旨く撮れたら東京へ持って行きます。
もし、うまく地雷を踏んだら、サヨウナラ!
1973年11月27日、ベトナム戦争の最中、フリーの戦場カメラマン
『一ノ瀬泰造』はそう言い残し、クメール・ルージュの支配下にあったカンボジアの遺跡、アンコールワットへ向かい消息を立った。享年26歳。
カメラに少なからず興味がある人なら大方はご存じであろう戦場カメラマン、一ノ瀬泰造が家族や知人に送った手紙やメモ等を寄せ集めて編成されている本
『地雷を踏んだらサヨウナラ』の中から引用させてもらったものである。この本の存在自体は私は以前知人から勧められ知っていた。もちろん、この本に全く興味がなかったわけではないし、私自身この一ノ瀬泰造というカメラマンの存在を知る前の2002年にカンボジアのアンコールワット、2003年にはベトナムを訪れている。さらに、カメラに関しても趣味程度に知識を持っている。むしろこの本を読んでいるのは当たり前のように思えるが、いまいちきっかけがつかめず読んでいなかった。内容はタイトルからだいたい想像はつき、それを読むのには覚悟と労力がいるであろうことを感じていたというのが正直なところかもしれない。そんな中、昨年12月に26歳になった私は、勝手に一ノ瀬泰造の享年と同じ歳ということを理由にこの本を読むことに決めた。この本自体は1999年に浅野忠信主演で映画化もされており、さらに2004年4月より坂口憲二が声を担当する一ノ瀬泰造ドキュメンタリー映画『TAIZO』も公開もされている。私はある休日にこの本と映画DVDを上野で同時に買い込み、まず本を読んでから映画をみるという順で、改めて一ノ瀬泰造という人物を観察してみることにしたのだ。
本に関しては、元々一ノ瀬が本になることを想定していた訳ではないことが容易に読み取れた。同じ内容が何度も繰り返されているし、微妙な時間軸もつかみにくい。中身のほとんどが手紙やメモだったのだ。しかし、もともと1年に2、3冊読めばいいくらい読めばいいくらい本が苦手な私でもすらすらと読むことができた。普段ならそんなに強調するほどでもないような出来事が戦争という非常事態の最中だからだろうか、少し興奮気味に書かれていたり、そんな中に息子がいて心配しているであろう親に対してはやや安心させたりちょっとヒヤッとさせるような文面を記していたりと一ノ瀬が何を考え文章を書いているかが読み取りやすかったからだ。そして1973年11月21日付けの最後の手紙を残してアンコールワットに向かってから一瞬にして手紙がなくなっていることに妙なリアルさと切なさを感じた。想像とは全然違った。「本物の平和を撮り続け、戦場に散ったカメラマン」、そんなかっこいい偉人伝では全然なかったのである。
「本当の戦争というものを生で体験し、興奮し、そして不運にも死んでしまったただのカメラ小僧」だったのだ。所々に掲載されている写真もまた私の興味を誘った。もちろん中には少々見づらいものもあったが、そのほとんどがよくある大爆発や戦車などの写真ではなく"人"の表情を捉えた写真であることに一ノ瀬の人柄が出ているように思えた。この人もまた"人"が好きなんだなと思った。
映画に関しては一言で言うと
「これぞ本当の戦争映画」だ。一人の戦場の英雄が敵国の村で美しい女性と恋に落ちるわけでも、捕虜となった味方を見事に救い出すわけでもない。本と同じくありのままなのだ。すべてが自然、それが印象深かった。チームオクヤマという私もよく知らない制作チームの第1回作品になるらしいが、浅野忠信の演技も素晴らしかったし、本当にいい映画だと思った。ただ一点だけ気に入らなかった部分がある。映画は本より一歩進んでアンコールワットまでたどり着いた一ノ瀬が描かれている。このシーンに関してはあくまで想像だろう。しかし、そこにリアリティの欠如を感じてしまったのである。おそらく本を読んだだれもが想像するであろう、いや、望むであろう結末が描かれていた。それが私にとってはそこまで実話として非常にリアルに描かれていたものを台無しにしてしまったように感じられたのだ。そして、この映画を見終わった私にふと一つの疑問が浮かんだ。
一ノ瀬は本当はどうしたかったのだろう?
