこっそりと隠れていた。それを見付けられる私もさすがだった。

 (ああ、、とうとう外に出てきたんだな・・)

 それは、ひとつのユーモアだったのかもしれない。しかし、また通りかかると、植木鉢にいたはずの宇宙人はいなくなっていた。

 (消えた・・。)

 その過程については予測不可能ではあるが、とうとう宇宙人は旅立ったのだ。

 今は、どこにいるのだろう? 誰かの机の上か。

 自分の身の上話を話しているかもしれない。

 もうショーウインドウに5センチの宇宙人はいない。


「マフラーと帽子」10/26

 11月も近くなって寒い日が一日あった。

 ここぞとばかり僕はマフラーと帽子をして出かけてみた。

 マフラーはちょっと薄めの生地のもの・・。

 かぶりなれた帽子はやっぱり落ち着くなぁ。。

 今年の夏は長く、そして暑かった。

 憶えているか。

 当たり前だ。

 帽子をかぶってみると、なんだか長い旅から帰ってきたような気がしてくる。

 冬が嬉しいというわけではなくて、季節がきたという感じなのだ。

 季節?

 それは何の季節?

 それは僕の季節だ。

 ただ自分でそう言っているだけだが・・。

 夏の間、なくしていたペンをもう一度手に入れたようだ。

 でも、11月では、ちょっと遅いな。。

 できれば、10月から自分の季節としたかった。


「睡眠と日記」10/23

 ふかふかの布団で眠ったら、ぐっすりと眠れるのだろうか。

 その答えはまだ出てないのだが・・。

 夜について考えてみる。

 毎朝、目を覚ますたびに悔しいのは、どうしてこんなに夜がすぐにたってしまうのかということだ。

 まあ、2時近くに眠って、6時前に起きるというのにも無理があるのだけれど。

 もうちょっと眠ったという実感があってもいいな。ほんとうにあっというまなのだ。

 なんとか、4時間の睡眠時間で、深く深く眠ることは出来ないものか。

 ・・睡眠って何?

 睡眠って、もしかしたら「日記」と似てるかもしれない。

 ここずっと僕は「日記」をちゃんと書けないでいる日々が続いている。もう何年も。

 二週間に一度、まとめて書くときが多い。

 「睡眠」と「日記」は、よく似てるな。そう思う。

 たぶん僕は毎日、眠っているとき、日記を書けないでいるのだ。

 ・・・・・

 そうか。。では、眠る前に、日記を書いてから眠ってみるかな。(内緒)


「雨の日とぶどうパン」10/19

 「ぶどうパン」って、特別だったのか。

 たぶん、そうではないだろうけど、小学生の頃の僕には、特別だったろう。

 ・・・・・

 小さかった頃、よく泣いた。

 その涙の味と一緒に、なぜかぶどうパンが思い出される。

 たぶん、学校では「コッペパン」。家では「ぶどうパン」だったのではないか。。

 ・・・・・

 今日は雨。僕は外歩きの仕事をしている。カバンに入っていたぶどうパン。

 ちぎっては食べる。雨の中、ちぎっては食べる。

 僕は泣いてなんかいないのに、なぜかぶどうパンは涙の味がする。

 まあ、空が泣いているといえば、そうなのだが。。

 「雨の日とぶどうパン」

 そんなタイトルの短編小説を書いてみたい。


「何かの力」10/17

 まだ歌詞ノートに書いていない唄があった。

 それを見付けたので、ルーズリーフの紙を出して写し始めた。

 写し始めていると、他にもまだ書き写していない唄があることがわかった。

 全部書いていたら、時間がかかってしまう。今日は忙しいので、その時間はないはずなのだ。

 しかし、何故か何かの力が働いて、そのまま書き続けてしまう。また今度、やればいいと思うのだけれど。。

 今度というけれど、いったい何時、その「今度」がやって来るというのだろう。

 こうやって時々は、時間がないのはわかっているのに、思いたったことを続けてしまう。

 気が付いてみれば、テーブルに何かが出来ている。

 (あ〜あ、作っちゃった・・)

 何年間かたって、それを見付けたとき、自分でも不思議な気持ちになるのだ。

 (え〜っ、これ、誰が作ったの?)

