「最近の事」過去ログ'08.7月〜11月
「自由自在」'08.11/30
中学・高校の頃、「自由自在」という参考書シリーズがあった。
馬と騎士のマークの受験研究社の本、、。
まあ、それはいいのだけれど、「自由自在」という言葉はとても大きい。
先日、ライブで歌ったとき、自分の声とギターが思うようにならなかった。
まるで魔法にでもかかったかのように。
知らず知らずに緊張をしていたのであろう。
ギターと声が自由自在になるなんて、なんていいんだろうと思う。
声を4オクターブ出すとか、ギターの早弾きをするような、、
そんな魔法球を投げるような感じではなくてね。
単純に、のびのびと、自分のイメージの通りの音と声・・。
そういう意味での自由自在。
たぶん、シンプルなギターの方が、無理なく近くできるだろう。
・・・道は続くね。
「冬になった」'08.11/28
12月といえば、確実にもう冬であろう。
コンピューターの横には、「かゆみ・虫さされ」の塗り薬が置いてある。
液体の、塗ると、ス〜とする有名なやつ。
今はまだ、ス〜とするけれど、これが来年、さ来年になると、
ス〜とする効用が小さくなってしまうんだよね。
そうすると、また、新しいものを買ってしまう。まだ中身はあるのに。
今年もそうやって買ってしまった。
でも、、以前よりも、この部屋で蚊にさされることは、あまりなくなってしまった。
確実に、蚊は都心で少なくなっているのであろう。
ここでは、もう夏に蚊で苦労ることがない。
虫さされの薬も、極端に使う機会が少なくなってしまった。
それでも、つい蚊が出てくると買ってしまう。。
東京に出てきて、もうすぐ30年になる。
実家の柏崎にいた頃は、夏はホントに蚊やぶよに、苦しめられた。
夏になると、蚊にさされて、熟睡はさまたげられた。
夏のほとんどの夜。
畑に出ては、ぶよにくわれた。夏のほとんどの昼。
それが夏であった。
うんざりするようなかゆさにもだえ苦しむ夏。
それから解放されて、30年がたった。
「冬の生活」'08.11/26
もうすっかり寒くなった。
二年ほど前から靴下を、遠赤外線、パイル編み、
という物に変えた。カプサイシン入りというのもある。
はいた瞬間から、ふわっとしてあたたかいのだ。
外仕事をしているせいもあり、冬はこれが必需品となった。
もう、この靴下以外に冬は考えられない。
それまで、普通の靴下を、(ちょっとあつめであったが・・)使っていた。
約40年間。。まるでそれは、ふつうの布を足に巻いているようであった。
この劇的な違い。。あたたかい事に越したことはない。
すごい発明をしてくれたものだ。
そして昨年、下町のバーゲンセールで、ウールのセーターを買った。
ウールのセーターって、ホントあったかいね。
汗をかくくらいに、あったかい。
ウールもまた天才だ。
あと、耳が冷たいな。
「フランスパン」'08.11/24
東京のみんなは、ずっとフランスパンを食べていたのだろうか?
僕が初めてフランスパンを食べたのは、たぶん小6か、中学生の頃である。
1973〜4年頃かな、、はっきりとした記憶はないのだけれど、、。
フランスパン。このダイナミックなネーミング。
細長くて大きい。そして堅い。
僕の人生の中にフランスパンがやって来た。
最初は、(こんな堅いパン・・)と、思ったものの、
だんだんと慣れてきて、よく食べるようになった。
このダイナミックなネーミングのパンを。。
時間がたつと、堅くて堅くて、、かみちぎるように食べたパン。
それでも、(これはフランスパンだから・・)と、納得していた。
フランスだからな・・。これが常識なんだ。。
柏崎では、1974年頃フランスパンが僕にやって来た。
東京では、ずっとあったのかな。。
今の若者はみな、生まれたときからフランスパンがある。
僕は今でも最初に食べた頃を思い出して食べる。
見たこともなかった、このパンを。
「古い家」'08.11/22
街道沿いにある古い家を見つけた。
古いと言っても、昭和の最初の頃か、明治の頃か、、。
しっかりとしているところもあれば、傾いていてあぶないところもある。
その回りは、もうすべて現代の建物ばかりである。
木の家なんて、そんなに珍しくはないのだけれど、
こうして町なかに一軒だけ残っていると、とても時間の流れを感じる。
戦争の頃にも、ここに建っていたのであろう。
数々の時代の中、残っているその立ち姿は、回りの景色さえも再現してしまうようだ。
木の家は古く、まるでおじいさんよう。
おじいさん・・。
おじいさんもまた、古い家と同じなのではないかな。
おばあさんもまた、、。
僕らは、何か生物的な進化の意識が働いて、
老いた人たちを、老いたと感じてしまうけれど、
きっと古い家と同じなのだ。
いくつもの時代に、ずっと建っていた家。
「白い冬」'08.11/20
その昔、そんな歌も流行ったなぁ。
今日はクリスマス頃の寒さになるという。
秋秋と思っていたら、本格的な冬になってしまったんだな。
もうたっぷり着込んで出掛けなくちゃ。
冬と聴いて、ぱっと目をつむると、白い景色が見えてくる。
実家の新潟にいた頃、冬と言えば雪であった。
東京に来てからはほとんど雪は降らなくなった。
白い冬というには、白が足りない。
それでも、僕は中では冬といえば白が出てくる。
まあ、みんなもそうかもしれないが、、。
これはもったいかもしれない。
冬と言えば、、。
いろんなイメージを浮かべもいいんだよね。
「歌の強み」'08.11/18
ほぼ毎日、外仕事の間、何かしらの歌を口ずさんでいる。
昨日に関して言えば、二曲歌っていた。
二曲と言っても、どちらもほんのワンフレーズ、ツーフレーズで、
一曲まるまると口ずさんでいたわけではない。
歌詞を憶えていないし、、。
でも、ワンフレーズ、ツーフレーズであっても、
それはお気に入りのところである。
メロディーだって、全部憶えているわけではない。
それでも自分としては、一日に充分二曲歌っていたと思っている。
・・素晴らしい。
気に入ったワンフレーズ、ツーフレーズしか憶えていなくても、楽しめるのだ。
これは歌の強みだなと思う。
CDを買ったり、ダウンロードしなくても、
「響きぐあいの話」'08.11/16
約一週間ぶりにギターを弾いてみた。
ここ最近、気温が下がったせいもあるのだろう、弦の張りが強くなっていた。。
ネックに悪いことしたな、、。
ピックで弾いてみると、ギターのボディの鳴りの深さが、しみじみと感じられた。
弦自身はそんなに変わらないのだから、鳴りのほとんどはボディによるものだろう。
この鳴りを出すためには、いろんな経験や、実験や、失敗があってのことなのはよくわかる。
その道のりのことを思ったり、感じたりすると、なおさらに、音の響きの実感がある。
弦が鳴ってボディにはねかえるその空間での出来事。そこにある長い道のり。
そんなギターのボティの鳴りの事を想いながら、僕は日曜の朝の銭湯に出かけた。
体を洗ったり湯船につかっていると、自分の気持ちとか心というものが、
銭湯の中で、響き戻ってくるのが感じられた。
まるで、ギターのボディのように。
古い銭湯や老舗の温泉は、そんなふうに、
良いギターのボディの響きぐあいと似ているのではないかな。
その響きぐあいを聞くのは、自分であるわけだけれど、、。
「このギターよく鳴るねー」と、言うことはよくある。
「この温泉、鳴りがいいねー」とは、なかなか言わない。
「ほんの10分」'08.11/14
外仕事をしていると、この季節、日暮れの時間が気になる。
今、東京ではちょうど夕方5時頃に暮れてくるが、
日に日に少しずつ早くなって来ている。
日が暮れてくるときって、ホント早いんだ。
10分かそこらで、急に暗くなってしまう。
ついさっきまでは明るかったのに、、。
10分かそこらで。。
その極端さにはびっくりしてしまう。
冬は日暮れが早いというけれど、
ホントに早く暮れているのではないかな、、?
「秋の日はつるべおとし」とも、言うよね。
春や夏は、ゆっくりと夜になっていたいのかな、、?
そのへんを、知りたいな。
「亀は強い」'08.11/11
飼っているミドリ亀が冬眠準備に入った。
例年より、10日くらい遅れてだが・・。
もう、餌を近づけても口を開こうともしない。
あれだけ餌を食べていたのに、、。
あまりに極端だ。
これも本能なんだうろね。
これから来年の三月末まで何も食べないのだ。
五ヶ月間。。
亀は強い。本当に強い。
冬眠のプロだ。
その甲羅に秘密があるのではないか。
亀の神秘。それを知らねばならない。
「学校の映写室のように」'08.11/9
今後の映像編集のために、液晶テレビを買ってしまった。
せっかくなので今までより、ひとサイズ大きいものを選んだが、
部屋に置いてみると、これが意外と大きかった。
あれっ???
