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自叙伝「ALL THE RAGE」


 「僕らは世界のトップにいると思ってた。行くところ何処でも泣き叫ぶファンの中で演っててさ、もう毎日がパーティさ!」 彼の最初の誇るべきキャリア、スモール・フェイセズでの喧騒を彼はこう回想してます。でも、このセリフ、後のフェイセズのワールドツアーでも、そしてローリングストーンズと活動を共にした時期にでも当てはまるんです。いかに彼がキーボーディストとして常に陽のあたる最高の活躍場所を経てきたことかわかりますね!
 本書は彼本人が書き上げた正真正銘の自叙伝で、エピソードとともに豊富な写真(ロニー・レインが脱退した日の夜の飲み会現場!他)をとともに語られています。 本の購入は、彼のホームページ(http://www.macspages.com)で直接メールオーダーすることもできます。彼の直筆サインがついてくる特典あり。 この本で明かされる彼の華やかなキャリアによって、彼に再び陽のあたる活躍場所が巡ってくれば、と願いたいものです。
 

 

以下の文章は、イアン・マクレガンが彼の自著「ALL THE RAGE」で、スモール・フェイセズ時代について書かれてある内容を要約しています。太字の部分が彼の発言の引用です。


ブルーズ


 スモール・フェイセズ、フェイセズのキーボーディストとして常にサウンドの中心を形作っていたイアン・マクレガンは1945年5月12日、西ロンドンのハウンズローに生まれました。彼は最初からキーボード志向ではなく、好きだったのはギターだったようです。11歳のときに音楽に夢中になりはじめ、バディ・ホリー、エディ・コクラン、エヴァリーブラザーズなどを聞きながらも次第にブルーズへと興味は移っていき、ジミー・リード、マディ・ウォーターズ、ハウリン・ウルフ、サニー・ボーイ・ウイリアムソン、ボ・ディドリー、チャック・ベリーなどに傾倒しピアノも弾くようになっていきます。
 “ある晩、ラジオから「ニューポートのマディーウォーターズ」からの「フーチークチーマン」がきこえたんだ。僕は耳が信じられなかったよ!マディの声が僕をノックアはウトしたんだ、その温かで甘くて・・・でも僕にはそれがジャズなのか、ビーバップなのか、それとも何かなのか分からなかった・・・。”
 “僕はチャックベリーのギターをピアノでやろうと思ってね、オルガンを始めたのはブッカーとビリー・プレストンの影響さ。グリーン・オニオンを聴いたときに絶対こういう風に弾きたいと思ったんだ。”


ザ・ローリング・ストーンズ


 そして彼は運命を左右するバンドで出会う。それが「ザ・ローリング・ストーンズ」友人に誘われて行ったライヴ・パブ「クロウダディ・クラヴ」で初めて彼等を聞いて自分でもバンドをやろうと決意します。
 “鳴り響くベース、炸裂するリズムギター、覆い被さるかのように叫ぶハープが聞こえた。バンドはジミー・リード調にロックしていて、僕の耳を疑うくらいにそいつはイカシテいた。彼等は全員黒人でなく白人で、しかも若くてダイナマイトみたいに爆発的だった。僕はすぐにローリング・ストーンズ・ファンになった。そして翌週からのクロウダディ・クラブの土曜の夜を僕は見逃さなくなったね。”

 



スモール・フェイセズ


 そして彼は自らのバンド「The Authentics」を結成し、アメリカのブルーズマンたち、ハウリン・ウルフ、リトル・ウォルター、サニー・ボーイ・ウィリアムソンU、ヒューバート・サムリン等と共演、マクレガンは父親の援助でホーナーのエレクトリック・ピアノを買いバンドのキーボーディストに納まりました。彼が加入した次のバンド「Bos People」ではザ・バーズの初の英国ツアーのオープニングにもなりました。しかしこのバンドの活動に満たされなかった彼は1965年11月、スモール・フェイセズのマネージャーのドン・アーデンに誘われてバンドに加入します。スウィンドンで行われた彼等の最初の主演ライヴでのことをマクレガンは回想します。
 “僕らはブッカーT&MG'Sのインストの「グリーン・オニオン」と「プラム・ネリー」を演奏した。それはまるで僕らが何年間も一緒にプレイしてきたように順調だった。ケニーはソリッドでラウドなドラマーだし、ロニーはシンプルだけど凄いベースラインを弾いてケニーとがっちり組んでいたね。スティーヴはダイナミックなギタリストで最高にソウルフルなシンガーで成熟した声を持っていたよ。僕らは振り向きもせずにながい時間演奏し続けたんだ。”



