5・4・3・2・1・・・A Happy New Year!!
ここは上野のとある地下にある隠れ家のバー。目の前ではKazことカズ南沢さんがP-Projectのギターを弾いている。この店に入った22:00過ぎはそれほどいなかった客が、今はオールスタンディングで満員だ。そして2006年へのカウントダウン。店内のテンションは最高潮になる。かなり高い位置に掛かっている時計の針が12の文字を過ぎる。暗い店内の空間で酒の入ったグラスを持った手だけで埋め尽くされる。「A Happy New Year!!」知っている客も知らない客も構わず挨拶する。いつもと同じ日付の変わり目なのになんでこんなにハッピーなんだろう。とにかく店内は踊りまくり。恒例の年末スノボには友人と日程の都合が合わず残念ながら行けなかったのだが、こうして2006年は無事幕を開けたのだ。
「失敗は成功の素」、2006年となって間もない今、やはり昨年と同じように前年をゆっくり振りかえってその教訓を今年に生かすというのはやっておいて損はないはずである。ということで、またさらっと2005年を振りかえってみたい。
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打ち上げと言えばやっぱり焼き肉。
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まずは仕事面から振りかえる。2005年は部署も変わり新たな心構えでスタート、2月から7月までは全く今まで自分がやったことがないシステムを構築するプロジェクトのプロジェクトマネージャーを務めた。一昨年のプロジェクトの教訓を生かし、とにかく深くまで管理するため自分自身もかなり手を動かしたこのプロジェクト、総合的に見れば大成功だった。私が「プロジェクトマネージとは?」と聞かれたら必ず答える「決められた予算で、決められた期間で、決められた品質でお客様の目標を達成させること」という意味で言えば、なんとかこのすべてを守れたと思っている。このプロジェクトの特筆すべきはプロジェクトメンバーが6名、営業が1名いたのだが、すべて若いメンバーで遂行したということだ。すべてのメンバーが20代だった。これも団結力を強めることができた要素だと思う。こうしてお客様的にも社内的にも「成功」という二文字をもらったわけだが、私個人の感想を言えば「まだ最低限のハードルを越えただけで結局は失敗だった」と思う。なぜなら、先の表向きの「プロジェクトマネージとは?」の答えには出てこない「メンバーの生活管理」ということが実現できなかったからだ。確かにメンバーは若かった。そうすればそれなりにパワーもあるだろう。しかし、やはり期間というのは1日を9:00-18:00として、さらに休日を省いたパワーでできることを示す。そういった意味で、たった5ヶ月とは言え、毎晩毎晩遅くまで作業したメンバーの努力というのは今回の表向きな成功には欠くことができない要素だ。結婚しているメンバーもいたし、プロジェクト期間中に新たに結婚したメンバーもいる。そういったメンバーにもかなりの時間作業してもらわないといけなかった。つまり、勤務時間内、せいぜい非常事態に残業を入れて成功させるということができなかったということは、やはり失敗と言わざるを得ない。そのようなギリギリのラインでなんとか表向きにだけでも成功に導けたのは「奇跡」だと思っている。同じことをもう一度しろと言われたら、申し訳ないが私にはできない。そして、このプロジェクトによって自分が若干燃え尽きてしまった感があったのも否めない事実だ。8月以降はそれなりに仕事はしたものの、この前半のプロジェクト以上に手応えがあるような仕事はできなかった。まだまだである。まだまだ腕を上げていかなければ。これは2006年も引き続き私にとって大きな課題だ。
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出発前の成田空港。旅はここから始まる。
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プライベート面では一昨年とは違い、2005年は比較的マイペースに過ごせた。まずはなんと言っても旅行、こちらに関しては一応自分の中で目標としている年2回の旅を実現することができた。6月26日〜7月9日までの14日間でタイ・ラオスを、11月2日〜11月12日の11日間でタイを旅した。一昨年の体の不調から、その年の8月に台湾で試しの旅行をして問題なかったことによる旅だ。もちろんこの旅の間でも全く問題は発生しなかった。だからこれからも発生しないという確証はない訳だが、私としては思い通りの旅ができたことがうれしかった。そしてその中で、やはり多くの普段では接することのできない人間(ひと)たちと出会い、多くの影響を受けた。もちろんすべての人々を肯定する訳ではない。しかし、明らかに今の東京での自分の視点と世界を旅する彼らの視点の中で、新たに自分が得たい視点というものを感じることができた。2006年も旅は続けたいと思う。ただし、これまでずっと旅してきた東南アジアというものからそろそろ脱出しようと思う。確かにサラリーマンの私としては比較的短時間で行けるこれらの国は魅力的だし、同じアジア人として過ごしやすい。さらに物価も安いときたら行かない手はない。だが、他には私の感覚なんて簡単にひっくり返してしまう場所がまだまだ沢山あるようだ。もちろんそれは後進国だけではない。そんな影響をもっともっと受けてみたいという気持ちになった。ただ、後一カ所だけ、どうしても訪れたい東南アジアの場所がある。今年はなんとかしてそこへ行ってみたいと思う。
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2005年3月9日生まれの愛機Rory。