お店で見たときもは、これでも小さいかなと思ったのに、、。
でもまあ、結局、ひとサイズ小さいのを選べば、大きいものに憧れてしまうだろう。
大きな画面で、いろいろといままでの映像を見てみた。
部屋の明かりを少し暗くして。。
同じ一時間の番組やライブであっても、とても充実した一時間に感じられた。
感動とは少し違う感覚が残った。見たなぁという感じだ。
その感覚はいつか味わったことがある。
学校にいた頃、授業や学園祭などでみた16mmフィルムの映像のようであった。
それは映画とは違う。ドキュメンタリーが多かった。
お金を払って見たわけではない映像。
一時間ほど、黙って体育座りで見た、あの映像。
テレビなら家でいくらでも見て来た。それとは違う。
映画なら映画館でいくらでも観た。それとも違う。
買ったテレビは少し大きめであったけれど、
「見つけた小川」'08.11/7
小さい頃から、よく知っている街であっても、行ったことのない路地もある。
先日、ふと、僕の街で小川を見つけた。幅はほんの1mほど。
それは、小さい頃によく遊んだ小川と同じであった。
さわさわと流れ、回りには草が生え、静かな小川は続いていた。
「あれ、こんなところにあったっけ・・」
・・・・・・
僕の人生は学校で例えたら、二学期の中間テストが終わったあたりである。
ランドセルの春、夏空、そして秋。
ずんぶんとお金も使ったし、働いたし、そして創作も続けた。
アパートみたいなものも建て、お店みたいものも建て、
公園みたいものも作り、駅みたいなものも作った。
自分で作ったひとつの街で、もう長いこと、あたふたとして過ごしてきた。
気が付けば、何がどこにあるのやら。。
・・・・・・
想い出せば、最初はみなシンプルであった。
僕の脳の中は、日々の記憶で、もうかなりいっぱいであろう。
空き地という空き地には、何かしらの建物が建ち、、。
創作もまた、そんなふうに煮詰まってゆく。
そんな僕の街で、先日、小川を見つけた。
通いなれた道のちょっと入ったところ、この街の中を流れていた。
アスファルトの街の中で、どうやって僕は、この小川を見つけたんだろう?
それはわからない。。わからないが、流れていたのだ。
さあ、ノートを買いに行こう。
「人は」'08.11/5
友達同士でミニコミ誌を作って、もう25年になる。
僕自身が編集にかかわって、20年になる。
最近は活字の原稿も多くなったが、最初の頃は手書きがほとんどであった。
第一回目の原稿をもらう。それは最初に書いてもらった原稿。
それからはるばると、数多くの原稿をもらうのだが、
ほとんどの場合、第一回目と、その原稿の形式が似ているのだ。
それぞれにね。
まあ、第一回にこだわることもないと思うが、不思議とそれは続く。
僕自身もそうだ。
人は、なぜこんなにも変わらないんだろうと思う。
最近、その不思議さを強く感じる。
「古い喫茶」'08.11/3
古い喫茶に入った。
60年代終わりのにおいがそのままの喫茶。
そこの珈琲は、たいへんにうまい。
どんなうまさかというと、ときの長さを感じるのだ。
ついつい古い事を思い返してしまう。そんな珈琲。
入れてくれるマスターは、もうそれなりの年になっている。
これが若者が入れてくれるとなると、また別の味に感じられるだろう。
たとえ、まるで同じ珈琲であっても。。
僕が好きなのは、その喫茶が、なにげなくあることだ。
老舗ではあるけれど、なにげなくあるのだ。
それは珈琲の味にも出ているようだ。
「FMエアチャック」'08.11/1
先日、ほんと久し振りに、FMをエアチェックした。
ヴァン・モリソンコンサート。
今も聞いているが、充実した一時間のコンサートとなっている。
アルバムにもなっていないライブが、こうして素晴らしい音質で聴けるなんて素晴らしいな。
ここは一階なので、エアチェックするときは、アンテナの方向で、微妙に音が変わる。
いつも最高に良い場所にアンテナをセットする。
そして録音中は、ラジオの前は横切らないようにする。
録音するときは、試しに前の番組を録音してみることも忘れない。
もしここがビルであったなら、最上階にラジカセを持っていって、
エアチェックするかもしれないな。
それにしても素晴らしいのは、音源がまるでCDアルバムのようであることだ。
ただマイクを二本ステレオにして、録音して流しているのとはちがう。
ちゃんとしてて、なおかつ、どのアルバムにもない音源なのだ。
もっと、FMは告知してもらわないとね。
「冬支度」'08.10/30
ここ数日、急に寒くなった。
もうそろそろ冬かなと思う。
今週くらいから、コーデュロイのジャケットを出して着ている。
帽子ももうすぐかな。そしてマフラー。
冬の格好が出来上がるととても落ち着く気がする。
やっと、自分が戻って来たようだ。
ジャケットのどこがいいかというと。
大きいポケットがあるということだ。
そのポケットにいつも僕は文庫本や本を入れる。
自分の創作ノートも入れる。
胸ポケットには、携帯音楽プレーヤーも入れる。
なんだかとても落ち着く。
物想いの出来る、夜寒の帰り道もある。
僕は雪国の生まれなので、寒いと、
いろんな思い出がよみがえってくる。
「菊を枯らした男」'08.10/28
駅のそばの広場を通りかかったら、菊の展示会をやっていた。
その立派さをきそう菊の展示会。
そういえば、中学の頃、菊を育てたことがあった。
育てたというのは、言葉的におかしいのだが・・。
授業のひとつで、菊を育てるということをしたのだ。
植木鉢を買い、土を入れ、そして苗を植えて、肥料も添えて、
夏休みの間、学校に通って、菊を育てるという授業であった。
そして10月だったかな。育った菊を先生に見せるというときになった。
実は僕は、夏休みの間、学校に来るのをなまけてしまい、
菊を枯らしてしまって、僕の植木鉢には、何も生えていなかったのだった。
友達はみんなそれなりに菊が育っていて、、。
・・・・・・・
なぜ、そんなことになったのか、、。
友達と二人で、夏休みに熱中してて、菊のことを忘れてしまったのだった。
「菊、どうしよう・・?」「大丈夫じゃないの? 植物なんだしさ!!」
学校に行ってみると、みごと枯れていた、それぞれの菊。
僕はへらへらと笑い、そのままにしてしまった。枯れちゃったものはしょうがない。
友達は親と相談し、畑にある食用菊の苗をもう一度植えることにした。
僕は枯れたままの植木鉢。それ以上、どうにも何も出来なかったのだ。
先生に見せる日、枯らしていたのは、僕だけだったのだ。
「まずアオキ!!」
何も生えていない植木鉢を先生の前に持ってゆくと、
怒られた怒られた。。「れーてんだ!!」
友達の名前も呼ばれた。
友達の植木鉢には、立派な食用菊が育っていた。
植えた菊とは違う菊であったが、先生は怒らなかった。
こんな出来事が中学の頃にあった。
だから僕の記憶の中に、菊を育てた思い出はない。
修学旅行に行かなかった、中学生のような。。
何も生えていない植木鉢の菊を先生に見せた。
菊を枯らした男。
「文字」'08.10/26
新しい携帯電話を昨日、買った。
前のものは、かなり使ったので、壊れたけれど納得はしている。
雨にずいぶんと一昨日は濡らしてしまったからだ。悪かった。
その壊れた携帯電話の中には、一匹の子犬が住んでいて、
メールを届けたり、運んでくれたりしていた。
その子犬にもう会えなくなってしまった。
他、いろいろ僕の好みに会う携帯であった。
新しく買ったものは、携帯のデザインはシンプルで良いのだが、
文字が、ぽわぽわ文字なんだよね。
ぽわぽあ文字というのは、今考えた僕の造語であるのだが・・。
おもちゃっぽい文字というのかな。楽しみ文字っていうのかな。
そんなに極端ではないのだけれど、新聞や雑誌のような書体ではないのだ。
だからメールの文を見ても、ニコニコっとしてて、妙な感じがする。
いままでは普通の書体の文字で、それで良かった。
普通にその人の声に変換されていたのにな。
「コーヒーとカレー」'08.10/24
朝、起きてまずといえば、
コーヒーを入れることだ。
それはお茶でもいいんだけどね。
ずいぶんとコーヒーにはお世話になっている。
一生に一度くらいは、コーヒー参りをしてもいいなと思う。
どこに行けばいいのかわからないが、、。
同じようにカレーにもお世話になっているので、
カレー参りをしてもいいなと思う。
一生に一度くらいは。
日本のどこかに、コーヒーとカレーを最初に味わった場所とかあればな。
そこを訪ねてみたい。
話は変わるが、世界中にカレー文化はどのくらい広がっているのだろう。
異国の地でいろんなカレーを食べてみたいな。
「誰が買ったんだろう」'08.10/22
ここ最近、部屋で、いろいろ本の探し物をしている。
(あの本だったかな? この本だったかな?)
