第6回
人生の100のリスト

遅めの昼食のために浅草ROXの隣にあるマクドナルドで季節モノの「チーズ月見バーガーセット」を注文した。今日は三連休の最終日、この連休は特に用事もなかったのでのんびり過ごすことができた。そして、この最終日に私は読みかけの本でも読もうと外へ出たのである。

本はロバート・ハリス『ワイルドサイドを歩け』。今年の6月に一人旅でラオスに行ったとき、タイからの入国で知り合い田舎町バンビエン、そして世界遺産都市ルアンパバーンまで共にした同じ年のTakashiから「絶対読んでみろ」と紹介された作家である。ロバート・ハリスは今はJ−WAVEのラジオナビゲーターとしても活動している作家で、実は横浜生まれ、若い頃からかなりの中年になるまで旅や海外生活などで波瀾万丈な生活を送っていたらしい。正直なところ、私はこの人の存在は全く知らなかった。第一に私はラジオをほとんど聴いたことがない。昔よく従兄弟が「オールナイトニッポン」の話などをしてくれたが、全く興味が沸かなかった。テレビで育ったビジュアル世代だからだろうか?(しかし、従兄弟も世代的には同じ・・・)とにかく、マレーシアのときの『深夜特急』のように、これまた怪しい本を教えられたなと思った。

帰国してちょっとの間忘れていたが、先日横浜の実家に顔を出した帰り道の時間つぶしに読んでみようと思い購入したのだ。本当は代表作『エグザイルス』を探していたのだが、あいにくその本屋に在庫はなく、唯一置いてあった『ワイルドサイドを歩け』を購入したのである。中身は短編のエッセイ集、初めは海外の人の作品だからまた読みづらい和訳をしているんだろなと思っていたが、そんなことはない。横浜で育ったので日本語は全く問題ない。というより、下手に文学的な作家より難しい言葉もなく非常にすらすら読めた。結局実家からの帰路で半分くらい読み、残りの半分をマクドナルドで読み始めた。読み始めると止まらず、かといってマクドナルドに長居するのもいかがなものかなと思い、耳を塞ぐiPod ShuffleからBON JOVIの「HAVE A NICE DAY」が流れてきたらそこでやめようと思っていたのだが、結局読み切るまでその曲は流れてこなかった。(その後3曲後にとうとう流れた)

ロバート・ハリスは非常に面白い作家だ。波瀾万丈で賑やかな生活の中に寂しさや孤独が見え隠れする不思議な魅力をもった作家だと思った。本の付録にある山田詠美との対談で、「いつ死んでもいい。でも生きている限りやりたいことがずっとある。」と語っているが、この言葉が、まさに私の彼へのイメージとぴったりだった。良い意味で「生かされている」感じ、すごくいろいろなアンテナを持っていてちょっとしたことにいろいろ感じる。そしてそれを伝えていく使命みたいなものを与えられている人なんだなと思ったのだ。本の中身についてほとんど本を読まない、つまり作家達に関する知識など無に近い私から感想を言わせていただけば、沢木耕太郎の真面目さと村上龍の危なさを併せ持った感じがした。沢木耕太郎のように細かいところにいろいろ感じる繊細さ、しかし沢木ほどオーバーには捉えない。村上龍のようなアウトローの世界を経験しているが、そこに若干の暖かみを感じる。私なりの表現をさせてもらえば、そういう「庶民ぽさ、普通っぽさ」が彼の最大の魅力なのではないだろうかと思う。

さて、彼のこの本の中で一つのポイントとなっているだろう話、「人生のリスト」の中に出てくる、彼が少年時代に一度作成し、大人になって再度作成したという100のやりたいことリスト、これが特に印象深い。要は人生でやりたいことを100並べて終わったものからチェックしていくというもので、失礼ながら女の子のお買い物リストに似ていると思った。リストアップしているときは非常に楽しい。あれが欲しい、これが欲しいと思いながら書き込んでいく。でも、いつしかそのリストアップしたものに興味がなくなったり、あるいは手に入れても想像したものと違ったりしている。そうすると、また新しいものがリストに加わっていて、やっていないことが100から一向に減っていかない。私が作ったら絶対にこうなる。でもこうやっていろいろ先のことを考えているとすごく前向きになるし、生きていることが楽しくてしょうがなくなる。こうやってある意味自分に暗示をかけていくツール、それが「人生の100のリスト」なのだろう。そして、ここら辺を発明してしまうロバート・ハリスその人の生き方をうまく表現したツールだと思った。もちろんロバート・ハリスも言っているように「くだらないことも多い」のだろうが、時には何か「岐路に立ったときの道標」にもなってくれるだろう。ロバート・ハリスの「100のリスト」の進捗状況、これは非常に興味深い。(ぜひとも、ほとんど減ってないことを願いたい)この「人生のリスト」については別で本が出ているらしいのでぜひ機会のあるときに読んでみたいと思う。

ところで、このロバート・ハリスの「人生のリスト」を読んでいて、自分と一点だけ違ったことがある。まあ、不器用でルーズな私の性格を表しているのだろうと思うのだが、私がリストアップするとしたらそれぞれに「期限」を設けるに違いない。論文などは期日が迫らないと書き始めない、待ち合わせなどにもギリギリにならないと出発しない。本当に自分では良くないことだと思っているのだが、なかなか治らないのである。そして逆にこれは期限がないと達成できないということを意味する。そんな私が「100のリスト」を作るとしたら、それぞれに期限が絶対に必要なのだ。ロバート・ハリスのように気長に考えられれば楽なのだろうが、自分はどうもそうはできないらしい。しかし、これが私に対する「自己暗示」なのである。そういう意味では、今、私の頭の中には20代という期限のついたリストがある。もちろん、まだやっていないことが盛り沢山、すべてができるとも思っていない。しかし、私はとりあえず「30歳になるまで」という中で精一杯やるという目標を持つことによって人生を楽しんでいる。こんな私には10年周期くらいの中期的なリストが最適なようなのである。30代のはぜひリストアップしてみようか・・・。

『ワイルドサイドを歩け』の最後の方に「楽園で遊ぶ天使たち」という話があり、その中でロバート・ハリスは以下のように言っている。
「楽園はあの世ではなく、この世にあると思って生きた方がいい」
全く同感だ。別に私はあの世というものを否定しているわけではないが、いずれ楽園に行くためという長過ぎる目標は先述したように私には無理である。この世にあるはずの楽園という比較的近い目標をいつも持って、この世で精一杯楽しむのが一番だと思う。『アリとキリギリス』なら、どちらかというとキリギリスタイプなのだ。

『人生の100のリスト』完

2005/09/19(Mon)掲載