青木タカオ「ちょっくら・おん・まい・でいず」

「最近の事」過去ログ'05.11〜'06.2月

「気をとられる」'06.2/25

 毎日、毎日、仕事で自転車に乗っている。

 自慢ではないが、自転車の運転はかなり慎重だ。ちょっとしたが事故につながるからだ。

 左右を見ずに、道を渡ることはまずありえない。急な飛び出しにも、いつも対応できるように走っている。

 しかし昨日は、自転車同士、出会い頭にぶつかってしまった。10年振りくらいかもしれない。

 運転には最大限に気をつけているのに、気をとられてしまったのだ。

 僕はオープン準備をしている薬局屋の前を自転車で通り過ぎようとしていた。

 手前に一人の女性、その向こうに男女が店頭への商品出しをしていた。

 車の付いたワゴンでちょっとだけの斜面のある板をゆっくりと押していた。

 男女の押しているワゴンから、「あーっ」という声と共に荷物がひとつ落ちてしまうを見た。

 その横を自転車で通り過ぎるとき、その手前の女性もびっくりしたのか、ワゴンから荷物を落とてしまったのだ。

 僕はつい、それを見てしまった。

 視界が後ろになったとき、たまたま老人の乗る自転車が、狭い四つ角から出て来て僕はぶつかってしまった。

 しっぱいした。一瞬の事だったが、振り向いてしまったのだ。

 「気をとられる」というけれど、その言葉通りに「気」をとられた。

 ちょっとしたトリックやマジックのように。

 ・・・

 何かをしていても、ついついひきこまれてしまう、テレビや映画。そして夢の中。

 そこにもちょっとした仕掛けがあるような気がする。


「何か楽しい事をずっと」'06.2/21

 東京でも冬の雨はさすがに冷たい。

 駅からの帰り道、ななめから吹く雨風の中を商店街を抜けてきた。

 手に持つビニール傘がふるえる。

 雪国の海沿い生まれの僕は、久し振りに実家にいた頃を思い出した。

 アノラックの帽子を目深にかぶり、頬はいつも冷たかった。

 鼻水も出ていただろう。

 そしてそんな帰り道は、何か楽しい事をずっと考えていた。

 ギターのこと、レコードのこと、ラジオのこと、フォークのこと、うたのこと、卓球のこと、漫画のこと、etc。

 寒さに負けないように、頭の中は天国だった。

 日本中、どこにいってもまあ学生なら、だいたいみんなそれは変わらないとは思う。

 今日の東京の冬の雨風の中、僕はそれを思い出した。

 冬の日は僕を育ててくれたのだ。


「荻窪グッドマンとトーストメニュー」'06.2/16

 まだまだ先のあるのだですが、荻窪グッドマンのあるビルが取り壊しになることになった。

 そこは30人ほど入るライブハウスで、僕は20年以上前から歌わせてもらっている 、馴染みのある店だ。

 最初、訪ねた頃は僕もまだ若かった。グッドマンは弾き語りの店というよりも、ジャズのライブスペースという感じが強い。

 壁に書かれてあるメニューも、いろんな種類のお酒が書かれてあった。

 あまりライブハウスというスペースにも慣れていなかった僕は、普通の喫茶店の続きのような感覚でいて、珈琲といつもトーストを注文していた。

 グッドマンだけでなく、普通の喫茶店に行っても、トーストはよく頼んでいたからだ。

 その頃の僕には普通の事だったけれど、今思うと、ほとんどトーストを注文する人はあまりいない。

 マスターは、トーストの注文を受けると、すぐ隣にあるコンビニエンスストアーに行き、パンをそっと買ってきていた。

 僕は通い初めて二年くらいの間、よくトーストを注文していた。

 もちろんメニューにあるのだから、注文して、問題はないのだけれど、、。

 すぐ隣に、お店があるから、それも出来たのだろう。本当なら「今日はトーストないんだよね」と言われていたかもしれない。

 荻窪グッドマンは移転して、また別の場所にゆくだろうと思うが、隣に食料品のお店があるといいな。

 またメニューにトーストと書かれるだろう。


「20分の話」'06.2/14

 下町にある古い中華屋さんは良いものだ。

 僕は仕事の用で、その中華屋さんに10年以上訪ねていたが、今月から他の人に任せることになった。

 それは明日であったが、たまたま通りかかったので、今日の昼はまあ最後という気持ちも兼ねて、飯を食べることにした。

 「あら、めずらしい!!」

 中華屋のおばさんは、僕が仕事で来たと最初思ったらしい。いやいや、今日は食べてゆくよ。

 久し振りに、ホント久し振りにここで食事をする。何もかも古くて、よく磨かれてある中華屋さん、元気なおじさんが大鍋を手で回している。

 テレビでは冬季オリンピックをやっている。時間はもう午後1時近く、この頃になるとテーブルもすいている。

 奥の席に座って、ふと足下を見ると、ストーブの前の物入れの下の隙間に毛並みのととのっていない、少し大きくなった仔猫が、そっとのぞいていた。

 きっと、弱っているところを、中華屋さんに救われたのであろう。仔猫はとてもとても静かにしている。

 ・・・・

 ほんとはカレーライスを食べたかった。ここのカレーは昔ながらのアーモンドの形をしたライスで出してくれる。そして美味しいんだ。でもボードにセットメニューが書かれていて、ついつい注文してしまった。「ニラレバいためライスください!!」

 僕はこの店に来るのは、もうこれで最後にしようと思っていた。明日には、他の担当の仲間がこの店を訪ねるからだ。「あら、いつも人とちがうのね」と、きっときくだろう。他の人が担当になるのだから、僕はもう寄らないでいよう。

 今日は気付かないかもしれないけれど、明日になれば、僕の気持ちも伝わるかもしれない。そんなふうに、さよならのサインは、あとからわかるというものなのだろう。ああ、なぜ僕は最後にカレーを食べなかったのかな。

 ・・・・

 ニラレバいためライスは量の多く、味のしっかりしてとても美味しかった。まあ、これで良かった。テレビではバレンタインデーの由来をやっている。

 お店のすみでは、ひとりのおじさんがラーメンかタンメンを食べていた。そしてお金を払おうと立ち上がったとき、僕はそのズボンと背広がとてもとても古くなっているのがわかった。その丈も短い。

 おじさんは嬉しそうに笑ったけれど歯がなかった。ジャンパーのようなものを着ていたけれど、それも古く古く、僕には、家のない人のようにも見えた。そうかもしれない。ちがうかもしれない。

 お金を払って、お店を出ようとしたとき、奥からお店のおじさんが出てきて、手をあげて、大きな声で「ありがとう!!」と言った。普段はそんなふうにはしない。おじさんは、歯のない顔で笑い、ゆっくりと冬の日の外に出ていった。

 僕は一瞬でいろんな事を考えた。あのおじさんは、この店の常連さんだったかもしれない。今がどんな生活であれ。。入口の外ではきれいに洗われた「中華料理」の暖簾が、懐かしく見えていた。この下町にある、この古い中華屋さん。