 もちろん自分である。

 もちろん自分ではあるが、自分では止められない何か力である。


「買いました」10/15

 ずっと思っていたこと。

 CDジャケットの入る写真立てはないものかということ。

 ふつうの写真立ては、もちろんよく売っている。

 ずっと探していたこと。

 先日、文房具店にて、CDジャケットがそのまま入る、木の額のアルバム立てを見つけた。

 見つけた。

 これだよ。

 ちょっとした絵の作品のようでもある。

 テーブルに置いてあるのだが、すごくいい感じだ。

 この幸せを分けてあげたいくらい。

 ・・・・

 アルバム立ての額にジャケットを入れると、音が鳴ったら最高なんだけどな。


「カードのように」10/13

 中野駅のホームで待っていると、すぐ後ろに立ち食いそば屋さんがあるのがわかった。

 (ふ〜ん・・)

 すっかり僕の中から、ホームにそば屋さんがあるという存在が消えていたのだ。

 ちょうどお腹も空いていたこともあり、そばつゆの香りに誘われてそのまま入ってしまった。

 ・・・立ち食いそば屋さん。

 そこには泣きそうな思い出がある。

 (これだ・・)

 場面設定もすべてそろった上での、ここにいる僕。

 まるで、一枚のカードの絵柄の中にいる僕のようだ。

 それは「立ち食いそば屋さんにいる私」というカード。

 きつねそばを食べながら、考えた事は、、。

 こんなふうに、いろんな場面はカードなんじゃないかということだ。

 そのカードはトランプのように、束になって、いつも見えないポケットの中に入っている。

 場面がカードと重なるとき、、、いや、カードが場面と重なるとき、僕らは絵柄の中にいる。

 まるで四角い景色。

 そんなふうに、数多くの絵柄の場面カードがきっとある。

 きっとポケットに入っている。


「ルーツミュージック」10/11

 それぞれにみなルーツミュージックがある。

 ライブハウスに聞きに行って西洋風な日本語曲を聴くと、その人にとってのルーツミュージックは、西洋風なのかなと思ってしまう。

 いったい、いつまでに聴いた音楽を、ルーツミュージックというのか。

 自分の場合は、西洋音楽に入る前までかな。年齢で言えば、中学2年くらいまで。

 僕の場合はフォークブームだった事もあり、その影響がかなり強いだろう。

 多感な時代、一緒に口ずさんでいた唄は日本語フォークだった。

 もしそれが、西洋の唄だったら、僕が創作で作る唄も、感情に自然に入ってくる唄も、西洋の唄だったかもしれない。

 さて、今の若者はどうなんだろう。ヒットしている日本語曲は多少なりとも、西洋風のメロディーであり、それで育ってゆくのだろう。

 懐メロも、そうなるのかな。

 童謡・唱歌がルーツという味方もできるけれど、小4くらいから中2くらいまでの期間が大事だと思う。

 きっと、その頃に聴いていた音楽が、一番懐かしく感じるだろう。

 演歌や歌謡曲だった世代の人達ももちろん、あるだろう。

 僕の場合は確実に、日本のフォークミュージックだ。

 今の若者は、どんな音楽に自分のルーツを感じているのか。

 同じ日本人ではあるけれど、違うルーツミュージックになっていそうだ。


「エネ計の夢」10/9

 仕事を休むとき、電話で「今日は熱があって・・」と、そう伝える。

 熱があるというのは、たしかにひとつの体調の目安ではある。しかし、もしエネルギー計があるならば、

 「いろいろありまして、今日はちょっとエネルギ度数が、300エネgしかなくて・・」と、答えられるだろう。

 エネルギー計・・。それは、体のエネルギーを計ってくれるものだ。

 実際には、もうあるかもしれないだけれど、体のエネルギーを計るものが、身近にないのは残念だ。

 最近、元気がない人に、この言ってあげたいのだ。

 「どう? 体調、悪いみたいだけれど、エネルギー足りないんじゃないの? エネ計ってごらん」「うん・・」

 「ほら、250エネgしかないじゃん? 元気つけないと、だめだよ。」

 そんな会話が実現するといいと思うのだ。

 体のエネルギーというのを、なかなか定義するのは難しい。それは、精神的なことも含めて「気力と体力」を現す数値ということにしたい。

 体温なら「平温」というものがある。8度を越えたら微熱と呼ばれる。それと同じように、エネルギー計も、たとえば300エネgを切ったら、要注意というふうにすれば、ある程度の基準になると思うのだ。

