青木タカオ「ちょっくら・おん・まい・でいず」

「最近の事」過去ログ'05.8〜10月

「眠るギター」'05.10/31

 ほんのちょっとだけ、こんな話を。

 生ギターは、使いこめば使い込むほど、たいがいは良い音になる。だいたいその目安は10年。。

 10年たって、やっと鳴り出して、本当に味のある音が出てくるのは20年目くらいからだろうか。

 誰がそう言ったというわけではないけれど。。

 僕の友達は、「新品で買ったときが一番、良い音なんだ」と、力説する。

 さすがに20年以上弾かれたギターには、物語を感じる。新品ギターには、それはないものだろう。

 さて、どんなギターが味のある音というのか、その定義は微妙であるが、見た目というのも大きく関係しているだろう。

 それは人の顔の表情にも似て。。

 僕らの声もまた、年齢とともに味のある声にはなる。それと似ているのか。。

 ・・・・

 さて、生ギターには、どうしてもさけられない問題がある。

 それは、低音が良くなるギターは、その分、高音もこもってしまう。高音がきれいなギターは、もちろん低音の響きは薄いものだ。

 買ったばかりのギターは、なんだかどこか物足りない。

 たぶん何十年かかけて、そのどちらかの足りない部分を、ギター自身がおぎなってくるのであろう。

 マジックが加わると言うか。。

 きっとそのとき、ギターの目が開き、世界が見えてくるようだ。

 そしてたぶんそれまでは、眠っているのだ。

 眠っているけれど、ステージに立ち、部屋で弾かれ、ツアーにも出る。

 10年。ほぼ10年ほど新品ギターは眠り続ける。それはもうしかたがない。

 誰かが10年、弾かなくてはならないのだ。

 そしてやがては、ギターは目を持つ。世の中が見えてくるのだ。

 (ほほう、ここがライブハウスか・・)

 最初の10年を、弾き続けてくれた人には感謝。本当に感謝。

 そしてギターの長い旅は続く。


「古ギター屋」'05.10/27

 住んでいる町に、小さな中古ギター屋さんがある。

 そこに飾られてある一本のギターが僕をひきつけている。

 もう半年以上。。

 いい音で鳴りそうなそのギターは、なかなか売れないでいる。

 すぐに売れてもいいのにな。

 そのギターはかなり弾かれた様子である。

 その事だけでも、このギターの良さが僕には伝わってくる。

 伝わってくるのだけれど、さて、どうしたものか。

 いいギターも何本も持っているし、どれも壊れていないし。。

 その店を通りかかるたびに、(まだあるかなぁ) と、思って眺めてみる。

 そして最近、列んで吊り下げられてあるそのギターもまた、

 僕に気が付いているような気がして来た。

 そのギターの良さは十分にわかっているのに、なぜ僕は買わないんだろう。

 単純にお金の話である。そこが憎いのだ。

 ああ、何かのきっかけで買えたらなあ。。

 お店の人が僕を呼び止めて、そっと、

 「欲しいギターがあるんですか? よかったら、ものすごく安くしておくますよ・・」と言ってくれないかな。

 まるで中学生の頃の気分だ。あのとき、早く大人になりたかったのになぁ。

 また今、中学生に戻るなんて、、ああ。。


「久しぶりの人」'05.10/25

 今日はバイト代も入ったので、念願の古い中華屋に入った。

 と、急にそう言われてもわからない人もいると思う。

 簡単に言えば、古い中華屋の良さを最近になって気がついたのだ。

 いつもの通り道なのに、すっかり入り忘れていた中華屋さん。

 僕が高円寺に引越して来た頃は、よく入ったものだったのに。

 ガラス戸の古いドアを押して入ってゆく。まったく変わっていないなぁ。

 たぶん5年振りかな。おじさんも同じだ。

 僕は店に貼ってあるメニューの紙を見て驚いた。

 それはホントにもう茶色になっていて、ここ10年以上はそのままのようだ。

 ラーメン400円。野菜炒め400円。

 もしかしたら、僕が初めて入ったときから同じ値段なのかもしれない。

 少なくともこの10年は一緒の値段であろう。

 50円くらいづつ、どんどん値上がりしているとと思っていた。

 どうして、値上げしなかったんだろう。テーブルもそのままだ。

 もう70才ちかい老夫婦がやっているのだが、ぜんぜん年をとったようにも見えない。

 この10年があったような、なかったような。。

 僕はニラレバ炒め定食を食べた。スープの味が懐かしいな。

 古い中華屋さんは、ずっと待っててくれたのだ。

 あのときと同じメニューの値段で。

 眺めているメニューの張り紙もきっと一緒であろう。

 同じ張り紙を見て注文。ここにある今の時間。

 ・・・・

 お店を見回して変わった事がひとつあった。それはテレビが新しくなった事だ。

 そのブラウンカンテレビは、僕が思うに、一番色のいいテレビだった。

 僕もそのテレビを買った。中華屋さんも買った。

 (わかってるなぁ・・)と、つぶやいてみました。

 僕がお店を出たあとで、きっと二人はこう言っていたでしょう。

 「あの人、久しぶりだね」「うん」


「時間の中の時間」'05.10/23

 駅まで来ると、一時間早い事に気がついた。

 さて、一時間をどこかでつぶさなければならなくなった。

 久し振りに本屋さんに寄り、本を買い、珈琲を飲んだりして、なんとか40分が過ぎた。

 あと20分か。。ゆっくりと街を散歩してゆく。

 こんなゆっくりとしたのは、どれくらい振りなんだろう。

 一時間、まちがっただけなのに。。

 部屋にいるときの一時間とどうしてこんなに長さがちがうのか。

 僕が忘れてしまった時間は一時間手前のあたりを流れているようだ。

 (なーんだ、そんなところにあったのか・・)

 もう戻って来ないと思っていた時間。

 小さい頃、僕の実家の柱時計はいつも15分進んでいた。

 僕はいつも、15分戻して時計を見ていたけれど、

 ホントは、普通に見てて良かったのだろう


「セーターのような商店街」'05.10/18

 もうすぐ冬だな。

 高円寺の純情商店街の入口に近日、大きなコンビニエンスストアーがオープンする。

 店の奥まで行くのに一分くらいかかりそうだ。広すぎるなぁ。

 何でもそろってしまいそうだ。 商店街の入口で何でもそろってしまうって、君、それでいいのか?