奥の部屋の本棚をあちこちと探すけれど、
よくまあ、こんなに本を買ったものだと思った。
その頃の僕の生活はどうなっていたのだろう。
湯水のように、本にお金を使っていたような気がする。
お茶の水の古書店街にはよく通った。
行くたびに一冊は何か買って帰った。
読んだ本もあるし、さらっと眺めた本もある。
まるで図書館のように、本が並んでいるが、
ここは図書館ではない。
こんなに多くの本、誰が買ったのかと思う。
おれだ。
「フィンガーピッキング」'08.10/20
ここは木造モルタルのアパートである。
いつもギターを弾いているが、夜はひかえめにはしている。
10時11時を過ぎたら、さすがに音量も小さくなる。
そんなときは、ストロークの歌でも、
フィンガーピッキングで弾くことがよくある。
フィンガーピッキングを弾くほうが、逆にダイナミックになるときが多い。
アパートの他の部屋にも、音量的に良いであろう。
そのときの楽しみは、フィンガーピッキングのアレンジを、
その場で考えて弾くということだ。
いつもはピックストロークで弾いている歌。
ストローク奏法よりも、ダイナミックに響くように。
部屋での、フィンガーピッキングは、弾き方を決めないことがいい。
「'74年頃、東京」'08.10/18
僕が東京に最初に着いたのは、'79年のことだった。
その前の'78年に一度、一週間ほど遊びに来たこともあった。
'80年には、目白にアパートを借りた。四畳半、家賃一万五千円。
ちょっと遠くに、一軒のセブンイレブンがあった。
電話は大家さんからの呼び出しであった。
'82年に入ってくらいから、ライブハウスにも通うようになった。
あちこち街歩きもしたので、だいたいの街の感じも憶えている。
ガチャゴチャとして、さびた看板の中華屋さんがあり、かわいい名前の喫茶店がそっとあり、、。
小さな洋品店も、お茶屋さんも、街角には、雑貨金物屋さんもあり、、。
僕が着いたときの東京は、どこの商店街も同じような感じでもあった。
あれから約30年。それからのことは、僕の記憶とともになんとなくある。
僕が行ってみたいなと思うのは、'74年頃の東京だ。
'79年頃とはそんなに大きく変わっていないとは思うけれど、'74年頃というのは、
'60年代終わりくらいに生まれてきたいろいな若者文化が、なじんで来た頃のように思うのだ。
見た目では、'79年頃とは変わらないかもしれないけれど、、。
青年期?
もちろん、どの時代の東京にも行ってみたいのたが、
「新曲のヒント」'08.10/16
友達のライブを聞きにゆくと、
よく新曲のヒントが浮かぶ。
まるでその曲とは関係のないテーマで。
ライブで聞いているときというのは、
歌のテーマ作りに必要な感覚が使われているのであろう。
歌を聴き、イメージを浮かべる。
ぼんやりと。
ぼんやりと、ぼんやりと、、いくものイメージで。
何かの言葉の勘違いから、またイメージが浮かぶ。
また自分の頭の中にあったぼんやりとした言葉が、
意味を結び出す。
そういうことに集中することのできる時間を、
ライブは、聴いているときに与えてくれるのだ。
調子のよいときは、みっつくらい新曲のアイデアが浮かぶ。
最近はなかなかそういうこともなくなったが、、。
ライブを聞いているとき、
聞いてやろう、見てやろうという気持ちを越えて、
「江戸の風景」'08.10/14
江戸の頃に生きていた人はまだ、いるだろうか?
もういないかな。。
ぜひ、尋ねたいことがある。
それは、江戸のみんなは早足であったのではないかということ。
時代劇などをみていると、たしかにみんな早足で歩いている。
その頃は、電車やバスの移動もなかったのだから、
きっと時間短縮のためにも早足で移動していったのだろう。
僕自身外を仕事をしていて、普通に歩くのと早足では、
移動の時間が半分ほどになるのを実感している。
昔の人も時間を大事にしたであろう。
江戸の頃を映した8mmフィルムがあったら、
きっとみんな早足で歩いているであろう。
「三時間」'08.10/12
日曜日の朝。
あと三時間でいろいろとしなくてはいけないのだけれど、
きっとできそうにない。三時間なんて、あっというまだからだ。
しかし、三時間もあればたっぷりといろいろできるという人もいるだろう。
考えてみれば、三時間もあれば、長編映画も観られるだろう。
そこには、長い歴史や人生も描くこともできるだろう。
たっぷりとじっくりと。。
それなのに僕は、三時間でほとんどできない。
なせだ、、?
三時間の可能性は無限大なのに。
高校の頃、三時間はとても長かった。
もしかして、おれ、、
「アフリカのビート」'08.10/10
仕事場から駅までの帰り道、
居酒屋の前のスピーカーから、なぜかアフリカのビートが流れている。
それは、太鼓の組み合わせのサウンドで、夜道に響いているのだ。
こちらは仕事で疲れての帰り道なのであるが、そのビートは生き生きとしていた。
♪タタタタ・タターン タタタタ・タターン タタタタ・タターン
ずっと変わらないリズムなのであるが、そこを歩き通るとき、
こちらの生命感が変わってくるようなのだ。
草原のそよ風に吹かれるときのような、、。
そのビートを聴いていると、目の前にアフリカの大地で踊るみんなが見えてくる。
ざわざわと繰り返す波のような、その姿。
♪タタタタ・タターン タタタタ・タターン タタタタ・タターン
一歩踏んでは、また戻り、一歩踏んではまた戻り、一歩踏んでは・・
僕らの音楽のビートというのはいつも、歌詞の中を歩き進んでゆくが、
それは歌の終わりに向かっているんだな。
そして左右にあるスピーカーから客席に音は向かっているんだな。
アフリカのビートは、真上に空にのぼってゆくようであった。
こうして駅に向かって歩いているのとは、
「いまのはわたしのこえよ」'08.10/8
それはとある下町でのこと。
私は毎日、外歩きの仕事をしているが、
一軒のトイレから聞き取れない言葉が聞こえて来た。
声はすれども姿は見えず、
フニァワニァヘニァホニァ・・
もしかして僕に話しかけているのかな、、?
でも答えようにも何を言っているのかが不明だ。
宇宙語のようであった。
僕はそこを立ち去り、ひと回りして戻ってきた。
すると、小さなリュックを背負った小さな女の子が
近づいてきて、僕に言った。
「いまのはわたしのこえよ」
きみのこえだったのか。
ありがとう、謎が解けたよ。
でも、なんて言ったのだろう、、?
「コピー機」'08.10/6
ずんぶんと、コピーの機械にはお世話になっている。
仕事ではなく、個人的にミニコミの制作等で。
コンビニエンスストアーのコピーをよく使っていたが、
最近は、かなり性能もよくなった。
先日、スーパーマーケットで、古いコピー機があるのを見た。
スーパーマーケットのコピー機もよく使った。
どこの店にも行ったなぁ。
まるで友達のように。
コピー機は、最新の技術を使った素晴らしいマシンであった。
その恩恵はかなりのものだ。
今だって、それは変わらないのに、もう古さを持ち備えている。
懐かしさも備えている。
「初日」'08.10/4
月末に4・5日休んだあと、僕の場合また仕事が始まる。
外歩きも含む、けっこうな肉体労働でもあるので、
4・5日も休んでしまうと、初日が大変だ。
急にハードに働くと、体に悪い。
以前は、それでも初日からバリバリやっていたりしたのだが、
今はなるべく、休みの日と仕事の日の中間くらいの気持ちでやっている。
それからまた約ひと月、ハードな日々が始まるのだ。
もう二十年も同じ仕事をしているが、
この初日が肝心なのだとわかるようようになった。
手漕ぎのボートの旅みたいな感じかな。
徐々に体を慣らしてゆくのだ。
「時間がたつのが早すぎる」'08.10/2
昨日は9時過ぎに眠ってしまった。
ふと目が覚めると、12時過ぎであった。
これは普通。
何かしようかなと思ったが、また目を閉じたら、
次は朝の4時になっていた。
うそ、、と、思いながら、もうひと眠りすると、
6時になっていた。
そんなに眠かったわけではない。
これに限らず、最近時間があっというまに過ぎることが多い。
一時間、二時間と、、。
そのほとんどが、自分は4時だと思っていたのに、
時計見ると5時だったというケースばかりだ。
自分が思っている時間と実際の時間がずれているのだ。
感覚時計が抜けるとときがあるようだ。
これからもっと、こういうことがあるだろう。
「秋になった」'08.9/30
僕にはTシャツが似合わないなぁと、ずっと思っている。
もともとそんなに暑がりではないし、夏は半袖シャツで過ごしてきた。
しかし、ここ数年は、Tシャツで過ごしていることが多い。
自分でも不思議に思う、年のせいなのか、、??
