第3回
花とキムタク - 後編 -


 エレベーターの中で、私の足はがくがく震えていた。上司と仕事の関係者に現状と仕事からの一時的離脱のお願いのメールを送った翌週の月曜日、私は産業医に 「心身症」と診断され正式に1週間の「休息」をとることになった。産業医は心身症というのは心と体のバランスが崩れた状態、心は前向きでも体が止まるようシグナルを出している状態で、精神疾患ではないため薬等は使用せずゆっくり休息することが必要だと言う。当初は1ヶ月程度休息をとるのが普通だと言われたが、それでは逆に腐ってしまうと頼み込んでとりあえず1週間に縮めてもらった。その1週間を実家で過ごし、その間に聞きに行った膠原病の検査結果も異常なしということで、体は少し良くなっているように思えた。そしてこの日、私は1週間ぶりに仕事に復帰することになっていたのだ。午前中に耳鼻科で聴力検査を受け、若干右耳に異常があるということで、一度会社に行って再度病院へ戻り 「耳レントゲン」「脳波検査」を行う予定になっていた。心身症と診断されていたためか、それらの新しい検査名は以前ほど私の頭にインパクトは与えなかった。それよりも、やはり自分が精神的な理由で会社を休んでいたということに対して、今後の仕事への取り組み方と職場の周囲からの目に無意識に恐怖を感じていたのだろう。自分の所属部署があるフロアへ向かうエレベーターの中で、 意図しない震えと緊張が止まらなかった。

 職場へ戻ると周囲の同僚はまるで何もなかったかのように迎えてくれた。一緒に昼食をとり、上司と産業医に状況を報告した頃にはその震えと緊張もなくなりかけていた。そして病院に戻っての検査もむしろ楽しんでしまった。結局、産業医から現場復帰の許可をもらい、それまで担当していたプロジェクトも離れ新しいプロジェクトに参加ことになり、心機一転の会社生活が始まった。まだ症状もあるものの、体調の方も少しずつ良くなっているように感じていた。未だに精神的なものが原因であったことを信じない自分がいながらも、やはり精神的な原因だったと認める自分の方が多くを占めていた。「俺ってこんなもんだったかも知れない」自然とそう思えるようになってきた。現場に復帰して3週間がたつ現在、決して体調は完全に復帰したわけではない。耳鼻科の検査の結果で 「副鼻腔炎」も発見され、今もそのための薬は飲んでいる。しかし、今の自分が 『等身大の自分』そう信じることにした。

 それにしても今回の一件は本当に参った。自分が変わって行くのが手に取るように分かった。いつまでたっても本調子に戻れない自分に怒りさえ覚えた。仕事が原因のはずがない。居心地の良い場所で自分らしくいれたはずだ。自分は絶対にそう信じたくはなかった。しかし、実はすでに調子を崩す何ヶ月前からか、『等身大の自分』を見失っていたのかもしれない。そんな中で私が描いた夢=最高の仕事と前向きな自分は、『等身大の自分』描くべき『最大限の夢』の範疇を超えていたのかもしれない。そして、とうとうそこに無理が来たと言った形だろうか。運が良かったのは、実際に体に影響が現れていなかったことと、私の状態を心配して支えてくれる人々が周りに多くいたことだ。実際、これらの人々には多大な迷惑をかけたと思う。その恩を返して行くのは、これからの私の一つの「使命」だと思っている。

 以前はこのような状況にも今ほど苦しまずに対処できたと思う。それは逆に『等身大の自分』が見えていなかったから、たいしてそのギャップ意識することがなかったからだろう。しかし、一度自分の居場所に満足し『等身大の自分』が見えてしまうと、そこを外れた時のギャップに対する焦りとか意地とかいったものが以前とは比べ物にならないほど大きくなって目の前に立ちはだかってくる。そして、それに対処しきれず押しつぶされてしまった結果が、今回の長く苦しい日々だったと思っている。もちろんそんな中では酒などを飲む気にもなれず、タバコも控えてみたりとすべてに対して『等身大の自分』とは遠くかけ離れた自分を目指して、『等身大の自分』を否定することしかできなくなっていた。『等身大の自分』が見えなくなっているにも関わらず、それを『等身大の自分』だと思い込んでしまう。そして『最大限の夢』を超えた夢を持ってしまい、一度自分が崩れるとさらに上の理想像を『等身大の自分』だったと勘違いしてしまう。そこへどうにかして戻ろうと思うが、そこで描いた理想像は既に『等身大の自分』から大きくかけ離れたものであり、戻れるはずがない。いや、むしろ向かうべき方向ではないのだ。それにさえ気付かないからまた自分で自分を崩すことになる。そういった悪循環の繰り返しがいつの間にか自分の中で無理を生じさせ、体がシグナルを送り始めていたのだろう。失恋等の後向きな悩みとは全く逆の初めて経験する 「前向きな悩み」、それは大好きなはずの仕事や居心地の良い場所という本来自分にとってプラスとなるはずのものが原因となる。それを防ぐのは 「自己管理」でしかない。常に『等身大の自分』を見失わないようバランスをとり、『最大限の夢』を描き続けることで解決していくのではなかろうか。

 持論というよりは能書きのようになってしまった今回のCOLUMN、最後に以前集英社から出版されていた「BART」という雑誌で『UNDER AGE世代が日本を変える』と題して当時活躍していた木村拓哉、中田英寿、平野啓一郎、NIGO、広末涼子を取り上げ特集した際の、今なお第一線で活躍しているキムタクのインタビューの中の一言をもって締めさせていただくことにしたい。
 「センスのいい人っていうのは、精神的に健康な人だと思っている。健康だから、幅広くいろんなものを見て受け入れることができて、それを自分なりに読解するというか、見て解釈することができるんじゃないかな。」
(「BART」1999年5月号より)
 ここで木村拓哉が言っている「センス」というのはあくまでファッションセンスに限定していたが、私は「センス=感覚」であり、身の回りのすべてのものに対する「『等身大の自分』を保つバランス感覚」と考える。『精神的に健康な人』、これが今の私の中で最優先の目標になっている。このインタビューを受けたころの彼が、今の私と全く同じ26歳であるのも何かの偶然だろうか。

『花とキムタク』完

2004/03/20(Sat)掲載