1. 新しい市場が存在するかもしれないという可能性がもたらすもの

5.1 序論

クルーグマンは「東アジアの奇跡という神話」と題する論文で、高い経済成長を続けている東アジア経済の成長プロセスを検証すると、そこには早い技術進歩は認められないという問題提起を行った。東アジアの高い経済成長は、投資の急激な拡大つまり資本蓄積と高い投資率によって引き起こされているだけであり、産業化の長期持続にとってもっとも重要な技術進歩率は意外と小さかったのではないかという指摘である。言い換えれば、東アジア諸国では投資率の上昇によって高度経済成長を実現させているだけであり、資本の生産性を示す限界資本産出比は決して低下していないということになる。事実、Kim Jong-ll and Lawlence Lau (1994)が台湾、香港、シンガポール、韓国の経済成長の源泉に関して行った比較軽量経済学的研究は驚異的な経済成長が資本投入の持続的増大によってもたらされたものに過ぎないという仮説を否定しなかった。成長に対する技術進歩の寄与が東アジアNIEsにおいては無視できる程度のものであったという認識は完全には否定されていないのである。

しかし同時にクルーグマンは次のように指摘している。「ソ連が1950年代および1960年代に実現してきた高成長率を結局のところ維持できなかったように、投入の増大だけを基盤とした発展経路は永久に持続することは不可能である。」この論理の中に見えるのは、裏を返せば、「一定のレベルまでは投資の増大によって一時的であれ高成長を実現しうる」ということでもある。たしかに技術革新に上限がない一方で人類全体の消費規模には限界があり、その意味で前者に優位性があるのは確かであるが、一定レベルまでは消費規模の拡大すなわち投資市場の拡大も充分に意味があると考えられる。加えていえば、投入の飽和が経済発展を阻害するようになるのは途上国経済の発展過程では最終局面であり、そこまで投資増大が成長を牽引するプロセスを否定する根拠はない。また、ある程度貿易自由化が進んだ途上国経済であれば相対的に見て国際市場は無限の資本投入可能性をもつのではないだろうか。そう考えれば、東アジア経済が投資の拡大および資源の投入先である市場の拡大によって成長したという事実を否定的に見る理由はない。

このように、経済規模を拡大することは無意味ではない。このことは第3章の結論を受けて、同時に経済規模の拡大可能性が企業家精神を刺激するということにもなる。本章では、新しい市場の可能性が企業にインセンティブを与えることと、その背景について議論を展開する。続く5.2では市場規模が意味するもの、そして市場規模を確保することの意味と方法について議論する。この中で「新しい市場/セグメントの存在可能性」をインセンティブとして機能させるいくつかの方法を示す。次に、5.3においてはこれまでの一般的な輸入代替工業化政策と輸出志向型工業化政策の理解を述べた上で、それが孕む矛盾点を指摘する。実はこの両者は「市場の確保による利益可能性シグナル」という概念で別の説明が可能なのである。それを受けて5.4では従来認識されてきた貿易政策に対して再評価を行い、貿易政策における成功の核心部分を再定義する。

5.2 規模の経済と管理競争と市場確保

第3章で示したように、シュンペーターのいう「新結合」には新しい市場/セグメントの発見と導入はイノベーションとして企業の活動を不連続的に変化させ、新たな利益を企業に与えるものとなる。従って、もし企業が「新しい市場/セグメント」を発見した場合、そこから生じるであろう利益を奪取するために経営努力を行うことは当然のこととなる。しかも複数の企業がほぼ同時にその「新しい市場/セグメント」を認識した場合には、そこに競争が生まれるのである。競争状態が産業化に必要な要素であるので、単独ではなく複数の企業が「新しい市場/セグメント」に進出することが必要である。

