「最近の事」過去ログ'08.12月〜'09.3月
今、ふるーいライブ映像の編集をしている。
ふるいと言っても、25年ほど前だが、、。
個性豊かな友達ばかりで、影響しあうことはあっても、
まるでちがう世界感を感じる。
あるとき、公園の回りで、みんながそれぞれに、
面白いものをひろってくるという企画があった。
もちろんのことではあるが、まるでちがうものをみんなひろって来た。
お互い、ひろってきたものを見せ合っては大笑いしたものだった。
歌もそんなふうに、まるでちがって、重なり合わないものだ。
「実り」'09.3/29
アジアの田舎町の神さまポスターがある。
そのポスターを見ていると、神さまと言えど、
実りのための地道な作業を続けているように見える。
しっかりとその年の天候に沿って。。
豊作や大漁を願う。
そこには祭りがある。
世界中の祭りの事より、自分たちの祭り。
農家のみんなが、一年中を無駄にしないように、
田舎町の神さまも、一年中を無駄にしない。
地味な作業を日々続けているかもしれない。
それがあって、実りがある。
「アメリカに帰る」'09.3/27
ここ数週間、ワールド・ベースボール・クラシックの放送をよく観た。
「世界をとるぞ」を合い言葉に、各国の野球選手たちが競い合った。
日本の選手、アメリカのメジャーリーグで活躍する日本の選手も力を合わせ。
苦戦の末、日本が優勝。言葉どおり「世界をとった」わけだ。
そして凱旋帰国。しかし、アメリカのメジャーリーグで活躍しているみんなは、
それぞれにアメリカのチームの元に戻っていった。
日本での凱旋帰国後の会見には、大きく貢献したメジャーリーグのみんなの姿はなかった。
アメリカでの大会ではあったが、メジャーリーグのみんなは、アメリカに帰っていったのだな。
世界一を目指して一丸になっていたチームに別れを告げ、アメリカに帰った選手たち。
晴れ晴れとして、言葉で言い現せないほどの、しみじみ感がそこにはある。
優勝も素晴らしかったが、アメリカに帰るみんなの姿は、同じほど味があったと思う。
ひと言では、言えない。かなり深いものを感じるが、実はよく僕にはわからない。
野球はまるでくわしくないので。。
もう選手のみんなはそれぞれのチームに戻り、練習を再開しているという。
WBC優勝は確実にあったのだが、きっとみんな今に集中しているのだろう。
何も変わらないかのように。。
「ニュース」'09.3/25
ここ二週間ほど、よく野球を観た。
普段は、ほとんど観ないのだが・・。
昨日は、ワールド・ベースボール・クラシックの決勝戦、日本対韓国。
午前からやっていたので、直接は観られなかったが、
それでもぎりぎり苦労し、苦しみながら、勝ち取ったという試合であるのはわかった。
部屋に帰ってきてニュースを観てみたが、打ったシーンばかりで、
あの悔しさとか、そこにたどり着くまで、気持ちのがんばりのようなものが、
どうも、うまく伝っていなかった。時間的な制限もあるので、
まあ、そんなものかなとも思うが、どう観ても、試合の重さが伝わっていない。
いいシーンばかりで。。
ニュースってさ、こんな感じで出来ているんだな。。
それがよくわかった。
そのままを伝えるって、大切なことだ。
「インスタントコーヒー分量」'09.3/23
日々、インスタントコーヒーを飲む生活が続いている。
インスタントコーヒーの良さは、その名の通り、すぐに出来るということだ。
僕の場合、スプーンなどは使わず、感覚だけでお湯を入れる。
そのため、そのときどきに合わせて、濃くなったり薄くなったりする。
それもいいかなと思って。。
高校時代、インスタントコーヒーと砂糖と粉末ミルクの分量を極めようとがんばったこともあった。
まあ、よくわからないままで、結果は出なかった。。
それは昔、僕が東京で働き始めた頃、事務の女性がとても美味しく
インスタントコーヒーを入れてくれていた。
それはほんと、絶妙なバランスであった。そして毎日、同じ珈琲を入れてくれていた。
(どんな分量で入れているんだろう・・??)
あるとき、僕は思いきって事務の女性に、どんな分量なのか、尋ねてみた。
すると、こう答えてくれた。
「珈琲も砂糖もミルクもスプーン一杯ずつよ」
がーーーん。
そうか、、。そうすると、あの味が出来るのか、、。
何も悩まなくて良かったのかもしれない。
「ギターの未来」'09.3/21
その外国の有名メーカーのギターの音は、
まさに'70年代の音がしていた。
'70年代にものすごく売れたメーカー。
しかし今は、2009年であり、今の歌を歌っているのだ。
ギターは長生きなんだな。
この先もずっと、そのメーカーは弾かれ続けてゆくことは事実だ。
誰も'70年代らしい音だと言って、そのギターを使うわけではないだろう。
いつだって、そのときの歌を歌う。新曲を唄う。
ギターは、ずっと先のことを思っているにちがいない。
ギターは過去のことにはこだわっていない。
未来に生まれる歌のそばにあるにちがいない。
かと言って、いままでの事を忘れているわけではない。
ギターは青年からおじさん、そして老人になる。
老人になる頃は、100歳は越えているだろう。
からだのいたるところに痛みは出てくるかもしれないが、、。
どんどん生産される数多くのギター。
「泣きたいくらいにそのままだ」'09.3/19
下町の大通り沿いにある、少し大きめの文房具屋さん。
足を踏み入れると、まるで昔のままであった。
木の板の床。所狭しと並んでいる文房具。
小さな文房具屋であったなら、とっくに改装もしていだろう。
しかし大きなお店は問屋もきっとかねていて、
そんなには改装に力を入れなくても良かったのであろう。
それにしても、あまりにそのままだ。
まあ、何も変える必要もなかったのであろう。
それは、僕が小学生の頃によく通っていた文具屋さんそのままだ。
もう帰れないと思う、あの頃。
外に出ると2009年の街があった。
不思議な不思議な気持ち。
一本100円のボールペンであっても、
僕は40年前に買いに行けた。
「探偵ナイトスクープ」'09.3/17
約1年の海外の旅より帰ってきた頃、
ずいぶんと時間があった。'89年頃。
約一年、ほとんどテレビは観なかったので、
帰ってきて、テレビが面白くて、よく深夜まで観ていた。
その中にあった、関西の「探偵ナイトスクープ」。
ずいぶん面白い番組をやっているんだなぁと、毎週観ていた。
毎週観ていたというより、テレビをつけていたらやっていたというか。。
ほんとに、その頃、「探偵ナイトスクープ」は、僕を楽しませてくれた。
毎回、視聴者の依頼を受け、それを実行しにゆく企画ものだ。
海外を旅してきて、面白いことは旅の中にあるように思えていたが、
それをくつがえすくらいの面白い番組であった。
旅から帰ってからの一年は、生活のバランスがとれなかった。
旅で感じたことが、うまく生活の中に生かせなかった。
ゆっくりゆっくりと考え、旅から帰ってきて二年後くらいに旅の歌を作り出した。
それまでの時間は、創作をしても思うようにいかなかった。
そんな時間と「探偵ナイトスクープ」の番組は、しっかり呼応した。