 それから先の商店街はいったい何のため? 

 ・・・・

 そう、もうすぐ冬なんだ。

 まだコンビニエンスストアーがなかった頃、僕らは学校からの帰り道、いろんな商店に寄っては帰った。

 文房具屋、菓子屋、本屋、スポーツ用品店、etc。。

 冬の帰り道ならば、どの店も暖かかった。僕のメガネはいつもくもる。

 消しゴム一個でもよかった。コーラ一本でもよかった。

 今日のテーマはコンビニエンスストアーではない、セーターの話だ。

 田舎の商店街の店は、家とつながっている事が多かった。

 「ごめんください」と呼べば、テレビのついてる奥の部屋から店の人が出てくる。

 「はい、いらっしゃい」

 秋から冬にかけては、みんなセーター姿だ。

 今思い返せば、セーターのような商店街ではなかったか。

 また、商店街は僕らのセーターようではなかったか。


「自転車走り」'05.10/15

 昨日、自転車をかなり飛ばした。

 それも現場から帰ってきて、また同じ現場へと。。

 トホホな話ではあるが、訪ね忘れた場所があったのだ。

 それも片道が全速力で25分。約一時間半、走り続けてしまった。

 まあ、それでもそんなに疲れたような気はしなかった。

 自転車とは、なんとも奇妙な発明である。

 同じ距離を走ったり、歩いたりするよりはエネルギーの消費が少ないのではないか。

 小学生の頃、実は競輪の選手に憧れていた事もあった。

 歩道ではなく車道に出て、どんどんスピードを出してゆく、 

 まるですべるように。。

 普段の5倍以上のスピードが出ているような気がした。

 30分のところ10分くらいで行ける気がした。

 超スピードとはこの事か!!

 しかしそのとき、後ろがブロロロとエンジン音が聞こえた。

 ふつうのおじさんバイクが、あっとゆうまに僕を追い越していった。

 (あれれ、こんなにちがうものかな・・)

