写真とは真実を写すモノである
なんてのは真っ赤な嘘である。昨年になって太った太ったと周りから言われていた私、鏡を見ても「そう?」って思うのだが、写真を見てみると「確かに!!」となる。そういう意味ではまるで録音した声が自分が自分の声だと思っているものとは全く異なるように、客観的な、要は本当の自分を知る一つのツールであることは確かである。しかし、写真の勉強をしてみると同じ被写体でも使用するレンズやフィルム、あるいは撮影者の技術によって色合いや雰囲気が全く変わってくるということを知った。以前プリクラが流行っていた頃にプリクラで見て「かわいいっ」と思っていたのだが、実物を見て「ありゃ?」と思った経験のある男性はかなり多いはずだ。さらにデジタルカメラが全盛の昨今、多機能なソフトウエアを使えばなんでもありになってしまう。それらソフトウエアを使う技術さえあれば、写真のことを全く知らなくても、月に星条旗立ててターバンを巻いたイスラムルックでラーメンを食べる日本人の私の写真なんか簡単にできてしまうのである。そんな中、昨年は写真とカメラにハマった。本当にハマった。
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今まで大いに活躍してくれたNikon F80D。
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そもそも私が本格的に写真を撮ろうと思ったのはそんな昔の話ではない。2001年に確かその年の夏のボーナスで同期入社した友人の勧めで一眼レフカメラを買ったのが始まりだ。もちろんこの頃は一眼レフというのが何を意味するのかさえ知らなかった。ただ、当時主流だったコンパクトカメラや使い捨てカメラ(デジカメはまだ走りの頃、多くて100万画素だった)に比べ、見た目がカメラっぽくて格好良いと思ったのが動機になっただけだ。購入したのはニコンの普及価格帯の一眼レフカメラNikon F80D、キットレンズも同時に購入した。場所は上野のヨドバシカメラ、値段は全部で80,000円弱くらいだったと思う。カメラというモノにはかなり以前から興味は持っていた。私は大の映像好き、映像を手軽に残せるカメラに興味がわかないはずはない。もともと私の祖母がかなり映像好きで、小さい頃はよく祖母の家で、8mmカメラで撮った音声なし映像をオープンリールの映写機で見たものだ。小型のビデオカメラが一般化するようになると祖母はすぐに手を出し、親戚同士の集まりや旅行のときにいつも持ち歩いていた。先日、祖母の家で大昔に撮ったオープンリールを現代のビデオカセットに焼き直ししたものを見せてもらった。若い親父や子供の頃の私などがまるで映画のように写っている。味があって素晴らしく美しかった。「モノより思い出」、そんな血はここから受け継がれているのだと思う。
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代々受け継がれるNikon S2。
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さて、一眼レフは買ってみたものの撮る機会がまったくない。もともと出不精の私は旅行などにはほとんど行かないし、写真のモデルになってくれるような友達もいない。結局購入して1年くらいはほとんど使わなかった。ただ、その明らかにコンパクトカメラなどとは違う気持ちの良いシャッター音に浸っていた(フィルムを入れずに)だけだった。 そんな中、転機が訪れる。2002年の6月に突如一人旅をすることが決まり、このカメラを持参することになった。露出補正、被写界深度、シャッター速度、ピント合わせ・・・そんなカメラの技術なんて全くわからないまま、私はとにかく撮りまくった。ほとんどはF80Dに搭載されているプログラムモードで撮っていたと思う。帰国して早速現像とプリントをしてみる。そしてびっくり。明らかに今まで自分が(コンパクトカメラ等で)撮ってきた写真とは違う。今見るとどうってことないのだが、当時はプロ級と思ってしまったほどだ。そして、この頃から写真を撮る楽しさを覚えるようになる。運良く私が住んでいる浅草は被写体になるものも多ければ、イベントも多い。ただの散策や三社祭り、年末年始の風景などを撮ってみる。また旅の友にもなる。マレーシアへの旅以降の韓国、タイ、カンボジア、フィリピン、ベトナム、台湾、ラオス、一人旅を含むこれらの旅や、夏にやはり同期入社のTOMOとよく行ったツーリングで訪れた蓼科や箱根、日光などにも常にこのカメラを持参する。どこでもとにかく撮りまくる。ランニングコストは気にしない。私の部屋には大量の写真が蓄積し始める。だが、まだテクニカルな部分は不明のまま、たまたまうまく決まった写真はいいが、いまいちのものも多かった。親父が祖父から受け継いだ大昔のカメラ、Nikon S2を実家から奪い取ってきてファインダーを覗いてみる。もちろんもろマニュアルのしかもレンジファインダー機だ。説明書も残っているものの、撮り方が全くわからない。ようやく私はカメラというモノの勉強を独学で始めることとなった。