今でも「探偵ナイトスクープ」はやっている。テーマソングも同じだ。
あのテーマソングを聞くと、あの時間を想い出す。
表現がうまくできなかった、あの一年を想い出す。
「字幕の歌詞」'09.3/15
外国のミュージックビデオ映像も、かなり自宅にある。
まあ、ほとんどは輸入されたままであり、歌詞の日本語字幕はほとんどない。
あっても、途中の会話や説明ばかり、、肝心の歌詞には訳詞がついていないことがほとんどだ。
しかし、歌詞の字幕のついているミュージックビデオは実に味わい深い。
英語が苦手の僕にとっては、歌詞のつながりがよくわかって良い。
いつも、そんなふうに思ってきた。
そして今日も、歌詞の字幕付きのミュージックビデオ観ていた。
その訳詞は直訳ではなく、ちゃんとある程度の日本語の歌詞になっているものだった。
歌詞の言葉づかいも、ちゃんとしていた。
僕には、どの訳詞の一行にも、訳した人の愛情が感じられた。
それは、もともとの歌には含まれていないものだ。
訳詞にも、かなり個性が出るものだ。
それが良いのか、悪いのは別にして。。
その一行一行に含まれる訳詞の愛情変換。
そこには、日本の歴史のすべてがあるようにも思えてくる。
「もうろうギター」'09.3/13
ここ最近、ほんと仕事がハードで、
帰って眠るだけの生活になりつつある。
それでもなんとか起きてきようと、がんばってみるが、
だんだんともうろうとしくる。
それでも、いつもギターだけはぽろぽろと弾く。
なんの曲でもない。創作をしようと思うが、
そこまでもいかない。
しかし、それでいいんだよ。
扉を叩くということが。
「張って三日目の弦」'09.3/11
先日、弦を、まちがって買ってしまった。
いつもより少しグレードの良い弦だ。
そして、ライブの三日前にギターの弦を張り替えた。
弦を張って三日目の音がとても良いと、昔からみんな言うからだ。
僕もそう思っている。
しかし、その弦は賢くて、張ったときから、三日目のようなサウンドがしていた。
三日目の音は、僕は想像していた音にはならなかった。。
どうしても、僕にはその弦の音がしっくり来なくて、先日、いつもの弦に張り替えた。
二日目、だんだんと良い音になって来ているので、三日目には最高の音になるだろう。
やっぱりな、、いつもの弦でなくちゃ。
先日のライブ、この三日目の弦の音でやりたかったな。
まあ、気持ちの問題かもしれないけれど。。
実のグレードのいい弦の方が、一般的には良い音と呼ばれるだろう。
僕には、しっくり来ないのだが。。
「ノート世代」'09.3/9
僕は大きなノートを買ってこようと思う。
A4かな。もっと大きくてもいいな。
ひと月に一冊使ってもいい。うまく計画を立てないと、
日々の渦に巻かれてしまう。
「あのときD-18を買っていたら」'09.3/7
東京に出てきたとき、マーチンのギターを買おうと思っていた。
そのときは、マーチンのD-28を買いたかった。でも、35万円には、とても足りなかった。
マーチンのD-18が、30万円くらいだったかな。
その日、僕は18万円を持って、お茶の水に行った。楽器屋さんで、マーチンを見ていたら、声をかけられた。
マーチンの0-16NYという小さめのギターは、25万円だが、僕の持っている18万円でいいという。
つい買ってしまった。小さめのボデイのクラシックタイプのマーチンを。。
今、想い出しても、なぜ、0-16NYを買ったのか不思議でたまらない。たぶんマーチンというギターが欲しかったのであろう。
まだ若かったから。。
もしもうちょっと我慢して、大きめのボディのDシリーズを買ったいたなら、今も充分にライブやレコーディングで使うことが出来ただろう。
他のギターもいろいろと買っただろうが、また復活していろいろ弾くことが出来たであろう。
買っていないのだから、それは出来ない。
そのとき新品買っていたとしても、30年はたっているので、音も枯れはじめているだろう。
今になっては夢物語だ。
マーチンのDシリーズは、押入れの中にずっと眠っていても必ず復活するだろう。
「低音・夢少しやぶれる」'09.3/5
ライブで生ギターを弾くとき、
まるでそれがひとつのバンドのように聞こえるのが理想だなと、思っていた。
それには豊かな低音が必要だ。
ずっと国産のギターを使っていた頃、それを求めるには無理があった。
(ああ、外国製の高いギターなら、ボリュームもあり、豊かな低音も出るのにな・・)
ギター一本、バンドの如く。
そして、その憧れにために、僕はギターを高いギターを買った。
良く鳴って、音のボリュームも申し分ないギター。
これでばっちり!! と、、思っていた、、が、、
僕のひとつのかんちがいがあった。
ギターの音程を上げる「カポタスト」を、5フレットくらいにつけると、
どうやっても、どーんとした低音は出ない。。
ちょっと考えればわかったことだが、、。
ある程度の豊かな低音しか出せないとわかった。
僕は声のキーは「F」であり、カポは3フレットから5フレットにつける。
もし、キーが「G」であったなら、カポなしで歌えるので、どーんとした低音が出せる。
結局は、僕の声のキーの問題でもあったのだが・・、
低音の出るギターは手に入れたが、バンドの音にするという夢は少しやぶれた。
ちょっと考えれば、それはすぐにわかったのだが、気付けなかった。
「時間のない年」'09.3/3
8mmビデオにライブ映像を何百本と撮った。
最初はVHSテープに直接のビデオカメラ録画だった。次はベータTAPE。
それも古くなってきたので、一度は8mmビデオテープにダビングし直したものだった。
でも、結局はテープはテープ。
カセットテープは意外と黴がつかない限り、ほぼ再生もできるが、8mmビデオテープはとても弱い。
劣化もするし、テープが癒着して、切れたりもする。黴なんてでたら、そうとうに厳しい。
8mmビデオテープでの保存がこんなことになるなんて、誰が想像しただろう。
なんとかデジタルにしておかなくてはならない。
昨年まで、機材をいろいろそろえて、やっと最高画質でのダビングが出来る環境もととのった。
この一年はダビングをし続ける決意である。
今年の一年は、自宅にいる間はこのことにつきっきりだろう。
2009年ではあるけれど、なんだか何年でもないような気がする。
たぶん何年でもない年のために、がんばるのであろう。
「弦の育ち方」'09.2/28
ああ、今回、ちがう弦を買ってしまった。
そして張ってしまった。
十何年ぶりで、ちがう弦を張った。
と言っても、同じメーカーであり、少しグレードのいいものである。
そもそも僕がまちがったのではなく、お店の人がまちがえて置いてしまっていたのだ。
まあ、それはいいとして、弦を張ってみたら、やっぱり音が微妙に違う。
グレードが少し良くて、最初から落ち着いた音になっているが、、
どうも僕には、それがピンと来ない。
張って7日目くらいの音なのだ。
三日後にライブがあるので、三日後の音になるように、ちゃんと弦を張ったのに、
僕の感覚が変わってしまった。
15年も同じ弦を使っていると、弦の育ち方がわかるのだ。
人間で言ったら、一日が一年?
