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「GOOD BOYS ............WHEN THEY'RE ASLEEP」
充実のベストアルバム

 イアン“マック”マクレガンが選曲から関わった入魂のフェイセズのNewアルバム「good boys.....when they're asleep」。しかも未発表曲一曲を含む19曲という決定盤だ。76年に出た「snakes and ladders」は12曲で選曲にも不満の残るものだったが、新作の選曲的充実度はフェイセズ単体(ロッドのソロは含まないと言う意味で)としてはベストの出来といってもいい。もちろんシングルB面曲とか未発表曲が1曲だけしかないとか贅沢を言えばきりもないがそれはいずれ出るであろう集大成のボックス・セットに夢を持ちつづけたいと思う。

●全曲ガイド

●ロニー・レインが支えたバンドとしてのフェイセズ

●新曲を含むはずだった今回のベスト盤



全曲ガイド

1. Flying/フライング(ウッド・スチュワート、レイン)
レコーディング :1970年1月
スタジオ    :デレーン・リー・スタジオ(ロンドン・ソーホー地区)
プロデューサー:フェイセズ
エンジニア   :マーティン・バーチ 
収録アルバム :スモール・フェイセズ(ファースト・ステップ)1970年3月21日英国発売

 フェイド・インしてくるギターにハモンド、ベースが加わり、ドラムとともにロッドのソウルフルなボーカルで幕をあける1stアルバムの曲。フェイセズとしての初シングルのA面(B面は「3つのボタン」)となった。同年3月の初の全米ツアーでも演奏され、日本では1993年のロン・ウッドの来日ツアーでイアン・マクレガンを伴って、ストーンズのバックボーカルを務めるバーナード・ファウラーをメインボーカルに初めて披露された。



2. Three Button Hand Me Down/3つのボタン(マクレガン、スチュワート)
レコーディング :1970年1月
スタジオ    :デレーン・リー・スタジオ(ロンドン・ソーホー地区)
プロデューサー:フェイセズ
エンジニア   :マーティン・バーチ 
収録アルバム :スモール・フェイセズ(ファースト・ステップ)1970年3月21日英国発売

 ライナーノーツでも指摘されているが、ロッドのファーストソロ作に入っている「An Old Raincoat Won't Ever Let You Down/オールド・レインコート」とベースラインを土台にした構成が似ている。ベースフレーズはそのままもってきたようなもので(レコーディングはロッドのソロ作が先)、「オールド・レインコート」でベースを弾いているのがロン・ウッドであることから、「3つのボタン」も実はベースはレインでなくウッドではないかと思う。また、ロッドの友人でカーディーラーをやっているイワンという男のタンバリンを加えることになったが、あまりのリズム感の悪さで外されたそうだ。



3. Wicked Messenger/ウィックト・メッセンジャー(ボブ・ディラン)
レコーディング:1970年1月
スタジオ    :デレーン・リー・スタジオ(ロンドン・ソーホー地区)
プロデューサー:フェイセズ
エンジニア   :マーティン・バーチ 
収録アルバム :スモール・フェイセズ(ファースト・ステップ)1970年3月21日英国発売

 イアンの荘厳なハモンドで始まる1stアルバムのトップを飾るナンバー。ロッドがボブ・ディランのカバーをレコーディングしたのはこの曲が初。
1stUSツアーでもこの曲で始まる。



4. Sweet Lady Mary/スウィート・レディ・メアリー(ウッド、スチュワート、レイン)
レコーディング :1970年9月
スタジオ    :モーガン・サウンド・スタジオ
プロデューサー:フェイセズ
エンジニア   :マイク・ボバック
収録アルバム :ロング・プレイヤー 1971年3月英国発売
 
 後年のロッド曰く、“賞賛に値する曲”。ロッドのアンソロジーボックス「Storyteller/ストーリーテラー」、企画盤「Lead Vocalist/リード・ボーカリスト」にも収録していることからロッドもお気に入りのようだ。ロンのギターの音色に当時流行していたカントリーロックの影響も見える。



5. Bad N' Ruin/バッド・アンド・ルーイン(スチュワート、マクレガン)
レコーディング :1970年9月
スタジオ    :ローリング・ストーンズ・モービル
プロデューサー:フェイセズ
エンジニア   :マーティン・バーチ
収録アルバム :ロング・プレイヤー 1971年3月英国発売

