青木タカオ「ちょっくら・おん・まい・でいず」

「最近の事」過去ログ'03.8〜11月


「ファーストアルバム」
11/28

 ここ一週間、ずっとインドのアーティストのファーストアルバムを聞いている。

 このアルバムが出てからもう、25年くらいたっていて、その後も何十枚とアルバムは作られているが、僕には、このファーストアルバムがサウンドも含めてとても良く聞こえる。

 さて、そう思っているのは、僕の方で、本人も含めて、インドの人たちはそうは思っていないかもしれない。たしかに、サウンドは豪華になり、まるで高級レストランのようでもある。(ちょっとおおげさか・・)

 セカンドアルバムでは、もう、すでにサウンドはポップになってきてしまう。

 それはまあ自然な流れだと思うとして、ファーストには、僕の心に届くものがあるということだろう。

 それに不思議なのは、CD化されているのはセカンドからで、ファーストはなぜかCD化されていない。

 (ファーストアルバムは、雰囲気が違うのかもしれない・・)

 ここで僕が思うのは、僕らの出している日本のアルバムを、外国の人たちがきくとしたら、「ファーストがいいな」というかもしれないなということだ。

 向こうの人たちが、どのアルバムがいいなと思うかは、ホント、聞いてみないとわからないだろう。

 しかし、僕が思うところ、きっとファーストアルバムがいいと言うような気がする。


「曲順」11/25

 大好きなインドのアーティストのテープを、CD-Rに直そうと、オリジナルテープからのダビングをはじめた。

 もともと、自分で編集したテープは作ってあり、もう10年くらいその編集したテープを聞いてきたのだ。

 ファースト・セカンド・サードアルバムからセレクトしたりして。。

 しかし、今回は、もともとのアルバムの曲順どうりに、一枚のCD-Rに焼いてみたのだ。

 それも、ファーストアルバム。ファーストアルバムはどのアーティストも、やっぱりいい味がある。セカンド以降になると、サウンドも豪華になってきてしまう。

 僕はこのファーストが好きだ。しかし、この文章を読んでいるみんなは、どんな歌なのかも想像できないだろう。

 8曲入りのアルバム。曲順どうりにならべて聞いてみると、その曲順どうりに、インドではかかり続けていたのだろうということがわかる。

 ・・それはきっとまちがいなく事実なのだ。

 8曲の友達。その絆。まるで、ひとつの生き物のように、その8曲はある。

 僕には、このファーストアルバムがインドじゅうで、かかっていたときの空気までがよみがえるようだ

 それは編集テープを聴いていた頃には、なかった感覚だ。

 一枚のCDはもちろん丸い。しかし、今回は、特別に完璧な丸さを感じている。


「お宅訪問」11/22

 土曜日、午前中、関東では「お宅訪問」の番組をやっている。

 みんなも一度は見たことはあるだろう。いろんなアイデアを出して建てたオリジナル建築を紹介してゆくのだ。

 「ほほーぅぅ」

 紹介者の人も、建築の知識があり、建主もまた嬉しそうだ。

 僕はいつもその番組を見て思うことは、よく部屋が片づいてるなぁということだ。ほんと埃ひとつ、塵ひとつ落ちていないものね。

 ・・それに比べて僕の部屋ときたら。。もっと整理する必要がある。。

 その番組を見てると、何だか人生の差を感じてしまうな。あの余裕はどこからやって来るのだろう。

 そして、もうひとつ最近、深夜で貧乏生活のお宅訪問の番組をやっている。(実はこの地下オンにも、出演者募集の電話があった)

 この番組もまたお宅訪問なわけだけれど、土曜日の番組との差がありすぎる。

 いろんなことが、全部逆だ。

 wait・・(今の言葉、プレイバック×2)

 いや、はたしてそうだろうか??

 貧乏で、せまい部屋の人たちも、そりなりのアイデアを出して、がんばっている。一緒じゃないか。

 一度、紹介者を逆にしてみたら、いいかもしれないな、なんて思ってしまう。

 だんだん、文章を書いているうちに、ほんとうに一緒のような気がしてきた。

 ・・同じ人じゃないの!?

 たぶん、ちょっと違うだけだ。おんなじ24時間。おんなじ夢の中。

 (夢の中では親友でしょう。)


「午前3時」11/19

 夜7時に帰宅して、ちょっと横になったと思ったら、本格的に眠ってしまった。

 「おおっ、失敗!!」

 すっかりぐっすり眠ってしまい、柱時計を見たら、もう午前3時だ。

 テレビをつけてみたら、よく知ってる番組をやっていた。

 (あれ、夜9時だ)

 時計の見間違だ。夜中の2時45分ではなくて、まだ夜の9時15分だったのだ。

 (ずいぶん眠ったのになぁ。。もう一回寝るか・・)

 次に起きたときは、夜の11時だった。もうぜんぜん眠くはない。。

 ・・・・あれ? 時間が戻ってるよ。・・・

 計算してみると、睡眠1時間で、4時間進んだように思ったわけだ。

 普段、僕は、夜中の2時くらいに寝て、朝6時前に起きているので、一日4時間睡眠だ。

 4×2=8時間すぎた感覚計算?

