第14回
キリスト宇宙人説

 初めに断っておきたいのだが、私はキリスト教徒ではない。実家は浄土真宗らしいのだが、特に仏教にこだわっているわけでもない。よって、もしかしたらこれから書くことが特にキリスト教の信者の方々に宗教的誹謗中傷と捉えられてしまうかもしれないが、決してそれを狙ったモノではないということをご理解いただきたい。日本の「言論の自由」の範囲内だと考えていただけると幸いだ。

多くの人を惹き付けるキリスト。
 中学生か高校生の頃だっただろうか、理科の授業か何かのときに私はふと閃いた。

もしかしてキリストは宇宙人かもしれない。
 これが私の持論、「キリスト宇宙人説」の発端だ。それからよく飲みに行って気分がよくなったりするとこの持論を飲み仲間に語ったりしている。お互い酔っぱらっているとこういう話で白熱してしまうから面白い。結構な方々に受け入れられているようだ。その説とはこうである。

 私が受けていた理科の授業はちょうど生物の生態系の話だったと思う。よく聞く有名な話だが「鮭は生まれた川に戻ってきて死ぬ」ということを習った。なるほど、それはすごいと思った。ある川で生まれて、大きな海に出る。そしてそこで育って、再び生まれた川に戻ってきて死ぬ。「故郷は大事なものだ」、そんなことを象徴するように非常にロマンチックな話だ。もちろんそんな感動的な部分もあるのだが、私が何より驚いたのは「どうやって自分の生まれた川を覚えているのか?」ということだ。私たち人間は周りの風景や建物、近代では地名というもので今自分がいる場所を細かく特定できる。しかし彼ら(鮭たち)は水の中にいるのである。私はときどきスキューバダイビングも楽しむのでわかるが、川の中も海の中も方向感覚なんてまるでない。目印になるような建物も水の流れで消えて行くだろうし、もちろん匂いもない。それなのにきちんと世界に出て自分の故郷に戻って来れる彼らはすごいと思った。もうこれは本能としか説明がつかなかった。

宇宙人の代表格、グレイ。
 この話を聞いて「オレも横浜で死ぬのかなぁ」と思った。もちろん、病気になったり、事故にあったり、事件に巻き込まれるなどという予期せぬ事態はあるだろうが、「横浜で死ぬ」というより「横浜で死にたい」という気持ちは確かにあった。飛行機が空を頻繁に飛び回るこの時代にこそ人々は様々な場所へ移動するが、そうではなかった頃、自分が生まれ育った地で最後を迎えるというのは決して珍しくはなかったのではないかと思う。しかし、この「横浜」というのも人間が造り出した地名、もっと本能的な話をするとしたら、私は「横浜の地に戻りたい」と思ったのだ。それはもしかしたら「横浜」というより「日本」あるいは「アジア」、もしくは「地球」だったのかもしれない。とにかく「地」(あるいは「海」)に戻りたいと思った。それはなぜだろう、そんな疑問が生まれた。

 別の理科の授業で人類の進化の歴史みたいな勉強をしたときに「地球上の生命の根源は海から誕生した」と聞いて、その答えを発見した。もちろん、この進化論も説でしかないが、生命が海(地)から誕生したのだとすれば、地に戻りたいという私の自然な考えは、いわば本能なのだと考えられるのだ。そしてそのとき、一つの説を導きだした。

もし、どんな生物でも本能で自分の生命の根源に戻りたいと思うものであれば、
死んだら天に昇ると言うキリストは宇宙のどこかの星に彼の生命の根源を持っているのではないか。
 小さい頃、よく「死んだらお星様になる」なんて話を聞いた。もちろん、死というものを奇麗に見せるための作話であろうと思うのだが(確証はない)、それはもしかしたら宇宙人を先祖に持つ人が作り上げた話なのかもしれない。「お星様」こそ彼らの故郷であり、彼らの生命のルーツは地球以外のそこで誕生したとする。そうすると本能的に死ねばその根源に戻りたいと考えるということだ。もちろん、キリストというのは象徴的な存在だから用いただけで、現代の人々でも死んだら「天に昇る」と考える人はいる。もしかしたら、そういう人たちの祖先は宇宙人なのかもしれない。

 さて、あなたは「地に戻る」タイプだろうか?それとも「天に昇る」タイプだろうか?

『キリスト宇宙人説』完

2005/12/19(Mon)掲載