 僕が風のように走っているというのに。。


「ひとりぼっちの気分」'05.10/12

 小学三年生のとき転校生がやって来て、僕の友達になってくれた。

 その転校生によって、今の僕は開発された。

 あのバカ騒ぎの日々。。

 小学二年までの僕は実に静かだったのだ。いつでも、ぼんやりとしていた。

 どこにいても、どこにいても、ただほんやりとしていたのだ。

 とても、さびしい気持ちで。。教室では先生が何かしゃべっていた。

 みんなと列んでも、僕はいつもはしっこだった。

 誰に叱られたわけではないけれど、まるでひとりぼっちの気分だった。

 ただそこにいたのだ。

 そして転校生のあいつが来て、僕の人生が180度変わった。

 それからはずっと忙しく、何か夢中になりながら、はるばるとした時間がたってしまった。

 しかし最近、通勤電車に揺られていると、僕はまるで小学二年の頃に戻ったような気分になってしまう。

 あのときもそうだったなぁ。。

 僕は転校生を待っているのかな。


「創作部屋」'05.10/11

 以前、テレビで、ある日本のフォークシンガーの特集をしたことがあった。

 その人は、唄を作るとき、屋根裏部屋に行き、創作していた。

 ペダルの付いたサイクルマシンがあり、それをこいだりして歌を作るという。

 そして唄が出来上がると、奥さんに来てもらい聞いてもらう。

 「もう、ずっと、こうして作ってますから」と、彼は笑う。

 僕も、そんな創作部屋が欲しいな。

 そして、出来上がるまで降りて来ないのだ。

 電話もつながらず、外部との接触はない。

 なかなか一人暮らしだと、それは難しい。

 入口のドアのところに、喫茶店の「営業中」の札のように、「創作中」の札を出しておくかな。

 そうすれば、ドアを叩く人も少ないだろう。これはアイデアだ。

 訪問販売やどろぼうさんも避けてゆくだろう。

 まあ、それはいいとして、創作部屋は欲しい。

 朝からはじめて、夜には降りて来よう。

 その唄のことだけを考えて。。


「楽しみの必要」'05.10/7

 一日は24時間。

 その中で、僕の一番楽しい時間がある。

 それは、仕事が終わり、デジタルオーディオプレーヤーのスイッチを入れるときだ。

 液晶に出てくる曲名を見ながら、どの唄を聞こうかと考える。

 たぶん、このプレーヤーの発明は、20年先であってもいいくらいだ。

 それを今、味わえるなんて、、。

 どんなに仕事が大変だった日も、この小さな発明品は僕を幸せにしてくれる。

 まだ持ってない人は、やがては同じ気持ちを体験するだろう。

 一日のうちには、こんな楽しい気持ちが必要だ。

 僕にとって、それはデジタルプレーヤーであるけれど、さて、君は場合は何だろう。

 思い返せば、小さい頃から、何かにいつも夢中になってきた。

 それはマンガ本であったり、ギターであったり、ラジカセだったり、、

 アルバムだったり、連続ドラマだったり。。

 デジタルプレーヤーは、どんな時も僕を幸せにする。

 それで、僕の日々はかなりバランスがとれている。

 エジソンが今の時代に、もし夢で会うことがあれば、

 きっと、デジタルプレーヤーをさげているだろう。


「柱時計とメッセージ」'05.10/4

 柱時計は、もちろん定期的にネジを巻いてあげないと止まってしまう。

 日頃から気をつけてはいるが、忙しいと、つい巻くのを忘れる。

 止まっている柱時計は淋しい。。

 そこで、柱時計の下に張り紙をしてみた。

 「日曜の朝に巻く事!!」と。

 約一週間そこに貼ったあと、来客のために、僕はその紙をはずした。

 さすがにちょっとだけ恥ずかしかったのだ。

 一度、はずしたあと、(またつけておこうかな・・)と、思ったけれど、すっかり忘れそうにない事がわかった。

 柱時計を見るたびに、その張り紙もまた見続けていたのだった。

 さすがに覚えてしまった。

 日々の目標や、約束事は、柱時計の下に張ると良いのだ。

 柱時計でなくても、いつもよく見る時計のそばで良い。

 一日に何回も確実にみるはずだ。朝、起きたときから、夜、眠る前にも。。

 そして、いつのまにか覚えてしまう。

 この素晴らしい小さな発見を、何に役立てることはできないのだろうか。

 とりあえず、僕はぜったい忘れないと思える場所を、

 この部屋でひとつ見つけた。


「遠くへ行きたい」'05.10/2

 と、いう番組を、関東地方では日曜の朝にテレビでやっている。

 「♪♪しらな〜い街を歩いてみた〜い・・」。同名タイトルの唄が流れる長寿番組だ。

 土曜日の朝にやっていたら、ほんとに出かける人も多いだろうなぁ。

 日曜だと、遠くまでと言っても限界が。。

 番組タイトルも「遠くへ行ってみた」の方が、びったりかもしれない。

 ・・・・

 「遠く」というのならば、海外に行けば、すごく遠いという事だろうけど、さてそれは遠くなのか。

 まあ、その話は別として、その週に紹介された街に住んでいる人たちには、「近所」ということになるだろう。

 それを「遠くの街」として紹介されるのは、、どこか無理が・・。

 逆に、東京のディズニーランドとかも、その街からすれば「遠く」となるだろうに。。

 ・・・・

 小さい頃、海沿いに住んでいた頃もあり、どこまでも沖へ泳いでみる事があった。

 そんな時は、いつも浮き袋を持ってゆく。

 はるか沖まで来て、「ああ、遠くまで来たなぁ・・」と実感したものだった。

 「遠くへ行きたい」の番組も、出発の街から始めれば旅の実感もあるだろうに、、。

 あの番組はいったい何年続いているのだろう。

 それ自身が、遠くまで来ているということだけれど。。


「鼻歌SONGS」'05.9/28

 ふと気が付けば、鼻歌が足りなくなってしまった。

 英語の歌、外国の歌を口ずさむのもいいけれど、最近は心が日本語に向いている。

 鼻歌がないというのは、僕にとっては、かなりの危機だ。

 やばい、、。

 同じ商店街を歩き過ぎてしまった。

 鼻歌の町には、なくなる店も出てくる。

 そろそろ新しい店もオープンしないと。。

 待っていても、なかなか新しい鼻歌の店は増えてはいかない。

 自分で、どんどん作るしかない。

 それは、自分の生命の危機からだ。

 ああ、コアラに新しいユーカリの樹を。。

 僕という生き物は、鼻歌がないと死んでしまう。


「はなさんのペン立て」'05.9/25

 昨日、HHKにて「百歳バンザイ」というシリーズ番組をやっていた。

 その回は、はなさんというおばあさんが、牛乳パックでペン立てを作り、みんなに配っているという内容であった。

 百歳を越えてもまだまだ元気な、はなさん。日課のひとつが、牛乳パックでのペン立て作りだという。

 みっつほどの高さの違う牛乳パックをうまくつなげて、回りにはきれいな和紙を貼って出来上がりだ。

 ペン入れの上の方は補強され、和紙の模様もよく、大きさも立派で、売り物にも十分になる作品。

 ひとつ作るのに約30分かかり、もう7000個は作ってきているという。

 はなさんの通うスーパーのレジの横にそのペン立てはあった。

 はなさんの行きつけの整体治療の病院の先生の机の横にも置かれてあった。

 「とても便利なんですよ〜」と、みなが口をそろえて答える。

 デイサービスセンターで、子供たちがやってくるとき、はなさんはおみやげにペン立てをあげていた。