 (さて、そろそろ行こうかな・・)。僕は立ち上がり、お金を払った。

 「ありがとねー!!」。おばさんはいつもの笑顔で笑っている。店の奥からおじさんも「どうもねー」と、声をかけてくれる。

 足下には隠れた仔猫がストーブのそばで目を細めていた。


「曲の終わり」'06.2/11

 1920〜40年代に録音されたアメリカのフォークソングを集めたアルバムを、最近聴いている。

 バラッドと呼ばれる、物語ソングも多く入っている。10番くらいあるような、歌だ。

 淡々と歌われてゆき、そしてラストはエンディングらしきものがほとんどなく、スパッと終わる。

 バラッドに限らず、ブルースでも、ゴスペル調の歌でも、ラストはたいがいがバッサリと終わる。

 それも、なんだか歌唱自身も尻つぼみな、さみしいような響きになってしまう。

 もう最後まで歌ったので満足したっていうかのように、、。

 それでも、それが歌の終わりをよく現しているのが不思議。

 その謎については、誰も僕に答えてくれたことはないけれど、僕なりに考えてみた。

 まあ、シンプルに昔の歌のエンディングについてだよね。

 ●ひとつめ。歌のない演奏は、あくまでも間奏であり、次の歌詞に続く「橋」の役目のようなもので、ラストに演奏を入れると次に続くようで、終わりという感じがでない。エンディングを飾るいう観念がなかったのではないか。

 ●ふたつめ。レコーディングのとき、録音テープは高価なものであるために、一秒でも短く仕上げるために、エンディングはなるべくカットされた演奏で最初録音された。それを聴いたミュージシャンたちは、いかにもそれが歌の終わりにぴったりだと思うようになり、自分の録音でも、ラストに演奏は入れなかった。

 ●みっつめ。終わりというものは、突然にくるものだという感覚があった。

 ●よっつめ。突然に終わるエンディングが流行してて、それがカッコよかった。

 ほんとのところはどうなんだろう。たぶん曲の終わりというのは、いうものだったのだろう。他のポピュラーミュージックはどうだったのかな。そこまでまだ探ってはいないが、、。

 そんなふうに突然に終わるバラッドではあるけれど、どの歌も最後の番は、なんだか終わるような感じが自然と伝わってくるのは、不思議なところだ。


「日本地図」'06.2/9

 先日、学習塾を訪ねる機会があった。

 「ごめんください」

 スチール椅子の並ぶ室内。ドアを開けたすぐ左の壁には、大きめな日本地図が貼られていた。

 あのつるつるとした紙で、カラーで。

 小・中・高と学校では地図帳をいつも持っていて、日本地図にも馴染みが深かったけれど、最近はほんと見る機会がなかった。

 日本地図。日本のリアルな形って、あえてちゃんとみるととても懐かしい。

 その中にいろいろと地名が書かれていて、とても見やすそうで、いいな。

 今、各地方の情報は、インターネットですぐに細かく調べられるけれど、日本全体の地図から入ることがなかなかできない。

 遠い町も、ぱっと現れてしまう。

 日本が狭くなったとはよく言われるけれど、やっぱり広く遠くあって欲しいという気持ちもある。

 俳人の芭蕉が全国の旅に憧れた気持ちを、今も持っていたい。

 ・・・・

 日本地図を久し振りに見たように思えたけれど、天気予報で、毎日見ているんだよね。


「北国の少女とスカボロー・フェア」'06.2/6

 ボブ・ディランの'63年のセカンドアルバムに「北国の少女」という歌が入っている。訳はこちら

 「もし君が、北国の祭りにゆくことがあるのなら、風は冷たく吹き付けるだろうけれど、
 そこに住む人に、よろしくと伝えておくれ、彼女は僕の恋人だったんだ・・」そんな歌詞で始まる。

 Well, if you're travelin' in the north country fair,
 Where the winds hit heavy on the borderline,
 Remember me to one who lives there.
 She once was a true love of mine.

 そしてサイモンとガーファンクルの'64年に出したアルバムには、有名な「スカボロ・フェア」が入っている。メロディーはこちら 訳はこちら

 「もしスカボローの市に行くのなら、〜パセリ、セージ、ローズメリー、そしてタイム〜
 あの町に住んでるその人に、よろしくと言ってくれ。彼女はかつて僕の愛した人なんだ」

 Have you been to Scarborough Fair?
 Parsley, sage, rosemary and thyme,
 Remember me from one who lives there,
 For he once was a true love of mine.

 「スカボロー・フェア」の歌はイギリスのとても古い民謡である。そして「北国の少女」は、ボブ・ディランのオリジナルとなってはいるが、もともとは、このイギリスの古い民謡から、イメージをもらったものだと思われる。

 ちょっとだけ個人的に解説をすると、「スカボロー・フェア」の方は、民話・民謡的な要素があり、謎かけが歌詞に入ってきている。遠くなってしまった恋人に、まじないのような事を伝え、「・・すると本当の恋人になるのです」と続ける。神秘的なメロディーと重なり、不思議な世界を作っている。

 一方、「北国の少女」の方は、遠くなってしまった恋人を、心配して想っていることを、旅する人に「よろしく」と伝えて欲しいと歌う。歌詞の流れは、最後の言葉が次の歌詞に最初につながるという、想いの連鎖があり、これもまた味わい深い歌詞となっている。

 どちらにも共通するのは、遠くなった恋人への歌ということである。そして届かないのは知っているけれど歌うという響きのある歌になっている。

 僕はこの「遠すぎて届かないけど歌うという歌」を「北国の少女路線の歌」と呼んでいる。そのメロディー・ラインも含めて。

 ・・・・

 「スカボロー・フェア」は、さすがに伝承民謡で、ひとつの作品を歌いあげる良さがある。そして弾き語りで歌うには「北国の少女」は、とてもよく出きてるなぁと感心する。それは、実際に「北国の少女」を聴いた人が、北国の祭りに行って、「よろしく」と伝えてくれる可能性があるからだ。


