徒然メモ2012




徒然メモ2011

     
  2012年12月28日

 今年の当院の診療も終了しました。皆様1年間ありがとうございました。お陰様で、昨年の震災後の落ち込みからほぼ回復することができました。
 2013年は、当院開院後15年を迎える年となりますが、より一層努力して、少しでも皆様のお役に立てればと思います。
 さて、
 総選挙の結果、自民党大勝で安倍政権が復活しましたね。前回安倍さんが政権を投げ出したときに、ストレス性の過敏性腸症候群のためと聞いたものですから、私は彼がその任に相応しくないと考えていましたが、それは大きな誤解で、彼の病気は潰瘍性大腸炎だったのですね。これはストレスで悪化はしても、病気の原因がストレスではありません。
 2010年に発売された薬「アサコール」が著効し、安倍さんは今度は大丈夫と言っているようです。これは新薬というより、それまでも有効性が確認されていた「ペンタサ」のカプセルを改良し、薬が病気の大腸まで行ってからやっと溶け出すように工夫されたものです。被災地援助同様、必要な場所まできっちり運んであげるということが本当に大事なんですね。
 円高が急激に修正され、株価上昇が始まりましたが、この期待を裏切らない政権運営をしていただきたいですね。
 
     
     
  2012年11月16日
 アメリカではオバマ勝利、順当ですね。所得が上がれば税率が下がる、なぞという無慈悲な資本主義にアメリカが帰るわけにはいかないでしょう。医療保険を充実させ、国家社会から結果として最も恩恵を受けている高所得層が相応の税負担をする、要するに普通の先進国への道を、アメリカも進む以外に道はなかったわけです。
 かくして無慈悲な資本主義は、中国にのみ温存されることとなるわけですね。
 さて、読書の秋に面白い本を3冊読みました。東アジアの理解の助けになり、骨太の教養に感化される良書でした。
 「朝鮮半島をどう見るか」木村 幹著、集英社新書
 朝鮮半島に関しては、かつて「韓国併合への道」呉 善花著 を読んで、金 玉均の短い生涯に涙したことはありますが、現在の朝鮮半島に関してはあまり深く考えたことはありませんでした。結局、日本の朝鮮半島統治は何をもたらしたのか、なぜ今でも反日の風潮が強いのか、これを理解したくて読み出した本でしたが、これに簡単に答えをくれるような安っぽいものではなかったのです。ひとつの国家を客観的に見るとはどんなことなのかの基本中の基本を、脳天から杭を打ち込むようにガツンと教えてくれる感動の本でした。皆様、ぜひご一読を。日本に、このような教養人がいることを誇りに思いました。
 「客家 中国の内なる異邦人」高木桂蔵著、講談社現代新書
 私の患者に、中国人の留学生がいて、自分のことをハッカだといいます。よく耳にはするけどよくわからない民族だよね、と言うと、これを読んでくださいと持ってきてくれたのがこの本です。客家のみならず、中国の動き、東南アジアの華僑、台湾までの理解が一気に深まります。私の尊敬する李登輝、鄧小平、リークワンユーも客家だったとは。興味のある方はご一読を。
 「武士道解題」李登輝著、小学館
 出版された2003年当時、本屋さんに山となって売っていたのですが、翌年私が読もうとしたら、市立図書館にも県立図書館にもなくて、ネットで検索しても中古でも手に入れられず、読むことを諦めていたのですが、今回アマゾンで中古で手に入れられました。誰かが組織的に市場から消し去っていたのでしょうか。本の後半は新渡戸稲造の武士道の解説です。こちらは英語原本でも日本語訳でも何度か読んでいるので目新しいものではないですが、本の前半がすばらしい。李登輝の歩んだ日本での学生時代が紹介されている。これほどの教養人がいるのだろうかというほどの、質、量ともにたっぷりの読書歴。ここに紹介されている本を読んだら、誰でも一級の教養人になれる。ただ、現在の大学生にこれらの本を読む力があるかどうかは疑問ですが、まずは取っ掛りにこの本を読んでみてください。なにやら掴みようのない西田幾太郎の哲学も、理解させてくれる筆力には感動ですよ。
 
     
     