 もう7000個も作っているというのだから、そうとう数の人が、はなさんのペン立てを持っていることになるだろう。

 牛乳パックの方は、仲良しのおばあさんが定期的に届けに来てくれるという。それはもう乾燥も終え、すぐにでもペン立てが作れる状態になっていた。

 その牛乳パックを見たときの、はなさんの嬉しそうな表情。

 ・・・・

 はなさんのいる場所は、たぶんここから遠く、とある小さな町の話であろう。

 どの家に遊びに行っても、「はなさんのペン立て」を見かける町。

 この先、何十年もそれは机に置かれているであろう。

 やがて大人になった子供たちが、また子供に話し伝える。

 「これは百歳を越えた、おばあさんが作ったんだよ。」

 とっても便利で、和風で、長持ちして、立派な、リサイクルのペン立て。

 「はなさんのペン立て」は、教科書の載ってもいい話だ。また、そのペン立てを、そう名付けてもいい。

 今、2005年の9月、「はなさんのペン立て」で、インターネット検索をしても、一件も出てこない。

 不思議だ。。しかし僕には予感がする。

 いずれ誰の部屋にも「はなさんのペン立て」は届くであろう。


「12弦ギターおじさん」'05.9/22

 12弦ギターの弦を交換した。

 この12弦ギターは、数年前に買ったものだが、

 実は20年以上前、12弦ギターを一年ほど弾いたことがあった。

 すっかり忘れていた。。

 ・・・・

 18才。新潟から東京に出てきて、僕は会社の寮に入った。

 二段ベッドがふたつ並ぶ狭い部屋。そこに置かれてあった一本のギター。

 「あっ、12弦ギター、、」

 「いくらでも、弾いていいよ」

 「そうすか!!」

 ボディはメイプル材で、クリーム色のギターだった。

 12弦ギターは初めてだったが、その音色にしばらくは魅了された。

 高校時代のレパートリーや、ただのポロポロ弾き、そして新曲も作った。

 10年くらい前に製作されたギターであり、いい音で鳴ってくれた。

 今、思い返せば、わがままな僕を迎えてくれた、やさしいギターおじさんではなかったか。

 寮の近くにあった札幌みそラーメンのおじさんや、毎日通った深夜スーパーのレジのおじさんのように、

 上京したての僕のこころの居場所になってくれた、あの12弦ギターおじさん。。

 ・・・・

 今はどこにあるのだろう。あのメイプル材の12弦ギターは。

 どこかの押入れにあるのかな。遠い思い出のひとつに僕もいるのかな。

 よくテレビで再会番組があるけれど、

 ぜひ、僕はあの12弦ギターと再会してみたい。

 「お久しぶりです!!」


「古い喫茶」'05.9/20

 中央線に、古い画廊喫茶がある。

 店内では、クラシックがいつもかかっている。たぶん古いレコードであろう。

 僕は友達とお茶をするときは、たいがいはその喫茶店にゆく。

 商店街から入った、奥まったところにあり、なかなか人目にはつきにくく、

 いつも、ひと組ふた組の人がいるくらいだ。

 僕が気に入っているのは、この喫茶があまり混んでいないところ。

 そして話声が、みな静かなところ。

 初めて入ったのは、もう20年以上前であるけれど、ほとんどそのままだ。

 だけど古くなったような気がしないのはなぜだろう。

 まるで、当時のまま時間が止まっているようだ。

 店内にかかっているクラシックのレコードの音。

 どこにスピーカーがあるのかなと思っても、探すことができない。

 壁そのものから鳴っているように聞こえてくるのだ。

 とてもやわらかい音で。

 喫茶店全体に木が多く置いてあるせいだろうか。

 何十年もかけ続けたせいだろうか。


「走ること〜9/15の話(3)〜」'05.9/18

 「無我夢中」と言う言葉がある。

 「気が付けば、走り続けてた数年間でした」とコメントする人もいる。

 座り込み深く考えるよりも、走った方が良い場合もあるのではないか。

 昔は人はきっと、何か悩んだとき、がむしゃらに走ったにちがいない。

 ・・・・

 僕はその日、夜に待ち合わせがあり、ほとんど早足で外仕事をしていた。

 頭もフル回転で、限界に近いスピードで足もがんばった。

 それでも、待ち合わせにはぎりぎりで、最後の5分は走ることになった。

 やっと、ひと息ついて休んでいると、いつもの悩み事を思い出した。

 しかし、すぐに答えのようなものが浮かんでくるのがわかった。

 それは僕がずっと考えていて、答えの見つからないものであった。

 考えもしない考えがひらめき、そうかもしれないと僕に思わせた。

 まるで頭のどこかにあったもののようであった。

 実は、答えはもう用意されているのではないか?

 ・・・・

 水戸黄門や遠山の金さんは、数多くの名裁きをくりひろげた。

 石原裕次郎もまたボスとして、難事件を解決した。

 そんなふうないろんな名解決を僕もテレビ見てきたのだから、

 頭のどこかにそれは解決法として、ストックされているのではないか。

 シャーロックホームズのような名探偵として。。

 そして名探偵はひらめく。僕が、がむしゃらに走ったのならば、きっと。


「夜6:50分の待ち合わせ〜9/15の話(1)〜」'05.9/16

 その日僕は、友達と午後6時50分に、NHKの前で待ち合わせをした。

 7:00からFMの公開録音があり、お互い仕事がぎりぎりで10分前の待ち合わせとなったのだ。

 観覧ハガキは友達が持っているので、僕が遅れても友達が遅れても、だめなのだ。

 「お互いなんとか、がんばりましょう」とメールを前日にメールをしあった。

 ・・・・

 僕は外仕事をしているが、その日はとても忙しくなる予定があり、いつもより1時間も早く家を出た。

 それもすべて、渋谷NHK前6:50分に間に合わせるためだ。

 数多くの待ち合わせを、まるで職人のようにこなし、緻密な時間計算のもと、計画どうりに仕事をしていった。

 しかしそれでも、いろんなトラブルもあり、現場ラストの1時間は超スピードにて仕事をこなした。

 早すぎて音もあまりしない。まるで忍者みたいだ。昔の忍者もきっとこうであったろう。

 自分のすばやさに、びっくりしてしまった。でも、さすがにへとへと。

 時間どおりに現場仕事は終わり、次の事務所に戻っての事務仕事となる。これもまた猛スピードで処理。

 5:30分過ぎには出社することが出来た。これで、待ち合わせはばっちりだ。

 疲れたけれど、我ながらあっぱれだった。

 ・・・・

 6:30分過ぎに渋谷到着。渋谷のマップも持っているし、余裕もあるかな。15分もあれば着くだろう。

 (楽しみだな)

 そこでちょっと気が抜けたのであろう。なぜか迷子になってしまった。

 それでも、あと10分もあれば着くはずなので、余裕であった。(マップで場所確認するかな、、)

 探してゆくと、、、うわっ、、方向が反対じゃないか。それももうひとつ、場所が不明だ。

 (どうするよ、、あと5分ちょっとしかない)

 僕は感覚のすべてを使い、マップの中を急いだ。それでもまだ場所は不明。

 (この状況、どうするっペ?)。まさか、こんなことになるなんて。

 もし間に合わなかったら、今日のすべてはなんだったんだ。友達も心配しているだろう。

 そして最後の最後、僕は走ることになった。どこかで横に曲がるのだが、それがわからない。

 そこでまちがえたら、もうだめだ。。

 (ここか? 、、いや一本先にしてみよう・・)