 この曲の辺りからフェイセズの本領発揮といったところ。ロンのグルービーなリフにマクレガンのキーボードが絡み合い、ロッドも次第にノリをみせ演奏が前へ前へ突き進もうとするエネルギーを感じさせる曲。ロンが自由に弾きまくれるのはのはレインのベースが適確にサポートしてリズムギターの役目を肩代わりしているから。ケニーも含めバックのサポートは素晴らしい。



6. Had Me a Real Good Time/ハッド・ミー・ア・リアル・グッド・タイム(ウッド、スチュワート、レイン)
レコーディング :1970年9月
スタジオ    :モーガン・サウンド・スタジオ
プロデューサー:フェイセズ
エンジニア   :マイク・ボバック
収録アルバム :ロング・プレイヤー 1971年3月英国発売

 歌の内容は、“下層階級の男が上級社会の女性に誘われた店で騒いで酔って歌った後に追い出された。でも十分楽しめて嬉しかったし、家に帰れたのも嬉しい。”のようなこと。次第に成功をつかみつつあった彼らだが、歌って演奏できて楽しめれば後はどうなっても構わない、失うものは何もないとう気持ちの表れじゃないだろうか。中間のブレイク後に聞こえるのはメンバー全員で歌うスコットランド民謡の「蛍の光」。曲の後半部でいかしたサックスを聞かせてくれるのは、ストーンズの準メンバーのボビー・キーズ。トランペットはハリー・ベケット。



7. Debris/デブリーズ/崩れ落ちるもの(レイン)
レコーディング :1971年9‐10月
スタジオ    :オリンピック・サウンド・スタジオ
プロデューサー:グリン・ジョンズ、フェイセズ
エンジニア   :グリン・ジョンズ
収録アルバム :馬の耳に念仏 1971年12月10日英国発売

 レインのボーカルのバックでロッドがバッキングボーカルを効かせているが、そのぶっきらぼーなサポートが逆に寂しさを強調させる役目を果たしている。プロデューサーにグリン・ジョンズが抜擢され、曲の雰囲気を旨くコントロールしたようだ。セルフプロデュースではこの繊細な雰囲気は出なかっただろう。



8. Miss Judy's Farm/ジュディーズ・ファーム/ジュディの農場(ウッド、スチュワート)
レコーディング :1971年9‐10月
スタジオ    :オリンピック・サウンド・スタジオ
プロデューサー:グリン・ジョンズ、フェイセズ
エンジニア   :グリン・ジョンズ
収録アルバム :馬の耳に念仏 1971年12月10日英国発売

 フェイセズ後期の名曲のひとつ。ライブでも演奏されることが多く、彼らのビデオバイオグラフィー「1969-1974」でもスタジオ生演奏を見ることができる。常に曲を支配するレインのベースラインも素晴らしいが、特に終盤近くのマクレガンのソロ部での指さばきは必見だ。



9. You're So Rude/ユアー・ソー・ルード(マクレガン、レイン)
レコーディング :1971年9‐10月
スタジオ    :オリンピック・サウンド・スタジオ
プロデューサー:グリン・ジョンズ、フェイセズ
エンジニア   :グリン・ジョンズ
収録アルバム :馬の耳に念仏 1971年12月10日英国発売
 
 この曲でハーモニカを演奏するのはロッド・スチュワート。レインにとってはこの曲はお気に入りだったらしく、脱退後のソロライヴではよりテンポアップしてロックンロール調に取り上げている。



10.Too Bad/トゥー・バッド/ひどいもんだよ(ウッド、スチュワート)
レコーディング :1971年9‐10月
スタジオ    :オリンピック・サウンド・スタジオ
プロデューサー:グリン・ジョンズ、フェイセズ
エンジニア   :グリン・ジョンズ
収録アルバム :馬の耳に念仏 1971年12月10日英国発売

