青木タカオ「ちょっくら・おん・まい・でいず」

「最近の事」過去ログ'06.7〜'06.10月


「チラシ作り」'06.10/31

 今日は午後から、集中してライブのチラシを作っていた。

 いろいろ写真を選んだり、組み合わせたりするのだけれど、すごく集中していた。

 それは今日の午後5時の郵便に間に合わせるためだ。

 昨日は一日、時間があったので、昨日作ればいい話なのだけれど、、なかなかそれができない。

 数多い写真の中から、選ぶのは時間もかかるが、集中すれば、本気でいろいろ選ぶことになる。

 特に今回は、苦労した。ふと気が付けば、四時間くらいたっている。その言葉のないような時間。

 チラシは完成したわけだけれど、さて、時間のあった昨日に作っていたら、同じチラシが出来ていたかどうか、それはわからない。

 たぶん、ちがう写真、ちがう組み合わせになっていただろう。

 とにかくチラシ作りには、集中力が必要だ。

 あえて、締め切りぎりぎりに作るから、ちゃんとチラシが出来るような気がする。

 集中する時間は疲れるが、本気で向かいあっているとも言える。

 もし、昨日だったら、ちがうチラシが出来ていただろう。



「曲選びについての想い」
'06.10/29

 ライブがあるたびに、僕は歌詞ノートの歌を、いつもひととおりめくってみると以前に書いた。

 そして歌いたい歌をファイルから外してゆく。だいたい12曲くらいかな。

 それは、季節的なものもあるし、そのときの僕の気持ちもあるだろう。

 前のライブで歌った歌とは、新曲をのぞいて、ほとんど重ならない。

 ベスト曲集とはならないけれど、僕には、それはとてもとても大事なことと思えている。

 友だちにそのことを言ったら、「いやぁ、アオキさん、みんな聞きたい曲を聴きにきているものだよ」と、言われてしまった。

 たしかにそれはあるかもなぁ。でも、やっぱり、それでも、僕には、曲選びへの想いがある。

 ライブはひとつの演奏会ではあるけれど、ひとつの曲順のストーリーでもあると思うんだ。

 僕が歌詞ノートを見て、曲選びをするとき、それは、そのライブに向けた歌のドラマの登場人物だと思っている。

 ビゲのおじさん役、若者役、近所の友だち役、悪者役、ヒーロー役、他いろいろ。。

 仮面ライダーは、鉄腕アトムの漫画に出て来ないように、、それぞれのドラマには、それぞれの役がある。

 どんなにキカイダーが強くても、ライオン丸が強くても、他のドラマまでは登場しない。。

 それで、良しと僕はしたい。

 だから、ライブで選んだ曲の中で、僕はドラマを作る。歌たちは、それぞれの役をもらう。

 もっと強いヒーローもいるかもしれないけれど、、

 もっとやさしいヒゲのおじさんがいるかもしれないけれど。。

 今回は今回なのだ。縁あって集まった歌たち。


「ピアノ」'06.10/27

 ここ最近、連続でピアノ演奏を聞く機会があった。

 それも、最高級ピアノメーカーの「スタインウエイ社」のピアノ。

 僕はそんなにピアノには詳しくはないけれど、いい音だなぁと思って聞いていた。

 何がどうちがうのか、よくわかっていない。それでも、聞き惚れてしまう。

 調律がちゃんとしているのかな、、。共鳴音がいいのかな、、。それもわからない。

 アコースティックギターの音ならよくわかるのだけれど。。

 高級なピアノの音を聞いていると、楽器の音にだんだん聞こえなくなってしまうのだ。

 弦楽器なのだけれど、打楽器のような、、ピアノの響きというけれど、どうしてこんな音になるのか不思議になってくる。

 昨日、僕のギターを弾いてみた友だちが、「倍音がいっぱい出てるねー」と言ってくれた。

 僕には、そのしくみがよくわかっていないけれど、そのへんに生楽器の良さがあるんだろうな。

 ああ、ピアノのことに詳しかったら、良いピアノの音がもっと実感できるのだろう。

 バイオリンだって、エレキギターだって、音のことがもっとわかればなぁと思う。

 倍音に秘密があるのか。。聞き惚れてしまう音って、どれもいい。


「小景異情2006」'06.10/24

 〜ふるさとは遠きにありて思うもの。。

 とは、室生犀星の有名な詩であるが。。ときどき僕も、不思議な気持ちになるときがある。

 その一

 まず、電気屋の前、あるメーカーの大画面薄型テレビで、他のテレビメーカーの大画面テレビのCMを見るとき、、。

 これは不思議だ。現代の不思議。

 ・・・・

 その二

 とある下町の家の裏の木戸を仕事で開けてもらうとき、私は二階の窓に向かって声をかけた。

 「はーい、今行きまーす」と、窓から声をかけてくれたのは、若い娘さんだった。

 そして裏木戸のところで待っていると、、「おまたせー」と、声がして、なぜかおばあさん(母親かも)が、戸を開けてくれる。

 これも不思議だ。家の不思議。

 ・・・・

 その三

 僕はとある朝、夢を見た。どこかで会ったことのある女性と素敵な恋に落ちたとかんちがいする夢。

 (誰だろう。。夢の中の人かな。。)

 ・・私には彼がいるのよ、でも、、。そんな言葉を僕に伝えていた。そこで夢はさめた。

 そして、朝一番のテレビをつけると、さっきまで僕の夢にいたはずの女性がアナウンスをしていた。

 えーっ!?

 これも不思議だ。夢の不思議。


「僕らも走ったら」'06.10/22

 昨日はスタジオでのリハであった。

 いつも部屋で弾いているギターを持っていったのだけれど、これがスタジオで弾くとまったく音が違って聞こえる。

 スタジオに持っていったのは、まだ数回なのだけれど。。

 たぶん、部屋で弾いているときよりも、ずっと大きな音量なんだろうな。

 ボディのよく鳴っているギターなので、大きな音で弾くとボディの音が響いてくるのがわかる。

 それは、思いがけなくも良い音だ。部屋では聞いたことのない音。

 そうなってくると、また、ギターの弾き方をいろいろと考えねばならない。それも楽しさだ。このギターの実力を感じる。

 大きな音を出すとき、そこにはまったく別の世界があるように思えた。部屋では出会うことのできない音世界。

 それは認めてあげないといけないな。まだまだ僕はこのギターを弾きこなすことができない。

 僕らもまた、そんなふうに普段の生活では出てこない音量やパワーのときがあり、そこには別の世界が広がっているような気がする。

 思い切り笑ったり、走ったり、怒ったり、合唱したり、幅跳びをしたり、重量挙げをしたり。。

 そこには、ボディの鳴りが出てきているのではないかな。普段は感じられない響きがあるだろう。

 僕らも走ったら。。


「万年筆」'06.10/20

 小さい頃から、万年筆は大好きだった。

 なぜ、あんなに好きだったのだろう。書き味が良かったのかな。軽く書けるのも良かった。

 インクを替えるのも、いい。大人のペンだったからかな。

 ここ10年くらいはすっかり万年筆が遠ざかっていたけれど、先日使ってみたら、やっばりいいとわかった。

 インクはしばらく使わないと、蒸発してしまうけれど。。それさえなければ、ずっと使っていられる。

 使い続けることが使う条件なのかな。

 「万年筆」はたぶん現代に忘れられている。

 このインターネットやパソコンの時代、「万年筆」のネーミングはそのままだ。

 そのままで良かったな。「万年筆」。。


「柏崎の楽器店にあった一本のマーチン」'06.10/17

 僕が中学だった頃、フォークギターブームだった。

 学校の帰りに楽器店に寄っては、毎日のように、並んでいるギターを見た。

 そこは新潟県柏崎市。町一番の楽器店の店の奥のショーウインドーには、一本だけ外国製のギターがあった。

 「マーチンD-18」 

 マーチンの人気のあるDシリーズで、一応、一番安い型番だ。

 まあ、値段が安いというわけではなくて、材料・他、「D-18」という音がするギターなのだ。

 しかし中学生の僕には、その価値もわからず、「安いマーチンが置いてある」と思っていたものだ。

 欲しかったのは、もっと高いD-28やD-35だった。その一本のマーチンは何年間も売れなかった。

 それでもマーチンはマーチン、柏崎の楽器屋で見ることのできる、本物。

 僕はその頃思っていた。柏崎の楽器屋は、お金がなくって、一番安いマーチンを仕入れたのだと。。 

 ああ、俺よ、ばかばかばか!!

