青木タカオ「ちょっくら・おん・まい・でいず」

「最近の事」過去ログ'06.11〜'07.2月


「最近の先生」'07.2/28

 先日、公園を通りかかったら、

 幼稚園の先生のこんな声が聞こえてきた。

 「みんなー、公園の外に出てっていいのかなー?」

 「だめー」

 「どーしてー?」

 「くるまがあぶないからー」

 「みんなー、ジャングルジムの上で遊んでいいのかなー?」

 「だめー」

 「どーしてー?」

 「おちるからー」

 「おちたらどーなるのー?」

 「あたまがわれてちがでるー」

 「はーい」

 最近は、みんな、こうなんだろうなぁ。

 僕らの頃は、先生はいつも「〜してはいけません」ばかりだった。

 そしていつでも答えは「はーい」ばかりだった。

 いつだって、なんだって「はーい」ばかりだった。これでは守られないのだろうなぁ。

 最近は、少しずつ進化しているようすだ。もう当たり前なのかな。

 僕はずっと、こんなふうにきくべきだと思っていた。

 子供がいたならば、「こうしちゃいけません」という前に、ちゃんとわかっているか、きいてみたい。

 これは幼稚園の先生のだけの話だろうか。それが心配だ。

 学校の先生たちは今も、「だめだめ」ばかり言っていないだろうか。


「リッツひと箱あれば・・」'07.2/26

 そんなコマーシャルがあった。

 「リッツ」は、ひと箱に、みっつの袋に包まれたビスケットだ。

 知っているよねー。

 よくコマーシャルで、「リッツひと箱あれば・・」と宣伝していたが、高校時代、僕はその言葉には耳もかさなかった。

 「たかが、ビスケットじゃないか」そんな気持ちで。。だいたい、買ったこともないくせにね。

 東京に出てきて、たまたま「リッツ」を買うこともあった。

 まあ、普通に食べてみたけれど、口がパサパサするというかな。そんなに一気に食べられたりはしなかった。

 その後である。僕が「リッツ」の実力を実感するのは。

 箱を捨てようかなと思ったら、まだ箱の中に、ひと袋残っているではないか。

 (あれー?)。まだ残っていたのか。。

 その経験は一回だけではなかった。たぶん三袋を一気に食べることはできないのだろうな。

 それこそが「リッツ」の実力ではないかな。

 「リッツひと箱あれば・・」。充分ということだろうなぁ。

 先日も、「リッツ」が100円だったので、ふた箱も買ってしまった。

 当分、お客さんが急に来ても、お菓子に困ることはないだろう。


「寄り店して帰る」'07.2/24

 先日、初めて行った街で、帰りにラーメンでも食べようかと駅前を歩いた。

 せっかく遠くまで来たのだから、寄り店しないとね。このまま電車に乗るなんてできない。

 しかし、その街は駅前の通りをずっと歩いてもラーメン屋が一軒も見つからないのだ。

 ・・この街にはラーメン屋がないのか。。

 もう中華屋でもいいかなと心に決めて、高架下の道を行くと、そこにはとあるチェーン店のラーメン店があった。

 (まあ、しょうがないか、、ラーメン食べよ。。)

 店内は立派だし、メニューもちゃんとしているのだけれど、厨房が丸見えで、いかにも若そうな青年が作っていた。

 これは仕事であるわけだけれど、何かなぁ、もうちょっとこう、気持ちがこもった感じが欲しいんだなぁ。

 「季節限定〜〜ラーメン」はそこそこに美味しかったけれど、どうも僕の気持ちは満足できない。

 僕はこの街のこんな感じの店に入りたかったのか。。いやいやちがう。その街らしさのある店に入りたったのだ。

 そんな気持ちのまま、駅の方まで歩いてゆくと、小さな中華屋さんが目に入った。

 ガラスのウインドウには、普通のメニューのサンプルが置かれている。ほんとに普通の中華屋さんだ。

 (いやぁ、僕は失敗した。。ここにすりゃ良かったよ。)