「オールドギター」'06.2/2

 最近ずっと、古いの録音を集めたアルバムを聴いている。

 1920年代から30年代にアメリカで録音されたフォークソングの弾き語りアルバムだ。

 ギター弾き語りやバンジョー弾き語りが多く、そのどれも味わい深い。

 バンジョーはそれほどめだたないが、ギターに関しては、チューニングが限界ぎりぎりのような音を出している。

 僕も古いギターを弾いたことがあるけれど、弦高が高いせいもありチューニングが微妙にところで調整することになってしまう。

 それは、しょうがない。特に6弦の3フレット目あたりの音が微妙になる。

 古い録音を聴いていると、コードひとつでも、最大限にチューニングを合わせているという苦労が感じられる。

 録音であるわけだから、特にチューニングには気をつかったであろう。

 それでも、こんな感じなのだから、当時はこれで普通であったのだろう。

 かのウディ・ガスリーのギターも、6弦がいつも微妙な音を出していた。

 たぶんネックがそんなに強くなかったんだなぁ。今みたいに鉄の芯が入っていなかったからだ。

 僕も古いギターをかつて持っていた。音はとても良く鳴っていた。

 しかし、どうやってもチューニングは合わず、実用的ではなかった。

 ライブでもつかうことはなかったし、録音でもつかうことはなかった。

 僕はそのオールドギターを手に取り、どこかに旅に出るということもなかった。

 もしも、その一本のオールドギターしか僕になかったら、すべてがちがっていただろう。

 旅先で出会うすべてがちがっていただろう。流れている時間がちがっていただろう。

 列車に乗るという気持ちもちがっていただろう。

 オールドギターは、本当はオールドなんかじゃないんだよね。


「集めた物」'06.1/31

 東京に出てきてから、実にいろんな物を集めてきた。

 本やレコードが主なものだ。

 聴いていないレコードというものはほとんどないけれど、読んでいない本は実に多い。

 あとあと資料的に役立つかなぁと思って買っておいたものだ。

 レコードだって、貴重な音源がかなりある。民族音楽系は充実している。

 音源のテープだって多い。

 若い頃は、こうして集めた音源や本は、代々伝わってゆけばなぁ、ぼんやりとそう考えていた。

 今から100年後とかね。

 しかし現実を思ってみると、自分のために集めたものであり、僕が活用しなければ、もったいない気がするのだ。

 全部読んで、十分に使って、楽しんで、その上でデジタル化して、シンプルに残しておきたいな。

 レコードやテープ音源は、なんとかデジタル化して、小さくできるけれど、本だけはどうにもならないなぁ。

 それができる時代は来るかな。(架空の話だが。。本をセットしておくだけで、自動的にすべてのページを写真で撮ってくれて、CD-Rでポイッと、残しておいてくれるサービスは出来ないかな。。)

 まあ、そんな保存の話とは別に、僕が十分に使ってあげるのが本のためレコードのために、一番の事であろう。

 速読でもマスターしないかぎり無理かもしれないが、心を常に僕の部屋の中にある本やレコードたちに向けようと思う。

 シンプルにさっと取り出せるようにして。


「マップ屋」'06.1/28

 新しい商売を、ふたつほど考えてみた。

 ひとつは、貸高級ギタースタジオ。

 ひとり用の小さな音楽スタジオがあり、受付にて、高級ギターを貸してくれるのだ。

 マーチン・ギブソン・ギルド・ラルビ・テイラー・他。。

 それも、それぞれに種類をそろえてある。

 本当に買ったならば、40万〜70万くらいはするギターばかり。

 良いギターを弾くと、なんだか曲のアイデアも出てくるものである。

 僕みたいなギターマニアが、仕事帰りに訪ね、二時間から三時間ほど弾いてゆく。

 そんな高級貸しギタースタジオがあったらなぁ、、。

 ・・・・・

 もうひとつの商売は「マップ屋」。

 主に、新宿と渋谷の駅前に現れるのだ。

 「マップ屋」は、赤い帽子をかぶっている。そこに「マップ」と白い文字が書いてあるのだ。

 だいたい想像がつくだろうけれど、それぞれの街について、何でも知っている人なのだ。

 待ち合わせに急いでいても、道がなかなかきけない人は多いはずなのだ。

 迷っていられない人は、「マップ屋」に声をかける。

 「マップ屋」の鞄の中には、コピーされた住宅地図が100枚くらい入っている。

 「NHKはどこですか?」「はいはい」

 マップ屋はすべてを理解しているので、すぐさまカバンから、住宅地図のコピーを出して、マーカーで最短の道順をつける。

 「いくらすか?」「帰りでもいいよー」「じゃあ、百円」「オーケーオーケー」

 そんな会話がかわされる。

 年寄りのマップ屋は、経験と知識で、答えるが、若いマップ屋はインターネットを使う。

 そしてマップ屋はお互いに助け合うのだ。

 「そりゃ、俺じゃわかんねえな。あいつにきいてくれー」

 あいつは、インターネットを持っているのだ。

 また古い情報はおじさんでないとわからない。そんな「マップ屋」。

 実際にいてもいいんだけどなぁ。


「先日の床屋さん」'06.1/26

 僕はいつも、安い床屋さんを訪ねている。 

 料金的には、千円と言ったところ。安床屋歴もけっこう長くなりました。

 毎回、ちがう人がカットしてくれますが、その気軽さが良いところでしょう。

 「今日はどんな感じで? 」。まあ、99.9パーセントは、そうきかれます。

 「長めな感じ、耳のかかる程度で」。そして僕はそう答えます。

 「はいはい」

 (ときどーき、細かーく指示している人もいますけどね)

 どんなにシンプルに答えても、カットの途中で必ずふたつの質問されます。

 「前髪はどのくらいまで?」と

 「もみあげはどうします?」だ。

 僕の経験から言ってほぼ100パーセント、きかれてきた記憶がある。

 しかし、先日の床屋さんは、最後まで質問がなかった。

 最初の僕の「長めな感じ、耳のかかる程度で。」のみだった。

 (あれれ〜?)

 「はいっ、出来ました」

 あなたは、新しいタイプの床屋さんなのか、それとも安床屋を極めているのか。。

 まあ、いつもよりも前髪も、もみあげも長めであった。


「アンソロジー・オブ・アメリカン・フォーク・ミュージック」'06.1/24

 僕はもともとアメリカのフォークソングは好きである。 

 どの曲にも伝えるべき要素があり、若い頃から集めるだけあつめて来た。

 そして、以前より欲しいと思っていた6枚組アルバムを、とうとう手元に置くことができた。 

 このアルバムの事はよく知っていたが、CD盤として再発されていたのをわかったのは、つい先日の事。

 LPサイズの豪華ボックスに、これまた大きく細かなブックレット付きである。

 有名な「FORKWAYS RECORDS」から発売されており、今回は「SONY MUSIC」が企画にも入っている様子である。

 僕がこのアルバムの事を知ったのは、ボブ・ディランの伝記からだった。

 その中で、ボビーがこのアルバムセットをとても良く聞いていたとの話があったのだ。

 曲目の中には、ボビーのレパートリーとなっている作品も見つけられる。

 豪華ボックスセットが届き、今、アルバムを一枚一枚聞いているところだが、実の豊かによく編集されているのがわかる。

 編集は「ハリー・スミス」という人で、数多くのシンガーたちを紹介している。

 「フォーク・ミュージック」というくらなので、レパートリーの曲が重なっている場合もあるだろう。

 編集の大変さが伝わってくるようである。曲・楽器・アーティスト・テイクの良さを総合的に考えているのであろう。

 楽器演奏が中心のアルバムや、ゴスペルの要素が強いアルバムともまた分かれていて、それも聞きどころになっている。

 アメリカンフォークの百科事典みたいだ。

 僕自身もアメリカンフォークのアルバムは少しは持っているけれど、やっぱり違うなぁと思うのは、

 ちゃんと編集されていて、それがパワーになっているという事だ。

 84曲入り。録音はほとんど'20年代〜30年代。しばらくはちょっと古い旅をしてきます。


「そんな約束」'06.1/20

 それはそれはもう、20年ほど前の話。

 その頃、僕は神田市場にて働いていた。市場の仕事はとても忙しく、一人休むだけで相当に大変だ。

 その日は、朝から体がふらふらで、どうやら風邪をひいたらしかった。僕の店のみんなは、市場の上の階に医者があるから寄ってこいと言ってくれた。

 ふらふらになって医者を訪ねると、50才くらいの女医さんがいて、風邪だねって言った。

 普通だったら、明日は仕事を休みなさいと言うのかなと思っていたら、大丈夫、大丈夫って言う。

 「市場の人って不思議でね。熱が40度くらいあってもね。平気で働いているのよ。今日は早く帰って、鍋焼きうどんでも食べて、あったかくして、いっぱい汗をかいて一晩眠れば大丈夫よ。