 いま、一番欲しいマーチンは実は「D-18」なのだ。

 もし時が戻れるなら、あのマーチンD-18を買っても良かったな。働き出した1年目に。

 柏崎は、僕の一番欲しい一生物のギターを毎日僕に見せてくれていたのだ。


「たぶん僕が伝えたいと思うこと」'06.10/15

 東京に出てきた頃は、若者だった僕も、今ではおじさんの仲間入りをしている。

 二十才も若いみんなと、ライブの後に話したりするけれど、さて、20年もちがうとなると、多少のずれは出てくるもの。

 先日、友だちは「河島英五ってみなさん知ってますか?」とか、トークしていた。それも仕方がない。。

 僕にも時代というものもあり、それぞれの時代というものもある。

 ゲーム世代というものもあるだろう。映画世代もあるだろう。インターネット世代もあるだろう。アイドル歌手世代もあるだろう。

 ツッパリ世代もあるだろう。ロカビリー世代もあるだろう。テクノ世代もあるだろう。グループサウンズ世代もあるだろう。バンド時代もあるだろう。

 僕はといえば、やっぱり「フォーク世代」でもあるけれど。まあ、そのあとの「ニューミュージック世代」とも重なっている。

 '73年〜5年、僕は中学生だった。時代はフォーク全盛だった。一番、アコースティックギター売れたときじゃないかな。

 そのときは新潟の実家だったけれど、十分にそれは感じられた。ライブハウスのある都心では、もっとリアルだったろう。

 中学時代、あのフォークに熱中した日々。そしてその時代。おじさんは楽しかった。

 僕はそのときの気持ちを、伝えたいと思っている。まだその頃に生まれてはなかったみんなに。

 そんなふうに僕が思えるように、各世代のみんなにも、伝えたいことがあるのだろうな。

 それを聞いてみたい。君の話を聞いてみたい。


「電化製品修理受付センター」'06.10/13

 電化製品のメーカーの修理受付センターに、今月は六回も行くことになってしまった。

 秋葉原駅から歩いて7分ほど。。前はもっと近かったんだよね。 

 今回は、MDデッキの修理は何度も同じ症状が出ているのに、故障無しで帰ってきたりしたのだ。

 もう一度、修理に出すとき、僕の心は怒りの燃えそうになる。

 しかし、いつもなんとか秋葉原かの道の間に、冷静になるのだった。

 (・・えっ、もしかして、そう意味もあって駅から遠くなったのかな。。そこまで考えてはいないだろう。)

 どんなに電化製品が、調子悪く、その修理が矛盾に満ちたものであっても、修理の受付係を怒るなんて、出来ないものね。

 それは、よくわかる。だから、心落ち着けて話すのだ。

 でも、修理受付センターにゆくと、いろいろ文句言っている人って、意外と多いんだよね。

 「どうしてですかー!!」「おかしいじゃないですかー!!」と、いろんな声が聞こえてくる。

 受付の女性に専門用語で質問攻めにする人もいる。気持ちはわかるのだが、、。

 ぼそっと、何が最後に言う人もいる。かわいそうに。。受付の人たちはストレスがたまるだろうなぁ。。

 修理に出す人にも、多少はマナーがあってもいいと思う。気持ちはわかるのだが。。


「寝袋の日々」'06.10/10

 安売りショップの店頭に、なぜか寝袋が500円で売っていた。

 すごく欲しかった。まあ家にも寝袋はあるのだけれど、もう古い寝袋なのだ。

 ときどきは寝袋で、眠ってもみたいな。。

 もう20年も前の話だけれど、海外を旅したとき、寝袋は必需品だったのだ。

 いろんな想い事を、寝袋の中でしたものだった。

 明日をも知れぬ気持ちというのかな。そして我が友でもあった。

 また旅に出れば寝袋の日々も来るのだろうけれど、なかなかそうもいかない。

 あのとき旅の間の気持ちがあって、今の自分の毎日がある。

 でもさすがに20年もたつと、ゼンマイも伸びてしまう。

 寝袋はもうひとつの僕の生まれたふるさとなのだ。


「おじさんの店や工場」'06.10/7

 商店街にある小さな店、下町の路地にある小さな工場。

 そのどれも年月長く続いていて、この2006年になっている。

 そんな店や工場が僕には、まるで「おじさん」のように思える。

 (僕も年齢的には、もう「おじさん」に入るのだが・・)

 おじさんはみな、それなりに何かの仕事をしていて、日々の糧を得ている。

 長い年月、同じ仕事で。。それは、いろいろな職業。

 その中から、おこずかいをくれたり、小さな車を買ったり。。

 おじさんの店や工場を訪ねて行けば、そこは下町の路地や商店街のどこかの小さな場所。

 新しくなく、もう長い時間を感じさせる店構え。木の扉の入口だったりして。。

 デパートに比べたら、たぶん1000分の1くらいの大きさ。

 この2006年にも、なんとか暮らしていけるだけの毎日。

 細々と続けていられるのは、お得意さんあっての事だろう。

 それはまるで、おじさんそのもののようではないか。

 僕には、長くやっている小さな店や工場が、みんなおじさんに思える。

 僕らはみな、そんなおじさんになってゆくのではないか。


「電化製品を直す最初の方法」'06.10/4

 先日、MDデッキが10年目で壊れた。

 突然に壊れるなんて、まあおかしな話だけれど。

 こうなったら、修理に出しに行ったわけだ。電車に乗り、またサービスステーションまで歩いて、、。

 どんなふうに壊れているかを、受付で再現してみようとするけれど、あれ、なぜか直っている。

 それでも、ここまで来たんだから、無理矢理にでも修理に出すのが、当然というものだ。

 ・・・しかし、、あれ、、ほんとうは直っていたのかもね。 

 10年も使ったデッキだったので、こちらのお願いもあって、ヘッドを新しくしてもらった。

 また帰ってきて使っていると、今度はMD自身が、出なくなってしまった。

 (また、壊れたのか、、?)

