第1回
花とキムタク - 前編 -


等身大の自分だって きっと愛せるから
最大限の夢描くよ たとえ無謀だと他人(ひと)が笑ってもいいや

 COLUMNの第1回掲載が遅れた。その理由はただ一つ、”飲めなかったから”だ。本来、『酔狂』というサブタイトルのついたこのコーナーは「酒を飲んだ時にする説教のような持論」を紹介するのがテーマである。要するに、どこかで酒を飲んで酔っ払って帰ってきて、寝る前に家で酔い覚ましにビールでも飲みながら書こうと思っていたのだ。酒が飲めなかったのでは書けるわけがない。では、なぜ飲めなかったのか。GARAGE291の公開から1ヶ月が過ぎてのようやくの初掲載となった今回は、自分で勝手に設定している「とにかく”前向き”に人生を楽しもう」というこのホームページのコンセプトとは若干外れた、やや”後向き”になっていた私のちょっとした『精神論』を3回に分けて語らせていただくことにする。ちなみに、今目の前にはビールの中で一番好きな「サッポロ黒ラベル」の缶が一つ飲みかけで置いてある。

 冒頭の詩は皆様もご存じMr.Childrenの名曲『花 - Memento Mori -』の2番のコーラス部分である。この曲はいい。Mr.Childrenはアルバム『深海』以降がかなり好きで、特に桜井和寿の詩の世界が素晴らしい。この『花』はその中でも最も好きな曲の一つで、勝手に2002年の私のテーマ曲にしていたくらいだ。そして、その『花』の中でもこの部分が一番好きなのである。

 20代後半に差し掛かっている今、ようやく私も以前より大分落ち着いてきたなと我ながら実感している(まだまだ落ち着くには早過ぎると思うが)。10代後半や20代前半はやはり今よりも若干ハジけていたように思う。物事を冷静に見ているつもりが自分の力を過信しすぎていたり、あるいは周りの目を気にしてか格好よくもないのに格好をつけていたりしたのだ。とにかく後先考えず、それが自分に合っているか、自分らしいかもたいして考えず行動していた。もちろん今もそういうことが全くないわけではないが、明らかにあの頃もうちょっとこういう風にしておけばよかったなと思うようなことが20歳前後には特に多いのである。『等身大の自分』に満足できずに背伸びしていたか、『等身大の自分』が見えていなかったか。どちらにしても、おそらく『等身大の自分』を愛せてはいなかったのだろう。

 それが22歳で社会人になって、何年か会社という”組織”の中で生活しているうちに自分は変わってきたなと実感する。会社という”組織”は非常におもしろい。幼稚園から始まって小学校、中学、高校、大学という中では広くてもせいぜい6年という年齢幅の中で生活していた。それが、入社してみると上では私の年齢を2倍してもまだまだ足りないような人や子供が私と同じ歳である人などと普通に生活することになる。それなりに影響を受けるものも変わってくる。私はこういった影響が大好きで、飲みに行ったときなどは生意気に10年以上年上の先輩と口論をしたりしていろいろなものを学んでいる(つもりである)。明らかに今まで生活していた”組織”の中では一番自分にとって居心地が良い。仕事自体も大好きだし、そういった中で生活するようになってだんだんと精神的にも強くなってきているとも思っている。『等身大の自分』、自分らしい自分でいることができると感じていた。『等身大の自分』を愛せるようになっていたのである。そこまでは良かった。しかし、そこに落とし穴があったようである。もしかすると『最大限の夢』が、最大限を超えてしまったのかもしれない。

中編につづく

2004/03/16(Tue)掲載