 勘はみごとに当たり、待ち会わせの郵便局が見えてきた。時間は6:50分ちょうど。

 僕は間に合った。友達が手を振っていた。

 今日はそういう日であった。

 間に合うためには、このラスト5分はきっと必要なのだろう。


「骨董屋」'05.9/13

 ずっとシャッターのしまっている骨董屋が、開いていた。

 もう10年以上、そこを通っていて、一度も開いていたことはなかったのだ。

 (おっ、珍しいな・・)

 たぶん倉庫として使用しているのだろう。そこに並ぶ骨董品の数々。。

 僕は用があり、ある確認をするために店主と思われる人を呼んでみた。

 「すいませーん」「はーーーい」

 店の奥で返事をしてくれたお兄さんは45才くらいかな。

 薄い髭をたくわえ、ジーンズをはいて、頭にはバンダナを巻いていた。

 10メートルほど奥にいたのだけれど、そのお兄さんの優しそうな感じがよく良かった。

 まるで懐かしい人にあったみたいに手をあげてくれる。

 「ちょっと待っててね〜」

 そして店先で僕はお兄さんと少し話をしたのだけれど、なんとも始めてではないような気持ちになった。

 まるで、、骨董品を眺めているような気持ち。。

 何があの兄さんをそうさせたのだろうか。

 毎日、骨董品を眺めているとあんな表情になるのであろうか。

 それとも、もともとそうだったから、骨董収集を始めたのであろうか。

 それはわからない。わからないが、ほぼ骨董品と一緒の空気感があった。

 時間が存在しないというか、、。時を越えているというか、、。

 僕もいつかあんなふうになりたいものだ。


「今、作っている店」'05.9/9

 高円寺、純情商店街の入り口のところで、新しいお店を作っている。

 (・・不二家のあったところ)

 毎日、作っているので、何のお店だろうなぁと、楽しみに帰り道に眺めている。

 数日前、なんだかスーパーのような白い棚が並べられたあった。

 (あれ、コンビニエンスストアーかな、、)

 これは僕にとって、大きなひとつの夢とつながっている。

 ふふふ。それは100円スーパーだ。

 アルバイト先の墨田区では、かなり100円スーパーにお世話になっている。

 (いいなぁ、、高円寺の僕の帰り道にもあったらなぁ)と、願っていたのだ。

 しかし、こんな駅前に100円スーパーが出来たりするだろうか。

 ちょっと無理があるな。

 今日、通りかかったら、なんだかテーブルを作っていた。まるでバーカー屋さんのような。

 (えーっ。)