・規模の経済

しかし一方でこの競争者数が一定以上であると、産業特性と関わって全体として不利益が生じる場合がある。それは規模の経済性が高い産業において顕著である。石油化学産業や鉄鋼産業など、強い収穫逓増を特徴とする大型産業においては、小さな企業が乱立するよりも一部の大型企業によって競争が維持されるほうが効率的であることは容易に理解できる。自然状態が大型企業の寡占市場状況を作り出す合理的な根拠が存在しない以上、このコーディネーション問題はなんらかの調整機関によって人為的に解決される必要がある。例えば日本の通産省は産業全体として非効率性を生むと思われた「過当競争」を嫌っており、そのため、大型装置産業では「秩序化された競争」が構成される傾向が強かった。(註:Kim,H.K. and Jun Ma(1996:137)が日本の石油産業に潜んでいたコーディネーション問題と競争管理について次のように述べている。「石油化学産業技術は強い収穫逓増を示す特徴をもつことから、東アジア政府が同じ技術の輸入を制限したも目的のひとつは国際競争力をもつ効率的規模のプラントを建設することにあった。この目標を達成するため、日本と韓国は市場への参入者選定の際の最小生産規模基準を設定した。日本と韓国の政府は市場での独占規制の必要を表明していたが、少なくとも石油化学産業発展の最初の10年、20年は競争がないことよりも、過当競争を明らかに心配していた。

最小規模規制の背景にある理由を知るためには、まず最初に、東アジアの石油化学産業の初期段階での石油化学製品の輸入規制を理解しなければならない。よくしられている幼稚産業論によれば、規模の経済で特徴づけられる新規に開発された産業にとっては大量の生産をすることが固定費用を薄く分散させ、学習を蓄積するために必要である。幼稚産業が一定の生産水準に達する前には単位あたり生産費用はあまりにも高く、その産業は先進工業国との競争に生き残れない。このことが政府による一時的な産業の保護、すなわち貿易規制により国内市場を少ない数の国内生産者のために確保することを正当化させる。

貿易保護、および大きな輸送費用のいずれかもしくは双方が存在すると、国内価格は国際価格より多角なり、その結果、生産費用の高い小規模プラントを建設するインセンティブが存在する。そのため、規制のない市場参入の割合には過大な数の企業と長期的には多くの国際競争力のない過小な平均プラント規模をもたらすことになる。通産省にとってそうであったように、政府の目的が産業の長期的競争力を強化することであるならば、このような帰結は民間部門によるコーディネーションの失敗である。そのため、最小プラント規模規制という形での政府介入が必要となる。このような制限を設定することは、長期的競争力という目的を達成するための、民間投資活動をコーディネートするための政府の努力とみることができよう。

石油化学産業では、小さな石油化学プラントに対してでさえ非常に少数の潜在的投資家しか投資能力をもたないこと、そして石油化学製品が多くの他部門の製品に比べ同質的であることから、情報の問題による政府のコーディネーションの失敗は理論家が示唆するほど重大な問題ではない。本章で考察下三つの東アジア経済のすべてにおいて、政府は適度に正確にたとえばエチレンのような主要な石油化学製品の需要、およびそのような需要に関する情報および下流部門の需要に関する情報は、日本の石油化学調整懇談会、韓国の石油化学産業振興委員会、台湾の産業開発局主催による投資調整会議といった政府と民間部門を結ぶ場を通じて得ることができた。適切な需要と供給の予想があるならば、政府が最小規模規制が望ましいかどうかを判断するにあたり考慮するのは、せいぜい二つの均衡の帰結であろう。そのひとつは自由な市場参入、もうひとつは最小プラント規模規制である。これら二つの帰結が長期競争力に対し何を意味するのかについて、比較考慮され、意思決定の基礎を形成する。」)

・国内市場の競争を管理する

また、産業化に重要な技術のうち、自動車や耐久消費財など大量生産を特性とする機械産業は、技術習得の過程は設備投資ならびに生産の開始それ自体をもって初めて企業は技術移転を受容するのであり、技術移転の観点からも最低規模の市場が確保されることは進出企業にとって必要条件だったのである。それゆえ、東アジアの開発主義的国家が特定の産業内で参加企業を制限したのは正当化されるのである。(註:原洋之介(1996:134)「戦前日本も含めて東アジア諸国が産業化に乗り出した時点で重要な産業技術であったのは自動車などの耐久消費財に代表される大量採算型の産業技術であり、この技術は無視しえない規模の経済性を有するものであった。しかし、この産業技術の後発国への移転は単なる技術マニュアルといった知識の移転だけで可能となるものではなく、後発国での設備投資にもとづく生産の開始それ自体を必要とするものであったという事実を強調しておきたい。実際に生産するという経験をもってはじめて労働者に体化された形で技術情報の受け入れが可能になることを見落としてはならない。新しい技術情報は伝達するよりもそれを受け入れるほうがはるかに困難である。この意味で途上国の開発にとって急務の問題は「規模の経済性」そのものよりは先進国と途上国の間にある情報吸収能力ないし人的資本の質の差といった問題であるといってよい。それゆえ後発国の政府にとっては技術の国際的受容を促進するためには国内産業を育成させることが不可欠な戦略となってくる。」)