それがここ数日の気温の変化で、突然にジャンパー生活になった。
秋になった実感はあるのだけれど、10月、11月の二ヶ月なんだよね。
一番好きな季節が、短いなんていやだな。
やっぱり9月に入ったら、気分は秋になっておかないとなぁ。
ジャンパーを着るくらいではないとなぁ。
冬は長い。12月から3月いっぱいは寒い。
えーっ、四ヶ月もあるじゃないか、、。
季節に任せていたら、秋が短くなってしまうな。
自己調整していかないと、、、。
「いつのまにか失っていたもの」'08.9/27
今、久し振りに本をいろいろ読んでいる。
宇宙の神秘の本。
夜眠るとき、本の続きを読もうと思った。
そしてページを開いてみると、、
かなしいかな、文字にピントが合わないのだ。。
ろ う が ん で。
小さい頃から、寝床で神秘本を読むのが好きだった。
つい小さい頃を思い出して、本を読もうとしたら、、
これだ。
ずんぶん長いこと、眠る前に本を読まなかったものだ。
ああ、かなしいね。
失ってしまったよ。あのすばらしい時間を。
「革製のシューズ」'08.9/25
思い出せば、革靴をはいたのは中学のときだった。
通学用の普通の革靴ね。
でも、今思えば、なぜあんなにはきにくい堅い靴を、通学ではかねばならなかったのか、、?
大人の仲間入りということだったのだろうか、、?
たしかに大人になったという意識はあった。
でも、あの革靴は堅い革靴だったなぁ。
8年ほど前、失敗して、革製のシューズを買ってしまった。
そのままにしておいたのだが、最近、思い出したようにはいてみたのだ。
しばらくすると足になじむなじむ。
シューズの名前もトラベラーという名前だし。。
実にはきやすい。革が足の形に変化しているのだな。
ここ20年くらい、すっかり忘れていた感覚だ。
値段的にはちょっと高いけれど、足にはいいな。
ここ10年くらい、安い靴を探してきたけれど、
「ブックマーク」'08.9/23
もうインターネットを始めて、7年目になる。
最初にいろんなホームページを見たときは驚いた。
そして、気に入ったページは「お気に入り」とし、
ブックマークを付けた。
そうやって増えていったブックマークも、
パソコン不良で、中身の入れ替えをしてしまうと始めからやり直しとなった。
すると不思議なことに、ほぼ毎日見ていたサイトをふと、忘れてしまうのだ。
それは、数ヶ月して気が付く。
ときには、ずっと忘れてしまう。
先日も、ふと思い出して、懐かしいサイトを訪ねてみた。
そうしたら掲示板がなくなっていた。いろいろとあったのだろうと思う。
インターネットは、最近に生まれたメディアではあるけれど、
遠く訪ねるということの出来る不思議さも持っている。
「灯りの続き」'08.9/21
高円寺北口には、庚申通り商店街がある。
名前の通り、商店街の途中に「庚申さま」があるのだ。
僕は帰り道、いつもその前を通ることが多いのだが、
夜には、ろうそくの灯りが点っている。
毎日、庚申さまを、気にかけている人がいるのだ。
町内町内にある庚申さま。
六十日ごとに巡ってくる「庚申(かのえさる)の日」には、
三尸(さんし)の虫が天に昇らないようにするために、
寝ないで語り明かすという習慣が昔よりあった。
たしかに庚申さまの前には町内会館があり、
以前は、そこで夜明かしをしたのかもしれない。
・・・・・
高円寺は、今は若者の街になり、
庚申通りもまた、にぎわいで満ちている。
若者文化の中でも、今も庚申塔に灯りが続いているのは、
僕が思うに、お世話をしている誰がいるからであろう。
それとも町内会で巡り番でやっているのか。。
町々に残る庚申塔や、庶民信仰の数々のもの。
その灯りを続け、対話を続けている人がいる。
もしかしたら、たった一人が、
何十年もお世話をしている場合もあるだろう。
「始まりと終わりの続き」'08.9/19
ここ数日、ずっと探し物をしていた。
CDを一枚。それもぺらぺらなビニールに入れたまま。
思いあたるところは全部探したが見つからない。
さて、どこにあるのかな。。
また探してみようと、腰をあげようとした数日目の朝。
そう思い立って、10秒後に見つけた。
手を伸ばした、引き出しにあった。
こういうことはよくある。
手を伸ばしたところにあるという事。
探し始めのときにもある。
そして、あきらめた探し終わりのとき。
・・・・・・
いろんなことを思い出してみる。
最初のきっかけというものがあり、そしてあきらめたときもある。
途中というのは、探し物をしていたようなものだ。
人、そして物に限らずね。
最初にふと思ったこと、探すのをやめようと思ったときのこと。
たぶん探していたものは、そのへんにあるのではないか。
「本所七不思議」'08.9/17
いつも通る道に、突然に立て看板が立てられていた。
そこは両国駅から、少し歩いた所。
「おいてけ堀」の話の元になった堀が、昔ここにあったのだという。
「おいてけ堀」って知っているだろうか。小さい頃、僕はテレビ映画で観た。
お堀で、魚を捕って帰ろうとすると、「おいてけ〜」と声のする話だ。
小学校の頃、よくその真似をしたものだった。
その看板は、「本所七不思議」について書かれたものであった。
墨田区本所のあたりには、もう20年通っているが、
「本所七不思議」について知らなかったのは、自分でも驚いた。
考えてみれば、江戸の街は今の東京のようには大きくはなかった。
各場所場所には、不思議話や、いい伝え話があふれていたであろう。
小さい頃、僕も、そんな話をいろいろ聴いたものだ。
その場所に20年も通っていて、誰も教えてくれなかったなんて、
なんてさびしいことだったんだろう。
江戸の街々では、きっとそんな話であふれていたと思う。
もともと街ってそういうものだったと思う。
「ロックバンド人生」'08.9/15
中学時代には、エレキギターも通販で買った。
憧れのストラトキャスターモデル。
しかし、ある程度の年齢になってみると、
アコースティックな響きが自分にしっくりくるのがわかる。
ドラムセットやキーボードの入る、ロック編成のバンドは、
組むこともないかなぁとも思えてくる。
僕の音楽との関わりは、小3のときの洋楽ポップスが始まりではあったが、
本格的なものは中学の頃のフォークブームだ。
ジャガジャガと鳴らす、生ギターの響き。
それから始まった、僕の音楽創作人生ではあるが、
思い返してみれば、そこに流れているのは、ロックバンドの演奏のようである。
最初の始まりには、ドラムセットがドンドコドンと入る。
レコード屋や本屋さんを自転車で巡るときには、ハモンドオルガンのキーボードが鳴る。
生ギターを初めて買ったもらったときには、ディストーションのエレキが鳴る。
探していたレコードを、中古屋で発見したときには、ドラムのシンバルが鳴る。
それらのレコードは、フォークではあったかもしれないけれど、
それぞれのシーンのには、ロックバンドの演奏が似合っているようだ。
お茶の水にギターを探しに行くときには、
「歴史は変わる」'08.9/13
ホモ・サピエンスという映画を観た。
その映画の中では、ホモ・サピエンスが、現代人類の祖として描かれていた。
世界に広がってゆく課程で、ヨーロッパでは「ネアンデルタール人」とも出会う。
そのネアンデルタール人は、やがては絶滅してしまう。。
あれ・・?
僕は何か記憶違いをしていた。
学校で習ったのは、アフリカを起源に人の祖先が生まれ、
それが、世界の各地区で進化してゆき、現代の人とつながって行ったのではなかったのかな。
ヨーロッパは「ネアンデルタール人」、東南アジアは「ジャワ原人」、中国は「北京原人」。。
それぞれの原人が、それぞれの地区で、現代の人に進化していったのではなかったのかな?????
ちらっと調べてみたら、現代ではどうもそうでもなくて、
20万年ほど前の一人のアフリカの女性から、世界中の人が生まれていて、
太古の人たちは、みな絶滅したというのだ、、。
そうだったのか。。
あれ・・?