  2012年10月5日
 猪苗代に行ってきました。磐越自動車道を通るときにいつも猪苗代湖とは反対側の山肌にある、ピラミッド型のビルがありますが、そこが学会の会場となったホテルリステル猪苗代でした。
 学会の会長は福島県立医大の上田和毅教授でした。彼の趣味は、地方の石碑に残る日本人が作った漢詩を探し求めて旅をすることです。私が尊敬してやまない人間の一人です。
 彼は、顔面神経麻痺に体の他の部分から神経と筋肉を移植して、再度顔面を動かす治療の草分けの一人です。十分な基礎研究をしながら、それを臨床応用していくという基本をまもり、素晴らしい成果を上げています。今でも私は、当院に相談に来る顔面神経麻痺患者を、彼のところに紹介しております。
 今回の学会では、従来の顔面神経の完全麻痺に対する再建手術ではなくて、その10倍以上も患者が多い顔面神経の不完全な麻痺患者に対する治療法の研究が大きなテーマでした。結果は素晴らしいものでした。
 今後は、非常に多い顔面神経の軽度の麻痺が残る患者も、彼のところに紹介しようと思いました。
 
     
     
  2012年10月3日
 明日は猪苗代で学会があり、私が参加するため当院は休診となります。主催が福島県立医大ですが、河北新聞の今日の放射線料の値を見ればわかるとおり福島市の放射線量はまだまだ高いですから、学会開催地を会津にするしかなかったのでしょう。ご苦労を察します。
 さて自民党の党首に安倍さんが再登場ですが、「どのツラ下げて?」ですよね。大阪の橋下さんの足場が固まるのにはなお数年かかるでしょうから、野田さん思わぬ長期政権となりそうですね。
 世間では小さな島の問題で大騒ぎですが、戦争以外で実効支配していた場所の所有権が移るなんて甘いことはありません。外交官が将来の異変時に自国に有利になるように、平時に権利を主張し合っているだけです。実効支配が示す現実は、北方領土はロシアが支配し、竹島は韓国が支配し、尖閣諸島日本が支配しているのです。もちろん権利は常に主張すればよし、ただ我々庶民が踊らされる必要なし。
 中国は今のところ民衆のコントロールに成功しているようです。中国の政権交代を待ち、鎮静を期待するしかないでしょう。
 
     
     
  2012年8月29日
 8月25日と28日の二日、臨時休診いたしました。すでに診療の予約をされていた方には、突然ではありましたが連絡申し上げ、予約を変更していただきました。本当にありがとうございました。
 また、予約なしで受診されたかたは、張り紙で休診をお知りになったことと思いますが、本当にご迷惑をおかけいたしました。
 本日29日から再びいつもどおりの診療に戻っております、よろしくお願い申し上げます。

 臨時休診は、私の母の死去に伴うものでした。享年、満80歳、肺がんの再発で亡くなりました。
 医療の進歩の結果、誰の人生の最後にも死因として病名が付きます。ただその医学的な診断が、一つの人生の最後を言い表すものではありませんよね。
 天寿を全うした、惜しまれて息を引き取った、三児の母の役割と六人の孫の祖母の勤めからやっと解放されて静かな眠りについた、などの文学的な表現の方が答を得たものではないでしょうか。
 最後は苦しまなかったの、人工呼吸器はつないだの、点滴のくだの数は、息子が医者で安心できたでしょうね、などの医学的な会話が多いですね、会葬の際に。私が医者だからでしょうか。私は、こんな中途半端な医学知識と好奇心が混ぜ合わされた会話が嫌いです。
 例え話で恐縮ですが、子供の頃の夏休みの最後の一日が楽しい訳がないじゃないですか、もう終わりだとか宿題残ってるとか明日からの学校が心配だとかの思いでイッパイです。他人が上手に声をかけてあげるとしたら、いい夏休みだったね、旅行もしたし工作もできたし友達とも遊べたし、と言ってあげるのがいいですよね。会葬での会話も、そんなものだったらいいなと思いました。
 
     
     