そもそもこのような管理競争を必要とする背景には、規模の経済を達成しなくてはいけない一方でその市場規模に制約があるからである。Lawlence Lau(1996:61)が述べているようにプラントの最小効率規模に比較した国内市場の大きさにより、何らかの政府介入もしくはコーディネーションから得られる社会的便益の性質と量が決定されるのである。潜在的な国内市場の大きさは国民人口、国民の消費能力、実質購買能力などに制約され、特に中国やインドを除くアジア各国では国内市場は充分に広いとはいえないのである。従って、効率的な規模の経済を達成するためには過当競争を回避することが一見して正当性を持っている。そして重要なことは、参加する企業にとってはその競争制限がまさに「新しい市場/セグメント」の可能性に他ならないのである。言い換えれば、国家が競争を制限することが企業家精神を鼓舞するケースもあり得るのである。

・国内市場を確保する

国内市場に限界がある一方で、それを効率良く自国産業化に活かすためには、その市場を国内企業の下に確保することも同様の文脈で合理性がある。特に途上国においては個々の企業は貧弱であるので、海外市場を開拓する力は期待できない。それはすなわち海外市場というインセンティブは企業家精神を鼓舞するには足りないことを示す。一定以上の競争力があると自他ともに認識しうる段階で、海外市場は魅力あるものとなるが、競争力が一定以下であった場合には、海外市場に対しては消極的にならざるを得ない。そこで、自国内市場をいくつかの国内企業に対してのみ開放することが、競争へのインセンティブになる。海外市場におけるよりも確保された国内市場における競争のほうが利益に対する確実性が高いからである。同じ途上国内の企業であれば技術的にも持ち得る情報の点でもそれほどの格差があるわけでもなく、むしろ競争は熾烈化される傾向すらある。この点については、自由化される前の日本の家電市場や自動車市場を見れば明らかである。(註:ポーターは政府の調達が初期需要やレベルの高い需要を刺激する点について以下のように述べている。「産業のグレードアップを促進する以外にも、政府には初期の、あるいはレベルの高い需要を促進するさまざまの力がある。この中身は、その国の買手を先進的な新しい製品やサービスを起こす手助けと奨励をするというものである。しかしそれに劣らず重要なのは、こうしたプログラムのおかげで、需要は具体化しないのではないか、と企業が感じるリスクを減らせることだ。顕在的であれ潜在的であれ、将来の需要が保証されていれば、研究開発と能率的な規模の生産用資産に対する投資は助長される」(pp.353))

もし企業が一定以上の競争力を持ち得た場合、その時点で海外市場は魅力あるものになり、市場の存在や可能性自体が企業行動を積極的にさせるインセンティブになる。海外市場が活発であるほどそこへの投資が増えるのは、まさに1980年代に東アジア地域への直接投資が増大したことに端的に象徴されている。

・関連市場の成長と市場成長のシグナル

「新しい市場/セグメント」の誕生は、関連する市場が成長していることによってももたらされる。「全産業の同時拡張により、ある産業の追加的供給が別の産業の追加的需要となり、それらがすべてまとまれば労働者の追加的所得が最終需要の増加をもたらすという利益もありうる。言い換えれば、新規の経済活動により生み出される所得が今度は、生産される財への需要を直接にせよ間接にせよ創り出す」からである(Lawlence Lau, 1996:74)。従って、企業は自らが参加する製品市場、競争市場の動向のみならず、関連する市場や、複雑化した市場全体の動向にもインセンティブを受ける場合がある。Lawlenceは中国の例を用いて、次のように市場成長のシグナル効果を説明している。「香港の製造業者たちがお互いと自国の労働者への販売のみにより豊かになることは国内市場の小ささゆえありえない。しかし中国は巨大かつ複雑化した市場構成を持つ。非常に小規模の経済においては機能しないようなこのような『自力構成(bootstrap)』戦略も、中国においては機能しうる。しかし、これらのいわゆるコーディネーションの外部性が実現されるためには、同時拡張が将来発生するという共通の知識と信念をすべての産業が共有する必要がある。これがコーディネーション問題である。たとえば経済計画の発表、もしくは形成はこのようなシグナルを送り得る。経済成長や貨幣供給目標の発表はそれらが信用しうる限りにおいてコーディネーションシグナルとなり得る。より具体的に中国経済が1989年から1991年の景気後退からいかに立ち直ったかを考えてみれば、1992年初頭のケ小平の中国南部の訪問についての発表と彼の行った演説はまさしく経済拡張が始まるという方向に一般の期待を収束させるシグナルを与えることになり、今日まで続く景気拡大を刺激したのである。」事実、中国企業のみならず、この南巡講和を受けて台湾や香港の中華系企業の対中投資が拡大したのである。それら香港や台湾の企業から見れば、海外市場である中国のシグナルを受けてインセンティブが刺激されたということになる。このケースではシグナルを送ったのが外国政府であったが、これは自国政府による場合もある。例えばアメリカ政府はアメリカの自動車メーカーのために外交手段を用いて日本市場を確保しようとしたことがある(日米構造調整会議など)。

