米沢〜高畠編


米沢ラーメンを食すの巻・・・そして
吹雪の中の進軍!危うし!梵天丸号!!


2001年12月30日天気

米沢ラーメンを食すの巻 米沢ラーメン一口メモ

 さて、米沢の観光を早々に切り上げた私達は、以前某掲示板で
話題になっていた「米沢ラーメン」を食べるべく、お店を探す事に
した。しかし、雪の勢いは増すばかり。ということで、本を見て、
その中で一番近そうな所に行く事にした。
 しかし、通る車も人通りもあまりなく、お店のまわりもしーんと
静まり返っていた。まだ11時半くらいだったろうか、お店に入ると、
私達のほかに誰もいなかった。ちょっと不安になりつつも注文。
ラーメン500円!その他に、自家製餃子もちょっと気になる。
やがて、徐々にお客さんが増え始めた。心配には及ばない、私達が
ちょっと早すぎただけのようだった(^^)
 早めに来てよかった、と思っていると、注文の品が運ばれてきた。
「米沢の黒中華」というのを聞いた事があるのだが、そんなに麺が
黒いようにも見えないのだが・・・
ちょっと多いようにも見えるが、果たして食べきれるだろうか。


【米沢ラーメンの歴史】
関東大震災の数年位前、
「支那そば」を売る
中国人の引く屋台が
米沢にも現れた。
同じ頃、米沢市門東町の
カフェー「舞鶴」で調理人
常松恒夫による
支那そばが売り出された。
それは、昭和9年頃には
爆発的な勢いで
米沢中に広がった。

 そして、いよいよ食べ始める。
と・・・何と、食感がまるでお蕎麦、なのである。
しかもあっさりスープ。
そんなにお腹が空いてなかったのだが、するすると食べられる。
とにかく、今までに食べた事の無いラーメンといった感じだった。
こってり系が好きな人には物足りないかもしれないが、
私達には、合うタイプだったので、満足だった。
 食べ終えた頃には、こんな凄い雪にも関わらず、結構お客さんが
入っていた。常連さんが多いみたいな雰囲気だった。
 そして、会計を終えて、お店を出ようとすると、
ありがとうございましたの後に、「おしょうしな」とお店の人。
何だか、雰囲気が暖かくて、すかっりいい気分。
 今度の旅、なかなかいい出足(^^)
そして、私達は、一路高畠を目指す。

【米沢の黒中華】
米沢ラーメンのうまさの秘密
それは、「多加水」という方法で
水分をたっぷり含んだ麺にある。
打ち上がりを手もみして、
2〜3日熟成させると、
歯ごたえのある独特の麺が
出来上がる。
人工着色料をいっさい使わない
ので、麺は少し黒味を
帯びている。
全国でも珍しい麺のひとつに
数えられている。

 腹ごしらえが済んで、私達は、高畠へ向かって北上を始めた。
米沢から離れるに従って、しだいに車の台数も減り、道路にも雪が積もっているようになった。
走るうちに、ポールが立っていなかったら、畑だか道路だか、区別がつかないような雰囲気に
次第になってきた。前後に車が走っていないと、かなり不安・・・
本当に高畠に着けるのだろうか、と思い始めた頃、最初の目的地である「亀岡文殊堂」に到着。
ここは学問の神様で、時期が時期だけに、こんな雪の中にも関わらず、結構来ている人がいた。
が、殆どが山形ナンバーで、まして関東ナンバーは見かけなかった。


 おっかなびっくり雪道を歩く私達とは対照的に、地元の人達は、老若男女を問わず、
すたすたと歩いて行く。しかも、重い荷物を持った人にさえ、軽々と抜かれてしまった。
やっと階段を上り詰め、到着。
ここは、戦国時代、伊達家ゆかりの土地。亀岡文殊堂は、梵天丸の名前の由来とも関係あるらしい。
それにしても、何と雪深い所なのだろう・・・当時は今のような暖房もなかったであろうに。
もしもタイムマシンがあって当時に行けるとしたら、絶対冬以外がいい、と思ってしまった。
次のページで、更に亀岡文殊堂を詳しく紹介!続きはCMの後で(爆)