学校では習っていないぞ。
歴史は変わったのかな??
(変わったのだな・・)
今、20代のみんなは、当然のように学校でそう習っていて、常識として知っているのかな。
そうかもしれない。
彫りの深い、ネアンデルタール人は、ヨーロッパの人々の祖先ではないなんて、、。
「いつもどおり」'08.9/11
家々の玄関先にある、瓶の中に、
金魚が泳いでいるのを見つける。
特に水を変えているようにも思えないのは、
藻がうまく水を浄化しているからだろう。
そこにあるのは、微妙なバランス。
それはそのままそっとしておくことが大事だろう。
へんに水を変えたり、環境を変えない方がいい。
・・・・・・
ここ数週間、あまりギターを弾くことが出来なかった。
久し振りに弾いてみると、ネックがおかしいことに気が付いた。
弦を張り替えたことも含めて、失敗した。
手元に来てから二年以上になるが、
毎日弾いてきた限りは、ネックは大丈夫であった。
そこにあるのは、微妙なバランス。
急に数週間も、弾かなかったのだから、
ギターもバランスを崩したのであろう。
「ちょこまかと音楽」'08.9/9
高校時代までは、大きなスピーカーで音楽を聴いていた。
二階の部屋に上がるときも、その音は聞こえていた。
レゲエを聴き始めた頃は、部屋の真ん中で踊ったりも出来た。
低音も出て、音圧もあった。ステレオの30センチスピーカーが鳴っていた。
その頃に聴いていた音楽は、今聴いても、大きく広がりのあるイメージで残っている。
音楽は、自分の背よりも大きく、部屋いっぱいの体積があった。
音楽が鳴っていると、他のことに集中することは、ほぼ出来なかった。
高校を卒業し、上京してからは、小さなステレオセットやラジカセで音楽を聴いた。
あとは、ヘッドホンでちょこまかと聴いていた。
ちょこまかと音楽。
そんなふうにして、30年たった。
上京してから聴いた音楽は、どれもラジカセの響きがある。
それはしかたのないことではある。
「はさみむしに捧ぐ」'08.9/7
外仕事で、よく「はさみむし」と会う。
「はさみむし」は、ちょこちょこと進み隙間に入った。
小さい頃、よく神社で遊んだ。蟻とか探して。。
そのとき、「はさみむし」は悪役の象徴のようであった。
その容姿は、恐怖さえ感じさせた。
小さな世界にいた、小さな悪役。
実際の大きさの何倍もに感じられた「はさみむし」。
あれから40年。「はさみむし」は、変わらず石の下にいる。
僕らを怖がらせた象徴は、ちょこちょことすみっこに隠れて行く。
「はさみむし」は、遊び場から離れた僕らを、追いかけてはこなかった。
夢の何をも、壊すことはなかった。
「不思議の財布」'08.9/5
先日、新しい財布を買った。
千円。
小銭入れを開けたとき、なんだか見覚えがあるマークがついていた。
(前にも買ったメーカーかな・・)
使っていると、ある不都合が起こった。
小銭入れのチャックを開けるたびに、小銭が仕切を乗り越えて上に出てくるのだ。
仕切が低いために起こるのであろう。
以前もとても苦労した。
今回もそうであろう。
同じマークの前の財布は何年も前の話である。
また、一年くらいは、それで苦労する。
「歌商店」'08.9/3
朝、街のどんぶり屋に入ると、いつも最近の洋楽ポップスが流れている。
しばらく洋楽ポップスから、離れているせいもあるのだけれど、
僕には、なんだか同じように聞こえてしまう。曲調とかサウンドではなくて、
歌の全体的なイメージが。。
いかにも、売れるようなそんな感じ。。オシャレさがあるというか。
それはヒットしている日本のポップスにも、感じいていることだ。
イメージ的なたとえで申し訳ないが、ひとつの歌が商店だとしたら、
それは、渋谷あたりのビル街のテナントのひとつに並んでいるようなお店のようだ。
それは、清潔感があり、流れの中で誰でもが入れるようなお店。
売られている商品は、それなりにパッケージされて、裏には製造年月日等の紙が貼られ。。
ホームぺージもあり、通販でも売られている。
そんな歌商店を囲む景色には、渋谷の町並みが続いている。
今、話題の店という感じか。。
・・・・・
最近のポップスを聞いていると、メロディーやサウンドが、
「味付けがカッコイイ」という印象のものが多いように思う。
でも、僕の中の創作意識の中には、前から「カッコイイ」という意識がない。
「カッコイイほうが、いいじゃん」という、意見もあるだろうが。。
・・・・・・
歌がひとつの商店だとしたら、その店には作りと場所がある。
それは、どんな作りの店なのか、どこにあるのか、その店から続く景色はどんななのか。。
その歌の商店と出会いたい風景と場所があっていい。
別に入口は、自動ドアやサッシでなくてもいい。
その店に行くために、バスや電車がなくてもいい。
その歌が暮らしている景色というものがあるからだ。
その景色の中、店の屋根がゆっくり息をしているような感じ。
「歌作り」'08.9/1
秋になった。
食欲の秋、読書の秋、温泉の秋、創作の秋である。
今年は忙しく、なかなか落ち着いて歌作りが出来なかった。
やっと、また歌作りをしようとノートに向かってみた。
いろいろ言葉やメロディーを出してみるけれど、まるで中学生。
今回に限らず、久し振りに歌作りをすると、中学生レベルに戻ってしまう。
何が中学生かというと、僕が中学生の頃に作っていた歌みたいな言葉づかいなのだ。
なんというか、歌詞が人生的というか。。
いつもここに戻ってしまうなあ。。
不思議だけれど、僕の場合はそうなのだ。
やっぱりいつも歌作りをしていないとね。
「創作は、、
一日休めば三日、二日休めば一週間、
「モンゴル巡業」'08.8/30
今年、大相撲がモンゴル巡業に行った。
「モンゴル巡業」。
この言葉の響きは、相当に語呂がいい。
初めて行ったということだが、長い深く、歴史の続きのような響きがある。
まるで・・・エルサレム巡礼のような。。ちょっとちがうか ??、、いや同じか??