 注射も薬もなかったはずだ。帰りかけにもう一度「鍋焼きうどんよ」と言ったような気がした。

 僕はその通りに実行した。鍋焼きうどんを食べ、あったかくして眠った。そして次の日、僕はなんとか復活して、市場は休むことがなかった。

 ・・・・

 昨日から僕は咳をしていて、体じゅうがだるい。熱はない様子だが、職場で風邪が流行っているので、風邪をひきかけているようだ。

 いままでだったら、普通にしていても、いつのまにか治っていて、本格的な風邪はもう7年くらいひいていないのだ。

 それが僕の自慢だったが、今回はどうやらウイルスに負けそうな勢いである。

 帰り道、ふらふらになりながら、僕は20年前のあの市場での女医さんの話を思い出した。買って帰る「鍋焼きうどん」。

 今の仕事もなかなか休むわけにはいかないので、なんとか明日を乗り切りたいのだ。

 鍋焼きうどんを食べ、あったかくして、僕はすぐに布団で入った。いっぱい汗をかけるだろうか。

 ながいながい、夜の一日であった。夢もいくつか見た。

 そして今朝は、なんとか復活しているようだ。


「守られた音」'06.1/18

 最近、とあるコンサートでライブ前に、レナード・コーエンの「SONGS FROM A ROOM」が流れていて、とても良かったとホームページで書いていた人がいた。

 「SONGS FROM A ROOM」は、'69年に出たセカンドアルバムで、もう発売から35年たっている。ジャケットは白黒でこれ以上ないくらいに地味である。

 録音も、時代を感じられるものであるが、今聞いても、いつ聞いても、新鮮な空気感がある。

 まるで、ドアを開けたときのように。。

 レナード・コーエンの伝記が昨年発売され、その当時のレコーディングの様子が書かれていた。レナード・コーエンのファーストアルバムは、時代の流れを受けてか、サウンドは彩られ、ポップさが全面に出て、レナードの意図するものとは少し離れたものになったという。(それなりに、良いのだが・・)

 そんなレナードの音楽感を理解したプロデューサーのボブ・ジョンストンが、このセカンドを作り上げたのだった。

 ボブ・ジョンストンは、レコーディング環境を整え、いろんなトラブルを極力さけ、レナードにのびのびと歌ってもらい、すべてを肯定的に受け止めてくれたという。そして、このアルバムはレナードの声がよく聞こえるように作ったという。参加したミュージシャンにも、「レナードの声をよくきくように」と言ったという。

 このセカンドでは、それがみごとに形になった。アルバムの一曲目の最初は無伴奏でレナードの声から始まっている。

 ボブ・ジョンストンは、このアルバムは一枚の絵であると言ったという。印象的にはそうかもしれない。何度聞いても特別な感じがする一枚だ。

 もし、このアルバムを時代に合わせたポップ路線にしていたかったなら、こうはならなかったであろう。ジャケットだって、もっとポップなものになったはずだ。

 時代から、評価から、批判から、ビジネスから、他いろんなものから守られた一枚のような気がするのだ。そして、それは結果的には、いつまでも新鮮な響きを持つことになったと思う。

 コンサート前に、このアルバムが流れる日はまたくるだろう。僕も聞いてみたい。 
                    


「池袋」'06.1/14

 昼のテレビで池袋の事をちょっとやっていた。

 「いけぶくろ」って、なんだか僕には不思議な響きがある。

 東京に出てきて、最初に借りたアパートは池袋から西武線でひとつめの駅であった。

 何か買い物に行くといえば、池袋に出かけたものだった。

 そして僕が歌い出した街でもあった。池袋には、数え切れない思い出がつまっている。

 高円寺の街に引越してからも、15年くらい週に一度は池袋に歌いに出かけていた。

 しかし、その池袋にはもう三年以上、歌いには出かけてはいない。

 池袋は元気だろうか。。

 東京に住んでいる人にとっての「池袋」の印象は、どんなものであろう。

 西武池袋線と東武東上線につながる大きな街だろうか。。

 ・・・・

 僕にとって、特別の想いのある「池袋」の街。20才の頃の切ない気持ちとも重なっている。

 西武デパートとPARCOの前の歩道を、仕事帰りに買い物に出かけた自分が見えてくる。

 新宿よりも渋谷よりも、もっともっと身近で大きかった街。

 そして今、池袋にほとんど寄ることはなくなってしまった。

 「新宿」「渋谷」「池袋」と大きな街の代表ではあるけれど、どうして、なかなか寄ることがないのだろう。

 「いけぶくろ」と声に出して発音するとき、どんな街よりも僕は切なくなる。そして嬉しい気持ちにもなる。

 ・・イケブクロヨ、ゲンキカ?

 本当に山手線に「池袋」の街が今もあるのかなとか思ってしまう。

 若かった頃には戻れないと思ってしまうように。。

 いつか池袋の街を君に案内しよう。


「20曲1時間」'06.1/12

 ここ最近ずっと、サイモン&ガーファンクルのベスト盤を聞いている。

 二枚組40曲入り。一枚平均60分。ヒット曲も多く入っている。

 パソコンのそばで、かけ続けているが、あっというまに曲が過ぎていってしまう。

 どの曲もよく知っていて、楽しみながらもアルバムが進んでゆく。

 気がついてみれば、10曲、15曲、20曲と進む。

 一曲平均3分かな。短いといえば短いが、作品はどれも十分に楽しめるアレンジになっている。

 そして僕が驚くのは、1時間に20曲も聞いてしまっているということだ。

 それもどの曲も、ちゃんと聞いたという記憶もある。

 僕がライブで歌うときは、1時間で10曲くらいが平均だ。

 もし1時間で20曲もきいたら、そうとうに満足するだろう。

 満足しすぎるかもしれない。

 ・・・・

 1時間に20曲、あきないで聞かせるのはさすがだ。

 まるで、ガチャガチャで次々とカプセルが出てくるようだ。

 不思議なのは、まだ10曲くらいかなと思っていると、

 20曲聞いていたという事実。



「春夏秋冬」'06.1/9

 久し振りに「'70年代フォーク特集」のビデオを見た。

 その中にあった、泉谷しげるの「春夏秋冬」の歌。

 '72年の作品。'72年といえば、僕はまだ小学生。フォークにのめり込むちょっと前だった。

 中学に入ってすぐの頃、あれは土曜か日曜の午後、僕は買ったばかりのラジオから、泉谷の「春夏秋冬」を聞いた。

 「♪季節のない町に生まれ〜、風のない丘に育ち・・」

 生ギターで弾き語られるその歌が、ラジオから流れたとき、なんともしみじみとして良かった。

 得も言われぬ感動がそこにあった。

 (フォークっていいな・・)