 再度バックに入れて、電車に乗り、サービスステーションまで歩いて持ってゆく。

 受付で、それを再現してみようとすると、あらら、、MDは通常のごとく出てきてしまった。それでも修理は頼もう。

 ・・・・・・

 僕は思ったね。電化製品は持ち歩いてゆくと、直ってしまうんじゃないかと。。

 塵、埃が原因だった場合は、直る可能性は大だ。ホントに。

 電化製品が壊れたら、修理に出す前にバックに入れて、街を一回り歩くといい。できれば電車にも乗るといい。

 説明書にも書いてはいないけれど、これ、本気で効果あると思う。電化製品を最初に直す方法。


「ふとっぱらコピーモデル」'06.10/1

 現代では、いろいろコピーを作ると問題が多い時代にはなっている。

 しかし、ギターに関しては、コピーモデルが今も一般的だ。

 ギブソン・マーチン・ギルド・フェンダーetc。各メーカーは、ふとっぱらだったんだな。

 ボデイもまったくそっくりに作り、ただ違うのは、ヘッドのメーカー名だけ。それもホントのメーカーのそっくりな文字。

 どんなに形が一緒でも、出てくる音はちがうのだが。。メーカー側では、困らないのか。。かんちがいする人もいるだろうに。

 値段なんて、10分の1くらいだし、音はぜんぜんちがう。

 最近は、コピーモデルより、一応、それぞれのメーカーの個性を出す傾向にはある。

 

 僕は嬉しいのは、中学生の頃でも、コピーモデルを買うことが出来たということ。材料も形も一緒。

 ああ、それはなんとも夢であふれていたことか。。

 メーカーよ、ありがとう!! 特に、ギブソン・マーチン・ギルド・フェンダーの各社。

 僕はこの四社を、ギターそのものと呼びたいな。音もまたスタンダードだ。

 ギター小僧たちの気持ちがわかっているよな。大人になって、きっとみんな本物を買う。

 そっくりギターはだめと言うメーカーもあるだろう。いいさ、それも一理ある。


「僕の中の荻窪」'06.9/29

 数ヶ月振りに荻窪のホームに降りてみた。

 すると体全体に、荻窪グッドマンライブを続けていた頃の感覚がよみがえった。

 体全体というか、もう街じゅうの空気に溶けているんだよね。

 いつも荷物が重かった事、新曲の歌詞を歩きながら考えていた事、あのグッドマンの褪せた茶色の世界とソファーの感じ。

 打ち上げで飲んだ事、そして最終電車のホーム。

 それらがすべての感覚が、ホームに降りたところから街じゅうに広がっていた。

 僕が思うのは、僕の中の荻窪は、そんな空気で包まれているということ。

 駅を出て、そこに見えるラーメン屋や定食屋、信号待ちの交差点から見える向こうの景色、ケーキ屋の白い明かり。

 もう荻窪グッドマンはないのだけれど、こうして街じゅうに僕の気持ちが残っている。

 空を見上げたって、そこに気持ちが見える。

 みんなそれぞれにちがう荻窪を歩いているんだな。


「ギター練習」'06.9/25

 ライブが近くなると最近は、ちゃんと立って歌う練習をするようになった。

 ギターの弾き方を変えてからの事だ。一曲、一曲、サウンドホールの異なった場所で弾いている。

 ちゃんと立って、弾いてみないと感覚がつかめない。ちょっと手を抜くと、生きた音が出せなくなってしまう。

 弦とピックの角度とかね。いろいろ。。

 部屋で立って歌うなんて、なんか不思議。それも本気でやらないと感覚をつかめない。

 アコーディオン奏者もそうかもしれないな。

 リズムをつかむというか、ノリを出すというか。。

 一曲一曲に、それぞれ弾き方を見つけてゆくので、それをイメージ通りに再生するのは、かなり大変だ。

 とにかく一本のギターで、いろんな音を出したい。ひとりのギター好きとして。

 ライブが近くなると、部屋で立って歌う。

 譜面台もた立てて。


「一刻(いっとき)」'06.9/22

 先日テレビで、昔の和時計の時間は、昼と夜それぞれ六つずつに分けているのだと知った。

 みんな知ってた?

 僕は一昨日まで知らなかった。はるばるとこの年まで。。先生は、なぜ教えてくれなかったんだ。

 こんな、大事な事を!!

 時の基準は、朝、陽が登る頃が「明六ツ」。陽が沈む頃が「暮六ツ」。

 江戸の雇人の生活は「朝五ツ」から「夕七ツ」までだったという。

 星の見え始める「暮六ツ」から一刻(いっとき)たった頃、子供を寝かしつけるという。(参考のページ)

 僕らは江戸の頃に行ったことはないけれど、その頃の生活が見えてくるようではないか。大事な事だ。

 僕が特に、感心したことは昼と夜をそれぞれ六等分した「一刻(いっとき) 」の感覚だ。

 昼の時間で言えば、夏至の頃は約2時間40分、冬至の頃は約1時間50分。(参考のページ)

 まあだいたい二時間前後の感覚で、一刻(いっとき)を考えていたんだな。

 今だと、一時(いっとき)と言うのかな。昔の人はきっと、ひとつのことを二時間くらいかけてやっていたんじゃないか。

 のんびりと話しながら。。きちんと、いろいろ折りたたみながら。。

 昼と夜を六等分にするって、なんだかひとつのケーキを分けるみたいね。今の僕らの感覚として。

 和時計の表示になる腕時計が欲しい。。とっても。


「正直楽器屋」'06.9/20

 インターネットで、ギターに関する良いサイトを見つけた。

 ギター講座や、いろいろギターについての詳しい説明がついている。誰が作っているのかわからないが、絵入りでとてもわかりやすく、親切だ。

 世の中には、素晴らしいことを無料でしてくれるサイトもあるのだな。

 結局は、輸入ものの高いギターを買うなら、こちらでという事なのだろうけれど、それぞれのギターの説明もわかりやすい。

 正直、唄うたいなら、みんな一本は鳴りの良いギターを持っているのがいい。ぜんぜんちがうし、弾きたくなる気持ちにさせてくれるのだ。

 みんな一本は持っていていい。

 ただ、輸入ギターは新品だと、さすがに高い。中古だと、半値くらいになるのだけれど、選ぶとき失敗すると音程の合わないギターとか買ってしまう。(まあ、修理に出すということもできるけれど・・)

 僕自身、そうとうに選んで買った中古輸入ギターでも、その後の調整がいろいろ大変であった。

 「これ弾かせて下さい」というと、中古ギター屋はいつも、ギターを降ろして、チューニングして渡してくれるだけだ。

 あとは、こちらまかせ。こちらでギターを判断するしかない。たぶん、今も昔も。

 まあ、売る側としたら、しかたがないのかもしれないけれど、いつまでも、そうしているから、ギター買いに失敗したりするんだよね。

 20万くらい出す買い物なのだから、みんな失敗なんかしたくないんだよね。ギター選びに自信がない人はどうすりゃいいの?