 普段は約18時間くらい起きていて、4・5時間寝ているから、眠りのノルマはやっぱり、1時間で、4時間くらいかな。

 ・・『1時間眠ることは、4時間すぎると同じごとし(青木タカオの場合)』

 そう、思うと、なんだか幸せです。


「ペン」11/15

 「愛は地球を救う」とは、よく聞くけれど、余ったペンは、何か役立つことはないのだろうか。

 テーブルの上のペン立てを眺めながら考えてみたけれど、どうもそれは無理なようでもある。

 しかし、たぶん相当なペンの数が、世界中で余っているだろう。

 それを何とかしたいと思うのだが・・。アイデアがない。。

 まあ、それは後で考えるとして、この部屋にあるぺンの数のことを思った。

 だって、一日にどれだけの文字をこの部屋で書くというのか。

 ボールペン一本使い切るにも、相当な時間が必要だ。

 学生時代なら、それなりに使うことも出来だろう。しかし今は無理がある。

 パソコンで文字を打ったりもしてるのでなおさらだ。もうたぶん、この先の人生、ふたつかみっつ分くらいのペンがここにあるかもしれない。

 ここはひとつ、日本全部、そして世界規模で、ペンのリサイクルをしたらどうだろう。

 「ペンは地球を救う」

 そんなことを本気で考えている。

 それぞれの街に、「ペンハウス」というのを作ったらどうだろう?

 「高円寺ペンハウス」「荻窪ペンハウス」「吉祥寺ペンハウス」・・

 そこではボランティアの人が店番をしている。余ったペンを受け取り、そして並べるのだ。

 値段は、20円・50円・100円・300円・500円・1000円・プレミア・・

 売れたお金はすべて日本ペン基金への寄付となる。(いやマジで)


「サービスステーション哀歌」11/12

 とある電気メーカーの、修理受付のサービスステーションに、もう20年通っている。

 それは秋葉原にあり、ほぼ 毎年、年に10回は通ってきた。(受け取りも含めて) 

 やっぱり家電の修理は、本社専門の窓口に直接持ってゆくのが一番いいからだ。

 話のテーマからは、ずれるけれど、修理に持って来る人って、いろんな人がいるよね。

 待ち時間に座っていても、その人たちの説明を聞いてるのは、あきることがない。

 おじさんとかが、カセットテープレコーダーを持ってきて、いろいろ説明する。それはなんとも味がある。

 「こっちのテープだとね、ちゃんとかかるんだけどねー、こっちがだめなんだよねー」

 それに受け答えをする、受付のお姉さんたち。

 ・・時代も変わった。。

 それはしかたがないのかもしれないけれど20年も通っていると、僕はどこか寂しい。。

 '80年代の冬の秋葉原。このメーカーの修理受付サービスセンターは今の三分の一以下の大きさだった。窓口は三つしかなく、どの人も丁寧に受け答えしてくれた。

 しかし、時代は変わった。。

 買った電化製品が壊れたのは、さて、こちらが悪いのか。

 なぜ、お願いして、修理をしてもらうのか。

 そこまでは極端ではないけれど、昨日、受付をしてくれた人は、まったく愛情を感じられなかった。というか、完全に事務的だった。

 それは、そのメーカーの修理受付の伝統には、なかったことだ。

 俺は寂しいよ。俺ももうおじさんかな。駄菓子屋のキャンディーでも、なめたいな。

 赤とんぼの歌でも、うたおうかな。


「自転車にて」11/8

 こんな気持ちはよく知っている。

 駅前の写真屋さんまで、自転車で走ってゆくとき、まるで自分の庭のように商店街をゆく自分がいるのを見つけた。

 この気持ちは、実家のある柏崎の商店街を走っていた時と同じだ。

 同じ町に14年もいると、慣れてしまうものだなぁ。。

 もう15年も毎日仕事で自転車で乗っていたら、商店街を自由に抜けて行けるようになったのだ。

 田舎の町で、走っているときのスピードだ。

 「ちよいとそこまで」という感じかな。

 しかし、実家の町とここ高円寺では状況が違う。

 隣には中野もあり、阿佐ヶ谷もある。実家にいた頃は隣の町までは、とてもとても遠かった。

 ここでは、隣の町との間には畑も田んぼもない。

 ひとつの町なのに、つながっているのだ。

 まるで、隣町は幻ではないかと思えてしまう。

 もしかしたら、隣町との関係も幻なのではないか。

 住所というものもあるけれど、ここ「高円寺」はひとつの島のようなものではないか。

 実は「高円寺村」と呼んだ方が今の僕には、町の実感があるようだ。


「一円・五円」11/5

 日々、なるべく使うようにはしているけれど、一円と五円玉が、相当たまった。

 別にためているわけではないけれど、たまってしまった。

 まあ、一度くらい、銀行に持っていったかもしれないが、ここ20年分のたぶん、一円と五円玉がこの部屋にある。

 まるで、年輪のように。

 (そういえば一円・五円にも、それぞれバースデーはあるんだな・・)