 人それぞれ、思い出の歌というものはあるけれど、ラジオから聞いた歌は印象深いであろう。

 その感動は一回きりのものだった。ラジオから流れてきた「春夏秋冬」。

 それ以降、何度もラジオで聞いたし、レコードも買ったし、自分でも歌ってみた。

 いつもいつも思う事は、あの最初に聞いた気持ちを忘れたくないという事。

 たぶん今でも「春夏秋冬」をラジオで最初に聴いたら、同じ気持ちになるだろう。


「幻のバンド名」'06.1/7

 ひそかに憧れているネーミングがある。

 バンド名で「我車」(がしゃ)。

 漫画 雑誌の「ガロ」は、もしかしたら「我路」から来ているのではないか、ずっと前のことだけれど、思ったことがある。(その根拠はなし)

 そのときに一緒に「我車」も思いついたのだ。日本的なバンドだ。個性が強力なメンバーそろっているのが特徴だ。

 でもまあ、考えただけで、実際は付けるわけでもなく、そのままになっている。

 これもずーーと前の事、辞書をみていたとき、「三差路」って、なんていい響きの日本語の言葉なんだろうと思った。それもバンド名にいつかしようと思ったものだった。こちらは、静かめの演奏をするユニット。

 どちらも幻のバンド名である。実際にそう付けたいなぁと思ってもみたが、実現からは遠かった。

 すでに組まれて音源もあるバンドならば、思い浮かべるのも固定されるが、幻のバンドならば、想像力もひろがる。

 イメージの中はメンバー、イメージの中の演奏、イメージの中の曲目、そしてアルバム。

 彼らはイメージの中では、名作アルバムを数枚残している。

 ほんとに素晴らしいバンドだ。・・・「我車」。

 僕はときどき思い出したように、幻のバンド名を言葉にしてみる。

 それは誰も知らないバンド名。


「広かった10才」'06.1/4

 みんな、10才の頃、どんなふうに過ごしていただろう。

 僕は10才の頃、洋楽ポップスに熱中していた。五つ違いの兄が洋楽が好きだったのだ。

 シングル盤を買いにゆくのが僕の役目。町のレコード屋さんに、通った通った。

 毎月発表されるベスト20は、いつも暗記していた。

 ラジオで聞くわけではなく、僕の楽しみは家にある買ってきたシングル盤だ。

 一年で、15枚くらい買ってたのかな。

 僕の洋楽ライフは、それがすべてだった。A面もB面もほんとによく聞いた。

 どの曲にも熱中した記憶がある。そしてどの曲もヒットした歌ばかりである。

 はずれなんてなかった。レッド・ツェッペリンの『移民の歌』は最高だった。。

 ・・・・

 先日、その頃の歌が聴けるインターネットのサイトを見つけ、いろいろ試聴する事ができた。

 大好きだった、それらの歌の数々。

 中学時代も高校時代も、東京に出てきてからも、ずっといろんな音楽に熱中してきたけれど、

 今思えば、10才の頃の音楽ライフは、とても広い野原だったような気がするのだ。

 中学時代はラジオカセットの中か。高校時代はソングブックの中か。。

 10才の頃、僕は洋楽の夢中だった。それはとてもとても広かった。

 みんなは、何に夢中だったのだろう。

 それは広い野原ではありませんでしたか。


「小さくて広い店」'06.1/2

 ここから歩いて5分ほどのところに、 コンビニエンスストアーがある。

 もうちょっと近いと良いと思うのだけれど、あるだけでもありがたい。

 そこには一応何でもあるという意識がある。

 もう通ってから約8年ほど。最近、ふと気が付いた事があった。

 それは、コンビニエンスストアーにしては、ホント小さな店内だったということ。

 印象的には、もっと大きかったはずなのだ。

 一応「セブンイレブン」だし、品揃えの少ないとは思えないが、やはり店は大きくはない。

 最近、駅近くに出来た「セブンイレブン」は、三倍くらいの広さがある。

 自分の中では、そのくらいの広さの印象だった。

 それだけ役だっていたという事だろう。

 もしかしたらコンビニエンスストアーには、大きさがないのかもしれない。

 印象と言う、大きさなのかもしれない。

 さて、新年になった。僕も、小さいながらも広い店になりたいと思う。

 それも8年くらいしてから、その大きさに気が付くような店になりたい。


「ドアを叩く人」'05.12/31

 今日はたしかに、午前中に郵便屋さんが来るはずであった。

 そんな事もすっかりと忘れ、僕はビデオ編集をずっとしていた。

 ちょうど『今日の人』という僕の歌を見ていた。

 その歌詞のフレーズには「♪♪今日の人はたずねて来る。誰のドアもノックせずに・・」というのがある。

 その歌は気に入っているので、大きめの音量で聞いていたら、ドアが叩かれたような気がしたのだ。

 玄関の方に行ってみると、誰がいるような気配はない。

 気配はないけれど、念のためドアを開けてみると、そこには郵便屋さんが立っていた。