 そんな不安があるから、良いギターを買えないでいる人もいると思う。そして運の悪い事に、そんなみんなが、音程の合わないギターを買ってしまうんだよね。

 ギター選びは、僕でさえも難しい。それも楽しみではあるのだけどね。まあ、張る弦によっても、音程は変わってくるのが実状だが。。

 「音程保証」とか、紙でつけてくれると嬉しい。そんな正直楽器屋があればな。みんな訪れるだろうに。


「創作部屋」'06.9/18

 いつかのテレビで、シンガーの高石ともやが、いつも創作するときは屋根裏部屋に行くのだと伝えていた。

 そこには 自転車こぎマシーンとかもあるのだという。

 ・・・いいなぁ。。

 僕も創作部屋が欲しい。。三畳でいい。半分の壁には、詩集、他の本、そしてもう半分の壁には、レコードとCDが埋められている。防音もかねて。

 そこにたてかけてあるギター一本。ポスターは一枚だけ貼って。古ぼけた木のテーブルに、録音マシンがひとつ。

 あと、珈琲の飲めるセットね。どこもかしこも、手が届くくらいの部屋がいい。

 でも、そこで創作しようしても、きっと出来ないんだよね。空間が狭くってね。だから集中してアイデアだけを出す。

 世間のどこからも遠い場所で、集中して、音楽や本を読む。

 部屋を出ると、そこは居間になってて、ソファーとかがある。そこで横になったり、いつのまにか眠ったり。

 起きたところで、ギターをぽロぽろと弾いて、フレーズを出す。

 そんなふたつの部屋が欲しい。


「風のあるギター」'06.9/15

 ここ数日、雨が続いている。外仕事なので、へとへとになってしまった。

 部屋に帰ってくると、ギターに手を伸ばしぽろぽろと弾く。

 それがなんとも、心にしみてくるのがわかる。しみてくるというか、さわ風のように吹き抜けてゆくのだ。

 このギターはとくに風を感じる。

 世界的に有名メーカーのギターのなせる技かな。。音に個性があるんだよね。声のように。そしてそれは、ぽろぽろっと弾くとよくわかる。

 小さな音量であるのに、音のかたちがふわっとしているんだよね。弾いたあとの余韻が気持ちいい。

 まるでそれは、音色のさわ風のようだ。どんどん心はいやされてゆく。夏の日の日陰のように。

 輸入ギターは値段的には、国産のギターより何倍も高いけれど、このさわ風を感じるんだよね。

 その音は、聞く側に伝わってくるだろう。ライブで、そしてレコーディングで。

 ギター弾きならみんな、高いギターを一本は持っていていい。その効用は大きい。

 輸入ギターを選ぶときに大事なのは、よわーく弾いてみて、さわ風を感じるかが大事だ。

 僕は日々、いやされている。


「立ち食いそば」'06.9/12

 夕方すぎにお茶の水で降りてギターの弦を買った。

 いろいろ寄りたい店もあるけれど、今日はこのまま帰ろうかなと思う。まあ、せっかく降りたのだから、立ち食いそばでも食べよう。

 駅近くに最近出来た店で、僕のお気に入りの立ち食いそば屋がある。なんだか江戸時代を思わせる店で、どんぶりが少し小さめなのが好きだ。

 手に持てる大きさというのかな。江戸時代のそばどんぶりも、そんなふうに、手を持てるくらいの大きさだったような気がする。

 こんなふうに町に降りると、なぜかいつも、立ち食いそば屋さんに寄りたくなってしまう。もちろん牛丼屋さんとか、安いラーメン店もあるのだけどね。それはチェーン店で、その町の味というわけではない。立ち食いそば屋だって、その町の味というわけではないけれど、その町に降りた人が、寄ってゆく所のような気がするのだ。

 昔もきっとそうだったにちがいない。

 実際のところはどうだったんだろうね。

 今日も帰りに立ち食いそば屋さんに寄ったけれど、その店は、ほんと普通の店だった。

 もちろん今は2006年だし、安くて早く食べられる蕎麦の店という事なんだろう。でも僕には、とても大事な場所のように思える。町の入口、出口という存在ではなく、町の寄り場所という感じなのだ。その町に寄ったという印のような場所ではないか。

 今も昔も。 


「マーチン社のピックガードが僕らに与えた影響」'06.9/8

 ピックガードって、あのギターのサウンドホールの下に付いている黒いプラスチックのこと。

 有名なのは、マーチン社のピックガードの形。それは琵琶を半分にしたような形。サウンドホールの真ん中よりブリッジ寄りに付いてる。それに比べてギブソン社のピックガードは大きく、ストローク奏法の場所を特定していない。

 ギブソン社はさすがだな。。

 僕らにとっては、なんと言ってもマーチン社のピックガードが有名で、ピックで弾き降ろすストローク奏法って、そこで弾くものだと思ってしまっていたんじゃないかな。たしかに、そこで弾くと高音もきれいに出てくれる。でも、それって、まだマイクとか使わなかった頃、きれいに高音までギターの音を伝えるためだったかもしれない。

 昔って、フィンガーピッキングの進化系のベース音プラスのストローク奏法が多くて、ジャガジャガと思いきり弾く奏法は想像していなかったかもしれない。

 ・・・・・

 ここ数ヶ月前から僕は、ストロークを弾く場所を、サウンドホールの回りで自由に弾くことに変えた。すると本当に豊かに音を出せることを知った。まるで表情豊かなピアノみたいにね。考えてみると、今はマイクがあるし、高音が届かないということもないんだよね。

 どこでストロークしたっていいんだよ。ギターは。。

 みんな中学時代に最初に買ったギターはきっと、マーチンタイプのギターだった人が多いと思う。そこが問題なんだ。最初がギブソンタイプのギターだったら、もっと自由にストロークする位置をおぼえていただろうに。。

 エレキギター弾きは、自由にストロークする場所を操っているのに、生ギター弾きときたら、、いつもいつもマーチン社のピックガードの上で弾く。それはすごく高音が目立つサウンド。生ギター本来の音はサウンドホールの真ん中より、ちょっとだけ手前のところ。

 マーチン社は、その事をどう思っているのかな。。なぜ「ピックガードは付いてますが、ストロークは自由な場所で」と注意書きをつけてくれないのか。マーチンのピックガードの上っていうのは「観念」なんだよね。ストロークする場所に決まりなんてないんだよ。

 マイクやピックアップマイクなら、どこで弾いたって大丈夫。

 ただちょっと、マーチンタイプのピックガードだと、表板が傷つくかもしれないけれど・・。


「みどり亀の脱出」'06.9/5

 二日連続で、飼っているみどり亀がケースから逃げてしまった。

 一昨日は背伸びして手しか届かないはずなのにケースから出た。ありえないけれど出たのは事実だ。

 ・・・ジャンプでもしたんじゃないか。

 それもびっくりしたけれど、昨日はふたのしまっているケースから一匹出てしまった。

 おーーーい、どうやって出たんだーーー。

 一匹は背が届く、、。一匹は届かない。

 想像するに、一匹が手を届かしている間に、もう一匹がその背中をかけ登ったとして考えられない。

 ものすごいスピードで。

 共同作業か。。

 「おれにかまわず行けー!!」「わるい、行かせてもらう !!」

 それとも、、「チャーンス!!!」と言ってかけ登ったか。。

 そして逃げた、みどり亀。二匹ともすぐに見つかったけれど。


「亀が」'06.9/3

 実家から部屋に帰ってくると、みどり亀がいない。

 ぜったいでられないとおもわれるケースだったのに。。

 ほんとに出たんだから、亀の腕力は相当なものだ。だってやっと手が届くケースだったのだから。もしかしてジャンプした?

 過去にも二回ほどここからいなくなっているけれど、二回ともすぐにみつかった。二回とも同じ場所にかくれていた。

 しかし今回はその場所まで山あり谷あり荷物ありでとても行けそうにない。

 あきらめ半分で手をのばしてみると、やっぱりいた。

 亀は海にむかうと言うけれど、確かに地球の磁力を感じているんだな。それとも生まれた国のアマゾンの方かな。

 亀はやっぱり何かあるね。

 しかし、それにしても、どうやってその場所まで行ったのかな。やっぱりジャンプしたのか?


