第5回
Looking Back 2004

 A Happy New Year!!
 友人たちと4人で池袋付近の道路にて車の窓を全開にして大声で2005年へのカウントダウンを行った。毎年、私は銀座にある行きつけのバーRocksでカウントダウンを行っている。もちろん2004年もそうするつもりだったし、Rocksにも22時には行くであろうことを伝えていた。しかし結局この日はRocksには行けず、友人のTOYOTA HILUX SURFの中で2005年を迎えることになった。こちらもやはり年末恒例となっている初スノボのために、2004年12月31日に群馬県水上にある宝台樹スキー場に向かった。穏やかに降る雪の中存分にスノーボードを楽しんだ後、東京へ帰ろうとしたところ雪のため関越自動車道の本庄児玉〜練馬間が通行止めになっていたのである。どうしようもないので、上信越道の藤岡インターから下におり、川越街道を延々と下ってきたのである。17時くらいにスキー場を出たのだが、途中川越の近くのラーメン屋『天天』でタンメンを食べて家に着いたのが深夜1時前だった。こうして私の2005年は幕を開けたのである。

 2004年は私にとって実に様々な『事件』があった。一昨年前の前述の年末恒例初スノボーに体調を崩して行けなかったことから始まった体調不良、仕事上では初めての大型プロジェクトのプロジェクトマネージャーを任された。このGARAGE291を開設したのも2004年だし、蔵前の行きつけのバーBlue Juiceに行くようになってDartsを始めたのも2004年、一人旅の台湾で初めて国家的緊急事態にも直面したのも2004年である。まあ、細かいことを言えばきりがないし、毎年当たり前のように身の回りに起こってるんだろうことなのだろうが、2005年を開始したばかりの今このときにこれらの2004年に私に起こった主な出来事を振りかえっておくのは決してマイナスではないだろう。

 まずはやはり一昨年末から始まった体調不良だろう。強烈な吐き気と極度の倦怠感、2004年は最悪の状態で開始した。1月から3月までの約3ヶ月間をこの状態で過ごした。このときは大げさかもしれないが生きている心地がしなかった。吐き気は止まらないし、胃は異常を訴えていた。正直胃がんでも発見された方がまだましだと思っていた。何しろ原因がわからないのだ。仕事は、確かに時間的拘束はあったものの気の合うメンバーとそれなりにこなしていたはずだし、恋愛や人間関係にも全く問題なかった。唯一あるとしたら、年末の飲み過ぎくらいだろう。連日の忘年会、行きつけのバーで常連たちに祝ってもらった誕生日、そんな中で少しずつ体を壊したのかもしれない。しかしまさかこんなに苦しむとは思わなかった。結果的に体の異状は何も見つからず、プロジェクトを離れ、実家で一週間の時間を過ごし現場復帰を果たした。もちろん、現場復帰を果たした後も全く症状が出なかったわけではない。やはり仕事の厳しい場面では同じような症状が何度も出たし、何よりも自分に対して疑いと不安を持っていた。このまま仕事を続けられるのだろうか、こんな自分がチームワークを発揮できるのだろうか、周りの人たちに迷惑をかけるのではないだろうか。しかし、周りの人たちは必ず支えてくれた。そのおかげで私は今も現場にいられるようになっている。精神的に疲れていると医者から言われ、結局明確な原因も見つからない私はやはり周りに負い目を感じてしまう。しかし、普段はそうでもない人たちがこういう場面では本当に真剣に私のことを考えてくれた。両親も恋人も会社の同僚も先輩もだ。普段、私はどちらかというとあまり人を信じない方だ。なぜなら裏切られるのが怖いからだ。しかし、この経験で周りの人に頼って、周りの人を信じて生きているんだということを実感した。社会というものは堅苦しくて悪い印象をもっていたが、結局その中でしか生きられない自分にむなしさどころか喜びを感じた。全く迷惑をかけていないとは思っていない。それに関してはこれから借りを返していくしかない。そしてもちろん、今では胃がんなんかが発見されなくて本当に良かったと思っている。

 復帰して初めに任されたのは、仕事を初めて5年目で初めての大型プロジェクトマネージャーである。要するにプロジェクトの管理、運営を行い、お客様の決められた予算で品質を出し、決められた期間内にサービスを提供するという仕事だ。これに関しては私の上司がなぜ私をアサインしたかが未だによくわからない。なぜなら私が失敗をすれば責任は上司がかぶるからだ。なんだか訳のわからない状態から復帰したばかりの私にそれを任せるにはリスクが大きすぎると思った。しかし、私はアサインされた。そのとき思ったのはこのプロジェクトだけは死んでも成功させるということだ。絶対に逃げない。何がなんでも終わらせる。私は最高のメンバーとともにこのプロジェクトをスタートした。周りの人たちは私より年上の人たちばかりだ。私なんか若造が言うことについてきてくれるだろうか、みんなが協力してくれなかったらどうすればいいのか、絶えず不安はつきまとった。しかし、常に正直にわからないことはわからない、協力してほしいところは協力してほしいと素直に伝えることを心がけてきた。結果的に、プロジェクトを期間内に終わらせることはできず何度もくじけそうになったが、1ヶ月遅れで無事終わらせることができた。もちろん一人でできたことではないのだが、私にとってはこれが大きな自信になったことは間違いない。私にこの重大な役割を任せてくれ、最後までサポートしてくれた上司や、最後までつき合ってくれたメンバーに非常に感謝している。ここで得たいくつもの反省点をしっかり噛み締めて、今後は必ず最高のプロジェクトマネージャーになりたいと思っている。