このように、企業にとって、活動拠点となる市場がどのような規模を持っているか、どの程度の成長をしているか、というのは活動のインセンティブに大きな影響を与える。そして自然状態において、それらの情報が産業全体の効果的な成長に寄与するとは限らず、むしろそこにコーディネーションの問題が発生するケースも多々あるのである。

5.3 輸入代替工業化政策と輸出志向型工業化政策

一般に、輸入代替工業化政策は新古典派によって「失敗」であったとみなされ、その理由は次のように説明されている。すなわち、輸入障壁に保護された財は国民に高い価格を強制し、かつ高い非効率性をうちに含んでいた。そしてそれを改善するためには、貿易の自由化を伴って輸出志向型工業化政策に転換するのが最善であると主張されたのである。貿易の自由化は国際市場競争への直面を意味し、それを通じた適正価格と最適化された資源分配が実現されうると想定されたのである。

しかし、これは後に修正され、現在ではこれら二つの効果的な組み合わせが最適な政策であると認識されている。Kirkpatrick, C.H., Lee, N. and Nixson, F.は次のように述べ、両者の要素を効果的に組み合わせることが最も重要な政策のうちの一つであると主張している。”ISI and EOI strategies should not be treated as mutually exclusive alternatives. In practice, elements of both strategies should be employed, and the relative importance of each strategy is likely to alter over time. The appropriate balance between ISI and EOI policy measures will be determined by, inter alia, an economy’s level of industrialization, its size and resource endowments and its overall development objectives. Government involvement, through planning and other measures, in industrial sector activities is likely to be needed to ensure that the appropriate combination of EOI- and ISI-based industrial development is achieved”(1984:200)

さらに、この効果的な両者の組み合わせを主張するラルは以下のようにその組み合わせられるべき要素を取り上げている。すなわち、保護のなかにあって輸入代替を進める期間に行われるべきことは技術の学習であるという。初期に保護が与えられた期間が、熾烈な国際競争から幼稚産業を保護し、かつ技術学習の蓄積を可能にしたと主張するのである。その一方で、徐々に保護を撤廃して国際競争に直面させることも必要であると主張している。その理由は、国際市場競争が競争圧力を与え、最新技術の情報を素早く提供してくれるからである。(註:“Individual firms will find it extremely difficult to bear the costs involved if they are exposed to global competition from the start, and capital markets in developing countries are usually not prepared to risk such a process. There are thus valid infant industry arguments to protect new industries, but they differ from the usual case for low and uniform protection. The duration and extent of protection cannot be uniform when different technologies have different learning costs and period.” (1993:732)” that many enterprises in import substituting regimes have been able to master their technologies sufficiently to produce at of below world prices, and there are many complex and competitive industries in those countries that would never have started had they not been given an initial period of protection. Many of the leading exporters in economies like Brazil, Mexico or Korea are heavy industries that "learned" under import substitution. However, the quasi-permanent nature of protection and the lack of exposure to world markets in most inward-oriented economies have meant that their capabilities were not fully developed or exploited. There was a general tendency to remain technologically stagnant, and the overall cost of inefficiency and low productivity growth meant that the cost of such industrialization were unjustifiable.”(733) Sanjaya Lall,Understanding Technology Development, Development and Change (Sage, London, Newbury Park and New Delhi), Vol.24 (1993), 719-753)。