「科学博物館」'06.9/1

 上野の国立科学博物館に「ふしぎ大陸南極展2006」を観に行った。(9/3まで)

 あのカラフト犬の「タロ」と「ジロ」の剥製が来ているとの事だった。

 行ってみると、想像よりもかなり大きな展覧会であった。夏休みということもあり、子供たちも多く来ていた。それにおじいさん、おばあさんも。。

 南極って、いろんな物語があったんだな。今回は、それぞれのテーマの場所に、大きな薄型テレビが設置されていて、3分ほどの物語を流していた。それがどれも感動的に作られてあり、音楽も良かったな。映像もきれいで、かなりわかりやすかった。

 タロとジロの物語の映像のそばには、剥製になっているタロとジロが、ガラスケースもなく、まるで生きてそこにいるようにいた。壁には実際の南極の基地の古い壁をつけてあり、地面も再現されていた。

 まるで、そこにいるかのようだ。実際、そこにいるわけだけれど。表情もかわいい。こんな事があっていいのか。南極に残されたのは1958年のこと。もう48年も前のことじゃないか。

 カラフト犬って、愛らしいね。耳が垂れてるし。毛がふさふさだし。。

 南極展は、見所いっぱいだったけれど、僕には犬の事で頭がいっぱいで、そのまま出口にしまった。

 上野の科学博物館はリニューアルされていて、すごい事になっていた。アイデア満載で。そうとうに頑張ったのであろう。わかり安くて楽しい。

 子供たちには人気はなかったが、「科学と技術の歩み」のフロアが素晴らしかった。初期のコンピューターや計算機。最初の映像マシン。なぜか戦闘機の実物もあった。いまでは、計算機は小さいが、その昔は大きかった。

 ぜんぜん見きれないままで、外に出ると上野公園の蝉が鳴いていた。南極展のあと。


「歌う歌(SING OUT)ということ」'06.8/30

 自由国民社から出ている「セメント・フォーク大全集」という分厚い歌本がある。

 昔ならお馴染みの「新譜ジャーナル」という音楽雑誌に'60〜70年代の掲載された楽譜付きの歌が、当時のまま500曲ほど載っている。

 新譜ジャーナルというくらいなので、今月の新しい歌を楽譜付きで紹介し、それぞれ弾き方のコメントもつけてある。きっと、その楽譜を見ながら読者が歌うという前提なんだろうな。。

 ああ、僕が自由に楽譜が読めたら、この本もずいぶん楽しめるのに。。

 僕の話は置いておいて、新譜ジャーナルの実際の発売当時、話題の新曲の楽譜を見ながら、ギターで歌っていた人もいるだろう。

 歌っている本人の音源は聴いたことがなくても、本を見ながら、一番、二番、と歌ってゆく。

 「おっ、こりゃ、いい歌だ。友達にも教えなきゃ」

 そして、友だちの前で、歌ってみせる。

 「えっ、誰の歌? おまえが作ったの?」「いやぁ、、ちがうんだよ。でも、いいだろう?」

 そんなふうに歌われてゆく歌。全国へ。本の中からね。

 今はほとんど、最初に「聴く」という行為から入っていて、まず歌ってみるということがない。

 コード進行の中にある流れや、歌詞の展開。オリジナルを聴いたことがないなら、歌い方も影響されることもないだろう。ギターの弾き方もそうだ。

 楽譜を見て歌うその人のものになってゆく。その素晴らしさ。

 「えーっ、こんなふうに本人は歌っているんだー!!」と思ったり。

 「おいおい、おまえが歌っている方がいい感じだよ」と、友だちに言われたり。。

 そんなことも起こるだろう。

 ・・・・

 アメリカにも'60年代最初に「SING OUT誌」という本があり、そこでホブ・ディランの「風に吹かれて」も話題になったときいた。

 それぞれがギターで、「風に吹かれて」を歌い出すのだ。

 そして「SING OUT」というと、みんなで同じ歌を声を合わせて歌うみたいなイメージもある。

 最近はライブにゆくと、よく「一緒に歌ってください」と言われる歌がある。僕には照れてなかなか歌えないけれど。

 その歌の譜面と歌詞のコピーを、チラシと一緒につけてくれるといいのになと思う。

 部屋でギターで歌ってみるよ。


「日曜の午後の歌」'06.8/25

 先日、ライブハウスにて、ニール・ヤングの「ハーヴェスト」がかかっていた。

 僕は一番前の席にいたので、ステージのそばのスピーカーの前で、そのアルバムを聴いた。

 部屋でもかなりの回数聴いているけれど、大きなスピーカーだと、印象もちがう。 

 レコーディング風景も見えてくるようだった。

 ギターケースを持って、スタジオにやってくる歌い手。

 ギターケースをドアのそばに置くとき、なんだか日曜の午後の日差しがあるような気がしたのだ。

 レコーディングはきっと日曜の午後。ホントかどうかはわからないが。。

 でも、音の響きの中に「仲間が集まった」という空気感が出ている。そこには日中の日差しが感じられる。

 きっとレコーディングは休日の午後がいい。それは音にも現れる。音に余裕があるというのかな。

 外の景色が見えてくるというのかな。

 これが平日の夜だとしたら、声もリズムも多少ではあるが疲れが出てくるだろう。

 響きのどこかに「早く、録音して終わりたい」と出てきてしまうかもしれない。

 音には日差しと体力があった方がいい。レコーディングは日曜の午後がいい。

 僕らは幸運にも、いろいろな事情から、

 ほとんどのレコーディングを休日の午後にしている。


「うたもと」'06.8/24

 とても好きで何百回も歌った歌がある。

 でも、オリジナルの良さのようには、どうしても歌えない。

 オリジナルを100としたら、僕が歌うと30〜40くらいだ。

 いや、オリジナルが300くらいで、僕が70くらいか。その差は激しい。

 もともとがすごく良い作品なんだから、その良さが伝わってもよいと思うのだけれど、そうもならない。

 歌い続けて30年もたっているけれど、いまだ、なっとくのゆくようには歌えていない。

 たとえば・・。

 岡林信康の「君の胸で」と、泉谷しげるの「春夏秋冬」。

 この二ヶ月の間に、何度も僕はそれを自分で歌っては、録音して聴いていた。

 それなりに自分で聞き惚れて。。でも、なんだかへたくそかげんも感じながら。。

 そして、ここ最近、この二曲を本人が歌うバージョンを聴いた。ひとつはライブ盤、ひとつは新録音で。

 うまかった。。僕が歌うより5倍は確実にうまい。いや10倍くらいうまい。

 さすが本家、うたもとはちがうよ。僕の方は歌をなぞっているみたいだ。

 そして真似しようとするからだめなんだな。

 でも、あまりにオリジナルが強烈で、それ意外の道が見つからない。


「ジョイントアルバム」'06.8/21

 その昔、エレックレコードから出ていた『ともだち始め』というアルバムがCDで再発された。

 二枚組のアルバムで、唄っているのは、泉谷しげると西岡たかし。お互い一枚づつアルバムを作っている。

 今では、なかなか出来なそうな企画だ。タイトルの「ともだち始め」の意図がなかなかつかめないが・・。

 お互いのファンが、『ともだち始め』になる可能性は高い。

 僕はこのアルバムをホントよく聴いた。予想通り、泉谷しげるの歌も楽しんだってわけだな。

 こんなふうにアルバムでは、ジョイントすることはなかなかなくても、ライブでジョイントすることはよくある事だ。

 その曲順を決めるとき、お互いのファンを意識したり、相手のライブを意識したりすることは多いだろう。

 意識しない人もいるかもしれないが・・。

 今日、レコード店に寄って『ともだち始め』のCDを注文してきた。

 その帰り道、こんなことを思ってみた。

 「ジョイントアルバム」。ホントにほんとに、相手のアルバムを意識して、45分、一枚ずつアルバムを作ったら、、。

 結構、名作のアルバムができるんじゃないかな。それはいままでなかったパターンだと思う。

 唄い慣れた歌であっても、ちがう歌い方ということもできるだろう。

 対決というわけではなく、同じ聞き手を意識した、一枚、いや二枚のアルバム。

 どちらのアルバムも、ワンセットと呼ばれる、ダブルアルバム。

 作ってみたい。作って欲しい。聴いてみたい。


「犬が聴いてたら」'06.8/19

 実家にいた頃は、ずっと犬を飼っていた。

 雑種だが小さめな犬だったせいもあり、冬なんか家の中に入れたりしていた。

 あの嬉しそうだったこと。そしてコタツのそばで丸くなっているのだ。

 毎日、ギターを僕は弾いていたので、犬もまた、ギターの音を聴いていただろう。

 心でこんな事をきっと想いながら。。

 (おっ、ギター変えたな。なんかいい音だぞ)