 普通のラーメンでも、定食でも良かったんだ。僕は、心がそこにある店に入りたかったんだ。

 その扉の向こうには、よく見慣れた中華屋さんの光景があるのだろう。

 その店なりの中華スープがある。寄り店して帰るための店がある。


「ブルース」'07.2/21

 今日はこれからブルースを作ってみようと思っている。

 ちょうど、この一週間ほど、ブルースシンガーのアルバムを聴いていたところだった。

 まあ、ブルースと言っても、ブルースではない唄がほとんどなのだけれど。。

 僕はもともとブルースのアルバムが苦手だった。そのくせ、ついつい買ってしまう。

 しかし、今回聞いている、エリック・フォン・シュミットのアルバムは、とても地味でありながら、

 豊かな響きを持っているアルバムだ。まあ、白人のブルースシンガーというせいもあるのだろうけれど。。

 聞いて一日一日たつたびに、どの曲も深さが感じられてきて、ついつい聞き入ってしまう。

 一曲目はブルースの曲。不思議なもので、アルバムを聞くたびに、その一曲目のブルースが心地良くなってゆくのだ。

 なんだかね、まるでブルースのメリーゴーランドに乗っているような気持ちにさせてくれる。さもなくば船。

 そんな一曲目のブルース。ゆれている。ほら、ゆれれているよ。


「ぼくの夢、わたしの夢」'07.2/19

 先日、以前に住んでいて街を訪ねてみた。

 東京で僕が初めてアパートを借りた街、目白。。

 僕が借りたのは'79年の話なので、もう28年も前のこと。

 (アパートはまだあるかなぁ)と路地を行くと、ちょうどあったところが、駐車場になっているのが見えた。

 ・・・ああ、いよいよあのアパートもなくなったか、、。

 そう思っていると、その隣にまだ、僕の住んでいたアパートは残っていた。まったく変わらない状況で。

 僕の住んでいた四畳半の部屋もそのまま残っていた。一階は大家さん。

 ・・・・・

 もし、僕にお金というものの余裕が、もしね、、あったならば・・、

 僕はあの部屋を、こことは別に借りてみたい。

 最初に借りたアパート。四畳半、トイレ共同、15000円。

 アルバイトが終わり、僕は中央線ではなく山手線に乗る。目白で降りて15分、僕はあのアパートに帰る。

 コタツがあって、14型のテレビがあって、カセットデッキとレコードプレーヤーがあって、ギターがある。

 電話はどうしょう。かかってこない電話を置こうかな。

 ひと月に一度でいい。僕はあの部屋で眠りたい。あの部屋には想いがある。

 テレビはやっぱり見ないでおこう。ビデオ専門かな。

 詩集の本棚をひとつ置こう。レコードも100枚ほど持っていこう。あの頃のカセットを持っていこう。

 いろん想い事をしてみたい。そしてまた、僕はこの街に戻ってくる。

 やっぱり、、夢かな。。


「ギター屋」'07.2/17

 先日、大きな中古ギター店に寄った。

 久し振りにいろんなギターを見て回った。一年半ほど前に寄ったときから売れていないギターも多くあった。

 まあ、高いギターだからね。目を釘付けにして眺めてみるけれど、音はもちろん聞こえてこない。

 だいたいのところの音は予想はつくけれど、それでも音は聞こえてこない。

 試し弾きとなると、いろいろめんどうなことが多い。まずそれは買うという前提にもなるからだ。

 店員さんも、(お金はあるんだなぁ・・)と、思って接してくるのだ。

 しかし、まず大事なことは、そのギターの音を聞くことだと思うのに、そのシステムが楽器屋ではうまくできていない。

 高級ギターを弾いたこともない人もいるだろうし、10本くらい各メーカーの試し弾き用のギターを用意しててもいいのではないかな。

 あと、大型CD屋のようにギターの音が試聴できるようにすればいいのに。

 それは声みたいなものだからね。

 見ているだけでは、だめだと思うな。かと言って、試し弾きはホントめんどうくさい。

 ギター試聴システムを作るべきなんだ。そのくらいは出来るだろう。

 この文明社会で。


「ハンドルカバー」'07.2/15

 おぼえているか。そして使ったことはあるか。

 今日、僕は見た。自転車のハンドルカバーを。

 あのカバーの中には天国があったなぁ。

 東京では、まあ、ほとんど見ることはないけれど、

 僕の実家の新潟ではハンドルカバーは当然のものだった。

 どんなに吹雪いていても、ハンドルカバーの中は奇跡のように無敵だ。

 バルタン星人のようだしね。

 冬に入る頃、自転車にハンドルカバーを付ける。

 子供用自転車には、子供用のハンドルカバー。

 とうちゃん、かあちゃん自転車には、それぞれの大きなハンドルカバー。

 ハンドルカバーのない冬なんてなかったんだ。

 あれ、ほんとうにあったかいんだよ。

 どんなに暖房でいっぱいの部屋にも負けないくらいに。

 発明王エジソンもびっくりなくらい。


「それがレコードだった頃」'07.2/12

 昔の隠れた名盤が続々とCD化されているが、レコードジャケットは大きくて味があるものである。

 先日、昔の名盤を聞いていたら、とある日本のフォークの唄にとても似ていることがわかった。

 たまたま偶然かもしれないが、同時期に作られているので、そのアルバムを聴いていた可能性も高い。

 その楽曲が似ているということより、僕にはそのアルバムを持っていたかもしれないという方が興味深い。

 当時でも、そのアルバムは輸入盤だけだろうし、噂が噂を呼んで音源が巡り回ってきたのかもしれない。

 古いフォーク喫茶の壁にある、紙のジャケットのレコード。たばこの煙をすい、会話をきき、夜明けや夜更けを肌で感じていただろう。

 隠れた名盤には、いつもストーリーがある。そのストーリーはひとつの部屋の風景にもなっているだろう。

 昔の写真を見ると、そこの壁にあったりする、そんなレコードの名盤。


「朝のホームにて」'07.2/9

 僕は朝のプラットホームに立っていることは多い。

 疲れてぼろぼろなときも、陽が昇っていて、心いやされる気分。

 太陽・・、あれは大きな「1」なんだな。

 複雑に入り組んだ路地のある都心の上にも陽は昇るし、田舎道にも昇っている。

 今日、僕は、その太陽と同じものを見つけた。

 どんなに昨日が複雑なことになっていても、

 部屋の引き出しの中が、むちゃくちゃなことになっていても、

 ノートの終わりのページまでも書かれてうまっているとしても、

 これから4tトラックくらいの、やるべきことの山が来るとしても、

 両方のポケットがいっぱいで、食べ過ぎたリスのぽっぺのようになっていたとしても、

 このプラットホームにさす陽の光のような存在のものがある。

 それは、、「新曲を作ろうと思うとき」。

 新曲を作ろうと思うとき、そこには10円ぶんの準備もいらない。

 パソコンもいらない。何かのチケットもいらない。予約もいらない。

 この空のどこかに予感がする。それで十分だ。


「高円寺」'07.2/7

 二年ほど工事してた高円寺駅がやっともうすぐ完成となる。

 大きなホテルが駅の上に出来て、それに合わせてお店も出来る。

 毎日のようにその看板が見えてきて、通る僕も驚いたりしているけれど、

 さて、それは僕らのためというより、ホテルに宿泊するみんなのためではないかな。

 ひとつの街は駅に集中しているけれど、その駅自身の変化に街がつきあわされるなんておかしな話。

 でもそれをどうみんなに伝えていけばいいのか。

 「高円寺? ああ、駅がホテルになっている街ね」

 そう、そのうち言われてしまうかもしれない。

 僕が高円寺に住んで約18年、ここに通って25年。

 高円寺は高円寺駅ではないことを、伝えねばならない。

 ひとつの駅、その周りはだんだんと出来てゆくものだ。

 僕らの街を作らねばならない。ホテルはただ背が高いだけ。


「Gパン」'07.2/5

 今日、電車の中でオリジナルと思われるジーンズをはいている人をみた。

 それはジーンズの生地ではなくて、紺の厚めの布であった。

 これをジーパンと呼ぶべきか。。

 そのジーンズは、あるひとつの事を思い出させてくれた。

 それはそれは、僕の中での大昔の話。

 '71年かな。青春ブームの頃。ところは新潟。

 僕の兄貴が、「ジーパンを買ったぜ」という。

 それは少し厚い生地の青いズボンで、後ろのポケットのところに、

 「Gパン!!」と、大きな宣伝の紙がついていた。

 兄貴は、「これが噂のジーパンだよ」と言った。

 僕もそう信じた。だって「ジーパン」のことはよく知らなかったから。

 記念すべき、僕が見た最初のジーパン。

 でも、それは青い、つるつるした生地だったんだよね。

 やがて、僕も兄貴もそれがジーンズとは違うものだとわかった。ジーンズの生地ではなかったから。

 あれは「ジーパン」ではなくて「Gパン」と呼ばれるものだったのだ。

 あのGパンをはいたときの兄貴の嬉しそうだったこと。

 たぶんね。。あれは生地がなくて作った「噂のジーパン」だったのだろうなぁ。

 まるで、今日電車で見た、あのオリジナルジーンズにそっくり。

 あれを「ジーパン」と呼ぶのならば、兄貴が最初に買ったのも「ジーパン」なのかな。

 ああ、懐かしき「Gパン」話。


「写真」'07.2/2

 昨年撮った写真の整理がやっと終わった。

 大きなアルバムに一年分まとめておくのだ。

 僕はフィルムカメラ派なのでけっこう焼くのにもお金もかかる。

 しかしこうしてちゃんとプリントされた状態にしておくと、一年がよくわかって嬉しいものだ。

 ライブも多かったけれど、写真はここぞと思ったシーンを撮ってきた。

 ほんの二三枚シャッターを切る。

 ライブだけじゃない、他のシーンだって、ここぞと思ったシーンしか撮っていないのだ。

 なんとなくじゃなくてね。

 だから僕にとっては、ほんと宝物みたいなもの。

 用があるたびに僕はよくアルバムをひらくけれど、

 それは想い出を振り返るというスピードではない。

 じっくりなんて見ない。一瞬のように見る。

 するとやがて、僕の中でしっかりとアルバムが作られてゆく。


「名盤」'07.1/31

 貸してもらった、一本のカセット。

 ほとんど聞くことのなかったブラジルの音楽であったが、どの曲もどこかで聞いたようであった。

 もう30年も前に出アルバムで、相当に売れたらしい。名盤なのかな。

 たぶんヒット曲も何曲か入っているのだろう。

 いったいどこで、僕はこのアルバムを聞いたのかなと思う。

 友達の部屋、どこかの喫茶店? いつかのライブハウス? それともテレビの中から?

