第2回
花とキムタク - 中編 -


 それは何の前触れもなく私を襲った。「強烈な吐き気」。夕方の仕事からの帰り道の電車の中の出来事だった。今まで普段の生活の中で吐き気などほとんどなかっただけに少々戸惑ったが、おそらくタバコの吸い過ぎなどではないだろうかとすぐに気持ちを切り替えた。しかし、いつまでたっても吐き気が私を襲う。収まったと思ったらすぐにまた襲ってくる。これから高校時代の友人たちとやっているフットサルチームの忘年会がある。しかも翌日の早朝からは今シーズン初滑りとなるスノーボードの予定も入っていた。とりあえず、何度か途中下車しながら、会場の最寄りの駅でドリンクタイプの胃薬を飲み忘年会に望んだ。運悪く忘年会は焼き肉。私は焼き肉を少々といつもより少なめのビールと大好きなバーボンをシングルロックで1杯だけ飲んで、とりあえず一次会で引き上げた。普段飲み出したら止まらない私が途中で切り上げるなど、自分でも信じがたかった。忘年会の間は収まっている吐き気が、家につくとまた私を襲い始めた。ギリギリまで悩んだ結果、スノーボードもキャンセルすることにした。

 翌日、年末ということもあってこの地区で当番制でやっている病院に行った。もちろん病院に行く間も吐き気は容赦なく襲ってくる。診断結果は 「流行りの風邪」「仕事の疲れ」で若干胃が調子を崩しているのではないかということで、胃薬と吐き気止めを処方してもらうことになった。薬を飲み、症状は治まりかけていた。年末の行きつけのバーでのカウントダウン、年始の親戚同士の集まりにも普通に出席できたし普通に酒も飲めていた。やはり風邪か、そう思い1週間強が過ぎた。再びそれが私を襲ったのは、成人の日の連休の最終日、泊まりがけで会社の同僚と行ったスノーボードから帰ってきてからだ。そして、このころから私は、自分の体に何かいつもと違う異変が起きていることに気付き始めていた。

 会社で近くの大学病院を紹介してもらった私は、大事を取って 「胃カメラ」を飲むことになった。しかし、大学病院はやはり大勢の患者を抱えている。実際の検査は2週間先となり、症状を抱えたまま全く良くならない私は少々苛立ち始めていた。次第に夕方近くなると「熱っぽさ」も感じるようになっていた。いよいよ検査を翌日に控えた日の仕事場から会社に戻る途中、今までにないほど強烈な吐き気と熱っぽさが私を襲った。私は先輩に事情を告げ、そのまま大学病院に向かい急患として診察を受けた。結果は 「胃酸過多」かもしれないということだった。また新しい薬を処方してもらい、徒歩で家路についた。翌日胃カメラを飲んだ。あんな思いは2度としたくないと思うほどきつかった。所見では何の異常もないということだった。しかし、この日を境に今までの症状に 「めまい」「手足のしびれ」が加わった。1週間後、大学病院の消化器内科に検査結果の詳細を聞きに行った。結果は「問題ないため診察の打ち切り」。一向に症状は良くならずむしろ悪化している私の苛立ちはいよいよ頂点に達し、医師に「なぜ、診察が打ち切りなんだ」と噛み付いた。そして、そのとき医師から言われた一言で私の頭に新たな可能性が芽生えたのである。「精神安定剤を処方しましょうか?」

 胃はどこも異常ない。「精神安定剤」と言われても、精神的に負担になるようなことをした覚えは全くない。精神的なものとは絶対に考えられない。とはいうものの症状は悪化するばかり。片耳が全く聞こえなくなる自体まで発生した。だんだんと焦りが募ってくる。仕事も全く手につかない。家に帰っても病状のことばかり考えている。しまいにはインターネットの検索で自分の症状をキーワードに考えられるすべての病気を探している始末だった。さらに会社の内科医に再度症状を伝え 「空気嚥下症」の疑いを指摘され、処方された薬を飲んで 「下血」を起こすなど、新しい症状も加わっていた。取り付く島もないまま1週間が過ぎ、ようやく私は会社のメンタルケアの医師に相談することにした。その医師は「とにかく体をもう少し詳細に検査して、それでも異常がなければ精神的な可能性を考えるべきだ」と診断し、病院への紹介状を書いてくれた。大学病院の対応に腹を立てていた私は病院を変え、今後はそちらで検査を受けることにした。検査前日、翌日の検査でドクターストップがかかるかもしれないので飲み納めということで同僚2人と飲みに行った。私の同期で良き理解者である友人は「明日の検査結果で異常がなかったら今度はインターネットの検索で ”元気”をキーワードに検索してみろ」と励ましてくれた。泣きたくなるほどうれしかった。

 翌日、病院に行くと症状から 「膠原病」等の重病である可能性も少なからずあるため、「血液検査」「胸部レントゲン」「腹部エコー」の検査をするという。また私の頭の中に一つの病名キーワードが増えた。3つの検査のうち血液検査の中の膠原病の検査以外の結果は1時間弱で出るという。そして、その結果は「異常なし。健康的な26歳の体」ということだった。同時にかかっていた同じ病院内の耳鼻科で耳が聞こえなくなるという症状を告げると、土曜で担当医不在のため、次回の担当医の診察のときに「聴力検査」を行うという。結局この日の検査でも全く異常が見られず、病院からの帰り道、私は少しの安心と堪え難いほどの重圧の間で闘っていた。

 その夜、私はなかなか寝付けなかった。どうしても認めたくない。大好きなはずなのに。自分らしくいれると思っていたのに。どんどん成長していると思ってたのに。まだ、若干の検査が残っている。その中に異常があるのではないか。でも、でも。そんな感情が頭の中でぐるぐる回っていた。深夜3時前くらいだったろうか、とうとうその葛藤に終止符を打つことに決めた。2ヶ月弱苦しんだ結果の『挫折』である。私は仕事で使用しているPCを開き、1通のメールを書上げ「Send」ボタンを押した。

後編につづく

2004/03/18(Thu)掲載