三日目の音がある。三日目の弾き方がある。
一週間目の音がある。一週間目の弾き方がある。
それは本当だよ。
嘘つかない。
ちがう弦を張った。
僕には、その弦の育ち方がつかめない。。
「耳の宿」'09.2/26
30年ほど前、僕は、今で言うストリートで歌っていた。
その頃に歌っていた歌は、今はほとんど歌っていないが、
当時は、よく何度も何度も歌っていた。
その頃に知り合った友人ときは、もう25年以上は会っていないが、
想い出せば、そこに当時僕が歌っていた歌があるだろう。
高校三年のとき、よく聞いていたのは、ブルース・スプリングスティーンの「明日なき暴走」のアルバム。
今、聞いても、当時のことが全部よみがえってくる。
もう、その頃の時間とくっついているんだよね。
ほんと、歌って、響なんだよね。
先日も、友人の古い歌を、聞きたいという人に出会った。
歌はその人からはなれ、いろんな旅をするんだな。
いろんな宿にも泊まる。耳の宿?
「パソコンの変化」'09.2/24
先日、中古パソコン売り場に寄ってみた。
二年ほど前に僕もここでひとつのパソコンを買った。
中古で八万円。。
同じパソコンが中古で出ていたが、すでに値段は25000円になっていた。
えーーーっ。
それにしても、二年前にあったパソコンの種類とまるで変わっていることよ。
デスクトップ型は、なんと一台もなかった。
進化してゆくのは、それなりに素晴らしいとは思うのだけれど、
ソフトや周辺機器が、それにつれて変化しなくてはならせなくて、
なんだか追いついていけなくなってしまう。
パソコンは四年以上はもう、もたないかのような。。
あまりに短い周期の、機械だ。
十万円以上はするのに。。
そんなに早く進化しなくてもいいのに。。
「聞いたこともない」'09.2/22
友達がバンジョーを使って、面白い演奏をしてくれた。
約150年前、黒船にて、日本で初めてバンジョー演奏をしたときの楽曲を、
そのままの形で演奏してくれたのだ。
「雰囲気を出すために目をつむって下さい」と、友達は言う。
その古いバンジョーは、当時のもので、鉄弦ではなくナイロン弦が張られていて、
とても懐かしい響きをさせていた。
二曲目に演奏したという、その曲は、現代でも充分に楽しめる楽曲であった。
黒船にて、初めてこの楽曲をきいて江戸の人たちはどう思ったであろうか。。
自分たちの音楽とまるでちがう楽曲であったとしても、楽しかったにちがいない。
はじめて聞く音楽というものであっても。
録音する機械などないので、まるで花火で見るように、記憶にとどめたであろう。
何度も聞いたならば、その良さもわかるだろう。
江戸の他のみんなが、何と噂をしようとも。。
はまってしまうかもしれない。
そのちょんまげをした日本の人は、一生、鼻歌として楽しむこともあったかもしれない。
その楽曲は、きっと、もうそんな楽曲だったのだ。
そして、黒船の人は、演奏したのであろう。
日本の人だって、黒船の中で、何か日本の伝統的なものを渡したであろう。
たった、ひとつかふたつ。そして、それは種となり、、。
聞いたこともない楽曲がある。
たぶん、それはずーと遠くや、家の片隅や、笑いや、言葉のなまりや、
季節の一時や、忘れかけた古いことや、行ったこともない場所にもつながっている。
「修正をのぞむ」'09.2/20
JRの新型車両には、ドアの上の案内画面がついている。
とてもよく出来ていて、次の駅や今の駅、行く先の駅名が液晶画面に表示される。
駅名は大きく、よくわかるのだが、、
その駅名表示の手前と後ろに書かれている、
「ここは」「つぎは」「NEXT」「行きです」「TO」などの文字が、とても小さいのだ。
それもグレーの地に、黒の文字なので、なおさら読みにくい。
居眠りしてしまった人が、はっと目がさめて、行く先の駅名が表示されていると、
つい、そこが終点だと思ってしまう。
あれは、ああなってしまったのか。。
せめて、文字の下の地の色をグレーでなくすれば、解決するであろう。
肝心にところが、わかりにくいと思う。
まあ、アナウンスもあるので、停車駅をまちがうることはないだろうけれどね。。
それでも、やっぱり修正を望む。
なぜ、最初のチェックのときに、気が付かなかったのか、、。
「ちっこいマスク」'09.2/18
先日、電車の中で、あるおじさんがちっこいマスクをしていた。
まあ、花粉症ではなく、風邪マスクであろう。鼻の隠れないタイプ。
最近でも、昔ながらのマスクは売られているし、買う人もいるであろう。
しかし、あれはきっと、子供用のマスクではないかな。。
マスクはほんと大きくなった。特に花粉対策で、鼻を隠すようになってから。。
マスク、マスク、マスク、、。
以前はみんな、ちっこいマスクだった。
ごほん、ごほん、ごほん。。
僕も、かあちゃんも、とうちゃんも、どっかのおじさんも、学校の先生も、、。
花粉症になる前、マスクをするときは、咳が止まらなかったときだ。
よほど大風邪をひいたときに、マスクをしていた。
鼻から鼻水を、つーと、、たらしながら。。
深夜ラジオからは、フォークが聞こえていた。。
「地味でないギター」'09.2/16
僕の使っているギルドF-47は、決して地味なギターではない。
ベッドの形も昔風でごついし、指板には、四角いポジションマークもついている。
白セルはネックまでついているし、、。
生ギターでは、もっと派手な装飾のギターもある。パールをふんだんに使ったような。。
中学の頃から、そこらの装飾にには、どれだけの意味があるんだろうと思ってきた。
音に派手になるわけでもないし。。
エレキギターなんかは、そういう意味では、相当に派手な形や装飾が多い。
それが個性とも呼べるのだけれど・・。
先日、自分のギターを、ちらっと、部屋で眺めてみた。