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趣味の音楽でも大きな変化があった。昨年のLooking Back 2004で書いた通り高校時代より愛用してきたギターが一昨年音が出なくなり、これに代わって2005年に新しいギターを手に入れた。以前よりずっと憧れていたFender Stratocasterだ。とにかく弾き手の力の強弱が伝わる繊細だがウォームな音、しっくりくるネックグリップ、すぐに私の愛機となった。私はこのギターに最もリスペクトするギタリスト、Rory Gallagherから名前をいただいて「Rory」と名付けた。彼が使っていた塗装がほとんどはげ落ちたFenderのSunburstのStratocaster、このくらいになるまで弾き込んで、いつか私の体の一部になるくらいにしたいと思う。今はこのギターでブルースというものを勉強している。ただし、エレキギターはアンプで大音量を出すことで呼吸し、存分にスポットライトを浴びることで光合成する生き物、早くステージに立たせてあげたいと思う。そのため昨年後半から「生演奏バー巡り」というものを始めた。結局渋谷の「Blue Heat」、瑞江の「HOTコロッケ」、そして年末に見つけた上野の隠れ家の3つしか廻ることができなかったのだが、この年末に見つけた隠れ家がいい。最近では珍しい日本人ヒッピー(?)が集まる場所、とにかくフレンドリー。私がギターをやっているという話をするとすぐにセッションしようという話になる。どうやらここでイケそうだ。とにかくギターを練習して今年の早いうちにここでRoryを弾いてみたい。
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新たに導入したNikon F100とNikon FM3A。
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一方、カメラの方も2005年には本格的にシステムの入れ替えを行った。今まではNikon F80というカメラとズームレンズ2本という構成だったのだが、これに加えて新たにマニュアル機のNikon FM3A、今後のメイン機となるオートフォーカス機のNikon F100を導入、さらにMFレンズ3本、AFレンズ3本を新たに追加しリバーサルフィルムへの挑戦も始めた。同じモノを撮るとしてもカメラマンによって写真は全く違う写り方をする。当たり前と言えば当たり前だ。なぜなら同じモノでも人に依って見え方が変わってくるのだから。だとしたらとにかくカメラをまるで自分の目のように扱って、私しか見えない世界をどんどん写真に撮りたい、自分らしい写真を多く撮りたい、そんな欲望に駆られた。これまで旅で撮ってきた写真、そして多くの旅人たちの写真を見ての感想だ。そんな自分の写真を撮ることで、いつでもその世界にトリップできるような気がする。もちろんシステムを入れ替えただけで写真はうまくはならない。後はとにかく撮りまくってそこから学ぶこと、そして他の人の撮った多くの写真に触れること。そういう意味も含め散策や写真展巡りも始めた。まだいくつかしか行っていないが、今年も引き続きカメラの勉強は進めていくつもりだ。
また2005年、今までほとんど読書をしなかった私が読書にハマった。これまでと言えば旅行に行くときなどに暇つぶしに本を買う程度、それも海外作品が多かったのだが、昨年後半はとにかく日本人の旅行記ものを多く読みあさった。もちろんそれまで本を読まなかった私、読む速度は非常に遅い。よって、本当に本を読む人に比べれば明らかにその数は少ない。それでも構わない。とにかくいろいろな勉強をしたかった。少しでも自分に刺激があるものを探していた。とりわけ、ロバート・ハリスさんの「エグザイルス」、小林紀晴さんの「Asian Japanese」、素樹文生さんの「クミコハウス」は非常に面白かった。そしてこれらの本が自分のこれからの目標に少なからず影響してきていることを実感できた。2006年も多くの本を読んで、今まで自分自身に頼り切りだった感性をもっとオープンにしてみたいと思う。
とまあ、2005年は一言で言えば「何にもなかった極普通の1年」といった感じだ。もちろんこの他にも相変わらず酒も飲むしダーツもやる。スノーボードも結構行ったし、GARAGE291でブログも始めたし、親知らずも抜いた。それなりにいろいろあったけど、まあ無事過ごすことができた年だった。昨年のLooking Back 2004に書いた通り、どうやら本当に2004年で底打ちはしたようである。
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忘年会をした「LOB銀座店」にあった掛け軸。
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さて、2006年、今年は以前よりずっと考えていたある挑戦を実行に移そうと思っている。(実際は決心は90%というところで未だ決め兼ねているというのが正直なところだが)決して悪い経歴ではない。しかし日本で一流と言われる高校に合格し、一流と言われる大学を卒業、そして一流と言われる会社で生活していると、「強い組織」に頼り甘やかされ流されている「弱い個」というものを感じることが少なからずある。強い組織の中にいるが故に個が強くなくてもそれなりの生活をすることができる。そんな中で明らかに「弱い個」に気づかぬフリをしている自分がいるのだ。今までも同様の意味の挑戦は何度かしようと思ったことがあるが、その度に何かそこまでしなくてもそれなりにいれることに甘んじていた。そして今年「弱くなってしまった個」を磨くことにもう一度挑戦してみたい。おそらく今年が最後のタイミング、今年を逃したら私はこのままなのだろうと思う。4月までにはこの挑戦を実行に移すか、あるいはお蔵入りさせるかの結論が出るだろう。
1月4日に浅草寺でひいたおみくじは「凶」、どん底からのスタートだ。ということは、これから自分で運を上げるためもがかなくちゃいけないということ。2006年、思う存分もがいてやろうと思う。
P.S.年始に2002年のタイ・カンボジアの旅のときに国境で出会ったドイツ人BjoernとDanielaから素敵なHappy Year Mailをいただきました。一昨年の12月、Bjoernから「今度Dannyと結婚するんだ。もっと働かなきゃな」なんて内容のメールをいただきましたが、どうやら無事お子様も生まれたようで今は一児のパパですね。本当におめでとう!!
Bjoern & Daniela含めすべての方々に、
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
(2006/01/06 Yuki Fukui)
『Looking Back 2005』完