 「最近、エネルギーあるの?」そんな挨拶がかわされる。関西なら「エネルギーありまっか?」と、なるのかな。

 「なんだか熱っぽくて・・」「体がだるくて・・」。この言葉にプラス「エネルギーがなくて・・」を加えたい。

 さて、体のエネルギーをどうやって、計ったらいいのか。

 体温や、血圧ではなくて「やる気」「気力」を、どう計ったらいいのか。

 リトマス試験紙のように、体に近づけると色が変わったりすると、一番わかりやすいのだが。。

 体から出ている、何かを計り、数値に変えられる何かが、あればいいのだが、、。

 そうだ、エネルギー測定機能付き、デジタルカメラなんてどうだろう。

 あと5年できっと、出来ている信じよう。


「生活が戻って来ない」10/7

 徹夜が出来なくなってから、どのくらいたつだろう。

 どうも体には眠りのスイッチがきっとあるらしい。

 何かやろうと心に決めて、し始めるのだけれど、ある時間が来ると必ず眠くなってしまう。

 これが困っちゃうんだよね。

 徹夜なんて、もちろんできなくなってしまった。

 創作の道があって、歩いてゆくのに、その途中でいつも帰って来てしまうようだ。

 そんな繰り返し。

 たぶん疲れがたまっているのだろう。

 眠りのリュックサックを背負っているようだ。

 35才くらいまでは、ずっとずっと創作中心の中に生活があったのだ。

 生活が戻って来ない。


「秋の種」10/4

 ・・いつ僕はこれらの本を読むことがあるんだろうか。

 本棚いっぱいにあるそれぞれの本は、無駄なものはなく、いつかじっくりと読みたいと思っている本ばかりである。

 (いつの日か読むだろう)

 そう、思い続けて来て、さて、ホントに僕は読むのだろうか。

 最近はその自信がない。

 実際に、買ってから15年以上、開いていない本も多いのだ。

 何かのきっかけで、きっと読む日がくるのだろう。

 それは、秋の夜長の、いつかの日であるような気がする。

 だから、本たちは秋の夜長を、ずっと心待ちにしているのだ。

 (今日かな。明日かな・・。)

