工房トップへ

チェンバロ製作史概観・少し詳しいチェンバロの話

チェンバロの起源はとても古く、残された図像や文献ではなんと1400年の少し前まで遡ることができるそうです。 それはともかく、博物館に現存する楽器では最古の記銘を持つものが1515-6年フィレンツェ製イタリアンです。 一方、下限はロンドンのカークマン工房の最後のチェンバロが1809年製だそうです。

いわゆるバロック音楽の区切りが1600年から1750年ですからチェンバロの歴史は意外なほど長いのです。 したがって外観も仕様も、そして音も多岐にわたっており、年代や様式をある程度系統的に把握しておく必要があります。

図中の点線で囲った部分は「原型」に発し各地に拡散してゆく「原型的系統」の流れです。それに対して右側はリュッカース一族が確立した新しい「フレミッシュ様式」の流れです。


上図中の文字をクリックすると解説の該当個所へリンクしています。


解説


原型 archetypeワイマールの不思議の本c.1440

チェンバロの歴史をさかのぼると、1400年代の絵画資料や1500年代初期に作られた多数の遺品にたどりつく。
初期のチェンバロにはスピネットから受け継いだと思われる構造上の特徴が多く見られることから、チェンバロはスピネットについで、楽器としての地位を築き始めたと考えられる。
楽器の成立に由来する原型的特徴は一方で純化されてイタリア様式となり、一方で初期北方型として大陸各地へと拡散してゆく。

イタリアン

アウターケースから出したところ

横田イタリアン
16世紀初め頃にいちはやく完成されたイタリア様式のチェンバロは、薄い糸杉材で作られた細長く軽やかな胴体をもち、美しく純化されたチェンバロの原型と言えよう。装飾を凝らしたアウターケース(外箱)に収められていることが多い。(右図) 8ftのみまたは8ft+4ftのレジスターを備えた例も見られるが、後には8ft+8ftが標準となり、18世紀末にいたるまでイタリア各地で、他の様式からの影響を受けずに製作され続けた。一段鍵盤がほとんど。

初期北方型

ミュラー1537

「アルプスの北側」つまりイタリア以外で作られた現存する最古のチェンバロは1537年ライプチヒのミュラー作(右図)だが、同じ頃つくられた多くの無銘のスピネットが残っている。いずれも一見イタリアンと似ているが、それよりずんぐりとしていて、機構や構造も独特の「原型的」様式感をもっている。
その後、17世紀を通じてドイツ諸都市は製作史の表舞台から全く姿を消してしまう。しかしフランス、イギリスそしてフランダース等で活躍した製作家のなかには、あらゆる時代にドイツ起源の名前が非常に多くみられる点が興味をひく。

プレリュッカース・フレミッシュ

リュッカース以前のフランダース

カーレスト1548

1世紀以上にわたりフランダースのチェンバロ製作を支配したアントワープの「聖ルカ組合」に、最初に加盟したチェンバロ製作家は「ケルンのハンス」であった。その子、カーレスト作のスピネット(右図)は、ライプチヒのミュラーのチェンバロと多くの様式的な共通点をもっている。「聖ルカ組合」のテーヴェスがロンドンで製作したチェンバロもスピネット的な構造を多くもっており、やはり「原型的」である。 
一方、初代ハンス・リュッカースの結婚証人であったファン・デァ・ビースト作のヴァージナルは、すでにリュッカースとほぼ同じ構造をもち、注目に値する。

リュッカース
初期フレミッシュ

横田ミュゼラー

横田リュッカース
16世紀末から17世紀前半にかけてフランダースのアントワープでリュッカース一族が大活躍する。 厚板による構造法を採用し、仕様、用材、装飾仕上げの規格化など、徹底した合理化と分業化を図り量産に成功する。一族はおよそ1000〜2000台ものチェンバロやヴァージナルを製作したといわれている。 このリュッカースが確立したチェンバロの新しい様式は、その活躍地に因んで「フレミッシュ」と呼ばれる。
リュッカースはまた「ミュゼラー」と呼ばれる暖かい音のする新型のヴァージナル(右図)や、移調二段鍵盤チェンバロも多数製作した。
しかしリュッカースの鍵盤音域は C/E-c³ のわずか45鍵が標準で、弦列は8ft+4ftが標準であった。この音域と機能は、鍵盤音楽の発展に伴い不充分なものになり、のちに大胆な改造を受けることになる。現存するリュッカースのチェンバロはほとんどすべて改造を受けており、製作当時の状態を保っているものは極めて少ない。また逆にオリジナルの状態で演奏できる音楽作品も実は意外なほどに限定されている。

初期フレンチ

ティボー1679

横田デリュイソー
「フレンチ」というと普通はフレミッシュの流れをくむ18世紀の華麗なフレンチチェンバロを思い浮かべるが、17世紀のフランスでは、パリのドゥニやヴォードリー、トゥールーズのティボー(右図)、リヨンのデリュイソーらが初期北方型の流れをくむ原型的な特徴をもったチェンバロを製作していた。後述のブランシェ一族も初期にはそのような楽器を作っている。
リュート音楽の表現力をもとめたこの時期のフランスの楽器は G/H-c³ の音域、対比型の二段鍵盤が標準となる。