ギターの表面は、とても日に焼けていて茶色に近い。。
指板の四角いポジションマークはとても目立っている。
(ああ、派手だなぁ)と、思いながらも、なんだかカッコヨサもそこにあった。
手を伸ばしてぽろんと弾いてみる。
音を鳴らす楽器であるのに、派手でごつごつしてきらきらして、、。
クラシックの楽器では、ちょっと考えられない、この派手さには、
どこの時間にも属していない新鮮さがあった。アンバランスな時間。
「僕らがなくしたメロディー」'09.2/14
もう、僕はすっかり、若者ではない。
自分では若いつもりではいるのだけれど。。
加山雄三の若大将シリーズなんかも、憶えている世代だ。
最近のライブで、若い人たちが昭和歌謡を取り上げているのを聞いた。
昭和歌謡と言っても、おおざっぱになるのだけれど、
きれいなメロディーで、ぽわっとした唄かな。。
作曲家はちゃんとして、名作として残っている唄かな。
僕なんかは、その唄がヒットしているのをよく知っていて、
とても恥ずかしくて歌えないのだが、若者にとっては、新鮮に聞こえてくるのかもしれない。
こんなにいいメロディーだよと。。
毎年、数限りない唄が、ヒットしては、またどんどん忘れられてはゆく。
しかし、'60年代、'70年代の唄は、忘れ去るには、いいメロディーのものが多い。
レベルが高いというか。。しっかりしているというか。。
それでも、僕には、脳裏に歌謡曲の文字がしっかり浮かび、歌えない。。
まあ、作品に、歌謡曲も、歌謡曲でない、もないのだけれど。
はっと気付いて、幕を開けてみれば、そこには数しれない、いい唄がある。
ものすごく大量に。。
それらを楽しみ、唄うことが出来るなら、ほんとに素晴らしい。
燃えないゴミの日に置いてある、古い歌謡曲のレコードや古いソングブック。
「多少役だっている」'09.2/12
この四年ほど、ライブの音源と映像を曲ごとにきちんと整理している。
以前はといえば、VHSのビデオテープで「いついつのライブ」とタイトルを書くくらいだった。
音源も「いついつのライブ」とタイトルを書くだけのことが多かった。
しかし、曲のタイトルをきちんと書いてあるDVDやCD-Rを作っておくと、実に探しやすい。
最近は自分がどんな弾き方をしていたとか、途中のアレンジとか、すっかり忘れることも多い。
そんなとき、さっと映像で見るとすぐにわかる。
友達に頼まれて、音源を探すときなども、すぐに見つかる。
以前は、いつのライブで、その歌をまずいつ唄っていたかを探すのが大変であった。
ビデオをまるまる見ても、結局唄っていなかったりして。。
こんなふうに音源や映像を、きちんと残しておくのは面倒なことではあるけれど、
結局は、また見るという機会が多くなった。
そして、探すという時間が極端に短縮された。
四年目にして、多少は役だっていると実感している。
「集中ギター」'09.2/10
実は、マーチンのギターがとても欲しい。
それも、D-18 かD-35、、。
もちろん、何度も、友達のマーチンを弾いたこともあるし、
実際に自分も持っていた。
マーチンを弾いてみたいと思う、気持ちにはふたつある。
ひとつはギター自身のサウンド。
ひとつは、マーチンギターを多くのミュージシャンが弾いてきたという事実。
マーチンを弾いていて、先人のギターの響きを感じると、
僕はどっと、その世界は入り込んでしまう。
それはギブソンギターでも同じだ。
創作するとき、何が大事かって、、やっぱり集中すること。
その入口なんだよね。
ああ、マーチンが欲しい。。
「メーカー」'09.2/8
ビデオ編集を、ほぼ日常にようにやっている。
パソコンではなく、テレビ画面で、リモコン使って見ながら操作する。
0.1秒くらいの瞬間で、場面を判断するので、当然リモコンを見ている事はできない。
テレビを画面を見て作業をしているので。。
つまり、リモコンは指まかせということになる。ここが大事だ。
携帯電話のように、画面が近いわけではないのだ。
しかし慣れてくると、かなり早く作業が出来るようになる。
いくつかメーカーのレコーダーを持っているが、
メーカーによって、リモコンが使いづらいものと、使い良いものがある。
あるメーカーものは、編集ボタンのそばに、リターンボタンもあり、
誤ってそのボタンを押したりすると、すべてが水の泡になってしまう。
メーカーの人は、実際に編集したのだろうけれど、
スピードを付けてやってみたのかなと思う。
トロトロと、実践したのではないか。。はじめて使う人みたいに、確実に。。
・・それは、、あかんよ。
使いやすい、使いにくいの差がメーカーによって、ほんと差が出ている。
そして、各メーカーは、他のビデオメーカーの機械を研究したりしているのかな・・??
研究として、新作が出るたびに機械を買ったりは出来ないのだろうけれど、、
あるメーカーの機械なんかは、ハッとさせられるアイデアがかなり入っている。
それは実際に使い、スピードに耐えられるように実践し、
こうあった方が便利だろうというアイデアが随所に出したのだろう。
頭の中では作っていないのだ。
「牛丼家の箸」'09.2/6
いつも行く牛丼家がある。
まあ、最近は牛丼だけではなく、豚しょうが焼き定食などもあるので助かっている。
最近と言えば、同じ区にある牛丼家でも、割り箸と、ブラスチック箸の店とある。
プラスチック箸は、環境保護のことや、経費節減から出てきたアイデアであろう。
何年前かな、最初は、普通に先の細いプラスチック箸で、これが実に食べにくかった。。
それから、また割り箸に戻ったのだが、
昨年くらいから、先の丸い改良型のプラスチック箸が出て来た。
これならば、先の細い箸よりは、かなり牛丼は食べやすい。
なぜ、先が丸く改良されたのか、、、??