 そんな思いとは別に、僕はなかなかに、本棚に手を伸ばさない。

 あっというまの15年。

 こんなペースでいったなら、もう15年は、またあっというまかもしれない。

 しかし、それでも、本たちは待っているだろう。

 秋の種。


「誰かが自転車をこいでいる」10/2

 昨日もちゃんと眠っているのに、今日はもっと眠い。

 いろいろとしたい事もあるのだけれど、まったく出来ない。

 疲れがたまっているのだ。

 こんなにパワーが余っているのに、こんなに眠たいなんて、、。

 横になっていると、僕の頭の中で、誰かが眠りの自転車をこいでいるのがわかった。

 その人が一所懸命に、自転車をこいでいるので、こんなに眠いのだ。

 僕らが小さい頃から、よく言われたきた言葉。

 「一所懸命がんばりなさい」 

 その言葉どおりに彼はがんばっているのだ。

 どこかの国道を走っているにちがいない。


「丈夫な家」9/29

 このアパートの隣で今、新築工事をやっている。

 有名なメーカーの家が建っている。たぶん、もうすぐ完成。最近といわず、家が建つのは早いなぁという印象だ。

 その有名メーカーの家は、とてもしっかりしてて、みるからに丈夫そうだ。

 (あんな家に住んでみたいなぁ・・)と、いう気持ちにもなる。

 僕にとっては、きっと遠い遠い遠い話だ。

 ・・丈夫な家。なんの嫉妬もないけれど、まるでサンダーバードの基地のようだ。

 僕も家を買いたい。それも一括払いで。

 その中の四畳半でいいから。僕のストック部屋を作りたい。

 ギターとか本とかCDとか、ずっと集めたものを、その部屋に置いておきたい。

 そんな願いがある。

 願いはあるんだけどね。


「扇風機」9/23

 9月。まだまだ暑い日もあるけれど、扇風機の出番はかなり少なくなった。

 そして、10月の扇風機。すっかり秋になっているだろうけれど、たぶんまだ、扇風機は出ている。

 早い人なら、9月中旬には、しまってしまうだろう。

 しかし、ふと思ってみると、動かない扇風機の静かさが、いかにも秋の空気を作り出してはいないだろうか。

 扇風機は回ってはいないけれど、秋の静けさを生み出してはいないか。

 (また、回らないかな・・ )。。そんなふうに思いながら、じっとしているのかもしれない。

 扇風機を秋になっても、しまえないのは、季節が変わっても一緒に居たいんだよね。

 人によっては、春から出している人もいるかもしれない。

 ・・扇風機かわいや、かわいや扇風機。


「無駄物」9/21

 部屋の片付けで、一番困るのは「無駄物」だ。

 「無駄物」とは、勝手に僕が付けた名前であるが、ひとことで言えば、

 整理するにも、ジャンルがなく、捨てるに捨てられない、主に紙類である。

 たとえば、ちょっとしたメモとか。何かの資料とか。友達が書き残した置き手紙とか。

 ひとつのイラストを描くために、使った、多くの同じようなイラストの案とか。

 旅行に行くための資料とか。何かのホームページをプリントアウトしたものとか。

 捨ててもよいのだけれど、捨てられないものばかりだ。

 前は「無駄物」と書かれた、箱があり、何でも入れたものだった。

 しかし、年とともに、無駄物はどうにも、行き場が無くなってしまい、箱の数は増えるばかりだ。

 みんなは、どうしているんだろう。

 みんなはきっと、捨ててるんだな。

 僕だって、無駄物と言っているくらいだから。

 無駄物と言っておきながら、捨てられないのだ。

 一度、みんなに見てもらわないとな。


「母の生まれた街」9/19

 実家に帰ったとき、中学時代のテープを、もう一度聞くことができた。

 その中に「五つの赤い風船」のファーストとセカンドも入っていた。

 中学時代は、そんなふうに思わなかったけれど、曲作りで、かなり影響されていたのだった。

 そして、よく「五つの赤い風船」の曲を自分で唄って録音したなあと思い出した。

 その中の一曲「母の生まれた街」は、唄いごたえがある、長い歌で、感情を込めて、よく唄っては録音した。

 思い出せるほどだから、かなり録音したのだろう。

 歌自身も感情を込めやすく、そして大作なのだ。

 そのテープは残ってはいないけれど、オリジナルの歌はテープに、もちろん入っていた。

 30年振りに聞くと、その歌がとても懐かしく感じられるのだ。

 なんだか超大作の映画のような、気持ちになる。

 道を歩き「母の生まれた街」を口ずさんでみると、ついつい感情込めて唄ってしまう。

 まるで、中学時代、テープレコーダーに録音したとき、そのままのように。

 合唱コンクールの楽曲と似てるかもしれない。


「懐メロ」9/15

 ここ数日で、高石友也の古いレコードを三枚ほど買った。

 なぜ、今か?