 郵便屋さんは、いろんな音で出てくるってわかるのかな。

 でも僕は、来たような気がしただけなのだ。

 それはほんのかすかな、かすかな音だった。それも「誰のドアもノックしない」という歌を聞いていたときだ。

 僕の友達で、「なんとなく」という言葉をいうと、怒る友達がいる。

 「なんとなくって、いったい何なんだよ!!」と。

 その友達の辞書には「なんとなく」はないのであろうか。

 小さくドアを叩く人もいる。大きな音を聞いているときもある。

 それが、どんな状況であっても、僕は玄関に向かうだろう。

 大晦日。今年もあと少し。

 向かう場所がある。


「バスの向かうところ」'05.12/29

 この話は前にも書いたかもしれない。

 西武線の野方駅で降りたときは、僕はバスに乗って高円寺駅まで乗る事が多い。

 たいがいは夜。バス停には、そして二三人。

 野方始発になるバスも多いので、今夜はバスには最初、僕一人で乗っていた。

 どこに座ってもいいけれど、僕はたいがい後ろの席のちょっと手前、右側の方に座る。

 いつもそうだ。その席が落ち着くからなのだろう。

 高円寺駅までは、10分ほどで着いてしまうけれど、

 僕にとっては、それは「バスに乗っている時間」なのだ。

 今日や昨日ではなく、どこかに向かっているわけでもなく。。

 この話は前にも書いたかもしれない。

 そんな気持ち。そんな巡る気持ちがバスにはある。



「オーケストラと詩作品」
'05.12/26

 昨日は、久し振りにオーケストラを聞きに出かけた。

 交響曲や組曲を聴いていると、自分でもこんな大仕掛けの作品が文章でも作りたいなあと思ってしまう。

 その出だしや、途中の流れを聞いていると、過去に多く書かれてきた「長編詩」を思い出した。

 大正から昭和にかけて、そして外国詩の多くに、ぎょうぎょうしい出だしで始まる詩がある。

 僕はあまり長編詩は読めるタイプではないのだけれど、今思えば、それらは交響曲や組曲と似ていたと思う。

 クラシックの音楽を、詩で表現したのかな。

 それなら、そう言ってくれれば、僕もそれなり読めたのに。。

 しかし、ほとんど詩の文体が、古典的な言い回しの響きを感じてしまう。それが似合っているといえば似合っているが。。

 たしかに交響曲や組曲と、長編詩は似ている。似ているけれど、同じようには味わえないと思う。

 そこがもったいない。でも、どうやったらうまく言葉にのせることができるだろう。

 それは詩と文章の課題だ。僕もいつかオーケストラのような作品を書いてみたい。


「GIFT」'05.12/23

 先日、友達の初バンドライブを聴きに出かけた。

 五曲ほど一緒にやっていたのだけれど、どの歌も実に丁寧に演奏されていた。

 それはクラシックコンサートとも似ていて、楽曲が第一メインの存在であった。

 演奏者はみな、歌の中に入って演奏しているようである。

 まるでどの楽曲も、僕らへの贈り物(GIFT)みたいだった。

 丁寧に丁寧に箱に入り、リボンもついた素敵なGIFT。

 GIFTの箱の中には、素敵な楽曲の贈り物。その贈り物の中にまた住んでいる演奏者たち。

 僕の場合はいつも、楽曲という贈り物を小脇に抱えて、みんなに手渡しているようである。

 贈り物を届ける側で。。

 歌の中にいるようで歌の外にいるのかもしれない。

 一枚のキャンバスがあり、僕らはいつも外から筆をつかう。

 もし絵の内側から描けたなら、生命を感じる絵になるだろう。


「冬・あがらない手のバイバイ」'05.12/20

 今年の冬は、いつもにもまして寒い。

 北国生まれの僕は、東京に出てきたとき、冬もそんなに寒くないなと思っていた。

 あれから25年。ジャケットひとつで過ごして来た冬も、最近はコートを着ている。

 「寒い寒い」と言ってはコートをはおるけれど、数年前までは、もっと薄着だったのだ。

 東京は寒くないと思ってきたのに。。

 ・・・・

 思い出すのは、小さい頃の冬の恰好だ。

 セーターを着て、ジャンパーを着て、その上にふかふかのアノラック。

 そして長靴、股引、雨スボンに手袋。マフラーに帽子。その上にまたすっぽりとかぶるアノラックの帽子。

 風邪もひいたりしていて、マスクもしていたかもしれない。そして鼻水。。

 雪かかたわらに積もっている学校の帰り道、その道々の角で友達に手を振った。

 「パイパーイ!!」

 でも厚着をしすぎていて、手が途中までしか上がらないままで手を振るのだ。

 着ぶくれアノラックだるまと言う感じかな。

 今もきっと北国の子供たちは同じであろう。

 冬ってそうだった。それが冬 だと思いたい。


「みごとだったおじさん」'05.12/16

 僕も仕事で、数多くの家を訪ねることがある。(営業ではなく)