それは、なるべく普通の割り箸に近くなるようにであろう。
しかし使ってみると、似ているようで、やっぱり違う。
割り箸の先の木の四角が、実に牛丼を食べている実感にさせてくれるのだ。
だいたい、牛丼家に入るときって、急いでいるときが多く、
普段より食べるスピードが早い。そんなときは、割り箸だと音がカチカチとならなくていい。
それに、丼の内側のつゆを集めるのにも、最適だ。
割り箸に、そんな良さがあったなんて、
プラスチック箸を使うまで気が付かなかったのだが・・。
うな丼なんかは、特に、木の箸であった方がいい。
正直に言おう。
牛丼は、割り箸で食べた方が確実にうまい。(BOKUTEKINI)
・・味は一緒なんだけどね。
僕みたいな人も多いのであろう。同じ区でも、割り箸のままの店も多い。
本社指示ではなく、店店で、それを選べるのかな。
話が長くなってしまった。。
お店で、何度も使える木の箸があるといいんだろうけどね。
「40年」'09.2/4
先日、テレビに久し振りに出演した弾き語りシンガー氏は、
'68年にはデビューしている。
本人も、「二十歳そこそこで作った歌が、六十になるまで歌えるとは・・」と語る。
そうか、、彼は40年も、もう唄の旅をしているのだなと、あらためて実感した。
40年。40年も、オリジナルを全国で唄って歩ける人生って、もう送ったんだな。
そういう人生があるっていいな。彼は二十歳から、それを続けている。
一時は休んだ時期もあったとしても。
40年もあれば、いろんなことが出来るだろう。
僕も唄を作り出して、35年たった。でもまだ、旅が始まった気がしてはいない。
中学の頃、唄って全国を回りたいと強く思っていた。その夢はまだ始まっていない。
街から街へ。ギター一本で向かう日々。
「久し振りギター」'09.2/2
何本お気に入りのギターを持っているが、
最近は、ずっとひとつのギターを使っている。
それでも創作をしているときなど、気分を変えたくて、
しまっているギターを出すことが多い。
ケースから出して、弦を合わせる。
そして、ひと弾きすると、音が見えるというか、
なるほど〜、という音が聞こえる。
「あっ、こんな音の良さがあるんだな・・」と、気付く。
気付くけれども、1分後には、もうその音はつかめなくなってしまう。
昔から知っている音に戻る。
ほんと、最初のひと弾きで、感じる音は、憶えることが難しい。
ただ、良い音が出たということを、はっきりと憶えておく。
「JAZZ演奏」'09.1/31
先日、JAZZ演奏のビデオを観た。
約40分ほどの生演奏であったが、
僕には、音楽というより物語のように感じられた。
それも大学ノートに直接書いてゆくような。
まあ、それは文字ではないけれど、、。
僕はまだ、その文字が解読できないので、
うまく物語を読むことが出来ない。
まあ、物語だとしたら、短めの映画くらいのストーリーになるだろう。
僕は、小説をなかなか読めない体質だ。
短編のショートショートでさえも、最後まで読むのは、体力がいる。
五分くらいで集中して聴ける物語が、受け入れやすい。
そういうふうに、体質が出来ているのかもしれない。
JAZZ演奏を観るときは、映画でもみるような感覚にしようと思う。
「ディランの歌詞」'09.1/29
高校に入り、すぐくらいに僕は、
ボブ・ディランに、はまった。'76年くらい。
中学の頃は日本のフォークばかりだった。
その頃でもうディランは、アルバムを20枚ほどは出していた。
毎月、1〜2枚ほど、アルバムを買いそろえていった。
ディランのソングブックも手に入れて、日々、唄っていた。
そこにも訳詞が多く載っていたし、アルバムにも日本語訳はついていた。
ディランの歌詞は難解であると言われていたけれど、
僕は純粋に歌詞として受け入れて、
唄いながら、歌詞カードを常に出しては見ていた。
15・6才の頃の頭は柔らかくて、どんどん吸収していった。
ディランの歌詞は大量にあった。
・・・・・・
今は2009年。僕がラッキーだったと思う事は、
15・6才の頃、ディランの歌詞を大量に読んだという事だと思う。
内容がわかっているかは別にして、やわらかい頭が育ったのではないか。
「ソロ弾き語り」'09.1/27
ここ数日、ギターソロ弾き語りのライブ映像を観た。
外国のアーチストふたりであったが、そのふたりの印象はかなりちがった。
ひとりは、かなりギターもうまく、トラディショナルソングも唄う。
しかしどこか唄が小さく感じられた。
ひとりは、ふつうにストロークで弾いていることが多いが、
メロディーはフォークソング調ではなく、とても世界が大きく感じられた。
このふたつのちがいはかなり大きい。
ふたりとも、そんなことは意識もしていないだろう。
これはきっと「こだわり」の問題なのかもしれない。
ひとりがこだわっているのは、ギター弾き語りということのようだ。
ひとりはそれさえも、こだわりはまったくなく、たまたまギターを弾いているようだった。
ひとりはギターと唄が半々に聞こえてきて、
ひとりは、唄が全面に出てきていて、それにギターが付いてくる感じであった。
ひとりは、ギター弾き語りを聞いていると思えたが、
「多大な情報量」'09.1/25
今、仕事先へ向かう電車の中で、漫画を読んでいる。
前にも書いたけれど「鬼平犯科帳」だ。
読んでいると、江戸の生活の事が実によくわかってくる。
風景を描いたシーンでは、しばらく見入って、当時の場面を頭の中で実写で再現してみる。
漫画といえと、「鬼平犯科帳」には、多大な情報量が含まれている。
そこで出てくる江戸の風景と同じ場所の舞台に、僕も毎日、通っているので、
その変化に実にびっくりする。そしてその分リアルに感じられる。
江戸に関する本をずいぶん趣味で読んできたけれど、
一番、自然に江戸文化が感じられたのが、この「鬼平犯科帳」だ。
読みながら、僕はどんどん江戸の文化について勉強する。
文字で読むよりも、その吸収力は数倍の差があるよう気がする。
じつは、映像よりも、リアルに感じられる。
それが、どう僕の作品に影響してくるのかはわからないが、
とにかく今は、多大な情報を吸収している。
「'70年代のギター、好きだった音」'09.1/23
先日、'70年代のライブハウス音源を聞いた。
'74年頃。。僕の中でも、全日本的にも、一番のフォークギターブームだった頃だ。
そのギターの音を聞いていると、独特のギターの響きがある。
ストロークを聞いても、フィンガーピッキングを聞いても。
ギター自身が自信たっぷりというのかな。
なんだか、弦を変えたばかりのような音。
船で言えば、軍艦のような音。
響きで言えば、ジャボジャボとした音。
相撲で言えば、勢いのある大関のような音。
食事で言えば、何品も並ぶ、ボリュームのあるテーブル。
あの頃、良いギターの音、ベストな弾き方の音というものが、
豪華な方向に向いていた。
500円の定食より、700円の定食、
700円の定食より、1000円の定食の方が良いような。。
おなかいっぱいなギターの音、、。
それが悪いというわけではない。
ただ、みんな自信たっぷりで、フォークギター黄金期の響きがするのだ。
あの頃は、みんな魔法にかかっていた。
軍艦(ドレットノート)のような音が好きだった。
「映像訓練」'09.1/21
ここずっと「鬼平犯科帳」を読んでいる。
・・・漫画で、、。
漫画と言っても、風景などとてもリアルに描かれていて、
その場面に行けたような気持ちになってくる。
容易に。
全部、読み切りの短編であるが、ストーリーもしっかりしていて、
気を許すと、ついついページをめくるのが早くなってしまう。
ここにもあった「モ・ッ・タ・イ・ナ・イ」
僕は映像訓練のため、
白黒漫画ではあるが、実際のカラー映像に置き換えて漫画を読んでみる。
総天然色映画として、、。
これはなかなか楽しめるし、訓練にもなる。
短編の漫画ではあるけれど、
まるで長編映画のようにもなる。
「ぷくぷく」'09.1/19
ここ半年くらいで、ずいぶんと体が丸くなってしまった。
会う人会う人、「ふとった??」と、言われるので、緊急事態であろう。
しかし、これと言って要因もないのだけれど・・。
日々、外仕事で一日歩き回っているので、脂肪をかなり燃焼していると思うのだが・・。
なぜだ???
ずっと太るということには無縁で暮らしてきたのに、この変化にどう対応していいのかわからない。
ラーメンの食べ過ぎか??