 それは、中学の頃聞いてたカセットテープを、最近、聞き機会があったからだ。

 その中にあった、高石友也のアルバム。ほんとによく聞いたし、自分でも唄った。

 もちろん、今聞くと、とても古い感じはあるのだけれど、それは、僕の中学時代と重なって「歌」の響きがあった。

 (ああ、懐メロって、こんな感じなのかな。)

 僕ももう、懐メロ世代なのか。

 高石友也の歌は、どれも、その「歌」の響きで満ちていた。

 たぶん、それは僕自身がギターで唄ったという体内経験によるところもあるのだろう。

 ・・・・

 それにしても、録音してあったカセットは、あまりに音が悪かった。よく、こんなこもった音で、聞いていたものだと思う。

 それで、中古ではあるけれど、レコードを買ってみたのだ。

 高石友也は、声がいい。ものすごく哀しい歌でも、彼は素直に、歌えてしまう。

 投球フォームのいい、野球選手のようだな。

 懐メロの話題から離れてしまったが、僕がこんなふうに、フォークの歌を懐かしく感じるのも、人によっては、演歌でも同じことなんだろうなぁ。

 きっと、同じ響きを聞いているんだろうなぁ。

 あなたの懐メロは、どんな歌だろう。


「何でもテープ」9/12

 実家にあった昔のカセットテープ。

 ラジカセは僕が中二のときに買ってもらった。それから高校を卒業するまでの約5年間で、カセットテープの10本ほどしかもっていなかったのだ。

 この事実。

 それもお買い得品で買った60分三本セット、90分三本セット。それから、ソニーのテープが何本かだ。

 そのころというのは、1974年の話。カセットテープの値段も今よりはずっと高かった。60分カセットで600円の時代だ。

 しかし、5年で10本というのは、今思えば少なすぎる。今回、実家から東京に持って来て、その中身を確認してみた。

 90分テープの片面には、だいたい友達から録音してもらったフォークのLPレコードが入っていた。

 自分がレコードでもっているものは、録音されてはいない。

 あとは、何でもテープとして使われていた。

 ・・「何でもテープ」

 (ビデオテープのときにも、そういうテープはあったなあ・・)