 それはこの30年の中のいつだろうかなと思う。

 テレビの中で聞いたとしたら、一曲一曲ちがうときに聞いたのかもしれない。

 果てしない時間の中のどこか。

 世界中のあらゆるところで流れていたアルバム。そんな名盤。

 まったく僕が気にしていなくても、耳にしみていたアルバム。

 一曲の中に矢をはなってみると、どこまでも吸い込まれてゆくような奥行き。

 また逆に、歌は僕の中に時間を無限大にひろげてくれる。

 名盤のなせる技なんだろうなぁ。


「ギターと三線」'07.1/29

 昨日、ライブのために沖縄の三線とリハをした。

 最初の音合わせなので、日中は安いカラオケボックスで。

 テーブルをはさんで、こちらの僕はギター、そして向こうは三線。

 以前にも一緒にやったことはあるので、僕は普通なのだけれど、

 ギターの方は、最近、手に入れたばかりなので、なんだか緊張しているように思えた。

 (はじめまして・・)。。

 なんだか、ちがう動物どおしがテーブルをはさんでいるようにも思えた。

 僕のギターはアメリカ生まれ、アメリカ育ちだった可能性が高く、

 沖縄の音楽に合わせるのも、初めてかもしれなかった。

 生まれて30年目に日本にやってきて、徐々に日本文化に出会っているようでもあった。


「英語の歌」'07.1/27

 「ミスター・ボージャグルス」は、日本でも多くの人に訳されて歌われている。

 牢獄の中で、よれよれのじいさんダンサーと出会う歌であるのだが、

 歌い手それぞれがミスター・ボージャグルスと出会ったように思わせる力がある。

 世界中で「ミスター・ボージャングルス」を歌っている人たちの二枚組アルバムがあったらなと思う。

 もともと英語の歌なので、日本語の訳もさまざまだ。個性が出るし、いろんなボージャングルス場面が目に浮かぶ。

 日本語に訳すときは確実に変わってくるが、英語の場合はいつも原詞のままだ。

 しかしそれでも、英語で歌っているみんなは、それぞれに「ミスター・ボージャングルス」を訳しているような気がするのだ。

 僕は英語のことは詳しくはないのだけれど、同じ歌詞であってもいろんな表情で歌えるのではないかな。

 まるで訳を変えるように。まったくちがう歌になるかもしれないように。

 聞く人にも、それがちゃんと伝わるように。

 英語の歌を英語で歌うというのは、僕らが英語の歌を訳すのと変わらないのかもね。

 日本語を日本語で歌う場合だと、そんなふうには思えない部分もある。

 たぶん英語は響きの要素が強く、日本語は意味が強いんだろうなぁ。


「椅子のない話」'07.1/24

 こんなことを考えてみた。

 ライブハウスにもし動物たちが聞きに来たならと。。

 さる、らいおん、くま、へび、すずめ、あひる、ねこ、いぬ、たぬき、かえる、etc。。

 みんな招待券を持ってね。出演は何だろうなぁ。吉田ごん助たぬきの「セロ演奏」かな。

 まあ、それはいいとして、ライブハウスに動物たちはやってきました。

 椅子はあっても椅子はなし。おのおの好きな場所にゆくであろう。

 へびは配水管の上。らいおんはステージの目の前。あらいぐまはテーブルの下。こうもりは壁に張りついているかな。

 さるはピアノの上。ペンギンはカウンターの上。。

 そうやってライブハウスの空間はうまってゆくだろう。そしてそこからみんなライブを見るであろう。

 椅子にちゃんと座るのは人くらいなもので、さてそれがいいのかどうか。

 僕は思った。空間がうまるということと、椅子が満席になることは意味がちがう。

 ステージではマイクの関係で、みな横に並んで演奏しているけれど、

 出てくるおのおのの楽器の音自身は、動物たちのように部屋や曲の中をうめているんだな。

 そうなんだよ、僕らは床に並んだ椅子に座ることに慣れてしまった。

 それぞれの楽器、それぞれの僕ら、みんなおのおのの場所があっていい。


「名所案内」'07.1/21

 友達が「青春18キップ」が余ったというので、送ってきてくれた。

 青春18キップは、ご存じのとおり、各駅停車であるならば、一日どこまでもいける切符のこと。

 行く先も決めずに、その町々の観光案内のパンフレットをもらって予定を決めようと思っていた。

 しかし、乗り換え駅で降りても、そこにあるパンフレットは、その町から遠い町の案内ばかりである。

 結局そんなとき頼りになると思ったのは、ホームにたてられてある「名所案内」の看板だった。

 どこの田舎の駅でも、あの「名所案内」の看板は、名残のように残っている。

 そのアイデアを出してくれた人は頭がいいな。

 僕が頼りになったのは、ホームにある、その「名所案内」の看板。

 その基準には、いろいろと意見もあるだろうけれど、僕はそのシンプルなわかりやすさに注目したい。

 今、インターネットでいろんなホームページができているけれど、そこをたまたま訪れたこ人には、

 「名所案内」の看板があるといいなと思うのだ。

 その看板を見て、降りて訪ねてみようと思う人もいるだろう。

 それは電車から見えるホームにあるような感じがいい。


「最後の100m、ラストの10分」'07.1/19

 昨日、とうとうパソコンを買った。

 中古だけれど。。デスクトップ型だけれど、液晶が画面のもの。

 やっぱり修理に出すときのことを考えて、持っていけるものではないとと思って。。

 「あっ、持って帰ります」

 パソコン本体はそんなに大きくないのだけれど、箱がやけに大きい。

 それでも15キロくらいはあるのかな。重さはそうでもないけれど、大きいので持ちずらい。

 秋葉原の駅まで300メートルくらいあったかな。