考えてみると、太る要因は、たしかにひとつある。
それは日々、仕事で体力をつかっているということである。
体はきっと、脂肪の貯金が欲しいのであろう。
一年を通しての。。
どんどんためているのではないかな、、。
「こうえんじ-」'09.1/17
総武線で帰ってくると、よく電車で眠ってしまう。
しかし、それでも「こうえんじー」のアナウンスが流れると、ぱっとよく目が覚める。
眠っていても、耳は反応しているのだな・・。
ついか僕が、気を失ってしまったら、「こうえんじー」と、声をかけて欲しい。
意識が戻ってくるための最高に重要なキーワードだろう。
熟睡してなかなか起きない友達にも、駅名は効果的かもしれない。
「温泉の四角くて大きな湯船」'09.1/15
温泉はのんびりできるのが一番だ。
いろんな湯船があるが、どれもその端っこに人はつかる。
湯船の真ん中には、なかなか人はつからない。
とある温泉で、四角くて大きな内風呂の湯船があった。
ちょっとした小さな正方形のプールのような。。
人は入るとしても、その端っこにしか入らない。
たぶん温泉側の気持ちとしては、混んだときには、
まんべんなく入って欲しいのであろう。
僕は真ん中を通り、奥の端っこまで歩いてゆく。
そこはなかなか人が来ない。
そこがいい。
「ふかいカップに珈琲を」'09.1/13
部屋では、ほとんどいつもインスタント珈琲を入れている。
インスタント珈琲歴は長いよ。
最初に飲んだのはいつだったかな、、。小学校の終わり頃かな。
ちゃんとスプーンで、一杯二杯と入れて。
しかし、この25年くらいはスプーンを使ってはいない。
ふかいカップに珈琲をサササササーと入れて、
多く入れたなぁと思うときは、お湯を多めに、
普通に入れたなぁと思うときは、お湯は普通の量で入れる。
長いこと、そうしているので、いつも問題がない。
ただこれはカップが深くないとうまくいかない。
だからときどきは、カップいっぱいに珈琲が入る。
それもいいかなと思う。味の濃さは一緒だ。
「ギターのあたりからふわりと浮いているもの」'09.1/11
創作活動と言っても、最初はふんわりとしたものからいつも始まる。
映画を観たり、本を読んだり、いっぱい眠ったりしたあと、
部屋のすみにあるギターに手を伸ばしてみる。
自分のどこかに、何か創作のエナジーのようなものが、少したまっているようにも思うし、
ギターの回りにも、それが同じようにふんわりと浮いているようにも感じられるのだ。
自分のところにあるものだとしても、ギターがなくては、それは形にならない。
だからそれはギターのものとも、自分のものとも言えないわけだ。
ただ、エナジーのようものが、そこにあると感じられる。
ギターに手を伸ばすと何かが出てくる。
自分が何を作ろうとしているかは、ギターを弾くまでわからない。
椅子に座り、ギターをふいと眺めてみる。
「弾き語りアルバム」'09.1/9
ギター1本の弾き語りアルバムっていいなと思う。
古いブルースのアルバムはほとんどがギター1本だ。
それでいいなと思う気持ちはあるのだけれど、
ふだん自分自身が、弾き語りアルバムを聞いていないという現実がある。
ライブで聞くときは、ギター1本でもイメージを広がるので大丈夫なのだが、
アルバムとなると、物足りないんだよね。
それなのに、ライブではほとんどギター1本。
そのままレコーディングしても、そのまま伝わると思っているんだよね。
しかし、物足りない。。
これをどう説明すればいいのか。。
それでも、物足りたくない弾き語りアルバムを作ってみたいな。
何かこう、扉を開けてみたい。
「あれっ、これギター1本だったつけ・・??」
そんな言葉が出てくるようなアルバム。
ギターのむずかしいテクニックを使わなくても、
「古い地元の写真」'09.1/7
僕のおじいちゃんの写真がある。
おじいちゃんの記憶はまるでないのだけれど、
実際の人として思い浮かべることは、無理な話ではないだろう。
とてもとても近い人であるわけだから。。
それと同じように、僕の生まれた街の古い写真を見ていると、
とてもよく知っている場所であるために、
本当にそうであったと実感できる。
目を閉じて、その時代の場所にタイムスリップしても、
白黒世界ではなく、リアルな町を歩けるようだ。
実際に、僕が歩いているように。。
それはまるで、おじいちゃんの写真であるようだ。
おじいちゃんに手をひかれ、僕は古い町に連れてってもらう、、
「古い一枚の写真」'09.1/5
先日、インターネットを検索していて、
柏崎の実家の近所の古い写真を見つけた。
「柏崎水族館」や「八坂町の共同洗濯場」など。。
ずいぶん前になくなった場所ではある。
僕の小さい頃、当たり前のようにそこにあり、
とてもとても懐かしく、幼い頃の記憶に強く残っている場所。
約40年前、それらの場所はなくなった。
長い間、記憶の中にしかなかった。
特に「柏崎水族館」は、誰も信じてくれなそうな場所にあった。
しかし一枚の写真が見ることが出来て、それはしっかりとした形になった。
記憶の中の場所に立体感が出来て、そこから風景は広がってゆく。
白黒の一枚の写真ではあるけれど、、。
不思議なものだ。
「歌作り」'09.1/3
ずっと今、ひとつの歌を作っている。
と、言ってもまだ、フレーズひとつ決まってはいないのだけれど、、。
それでも、ずっとギターを弾いて、何百ものフレーズを出してみる。
まだどれもピンと来ていない。
ピンと来てはいないのだけれど、この時間の楽しいこと。
そのうち、だんだんと歌になってゆく。
最初のイメージにかなり近くなっていったと、
思えるときもあるし、そうでないときもある。
ライブで歌ってみて、なんとかなるときもあるし、
そうでないときもある。
そうでないときは、一年くらいそのままにしておく、
何もしない。
そして歌詞ノートを開いて、初めてのように歌ってみる。
そのとき、アイデアが出るときもあるし、そのままのときもある。
そのままのときは、またそのままにしてみる。
5年から10年くらい、、。
「日本で何番目かにやさしい包装」'09.1/1
亀田製菓から「柿の種6袋セット」が出ている。
その袋のひとつひとつの裏に書かれているのは「けなげ組」。
そのイラストとコメントはいつも楽しみだ。
年末と正月を迎えるにあたり、いつもどおり亀田の柿の種6袋セットを買った。
そしていつもどおり、ひと袋を開けようとすると、
袋の上のぎざぎざになっているところに、
「あけくち」と、矢印が付いていた。
(えーっ、なんでだろう・・?)と、思ったが、
開けてみてすぐにわかった。
裏の「けなげ組」のイラストが、切れないようにするためだったのだ。
やさしいな・・。
「けなげ組」が出来てから、どのくらいたったのだろう。
やっと気が付いたのだな、、、。「けなげ組」にがんばれを。
「本の夢」'08.12/30
友達が遊びに来ているので、昨日は奥の部屋で眠った。
その部屋には、本棚に囲まれていて、山ほどの本がある。
そして今朝は、本の夢を見た。
僕の目の前には、買ったまま読んでいない本が山積みされていたのだ。
山積みというより、小さな山のように積まれていた。
わーーん、ごめんなさーい。
本は無言の圧力で、僕をせめる。
そして、一冊を手に取り読み始めてみるものの、なかなか進まない。
こんなんじゃ、読み切れないよー。
そんななか目が覚めた。
「私はどこから来て、どこへ行くのか」'08.12/28
ゴーギャンの後期の大作の絵に、
「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」があるが、
最近、僕もそんなようなことを思うときがある。
新潟の実家から、東京に出てきたとき、最初の冬はそんなに寒いとは思わなかった。
それから30年ほどたち、東京の冬も寒いなぁと実感するようになった。
最初の20年ほどは、薄めのジャケットだけで冬を過ごして来た。
10年ほどまえから、ぐるぐるマフラーをするようになった。
5年ほど前から、コートを着るようになった。
2年ほど前、あったか靴下をはいてしまい、それは冬の定番になった。
ぴったり耳当てを手に入れて、してみたら、これがあたたかく、ずっとしている。
安いレッグウォーマーを手に入れて、してみたら、これもあたたかい。
つい先日からは、ほかほかタイツをするようになった。。
まるでもう戻れないかのようだ。。
僕はどこから来て、どこへ行くのか・・?