 最近になって、銀行のキャッシュカードのコーナーで、小銭も預け入れられることも知り、これはチャンスだと、一円・五円をかなりの数持って、機械に入れた。

 しかし、あれって、一回に200枚までなんだよね。

 200枚って言ったら、手で、一掴みもない程かな、、。

 道は長いかもしれない。

 機械は、一円・五円以外のコインを、パンっとはじき出す。

 インドのコイン。フランスのコイン。

 ・・あれはなかなかせつないよ。

 今月は時間がありそうなので、機械に通って、小銭を、全部預け入れて来ようと思っている。

 いくらになるかな。


「悲しき演奏」11/2

 生ギターの弾き語りを観た。

 哀しくなって、泣きそう だった。

 これは、ギター弾きの小さな独り言だと思って聞いて欲しい。

 ひとつの竹の筒がある。それを、棒で叩くとき、それぞれの竹の筒によって、一番いい音で鳴る場所という所があるだろう。

 それも竹の種類によって、鳴り方も異なり、叩き方の強弱によっては、音がつぶれてしまうこともあるだろう。

 竹の筒で、説明すれば、ほとんどの人は納得すると思えるのだけれど、それが生ギターだと、なかなか伝わらないことが多い。

 生ギターだって、まったく同じことで、鳴っている音は、響きとともにいつもあり、それぞれのギター、一本一本によって違うのだ。

 ・・・同じように、弾いちゃいかんよ。

 とは、言うものの、

 「では、ギターによって、弾き方を変えろってか? それは、ギターのせいじゃないか。自分は演奏にベストを尽くすだけだ」

 と、おっしゃる方もいるだろう。

 有名なバイオリン奏者は、バイオリンによって弾き方を変えていると、僕は堅く信じているけれど、実際は同じなのかもしれない。

 有名なピアノ奏者は、ピアノによって強弱を変えていると思うけれど、実際はそうでもないのかもしれない。

 ギターによって、弾き方を変えるという僕の考えの方が、まちがっている可能性もある。

 それは、印象の違う曲になるかもしれないからだ。

 ある楽曲がある。それをサポートのミュージシャンに頼むように、生ギターに頼んでいると僕は思う。

 もしも、その一本しか、生ギターがないとしても、やっぱり、その一本の生ギターは、ひとつの個性と人格があるはずだ。

 君が、もしその生ギターだったら、どうだろう?


「ちようどいいくらい」10/29

 普段はお気に入りのCDを聞いているが、ときどきは、何かないかなとCDの棚を探す。

 「何かいいのないかな?・・」

 そして探してみると、まったく自分が忘れているCDが棚にある。

 新発売のときに買って、10回ほどきくCDアルバムだ。

 その後は、記憶のどこかに入ってしまい。あまり思い出すこともないアルバムだ。

 「こんなん買ったっけ?・・」

 そして、CDをかけてみると、たしかに聞いた憶えはあるのだけれど、 買ってからもう数年はたっているので、はっきりと曲も思い出せない。

 聞いていると、なんだか、もう行くことのできない過去にもう一度、遭遇しているような気持ちになってくる。

 過去に一度だけ訪ねたことのある町や商店街。。

 また、三四回聞いて、CDの棚に返してしまうのだけれど、それが実にちょうどいい。

 こうやって、また聞いてゆくうちに、徐々にそのCDを聞きたいときが見つかるだろう。

 アルバムが、商店街だとしたら、曲はお店?