 そこから電車に乗って30分。最寄り駅から、アパートまでの帰り道となった。

 順調だと思ったら、最後の100メートルで、力が出なくなってしまった。

 10歩あるいては、休む。。

 こんなことはよくあった。

 高校時代、ねじをはめるアルバイトをしてて、最後の10分がとても長かったのだ。

 それまで8時間くらい同じことをしているのにね。

 がんばりどころとは知っているが、力が入らない。もう気持ちがそこにないのだろう。

 重い荷持つを持ってよく帰ってくるけれど、最後の100メートルはいつも力尽きる。

 それは自然の法則としかいいようがない。


「忘れた歌」'07.1/16

 友達の25年前の歌を編集している。

 もうすっかり歌詞を忘れているという。

 「えーっ」と、そのときは僕も答えたけれど、

 自分の歌を考えた場合、僕だって歌詞は思い出せない。

 数曲は憶えてはいるけれど、ほとんどはライブで何度か歌ってきりだ。

 歌詞ノートがなくなったら、ほとんど想い出すきっかけもないだろう。

 友達は、歌詞をなんとか知りたいと言う。

 僕は当時の録音テープを探して、渡せるところまでできた。

 しかし、思い出せない歌があるくらいがちょうどいいのかもしれないなと思う。

 長い旅と思えるしね。

 思い出せない歌は、たぶん今と同じ場所にあるのじゃないかな。

 霧の中、何か名曲を作っていたような気分。

 ずっと使っているノートに、毎日、新しいページが出てくるような気分。


「風景になりたい」'07.1/12 

 もう僕も、おじさんと呼ばれる年齢になってしまった。

 「あっ、おじさんだ」と、言われても、そんなには気にしなくなった。

 最近、僕は駅のホームで、よくオロナミンCドリンクを飲んでいる。

 その姿はまさに、おじさんそのものではないか。。

 しかしねぇ、おじさんは思うのだよ。

 リアルゴールドや、リポビタンD、ファイブミニ、他、いろいろあるけれど。。

 やっぱり僕は駅のホームでなら、オロナミンCがいいな。あのスポッと抜けるキャップも好きだ。

 健康ドリンクも半分は気持ちの問題だしね。好きなドリンクを飲みたいものだ。

 おじさんは自信を持って、駅のホームでオロナミンCを飲むよ。

 そんな風景になりたいんだ。

 秋葉原の総武線のホームには、今もミルクスタンドがある。

 そこで牛乳とパンを食べているおじさんたちを見る。

 きっとみんな、そんな風景になりたいのだろうな。

 おじさんの誇りを持って。


「中央線」'07.1/10

 '81年、ぐわらん堂にて録音された先輩のライブテープを聴きながら、

 朝の中央線のドアから外を眺めてアルバイトへ向かった。

 ぐわらん堂は吉祥寺にあった老舗のライブハウスのこと。

 フォーク好きのシンガーたちにとっては憧れの場所に近い場所だった。

 僕は唄うことはなかったけれど、先輩はよく出演していた。

 聞きに出かけたこともあるし。

 今、こうしてその頃の先輩のぐわらん堂でのライブテープを聞いてみると、

 想いこもった良いライブをしていて、特別なスペースだったのだろうなと想像できる。

 今、乗っている中央線の先にあったライブハウス。先輩もまた、中央線に乗って吉祥寺に唄いに行ったのだろう。

 窓の外は変わったか。僕の内側は変わったか。

 25年前の先輩の声は若く、ギターもまたどこか若さを感じる弾き方だ。

 歌も今よりも、確実に若い。

 このライブテープを「若い」と言ってしまうのは簡単かもしれない。

 しかし、このライブテープの持っているそのときのパワーは、今も同じように伝わってくる。

 25年の先の今日の日が、どうであるかは想像もつかなかったはずであるが、

 遠くまで、まっすぐに飛ぶサイコロのようではなかったか。

 今も先輩はこの中央線に乗って、ギターを片手にライブに向かう日々を送っている。

 中央線はまっすぐに、真ん中を快速で走っているんだ。


「映像の情報量」'07.1/8

 ここ数日、ずっとライブのビテオの整理をしていた。

 最近はのビデオカメラはデジタルになり、性能も上がり小さなカメラであっても相当に良く撮れるはずである。

 昔の8ミリビデオカメラの頃は本当に苦労した。それでも、ずっとライブを撮り続けてきて良かったと思う。

 音源ははもちろんちゃんと録ってあるが、映像の持つ情報量の大きさは、すばらしいものがある。

 (まあ、それを凝縮したのが、ライブ音源とも言えるのだが・・。)

 映像には、場所の雰囲気、ギターの弾き方、歌い方、表情、体の揺れ、服装、他、ほとんどすべてが入っている。

 マイクとの距離までわかるしね。バンドでやっているときは、お互いのアイコンタクトまで伝わってくる。

 いつもレコードで聞いていた人を、ライブで見るというのは、伝わり方が相当にちがうものだろう。

 企画ライブは、やっぱり映像を残しておくべきだと僕は思う。

 そこには、ものすごい情報量が入っているのだ。

 たぶん僕らの想像をはるかに越えるくらいの。。

 ライブだけじゃない。町の商店街の人たちも年に一度はビデオカメラを撮りながら、ひと回りするといい。

 たぶんそれだけで、その年の商店街の姿が、たっぷりと残るだろう。


「江戸の人々」'07.1/5

 今、両国の江戸東京博物館で、北斎展をやっている。

 その前を通ったとき大きな看板が出ていて、そこに10人ほどの男衆の絵が描かれていた。

 笑っている奴、うつむいている奴、ぼんやりとしている奴、仕事に夢中な奴、よそ見をしている奴、、。

 どの人も表情豊かであり、どの人も絵になっている。

 もしかして、江戸の人たちは、みんなそうだったんじゃないのか、、?