 でも、まだ僕は望みを捨ててはいない。だんだん出来てゆく新しい店舗。

 確実に夕方には、進んでいる。明日もまた進んでいるのだろう。

 何の店が出来るかは、まだ不明であるが、これだけは頼む。

 がっかりだけはさせないで欲しい。


「ボイスチェンジャーマシン、ここにあり。」'05.9/5

 ・・奇跡のような話が今、部屋で起きている。

 この話をするにはまず1970年頃に戻らなければならない。

 その頃、ボイスチェンジャー付きのステレオが売り出されていた。

 今では、「声を変える」というふうに使われてはいるようだけれど、僕が知っているのは、、

 レコードの声が消える装置だった。演奏だけになり、自分がボーカルで歌えるのだ。

 「なんて、すばらしい!!」

 小学生だった僕は、感動的にこの事実を受けとめていた。

 その「ボイスチャンジャー」付きステレオはやがて姿を消したけれど、僕の記憶の中に深く留まった。

 それからまた20年ほどたって、ソニーより、やはりボーカルが消える機械が、一万円ちょっと出ているのを知った。

 「よし、買うぞ!!」

 僕はすべての憧れを込めて、その機械を買った。しかし、説明書にはこう書かれてある。

 「すべてのレコードの声が完全に消えると言うことはありません」と。。

 実際使ってみると、ほぼ消えるものもあるが、残るレコードもかなり多かった。

 演奏だけになるというはまずあり得なかった。なんだかがっかりして、機械はそのままになってしまった。

 そんな僕のボイスチェンジャー物語。

 ◇◇◇

 さて、そんな話をなぜしたかというと理由があるからだ。

 僕は今日、古いモノラルラジオで、アルバムを聴いてみようと、ステレオジャックで、ラジオの「AUX」ジャックにつないでみた。

 予定ではラジオ音質になったアルバムのサウンドが流れてくるはずだった。

 しかし、古いラジオのスピーカーから流れてきたのは、ボーカルがほとんど聞こえない演奏だけのサウンドだった。

 そうそう、例のボイスチェンジャーマシンと同じになっていた。

 それも、以前に使ったことのあるマシンより、相当に良く声が消えている。

 これはどうゆうことだ。何が起こっているのだ。

 そのしくみはまったくわからないが、ボーカルが気持ちよく消えている事は事実だ。

 僕のアルバムなんて、ほぼ完璧に演奏だけになった。こうして聞いてみるとなかなか新鮮だ。

 君に、早くこの奇跡を聞いて欲しい。

 ははん、今、カラオケとして歌ってます。


「あのときのスイカはうまかった!!」'05.9/1

 美味しかったものは、いろんな条件とともにある。

 美味しかった蕎麦、美味しかったカレー、美味しかった珈琲、美味しかった一杯の水、etc・・。

 そして、誰と食べたかで美味しさも変わってくる。きっと個人的なものだ。

 ・・・・

 「そんな当たり前のことを言わないで」とか言わないで、もうちょっと読んで欲しい。

 今、'70年代の日本のフォークのアルバムをよく聞いているのだけれど、その中にいい歌がある。

 それはヒットした歌でもないし、メロディーも歌詞も、そんなパッとしているわけではない。

 でも、自分の中の何かに響くんだよね。

 名曲じゃないかと思ってしまうけれど、それは誰にも言ってない。

  たぶん「えーっ!?」と、言われてしまうのはわかっているのだ。

 自分でもなぜ、その歌がいいのかよくわからないのだ。

 それはいつか見た夕焼けなのかもしれない。自転車で走った川沿いの道かもしれない。

 遠い何かとリンクしているのだ。

 「あのときのスイカはうまかった!!」

 どの歌もきっと、そんな世界を持っている。


「新しい弦」'05.8/30

 昨日もいろいろと思い立って、服を整理したり日記をまとめて書いたりしていた。

 たぶん今の気持ちがそうなのであろう。

 風呂屋からの帰り道、部屋ギターの弦も交換しようと思った。

 ほんと久し振りに、、。たぶん一年半ぶりくらい。

 「そんなぁ、それでギター好きだなんて・・」とか、言わないで欲しい。

 僕は指に汗をかかないので弦はさびてゆかない。逆に、弾いているときれいになってゆく。

 それに古い弦のこもった音が好みにあっているのだ。

 しかし、それでいいものなのか。ギターも新しい弦を望んでいるのではないか。

 もうずっと弦は張りっぱなしだったので、新しい弦にするとどんな音になるのか忘れてしまった。

 ・・どきどきするなぁ。

    ◇◇◇

 新しい弦。

 ギターは新しい弦をどんなふうに思っているのだろう。

 新しい服? それともお風呂に入るようなもの?

 僕は思った。やっぱり新しい歌を歌いたいな。

 僕にも、そんな気持ちのときがある。ギターにもきっとある。

 僕がギターを弾くのだから、ギターも一緒じゃなくちゃね。

 弦が古くなったから、ただ交換したんじゃない。

 新しい弦は、新しい僕の時間。


「武術カメラ家」'05.8/27

 先日、友達が空手専門誌に四ページほど載ったというので、探して見てみた。

 それは、武術のいろいろな構えについての写真で、友達が模範として見本をみせていた。

 「構え」っていろいろあるんだね。「構え」というか、戦い方かな。「蛇のように」とか、そういう感じ。

 何か動物になりきるというのは実際にあるんだな。

 その模範として構えていていた友達は、実にさまになっていた。

 もう何年もやっているので、それもあたりまえなのだけれど、初めてその事実を知った。

 その友達は味があるリアルな「写真」も撮れる人である。

 武術の模範の構えと、カメラで撮るときの姿がなんだかよく似ていた。

 まるで同じであるかのようだ。いや、同じなのかもしれない。

 いままでそんなふうに僕は考えた事はなかったけれど、

 カメラは「気」を写すという事もできるはずだ。

 友達はその人の「気」が自然に出ているときをシャッターを切っているのかもしれない。

 自分の「構え」によって相手の「気」を引き出しているのかもしれない。

 まるで武術のように。。

 そのへんが僕の撮る写真とはちがうところなのだろう。

 僕にはあんなリアルな写真は撮れない。いつも表情とか構図とか気にしてしまう。

 シャッターを押すまでに二秒くらいかかってしまう。

 その間に「気」が逃げちゃうんだな。


「初めてのライブハウス」'05.8/24

 僕は初めてのライブハウスに行くのが好きだ。

 出来たばっかりではなく、できれば五年以上たっているお店がいい。

 もちろん、友達の歌を聴きに行くという楽しみもあるが、お店を訪ねる楽しみもある。

 その夜は、なんだか新鮮で特別な気分で出かける。

 ポケットには、マップのコピーが一枚。

 電車で乗り換え、なかなか降りる事のない駅へと向かうのも、いい。

 駅の改札を出て、さて店へと向かう。マップをにらむ。ほとんどの場合、省略が激しい。

 (なーんだよ、このマップ!!)と、怒りながらも歩き出す。

 ここらへんと予想をつけて、路地を曲がってゆくと、なんとなく看板が見えてくる。

 本日の出演者の張り紙。。通りの向こうに見える中華屋さんの明かり。

 細い階段を登ってゆく、壁にある張り紙。その響く靴の音。

 そんへんから、僕の楽しみが始まる。多くの人たちが、みなこうして訪ねてきたのだ。

 お店のドアを開ける。その一瞬もいい。

 客席がある。ステージがある。マスターがいる。唄う友達が座っている。

 ドリンクをカウンターで交換して、好きな椅子に座る。

 まあ、当たり前ですけど。。

 お店の中を見回す。ステージの飾り物を見る。張ってあるポスターやアルバムジャケットを見る。

 かかっている音楽にも、もちろんお店の個性は出る。

 ステージから歌が自然に届いてくるようになるには、それなりの時間と年月が必要だ。

 そこに何かしらお店の築き上げてきたものがある。照明のバランスもある。

 友達がステージに出てきて、唄い始める。こんな感じで聞こえるのかと、感心する。

 スタッフの人もいる。PAの人もいる。みんな何かの縁で、この店で働くことになったのであろう。

 友達の友達が、またひとりと聞きにやってくる。

 僕は椅子に座り、まるで演劇を観ているような気持ちでいる。

 そこにはひとつひとつストーリーがあり、どれも30分ドラマをきっと作れるだろう。

 初めてのライブハウスを訪ねるのは、こんなふうに楽しい。

 それは小さな演劇の夜のようだ。


「ひとまわり」'05.8/22

 お腹すいたなぁ・・。

 と、自転車に乗って、夜にラーメン屋さんに出かけたのだけれど、やっぱりやめてしまった。

 では何を?