今日の話は、テーマが少しずれるのだが、日本の力士の「魁皇」がモンゴルで大人気であるという事実だ。
これは、いい話だ。
モンゴルの人たちか見ると、「魁皇」が、いい男なのだという。
「どこが、良いの?」という質問に、「長い事、相撲をとっているから」と答えたモンゴルの人もいた。
こんなにモンゴルで自分が人気があるとは「魁皇」自身、驚いているだろう。
モンゴルの人たちが、いつも応援していたのだ。
僕もあなたもどこかで人気が出るかもしれない。
「日本一とか世界一とか」'08.8/26
まあ、世の中には基準というものがあるようでないようなものだ。
僕の一番の好物はカレーだ。
オギャーと生まれて40年。(+α)
数々のカレーを食べてきた。
そして今、僕は世界一、美味しいカレー屋を見つけている。
それが世界一なのかは、世界一あいまいな基準からできている。
しかし、僕がそう思っていので、いつもその店に行くと、
世界一美味しいのカレーを食べられていることとなる。
この幸せを、どう伝えたらいいだろう。
僕以外の人がどう言うのかは、あまり気にしない。
友達とその店に入ることはあるだろう。
そのときは「けっこう美味しいよ」としか、言わないだろう。
まちがっても「世界一」とは、口にはしない。(そう思っていても・・)
僕の心とエッセイだけの話だ。
その店はまだ、日本に一軒しかない。ほとんどの人は知らない。
カレー通の人の中では知らない人はいないかもしれないが。。
その店よ、なくならないで欲しい。ぜったいに。。
ちなみに、、僕は、、
「中一日の旅」'08.8/24
郵便は早くなった。
300Kmくらいの場所であれば、翌日に着く。
早いなぁ。早いことは良いことではあるけれど。
僕が最初に郵便を出した頃は、今日出して、明後日に着いていた。
中一日。
一日は手紙はどこかにある。
一日は旅の日。
それはそれで良かったな。
小学生の頃、手紙を友達に出した。
「母ちゃん、手紙、いつ届くかなぁ?」
「あさってだよ」
遠いところでは、もう一日かかっていた。
僕はいろんなイメージをその間に思った。
車に乗って、移動してゆく手紙の姿。
そういうものだと思っていた。
手紙やはがきの旅は、今や、
「世界ランキング」'08.8/22
オリンピックで、男子卓球を見た。
そりゃもう。。
中学時代、僕は卓球部だったので、そのすごさがわかる。
女子卓球はそれでも、基本の続きという感じがしたが、
男子卓球は、想像を超えた技の連続であった。
どの選手も、自国では無敵であろうと思える選手ばかり。
僕の見た限り、男子卓球は、まともでは勝てないと思えた。
それぞれの選手が、自分なりの技のひねくれかたがあり、
それが、想像を越えたボールを返すことになっていた。
まともでは、勝てない。
強い選手ってほんとに強い。
世界ランキング20位くらいの人でもすごい。
これが、トップ10になるとどうなるのか。
僕も世界ランキングの選手になりたかったな。
僕は力の抜く卓球を開発したかった。
「蜩」'08.8/19
ひぐらし。
先日、友達とセミの話をしていた。
アブラゼミ、クマゼミ、ツクツクボーシ、そしてヒグラシ。。
僕の意識の中で、ヒグラシのことなんて、すっかり忘れてしまっていた。
「あれ、ツクツクボーシが夕方になると、ヒグラシになるんじゃなかったっけ?」
そんなことを言う始末である。
それほどまでに、ヒグラシのことを忘れていた。
夕暮れになると、ひーひーひーひーーと鳴くあの声。
東京に来てからはたぶん、ほとんど聞いていないだろう。
ここ高円寺にいては、まず聞くことはできない。
あの夕方に聞ける涼しい声。
アブラゼミが鳴きやむ頃に鳴くヒグラシ。
人もまた、あんなふうに夏を過ごしてみたいものだ。
「忍者魂」'08.8/17
忍者の実はよく知らないのではあるが・・。
「しのび」と呼ばれるくらいなのであるから、
きっと音があまりしなかったのであろう。
僕の外仕事をしていて、あまりに急いでいると、
自分を忍者だと置き換えてみるようにしている。
すると、音がだんだんとしなくなるのだ。
いかにも忍びの者という感じ。
そして、目的の遂行という事が第一に思えてくる。
なんというか、必ず実行するという強さが出てくるというか。。
僕のかってな、忍者への思い入れであるが。。
ときどき作業で、もーれつに急ぐと音がしなくなる。
必ずや遂行とするという忍者魂が出てくるのだ。
そうなると、あまり疲れとか感じなくなる。
「必死の策」'08.8/16
日々の仕事では、人の名前が相当に出てくる。
常に人の名前と接しているので、頭の中は人名でいっぱいだ。
そんな状態なので、人の名前が出て来なかったり、なかなか覚えられない。
困る。本当に困る。
これも職業病のひとつであろうか。
だから最近は、名前を紹介されるたびに、すぐに手のひらに書くようにしている。
だって、頭の中は、人名でいっぱいなのだから。
それでも、少し覚えるコツがわかった。
その人の名前と同じ、有名人の人を思い浮かべるのだ。
そして二人の顔を重ねて覚える。
すると、ふと忘れたときに、思い出しやすいのだ。
こんなことは、みんなやっているかな。
僕にとっては、必死の策なのだ。
「はじめはじめのパソコンノート」'08.8/14
昨日また、パソコンが調子悪くなってしまった。
(原因はモデムであったが・・)
パソコン不良になると、いつも取り出すノートがある。
それは、パソコンをはじめて買ったときに、一緒にそろえたノートである。
「iMacライフノート」というものだ。
ふつうのノートなのだが、まあ、いろいろパソコンのことを書いておきましょうというものだ。
パソコン不良になると、いつもこのノートが登場する。
初心者用のノートが。。
先日、友達の家に行ったとき、パソコンノートというものを見せてもらった。
まるで、僕のノートのようであった。
また、他の友達も、買った当時から使ってきたノートがあった。
もしかして、みんなそうなのか。。
意外とそうかもめしれない。
「大会選手」'08.8/12
オリンピックの季節になった。
小学校時代、僕も水泳と陸上の選手であった。
夏休みは練習。。
陸上では、僕は幅跳びの選手であった。
そんなに真剣にやっていたわけではなかったが、
まあ、学年で何番目かに遠くに跳んだのだ。
大会にも出場した。学年で三人の中に選ばれて。
3M70とか、だったかな。
いざ、大会に出てみると、他の学校の小学生が飛ぶ飛ぶ。
4Mなんて、軽く跳んでいる選手ばかりであった。
すみっこに座り、友達と話す。
「みんなすげーえな、、」
そして、自分たちの番がくる。
必死で、「わーっ」とか、声をあげて跳ぶ。
自分のベスト記録も跳べない。
(だめだ・・)
ぼんやりと、大会は進んでいった。
記録を出す選手はみんな体がでかいんだもの。
「オリンピック商戦」'08.8/10
オリンピックが始まった。
テレビの情報番組で、こんなことを言っていた。
ある家電量販店の販売員の人の話。
「オリンピックで良い成績が出ると、薄型テレビの売り上げが伸びる」と。
だから今、家電量販店の販売員の人たちは、メダルを相当に期待しているのであろう。
流れとしたら、こんな具合か。
みんながハラハラしながらメダルを期待→金メダルの名場面→家電量販店で高画質録画
→次の日には薄型テレビで再生→お客さんはつい見てしまう→金メダルの日本選手の表情を高画質で見てしまう
→100万ドルの笑顔→感情の同一化→値札を見ると激安特価→その隣に「即日配達」の文字→そして買ってしまう。
こんな感じかなぁ。(笑)
「夏」'08.8/8
小さい頃、夏が一番好きだった。
新潟で、そんなに猛暑ということでもなかったせいもあるが。
とにかく夏休みが待ち遠しかった。
夏が嫌いな人なんていろだぅかと思っていた。
スイカも食べられるし。。
夏好きは、実家にいた頃は変わらなかった。それが当たり前と思っていたので。
18才で上京してからも、夏は好きだった。最初の四年はクーラーもあったし。
23才になったとき、青果市場で働きだした。夏は暑くて大変だった。
それでも僕は夏が好きだった。楽しいことも多く待っているようだった。
28才からは、外歩きの仕事を始めた。
最初の10年くらい、夏は好きであったが、特別に好きにいうふうでもなかった。
しかし、この10年ほどは、朝から暑いと顔をしかめるようになってしまった。
まるで嫌いな季節であるかのように。
子供らは夏休みなので、暑そうにしているが楽しそうだ。
おじさんは、どうにかもう一度、夏が好きになりたいのだよ。
「事態」'08.8/6
ここ最近、太ってきて困っている。
電車ニュースで、「今年は夏太りの人が増えています」と言っていた。
それか??