オール・オア・ナッシング


 マクレガン加入後、バンドは順調にヒットシングル「シャラララリー」「ヘイ・ガール」をリリース、そして「オール・オア・ナッシング」は全英1位獲得、1stアルバム「ザ・スモールフェイセズ」を発表。この頃が彼等の最初の絶頂期でしょう。
 “1966年のある週なんか10回もギグをこなしたもんだよ。金曜日にウェンブリーのATVスタジオに行って「レディ・ステディ・ゴー」に出演たのが始まりで、それからバーミンガムのプリンセスクラブに行ってプレイして、さらにマンチェスターのホテルに行ってそこでは翌晩と2回も続けてやったよ。でも僕らは世界のトップにいると思ってたから結構楽しかったね、僕らが行くところは何処でも泣き叫ぶファンの中でやっててさ、毎日がパーティさ。”


1967年


 1967年春、バンドは新レーベル「イミディエイト」に移籍、よりスタジオワークに力を入れたアーティスト志向のサウンドを目指し、「スモール・フェイセズ」を6月にリリースします。しかしもとのレーベルデッカ側もいまだ衰えぬバンド人気に便乗して「フロム・ザ・ビギニング」とした編集盤を出してしまいます。
 “1967年の夏ってのは僕たちにとって強烈な時期でね、麻疹にかかったみたいにあちこちのレコードショップで僕たちを見かけたもんさ。シングルの「パターンズ」がチャート上で止まった頃、デッカが「フロム・ザ・ビギニング」をリリースしたんだよ、最近のものから古いものまでの寄せ集めで、大半は未発表曲だった。さらにブッカーT&MG’Sのインストをやった「プラム・ネリー」のラフバージョンに不法にマリオット/レインってクレジットまでしてさ。5枚ぐらいはシングルが入ってたかな、1stに一度入ってる「ホワッチャナ・ゴナ・ドゥー・アバウト・イット」とかね。デル・シャノンの「悲しき街角をレコーディングしてる時、マネージャーのドン・アーデンが彼のテノール声でイントロを歌ってるんだけど、スティーヴはバカバカしいって思ってたよ。”


オグデンズ・ナット・ゴーン・フレイク


 1968年4月にマクレガンは結婚しましたが、ハネムーンを楽しむ時間もなく、バンドはザ・フーとのオーストラリア・ニュージーランド・ツアーを行い、その後ニューアルバムの準備に入りました。
 前年後半から、ロックはビートルズの「サージェント・ペパーズ」発表を契機にトータルアルバムの様相を見せはじめていました。それまで単なるシングルの寄せ集めだったアルバムが、曲の集合体自体に意味を持たせるもの、つまりアルバムに統一テーマを持たせたコンセプトアルバム志向になってくるのです。ただ彼等は、一つのテーマではそんなに引き伸ばせないし第一リスナーがガマンできないなろうと考え、次作の「オグデンス・ナット・ゴーン・フレーク」は片面を月の満ち欠けた半分を探しに出たハピネス・スタンの物語に、もう片面を新曲を含むもの面にしようと考えました。
 “僕とロニーとスティーヴとでクルーザーを借りてテムズ川下りをやったよ。3人で曲を作るのが目的でね。結局、B面の「ハングリー・イントルーダー」「ハピネス・スタン」「ジャーニー」「ハッピイデイズ・トイタウン」がこの時書いたものか、発展したものだ。このアルバムには1年のかなりを費やしたよ。そして僕達のアルバムでは最も知られるものとして、ポップ・クラシックにもなったね。A面(オグデン〜レイジー・サンデイ)はパイ・スタジオとトライデントスタジオでちょっとやったのを除けばほとんどがオリンピックスタジオでレコーディングしたんだ。”


マリオット


 アルバムは全英で初の1位を獲得し、バンドの次なる目標はアメリカに向けられるはずでした。しかしスティーヴはアメリカに行きたがらず、その上アルバムをフィーチャリングしたツアーもやらずバンド活動に暗雲が立ち込めてしまいます。マリオットはピーター・プランプトンをリード・ギターに迎える事を提案しますが他のメンバーの反対にあいます。そして1968年のアレキサンドラ・パレスでのニュー・イヤーズ・イヴのギグを迎えます。これが彼等の最後のライヴとなりました。
 “ギグ自体はよく覚えていないんだけど、とにかく異様だった。でもスティーヴがステージを立ち去っていくのは忘れられないよ、僕たちをほおっておいてね。残された僕たちは歌うのには容易ならない状態に追い込まれて控え室に逃げ込んだんだ。彼に対する怒りは納まりゃしないよ。”

 マリオットはフランプトン等とハンブル・パイを結成し、残されたレイン、ジョーンズ、そしてマクレガン達はとりあえず3人でスモール・フェイセズを続けていくことを決意するのです。


尚、スモールフェイセズについてさらに深く読みたい方は以下のホームページが御薦めです。

タイラもじょきちさんの「MOJO CLUB」のRock&BLUESのコーナーへ

むさしさんの「夜明けの口笛吹き」のArticlesのコーナーへ

TAKE☆さんの「ROCK'N ROLL PEOPLE」のブリティッシュ・インヴェンジョンのコーナーへ