 ときどき訪ねる、町の楽しみと実に似ている。


「名盤」10/25

 先日、「ジョンの魂」のアルバムをやっと聞いた。

 このアルバムが名盤と呼ばれていることはよく知っていが、有名な曲が入っているからだろうと思っていた。

 しかし、それは間違っていた。アルバム全体を通しての流れも含めて、実に名作だった。

 なんとも、、恥ずかしい限りだ・・。反省。。

   ◇◇

 僕は思った。このアルバムが新譜で出たと同時に買ってきて、聞いたみんなは、かなり味わい楽しめただろう。

 そして数ヶ月かけてその人の中で名盤となっていったのだろう。

 名盤と呼ばれているものを僕のように、名盤と思って聞くのとはまた違うはずだ。

 そのアルバムがいずれ名盤と呼ばれるようになるとは、まだわからない頃だ。

 その時はいいと思っても、10年もたつと色あせて聞こえてしまうということはよくある話なのだ。

   ◇◇

 しかし、考えてみると、だいたい名盤の基準というものはない。。

 それは誰が決めるというのか。

 あたりまえの話だが、その人の中で、ひとつのアルバムをじっくりたっぷりと楽しんで、その人の中の名盤となるのだろう。

 あたりまえの話だが。。


「こんな悲しいことがあるかい?」10/19

 岡林信康のアルバム『誰ぞこの子に愛の手を』の中の一節に「♪こんな悲しいことがあるかい?」というのがある。

 ことあるごとに、僕はそのフレーズを思い出しては、歌ったりすることがある。

 最近のこと。。

 いつも部屋で弾いているギターを、二三日、触れなかったことがあった。いつもギターを弾いてる僕にとっては、二三日というのは、かなり長い・・。

 これではいけないという気持ちもあり、ギターをパソコンのすぐそばに置くことにした。それも正面向きで。

 ♪ポロ〜ン・・

 親指で、ギターを正面から指板のところで弦をポロ〜ンと鳴らしてみた。。

 ・・こんな悲しいことがあるかい?・・・

 部屋で弾いているギターをこんなふうにして音を出したことはまずなかったことだろう。

 この音の出し方は、質屋さんや中古ギター屋さんで飾られてあるギターをちょっとだけ弾くときと同じだ。

 まるで他人みたいな音。。それは最大限に遠い関係のようだ。

 ・・しかし、このギターも最初、中古屋さんで見つけたときは、こいうやって親指でポロ〜ンと鳴らしたんだよな。。

 ・・・・。

 いろんなものには、悲しい出会い場所があると知りました。


「憧れの不動産屋おじさん」10/16

 いつも月末に訪れる不動産屋のおじさんは、僕のあこがれだ。

 先日も台所の床板がいたんできたので、そのことを告げると、

 「いいよ、新しいのはろうか。ここに電話すれば大丈夫だから」と、軽く答えてくれるのだ。

 不動産屋さんにもいろんな人がいるけれど、ここのおじさんは、最高に優しい。

 入口の左には本棚があり、そこには仏教説話の本があったり、仏像のポスターが貼ってあったりして、なんだか悟りの境地にいるようだ。

 家賃を払いゆくと、いろいな話をおもしろおかしく話してくれる。

 「あの部屋の奥さんも大変でねぇ。。」と、こんな具合だ。

 家賃が払えない人には、それなりに待っててくれるという話も聞いた。

 いつもにこにこしててて、幸せそうだ。

 部屋のすみには、電気マッサージの機械が見える。

 よく、うたたねをしている姿を見かけることもある。。

 部屋の修繕のことを話すと、必ず「いいよ、いいよ、直してあげるようか」と、即答してくれる。

 ああ、いつ僕はあんなおじさんになれるだろうか。

 アルバイトで、ひーひー言ってる毎日は解放されるのだろうか。

 不動産屋さんのおじさんは僕のあこがれだ。


 「お礼」10/12

 先日、テレビで、南インド・ケララ州「コーチン」を特集した、10分ほどの小さな番組を見た。

 僕には南インドを唄った「ケーララの町で」という歌がある。それはまさに「コーチン」の町を中心にして作った歌だ。僕がいたのは、ほんの10日くらいなものだったけれど、コーチンの人たちは実にやさしかった。

 そのことを僕は歌にしたのだけれど、先日のテレビ番組の中でのコーチンの人々も、みな優しくて陽気な人たちだった。

 その10分の中で、僕の旅のことが思い出され、いろんなことが結びつくのがわかった。

 僕の歌の中だけでなく、ケーララ州全体の良さがそこにはある。

 その10分の中で僕が感じたことを、次の日にここに書こうとおもったが、ひとつのインスピレーションが来て、僕はそのことを作品としてまとめることにした。

 インスピレーションだけはやって来て、それを僕が作ることになった。

 それは、僕が書いているはずの作品だということがわかった。

 しかし、それがイメージどうりに完成するかは、僕自身もわからない。

 ・・・「お礼」。

 僕は、歌を唄い「ケーララ」にはお世話なっているので、人生をかけて(?)、作品を書きあげようと思う。それは僕の「お礼」だ。

 そして、そのインスピレーションが来たのは、ひとつの「お礼」だったようにも思えるのだ。


「静かな静かなジーパン屋」10/8

 その下町のジーンズ屋さんはそれなりに大きい。しかし、なぜかたいへんに地味だ。

 大きな看板には、派手な絵が書いてあるのだけれど、色使いが暗く目立っていない。

 店先にはこれまた地味なシャツが並んでかけられてある。店内には、あふれんばかりのジーンズがあり、店の奥が見えない。

 やっているのは、おじさんとおばさんの二人だ。たぶん夫婦だろう。

 ここ10年以上、その店の前を時々は通るのだけれど、なにもかも変わっていない。店先に飾られてあるシャツもどう変化しているのかわからない。

 ・・・なぜか、その店の前を通るとき、とても静かなものをいつも感じる・・・

 それはまるで磁力ような静かさだ。

 若者らがこの店に通っている姿を目撃した事がない。だいたい店先のシャツのセンスが、なんとなく飾っているとしか思えないのだ。

 店先から見える大量のジーンズは、10年前から変わっているのか? 僕には、変わっていないように思えてしかたがない。まあ、ジーンズは腐るということはないのかもしれないが・・。

 ジーンズも10年以上もその場所にいると、商品というよりも、生き物に近くなるのではないか。毎日、お店の人の会話を聞いているうちに、日本語を覚えてしまうのでないか。

 そんなジーンズたちの夜の会話が聞こえてくるような店だ。

 (おーい、今日も元気かー?)

 そのジーンズ屋はすでに、店の領域を越えて、物語の一部になりつつあるようだ。

 静かな静かなジーンズ屋。まるで異次元の世界に吸い込まれてしまうようだ。


「古ギター売り」10/5

 日曜日、上野公園に行ったとき、骨董市をやっていて、その中で中古ギターが、何本も飾られていた。

 ギターといわず、変わったものも多かった。その店主はギターのことが少しはわかっているらしくて、70年代最初のギターでありながら、どれも魅力的な古ギターばかりだったのだ。

 ついつい寄ってしまう私。。

 (うわーっ、まいったなぁ・・)

 10年前だったら、すぐ買っていそうなギターばかりである。ただ、ちゃんと弾けるかは不明だった。形として変わっているので、ギターマニアの人が買うのかもしれない。

 裏の方に回ると、店には出していない古ギターが、7・8本しまわれていた。そのギターもまた変わっていた。

 しかし、そのギターがいくら安いといっても、私は買うことができない。なぜならば、なかなか捨てることも大変だからだ。

 以前なら、燃えないゴミの日に、そっと置いておけば、誰かが持ってゆくというパターンもあった。(それは僕自身でもあるのだが・・)

 今は、そういうわけにもゆかない。。(お金もかかるし、ギターを捨てるという行為がつらい・・)

 結局、部屋のどこかにたまってしまう。

 それに、だいたい弾けるギターを持っているではないか!!

 とりつかれたような数分間の後、私は正常心に戻った。

 (ああ、だめだめ・・)

 やっと、その店を離れることが出来たのだ。

 ◇

 何か商売できないかなって、こころのどこかでいつもおもっていたけれど、古ギター売りの商売なら僕にも出来るかもしれない。


「 熟睡カプセル・・他」10/2

 今朝、布団で目が覚めるとき、熟睡カプセルのことを思った。

 2000年をすぎても、未来の図にはカプセルで眠る僕らの姿がなかなかやってこない。SFものでは定番なのに・・。

 熟睡カプセルは、もちろん熟睡できる。3時間で5時間。5時間で8時間。8時間で12時間分眠れる、そんな感じだろう。

 夢スイッチもあったりして。。一度眠れば、三日起きていられるとか。。でも実際はどうなんだろうか?