この話の始まりは、暑かった7月にさかのぼる。
今年の7月はとても暑かった。外を一日歩く仕事は毎日へとへとになった。
その連日の暑さに負けまいと、スタミナをつけたのだ。
このままでは、夏バテになってしまうと。。
それが原因なのか、、。
8月に入ってからも、仕事はもーれつに忙しく、体力は相当に使っているのに、
体は逆にもっと、ぷくぷくになりつつある。
これはどういうことだ。。
ふつうは逆ではないか。例年ならば、やせるはずなのだが、、。
電車ニュースは夏太りの原因のひとつに「アイスの食べ過ぎ」をあげていた。
たしかに「アイス」は毎日食べた。
今なんとか、夏太り対策を練っている。
「ハーモニカ」'08.8/3
キーごとに吹く、ブルースハープは実によく出来ている。
そのかわり、7本とか持っていないとだめなのだが。。
鍵盤楽器とはいえないが、とても簡単でイメージでも吹くことがでかきる。
僕は思うけれど、電子ハーモニカとかできれば一本で済むし、いろんな音色が出せるだろう。
いろんな楽器の音がイメージで出せるなんて、いいな。
しかし、そんな電子ハーモニカは誰も作ってくれない。
(たぶん、開発はされているのかもしれないが・・)
実際、それが出来たら、どんな感じなのであろう。
(あいつ、こすいことして・・)とか、思われるかな。
(やっぱり、ふつうのハーモニカがいいや) と、すぐに戻るかな。
僕は思う。小さな子供たちが、ぷかぷかと、イメージで吹く楽器はハーモニカではないかと。
町々のいたるところから、そんなぷかぷかハーモニカは聞こえてくる。
ハーモニカの音色には、そんな生い立ちもある。
「蝉が鳴かない」'08.8/1
八月になった。夏本番である。
しかし、この部屋の回りからは朝、蝉の声が聞こえて来ない。
まあ、都心で、樹がないというせいもあるのだけれど。。
蝉は早起きであった。ラジオ体操よりも早かった。
蝉はまじめであった。7日間を必死にがんばっていた。
「がんばり」の、ひとつの象徴であった。
僕らは夏休みというひと月を、必死のようなのんびりのような時間で過ごした。
蝉の声に追われながら。
あの時間は、日本中で続いているだろう。
しかし、この部屋からは聞こえてこない。
早起き蝉が聞こえてこない。ふつうに蒸し暑い朝が始まりだ。
「梅津先生と詩吟」'08.7/30
柏崎商業高校三年の時、担任は梅津先生だった。
ちょっとやせた45歳くらい男の先生で、魅力的な声であった。
口ぐせは、「先手必勝」と「アイデア勝負」のふたつ。
三年の担任になったとき、
「詩吟をやっているので、それはおいおい、ぜひみんなで。。」と、言った。
「えーっ!?」
梅津先生の授業担当はいくつかあったけれど、コンピュータープログラミングもあった。
それは何やっているか、実はチンプンカンプンであった。
梅津先生は黒板いっぱいに、コンピューター言語を書き並べていたけれど、
がんばっていたにちがいない。その授業はまだ始まったばかりだったもの。('77年の話)
そして、肝心な「詩吟」の方は、、、。二回くらいあったかなぁ。
常日頃、「詩吟」の素晴らしさを語っていたのだが。
みんなに、藁半紙に書かれた詩吟の言葉を配って、声を出しての練習。
30分くらいだったかな。ちらっとやって終わり。
そしてそれは卒業式の当日だったか、前の日だったか、
梅津先生はむりやり「詩吟」の藁半紙を配った。「どうしても、やりたい」と言う。
「えーっ!?」
僕らは「詩吟」を練習した。一番有名な「詩吟」だったはず。
そ〜う〜りゅ〜う〜
15分とか20分くらいだったかな。詩吟の練習はむりやり終わった。
こだわりの梅津先生。
あれから30年。梅津先生は75歳くらいになっているはずだ。
「続きの30分」'08.7/28
江戸の話はだいたい、不思議現実話が多い。
それは、「こうこうこういうことがありました」での、終わりが多い。
先日読んだ文学的名作本は、ここで話が終わるかなと思うのに、ほとんどの短編で、その続きが書かれていた。
たぶん、あとあとの物語も含めて、名作と呼ばれているのであろう。それはよくわかった。
映画で言えば、物語の続きの30分と言えるだろう。
ここで終わっても、十分傑作なのになぁと思うのに、その続きがある。
そこは現実の領域である。
ひとつの話が、創作であろうと、実話であろうと、続きの話は現実だ。
おおげさに言えば、その物語の答えの答えを自分で書くようなものだ。
よほど用心深く、物語を進めなくてはいけない。
僕にはまだ、その実力がない。
ついつい、続きの前で、物語を終えて完成としてしまう。
先日観た映画にも、続きの30分があった。
「僕が歌でやりたいと思うこと」'08.7/26
先日、何人かのソロライブを観た。
みな長い活動歴もあるし、それなりのレベルのステージであった。
客席から観ていて思ったことがある。
それは、僕はあんなふうにギターを弾いていないじゃないかなぁということ。
あんなふうに歌っていないじゃないかなぁということ。
まあ、メロディーがあり、ギターを弾き、声で歌うということには変わりはないのだが、、。
同じギターフレーズでも、僕は少しちがう感覚で弾いているのかもしれない。
そこにギターがあり、弦があり、弾く指もあるわけだけれど、
そこから出てくるのは、「音」。
僕は極力、その音を生き物に近く表現したいと思っている。
肝心なのはテクニックではなくて、「間合い」だといつも思っている。
・・・・・・・・
僕は歌でやりたいと思うことがある。
それは「紙ヒコーキ」を、3分とか5分、飛ばすようなことだ。
プロペラとか、エンジン付きとかではなくて。
紙ヒコーキは、知ってのとおり、平地では最初の力がすべてではある。
ある程度、風に乗ることはできるが、やがては失速する。
しかし僕はなんとか、それを飛ばしてみたい。
どんな本にも書いていない方法で。
実際、音は風よりも軽いので、可能かもしれない。
自分で飛んでゆくという訳ではなくて、あくまで風に乗ってゆくのだ。
「そんなの無理だよ」という意識は、観念である。
実際に3分、5分と飛ぶ紙ヒコーキをみたら、「へえーっ」と、不思議に思うだろう。
僕はいつも一曲を歌うとき、常にそういうイメージをつかみながら、歌い演奏している。
歌とか、演奏とか、ステージとか、マイクとか、最初の意識には置かず。
一曲を歌い出すとき、それは「その歌」という紙ヒコーキを飛ばす。
最初の力で飛んでゆくんじゃない。風に乗ってゆくようにね。
ラストのフレーズの後、その 紙ヒコーキは、ゆっくりと着地する。
「そうはならなかった」'08.7/24
JRの山手線、総武線、そして中央線、、他
座席シートは現在、二人がけ三人がけと区切られている。
以前は長いひとつのシートであった。
二人がけ、三人がけシートともに、ちょうど座るには、
足を揃えてまっすぐにして座らねばならない。
あぐらのように足を多少ひらいて座る幅には出来ていない。
だから、ひとりが足をひらいて座ると、もうひとりは、足を縮めるように座らねばならない。
まあだいたい、そうやって足をひらいて座るのは、男しかいないのだが、、。
以前のように長いシートであったのならば、それも可能であったろう。
そのかわり、ひとり分座れなくなるのだが。。
JRは、ひとりぶんのシートの広さを、足をそろえる幅で作った。
それは、小学生でも、単純に見て、判断できるだろう。
しかしだ。世の男性諸君は、なかなか足をそろえてシートには座らない。
小さい頃からそうだったからであろう。
そうやって座れば、残った幅は逆に狭くなるので、もうひとりは、せまっこい思いをする。
足をそろえて座ってくれれば、ちゃんと座れる。
JRは、みんながそうやって座ってくれるだろうと想像したのであろう。
一人分の幅がどの位かを、みんな意識できると思ったのであろう。
しかし、そうはならなかった。
「歩いてゆくようなもの」'08.7/22
もうこの5年ほど、いやもっとかな、本から離れていた。
まだまだ買って読んでいない本も多いというのに、どうも読めないのだ。
自宅に帰っては、疲れでバタンQであり、じんみりと読む時間というものが作れない。
電車の中では、満員なせいもあり、なかなか本を開かなかった。
それでも、活字を離れまいと、デシタル雑誌を読んだりしていた。
ああ、僕はいつまた本を読むんだろうと思っていた。
あれだけ若い頃、本を読んだののになぁ。。
しかしここに来て、僕は毎日のように本を読んでいる。
江戸の話の本であるが。。
まだまだ以前のように感じで読めてはいないのだが、
本を読んでいる自分がまだいるということが嬉しい。
本を読んでいると、ほんと歩いてゆくようなものだ。
「扉」'08.7/19
ここ最近ずっと江戸の話を読みつづけている。
そして思うことは、どの話もとてもリアルだということ。
現代のようにフィクションとかいう感覚ではないだろう。
今に生きてると、その話々は、どこかの作り話のようであるが、
その話のあった時代まで戻ると、生き生きと語られているのがわかる。
小さい頃、昔語りの出来事を実際のことだと信じていた。
それがフィクションだと、そしてそのうちに思うようになった。
現代にある、いろんな創作話と同じように。。
しかしもう一度今、扉を開けてみると、江戸の話はまだ生きていた。
今の目で読んだり観たりするから、作り話のようになってしまうのだ。
もう僕は扉を開けてしまった。
「人間のしくみ」'08.7/17
夏になり、夜はとても寝苦しい。
ああ、蒸し暑いなぁ・・、と思っても、10分もしないうちに熟睡してしまう。
そうなると、熱帯夜も何も関係がない。
あっという間に朝にはなるが、体の疲れはある程度とれている。
復活するってすごいな。夜に充電しているみたいだ。
こんなに復活するって、どういうしくみになっているのだろう。