ラヴァルマン
フレミッシュ・フレンチ

美しくラヴァルマンされたリュッカース

ブランシェ一族をはじめとする主にパリの製作家達は、時代遅れとなりながら、なお絶大な人気を保っていたリュッカースのチェンバロを改造(ラヴァルマン)することに専念するようになる。音域の拡大、音列の増設、移調二段鍵盤チェンバロの対比型二段鍵盤化、さらに仕上げ装飾もパリの好みに合わせて改められた。これらの改造をほどこされたチェンバロが「リュッカース・16…年作」の銘をもつことになる。(右図)
大幅な改造をほどこされた楽器はリュッカースらしさを失うが、楽器としての価値と完成度は改造者の仕事いかんによる。 移調二段鍵盤チェンバロを小改造(プティ・ラヴァルマン)した、 3列の8ftと1列の4ftを備えたドグレグ式二段鍵盤チェンバロは高い完成度、リュッカースらしさを強く残した個性と幅広い表現力をあわせ持っている。

フレンチ

ジュヌイエ付フレンチチェンバロ

クラヴサン楽派を生み出したフランスのチェンバロ製作は、17世紀の保守的なスタイルからフレミッシュのラヴァルマンを経て18世紀のフレンチへと進化し、エムシュ、タスカン、グジョンらが絶頂期のヴェルサイユを背景に一大頂点を築いた。二段鍵盤に2列の8ftと1列の4ft、FF-f³ の音域が標準で、暗く力をもった低音と透明で柔軟な高音をもっている。さらに付け加えられるポ・ド・ビュフル(革で弾くレジスター)による美しい弱音表現やジュヌイエ(膝で操作するレジスター変換装置)による音量の変化への執着はチェンバロの最後の姿でもある。

後期フレミッシュ

デュルケン1747

横田デュルケン
17世紀後半、リュッカース一族の後継者クーシェは次第に拡大された音域と機能をもつ楽器を製作した。 18世紀半ば、アントワープ(のちにアムステルダムおよびブリュッセル)では、ドュルケン(右図)やブルが複雑なレジスター配列をもち、音量音色の変化に富んだ大型のチェンバロを製作した。 しかし、同時期の真正の魅力あるレパートリーに乏しく、現代では標準的なフランス風のレジスター配列に変更して製作されることが多い。(左図)

ジャーマン

ツェル1728

グレープナー1782

17世紀、製作史から全く姿を消していたドイツ諸都市では、18世紀になると多くの製作家が活躍するようになる。 初期北方型の伝統を残しながら、二段鍵盤楽器も多くつくられる。 ハンブルクではフライシャー、ツェル(左図)らが引き締まったスタイルの楽器を作る一方、ハスは16ftや2ftをもつ巨大なチェンバロを製作した。 ドレスデンのグレープナー(右図)、フライベルク、ストラスブールのジルバーマンはクルミ材で地味で重厚な楽器を作った。 ベルリンのミートケはバッハとの関係で名高い。
ドイツではクラヴィコードやベントサイドスピネットも多くつくられた。 そしてフォルテピアノも様々に試みられ、後にドイツ式(ウィーン式)アクションを生み出す。

イングリッシュ

ブロードウッドチェンバロ

17世紀イギリスでは初期北方の流れをくむ楽器もわずかながら製作されたが、多くのスピネット(ヴァージナル)やチェンバロがイタリアやフランドルから輸入された。
ベントサイドスピネット18世紀にいちはやく産業革命をむかえると、台頭してきた市民階級の需要を満たす大量のチェンバロやベントサイドスピネット(左図)が、シュディやカークマン、ヒッチコックらの工房で製作された。 しかしチェンバロの時代は間もなく終わりを告げようとしていた。 シュディ工房のブロードウッドはフォルテピアノの製作をはじめ、のちにイギリス式アクションを完成する。   

現代におけるチェンバロの復活

プレイエルチェンバロ

18世紀末にフォルテピアノにその座を奪われ、大部分のレパートリーとともに忘れ去られていたチェンバロは、20世紀初頭にランドフスカ夫人によって復活を開始する。 夫人は博物館等に保存されていた古いチェンバロの機能に不足を感じ、過去の偉大な作品を再現するために「自身の音楽にとって理想的なチェンバロ」をピアノメーカー、プレイエルに製作させた。(右図) 2段鍵盤に7本のレジスターペダル、そして16ftを備えた鉄骨フレーム入りの「モダン・チェンバロ」は同時にチェンバロ本来の美質を失っていた。 その後様々な「モダン・チェンバロ」がドルメッチ、ノイペルト、アンマー等によって盛んに生産され、「バロック音楽復興」の一翼を担うことになる。
1960年代、レオンハルトやアルノンクールらによる、綿密な考証に基づいた古楽の再構築に際して、古楽器の研究とその復元は重要な役割をもっていた。 ハバード、ダウド、シュッツェ、スコヴロネックらは歴史的な製作原理の研究と古楽器の修復、それに基づいた「歴史的チェンバロ」の製作を通じて「古楽の復活」に大きく貢献した。
横田イベリアン今日、多くの製作家が歴史的楽器をモデルとしてチェンバロを製作している。 しかしときおり耳にする「複製楽器」という言葉には抵抗を感じる場合が多い。 古楽器を複製するのではなく、楽器をつくることを通して、それぞれの時代における美しい響きの理想そのものを追求しているのだから。


チェンバロ製作史概観・系統図へ

工房トップページへ