 急ぎ足の人、眠りこける人、雨をよける人、寒がる人、休む人、見上げる人、、。

 今の僕らだって、同じような仕草はしているはずなのに、

 江戸の人たちは、感情がちゃんと定着しているように思う。

 そんな大きな看板を目に焼き付けたあと、僕はまた現代の朝の通りを眺める。

 もしここが朝の江戸の町なら、あんなふうにコート姿でカツカツと歩いてはいかないだろう。

 頭の中では、今日のスケジュールのことを思ったり、夜のテレビのことを思ったり。。

 テレビが何チャンネルもあるようにね。頭の中も、何チャンネルもあるんだ。

 大きいのは富士山やくじらではなくて、巨大な企業だったりするんだ。

 小さいものは、アリやお米ではなくて、ビールスや液晶のドットだったりね。

 スケジュール帖は、年末まで曜日までわかっているんだ。

 ・・・・・・

 江戸の人たちは、感情と一緒に生きていたんだろうなぁ。

 喜びすなわち、笑うことだったのだろう。


「デジタルと妖魔たち」'07.1/3

 夜の12時を回った頃、ちょっと離れた私鉄の駅から帰ってきた。

 いつもなら人通りのまだ多い商店街を帰ってくるのだけれど、どうしたことだろう、この道はまったく人気がない。

 歩けど、歩けども、道が続くだけで誰とも会わないなんて、、。

 それにしても、この商店街の続きの道には、古い店が多い。

 閉まっている古い床屋さん、古い中華屋さん、木の家もまだ残っている。

 冬の夜風は寒く、影も寂しく写っている。

 人通りもない夜中をひとり歩いてゆくと、いつどこに妖魔が現れてもおかしくないようだ。

 僕は小さい頃、そんなふうにいつも妖魔が出てくるのではないかと思いながら、

 こうして夜道を歩いていたものだった。

 今、僕の生活はすっかりデジタル文化になってしまった。

 もし妖魔たちが居るのならば、住みにくい時代になったのではないかな。。

 いろんなものがアナログではなくなって。。

 しかし、こうして、誰もいない夜道には、まだ妖気の気配は残っている。

 いろんな影が、何かの形に見えてくる。

 デジタルの時間の中の外に、ここはあるようだ。


「ギター新年」'07.1/1

 お正月になった。

 今年のお正月の変わったことと言えば、ギルドのギターがそばにあることかな。

 昨年の大きな出来事と言ったら、なんと言ってもこのギルドのギターを買ったことだ。

 僕としたら、無理をして、思いきって買った中古のギターだったのだ。

 つい一昨日は、そのギターをみんなで使って、年末ライブもした。

 いろんな人がいろんな歌を歌うという、ギターにとっては大仕事だったろう。

 元旦になり、新しい弦を替えた。

 僕がこの古いギルドのギターを近くの中古楽器屋で買ったのは、今年の六月のこと。

 '72年製のギターで、かなりの演奏旅をしたあと、その後はどうであったか、、。

 日本の流れてきたのか、、押入の中にしまわれていたのか、、。

 そして誰も買いそうにないくらいに弾かれたあとで、中古楽器屋に並んだのだ。

 この半年はギルドギターにおかげで、僕の生活はとても豊かになった。

 そして新年になった。

 年を越したのは僕もそうだけれど、ギルドのギターにとっては、新しい生活の初の年越しだったのだろう。

 もしかしたら日本の正月は初めてかもしれないな。

 今年はどんな歌がこのギターから生まれるのだろう。


「富山からの友達」'06.12/30

 もう雪も降っているという富山から友達が来た。

 彼は自分のバンドのリハで何回か、東京に来るのだけれど、

 いつも寝袋を持ってくるのだった。

 「アオキさん、おれ、寝袋ありますから、台所でもいいですよ」

 毎回 、そう言うのだけれど、部屋には布団もあるわけだから、やっぱり布団を出すことになってしまう。

 せっかくはるばると富山から寝袋を持ってきたのに。。

 寝袋のあたたかさは僕もよく知っているので、逆に布団よりいいかもしれない。

 あの彼は言った。「布団の寝袋ひいてもいいですか ?」

 どうしても、寝袋が使いたいらしい。

 気持ちはわかるんだよね。僕も同じことを言っているかもしれない。

 しかし、そうもできない。風邪わひかれては困るからだ。

 でも、ほんとは自由でいいんだけどね。


「遠い記憶のカセットテープ」'06.12/28

 今、一本の古いカセットテープを探している。

 録音したのは'80年代の友達のライブの音源だが、どうしてもそのテープが見つからない。

 さっきまで部屋じゅうを探してみた。すると部屋のあちこちからカセットテープの山が出てきた。

 友達の音源ならば捨ててないはずなのに、なぜかない。

 僕はそのテープから歌をコピーした記憶がある。だからあるはずなのだが。。

 ノートに歌詞も書いてある。それは僕がライブを聴きながらノートに書いたとも思えない。

 ほんの数回だけ、ライブで歌ったという歌。

 先日、本人に会ったとき、昔の歌の歌詞がもうわからなくなってしまったという。

 友達に、そのテープをコピーして渡す約束をしたのだが。。

 ない。。捨ててないはずなのにない。あれだけテープが部屋にあるのにない。

 よりによって、そのテープがない。ぜったいに捨ててはいない。

 だいたい、そのテープははじめからあったのか?

 もしかしたら、ないのかもしれない。歌詞を本人に書いてもらったのかもしれない。

 作った本人はもう忘れているので、僕しかその歌を歌えないことになる。

 ノートに書いていて良かった。もう音源のない歌。これが本当の伝承のようだ。


「懐炉のこころ」'06.12/26

 久しぶりに東京では、まとまった雨になった。

 冬の雨。駅から部屋までの道の長い事。。靴もズボンも雨の一部のようになってしまった。

 さすがに冷たい。傘をさして僕が思うことは、部屋についてからのストーブのあたたかさのこと。

 新潟の実家にいた頃の冬の日々も、いつもそうだった。

 傘もさせない吹雪の中、あたたかい部屋のことをずっと思っていた。

 そこにあるコタツ。みかん。ストーブ。テレビ。ギター。テープレコーダー。。

 そのことが僕を暖かくさせた。そのことばかりが僕を迎えていると思った。

 ここは雪の中だけれど、こころは部屋の中とつながっているのだと。

 そう、こころは懐炉(カイロ)だった。ストーブであたためられた部屋のような。

 しかし本当にあったかいのか、あったかくないのか。

 ひとつだけわかることは、そのこころは、やがては現実になるということ。

 雪が降っていることも事実ならば、それも事実。

 ちょっとだけ先にコタツでギターの練習するようなもの。


「楽器屋街」'06.12/24

 お茶の水の楽器店街に寄った。

 谷口楽器のビルがリニューアルされていた。未来を感じさせるビルに生まれかわっていた。

 三階まで、エレベーターでゆく。

 石橋楽器は今も、わーっと楽器が並んでいて昔ながらのままだ。

 僕が上京した'79年から、ずーーーとお茶の水の楽器店街に通っている。実家にいたころからカタログばかり見ていたので、夢のようだった。

 ひととおり楽器を見てゆくけれど、買うのは弦とかピックとか。。

 輸入アコースティックギター価格の変わりようから、中古の生ギターの価格の変わりよう、、。

 値段が同じものから変わったものまでいろいろ。

 中古楽器が新品だった頃、ここに売られていて、また戻ってくる不思議さ。

 改札口で待っていたら、楽器を持ったさまざまなみんなが通ってゆく。

 若い人、僕と同年代くらいの人、もっと年上の人。。

 通い慣れている人が多いだろうなぁ。それぞれのお茶の水ではあるけれど。。

 僕と同年代のみんなは、みんな同じ気持ちを持っているような気がする。

 それでも、やっぱりお茶の水に来る。あの改札を抜ける。

 お茶の水は、僕らをがっかりさせないからだ。

 ひとつの人格がそこにある気がする。されは楽器屋の兄ちゃんのような。

 お客さんと嬉しそうに話しこんでいる馴染みの店員のおじさんのような。


「パソコンの復活」'06.12/22

 とにかく、パソコンが調子悪かった。。

 起動するのに、15分くらいかかったりして限界だった。ピーとかガーとか鳴っているし。

 いままでも調子悪くなったけれど、今回は重症だ。もう買って3年はすぎている。

 しかし、どーしても新しいパソコンは買えない。あと二年はもって欲しい。二年したら、新しいのを買おう。

 さて、システム入れ替えをするか。。頼むぜMac。直るか直らないかは五分五分。

 もし幸運にも復活したら、ほんとシンプルなままのパソコン内容で使い続けよう。あと二年間は。

 お昼すぎからシステム入れ替えを始めて、ぜーんぷ入れ直しをしたのが、午後7時くらい。

 完璧なはずだったが。。だめだった。。原因不明・・。がっかりだ。。だめなのか。。

 めんどうだけれど、また、最初からのやり直し。同じことを繰り返して、さらに5時間。

 今度はなんとか、、復活した。今のところ、ちゃんと動いている。

 ラッキーだったな。。

 とにかく、このまま、静かにパソコン生活を送り、無理をしないで二年過ごそう。

 僕も同じようにシンプルに暮らしてゆこうと決意。

 あと二年、がんばれよ。がんばれMac。がんばろう俺。


「ハッカの飴」'06.12/19

 下町の外歩きの仕事をしていると、いろんなものをもらう。

 まあ、圧倒的に飴が多い。

 今日ももらった。「ハッカの飴」を。

 その人は、もう60才はいっているかな。

 よくもらうんだよね。「ハッカ」とか「ニッキ」とか「こんぶ」とか。

 とても嬉しそうに、手渡されて。

 「ハッカの飴」は、たしかに僕の小さい頃にもあった。

 しかし、たぶん僕らの世代より、ふたつくらい上の世代の人気キャンデーだったんじゃないかな。

 さわやかになる飴?