 (三弦のチューニングが甘いよ〜)

 (やっと、フィンガーピッキングうまくなったね)

 (この曲、好きなんだよなぁ。よく眠れるよ)

 (なーんだ、今日はもう弾かないの)

 ・・・とかね。

 僕は、みんなが弾くギターの音色が気になってしかたがない。

 いいギターの音色はすぐにわかる。と、思っている。それを説明するのはなかなか大変ではあるけれど、、。

 でも、犬とか、ギターの音色の変化はわかっているんじゃないかな。

 いいギターに替えたりしたらすぐにね。


「ライブの席」'06.8/16

 ライブを後ろの席で見るのは、なかなか良いものだと思っていた。

 歌が客観的に聞こえてくるような気持ち。

 それは渋いライブの見方のような気もしていた。

 実際渋いが。。

 でもねー、前の方で見るライブはやっぱり違う。歌そのものに近いというのかな、実感があるというのかな。

 微妙な表情も見えてくる。演奏も見えるしね。

 なんだか当然の言っているね。

 どうせ見るなら、アリーナがいいな。外国アーチィストなら特に。

 と、最近思うようになった。横顔がちょっと見えるくらいの斜めがいいな。

 写真もたぶん、L版より、もっと大きな八つ切り版の方が良く見えると思う。

 映画も、大きな画面の方が集中して観られると思う。

 そう思ったのは、とあるライブを見ていて、トイレに立ったときだ。

 トイレはステージの左にあり、その曲が終わるまで、ステージのそばで見ていた。

 まるでちがうライブのようだったのだ。


「セメント・フォーク大全集」'06.8/12

 昨日、自由国民社の「セメント・フォーク大全集」という、494曲入りの楽譜集を買った。

 '60年代から'70年代に流行った歌で「新譜ジャーナル」に掲載されていた歌が収められているのだ。

 当時のままで。。

 実際、僕は'73年から'78年までずっと新譜ジャーナルを毎月買っていたし、それ以前の本も集めたりしていた。

 だから見覚えもあり、懐かしい。

 '69年頃から'72年までのフォークは、はじめて見るものも多く。当時の雰囲気がよく出ている。

 イラストがいいんだよね。あと、曲のタイトルも手書きだったりして。

 僕が感心したのは、約500曲のうち、僕も知らないようなマニアックそうな歌が多く含まれていることだ。

 「今月の新譜」って感じでね。。新譜ジャーナルだし当たり前だろうけれど。

 ほとんどの曲は譜面もついているので、聴いたことがなくても、がんばれば自分で歌うことができる。

 レコードを買わなくてもね。ヒットしてなくても、その曲を歌うことができるのだ。

 譜面の持っている基本的な良さだよね。そして、この本が1500円だということ。第二集も出てる

 しかし問題は僕が譜面が読めないことだ。。


「パズルのような歌」'06.8/9

 昨日はライブであった。

 新曲を完成させる予定で、メロディと詞は一番の途中まで出来ていた。あとは、詞を作れば良くなっていた。

 なんだかんだと、いろいろやっていて、詞の創作にとりかかれたのが、午後11時半であった。

 (・・ほんとに出来るのか? 俺)

 歌のイメージはだいたい出来ていて、あとは言葉を探す段階であった。キーポイントになる言葉は出てきていた。

 ギターを持って、歌詞を作り始める。時間がない分、すごく集中して、、。

 キーポイントになる言葉は出ているので、それをあてはめながら言葉を出してゆく。

 パズルみたいに。詞を作っている間は特別な時間が流れる。言葉のさいころを投げるような、、。

 するするすると詞が作れるときの事を考えてみた。

 もう完成した形がイメージで出来ているときだな。

 たとえば、それがばらばらになって、布袋の中に入っているとする。

 そのかけらが袋のすきまから落ちてきていた。

 完成した歌が一枚の絵だとしたら、そのかけらはパズルのようだ。

 そのパズルを組み合わせるのは、たぶんたっぷりとした時間ではなくて、集中した時間なんじゃないかな。

 と、思った。歌詞は30分ほどで出来た。ぎりぎりになって僕が集中したんだな。


「何でもギター」'06.8/6

 パソコンの画面に向かうとき、そこにキーボードがある。

 でもそれはギターでもいいなと思っている。鍵盤の弾ける人は楽器のキーボードが良いと思っているかもしれない。

 ギターキーボード、誰か発明しないかな。

 歌を作るとき、いつもギターを抱えるように、エッセイを書くときも、ギターを抱えたいんだよね。

 メールを書いたり、送るときも、ギターを使いたいな。

 送信は「Cコード」。

 歌を作るときの、ひらいたノートとペンとギターの関係がとてもいい。

 新しいものを作る、三つ道具だ。

 何か新しい計画を立てるときも、この三つの関係があるといいなと思う。

 引越計画とか、夏の旅の予定とか。

 ここまでくると、何でもギターになってしまう。

 夢のようなギター生活。


「録音機」'06.8/3

 自宅のテーブルの上で、よく録音している。

 最近はMD(ミニディスク)で。録音機もかなり小さい。

 以前は、ずっとカセットテープだった。録音機も大きかったよね。

 例のラジカセってヤツ。

 そんなに大きいタイプではなくて、最初は弁当箱を厚くしたくらいの大きさ。

 今はタバコの箱よりちょっと大きいくらいの録音機。

 手軽といえば手軽ではあるけれど、なんというかなぁ、メカニックさがないというか、、。

 外では小さい方がいいけれど、自宅録音機は、普通に大きくてもいいな。

 録音機に向かいあって歌いたいよな。Recボタンが押されているのを見ながら。。

 「それってさあ、ただ昔の思い出を懐かしがっているんじゃないの」と、

 言われる方もあるかもしれない。確かにね。

 僕が思うのは、普通の単行本くらいの大きさがあってもいいんじゃないかということ。

 なんだか、いい音で録れそうじゃん。

 それに、向かいあえるし。


「豪傑」'06.7/31

 若い頃、僕はよく中野重治の詩を読んだ。

 呼びかけのような始まりと、いいまわしの気持ち良さには、相当に影響を受けた。好きな詩も多かった。

 その中の一編に「豪傑」という詩がある。

 「豪傑」 中野重治

 むかし豪傑というものがいた
 彼は書物をよみ
 嘘をつかず
 みなりを気にせず
 わざをみがくために飯を食わなかつた
 うしろ指をさされると腹を切つた
 恥かしい心が生じると腹を切つた
 かいしやくは友達にしてもらつた
 彼は銭をためるかわりにためなかつた
 恩を感じると胸のなかにたたんでおいて
 あとでその人のために敵を殺した
 いくらでも殺した
 それからおのれも死んだ
 生きのびたものはみな白髪(しらが)になつた
 白髪はまつ白であつた
 しわがふかく眉毛がながく
 そして声がまだ遠くまで聞えた
 彼は心を鍛えるために自分の心臓をふいごにした
 そして種族の重いひき臼(うす)をしずかにまわした
 重いひき臼をしずかにまわし
 そしてやがて死んだ
 そして人は 死んだ豪傑を 天の星から見わけることができなかつた