 ラジオ番組から、自分の新曲から、いろいろ入っていた。聞いているとなんとも懐かしい。

 東京に出て来てからの、カセットテープの増え方は異常だった。なん百本という単位だ。

 今はミニディスク・CD−Rディスクが同じ状態になっていて、もう整理がつかない。

 テープの内容を消すことが、何でもなかった頃。

 それは、いちばんカセットテープを使っていた頃。


「バス運賃支払機」9/9

 実家の町で、久し振りに、整理券のあるバスに乗った。

 運転席の隣にある、例のあの機械で支払いをするのだ。

 何も難しいことはないけれど、両替のしかたはちよっと戸惑うだろう。

 しかし、この形はきっと、運転手にとっては、たいへんに使い安くできているのだろう。

 それを聞いてみたい。。

 そして、これは完成された形だと、言って欲しい。

 それにしても、このバスの運賃支払機は、もう30年以上進化してないように思うのだが、、。

 いや、きっと、これはハイテクな機械なのだ。だって、中にはベルトが通されてあり、自動でお金を運んでくれるのだ。

 僕には、わかる。この機械を考えた発案者は、完璧をめざしたのだろうということを。

 この機械について、絶賛しているホームページはないものだろうか。

 「あっ、なーるほど!!」と、驚いてみたい。


「駅名」8/24

 実家のある「柏崎」の駅に着くと、いつも同じ声で「カシワザキー」と、アナウンスが聞こえる。

 その女性の声は、もう20年以上は変わっていない。

 実家にいた頃は、駅にほとんど行くことはなかったので、もっと前から同じ声なのかもしれない。

 品のあるいい声だ。

 そう個人的に思えるのは、故郷に到着したときの気持ちと重なっているのだろう。

 たぶん、JRのどの駅に着いても、その響きはあるのだろう。

 ふだん、まったく気にはしてないが・・。
        


「卓球」8/19

 今、オリンピックをやっている。

 今年は「愛ちゃん」という、注目の選手もいて、テレビ放送してくれて嬉しい。

 なかなか世界ランクレベルの卓球をテレビで見ることはないのだけれど、それは僕にとって意外なものだった。

 まだ女子卓球しか見ていないのだけれど、世界ランクになると、あんなにも冷静になるものなのか。

 まあ、落ち着いて試合をするには越したことはないのたぼけれど、僕らが中学の頃は、雄叫びの連続だった。

 感情的卓球というのかな。

 よく考えてみると、あまり感情というのは、試合の実力とは関係ないのかもしれない。

 僕らの頃は、21本3セット勝負だった。世界大会レベルだと、21本5セットだったような気がする。

 オリンピックでは、11本7セットになっている。

 11本では、すぐに終わってしまう。1セットのドラマというものが小さい。

 21本勝負のときは、かなりのドラマになる。挽回するチャンスも何回もやってくる。感情的にもなるってものだ。

 なぜ、卓球は11本になったのであろうか。最初に4セット取った方が勝ちではあるが、僕が見ることころ、偶然によって、どちらかが勝つ可能性が高くなるはずだ。

 21本勝負のときは、実力どうりに、だいたい強い方が勝つ。偶然というものがほとんどありえない。

 そのぶん濃密で面白いのに。。感情的な卓球もできるのに。。

 今、中学の卓球の試合でも、「よーーーしっ!!」という雄叫びは響いていないのであろうか。

 もしかしたら響いてないかもしれない。


「教室」8/16

 教室の広さは、どのくらい?

 教室の広さは、このくらい?

 僕のいた場所、そこから一番遠かった場所にいた人がいる。

 会話は重なることなく、話題もまた、すれちがうことはなかった。

 僕らが、表紙のとれた漫画本なら、その人たちは鮮やかな色の風船のよう。

 僕らが、道路の端っこの下水の上のコンクリ続きとしたら、その人たちは並木のモザイク小道。

 僕らが、学校前のお店のテーブルの、カップラーメンとしたら、その人たちは、一個80円のサラダパン。

 同じ教室なのに、その人たちはとても遠くにいた。

 出会うことのない絵柄のカード。タッチの違う絵本の表紙。

 らっぱ飲みのコーラと、ストロー付きジュース。窓とウインドウ。

 ちがう卒業式の気持ち、そしてちがう道があり、僕らはもう会うことはないような気もしていた。

 いや、同じように普通に、僕らは誰とでも話すことになるだろうけれど、教室の君とは遠いのだ。

 それは同級生ではないかもしれない。タイムマシン的な同級生かもしれない。

 めぐりめぐり僕はまた、教室の同級生と話している。

 あのときあんなに広かった、教室の遠くにいた君と。


「ファンタ」8/12

 今でも、もちろんドリンクの「ファンタ」は出ているが、「ファンタ」って化石のように懐かしくないか。

 小さい頃からあった「ファンタ」。「ファンタ」ってなんだろうと思いながらも、飲んでいた炭酸。

 「コーラ」「サイダー」そして「ファンタ」。意味のわからない「ファンタ」。

 字面も、なんだか中途半端だ。「Fanta」と書いても、しっくり来ない。

 僕が小さい頃、かなりの回数「ファンタ」と口から発したはずだ。

 ・・・・・

 今も出てるんだよね。

 デザインやロゴは変わったけれど、その呼び名は変わってない。

 僕は手にとって、その名前を心で復唱してみる。

 天然記念物に近い響きを感じる。

 数ある炭酸飲料があれから出ているはずなのに、今だに自販機に残っている名前。

 すでにもう、おじいさんだ。


「結局のカメラ」8/9

 '80年頃、よく写真を撮った。それは、僕にとっては第一期のカメラブームであった。

 働きはじめて、カメラも買えたということだった。選んだのは一眼レフカメラだ。でも一・二年でブームは終わった。

 そして、はるばる13年たってから、今度はコンパクトカメラを買い、その年から本格的にスナップ写真を撮り出したのだった。

 そこからはじまったコンパクトカメラの旅。「コニカビックミニ」をかなり使ったなぁ。三代目のコンパクトカメラが、調子悪くなり、ローンで10万円くらいの高級コンパクトカメラを今度はすっかり買う予定でいた。