 ・・・・・

 そんなことをあれこれ考えているうちに、ふと「カプセルホテル」のことを思い出してしまった。

 「カプセルホテル」には、10回ほど泊まったことがあるが、どの記憶もなんだか寂しさと一緒にある。

 「カプセルホテル」は、まあ、人によっては安心できるスペースかもしれないが、僕には、寂しい光景だ。

 男どもの巣。あの洞穴のような場所から、這い出してくるのはせつない。

 休憩所もあるけれど、みんな知らない人ばかり。。カプセルの中の小さなテレビを、ヘッドホンで聞いたりしてるのも変だ。

 夜中、いびきのすごい人がいて、眠れなかったりもする。。

 「熟睡カプセル」って、ホントにいいのか?

 実は、寂しいものではないか?


「写真の整理」9/27

 いつも使っている写真屋さんにフイルムを出すと、小さなアルバムも一緒につけてくれる。

 一年の間には、かなりの数のアルバムがたまってしまう。テーブルの下、今年のアルバムだけで、もう20冊ほどたまっている。

 それぞれのアルバムに、名前をつけてないので、写真を探すときはなかなか大変だ。

 (なんとかしなくちゃな・・)と、いつも思っていた。

 そして先日、それぞれ名前を書こうと思ったけれど、、それはやっぱりやめた。

 写真を探すために何度も、アルバムを開いているうちに、写真が記憶に残っていることに気付いたのだ。

 ・・それは思わぬ効用だった。

 ほとんどのことは、整理したほうがだんぜんに良い。しかし、これだけは別のようだ。僕の中で、一年が写真とともによみがえってくる。

 まったく無駄だと思っていたけれど、これは続けてゆこうと思う。

 ものぐさも、時には役立つようだ。


「ゴールドブレンド」9/22

 またコーヒーがなくなった。

 と、買いに出かけるのは、僕の場合はインスタントコーヒーだ。

 それも『ゴールド・ブレンド』。。

 またパッケージが変わり、さらに美味しくなったと言う。本当だろうか、不安だ。

 あまり味が変わってもなあ・・。

 もう20年以上、毎日、ゴールドブレンドを飲んでいるのだから、そろそろCMに出てもいい頃じゃないか。

 しかし、、「違いのわかる男」シリーズは、ちょっとなぁ。。

 だって、これしか知らないんだもの。

 ならば「これしか知らない男」シリーズの方が似合っているかな。

 ・・イメージダウンですよ・・

 そんなことは、言わないで欲しい。

 やっぱりゴールドブレンドを、こころから愛し、飲み続けている人たちに、スポットを当てて欲しい。

 なぜ、なぜ、いつも「ダバダー」なのだ。「ノー・リーズン・ゴールドブレンド」ではだめなんだろうか。

 僕がゴールドブレンドを飲むとき、僕の耳もとで、あのミュージックは流れたことはない。

 とか、書きなから、またゴールドブレンドを飲んでいるわけだけれど、、

 そうだ!!「ゴールドブレンド・ゴールドフレンド」シリーズのCMなんてどうだろう。


「銭湯の絵」9/19

 ・・ちょっと調べれば、わかることかもしれないが。

 先日、近くの銭湯に行ったとき、絵が変わっていることに気がついた。湯船の上、壁に描かれている大きな絵だ。

 絵の下には、日付が入れられてある。

 もう25年くらいは、銭湯に通ってはいるけれど、その疑問に自分の頭が動くことはなかった。

 「銭湯の絵は、一日で描いてるの?」

 銭湯は普通、一日だけの休みだ。なんだか、その一日の間に、この大きな絵を描いているのではないだろうか。

 大きいから大変だろう。

 ずっと、銭湯の絵は、どうしてこんなタッチなのだろうと思ってきたけれど、それには理由があるような気がしてきた。

 湯船に入りながら、僕はいろんなことを想像した。絵描きは、その夜にやって来て、お風呂時間の終了とともに、壁の絵を描きはじめる。そして徹夜で、作業に入るのだ。そこには、ひとつの伝統芸があり、信じられない早さで、描きあげられるのではないか。

 そして乾く時間も計算に入れて、作業は終わる。

 一日で仕上げるためには、必然的にあのタッチになるのかもしれない。そんなことは考えたことがなかった。


 「旅人よ・・」9/15

 先日、アイルランドの特集のテレビを観た。

 その中で、「ガリバー旅行記」で有名なスウィフトの言葉が紹介された。

 『旅人よ、自分の道を行け』

 それは、スウィフトの墓碑銘に刻まれているらしい。

 (なるほど、、)。ピンとくるとはこのことだ。

 世の中には、いろんな言葉の組み合わせがあるけれど、「旅人」と「自分の道」は、なかなか隣に来ることはなかった。

 スウィフトは、風刺家としても有名であり、そして晩年は孤独癖が極端に出てきたという。その生涯は、変化にとんだものであり、そんな彼だからこそ、この言葉が出てきたのだろう。

 僕は驚いているのは、「旅人よ、自分の道を行け」という言葉が、実のシンプルで、それでいて十分すぎるくらいに、意味をもっているということだ。

 1000の話より、このたった一行の方が強い。

 当たり前といえば当たり前の言葉ではあるが、インターネットで検索しても、ヒット数がゼロ。まったく誰もこの言葉を使っていない。

 僕はこの言葉を心にとどめ、いつも思い出すことにしよう。

 調べたら、正確にはスウィフトの墓碑銘に、こう刻まれているらしい。

 『そしてもはやここでは、憤怒に心臓を八つ裂きにされる事もない。
  旅行者よ、自分の道を行け。そしてできるならば、
  男らしく自由のために闘いぬいたこの人間を真似てくれ』