「ラジカセの声」'08.12/26
現在では、携帯プレーヤーのイヤホンで音楽を聴くことも多くなった。
先日、下町を歩いていて、古いステレオセットが玄関に出ていた。
たぶん、粗大ゴミか不要品として出すのであろう。
以前はステレオセットも高かった。
しかし、ひとつの音にそれだけの気持ちを送るのは良いことだろう。
そんなことを思っていた日の夜、
小さなラジカセにて、自分の弾き語りのライブテープを聴いた。
スピーカーも小さく、決して良い音とは言えないが、実に歌と似合っていた。
そしてこんなことを思った。
ずっと時間がたったあと、自分はラジカセになってしまうのではないかと。
正確には、ラジカセの声だ。
「ああ、、あいつはラジカセになったよ・・」
そのラジカセは、僕がかつて作った歌を弾き語りで歌う。
スイッチを押すと、ひとつのライブをやってくれる。
世の中には、いろんな音楽の再生マシンがある。
ステレオセットに、携帯プレーヤー、そしてライブハウスのスピーカー、などなど、etc
そんな中、僕の歌はきっとラジカセに戻ってゆくだろう。
部屋のどこでも持ち歩けて、かってに歌う。
「ああ、、おれはラジカセになったよ・・」
「冬の冬」'08.12/24
先日、夕方から急にくもり出して、冬の雨になった。
日中はあたたかくて秋のようだったのに。
外にいて、久し振りに、どんよりとした雨雲がおそってくるのを見た。
空じゅうに迫る、あの冬の感じ。
実家のある新潟・柏崎にいた頃は、海からは北風が吹いてきて、
どんより雲が迫ってくるのが、冬であった。
そして、みぞり混じりの雪、、。
海沿いを行く、学校からのあのさびしい帰り道。
それはそれで良かった。
東京にいると、あの迫ってくる冬の雲を、なかなか実感できない。
寒さだけが残ってしまうようだ。
「なになにの祖父」'08.12/22
先日、ジャズの歴史のビデオを観ていて、
一人のアーティストが、
「誰々が父ならば、誰々は祖父と呼べるだろう」という表現を使った。
「なになにの父」とはよく言うが、「なになにの祖父」とは、あまり聞かない。
あまり聞かないが、あっていい表現だ。
「なになにの母」があるならば「なになにの祖母」。
「なになにの叔父」「なになにの叔母」「なになにの従兄弟」
あっていいな。
・・人類学にも。
「王林リンゴ」'08.12/20
先日、リンゴの「王林」を食べた。
王林は赤色ではなく、黄色に近い薄いグリーン色のリンゴだ。
王林のおいしさは、独特の芳香だろう。
そのおいしさは、「ふじ」とはまたちがう。
今、日本のリンゴと言えば「ふじ」「サンふじ」が、大御所のようになっているが、
「王林」のおいしさは、「ふじ」とは比べられないな。。
僕は青果市場で働いていたことがあり、そのときリンゴとスイカの担当だった。
リンゴとスイカのことは、味のことも含めて相当に味わった。
リンゴの種類もさまざまだが、それぞれにおいしさがあり、味は負けていない。
ただ、そこそこに良い等級でないと、味の良さが「おお、これか!!」と、わかりづらいかもしれないが、、。
王林リンゴを食べていて、僕がなぜか想い描いたのが、ギターの事。
(王林リンゴって「ギルドギター」と似ているなぁ、、)とかね。。
ならば、「ふじ」はマーチン??
「サンふじ」は、オールドギター?
不思議なものだな。。
リンゴとギターを同じように比べるなんて、、。
「王林リンゴってどんな味?? 」
「そうだなぁ、ギルドギターみたいな味かな。。」
僕は思う。きっと、どちらもうまく伝わるだろう。
「たちそば屋異景」'08.12/18
先日、しゃれた街の立ち喰いそば屋に入った。
券売機のある、大きめの場所であった。
広いテーブルがいくつもあったかな。
ソースカツ丼とかけそばを受け取り、僕はテーブル席に座った。
(あれっ、テーブルが高いぞ・・)
よく見れば、僕の座ったテーブルだけが他のテーブルより10センチほど高いのだ。
しかし、椅子の高さは同じ。
なぜ、こんなふうな造りになったのかはわからないが、
テーブルは柱を囲むように備え付けられていて、ここだけ変えるの無理なのであろう。
けっこう大きいテーブル。まあ現実的には、椅子の高さが足りないということだ。
僕はまるで小学生の子供のような気持ちで、そばを食べた。
そして目の前に女性が座ったのだが、案の定、、もっと小学生に近い状態になっていた。
(これはあんまりだな・・)
単純に考えて、もう少しだけ背の高い椅子を、そろえれば済む話だと思うが、、。
以前は、もっと混んでいて、名の通り立ち喰いそばであったのだろう。
まあ、立って食べるぶんには、そんなにテーブルの高さは影響しないだろう。
きっと、にぎわいがここにはあり、ひっきりなしに、人が入っていたのだろう。
椅子はサービスということか、、。
座りづらいこと、このうえないが、なんだか懐かしいな。
「1時間」'08.12/16
朝、5時に目覚ましが鳴る。
電子音ではあるが、強烈に響く。
体の中で血液が、起きるために逆流でもするかのようだ。
今日は、不思議にも自分で目が覚めた。
そういえば昨夜は早めに眠ってしまったのだ。
こんなとき、いつも5時になっていることがほとんどだ。
ほぼまちがいなく。。また一日が始まるのだ。
そしてふと柱時計を見れば、4時であった。
この奇跡のような気持ち。
1時間といえば、5分×12回もある。
深く深く眠って地球の裏まで行ってやろう。
1時間あれば、それも出きるだろう。
こんなに1時間が幸せだと思わなかったな。
「5弦の切れたギター」'08.12/14
ライブのあるときは自宅でギターを弾く。
部屋を出る頃になると、使うギターはケースにしまい、
予備のギターを弾いて練習することがほとんどだ。
今回は出掛けるぎりぎりで、5弦が切れてしまった。
そのままにして、ライブに出掛けるということもできるけれど、
僕には、どうしてもそれができない。
5弦の切れたままのギターを置いて、ライブに出掛けるということが、、。
ライブだけではない。普通に出掛けるときも、5弦の切れたギターはそのままにしておけない。
これが、1弦とか6弦とかだと、そんなに気にはしないのだが、、。
5弦がないと、、、ギターは自分自身でさえも、どうもにならんだろう。
基本中の基本の弦だからね。
あごの骨みたいなものかな、、。
「コントラバス」'08.12/12
コントラパス(ウッドべース)は、大きいな。
友達もコントラバスを持ってライブをしているけれど、