 フェイセズの曲にはマクレガンのピアノで始まる曲が何曲あるがこれほどワクワクさせるイントロもない。つづいて最初からトップシフトでかっ飛ばすロッドのはぎれのいいシャウトなボーカルとバンド一体となった演奏と中間部のレインらのボーカルが魅力的。「リアル・グッド・タイム」の歌詞と同様に、ここでも下層階級を意識した彼らの日常世界が描かれている。下層の育ちの悪い連中が上流の華やかな世界にとびこんでドンチャンやってまた元の場所に戻ってくるパターン。やはりフェイセズにはラスベガスのようなシャレた世界は似合わない。戻ってこいよ、ロッド。



11. Love Lives Here/ラヴ・リヴス・ヒア/愛はここに(レイン、スチュワート、ロッド)
レコーディング :1971年9‐10月
スタジオ    :オリンピック・サウンド・スタジオ
プロデューサー:グリン・ジョンズ、フェイセズ
エンジニア   :グリン・ジョンズ
収録アルバム :馬の耳に念仏 1971年12月10日英国発売

 イアン・マクレガンの個人的フェイバリット・ソングというこの曲が今回のベスト盤に収録されたのは僕個人にしても嬉しい選曲。彼らの自作のバラッドの中でも最高傑作だろう。ピアノ、ハモンド、チェンバロ(?)らの音色を見事に使い分けたマクレガンに拍手!



12. Stay With Me/ステイ・ウィズ・ミー (ウッド、スチュワート)
レコーディング :1971年9‐10月
スタジオ    :オリンピック・サウンド・スタジオ
プロデューサー:グリン・ジョンズ、フェイセズ
エンジニア   :グリン・ジョンズ
収録アルバム :馬の耳に念仏 1971年12月10日英国発売

 言うまでもなくフェイセズの大出世作で彼らの魅力が全て満喫できるロック史に残る大傑作。1971年12月3日に英国でシングルカット(B面はデブリーズ)され、6位を記録する。米国では17位。ロンのリズムギターと絡む自らのスライドギターが素晴らしい。フェイセズのライヴではギター1本になるためさらにラウドに響きまくり、それを上回るぐらいに観客もサビを熱唱していた。



13. Cindy Incidentlly/シンディ・インシデンタリー/いとしのシンディ(ウッド、スチュワート)
レコーディング :1972年10月
スタジオ    :オリンピック・サウンド・スタジオ
プロデューサー:グリン・ジョンズ
エンジニア   :グリン・ジョンズ
収録アルバム :ウー・ラ・ラ 1973年4月13日英国発売

 ロッド曰く、商業的に目覚しいシングルを作るのを目標に出来上がった曲、らしい。英国では1972年2月9日にシングルカット(B面はCD未収録の「Skewiff」)され、英国2位、米国21位(レーベル面にはアルバム「ウー・ラ・ラ」のインナージャケト同じカンカン娘がデザインされている。)。アルバム発表後のツアーではライヴ演奏された。



14. Glad and Sorry/グラッド・アンド・ソーリー(レイン)
レコーディング :1972年10月
スタジオ    :オリンピック・サウンド・スタジオ
プロデューサー:グリン・ジョンズ
エンジニア   :グリン・ジョンズ
収録アルバム :ウー・ラ・ラ 1973年4月13日英国発売
 
 アルバム「ウー・ラ・ラ」のB面ののどかな空気を形作るのに貢献している1曲。



15. Borstal Boys/ボースタル・ボーイズ(マクレガン、スチュワート、ウッド)
レコーディング :1972年10月
スタジオ    :オリンピック・サウンド・スタジオ
プロデューサー:グリン・ジョンズ
エンジニア   :グリン・ジョンズ
収録アルバム :ウー・ラ・ラ 1973年4月13日英国発売

 フェイセズの“ハードロッキントリオ”、マクレガン、ウッド、スチュワートの、いかにもフェイセズらしいストレートなロックンロール。少年院に送られた少年についての歌。



16. Ooh La La/ウー・ラ・ラ(レイン、ウッド)
レコーディング :1972年10月
スタジオ    :オリンピック・サウンド・スタジオ
プロデューサー:グリン・ジョンズ
エンジニア   :グリン・ジョンズ
収録アルバム :ウー・ラ・ラ 1973年4月13日英国発売