そして2005年秋、私は自分のカメラシステムを一新することにする。金をかければそれなりにやる気が出るのが私、これは音楽の楽器システムを組んだときに学んだ理論だ。そもそも写真に本腰を入れるようになった理由はいくつかある。一つは2004年より開設したホームページ、GARAGE291で掲載する写真が案外好評だったこと。やはり善し悪しは別として評価をもらえるとうれしい。もっと良いものを紹介したいという向上心が芽生える。また、旅先でカメラにハマっている人が案外多いことも大きな理由だ。カンボジアで会った山田さん、ベトナムで会ったNOBU君などは本格的にカメラをやっていた。さらにこの年から読みあさり始めたさまざまな人の旅行記の中で小林紀晴、素樹文生、吉田ルイ子などカメラマン、あるいはカメラ好きが多いことも私を突き動かした理由だ。一人旅で主に行くアジアなどは本当に急速に発展してきている。そんな場所に訪れ、自分自身の眼で見た今を記憶だけではなく写真としても焼き付けたい気持ちは彼らも私もきっと同じなのだろう。そして、目の前にあるリアルよりも私の脳というフィルターを通して写ったイメージをできる限り写真にできるようにするためには、カメラをまるで私の体の一部のように使えるようになるべきだと考えたのだ。
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レトロなマニュアルカメラ、Nikon FM3A。
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ということで9月に初めてのマニュアル一眼レフ機、Nikon FM3AをオープンしたばかりのヨドバシAKIBAで購入、同時に単焦点レンズとフィルムの勉強も始める。このカメラは写真学校の生徒が多く買うようで、マニュアルという特性がら勉強には持ってこいのようである。早速浅草を散策し写真を撮ってみる。しかし、ピントがずれる、被写界深度が浅すぎる、光量不足などなかなか思った通りに撮れてくれない。ネガより高いリバーサルをいくつも無駄にすることとなったが、これも勉強のため。2005年11月のタイへの一人旅では初めて一人旅に持参した。基本的にはF80D+ネガフィルムのコンビで撮るが、ここぞというときでさらに動きが少ないものに関してはFM3A+リバーサルフィルムで撮影した。やはりいくつかの失敗はあったが、以前よりも明らかに慣れてはきている。とにかく多くの写真を撮って慣れるしかないようだ。何よりリバーサルフィルムの美しさが素晴らしい。
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新たなメイン機、Nikon F100。
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さらにFM3Aを使い始めて若干役不足を感じてきたF80Dをサブ機にすることにして、今後のメイン機Nikon F100を11月に購入した。F100は発売されてすでに7年くらい経過している。その後に発売された「最後のF」とも噂されるフラッグシップ機Nikon F6の購入も検討したが、確かにF6の方が機能は充実しているのものの私のスタンスから考慮してF100に決めた。その大きな理由は二点、一つは軽いこと。数字にして約200g軽い。旅の友として出動させることが多い私にとって少しでも軽い方がいいに決まっている。もう一つはアルカリ電池を使えること。F6はリチウム電池のみに対してF100はリチウム電池の他にアルカリ電池も使用できる。旅先で電池切れなんてことになったとき、アルカリ電池は比較的容易に入手できるのである。その他、そもそも外観が好きなことや私が一人旅で行く場所を考えるとF6は高価すぎる点などがあげられる。これらの理由で購入したF100、手にしてみるとプラスティックボディのF80Dと比べ安心感のあるマグネシウムボディ、聞くだけで撮れた安心感があるシャッター音等ベタ惚れになってしまった。すぐに私の愛機となった。
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初めてのコンパクトデジタルカメラ、FUJIFILMFinePix F10。
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また9月には私にとって初めてとなるデジタルカメラ、FUJIFILM FinePix F10も購入した。画素数は630万、感度をISO1600まで上げてもノイズは少ない。進化したものである。こちらは主にホームページのブログ用と旅での記録用である。旅に行くと、例えばそのとき食べたものなどを記録しているのだが、今までそれまでも一眼レフで撮影していた。フィルムは金がかかるということで、こういう部分のみデジタルカメラに移行することにしたのだ。こうして今までの旅ではF80D一台で行っていたのだが、実はそれは非常にリスキーであることが判明。F80Dが壊れてしまったらどうにもならなくなる。前回の旅ではF80D+FM3A+F10で行ったが、人物を撮ることが多い私の旅ではFM3Aで構図を決めて、シャッター速度を決めて、絞りを決めてとやっている余裕はなかなか得られないことに気づく。ということで、今後海外の一人旅ではF100+F80D+F10がメインの装備になるだろう。また、近くの散策等ではFM3A、比較的安全な国内旅行ではF100+FM3A+F10という装備にするつもりだ。代々受け継がれている(ちょっとオーバー)1958年9月15日に購入されたNikon S2はレンズにカビが生えている。昭和50年くらいに一度オーバーホールに出しているようだが、近々再度メンテナンスをするだろう。そしてこちらに関してはある程度写真の腕が上がってから、主に家族や親戚を撮影するのに使用していきたい。
後編に続く