 「三日」9/11

 ちょっと忙しくて、ギターを何日か弾かなかった。

 よく、一日バイオリンや・ピアノの練習を休むと、三日遅れるとは言うけれど、三日ギターを弾かなかったら、さて何日遅れるのか・・。

 ほんの三日というけれど、これがまた、あなどれない。

 僕の場合、ギターを弾くことを忘れるほど、他の事に熱中したいたということなので、ギターを弾く感覚からも遠くなってしまったようなのだ。

 ギターをポロポロと弾いてみる。いろいろと弾いてみる。しかしなんだか、ただ弦をなでているようなのだ。何かメロディーを作ろうとするのだけれど、感覚が自分に戻ってこない。もう前のように曲が作れないと思ってしまうくらいだ。

 ・・三日。

 実は三日もバイトを休んでしまうと、僕はもう忘れ物博士になってしまう。忘れ物がないか思い出すだけで、ひと仕事だ。

 年令のせいもあるかもしれない。

 パソコンで言えば、メモリーが少ないというか、、。

 でも、30年くらいずっとギターを弾いているんだぜ。三日くらい弾かなかったくらいで、こんなにも変わるものだろうか。

 こんなも変わるものなんだな。

 25メートル離れたギターに声をかける。

 「オーイ」

 三日たったら、それは75メートル離れたことにんるかもしれない。

 「オーーーイ!!」

 そんな感じ。。


 「行き帰り」9/13

 最近の楽しみといえば、、

 バイト先へ向かう行き帰りの二時間の間に、携帯用CDプレーヤーで、日本語の歌を聴くことだ。

 日本語の歌の入ったCDを一枚、朝選んで道に出る。毎日のように、CDを選んではいるけれど、僕の場合はほとんど外国のCDだった。

 いろいろ考え事をするには、やっぱり外国の歌の方が都合がいいのだ。

 それはそれで、いい面も多い。

 しかし、しかしだ。なにも考えずに、その日本語のCDに任せてみるという方法もあるじゃないか。

 あるじゃないか!!

 まあ、そんなおおげさなものではないけれど、一枚のCDをじっくりと聞いてみるという快感の中に、最近はいる。

 行きに一回、帰りに一回、そのCDを歌詞までじっくりと聞く。・・なにしろ耳もとで歌っているからね。

 バイト中は、そのCDの歌詞の世界を体で思い出しながら、そして帰りにもう一度聞く。・・これがいいんだな。

 芝居を二回観た感じ?

 それにしても『行き帰り』って、いい言葉の響きだなぁ。


 「ICレコーダー」9/7

 何代目かのICレコーダーを先日買った。

 最近のICレコーダーは、安くなり長時間録音もできるようになった。

 僕はICレコーダーが、一般的に世に最初に出たときから、飛びついて買ってしまった。そのときは、ロングモードで、7分という感じだったが、今は、安くても200分録音可という時代になってしまった。

 ソニーから出ていた初期ICレコーダーは、すでに形が完成されていた。ポケットに無理無く入り、取り出しやすく、録音しやすく、手になじんでいた。(最近は、なんだか、ただの機械という感じだが・・)

 今回、買ったものは、細長いステック形態のICレコーダーだ。友達は、それを見てこういった。

 「それいったいなんなんですか?」

 「ICレコーダーだよ」

 「ICレコーダーって録音できるやつでしょ。不思議なんですけど、あれ、どういうときに必要なんですか? 僕、不思議でしょうがんないんですいよ」

 「いや、忘れないうちに録音しておくんですよ」

 「そんなに必要すか?」

 「いやぁ、忘れちゃうからね」

 ・・・そう忘れてしまうのだ。『三歩歩いたら、みんな忘れてしまう』という言葉があるように、アイデアはいつも突然にやって来て、そしてちょっと他のことを考えてしまうと、もう思い出せない。

 (本当なんだよ。友だちよ)

 アイデアやひらめきは、ふだん、いつも考えない思考のどこからか、隙間をぬってやってくるので、頭が正常思考に戻ると、隠れてしまう。それは、一秒・二秒・三秒の話だ。ICレコーダーは、そんなときに、ちゃんと答えてくれる素敵な機械だ。

 「あとで、思い出せぱいいじゃん」

 と、言われるかもしれないが、それが僕に出来ればICレコーダーもいらないのだった。


「歯医者再訪」9/3

 7年振りに、前に通ってた歯医者さんに行った。

 奥歯が信じられないほど、虫歯になったのだ。しかし痛くはない。

 その歯医者さんには、前回大変にお世話になった。なんでもはっきりと、選択も含めて言ってくれて、とても気持ちがいい。みごとな話術で、治してくれる。そしてどの患者さんにも親切だ。

 7年振りに訪ねてみると、僕のことはすっかり忘れているようだったが、先生の方は、相変わらずにいい話っぷりだった。

 椅子に座り待っていると、隣の患者さんを治療している。

 「まあ、無理に詰めてもねぇ、今晩か明日には取れちゃうよ。でも、取れたら取れたでまた考えようか?」

 歯を抜きたくないって言う患者さんだ。

 あれから7年間、先生はずっとこの名調子で、治療をしてきたのだろう。もうちょっと仕事慣れしててもいいかなって思うけれど、大変に親切で、丁寧だ。先生は僕の憧れに近い。