 ロニー・レインを想起させる曲だがボーカルはレインでなく、ロン・ウッド。この曲を作ってレインはバンドを脱退し、ソロ活動をはじめるが、この曲はそこでも演奏されつづけた。曲中の歌詞で、“素敵なカンカンショーはお前の心をとりこにするけど、バックステージでは現実に引き戻される。”レインはその現実に目を向けてバンドを去った。残されたフェイセズはますます華やかなステージを濃くしていく。後にロン・ウッドのソロでも演奏されたが、1997年にはロッドによってレイン追悼の意味をこめてカバーされた。



17. Pool Hall Richard/プール・ホール・リチャード/玉突きリチャード(スチュワート、ウッド)
レコーディング :1973年11月30日
スタジオ    :モーガン・サウンド・スタジオ
プロデューサー:マイク・ボバック
エンジニア   :―
収録アルバム :スネイクス・アンド・ラダーズ

 レイン脱退後の初シングル曲。1973年11月30日英国発売。B面は「I Wish It Would Rain/雨に願いを」。ここで歌われる“リチャード”というのは実はキース・リチャードのことではないか、と僕は思っているだが。



18. You Can Make Me Dance, Sing or Anything/ユー・キャン・メイク・ミー・ダンス、シング・オア・エニシング/メイク・ミー・ダンス(ジョーンズ、マクレガン、スチュワート、ウッド、ヤマウチ)
レコーディング :1974年9月
スタジオ    :ミュージック・ランド(ドイツ・ミュンヘン)
プロデューサー:フェイセズ
エンジニア   :―
収録アルバム :スネイクス・アンド・ラダーズ

 フェイセズ最後のシングル。英国発売1974年11月22日(B面は「As Long As You Tell Him/アズ・ロング・アズ・ユー・テル・ヒム/君に夢中」でCD未収録)。ドイツツアーの途中でレコーディングされた。



19. Open to Ideas/オープン・トゥー・アイディアズ(マクレガン、スチュワート、ウッド)
レコーディング :1975年9月25/26日?
スタジオ    :ナッシュビルのスタジオ?
プロデューサー:―
エンジニア   :―
収録アルバム :グッド・ボーイズ フェン・ゼイ・アスリープ

 本作に初めて収録された期待の未発表曲。バンド末期のレコーディングのせいか、はたまた疲れているだけなのか、どことなく気だるい感じが漂うが悪くない曲だ。一発どりで録音録った後お蔵入りになり、今回の発表にあたって改めてマクレガンによってオルガンがオーバーダビングされた。


ロニー・レインが支えたバンドとしてのフェイセズ

 フェイセズを作ったのも解散させたのもロニー・レインである、とも言えるかもしれない。スティーヴ・マリオット脱退後のスモール・フェイセズが自然消滅とならなかったのもレインのバンド存続の強固な意思があったからこそで、そのレインに電話したことからバンドに加わったのがロン・ウッドで、さらにオマケで付いてきたのがロッド・スチュワート。その新参者ロッドに潔くリード・ボーカルの座を“譲ってあげた”のもレインだ。 
 
 そしてフェイセズの活動を続けるうちに次第にロッドの注目度は強まり、彼ばかりが目立つバンドのようになりつつもあったが、それでも常に5人での活動を基本としたバンドとして続けていられたのも、レインがロッドのソロへの注目に対するバンド側の求心力、屋台骨でありつづけたからだろう。しかしそのレインがバンドを脱退した後、そのバランスは崩れはじめる。ライブの場ではロニーの抜けた穴も表面的にはテツ・ヤマウチで埋め、相変わらずの好調を維持しきれたかにもみえたが、スタジオでのレコーディング活動はさっぱりと言ってよかった。既に水面下では、ある意味5人組みのバンド、フェイセズでは次第になくなりつつあったのだ。ライブでの選曲のほとんどは以前にも増してロッドのソロで占められるようになり、フェイセズナンバーはわずか数曲。1974年末に行われた英国のクリスマスツアーになると、演奏された13曲中フェイセズナンバーは新曲の「you can make me dance」のみ。あの「stay with me」すら演奏されていない。 