 ・・・・・

 教科書に載っているような詩ではあるけれど、現代では内容や言葉から考えて、外されてしまうかな。

 この詩はラスト五行目になるまでは、まるで昔話を読んでいるようだ。しかしラスト五行はさすがに詩人の感性がよく出ている。僕が特に好きだったのは、「重いひき臼をしずかにまわし」というフレーズ。

 種族の重いひき臼って何だろうと思いながらも、実に良く豪傑のイメージが伝わってきた。若い頃にこの詩を読んだ僕は、「豪傑」=「重いひき臼を回す人」になった。

 僕は豪傑ではないけれど、何かの重いひき臼を、少しだけ回したいと思っている。なぜそう思ったかというと、この詩を読んだからだ。

 ひき臼って何だろうと、ずっと思いながら。


「かわった人」'06.7/29

 どの町にも、かわった人がいる。

 僕の住んでいた実家のある町にも、かわった人がいた。

 小さい頃、その人を見かけては不思議がっていたけたけれど、僕の幼ごころには深く残っている。

 その人のことはみんな知っていて、町の名物のひとつのようでもあった。

 からかうと、ものすごく怒ったりして。。今想うと当然だったな。

 かわった人というよりも、ひとりのキャラクターとなっていた。

 僕の住んでいる町にも、かわった人がいる。アパートに帰ってくる途中で、よくすれちがう。

 朝、駅に行く途中にも、かわった人がいる。いつも、いつも同じ場所に立っているのだ。

 なぜだろうと思ってみるけれど、理由なんてわからない。

 ただ、かわっているなあと思うだけだ。

 ・・・・・

 かわっている人は、どの町にもいて、迷惑のかかる人もいるかもしれないが、そうでない人もいる。

 町の風景のようになっている人もいる。そんな人たちのかたわらを通りすぎるとき、僕はとても「町」を感じる。

 そして、遠い僕の知らない昔のこと。

 表現は適当でないかもしれないけれど、僕らの昔は、かわった人の中に、つながっているように思えるのだ。

 いつの時代、どこの町、どこの村にもいたであろう、かわった人。

 人はみな、おにぎりのようである。


「花火」'06.7/25

 電車の中、乗り込んで来た若い女性が、ナイロン袋にいろんな花火を入れていた。

 花火。いろいろあったね。

 今思うと、花火って、けっこうアイデアが極めているものが多かったなと思う。

 ねずみ花火へび花火ドラゴン。線香花火。パラシュート。煙幕ってのもあったなぁ。まあ、この辺か。。

 僕が一番好きだったのは、「へび花火」。

 火を付けるともわもわっと、長く灰色に延びるやつ。

 玄関先で、最初にやったときの感動は忘れられない。シンプルだけれど、最高はパフォーマンスをしてくれた。

 僕の親父も兄貴も、そのしかけはわかったっていたんだろうな。僕だけが知らない。

 ねずみ花火もよかった。くるくるっと回るやつ。これも最高のパフォーマンスだ。

 最初に「ドラゴン」をやったときも感動した。名前からして良かった。

 たぶん、そんな傑作な花火はいろんな偶然から生まれてきたんだろうなぁ。

 予想もしなかった展開。

 個人的には、パラシュートも大好きだった。あれは夢があった。


「曲を選ぶ」'06.7/22

 ライブが近いので、今日は曲選びをしていた。

 ほとんどオリジナルの歌を作った年順に綴じてあるファイルがあるので、古い歌から少しだけ歌ってみるのだ。

 僕の今の気持ちを想いながら、歌う場所を想いながら、季節の事を想いながら、歌ってゆく。何十曲も、何十曲も。

 すると、なんだかピンとくる歌があり、それをファイルからはずしてゆくのだ。

 歌の方からも、歌ってくれーと、呼ばれるときもある。だからすっかり忘れている歌でも、一応、歌ってみるのだ。

 そのうちだんだんと、メインになる歌が出てくる。そのメインになる歌を軸にして、ライブ全体のイメージが出来てくる。

 ピンと来て、選んだ歌には何かあり、本当は全部歌いたい気持ちだ。

 似たような歌を選んだりしているときは、ひとつにしぼる。歌の内容の重なりをみる。弾き方の重なりをみる。リズムの重なりをみる。

 曲数は決まっているので、いろいろと並べてみる。大事なのは歌のつながり。自然でありながら、自然すぎないように。。

 新曲があるとやっぱりいい。必要だとおもう。

 今日は曲選びをしていた。そのたびに僕は、ほとんどの曲を歌っている。


「弦を探す」'06.7/19

 ここ最近、ギターの弦をいろいろ探していた。

 ギターを弾いてきた年月は長いけれど、弦はいつもほとんど同じメーカーを使っていた。

 最初に買っていたのは、ヤマハ、そしてマーチン、ギブソン、モーリスも買ったなぁ。

 東京に出てきてからは、割引率が高い事もあり、ずっとマーチンを使っていた。

 これはちょっとギター弾きとしては失敗だったな。

 ギター弦の旅はしておくべきだった。マーチン神話を信じすぎていたよ。

 今回買ったギターに最初から貼ってあった弦は、実にやわらかく良い音でなっていた。

 それには僕もピンと来て、ギター屋が忘れないうちに、何の弦を貼ってあったか確認してきた。

 てもまあ、他の弦でも、同じような音がするだろうと思っていた。

 いつもどおりマーチンの弦に替えてみると、まるきり音がちがう。同じライトゲージなのに張りの強さもちがう。

 マーチンのライトゲージでは、張りが強いので、ひとつ弱い、エクストラライトゲージを買ってみた。

 ギブソン社からも、ウルトラライトゲージというのが出ていたそれも買ってみた。

 どっちもつけてみたけれど、どっちも良い所があり、どっちも音がちがう。。

 うへっ。。

 弦の強さのテンションは弱くなったけれど、僕のギターの良さを出す音にはならなかった。

 結局、もともと張ってあったメーカーの弦が合っているとわかった。ギター屋ってすごいな。

 もし、ギター屋がその弦の事を知らなかったら、どれだけ探す事になったであろう。

 その弦はインターネットで探したら、1セット270円だった。安っ、、。もう注文。

 弦の世界は難しい、、。


「ストローいりません運動」'06.7/16

 最近、コンビニエンスストアーで、パックのジュースを買うと、必ずストローがついてくる。

 気がついたときは、「ストローいりません」と、伝えているけれど、何もきかれずに一緒に入れられてしまうときも多い。

 それは僕だけでは、ないだろうな。。

 部屋に戻ってきて、(ああ、またストローをもらっちやった・・)と、思う人は。

 パックのジュースにストローを付けるようになったのは、いつからなのかな。

 それとも、がばっとふたを開けて飲む人はもう、あまりいないということか。

 そうかもしれないが。。

 僕が思う事は、一日のうちで、相当数の無駄なストローが、渡されているのではないかということ。

 ここにも、すごい数のストローがたまってしまった。

 「ストロー、いりません」と、言うだけなんだけどな。

 「ストロー、いりますか?」ときいて欲しいな。

 毎日、毎日、無駄なストローだけで、300万くらい、全国で使っているんじゃないかと思う。

 誰かが、言い出さないとな。


「絵の国」'06.7/14

 今、絵を描いていて、絵の具とパレットが必要になった。筆もね。

 15年くらい前に買ったのだけれど、部屋の中から見つからなかった。

 小さい頃は、友のように、よく使っていのに、すっかり遠くなったものだ。

 二枚描いているのだけれど、色を塗ったりするのは、普段の生活とは、ちょっと別の感覚が必要なんだな。

 小学校の頃は、将来、絵を描きたいって、ずっと思っていた。特別にうまかったわけじゃなかったけれど、絵に対する情熱だけはもっていた。

