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第6回 | ||
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人生の100のリスト
遅めの昼食のために浅草ROXの隣にあるマクドナルドで季節モノの「チーズ月見バーガーセット」を注文した。今日は三連休の最終日、この連休は特に用事もなかったのでのんびり過ごすことができた。そして、この最終日に私は読みかけの本でも読もうと外へ出たのである。
帰国してちょっとの間忘れていたが、先日横浜の実家に顔を出した帰り道の時間つぶしに読んでみようと思い購入したのだ。本当は代表作『エグザイルス』を探していたのだが、あいにくその本屋に在庫はなく、唯一置いてあった『ワイルドサイドを歩け』を購入したのである。中身は短編のエッセイ集、初めは海外の人の作品だからまた読みづらい和訳をしているんだろなと思っていたが、そんなことはない。横浜で育ったので日本語は全く問題ない。というより、下手に文学的な作家より難しい言葉もなく非常にすらすら読めた。結局実家からの帰路で半分くらい読み、残りの半分をマクドナルドで読み始めた。読み始めると止まらず、かといってマクドナルドに長居するのもいかがなものかなと思い、耳を塞ぐiPod ShuffleからBON JOVIの「HAVE A NICE DAY」が流れてきたらそこでやめようと思っていたのだが、結局読み切るまでその曲は流れてこなかった。(その後3曲後にとうとう流れた) ロバート・ハリスは非常に面白い作家だ。波瀾万丈で賑やかな生活の中に寂しさや孤独が見え隠れする不思議な魅力をもった作家だと思った。本の付録にある山田詠美との対談で、「いつ死んでもいい。でも生きている限りやりたいことがずっとある。」と語っているが、この言葉が、まさに私の彼へのイメージとぴったりだった。良い意味で「生かされている」感じ、すごくいろいろなアンテナを持っていてちょっとしたことにいろいろ感じる。そしてそれを伝えていく使命みたいなものを与えられている人なんだなと思ったのだ。本の中身についてほとんど本を読まない、つまり作家達に関する知識など無に近い私から感想を言わせていただけば、沢木耕太郎の真面目さと村上龍の危なさを併せ持った感じがした。沢木耕太郎のように細かいところにいろいろ感じる繊細さ、しかし沢木ほどオーバーには捉えない。村上龍のようなアウトローの世界を経験しているが、そこに若干の暖かみを感じる。私なりの表現をさせてもらえば、そういう「庶民ぽさ、普通っぽさ」が彼の最大の魅力なのではないだろうかと思う。
ところで、このロバート・ハリスの「人生のリスト」を読んでいて、自分と一点だけ違ったことがある。まあ、不器用でルーズな私の性格を表しているのだろうと思うのだが、私がリストアップするとしたらそれぞれに「期限」を設けるに違いない。論文などは期日が迫らないと書き始めない、待ち合わせなどにもギリギリにならないと出発しない。本当に自分では良くないことだと思っているのだが、なかなか治らないのである。そして逆にこれは期限がないと達成できないということを意味する。そんな私が「100のリスト」を作るとしたら、それぞれに期限が絶対に必要なのだ。ロバート・ハリスのように気長に考えられれば楽なのだろうが、自分はどうもそうはできないらしい。しかし、これが私に対する「自己暗示」なのである。そういう意味では、今、私の頭の中には20代という期限のついたリストがある。もちろん、まだやっていないことが盛り沢山、すべてができるとも思っていない。しかし、私はとりあえず「30歳になるまで」という中で精一杯やるという目標を持つことによって人生を楽しんでいる。こんな私には10年周期くらいの中期的なリストが最適なようなのである。30代のはぜひリストアップしてみようか・・・。 『ワイルドサイドを歩け』の最後の方に「楽園で遊ぶ天使たち」という話があり、その中でロバート・ハリスは以下のように言っている。 「楽園はあの世ではなく、この世にあると思って生きた方がいい」全く同感だ。別に私はあの世というものを否定しているわけではないが、いずれ楽園に行くためという長過ぎる目標は先述したように私には無理である。この世にあるはずの楽園という比較的近い目標をいつも持って、この世で精一杯楽しむのが一番だと思う。『アリとキリギリス』なら、どちらかというとキリギリスタイプなのだ。 『人生の100のリスト』完 | ||
2005/09/19(Mon)掲載 |
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