 もらった「ハッカの飴」をなめていると、好きなんだろうなあと想像がつく。

 それは、たぶん、コーラやファンタやペプシやミリンダのドリンクではなく、ソーダ水の世界だろう。

 いや、僕らのコーラやファンタが、昔のソーダ水だったのだろうな。

 「ハッカの飴」の良さは、たぶん、徐々になくなっていくだろう。

 僕にくれたときあの言葉の響き。

 「ハッカの飴!!」

 その響きを言える人が消えてゆくのだ。


「裸足の生活」'06.12/16

 冬になって、赤ぎれが指にできた。

 実家にいた頃は、赤ぎれがあたり前だったし、もっとひどかった。

 ・・・そういえば、僕は小さい頃、裸足だったんだ。

 小学校に上がった頃は、もちろん運動靴をはいていた。

 しかし、やんちゃな小学生時代、いつしか裸足で過ごしていた。

 学年に5人もいなかったかな。冬はさすがに靴をはいていたけどね。

 「えーっ、アオキまだ裸足なんだー」と、言われるのがかっこよかったんだな。

 しかし、今思うと、裸足っていろいろ困っただろうに。何に困ったか、まったく思い出せない。

 ただ、僕は裸足だったということと、赤ぎれがひどかったという事だけが思い出される。

 「アオキー、赤ぎれ出来てんじゃん」

 「大丈夫、大丈夫、俺、裸足だし、平気平気!! 」

 でも、ホントはすごく痛いかった。。

 すごく痛かったんだよ。


「くやしくてうれしい1時間」'06.12/13

 夜8時すぎ、ちょいと眠いなぁと思って横になった。

 横になってみたら、どうせなら布団で寝ようかなぁと思った。

 電気も消してみた。夜8時すぎ。まだいろいろやることは残っていたが、、とりあえず目を閉じたのだ。

 まあ、寝たかなぁと思って、時計を見てみると、5時とかになっていた。

 嘘かなぁと思って、四角い時計を、逆さにしてみたりしたけれど、やっぱり5時だった。

 朝5時じゃないよ。もう冬なので、夜5時だ。まだ外は暗い。

 本当なら、深夜1時くらいの時間だぜ。それから起きて、ちょっといろいろできるのに。

 5時じゃさあ、何にもできないよ。もうひと眠りするにも、僕は6時には起きなければいけない。

 なんて、くやしいんだ。。このくやしさが伝わるだろうか。

 目覚ましを6時にかけて、とりあえず、また眠ってみた。。

 するとだ。僕は夢を見た。とてもリアルではっきりとした夢。

 印象的で、懐かしく、何十年ぶりかで会えたような夢。

 やがて目覚ましは鳴った。充実した一時間であった。

 あんなくやしかったのに、僕は嬉しかった。

 その夢のことは歌にしようと思った。歌も出来るだろう。

 ひと夢、両得? 一時間は、無限大なんだな。


「パソコンを買った頃」'06.12/11

 今、使っているパソコンが、すこぶる調子が悪い。

 理由は不明だが、ときどき起動しなくなるのだ。

 もう買い換えの時期なのかもしれない。二台目のパソコンだが。。

 2000年の春、僕は最初のパソコンを買った。もう6年以上たったんだなぁ。

 薄紫に近いグラファイト色のiMac

 そのマックは、もう壊れてしまって、箱にしまわれている。

 まだパソコンデスクもなくて、カーペットの上に直接、iMacを置いてインターネットを初めてみたものだった。

 驚きに満ちて、、。お気に入りのブックマークをつけて、毎日、楽しみにホームページを見ていた。

 まだ電話回線で、時間を気にしながら。

 きっと、みんな同じ体験と気持ちを味わっているのじゃないかな。

 やがて、自分たちのホームページをインターネットの中に作った。僕なりにがんばって。

 そして、初代グラファイトのiMacは壊れてしまった。

 壊れるなんて思いもしなかったけれど。

 パソコンデスクも買った。いろんな付属の機械も増えた。

 そして二台目も、買い替えの時期にきている。

 しかし思い出すのは、あのカーペットの上に置いて、見ていた頃。

 すごく見にくくて、寝ころびながら、見たりしたものだった。

 いちいち感動しながら。接続時間を気にしながら。


「ふたつの並んだ時間」'06.12/8

 ・・・いいタイトルなんだけどなぁ。

 今日はバイト先の忘年会の話。

 昨日はバイト先での忘年会があったが、いつも夜7時からの始まりだ。

 バイト自身は、5時半くらいには終わってしまうので、7時まで時間をつぶさねばならない。

 場所はだいたいいつも錦糸町。会社前のバス停からバスに乗って錦糸町へ行く。

 ふだんなかなかバスに乗ることはなく、あえて時間もあるのでバスを使うのだ。

 7時までの時間つぶしのために。

 実は僕はとてもバスが好きだ。昼のバスも夜のバスも朝のバスも。

 特別な想いで、椅子に座る。料金払いのシステムも好きだし、目的地を押すシステムもいい。

 街の中の流れる景色を見るのもいい。ふだん自転車で通いなれた道であっても。

 まずそれがひとつの時間。

 そして錦糸町に降りてからの時間つぶしも、特別な時間だ。

 電化製品のデパートに寄ったり、本屋に寄ったり、街をぷらぷらしたり。。

 ストリートの演奏を聴いたり。。

 自分では、かなり時間をつぶしたと思っても、実際は、それよりも短い。

 駅前のベンチで、イヤホン音楽を聴いてみたりして、また時間をつぶす。

 「おっ、あと10分だ。そろそろ行ってみるかな」

 飲み会の場所に先に行ってみるけれど、まだ誰もきていない。

 暑気払いと忘年会のときは、いつもこんな時間がある。

 街行きのバスと時間つぶし。それはふたつの並んだ時間。

 僕にとっては、ひとセットになっている。それは特別な時間だ。

 ゆっくりとして静かで。


「物語を物語ること」'06.12/5

 先日のライブで、四番まであるストーリーの歌を歌った。

 自分では落ち着いて、四番までちゃんと伝え歌えたつもりでいた。

 しかし録音した音源を聞いてみると、三番の後半、妙に力が入っていた。

 そんなふうに歌ったつもりはないが。。しらずしらずのうちに。

 ちゃんと、大事に、しっかりと伝えたかったのだろうな。僕が。。

 それでも、聞いてみると物語として、そこに力が入るのはおかしい。

 四番もあると、どこか自信がなくなってきてしまう。。それではいけない。

 物語を物語る者として。

 ・・・・

 それで思い出したのは「日本昔ばなし」の語り部たちのこと。

 あれは、ちゃんとストーリーに合わせて、強弱をつけているよね。

 自信がなくなったとか、ぜったいここを伝えようととか力まずに。

 僕も「日本昔ばなし」の語り部の練習してみようかな。

 きっと、その語り部たちに言われただろう。

 「アオキさん、あの三番の後半は、力入りすぎよ」と。


「見たこともないものが」'06.12/2

 餅入りでインスタントラーメンを作ってみた。

 市販の切り餅で。

 鍋のお湯にインスタントラーメンと、餅をふたつ入れて、数分間待っていた。

 そして、ほんのちょっとだけ、時間が過ぎてしまった。

 「おっと!!」

 急いで鍋のところに行き、のぞいてみると。。

 そこにはかつて僕が見たこともないものが、あった。

 スープのようになった餅の中に麺がうまっていた。

 インスタントラーメン作り歴35年の僕ではあるが、こんなことは初めてだ。

 とりあえず、塩ラーメンのスープの素を入れてみた。

 とりあえず、塩ラーメンの白ごまふりかけを入れてみた。

 餅ラーメン?