 「おっ、どうした。奥歯だっけ。どれどれ、あーっ、親不知なんだな。もうほとんど、ないねー。本当は、抜いちゃいたい気持ちも山々なんだれど、まあ、親からもらったものだから、治療しようか。下の歯も残ってるしねー」

 先生の言葉は大変に気持ちがいい。7年前のことをすっかり思い出した。

 7年前のとき、その最後に先生は、歯についていろんなことを予言した。5・6年も先のことを言っていた。

 すでに、先生は予言者の域に達しているようだ。


 「復活の年」8/30

 最近、自宅で何かをしながら、日本語の歌を聞けるようになった。

 もう20年以上は、そんなことができなかった。日本語の歌は歌詞が聞こえてきて、ついつい聞いてしまい、作業ができないからだ。

 だから何かしてるときは、邦楽以外のアルバムをかけていた。

 僕が自宅で邦楽のアルバムを聴いていたのは、中学〜高校にかけてだ。同じアルバムをずっと聞いていた。それは、生活の中で音楽を聴くということのはじまりだった。

 東京に出てきてからは、邦楽は集中的に、耳を傾けて聴くというパターンだった。まるでライブを聴くみたいに。

 そんな僕だったのに、最近は、日本語のCDをかけなかがらいろいろ出来るようになった。もともとテレビをつけながらなら作業は出来ていたので、無理な話ではなかったのだが・・。

 今、自分の中の音楽モードが、'73年のフォークモードになっているのだ。なぜか今、あらためてあの頃の歌の良さを感じている日々なのだ。

 「あの頃の歌の良さ」というよりは、「やっとフォークの呪縛を解かれた歌たち」という感じなのだ。

  フォークの聞き始めが'73年なので、ちょうど今年が30年目。

 快獣ブースカは20年後に地球に帰ってくるといったし、鉄腕アトムも2003年に誕生したし、グリコでもタイムスリップシリーズで'70年代の音楽を復活させたし、なんだか、ものごとには、その呪縛の解ける年というものがあるのかもしれない。

 ♪ほんとだよ〜 ほんとだよ〜


「ジーンズ」8/27

 部屋の大掃除をしていたら、ジーンズが5本も6本も出てきた。

 「あれえ?」

 見れば、ひざが全部、7・8センチほど、破れているものばかりだった。普通なら、僕ははかなくなったジーンズは捨ててしまうのに、自分で不思議だった。

 思い返してみると、そういえば数年前まで、みんなヒザの破れたジーンズを平気ではいていたのだ。それはブームでもあったようだ。最初から、破れたジーンズもあったように思う。アイドル歌手とかもテレビではいていた。

 ブームは多少去ってしまい、今はなかなかヒザの破れたジーンズは街角でも見かけなくなった。カッコイイ・カッコワルイではなくて、ヒザが破れる頃には、オシリも薄くなって生地としても限界なのだ。

 今までだったらそのまま捨てていたものを、みんな平気ではいていたので、僕もヒザの破れたジーンズを全部捨てずにとっておいた。

 一本・二本・三本・四本・5本・・。

 先日、みーんな捨てた。

 そういうことってあるよね。

 オーバーオールのジーンズ。ベルボトムのジーンズ。ラガーシャツ。etc・・。

 片付けをしていて、悩むのはそのへんだ。

 捨てるべきか? とっておくべきか?

 その答えは、友よ、風に吹かれている。


「部屋片付け苦悩」8/24

 奥の六畳の部屋をなんとか片づけようと腰を上げている。

 しかしなぜこんなにも物が増えたののか。もともと六畳に住んでいたのだから、ここに越して来てから物が増えたのか。

 世の中の人たちはみんなきれいに片付けることが出来ているのか不思議だ。

 なんともやっかいなのが無駄ものだ。ほとんどが無駄ものと言っていい。

 それも創作の・・。

 ちょっとしたイラストや文もとってあり、それをどうしたらいいのか。

 いろんな場所に行ったときのパンフレットとか。。どーしたらいいの。

 しかし今回は本気なので、なんとかとしようと思っている。スペースはあるはずなのだ。

 壊れていいない、スキャナーとか、プリンターとか、捨てるのも心苦しいし。

 本棚がパンクしていてつらい。なんとかせんとね。

 いずれ見に来る日を楽しみにしてて欲しい。奥の六畳を復活させるのだ。

 生き物のように、復活させたいな。


「34年の音」8/20

 先日、友達が僕のギターでライブを二回ほど続けて行った。

 それはふだん自分が使っているギターで、音も聞き慣れたものだ。1969年製なので、今年で34才のギター。

 我がギターを、こうして客として聞いてると、ギターのがんぱりと、そして実力がよくわかる。

 気に入っているだけあって、なかなかに愛しい音を出してくれていた。

 静かな曲、激しい曲、我がギターはどうやって表現してゆくのかと。。

 さすがに34年の音がするなと感心していた。

 二度目のライブのときは、小さなお店での生音ライブだった。今度こそ、ホントにギターの実力が試されるときだ。

 我がギターは泣きそうなくらいに、優しい音でもって、そのステージをやってのけた。

 ・・おまえもやるねえ・・

 その友達も20年以上前の歌を歌っていたけれど、我がギターはそれに答えるように、深い音を出していた。

 (我がギターよ、あっぱれだ)