 このプロジェクト期間中に行った台湾も私にとって一つの自信をくれた。考えれば一昨年ベトナムで血痰を吐いてから体調を崩し始め、自分の健康から始まって自分そのものに不安を感じ始めて2004年は幕を開けた。やはり体調を崩してまず思ったのは、仕事もそうだが私を変えてくれる一人旅にもう出れないかもしれないということだった。そんな私にとって、今回の台湾の旅は短くて近い場所ながらも一つの勝負だった。一人旅の5日間、果たして過ごせるのだろうか。行きの飛行機の中からすでに緊張は始まっていた。しかし、台湾の国際空港に着いた頃にはすでに勘を取り戻しており、なんとか泊まる宿も見つけることができて、やはり多くのバックパッカーや普段会社で生活しているときは触れることができない人たちに触れることができた。住み込みで現地のゲストハウスで働く同じ年の青年や自転車で台湾を一周するために来ていたおじさん、初の海外で初の一人旅という思い切ったことをした青年など私の普段触られない感情にビシバシ鞭をぶつけてくれる話を聞くことができた。そして何よりおもしろかったのは、台湾全土を包むほどの大きな台風が台湾を襲い、国が緊急事態を宣言している中にいたことだ。もちろん、学校や会社はすべて休み、飯のために外に出ても食堂がやっていない。しまいには看板が飛んでくる始末だ。そんな台湾人にとっても非現実なものをちょっと楽しんでしまった。日本に帰るころにはすでに自分の中の緊張感は消えていた。もちろん、この旅で調子にのることはできないが、確かに通常の自分に戻りつつあることを実感できた。

 この他にも新たなかけがえのない出会いもあり、新しい遊びのDartsも気の合った連中と楽しむようになったのもあり、そしてリベンジである年末スノボも成し遂げた。(GARAGE291のTRIPはできればマレーシア編を完結したかった)明らかに底打ちはしたようである。後は上がるだけだ。この私の単純な計算から言えば2005年は素晴らしい年になるはずである。気分は上々、そんな年末だった。

高校時代より愛用していたギター。知る人ぞ知る、あの人のシグネチャーモデル。
 最後に、12月に計ったように音が出なくなった高校時代から約10年間使ってきたエレキギターがある。高校生でバンドを組んでいたときハードユーズし、大学でも何回かスポットライトを浴び、社会人になっても時間があれば常にかき鳴らしてきた。決して高いものではないが、バイトでためたお金で当時憧れていたギタリストのシグネチャーということで購入したギターだ。最近は木も乾いてきたのかアンプを通さなくても腹に振動が来るようになっていて、それなりに良い音を出すようになっていた。そのギターがある日突然音が出なくなった。症状から見ておそらくボリュームポットを交換すれば直るのだろうが、私はあえてこのギターを引退させることにした。それは、やはり私にとって2004年という年が一つの節目と感じており、それまでの10年間を共に過ごしてきたこのギターを引退させることによって、気持ちを入れ替えて新たな10年あるいはそれ以上の年月を始めようと思ったからだ。

 以前、久米宏が司会を務めていたころのNEWS STATIONにミュージシャンであり俳優でもあるビョークがゲスト出演したときに語っていた言葉が私の中に強く残っている。「私は年をとることが大好きなの。なぜなら、どんどんいろいろなものを吸収できて成長できて素晴らしい人間になれるから」素晴らしい考えだと思った。この人は生きていることが楽しくてしょうがないんだろうなと思った。そして、私もこの考えを持てるよう生きていこうと思った。ときどき気持ちの入れ替えは必要だろう。しかし、『getting betterな生き様』、これを実践していきたい。

P.S.上林さんへ
年始早々から素敵な年賀状をありがとうございます。上林さんの言う「人は人に生かされて生きているのだな」という感覚、私も同感です。まあ、相手をを生かして自分は相手に生かされてという感じでしょうか。そんな複雑な連関について考えていると頭が爆発しそうなので、今度台湾での夜のようにウイスキーでも飲みながらゆっくり語りましょうか。(笑)

上林さん含めすべての方々に、
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

(2005/01/05 Yuki Fukui)

『Looking Back 2004』完

2005/01/05(Wed)掲載