 何度か、買おうと店にも寄ったけれど、もっと良いのが出るのではないかと躊躇しているうちに、持ってるビックミニが壊れてしまった。

 高いコンバクトカメラを買うまでの、中継ぎとして、とりあえず古物屋で見付けた2500円の中古カメラを押入からひっぱり出して、使うことにした。1980年代最初のコンパクトカメラだった。

 これが、使ってみると意外と使い勝手が良く、結局、その2500円で見付けたカメラを今使い続けている。

 ・・10万円のカメラを買うつもりでいたのになぁ。。不思議なものだ。

 それはこのカメラだ。ちょっと今調べてみたら、ニコン最初のコンパクトカメラだったのだ。

 (なるほどね。そうだったのか・・。)

 知らなかったが、ニックネークは「ピカイチ」とのことだ。

 見直したな。あはは。。


「蕎麦屋のカレー」8/5

 今、蕎麦屋のカレーはいくらになっているのだろう。

 バイトからの帰り道、僕はふと、一軒の蕎麦屋さんに目をやった。

 (ここのカレー、前、何回か食べたなぁ。。)

 もう、10年以上も前の話である。

 その日もやっぱり夏だっただろう。バイトからの帰り道、午後四時過ぎ。

 僕はその蕎麦屋さんに入っては、大盛りカレーを注文したのだ。

 午後の四時といえば、お客の入りもほとんどなく、明かりも消した状態で、お店の人も新聞を読んだりしていた。

 「・・やってますか。。」

 「はい、どうぞー」

 誰一人、お客のいない店内で、僕はひとり奥のテーブルに座る。

 「大盛りカレーお願いします」

 普通盛りのカレーに100円を足せば、大盛りになる。なんとなくそれで値段と釣り合いがとれる気がしたのだ。

 店員さんは、厨房に大盛りカレーを伝え、また新聞を読み続ける。

 待ってる僕とショルダーバック。

 やがて、出てくる蕎麦屋の大盛りカレーを食べる。ひとりで。。

 店内のいろんな名言色紙を眺めてみたり、達筆イラストを眺めてみたり。机の木目を眺めてみたり。

 僕はそんな時間がとても好きだった。中華屋さんでは、こうはいかないだろう。

 蕎麦屋でなくっちゃね。

 でも、最近は蕎麦屋さんに寄ることも、なかなかなくなった。

 蕎麦屋さんでカレーを食べるなんてすっかり忘れていた。

 忘れてしまったぜいたくな時間。


「アイスの値段」8/2

 あの白いガラスを開けて、そこにあるアイス。

 ムカシナツカシという気持ちではなく、僕が10才くらいまでは、10円の世界が残っていた。

 ホームランバーが10円。そして棒アイスも10円。四角いソーダアイスも10円。そして1968年くらいまでは、カップのアイスも10円だった。

 二本でパキッと割るコーラアイスも10円。まあ、そんなところか。。

 これは1965年〜1970年前後までの話だ。「そんなの知らないよ〜。まだ生まれる前だもの〜」とか、言わずに聞いて欲しい。この話のテーマはそこにないのだ。

 たぶん10円アイスの時代は、かなり長かったのではないかと思う。5円ではなかっただろう。昭和で言えば、昭和25年前後から、アイスは10円だったのではないか。(未確認)

 10円から20円になったとしたら、それは二倍の値上がりではないか。しかし、それに対して誰も何も言わなかった。15円の時代なんてなかった。突然の二倍だ。

 アイス20円の世界。それは、1971年から1972年頃か。。やがては30円時代へ。そして50円か。。

 ホームランバーの歴史を見れば、だいたいわかるかもしれない。

 10円の時代から、30年ほどたって、今は50円が、そのころの10円なのかもしれない。いや、ちがう。50円もっとグレイトだ。

 思い返してみれば、くじも10円だった。(くじというのは俗語かもしれないが。。 )

 「10円は僕らの世界。」これはいい響きの名言だ。

 そんな世界に住めて幸せだった。

 ・・・・

 今、100円ショップが当たり前のようにあるのだから、10円ショップも作って欲しい。(消費税サービス)

 もう一度、アイスを10円に。。

「今日の夜話・過去ログ'04年4月〜'04 年7月」

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