しかし、現実にはそのバランスというのもほとんど輸入代替の期間を持たなかった香港と、逆にほとんど輸入代替によって工業化を果たした日本を考えれば0−100まで程度に違いがあり、必ずしも両者を組み合わることが効果的であると主張することは不可能だと思われる。ここで重要なことはそうした香港と日本に共通する貿易政策成功への秘訣を解明することであろう。(註:1993年度世界開発報告の中でも日本についての記述がある。「日本は早くから輸入代替工業化戦略をとったが、これは多くの面でインド、アルゼンチン、および他のあまり成功していない国と似ている。1968年になっても日本の実行保護率(ERP)は依然としてかなり高く、原材料(低い値)から消費財(高い)まで分布していたが、これはほとんどの途上国で典型的なものであった。(表5-1参照)。しかし、多くの輸入代替国とは異なり、最終生産財である機械に驚くほど高い保護を与えており、このことは日本の当局がこの部門を発展させるために非常な努力をしたということを示すほかの研究を裏付けているものである。機械部門のいERPレベルは、70年代に輸出の実績からこの部門に国際競争力があるとわかって初めて引き下げられた。鉄、鉄鋼、非鉄金属のような部門に非常に高いレベルの保護が70年に至るまで与えられていた。繊維産業への著しく高いレベルはいうに及ばず、パルプ、紙、化学品のような資本集約的部門の保護も高い水準に据え置かれた」(pp.278)この日本が高い実効保護率にも関わらず開発を成功させたことについて、これまでなんら合理的な説明はされてこなかった。この保護に対する不信感は新古典派がもっとも強く批判を加えた個所であったが、これまで彼らのフレームワークで納得しうる説明をした研究はこれまでのところ存在しないのである。)

日本が高い実効保護率を維持し、輸入代替工業化政策を成功させたことを踏まえれば、南米NIEsで産業化が行き詰まり、かつ東アジア経済でもシンガポールや台湾など輸出志向型戦略に転換せざるを得なかったことに対しては輸入障壁以外にその理由を考えなくてはいけない。そしてそれは同時に、成功した輸出志向型工業化政策と共通する産業化要因を探る鍵になるものである。

輸入代替工業化のもつ問題点について渡辺は次のように述べている。「輸入代替工業化の問題点はいくつかあるが、重要なもののひとつに、国内市場規模の関連においたものがある。アジア諸国の人口は、中国、インド、パキスタン、インドネシアといった人口大国を除けばそれほど大きくはない。一人あたり所得水準が低いことに加えて、国内所得分配の不平等度もまた大きい。住民の大半を擁する農村地域において生活水準はより低く、そのために国内市場規模はいよいよ小さい。輸入代替政策とは一連の輸入制限政策を通じて輸入が満たしてきた国内市場を国内企業家のための市場として確保する試みにほかならないが、そうして確保される国内市場=レディマーケットはさして大きなものではないのである。レディマーケットを満たすまでの初期的輸入代替は国民所得の成長のいかんに関係なく、それとは独立にかなりの速度をもって進展しうるであろう。しかし、そもそもこのレディマーケットの規模が大きくないために輸入代替機会は早晩枯渇せざるをえず、それ以降工業化は国内需要全体の増加率、すなわち経済成長率と同じペースでしか増加することができない。」(1986:193)これまで本論が述べてきたように、市場規模は企業行動を左右する。そして国内市場が充分に大きくないにも関わらず閉鎖経済を貫いた場合、確保された市場は即時に飽和されてしまい、企業へのインセンティブは失われてしまうのである。一方、潜在的に広いレディマーケットを持っていた日本の場合は閉鎖された市場においても市場の飽和が見られず、企業は確保された市場内での激しい競争へ積極的に参加したのである。この考えは市場が小さい香港で輸入代替戦略が取られなかった一方で、日本ではほとんどそれのみによって産業化が成功したことを矛盾なく説明するものである。日本において、国内市場が第一であり、海外市場は二次的なものに過ぎなかったという主張は、次のように伊藤・清野によっても説かれている。「日本の重化学工業化の過程では、まず国内生産に占める重化学工業のウェイトが高まり、それか次第に輸出の中に占めるシェアが高まっていくというプロセスをたどっている。このような国内生産の増大をテコとした産業発展を可能にした最大の要因は日本の市場が大きなことであり、政府による輸入制限政策および直接投資流入規制はそれを補助したものとしてとらえることができる。輸入制限政策が自国産業の発展に有効であるためには、自国市場が大きく充分なラーニングを積むことが可能でなければならない。日本はこの条件を充分に備えていたわけで、自動車、家電、ピアノ、ICなどはそれぞれ国内需要に支えられて発展した産業であり、そこから産み出された商品は日本の需要動向を反映したものが多い」(1986:148)