 味なんて想像つかないよ。でも、美味しいかもしれないよな。

 美味しいかもしれないじゃん。

 食べてみた。んっ、、、。

 僕が今日驚いたのは、鍋の中に起こった、出来事なんだよね。

 いままでに見たことがなかったもの。

 ほら、偶然に発見した話って、よくあるけれど、、

 その気分が味わえたな。


「忘れ物」'06.11/30

 いろんな荷物を持って、企画ライブへと出かける。

 もう18年くらい。持ってゆく荷物も決まっているので、忘れ物チェックも大丈夫だった。

 店を出るときに、確認してからいつも出ていた。

 が、ここ二回続けて、忘れ物をしているのだ。

 前回はカメラ、今回は譜面台。。

 次の日に取りにゆく。電車に乗って。

 電車に乗って、昨日に行くなんて、、不思議じゃないか。

 これからの僕は、こんなことが多くなる予感がする。

 二回ずつ、同じ場所にゆくなんて、今までなかったことだ。

 それは僕が行かなかった道。

 会わなかった時間。

 ひとつ余っているプラモデルの部品。

 どこにも載っていない、仮面ライダーカードの一枚。

 予感がする。


「中学のとき好きだったシンガーが」'06.11/28

 最近、インターネットの動画サイトで、

 中学のとき、大好きだったシンガーの映像を見ることが出来た。

(見られない人、ごめんなさい)

 歌っている映像を見るのは、二回目かな。ちゃんと見たのは初めて。

 18才になって東京に出てきて、いくらでもライブは聴きに行けたが、

 なぜだろう。行かなかった。なぜだろうな。。

 今回、初めて歌う姿を見たけれど、30年前とほとんど変わっていないと知った。

 ここまで変わらなく若い人も、めずらしいな。声なんか特に。

 なんだか、、中学のときの先輩みたい。

 あれだけ熱中したシンガーなのに、つれなくした僕よ。

 せめて一度くらいライブ行けば良かったかな。

 しかし、映像を見ていると、まるで、

 「そんなことはいいんだよ。あなたは元気でしたか?」と、きいてくるようだ。

 爽やかな挨拶を感じる。

 変わらない、その声は、僕をがっかりさせなかった。

 30年もたって、初めて映像を見た人よ。


「5分ちょっと」'06.11/26

 昨日のこと、スタジオに入る前に、友だちのいる店に寄る予定だった。

 早めに着いて。

 スタジオは夜8時から。改札を出たのは、もう7時43分。

 スタジオには5分前に着いていたいので、友だちの店にはとても寄れそうになかった。

 しかし、もしかして、一分か二分、そう顔だけ出せるかもしれない。

 今日の僕の予定はやっぱり実行したいな。

 そして、お店に着いたのが、7時50分。うまくすれば、5分ちょっと居られそうだ。

 「やぁ、俺、8時からリハなんだよねー」

 お客さんも、ちょうど居なくて、5分間ほど話をする事が出来た。

 オーバーだけど、僕にはその5分ちょっとが、20分くらいに思えたな。

 時計は見なかったのだけれど、、。8時は過ぎてると思ったが、、。

 時計を見れば、7時58分であった。

 そしてリハにも間に合った。すべてが、間に合った。


「齢」'06.11/24

 ちょっと前、40才代と言ったら、おじさんと呼ばれていた気がする。

 60才といったら、もう、おじいさんの仲間入り?

 現代では、60才代と言ってもステージでロックをしている。

 ほんの30年ほど前とは変わったな。

 では、その前に戻るとどうなのだろう。

 もっと早く、おじさんになっていたのだろうか。

 江戸時代の俳諧の人たちは、なんだかずっと創作をし続けているような気がする。

 老いという感覚はあるのだろうが、それは肉体的な面で、気持ちは変わらなかったのではないか。

 葛飾北斎が、自分の事を画狂老人と呼んだように。。

 北斎が90才。芭蕉は51才。蕪村が68才。一茶は65才。。

 みんな老いているという気がしないだよね。

 若いとは言えないが。。

 たぶん江戸の頃は60才が、ひとつのめどだったのかもな。

 その先のことは想像できなかったのかもしれない。

 想像しないことがいいのだろうな。

 北斎のように突っ走るかもしれないが。。  

 僕も想像しないことにした。


「画面のこちら側」'06.11/22

 僕のホームページが、ここに出ている。

 パソコンの画面を触れてみても、平たくて、ちょいと冷たい。

 さびしいよなー。

 僕がこのページを作った状況が、画面から伝わらないものかなと思う。

 パソコンのすぐ左にはコーヒーカップ、そしてその下にはミニCDプレーヤー。

 その隣にはいろいろなキャラクターもの。小さな鬼太郎とねずみ男が将棋をしている。

 そばにはいつもギターがあって、時間があればギターをパソコンの前で弾いている。

 その音が聞こえないものかな。

 部屋では、柱時計がいつもコチコチと鳴っている。

  CDアルバムもかかっている。インディアミュージックとか、アコースティックな弾き語りの歌。

 パソコンの画面を手で触れてみると、そんな部屋の風景が見えてくるといいのだけれど、、。

 ひざの上には、今だってギターがある。そしてキーボードを打っている。


「わたしまけましたわ」'06.11/20

 わかるかな、わかんないかな?

 とりあえず、僕は小さい頃にこの言葉を知っていた。

 反対から読んでも同じ。それが「わたしまけましたわ」。

 「だるまさんがころんだ」とはちがうんだよ。

 小さい頃、「わたしまけましたわ」の言葉はよく知っていたけれど、

 女性言葉だったので、恥ずかしくて言えなかった。一人でいるとき喋ってみては、妙な気持ちになったものだった。

 そんな「わたしまけましたわ」

 その言葉を、また最近僕はよく使っている。

 仕事で。。

 (正確に言うと、ちょっとちがうのだけれど。)

 仕事でよくドアの鍵を借りて開け閉めするのだけれど、これがちゃんと確認しないと、忘れちゃうんだよね。

 そんなとき、確実に確認する方法を僕は見つけたのだ。

 鍵をかけたら、こう自分に言う。

 「わたしかけましたか」

 「わたしかけましたわ」

 これで完璧だ。みなもお試しあれ。


「グッドマンを訪ねる」'06.11/18

 「青木さんも、たまには他の演奏のときに来てよ」

 この前、グッドマンのマスターにそう言われた。

 「ジャズってあんまり聞かないんだよねー」「うちはジャズはほとんどなくて、即興演奏だよ」

 高円寺グッドマンという、即興演奏、その他の店がある。

 僕らは自主企画で歌の日をやっているが、グッドマンは基本的に今、即興演奏が主である。

 看板にもそう書いてある。「即興演奏、その他」と。

 ・・・・

 先日、自分たちのライブの日のチケットをもらいに、グッドマンをリハ前に訪ねた。

 「マスター、チケットお願い、あとで取りに来るから」「いいよいいよ、待っていてくれれば、今作るから」

 と、言うわけで僕は、即興演奏の日にリハ前から、店に居ることになった。

 いつもは電話して、チケットだけ受け取っていたのだ。

 席にはもう今日出演の人が、準備を始めていた。サックスの手入れをしたり、ギターを出したり。。

 「おれ、ここでやるのも、あの人と演るのも始めてだからさぁ、どうなるかさぁ、ぜんぜんわかんないよぅ」

 実に個性的な演奏者さんだ。

 「こんばんはぁ・・・」

 ドアを開けて、たぶん、一緒の演奏者さんが店に入ってくる。

 「どうも」。マスターと、他の出演者とのそんな会話の後、その人は、まずタバコを一服していた。

 これから、この夜の即興演奏が始まるのであろう。激しく静かに。。

 (なるほど・・)