その移動の大変さは、よういに想像がつく。
電車の中でも、よく見かける。
ふと見ると、台車が下にないので、たぶん手で抱えて移動しているのであろう。
うわっ。。
その楽器を選んだという宿命でも、あるのかな。
まあ、車で移動している人がほとんどだとは思うけれど、、。
僕なんかはギターだから、そんなに苦労はしていない。
コントラバスは持って移動しているみんなは、深いつきあいを感じているだろう。
映画のワンシーンでもあるようだ。
「40年」'08.12/10
ふと、振り返っても、そんなに街の景色は変わらない。
10年20年はあっというまであった。
こんなにも早く、時は過ぎてしまうのだろうかと思う。
僕が小さい頃にイメージしていた時の流れとはちょっとちがった。。
・・・・・・・
僕が文化に目覚めたのは、1970年頃。
本もあり、テレビもあり、レコードもあり、ラジオもあり、、。
僕が好きだったのは、電化製品のカタログ。
そのカタログに載っている商品説明も、細かい説明など、
この2008年も、ほとんど変わっていない。
まるで、変わっていないんだよ。40年くらい。。
振り返っても振り返っても、、。
たしかに、2000年を過ぎた頃からメールやインターネット文化は入ってきた。
でも、そんなに街の景色は変わっていない。
車が走り、ビルが建ち、、。
昭和30年代は、たしかにちょっと違った。
近所はみな木造の家だったし、、。
劇的は変化は、この40年の間はほとんどないのではないかな。
この先もある程度同じかもしれないな。
「耳あて」'08.12/8
最近、新しい耳あてを手に入れた。
スキーヤーがしているような、耳がすっぽり入る、はちまき状のもの。
100円。
これがなかなかあああたかい。密閉状であるからだろう。
それも、100円であるせいか、薄く、外の音もよく聞こえる。
この冬はこれでいこうと思う。
でも、来年の冬には、また忘れているかな。。
小さい頃から、冬は耳あてを何度も求めてきた。
小学校低学年のとき、人工革の帽子に、耳あてがついているものをよくした。
零戦とかのパイロットが、よくかぶっているような帽子。
(つばがあるというところでは、ちがっているが、、)
その耳あては、帽子の上の方にさかさにとめることができた。
800円くらいしたかな、、。
あれはあれであたたかかったな、、。しかしいつのまにかしなくなった。
普通の毛糸の帽子をしたり、、。
バンダナ系統の耳あともしたこともあった。それもいつしかしなくなった。
また毛糸の帽子に戻った。
そんな経験から、今年は耳あての上に毛糸の帽子をかぶってみた。
あったかくていいかなと思ったのだ。
電車に乗って、ドアガラスにそんな僕の顔が写った。
あたまがでかくて妙で、変であった。
「ラジオの声」'08.12/6
部屋で、なかなかラジオは聴くことはなくなってしまった。
それでも外に出ると、耳にすることは多い。
街なかでも音楽は流れているし、中華屋でもテレビの音声だけ聞こえることはある。
しかし、なぜか僕の生活サイクルの中で、ふたつの店だけが、しっかりとラジオを聞かせてくれるのだ。
そのひとつは、大衆的なハンバーグ屋さん。そこはチェーン店ではあるが、いつもFMがかっている。
その店で聞くFMラジオは会話のひとつひとつが聞こえ、かかる曲もみな染み渡るように思える。
たぶんこれは、ウッドな店の作りと、スピーカーにこだわっているのじゃないかな。
それとも、ハンバーグとFMラジオって、相性がバツグンなのかな。その可能性は高いのかもしれない。
もうひとつの店は、1000円カットのと床屋さん。
そこでは普通のAMラジオがかかっている。文化放送かな?
待ち時間、そしてカットの間も、ラジオに心奪われてしまう。
たぶん暇なんだろうな。。
しかし不思議なのは、そのどちらも、店に入ったときから、すぐにラジオの声に集中してしまうのだ。
驚くくらい、店に入ってすぐに。
「犬の想うこと」'08.12/4
街の駐車場で、散歩のひと休みをしている外国のワンちゃんを見た。
何かしら、くんくんと鼻でジャリ石をかいでいた、白い大きなワンちゃん。
住宅地の真ん中、大きなワンちゃんが散歩するには、多少せまいであろう。
ワンちゃんは2008年の街の路地を散歩する。ゆっくりとひょこひょこと歩いて。
近代的な建物やアスファルトの道を、どうワンちゃんは理解するのであろう。
その80パーセント以上は、よくわからないことで出来ているのではないかな。
車が来ることも、信号機があることも、、。門があったり、自販機があったり、、。
そのほとんどは理解を超えているのであろうが、ワンちゃんはそれでも散歩を続ける。
商店街ではパチンコ屋があったり、電気店の大型テレビが見えたり、風船を配っていたり、、。
よくわからないままで、ワンちゃんは散歩をしているのではないかな。
ご主人さまの、不明な言葉をいつも耳にしながら、、。
それでもワンちゃんは、それにどうこう言うわけではない。
そこにあると認識することで精一杯であろう。
信用できるものは、匂いだけであると言っているようだ。
それでも、ワンちゃんは生きて暮らしてゆく。
確実だと想うことだけに、反応しながら。
「温泉はシンプルに」'08.12/2
この一年、あちこち温泉を回った。
と、言っても、ほとんどが東京がであるが、、
それも、レジャー的な大きめな温泉であるが、、。
各温泉にゆくと、セキュリティーの関係か、キーとかいろいろ難しい。
先日、行ったところでは、カードを持ち歩くというものだったが、
パソコンを使える僕であっても、使用を何度かまちがえるほどであった。
(あれはむずかしいな・・)
また、先日行った温泉では、最後の精算に自動機械を使うのだが、
小さなバーコードをかざす方式で、それをかざすということに、迷ってしまった。
(あれもむずかしいな・・)
温泉を楽しむのは、老人もいるわけで、かなり頭を使うことになってしまうだろう。
僕的に思えば、そうとう大変なのではないかと思う。
僕自身が大変だったので、、。
新幹線の自動改札で、切符を重ねて投入するということが、うまく伝わらず、
各自動改札のところに説明員のお姉さんが立つことになってしまうように、、。
良かれと思ってアイデアを出して作ったものが、悩ませる結果になることはある。
特に温泉はシンプルであって欲しい。
小学生やおじいさんでも、わかるように。。
まあ、そのつもりで作ったのだと思うのだが・・。