 一応、この道、17年である。

 知らない人と話すわけであるから、最近はなかなか話が進まない事も多い。

 今日、昼間たまたま家ないたら、電気の安全点検のおじさんがやってきた。

 ブレーカーだけ見ていったのであるが、そのキャラクター、そしてそのスピード感、すべてがみごとであった。

 迷惑さを感じさせないうまさは、すばらしかった。

 本人は気付いていないかもしれない。数多くの家を訪ね長い事やっていると、

 何でも極められてゆくようだ。

 言葉には表現しがたい。

 僕も多くの家を訪ねる。踊りの師匠さん、お寺さん、易者、宗教の人、etc

 もちろんだが、みんなそれぞれに雰囲気を持っている。

 本職ともなれば、吸い込まれてゆくようなうまさがあるのだろう。

 たぶん、はじめから隙がないんだろうなぁ。

 今日来たおじさんは、じつに見事であった。ほんの2分の話ではあるが。

 同業者のような僕がすっかり、時間を奪われてしまった。

 ・・・・

 江戸時代、いろんなひき売りの人たちが道々に来ていたであろう。

 ついつい魚を買ってしまう魚屋、ついつい食べてしまう蕎麦屋、

 会ってみたいものだ。そのうまさを見てみたい。


「なくなった水族館」'05.12/13

 もうずいぶんと前の話。

 僕の実家のある新潟の小さな町に小さな水族館があった。

 それも僕の実家から100メートルくらいの神社の続きに。

 そこは海のそば。

 色鮮やかな夏飾りが揺らめく中、小さな水族館があった。

 小さいと言っても、そこそこは大きい。

 僕は家が近所だったせいもあり、毎日のように水族館のそばで遊んでいた。

 水族館には、アイスキャンデーも売っていた。ラムネバー。10円。

 ウミガメの標本もあった。大きな水槽もあった。入場料は25円だったかな。

 僕が気付いたときから、そこには水族館があった。

 ・・・・

 しかし、その水族館は僕が小5の頃、営業をやめてしまった。

 そしてしばらくは、そのまま水族館はそこにあった。

 そのそばの神社で遊び続けていた僕ら。

 入口の大きなガラス戸から中をのぞくと、ウミガメの剥製がまだ残されていた。

 1年2年、やがて水族館は古びた建物のようになった。誰かがガラスを割ってしまっていた。

 たとえ営業はしていなくても、まだそこにあった水族館。

 小さな町にあった水族館。僕の家の近所にあった水族館。

 やがては取り壊され、そこは空き地になった。

 ・・・・

 僕は今日、あの、なくなった水族館の事を思っていた。

 もうどこを探したって見つからない。

 見つからないけれど、きっと、僕はあの水族館になりたいのだ。

 もうどこにもなくて、ここにあるもの。


「空飛ぶ枕」'05.12/11

 この世では信じられないことも起きるものである。

 僕は空飛ぶ枕を発見した。

 その枕を抱きしめていると、空中に浮いてくるのだった。

 しかし、ちょっとでも迷いが出てくると、すぐに下に降りて来てしまう。

 そのバランス具合が難しい。

 この枕さえあれば、移動もなんとも楽で楽しい事であろう。

 僕は、その枕を抱きしめながら、ずっと飛んで行った。商店街を、近くの路地を。。

 そのうち、いろんな欲望が出てきた。

 この空飛ぶ枕を発売し、特許を取れば、僕は大金持ちになれるだろう。

 この先の人生、いろんな事も出来るだろう。

 しかし問題は、この枕の飛び方が、みんなが出来るかどうかだ。

 そうやって、僕は浮き沈みいろいろ実験しながら、枕で飛んでいった。

 気が付いてみれば、もちろん夢であった。

 久し振りの枕を、たまたま昨日、出したのだった。

 お金持ちになる夢は、はかなく消えた。

 しかし、この枕は本当に空飛ぶ枕だったかもしれない。



「35年振りのNEWアルバム」
'05.12/8

 ヴァシュティ・バニアン新しいアルバムが、35年振りに届けられた。

 ヴァシュティ・バニアンは、女性であり、イギリスにて'70年にたった一枚だけアルバムを発売した、よく言われるところの「伝説のシンガー」だ。

 そのファーストアルバム「jist Another Diamond Day」は、素朴な弾き語り調のサウンドと独特の澄んだ声で、多くの人の宝物とされてきた。

 もうずっと音楽活動とは離れていたヴァシュティ・バニアンであったが、インターネットが始まった頃、

 自分の音楽のファンが今も多くいることを知り、また歌を作り始めたという。

 そして、35年振りに発売されたNEWアルバム。

 発売に合わせ、音楽雑誌にもインタビューが載っていて、その中でこの35年の話が語られていた。農家での子育てや動物たちの世話、そして町での生活。

 アルバムが届き、そして歌が流れたとき、なんだか35年振りにどこかで再会したような気持ちにもなった。

 可笑しなことだが、僕がファーストアルバムを聴いたのは、ほんの数年前の事である。

 35年振りのNEWアルバムは、ほぼ同じ声で歌われていた。メロディーラインは、すぐにヴァシュティの作品だとわかるものだった。

 何か驚かすと言ったわけではなく、出来上がった作品を納めたという印象ではあるが、なんともそれは自然である。

 アルバムからアルバムへ。それは35年振りにまた会ったようだ。

 そこはきっと、ステージやテレビの中ではなく、ふつうのどこか美味しいTEA HOUSEで。


「そんなとき、こんなとき」'05.12/5

 今日、帰り道にハンバーグ屋さんに寄った。

 そこには、普通のソースと辛口ソースがある。

 辛口ソースは30円プラスになっていて、チケットのそばに30円を別に置くのだ。

 通称「ソース替え」。

 「ソース替えでお願いします。」「ハーイ」

 そして待つことしばし、コックの人が声をあげた。

 「あ゛〜!!」

 見れば、ハンバーグに普通のソースがかけてあった。

 事態はすぐにわかり、僕は言った。

 「いいよ、いいよ。」

 しかしコックさんは、「すぐ作るから!!」と言った。

 結局、また待ってしまった。

 そんなとき。こんなとき。

 コックさんよ。素直になって欲しいな。

 僕が、いいよって言っているんだから。

 単純に。


「20年の値段」'05.12/2

 昨日、立ち食いそば屋さんに入って、値段をしみじみ見た。

 メニューを見てもちろん注文するのだ。そこにある、かけそばの値段。

 東京に出てきてからいろんな立ち食いそば屋さんに入ったなぁ。

 昨日、入った店はかけそばが240円だった。

 僕が東京に出てきた'79年は、かけそばが150円だった。

 それから25年はたっているけれど、まあ20年という事にしよう。

 この20年間が90円。90円の間の20年。

 立ち食いそば屋さんのおじさんはきっと、かけそばの値段とともに、思い出が巡ってくるのかもしれない。

 東京に出てきたときの値段は、なぜかよく憶えている。

 銭湯が180円。(たしか・・)、西武池袋線の初乗り運賃70円(これはまちがいない)

 国鉄初乗り運賃(これは忘れた・・100円?)、牛丼の並300円(350円だったかな・・)

 ・・・あんまり憶えてないじゃん。

 ほんとは25年たったけれど、まあ20年ということで。

 で、思い出してみると、最初の値段と今は比べられるけれど、

 その途中はまったく思い出せないのは、なぜだろう。


「20年前の今」'05.11/29

 今は、新しく知り合った人とメールアドレスを交換したりします。

 20年前なら、手帖に住所と電話番号を書いてもらいました。

 留守番電話がなかった頃は、駅の改札で待ったりしたこともある。

 インターネットがまだ無かった頃は、情報誌を見て、友達のライブに出かけました。

 今日の話は、時代が変わって便利になったなぁとか、昔の方が人間的だったなぁというテーマではないんです。

 もしも20年前が今だったらという話です。

 20年前に知り合った友達とは、やっぱり今が20年前でも知り合っていたいと思うのだ。

 たとえ、コンピューター文明の中であっても、やっぱり同じ人と知り合っていたい。

 知り合っているはずだ。

 20年前が今ならね。

 それぞれに携帯電話を持っていたりして、活動的な人は自分のホームぺージを作っていたりして、

 カセットテープり代わりに、MD(ミニディスク)にダビングして渡したり、

 ライブ情報をメールで送ったりして、掲示板に何か書き込んだりして、、。

 僕らは出会っていただろう。

 ホントだよ。ホント。

 うまく説明はできませんが。


「美味しい店」'05.11/27

 同じ場所に今、二ヶ月に一度仕事で通っている。

 節約という事もあり、なるべく外食はさけているが、その場所の美味しい馴染みの店につい入ってしまう。

 いつも心はこう思うのだ。

 (またここに来るのは二ヶ月後になってしまう。今日、食べなくちゃ、いつ食べるの?)