 出演のみんなは、静かに炎を隠しているようである。

 夜を作るとはこのことだろうか。

 ・・・・・

 グッドマン即興ライブの日には、リハのときから居るのがいいな。

 あのまま、聞いていっても良かったと思った。

 「青木さんも、たまには他の演奏のときに来てよ」

 そんなマスターの言葉が身にしみた。


「えぐられる詞」'06.11/16

 それは短いプロモーションビデオであってもいい、短編の映画であってもいい。

 どこかの街の、なにげない風景で始まったのなら、その後、激しい展開になったとしても、

 やっぱり、そのなにげない街の風景に戻るケースは多い。

 開けてしまった秘密の宝石箱から始まるドラマであったなら、

 そのラストの映像は、まだ開けていない状態の宝石箱で終わるパターンは多い。

 物語の展開は自由であるけれど、はじめの心に戻ってくるのは、僕も賛成だ。

 どんなに悲しい物語であっても、立ち直れない気持ちのままでは、おみやげは「悲しい気持ち」だ。

 僕なんか、10分くらいは、戻って来れない。

 それは悲しい話ではないとしても、心をえぐってくる作品がある。

 途中はそうであっても、ラストにはまた、元の気持ちに戻ってきたいものだ。

 えぐられた気持ちを、どうするんだろうと思って、僕は展開を聞く。

 みごとに戻ってくるときは、さすがだなと思う。

 今現実であったものが、遠い景色になる場合が多い。

 重さは軽くなる。

 おみやげは「悲しい気持ち」ではない。


「歌詞を見ていると」'06.11/13

 最近と言わず、僕はずっと歌詞ノートを見て歌っている。

 普段、自分の歌を練習するときも、コード譜のついた歌詞ノートを見ている。

 昨日、歌詞ノートを見ていたら、歌詞は実はメロディーなのではないかと思えてきた。

 紙に歌詞を書いていると、それは文字だし文になっているけれど、歌うときはメロディーそのものになっているはずだ。

 と、言うことは、フレーズは歌詞ではなくて、メロディーなんだな。。

 そんなふうに思ったのは、歌いはじめてから初めてかもしれない。ずっと、文字という意識だった。

 ・・・・

 まあ、文字であったしても、それは紙の上ではなくて、空中に浮いている言葉であろう。

 それを歌っているはずなのだ。

 ・・・・

 日本語はやっぱり、音感的な言葉ではなくて、漢字が意味でできているから、文字という意識になるのだろうな。

 羽根のない言葉が宙に浮くみたいなものか。でも、それは越えていかないと。

 日本語がメロディーに感じられるといいな。

 どうやったら、できるのだろう。それとも、できないのか?

 でも、そういう気持ちで歌ってゆくことはできる。


「二分ちょっとの歌」'06.11/10

 明日、30分ライブがあるのだけれど、どうしても5曲歌いたい。

 そんなん、簡単じゃん歌えば?

 と、おっしゃる人も多いと思うけれど、僕の場合、5曲歌うとしたら35分必要だ。

 なぜ、言われても、自分でもよくわからない。

 一曲がだいたい5分。5曲で25分だけれど、そうはいかない。

 ハーモニカを取り替えたり、しゃべったり。。必ず、35分になる。

 これは経験的、僕の事実。

 しかし解決方法はある。一曲、2分ちょっとの歌を歌えば30分で5曲歌える。

 4曲っていうのは、やっぱりライブとしたら不完全なんだよね。

 レコードの片面は、やっぱり5曲がいい。

 一曲は短くていいから。。

 そこで困っているのは、二分ちょいの歌が僕のレパートリーに、かなり少ないということ。

 今、歌える歌はもちろん10曲以上は軽くあるけれど、残りの4曲にプラスするには、ぴたっとはまらない。

 二分ちょっと歌、山ほど欲しいな。

 ・・・・

 明日は、時間厳守ということで、さっき実際にトークも含めて5曲歌ってみた。

 (やっぱり、30分すぎたかなぁ・・)と、思っていたが、、、

 22分だった。あれ?


「たぬきの置物」'06.11/8

 外回りの仕事をしていると、庭先のいろんな置物に出会う。

 そんな中で、気になるのはやっぱり、酒瓶を片手の「たぬきの置物」だ。

 最近のは、顔も丸く愛らしいのだけれど、いろいろ見てゆくと、だんだんと、そうなったようである。

 かなりリアルなものもある。

 ホームページのイメージ検索で探しても、それは出てこない。

 僕は知っているのだけどな。

 最新型のものになるにつれて、どんどんと背が縮んでいるようだ。

 背のすらっとのびた物も知っている。

 かっこいいんだよね。ほんとに。

 実際の置物は集めることはできないが、写真でなら集められそうだ。

 そのうち、ホームページで公表しよう。

 それにしても、たぬきの置物って、夜中に集まったり、何か全員つながっているようだ。


「三日休むと」'06.11/5

 昔から、「練習は一日休むと自分でわかり、三日休むと他人にわかる」という意味合いの言葉があるが、僕もそう思う。

 今、毎日ギターを弾いているが、一日休んだだけで、フィンガーピッキングが、へたになっているのが自分でわかる。

 ピックでじゃがじゃが弾くのは、そんなに変わらないが、フィンガーピッキングだけは、毎日続けないとだめだ。

 ライブで自然と弾くには、ホントに慣れていないとね。

 パソコンのキーボードも、三日休んだら、感覚が戻らないような気がする。きっとね。

 ギターを久し振りに弾いたりすると、とても新鮮だ。響きに感動したりする。

 それでも、いいんだけれど、、。

 フィンガーピッキングは一日休んで、自分でわかるんだから、三日も休んだら大変だ。

 一日、5分程度、フィンガーピッキングをしていれば、感覚は続くようだ。

 その5分を休むと、へたになってしまう。

 小川がずっと流れているように、流れが乾いたらだめなんだな。

 僕のエッセイも三日休んだら、うまく書けなくなってしまうにちがいない。


「小物入れのある話」'06.11/2

 君の部屋にも、きっとあると思う小物入れがある。

 正式名称は僕も知らない。かまぼこを縦に半分に切った形のやつだ。

 あれ、まだ売っているのかな。売っていないのかな。それも不明だ。

 僕の部屋にも、ふたつばかりある。もう20年以上前に買ったもの。

 ・・・・・

 先日、とある下町の工場を訪ねたとき、そこに半かまぼこ型の小物入れを見つけた。

 かなり年季が入っていた。。

 (ここにも、あったのか、、おまえよ)

 そうなんだよ。僕のところにある。誰のところにもきっとある。

 記憶を戻ってみれば、'74年頃に、初めて買ったような気がする。

 正面のスライドするブラスチック扉が、使い安さ最高だった。300円だったかな。一番小さいタイプ。。

 思い出話はこれくらいにして、そろそろ本題に入ろう。

 あれ、意外と丈夫なんだよね。ふと気が付くと、10年くらいたってる。。

 それでも、まだまだ使えてしまう。

 ブームは去ったのかもしれないけれど。。

 もう売っていないかもしれないけれど。。

 僕の家にもある。ずっとある。この先もある。

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