 しかし決してこの頃のフェイセズのライブがつまらないと言っているわけではない。彼らのライブは解散する直前まで素晴らしいレベルを保ちつづけていた。それは1975年秋の彼ら最後のライブツアーを記録したブートレグでも証明されている。ただこの頃にはフェイセズはひたすらツアーし続けることでバンドとしての命を生き長らえているライブバンドと化していた。しかし1975年にはそれすらも困難になる。バンド加入前からソロ活動をしていたロッドはさらなるビッグスターを望んでアメリカに移住し、それを引き留めるべきウッドまでもが2枚目のソロアルバム作りに時間を割き、ストーンズのツアーにも参加。その前後にフェイセズとしてのツアーもやることはやったが、バンドとしての新作を作る時間もなく、フェイセズとしてツアーする意味すら保てる状態でもなくなっていた。オリジナル・メンバーであるマックやケニー・ジョーンズにはもはやどうすることもできなかった。フェイセズを5人組みのバンドとして機能させていたレインの大きな存在は脱退してから明確になり、レインにバンド在留の意思がなくなった時点で既にフェイセズの解散への道が敷かれてしまっていたのだ。

 フェイセズはその年の年末に解散する最後まで、レイン脱退後のオリジナル・アルバムをついに作ることができず、シングルをわずか出しただけで解散してしまった。もしレインがバンドを辞めずにいてくれればロッドもロンもここまで自由勝手にはやらなかっただろし、ソロに向かうエネルギーをバンドの創作活動に向けさせ、バンドとしての方向性を正すことができたのではないかと思うと残念だ。ただ、レインが自らの意思でバンドから去っていた、これは事実である。だからレインが脱退した1973年5月時点で考えても彼の抜けたフェイセズがどんどんロッド中心になって、行きつく先はロッドの完全なバックバンドか、あるいはバランスが崩れて解散してしまうだろうことは彼にもある程度予想できたはずだ。もしかしたらレインは自分に代わるバンド側の求心力としてウッドを期待していたかもしれない。ストーンズのミックに対するキースのような存在になることでバンドのバランスがとれると。しかしウッドは逆にバンド外の活動を始めてしまう。それがストーンズへの接近、ひいては解散への二つ目の道となった。それを思うとなんともやりきれないやり場のない気持ちで目の前が塞がれる 。
 
 本アルバムの19曲中、レインが在籍した約3年半の時期の曲が16曲、その後解散するまでの約2年半で2曲(未発表を加えても3曲)。この落差がレインがバンド内で果たしていたキーマン的な役割を端的に示している。



新曲を含むはずだった今回のベスト盤

 驚くべきことに、本作のオリジナルコンセプトは、「新曲」と「未発表曲」を含むベストアルバムだったという事実がある。本作発表に到る経緯がマクレガンの著書「ALL THE RAGE」に書かれている。要約すると、“1996年5月にメンバーがアメリカで集まり、フェイセズの「未完成曲」が話題に上った。これはロン・ウッドの地価倉庫で発見されたもので、それの仕上げを含めて何曲かを7月にアイルランドのロン・ウッドのホームスタジオで新たにレコーディングすることで意見が一致した。それは「ベスト・オブ・フェイセズ」として完成させる予定で、まずロッドが最初に行って、通しでテープを聞いてみるはずになっていたのだが、彼は数週間後にロンに突然こう言った。「俺はアイルランドに行くなんて言ってないぜ!」と。彼は時々憎らしいやつだよ。” 

 その結果、残された未完成曲はマクレガンのオルガンだけが加えられて「未発表曲」として日の目を見ることになったが、「新曲」は幻と終わった。ロッドがなぜ心変わりをしたのかは謎だが、ベストアルバム発売と同時に新曲も、というフェイセズが再び注目される絶好の機会を逃してしまったのは残念だ。その点、イアン・マクレガンの今回のフェイセズベストリリースにあたっての仕事は評価できる。選曲を行い、レインが目立つように全体のコンセプトを決定し、発売にあたってはロック各誌のインタヴューにも精力的に応じ、アメリカ発売時にはインストア・イベントまで開いている。ストーンズで多忙なウッド、何を考えているのはわからないロッド、スモール・フェイセズほどには精力的に動かないケニー・ジョーンズ、などと比べずとも今回のベスト盤はマクレガンなしでは発表にこぎつけなかったことは想像に難くない。本作の後にはアンソロジーボックスセット発表も噂されているが、その時こそ、残ったメンバーが集まって何らかの成果を期待したい。何もワールドツアーをしてくれといってるわけじゃないんだから・・・・・・。