今日もめいっぱい働くわけだが、昨日の続きでない。
もし昨日の続きであったなら、体がもたないであろう。
あまりに強力に眠っている気がする。
そうでないと、こんな朝の気分にはならないのではないか。
「僕らの見ていない時間」'08.7/15
最近、電車の中で、ずっと江戸の道中話の本を読んでいる。
すっかり江戸の話にのめりこんで、そしてまた現実に戻るとなんとも不思議な気分になる。
現代は、やっぱり江戸の続きにあるのだなと実感する。
たとえば駅の立ち食いそばであってもそうであろう。
そんな気分で、ふらりと駅のホームの立ち食いそばに入ってみた。
すると70歳近い老夫婦に隣になった。
なんだかひかえめな老夫婦で、すいませんすいませんと言っていた。
時間は未来に向かっていると言えるけれど、ひとつのものとも言えるだろう。
おじいさんおばあさんたちは、僕らの見ていない世界をしっかりと知っている。
それは過ぎ去った時間や時代ではなくて、つながった時間なのだ。
今の中にあるのだ。
僕は未来にどんどん行ってみたいとは思っていない。
可能ならば、時間をさかのぼれるだけさかのぼってみたい。
それは古い話ではなくてね。今とつながってるすべてがあるからだ。
(まあ、未来もそうだと言えるのだが。。)
こんなことがあったんだよと、もっと教えて欲しい。
「怪獣とソロ弾き語り」'08.7/13
自分の歌っている映像を観た。
友達の撮ってくれた映像で、上半身のアップで自分の表情がよくわかった。
見ているとなんだか、自分の中に流れている音の形が見えるようであった。
・・そうそうこの感じだよ。
自分の中で流れている音の形が伝わるとしたら、それは素晴らしいな。
それは、ダイヤモンドでもあるし、価値無限のものだ。
それはバンドサウンドと呼ぶものとは、ちょっとちがう。
無形の生き物に近いかな。
それは手の届くくらいの大きさの。。
怪獣と呼ばれるものも、よく見れば、手が二本、足も二本。(な、ことが多い)
小さなピグモンも同じ。そして、ピグモンの心の中の大きさは無限大。
僕は自分のビデオを観て、ちょっと安心した。
「おじさんと車の話」'08.7/11
先日、朝の通勤電車の中で、ずっと大きな声で話しているおじさんがいた。
都心の親戚の家に一泊した御夫婦であろうと思われた。
普段、家で話している声と同じ音量であるのだろうけれど、
その声は、車両の端から端まで聞こえていた。
65才くらいのおじさんかな。
その話は休むことなく、連れ合いに話し続けられた。
昨日のこと、先日のこと、小さかった頃のこと、自分が亡くなった後のこと、
細かいことから、人生論まで、、。話すことが好きな人なんだな。
どの話も細かく、何度も話されたお得意話であると思われた。
朝の混んでいる電車であるので、「うるさい」と言うこともできる。
しかし、まるでそういう人であるという印象でもある。
伝統芸のひとつでもあるかのようだ。
僕には、なんだか、おじさんがひとつの飾り車のように思えた。
道路で交通規制をしているところに、やってきたその飾り車。
まだ若い交通係の人は、「交通ルールに違反してます」と、ベテランの私のところに、
「どうしましょうか?」と、相談に来る。
長い間、そうやって走ってきたのであろう。
「おじさんと車の話」'08.7/11
先日、朝の通勤電車の中で、ずっと大きな声で話しているおじさんがいた。
都心の親戚の家に一泊した御夫婦であろうと思われた。
普段の家で話している声と同じ音量であるのだろうけれど、
その声は、車両の端から端まで聞こえていた。
65才くらいのおじさんかな。
その話は休むことなく、奥さんに話し続けられた。
昨日のこと、先日のこと、小さかった頃のこと、自分が亡くなった後のこと、
細かいことから、人生論まで、、。話すことが好きな人なんだな。
どの話しも細かく、何度も話されたお得意話であると思われた。
朝の込んでいる電車であるので、「うるさい」と言うこともできる。
しかし、まるでそういう人であるという感じもある。
伝統芸のひとつでもあるかのようだ。
僕には、なんだか、おじさんがひとつの飾り車のように思えた。
道路で交通規制をしているところに、やってきたその飾り車。
まだ若い交通係の人は、「交通ルールに違反してます」と、ベテランの私のところに、
「どうしましょうか?」と、相談に来る。
長い間、そうやって走ってきたのであろう。
「時代」'08.7/9
江戸の街は、リサイクルがとてもうまく行っていたという。
本を読めば読むほど、関心してしまう。
江戸はまるで腕のいい職人だったのではないかな。
そんなふうに時代を、ひとつの人格として考えてみると、
古いも新しいも、なくなってくる気がしてくる。
昔のラジカセと最新のデジタルコンポも、
音楽が録音できて、再生する分には同じであるなら、
ひとつの人格としてみることが出来るだろう。
どう、僕らの生活に答えてくれたか。それが大事だ。
古い人も、新しい人もない。
デジタル文化に頼った文化もあるだろう。
デジタルに頼らなかった文化もある。
今はほんと、使い捨ての時代になってしまった。
機械が複雑になりすぎているんだな。良い面もあるけどね。
ああ、江戸の街に三年くらい行ってみたい。
「約束は果たされた」'08.7/7
25年ほど前、友人に、
「4・5万でいいから、一生使えるギターを買いたい」と、相談された。
その頃の国産のギターについては、少しは知識はあったので、
この一本という感じで、もうひらめいていた。
友人と一緒にお茶の水に行って、僕は「このギターならまちがいないよ」と言った。
国産の4・5万のギターでありながら、ネックは一番丈夫だと言われていたし、
音も高級ギターに負けない味わいがあった。
友人はそのギターを買って、実家の方に帰っていった。
それから、はるばる約25年。そのギターは今も現役である。
なかなか実際の音を直接聞くことはなかったが、先日、聞いてみて、
それなりの音になっていて嬉しかった。
まあ、25年もたてば、約束は果たされたかな。。
25年も先のことなんて、当時は予想することしかできなかった。
そのメーカーを信じてみるしかなかった。
「地方電車」'08.7/5
地方の二両のみの電車に乗ったときのこと。
小学生のみんながお互い遊んでいたのだが、学年差というものがなかった。
たぶん電車を通じて、小さい頃から仲良しになったのであろう。
僕も町内の子供らとは、学年差を越えてよく遊んでいたが、
小学校に上がってからは、ほとんど同学年とばかり遊んでいた。
しかしこの電車ではちがう。
僕が感心したのは、電車の中では、電車なりの遊び方があるんだなということ。
他のみんなにも迷惑がかからないようにね。
さりげなく乗っている大人たちも、その昔は同じだったかもしれない。
中学生もいる高校生もいる。さまざまなドラマが生まれそうだ。
やがて成人する頃には、車がメインになるのであろう。
この二両の車両の電車には、いろんな伝統が受け継がれているようだ。
「GIG BAG」'08.7/3
ギターケースには二種類ある。
いや正確には、三種類となるのかな?
ハードケースとペラペラソフトケースとクッション入りソフトケース。
実家にいた頃は、ハードケースとペラペラなソフトケースしか知らなかったが、
東京に出てきて、クッション入りのソフトケースがある事を知り、すぐに買った。
最初は、あずき色したケースで、普通にスポンジが薄く貼ってあるものだった。
しかし、それは取っ手がすぐに切れてしまった。
'80年代後半かな。お茶の水の楽器屋さんに寄ったら、「GIG BAG」というシリーズ3が並んでいた。
これはホントに丈夫に出来ていて、ギターにもやさしく、ほぼ完璧なソフトケースであった。
そして、ふと気が付けば、街のいたるところで、このGIG BAGを見かけるようになった。
僕ももちろん買って、ずっと使った。
でも、さすがに15年とたってくると、革の部分がだんだんと切れかかってきた。
僕はそのたびに糸で縫って修理してきた。しかし、時は来る。
どこもかしこも、革の部分がもろくなってしまった。今回も糸で縫ってからツアーに出たのだ。
しかし他の部分は、まだまだ丈夫だ。信じられないほど丈夫だけれど、
さすがに新しいのを買おうと思った。
こんなに丈夫では、買い換えの時期も10年単位であろう。
この2008年、GIG BAG は以前よりも見かけなくはなった。
僕はこのGIG BAGを使い続けようと思う。
今度買えば、また15年は背負えるだろう。
「三羽ガラス」'08.7/1
旅先で訪ねた富山の海岸には誰もいなかった。
砂浜のコンクリに座って眺めていると、カラスたちが目に入った。
海の打ち上げものが続いている海岸のそばを、トコトコと歩き遊んでいた。
よく見れば、三羽であった。
(あっ、カラスが三羽だ。それも仲が良さそうだ。。三羽がらすとはこのことか・・)
昔むかしから、カラスは習性で三羽で仲間を作るのではないか。
「三羽ガラス」とは、このことが語源になっているのではないか。
何かそこには、深い理由があると僕には予想された。
僕はあれこれ三羽がらすの理由を考えてみた。
江戸のひとたちも、あれこれと想像したのかな、、。
東京の自宅に帰ってきて、「三羽ガラス」の語源をいろいろインターネットで調べてみた。
しかし、どこにも三羽の意味合いが書かれてはいなかった。
「三羽ガラス」とは、賢い三人ということで使われることが多いことはわかった。
(あれっ、おかしいな・・)
インターネットのどこにも書いてないとしても、僕は目撃した。
カラスは賢いので、誰にも見せないのかもしれない。
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