 そして、ふらふらとお店に入ってしまう。

 それは、その日だけではない。その前の日も、その前の日もだ。

 結局、そんなふうにして毎日、どこかの店に入ってしまう。

 それはなぜか人生でとても大事な事のように思えてしまうのだ。

 そうやって僕の食生活は保たれている。

 仕事先だけではない。たまたま降りた駅でも、つい美味しかった店に入ってしまう。

 たとえ財布の事情が厳しくても、その駅で降りるのは何年も先のような気がしてしまうのだ。

 長い事、生きていると、そういう店が多くなった。

 どの駅で降りても、そんな美味しい店が一軒はある。

 いつのまにか、増えたものだ。。

 これからもっと増えていくだろう。

 そうやって僕の健康は維持されてゆく。


「待っていた場所」'05.11/22

 久し振りに町の弁当屋にて、弁当を買ってみた。

 店の前の端に置いてある小さな椅子に寒そうに座り、出来上がるのを待つ。

 カップルがそばを通っていった。子どもをつれた母親が通っていった。

 注文した弁当が出来上がるまで、僕はこの椅子から動くことはできない。

 たとえどこかに行きたくても、動くことができない。

 それは5分か8分か、、その間にも世界は変わってしまうけれど。。

 この時間。この待っている時間は、僕の中で'80年代を代表しているような気がした。

 町の弁当屋がブームで出来はじめたのは、たしか'80年代最初のはずだ。

 「ほっかほっか亭」「ほっかほっか弁当」など。。

 僕もよく待って買ったものだ。寒い冬の日も。それは'70年代には無かった時間。

 「'80年代を代表する時間」は、「弁当屋で待つ時間」のような気がする。

 そう思ってみると、各時代には、その時代を代表する待っている時間があるのではないか。。

 '70年代ならなんだろう。'90年代ならなんだろう。

 僕にとっては'70年代は「自転車のパンクを直してもらった時間」かな。

 それはちょうど、僕が10才の頃から始まっている。'70年代だ。

 しかしこれは'70年代を代表する時間ではないかもしれない。

 知らず知らずのうちに、誰もが待っていた時間。

 時代を代表する、待っていた場所。 

 '80年代はもう見つけたよ。


「めぐり変わり」'05.11/20

 先日、中野の大通りを歩いてみたら、とても懐かしい気分になった。

 大きな寝具店や甘味屋さんなど、僕が東京に出て来た'80年代最初の町のようだった。

 その頃もよく、いろんな町を散歩したけれど、どこもだいたい同じ感じの商店街の姿があった。

 (どこも、変わらないなぁ・・)と、いつも思っていたものだった。

 その頃は、その頃にとっての現代の商店街だったのだろう。

 僕の住んでいる高円寺の町も、どんどん古い店が無くなっていってオシャレな店に変わってきている。

 ヘヤカットの店や、若者向けファションの店、ドラッグストアー、100円ショップや、ラーメンチェーン店など。。

 きっと、どの町に行っても今は同じなのかな。

 代々木の町を歩いたとき、一軒の古いとんかつ屋に入った。そこは昔ながらという店であった。

 通りを眺めてみれば、新しい店が列んでいるなかで、逆にそれはひとつの良さになっていた。

 特に古い老舗ではなく、'80年代ならどこにでもあった店なのに。。

 駅前のそばには古い金物屋さんもあった。

 それも懐かしいなぁと思うけれど、金物屋さんなんて、どこにでもあったはずだ。

 シンプルに言えば、昭和の商店街ということかな。

 大きな家具屋さん、金物屋、小さな本屋さん、小さな文具屋さん、他、、普通の店なのに。。

 '80年代の商店街は、ひとつの懐かしい風景になってしまったのだ。


「サイン」'05.11/16

 中学・高校と、僕は自分のサインを考えた。

 そのサインはだんだんと簡素化され、みごとなデザインとなった。

 僕は帳面のいたるところにそのサインをした。

 買ったばかりの帳面の裏にもサインをした。

 ある時、ボブ・ディランの新譜を買ったら、ジャケットの中にサインが書かれてあった。

 僕はボブ・ディランのサインをそっくりに書けるようになった。

 ディランのサインと僕のサインを並べてみたりした。

 僕のサインはなんて傑作なんだろうと惚れ惚れしていた。

 いつかそのサインを世界中の町で書き残す予定であった。

 そのサインは世界を旅する予定であった。

 予定ではあったのだが、なぜかそれは幻になった。

 東京に出てきて、僕はサインを変えてしまった。

 というかサインなんてする機会なんてなかったのだ。

 今は、普通に自分の字で名前を書くだけになった。

 ・・・・

 でも、今だっていつだって、あの考えたサインは実はそのまま書ける。

 僕しか書けない、幻の世界的スターのサイン。

 サインがある。


「人生のあるところ」'05.11/14

 パリの道には、人の名前が付いている事が多い。

 マックス・ジャコブ通りとかね。。その詩人と縁が深かったのかなと思う。

 道になるっていいな。僕も道になりたい。。

 ・・・・

 最近は、いろいろとやることも多くて、まるで明日を急いでいるような毎日が多い。

 でも、明日に急ぐなんてきっとできないんだ。

 たぶんね。いつどこで何を見ていても、そこはきっと人生の中。

 夕方、部屋までの帰り道は、昨日と変わらないようだけれど、きっといつ歩いても、そこは人生の中。

 人生を歩いているのだ。

 世界の果てで、広い空を眺めても、きっとそこは人生の中。

 さて、人生ってどこにあるの?

 僕の中から始まって、宇宙の果てまで?

 それも本当かな。

 時間だってそうだ。時計を何度見たって、何度見たって、いつも人生の中。


「携帯プレーヤーを二倍楽しむ方法」'05.11/11

 '79年にソニーのウォークマンが発売されてから、もう25年以上たった。

 携帯プレーヤーの歴史は長い。最近では、MP3プレーヤー人気になっている。

 振り返れば、僕もまたずっと携帯プレーヤーを愛した一人だ。

 (これだけ毎日、聞いているのだから、歌詞を憶えられないのはなぜかな?)と、思ってみた。

 それはきっと僕が聞いているという事をしているからで、一緒に歌ってみればいいのではないか。

 音楽と一緒に歌ってみた。それはよくある話だ。

 どうせなら、ハーモニーをつけて歌ってみてはどうか?

 するとどうだろう、まるでライブで一緒に歌っているようだ。

 これが意外と面白くて、感動的だ。

 どうして、今まで気がつかなかったのだろう。

 そんなふうにできるって、気がつかなかったのは、僕だけ?

 携帯プレーヤーだけじゃない。レコードを聴きはじめた頃から、ハーモニーで歌ったことなんてなかった。

 いつも同じメロディーで歌うだけだった。いつもいつもそうだった。

 ハーモニーで歌ってみると楽しいな。(笑)

 いまさら何をいう感じかもしれませんが、、。ぜひ、お試しあれ。


「20年前から来た人」'05.11/7

 久し振りに東京に遊びに来た友人となじみの道を歩いてみた。

 友達は20年振りにその道を歩いている。

 「ここ稲生座の通り?」「ちがうよー」「そっか」

 友達は、ふだん僕が気付かないような事をいろいろ言う。

 その感覚はよく伝わってきた。

 逆に僕が彼の町を訪ねても同じ事を言いそうだ。

 20年前もあった店、あれから新しく出来た店、思い返してみる。

 僕もまたその当時の道を歩いているようだった。

 北海道から東京に来た彼はこんなふうに言った。

 「飛行機はまるでタイムマシンのようだな」と。

 人類はまだタイムマシンの発明に到達してはいないが、

 タイムマシンのような人がやって来る。

 20年前から来た人。

 その人と、町を歩いてみた。


「やっとマフラー」'05.11/2

 11月2日、冬には、もう少しという感じだ。

 しかし、町にはマフラーを巻いている人をもう見かける。

 ・・いいなぁ。

 僕はマフラーが大好きなのだ。

 マフラーと帽子にコーデュロイジャケット、この三点セットで冬の僕は出来上がる。

 と、言うか、もともとここにいたような気がする。

 帽子も好きだしね。

 マフラーをどんなふうに愛すればよいのだろう。

 あの左右非対称なバランスをどう愛すればよいのか。

 考える人みたい・・。

 冬だしね、考える人にもマフラーを。

 マフラー。

 僕にとってマフラーは、詩の文庫本のイメージがある。

 軽くて、どこでもそばにいてくれて、秋になると戻ってくるのだ。

 あと少し、あと少ししたら、マフラーを巻こう。

 そして文庫本もポケットに。

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