翻って成功した輸入代替工業化戦略および輸出志向型工業化戦略の共通点は、どちらも市場を確保するか獲得していったことが企業家精神を鼓舞したという点に求められるだろう。逆に失敗した輸入代替戦略は、確保された市場が瞬時にして飽和してしまう国内市場の矮小性に由来するものも多く、必ずしも輸入障壁の弊害のみで説明されるべきものではない。逆にいえば、潜在的に大きい市場を抱えるインドや中国、パキスタンなどでは初期に閉鎖経済をもって国内市場を国内企業に対して確保することで迅速な工業化を果たす可能性すらある。開放政策をもって強い外国企業の市場参入を許すことは、国内企業を萎縮させ、競争参加のインセンティブを減退させる可能性もある。

このような理解にたつと、輸入代替工業化政策から輸出志向型工業化政策への転換は、一面的には国内市場の飽和ないし確保しうる市場量の減少という理由で説明できる。輸入代替工業化政策と輸出志向型工業化戦略は要素的に組み合わされるべきだとの主張に従ったとしてもその順番はこのように理解するのが妥当であろう。輸出志向型工業化政策への転換は従って、シグナルとして示される市場の位置が国内から海外に移ったことを本質的には意味する。この転換は必ずしも保護の撤廃や政府介入の撤廃を意味せず、実際に輸出志向型戦略をすすめる国においても特定産業に対して補助金や開発支援などが行われていたのである。同時にこの補助金や開発支援策が海外市場での利益可能性を高めたのであり、利益可能性をシグナルとして示した点では輸入代替工業化政策と同様である。むしろ、こういった輸出支援策がなければ、利益可能性の確実性を高めることができないのであり、本質的に完全な不介入政策/貿易自由化は失敗をもたらす可能性も高い。この点で、輸入代替工業化政策から輸出志向型工業化政策への転換を即貿易自由化と見ることは間違いであろう。

5.4 貿易政策の再評価と小括

貿易を自由化し国内市場を国際市場に組み込むべきだという主張には主に以下のような理論的背景がある。

  1. 保護は企業を弱体化させ、イノベーションへのインセンティブを失わせる。従って保護は撤廃されるべきである。
  2. 保護はリソース配分を歪め、恣意的な政府介入は資源分配を歪曲化する。保護を撤廃し、介入をなくすことで、資源配分は効率化される。(註:”The most pressing policy need in these countries is therefore to restructure existing industries and to reallocate resources efficiency. This involves the liberalization of trade and competition regimes so that efficient activities can grow and exploit their advantages in world markets. ”
Sanjaya Lall,"Understanding Technology Development",Development and Change (Sage, London, Newbury Park and New Delhi), Vol.24 (1993), 719-753, pp733

これらに対しては以上の議論によって次のように反論が可能である。まず、@とAの「保護」については詳しくは次の章で扱うが、結論からいって保護は必ずしも非効率性を生まない。それは本章であげた日本の例でもわかるように、実効保護率の高さに関わらず開発は可能なのである。また、国内市場を国内企業に確保することで逆に競争が熾烈化し、インセンティブが高まることもありうるので、輸入障壁が必然的にインセンティブを弱めるとはいえない。保護がリソース配分を歪めて開発に悪影響を与えることもあるが、逆に適正なリソース配分が個別企業の規模の経済性を低くし、開発を阻害することもある。競争を管理することが明らかに正当性を持つ場合もあり得る。Bについては、国内市場競争が必ずしも国際競争よりも低い競争圧力を生むとは限らないので、納得しがたい。常に国際市場が国内市場よりも熾烈であるという保証はどこにもないのである。Cは情報ネットワークについてであるが、最新技術のチャネルが競争を通じるもののみである必然性はなく、政府や民間の業界団体、あるいは学術的交流などを通じても最新の情報は入手可能である。事実、日本では通産省が技術輸入の窓口となっていた一面もあり、政府が最新技術情報を得ることは不可能ではない。

本章で明らかになったのは以下の点である。

以上のように、場合によっては保護規制や政府が介入することも一見して正当性をもつ場合もある。しかし、これまでの新古典派の議論のなかでは政府が介入することは嫌われており、その背景には、政府介入のもたらす非効率性への信念がある。次の章では、この保護がもたらす問題について触れる必要があろう。