 と、そのまま街を走ってみた。もちろん、食べ物屋を探して。

 一本向こうの商店街を行けば、知らない間に知らない店ができていた。

 しばらく来ない間に、爬虫類を扱う店が出来ていて、人気を博していた。

 ショーウインドーには「ウーパー・ルーパー」や、見たこともない亀。。

 ちょっと通りを出れば、謎のリサイクル店が出来ていた。

 寄ってみれば、中古ギターがずらり。。その奥には、なぜか大きなウクレレがずらり。。

 またちょっと行けば、旭川ラーメンの店もオープンしていた。

 結局、お腹はすいているのに、何を食べるわけでもなかった。

 手頃な店がなかったのだ。持ち帰り寿司屋さんが見えるけれど、高そうな気がしてやめてしまった。

 このまま走って、セブンイレブンに行ってしまいそうだな。。

 何のためのひとまわりだったのだろう。

 夜道には、明かりがついていて、引っ越して来た頃によく寄った家具屋さんに横を通っていった。

 自転車に家具ボックスをしばりつけて運んだよなぁ。

 あれから、8年はたってしまった。夜風は涼しく吹いている。

 僕はまるで、こうしてずっと自転車に乗っていたようだ。

 新しさと古さはきっとこうして、めぐっているのだ。


「ふたクラス」'05.8/20

 先日、実家に帰ったとき、小学校では一学年に今、ふたクラスなのだと知った。

 僕らの頃は、6クラスあったので、すごい激減だ。

 クラスだけではない、町内の同級生というのも、ほとんどないという。

 えーっ!?

 住んでいる町も過疎化が進んでいるのか。そんなふうには全然、思えないが。。

 もしかして兄弟が少ないということかな。みんなひとりっこかふたり。。

 町内に同級生がいないというのも寂しいことだ。

 同級生こそ命ではないか。親友となれるのは、やっぱり同級生だ。

 幼なじみも同級生ではないか。。

 さて、クラスの話。ふたクラスというのは、でも、良いことかもしれないとは思う。

 5〜6クラスともなると、クラス替えのときに、また同じクラスになるということが難しかった。

 ふたクラスならば、また同じ友達とも一緒になり、仲も深まるだろう。

 みな兄弟のようになり、学校にゆく事が楽しいだろう。

 そして幼い頃の心のつながりも深まるだろう。

 しかし学級委員の人は毎回選ばれてしまうかもしれない。それはかわいそうだ。

 それはぜったいかわいそうだ。

 学校も使わない教室とかできているのかな。

 そこにいない生徒たち。いない生徒たちの机と椅子。・・それはないか。

 と、いうことは中学も人数が少ないのだろう。

 担当の先生って、余らないか。。

 そんなことをつらつら考えながら、新幹線で東京に帰ってきた。

 実は、ショックだったんだ。


「犬がこわがるから」'05.8/17

 たしかにそれは当たっていた。

 僕は仕事で、とある下町の工場の中をいつも通りぬける。

 その細い通路に犬がいるのだ。

 ほぼ10年、何事もなく歩き抜けてきたが、ここ半年ほど吠えられまくり、かまれまくっている。

 工場の人はいつも隣の部屋で休んでいて、声をかけても、「うちの犬はかまないよ」と、言われるばかりだ。

 しかし何度訪ねてもだめだ。しかたなく家の人が出てきて、犬を移動させてくれた。

 「おたくが怖がるから、犬も怖がる。うちの犬はかまないんだよ!!」と言われた。

 次のときも同じ言葉を言われた。

 へんな文法のようだが、論拠はしっかりしている。

 たぶん、そのとおりだ。

 だって、10年間は吠えなかったし、とても大人しい犬だったのだ。

 僕が怖がるから、犬も怖がる。僕が怖がらなければいいのだろう。

 長靴の上からではあるが、かなりの回数かまれていると、さすがに怖がってしまう。。

 どうすりゃ、いいの?