 作文も好きだったなぁ。

 中学に入って、フォークソングにはまってしまったのは、友達がいたから。ギターを弾き出したのも、友達がいたから。

 絵の話のできる友達がひとりもいなかったのだ。卓球部だったしね。

 絵の友達がいたら、僕も絵を目指したかもしれない。ちがう生活が続いていたかもしれない。

 ほんとに、そう思っているんだよ。

 15年もパレット使っていないけどね。

 でも、僕は絵がとても好きな子供だった。絵の本ばっかり見ていたんだ。

 最初は絵の国に住んでいたんだ。


「ラッキー・トゥデイ」'06.7/12

 僕の肩掛けカバンには、どれだけの荷物が入るものか。

 その中には、今日のいろんな疲れや、スケジュールの事でいっばいだ。

 アルバイト帰りに、アイスでも買って帰ろうかなと思っている。

 まあ、それくらいが、一日の出来事であろう。ああ、ギターが弾きたいな。

 各駅停車に乗って、そして住んでいる町の駅名がアナウンスされて、僕は降りてゆく。いつもどおりに。 

 いっばいのみんながホームから階段で降りてゆく中、ひとりの小さな女の子が、まだ止まっている電車に乗ろうと、階段をかけあがってきた。

 うまく、人の間を抜けて。

 振り返ると、なんとか電車に間に合ったようすだ。肩から下げていたのは、水泳セットかな。

 今日、そこにあった小さなラッキー。僕は思ったな。キミが間に合ったから、今日の事はもう、いいんだ。

 僕が今日、どんなに疲れていたとしても、キミが間に合ったことの方がもっと嬉しい。

 僕の一日は、このカバンのように、よくわからないものでいっぱいだ。

 だから、こうなのだ。くたくたになって、横になってもしょうがない。

 キミはそんなものはみんな抜けて、ちゃんと電車に間に合った。ラッキー・トゥデイ!!


「トンボが言った事」'06.7/10

 7月の夜。寝不足が続いている。

 夜更かしているのは、なかなか夏へのエンジンがかからないからだ。

 まあ、それだけではないのだけれど。。

 今日も寝不足のまま日中の外仕事をしていると、東京では珍しく麦藁トンボが目の前にふわりと現れた。

 「あれ、トンボだ・・」

 麦藁トンボは、自転車の取っ手のところに止まった。僕の方を向いて。近くで見てみるけれど、飛ぶ様子もない。

 もっとよく見れば、いつもどおりのきれいな目をしているトンボ。そして顔を斜めにしながら、何かしゃべっているようだ。

 いや、ほんとに。。

 虫の知らせとはよく言うけれど、メッセージを言いに来たような気がしたのだ。

 確かに何かしゃべっている。ぜんぜん逃げないで。

 耳を近づけてみるけれど、その声は聞こえてこない。そりゃそうだよな。

 仕方がないので目をつぶり、心の声に耳を澄ませてみた。すると。。こんな声が聞こえた。

 「おまえよ、いろいろ探しているようだけれど、一番、愛さなくてはいけないのは、時間なんだよ。それが私の伝えたい事。」

 そうか・・。麦藁トンボよ、ありがとう。

 僕は手を振って、その場所から、さよならをしてみた。

 トンボは向きを変えて、こっち向きになっていた。すっかり僕は目が覚めた思いだった。


「なくなるピック」'06.7/7

 最近、部屋でギターを弾くときにピックを使っている。

 ギターを毎日、1時間以上は弾いているが、その間に何度も、ピックがなくなっててしまう。

 さて、次の曲を弾こうとすると、ピックがないのだ。ああ、なんて情けない。。

 たいがいは、唄本や歌詞ノートの間にはさまっていることが多い。唄本を振ると、ピックが落ちてくる。

 パソコンの前にも、よく置かれてある。

 お気に入りのピックはフェンダーの白いのピックなので、それもなくなり安い原因かもしれない。

 まあ、部屋でギターを弾きときにピックを使うようになったのは、ほんと最近の事で、それまではピックなしであった。

 こんなにピックをなくす男だったとは。。

 高校を卒業するまでだって、ずっとピックで弾いていたけれど、こんなことはなかった。単に記憶力の問題か。

 同世代のギター弾きのみなさん、ピックはなくしませんか。

 やっぱり「白いピック」というのが、原因か。そして、本のページの上に置いてしまうという事も。

 なくなったピックは、どこに。。たぶん唄本の間にあるのだろう。

 これゃ、何枚買ってきても、足りないわけだ。


「唄を訪ねる」'06.7/4

 最近の日課は、唄を訪ねること。

 中学時代の友。もし今会えていたら、約30年振り。

 「よく、あの頃。遊んだよなぁ・・」とか、言いながら。。

 新しいギターを買ってから、歌えるだけ色々唄っているので、とうとう中学時代に唄っていた唄まで、戻ってきた。

 30年振りに歌う唄。あの頃も、よくテープに録音したものだった。子供みたいな声だったけれど。

 また今、もう一度、録音してみる。この30年で、どれだけうまくなったかな。ギターだって、良い音だ。

 その唄は、分厚い唄本のどこかのページにある。東京に持ってきてからでも、25年は開いてないページ。

 唄を訪ねてみる。

 懐かしくて、唄ってみるけれど、たいがいは二番くらいで歌詞にあきてしまう。

 そして最後まで録音できない。

 まあ、それでも、ちょうどいいくらいに気持ちがいい。

 中学時代の友も、そんなふうに、町なかで、さらっと会うのがいいのかもしれない。

 たとえ、30年振りであっても。


「40年。」'06.7/2

 今、ちょうどサッカーのワールドカップをやっていて、ついつい見てしまっている。

 昨夜は、イングランド対ポルトガルの準々決勝であったが、その中で度々語られていたキーワードが「40年振り」という言葉だ。

 イングランドは40年振りに優勝を目指しているという。そしてポルトガルは40年振りにベスト4に行けるかという試合だった。

 結局、ペナルティキック戦になり、ポルトガルが勝ち、イングランドは負けてしまった。

 そのイングランドの選手たちの落胆さと言ったら・・。自国のみんなは40年振りの優勝を期待したいただろうに。。

 逆にポルトガルは40年振りのベスト4入りすることになった。

 ・・・・

 さて、40年。今日のテーマはサッカーではなくて、その40年振りという話。

 ちょっと年代で考えてみよう。今は2006年だから1966年振りという事だ。そのとき20歳だった人は60歳。30歳だった人は70歳。。

 ここで思う事は、「40年振り」という言葉が持つ意味合いだ。人の一生がまあ、75歳くらいだとしたら、一生に一度巡ってくるかというどうかという感じだ。

 もちろん、4年後にもチャンスはあるわけだけれど、40年また巡ってしまうかもしれない。

 つまり一生に一度の出来事ということかな。もちろん、そんな確証はなんにもないのだけれど。

 サッカーのワールドカップ代表選手はまあ、30歳くらいまでで、40年前というと、その前の出来事という事だ。

 そのチャンスは、そして40年に一度。。サッカーの母国、イングランドは、優勝を40年も待っているのだ。今年こそと思っていただろう。

 試合が決まって、「40年振り・・」というアナウンスが流れたとき、喜び、落胆している両国の表情を見ていて、僕は思った。

 40年前の事は想像もつかないが、40年もみんな待っていたという事。それはもう夢に領域に入ってしまっているんだな。

 生まれる前から、みんなが待っていたもの。  

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