誰もが望むであろう結末、それは必ずしも彼本人が望んでいた結末とはどうしても思えない。むしろ彼は見事アンコールワットに到達し、その美しい遺跡を写真におさめ東京に持ち帰りたかったに違いないと思えてならない。彼が最後に残した
「地雷を踏んだらサヨウナラ」という言葉も私には彼なりの単なるユーモアな表現としか思えない。本当に地雷を踏むつもりだったとは到底思えないのだ。ストーリーとしてはこれで完結するとは思う。しかし、もし私が彼だったらもっと生きてもっと多くのものを撮り続けたかったと思う。ベルリンの壁崩壊、冷戦の終結、湾岸戦争、同時多発テロ、彼が多くを伝えたがる、多くを語りたがるものは尽きないからだ。私は一ノ瀬の身内でもなければ気の知れた友人でもない。そんな私がこんな軽卒なことを言うべきではないかもしれないが、そう言う意味では彼は
"運命に散った"と言えるだろう。
前回まで3回に分けて語らせていただいたCOLUMN『花とキムタク』の中で、私は現在の私の年齢と最後の木村拓哉のインタビュー内容を語ったときの彼の年齢が同じであることを指摘した。結果論ではあるかもしれないが、このインタビュー当時の彼の年齢は26歳である。一ノ瀬泰造がアンコールワットに乗り込んだ歳も26歳、一ノ瀬について映画化した当時、一ノ瀬泰造役を演じた浅野忠信も26歳である。さらに、沢木耕太郎が「深夜特急」の旅に出たのも26歳、そして今の私も26歳である。必然的にこの
『26』という数字に奇妙な運命的なものを感じてくる。
もちろん人によってはこの
『26』という数字が22にも32にも変わってくるかもしれないが、今の私がこの一年を転機の年として感じていることは確かであり、私の周りに同時期に転機を迎えた、決断をした、そしてそれぞれの運命に散っていった人が溢れているのも事実である。実は私はちょうど4年前にも大きく精神的に参っている時期があった。就職が内定し、大学という最後の学問の砦から脱しようとしていたそのとき、私はすべてを清算したがっていた。過去の過ちや情けなかった自分を捨てて、まったくきれいな自分になろうとしている時期があった。結論を言えば、結局それは前回までのCOLUMNでいう
『等身大の自分』を見失うことにつながり、純白ではない灰色の自分が本当の自分であり、それは変えることができないということを受け入れるまで苦しんだということだ。苦しみの末自分を取り戻した後、もう自分には迷いがない気がした。社会人というカテゴリーは残りの人生の間ずっと続く。このような転機を迎えるようなきっかけはないだろう、そう思っていたのだ。ところが今回の事件、昨年12月の末に
『26』歳になってすぐのことである。
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一ノ瀬が目指したアンコールワット。彼がこの素晴らしい遺跡を見ることができたかどうか定かではない。
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もちろん結果論と言えば結果論かもしれないが、今考えるとこのときの苦しみは一ノ瀬が表現する
『地雷』となんら変わらないと思う。大げさと思われるかもしれないが死んでもおかしくなかった。それがなんとか快方に向かい、今はこうしてほぼ復活してきている。どうやら
『地雷』<リスク>が一番多いエリアはなんとか無事抜けられたようである。しかし、困ったことに私にとっての
『アンコールワット』<ターゲット>、将来的にではなく今目指すものがいまいちわからなくなっている。むしろこの事件に巻き込まれるまでは明確になっていたように思う。もしかしたら私は既に
『地雷』をくぐり抜け
『アンコールワット』を見てしまったのかもしれない。もし一ノ瀬が見事アンコールワットを見たとしたら、彼はすぐ次の
『アンコールワット』を見つけることができただろうか。もしかしたら、次の
『アンコールワット』が見つからず、路頭に迷い力尽きたとは考えられないだろうか。いずれにせよ、私が次の
『アンコールワット』を見つけるまでには、どうやら少しの
『休息』が必要なようである。
このCOLUMNを書いている現在、後3ヶ月弱で私は27歳になる。それまでなのかどうかは定かではないが、今後の自分のあり方を今一度考えなくてはいけないように思っている。もちろん、この先にも多くの
『地雷』が存在しているだろうこともわかっている。そのうち
『アンコールワット』も見つかるはずである。そして、私だけでなく一ノ瀬もその他多くの人も同じように考えるはずだと思うが、
絶対に地雷を踏むつもりはないが、
もし、うまく地雷を踏んだら、サヨウナラ!
『地雷を踏んだらサヨウナラ』完