 ムツゴロウさんのように、かまれながらも「オシオシ」と言えばいいのか。

 前回はあきらめて、他の人が工場を訪ねた。

 「犬、吠えたでしょう。」「いえ、ぜんぜん」

 ・・がーん。

 もう少ししたら、また今月もその工場を訪ねる。

 今回こそ、怖がらずにがんばってみよう。


「はだしのゲン」'05.8/14

 昨日、コンビニエンストアーに寄ったら、漫画「はだしのゲン」の分厚いコミックが二巻売られていた。

 それは最近発売されたもので、500ページで650円というものだった。

 8月ということもあり、思わず買ってしまった。

 「はだしのゲン」は戦争批判、広島原爆の悲惨さをゲンという少年を通じて描いたものだ。

 少年ジャンプに'73年より連載されていたものだ。その前から同じテーマの漫画は発表されていて、

 僕はリアルタイムで、読んでいた小学生だった。

 あれから30年たったけれど、この漫画はますます輝いているように思える。

 内容のテーマはリアルな戦争であり、少年漫画誌に連載が続けてられていたことはかなりの奇跡に近い。

 僕はずっと読んでいたけれど、ちゃんと受け止められていたし、テーマもわかりやすかった。

 ナイロン袋に分厚い「はだしのゲン」の二冊を入れて歩いてゆくと、その価値の大きさが伝わってくる。

 今、そしてこの先もずっと「はだしのゲン」は読まれるべきなんだと思う。

 ・・・・

 作者の「中沢啓治」さんと「ゲン」少年は重なっており、その経験をもとにストーリーとなっている。

 「あとがき」を読んでわかったのだが、被爆当時、中沢さんは小学一年生だったという。

 そのストーリーは、記憶をよみがえらせて描かれたものであろうが、僕には驚きだ。

 それほど強烈な出来事の連続であったのだろう。

 僕も小学三年くらいからは、とてもよく憶えていて、エッセイを書いたりしているけれど、

 あの頃の僕がエッセイを書いているようでもある。

 ちょうどその頃から、「中沢啓治」さんの戦争漫画を読んでいた。

 とてもわかりやすく、同じ体験のように感じられた。

 子供の感覚と近く描かれているからだろう。

 今回、読んでみて、それがとてもよくわかった。


「トンボに会わないと」'05.8/11

 都心だと、真夏でもほとんどトンボに会うことはない。

 ほとんどどころか、限りなくゼロに近い。

 全国の友達よ、これは現実だ。

 新潟にいた頃は、もちろん僕は虫とり少年であり、

 道でトンボに会えば、必ず目で追っていた。

 あの空気中に止まりながら、さっと移動するトンボ。

 夏、僕はいつもそのバランスを感じていた。

 シオカラトンボ・ムギワラトンボ・オニヤンマ・ギンヤンマ。。

 たぶん、僕の夏はトンボのように、道に浮いているのだ。

 なんとかその軽さで、毎年の夏を過ごしてきたように思う。

 東京に住んでもう長いけれど、僕は夏に負けはじめている。

 トンボに会わないと、僕の体はどんどん重くなってしまう。

 缶ジュースの炭酸が、僕の体をふにゃふにゃにする。

 夏の盛り、あのトンボの軽さが必要だ。


「スティーヴ・フォーバート・ミッドサマー・ナイツ・トースト」'05.8/9

 と、いう歌がある。アルバム試聴

 '79年発売かな。アルバム「アライヴ・オン・アライバル/スティーヴ・フォーバート」の中の一曲だ。

 ニューヨークに出てきて、弾き語りを続け、そしてデビューしたスティーヴ。

 それは20年前の'61年にギターとともにやって来た、ボブ・ディランのストーリーとも似ている。

 歌もよく似ているが、スティーヴらしい個性がみごとに現れているアルバムになっていた。

 その年、僕は東京に出てきた年で、このスティーヴのアルバムを聞いて、

 そして身近な友のように感じでいたのだった。

 この歌はフォーク風でありながら新鮮なビートがあり、よく作ったなぁと感心させられた。

 歌詞の内容はだいたい、こんな感じだ。

 ・・・「ここにいろいろな街の雑多なものがあります。そして同時に虹の夢もあるのです。」

 ・・・「私はこの街の崩れ落ちてるところを探しています。そして私の虹の夢も探しているのです。」

 僕はこの歌を訳し、自分の経験した事柄に、いろいろ置きかえて歌った。

 ストリートで何度も何度も歌い、ライブでも何度も歌った。気持ちはありあまるほどあったはずなのに、

 どうしても、うまく歌えないのだ。なぜだろうと思う。

 タイトルに、スティーヴ・フォーバードの名前も入っているせいか。。

 今日、街を歩きながら、イヤホンでこの歌を聴いていて、なんとなく理由がわかった気がした。

 それは、ぎゅ〜と濃縮されたバンドの音と、スティーヴの歌の間にあるすきまが出来ているのだ。

 そのすきまにある空気が、この歌のなんともいえない良さを出しているとわかった。

 それはスティーヴが夕暮れのニューヨークの街を歩いた後を、

 ゆっくりと追いかけてくる虹の夢のようなのだ。


「カメラを忘れる日」'05.8/5

 昨日、ライブがあった。急いで部屋を出たものだから、途中で忘れ物に気がついた。

 カメラだ。

 もう一度戻るには、ちょっと部屋から離れすぎてしまった。

 カメラを忘れる日。そんなときに限って、いいシーンがあるものだ。

 それは重々に知っている。

 なぜ、そうなのかは知らない。

 昨日のライブもそうであった。どうしても撮りたいシーンがあった。

 しかし、それはしかたがない。それが「カメラを忘れる日」なのだ。

 いままで経験から言っても、いつもそうだ。

 そして昨日は、あるひとつの事に気がついた。

 カメラの忘れた日、僕の目がカメラになってしまっているのだった。

 見ているライブが、一枚の写真のように平たい。

 目には焼き付いているのだけれど、やっぱり写真がない。。

 それがカメラを忘れる日。


「ファンタオレンジ異情」05.8/3

 夏になった。

 自販機の前に立ち、どれを飲もうかなと考える。

 「ファンタオレンジ」にするか「ファンタグレープ」にするか。

 並んだ缶を見て僕は決めようとするけれど、その昔はビンだったはず。。

 僕の友達は「ファンタグレープってなんだか飲みたくなるよね」と言った。

 「うん、そうだね〜」と、そのとき僕は答えた。

 しかし、実際は「ファンタオレンジ」の方がより好きである。

 もちろんグレープも好きではあるが。。

 まあ、オレンジとグレープの話はここまでにして、、

 まだ缶ではなくビンが主流だった頃、

 そこに鮮やかなオレンジ色のジュースがあった。

 「ファンタオレンジ」。飲んでみれば、シュワっとする炭酸飲料。

 オレンジといいながらも、ちがう飲み物。

 果汁という雰囲気で炭酸ジュース。

 グレープよりオレンジが好きなのは、たぶんオレンジの方が先だったからだろう。

 学校前のお菓子やさんで、ビンのファンタオレンジを選んでは飲んでいたけれど、

 何、健康に良かったものか。。

 なぜ、オレンジも入っていないオレンジを飲んでいるのか。

 そんな疑問がなかったわけではない。大ありだ。

 でもきっとその不思議さが好きだったのだ。


「電球を買ってくる」05.8/1

 大きくてまんまるな電球が切れたので、帰り道、改札を出てデパートへ向かった。

 いつもと変わらない町の姿。広告付きのバスが走ってゆく。そして焼き鳥や呼び声。

 今日の昼の空は日差しが暑く、夏本番であった。夜になって、僕は帰り道をゆく。

 最近、あるひとつのイメージがやってきて、僕はそこに向かってどうにか進もうとしている。

 どうやって、そこにゆけばいいのか。それはまだ全然わからない。

 まず、言葉やメロディーやフレーズや、楽器の音色をひとつずつ探さなくてはいけない。

 ギターの弾き方も開発しないといけない。曲の構成も見つけないといけない。

 今は見えない形ではあるけれど、イメージだけはしっかりと持っている。

 こんな嬉しいことってあるかい?

 どんなときも、どんな場所でも、僕はそのことを考えることが出来る。

 ものすごくよく飛ぶCDを作りたいな。

 そんな気分のまま、僕はデパートの電気製品売場にて、

 大きなまるい電球をひとつ、レジに置いた。

 こんな買い物もいいものだ。

エッセイ・インデックス最近の事」へ

「最近の事・過去ログ '05月5月〜'05年7月まで」

「ちょっくら・おん・まい・でいず」の本編に戻る

TOP   Jungle