 僕のギターもいよいよ熟年の域に達しているようだ。がんばれYAMAHA FG180。


 詩集の本棚8/16

 窓際に置いてある、詩集の小さな本棚がある。

 詩集は時間がどんなにたっても、いつまでも色褪せないと思って作った本棚だった。

 今から20年ほど前から集めてきた詩集の文庫本。普段はあまり手に取ることはないけれど、ときどき開いてみると、なんだか懐かしい古本の匂いがする。日に焼けたのだろう。

 ・・紙の限界なのかな。。

 文庫本自身は大事にしてきたつもりだけれど、古くなるのはしかたがない。書かれている詩はもっと古いものだけれど。なんだか何もかも古くなったような気分がする。

 まったく知らない若者たちが僕の詩集の本棚を初めて見たら、なんて古い本ばかりだろうと思われるだろう。

 (この本棚の持ち主は、どんなに老人だろう?・・)

 いや、僕なんです。僕の中では、まったく色褪せてなかったいろいろな詩の本。どの詩もよく読んだので、なかなかその後、本を開くことはなかった。

 こうやって、老人になってゆくのか。。

 たぶん、僕の中の文庫本の詩も日に焼けている。見たわけではないけれど。


「古くて大きな喫茶」8/11

 名古屋の中心から少し離れた町で、古くて大きな喫茶店を見つけて入った。

 1963年からやっているお店で、席数も多く、スペース的にも余裕があった。

 洋館風の建物の、壁の半分はガラス。バイオリン、アコーディオンを弾く楽団の油絵がシンプルに飾られてあった。そして次々と入ってくるお客さんは、若者に限らず、年寄りからおじさんたちまで、いろんな年代の人たちが来ていた。

 メニューを見ると実にさまざまに別れており、紅茶が専門のようだ。1963年の創業以来の人気メニューと書かれているものもある。そう書かれては、僕はそのメニューを頼むしかない。他にもお店のオリジナルな飲み物もあった。

 食べている間にも、次々とやってくるお客さんたち。その幅広い年代層。

 静かに弾んでいる話。

 ・・・こうでなくちゃね・・・

 古くて大きな喫茶店は多いけれど、話が静かに弾んでいる喫茶店は、なかなかないかもしれない。ここでは、大声の学生たちも静かに話していそうだ。

 1963年に創業というから、近所の人たちには、通い慣れた喫茶店なのだろう。通い慣れた話の店がある。

 古くて大きな喫茶店から、毎日、新しい話が生まれている。まだまだ続くだろう。


 「一週間」8/4

 五日後に、名古屋に出かけるのだけれど、楽しみでもあり、何だかとてもそれまでが長い。普段なら、あっというまに過ぎてしまうのに・・。

 毎日、日記を書いていた20代の頃、一週間後のことが想像もつかなかった。

 高円寺に出かけて友達に会い、目白のアパートに夜帰ってくると、映画でも何本か観たような気持ちになっていた。そして数日後に書く日記はあった出来事のほとんどが印象的に書き込まれる。それもイラスト付で。。

 今日は月曜日だけれど、今週はまたどんなことがあるのかなといつもいつも思っていた。とにかく心の変化が大きいのだ。

 本を読んでもそうだったし、映画を観てもそうだった。テレビドラマを観ても、絵の展覧会に行っても、そこに人生を感じて、影響を常に受けていた。そんな20代。一週間前の自分と、次の週の月曜の自分が想像もつかなかった。

 それが最近ではホント、矢のように一週間が早い。同じように、映画や友達のライブではいろいろと感じてはいるのだけれど、一週間後の自分が別人のなっているような感じはしない。

 それどころか、日記を書くことさえも出来ていない。今は二週間まとめて書いているとかありさまだ。

 ・・実は日記のことすら思い出せないのだ。。

 一日一日を大事にしているつもりだけれど、いつのまにか、二週間単位で考えているのかもしれない。たしかに以前は、日記に書いておかないと、書ききれないほどのことがあったのだ。

 五日後がとても遠く感じる今日の月曜日。久し振りに、一週間が長かったあの頃を思い出している。


「ナイロン弦」8/1

 僕のアパートから自転車で、高円寺の駅に行く途中、喫茶店の前で、クラシックかフラメンコギターを弾いて人を見た。

 それはほんの5秒くらいの時間だったけれど、ナイロン弦の響きを強く感じた。

 白いシャツを着て、小さなの机の上に譜面を乗せていた。ギターテクニックもなかなかだったと思う。

 ふだん、スチール弦のギターばかり弾いているので、あまりピンと来ないが、ナイロン弦は、とても空気にやさしい音のようだ。

 嫉妬するほど。。

 僕自身、ナイロン弦のギターを買ったことがあった。しかし部屋で弾いていると、もうひとつ物足りなく思えてしまう。そんな僕が最近、ガットギターで弾かれたアルバムを聴いている。そんなこともあり、ナイロン弦の音に反応したのだろう。

 しかし、ここでもひとつ僕は思う。さっき聴いたガットギターは、かなり高級だったように思うのだ。70万以上とかしてるかもしれない。勝手な想像だが・・。

 なんというのかな、、溶けるように良い音だった。大地の音という感じか。ナイロン弦のサウンドは惹かれるものがあったけれど、ここ20年はスチール弦一本だった。なんだかだんだんとナイロン弦に魅了されてゆくような気がする。

 ウクレレもそうだ。チャランゴもそうだ。年のせいもあり、自分が癒しの音を求めているのかもしれない。

 まあ、スチール弦にないものがナイロン弦にはあり、ナイロン弦にないものがスチール弦にはあるということなのだろう。

「最近の事・過去ログ '03年5〜7月まで」

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