  2012年7月7日

 車嫌いな私が自動車のことを書きます。私は特にカッコイイ車、ヤクザが乗る車、金持ちに見える車が嫌いです。もちろんその私でも免許は持っています。私の自動車保有歴ですが、1981年に研修医になったときに中古で買った日産ブルーバードに5年乗り、その後初めて買った新車のホンダアスコットに11年、博士号を取った自分にご褒美で買ったボルボ940に7年、開業が軌道に乗って買い換えたクラウンワゴンに10年乗っています。どの車も愛着のわくいい車でした。ボルボは15年は乗るつもりでしたが、東名高速の横浜付近で渋滞にはまったときに、私の車と同じ車がズルして路側帯を走っているのに出くわし、「ボルボも終わったな」 と思い買い換えました。今日も運転しているクラウンワゴンは13万キロ走りましたが、いい味を出すオヤジが運転している姿しか見ませんので、私にピッタリです。
 ただ問題は燃費、街乗りでハイオク、リッター5km、高速でも9kmしか走りません。地球と財布に厳しい車です。
 さて、当方の次期主力車種FX問題浮上中です。
 ハイブリッドか?概念的にも、実際の構造上も複雑すぎる気がします。日本、アメリカでは売れるでしょうが、今後経済の中心が中国、インドなどの新興国に移行していく時代にマッチしていないように思います。数学の定理を持ち出すまでもなく、美しいもの、真実はいつも単純なものです。ハイブリッドは私の美学に合わない。
 期待しているのがマツダが先陣を切っている、次世代ディーゼル車です。2年ほど待ってじっくりFXを選定するつもりです。次世代ディーゼル+カッコ悪さ、で合格です。

 
 
     
     
  2012年6月27日

 当院の待合室に置いてある週刊誌は文春、月刊誌は家庭画報、National Geographic、Oggi です。どれも私が読みたくてとってありますが、最近はほとんどページをめくる暇がありません。この中で家庭画報の写真は日本の美を描ききるものだし、National Geographic の写真は日本にいる日本人には持ちようのない色彩感覚と構図が満ち溢れていて、どちらも大好きです。
 さて、月曜日に歯医者に行き、その待合室で久しぶりに家庭画報を手に取り開いてみたら、見開きの「選と文」に大貫妙子が紹介したのが、牧野富太郎生誕150年を記念して、彼の描いたサクユリのスケッチと、彼の歌
 「 何時までも生きて仕事にいそしまん  また生まれ来ぬこの世なりせば 」
でした。また、頭を殴られた様な衝撃を覚えました。

 簡単に増税法案、衆議院通過しましたね。口で何を言おうが、裏では全員賛成ということでしょう。
 明治維新の前後に、実際に港を開いたのは徳川幕府側で、それを倒した勢力は攘夷攘夷と唱えていましたが、いざ権力を握ってからこの国を閉じましたか?
 権力を握るための反対行動に騙されてはいけません。
 
     
     
  2012年6月15日

 今年度やっと10回目の走り通勤をしました。予定よりだいぶ回数が減っています。挽回しなくては。
 消費税増税決まりそうですね。ちょっと苦しくなりますね、でもしょうがないでしょう。
 経済がどんどん伸びているうちは、先頭集団の所得に課税して、所得の再分配をすればよかったでしょうが、もう一度そんな景気のいい時代が来ることはないでしょう。人口が減り、経済規模は縮小に継ぐ縮小でしょうから。
 となると支出側に課税するしかない。この国は長期に渡って、世界のトップランナーだった訳だから、把握できる資産のみならず把握できない資産も相当に貯まっているはず。所得ゼロでも贅沢な老後を送ることができる人たちも、たっぷりいる。その消費活動に課税するというのは、実に理にかなっていると思います。
 世界に誇れる高齢者福祉国家を気づきあげ、そのハードのみならずソフトも世界に供給したらどうでしょう。
 高齢者福祉といっても介護、医療などの狭い制度にとどまらず、教養、娯楽活動を含めた高齢者が楽しく生きられる社会システム全体を言っています。日本で老後を過ごしたい、と思う人が現れるまで改革を進めるべきでしょう。
 
     
     
   2012年5月12日

 5月連休の後半は雨で残念でしたね。6日日曜日の「一天にわかにかき曇り」には驚きましたね。オズの魔法使いの世界の竜巻が日本で起きるとは。
 千年に一度のことが千あったら、年に1回はそれに出くわす、ということでしょうか。
 さて消費税。上げるしかないでしょうね。
 国家財政が税収40何兆なのに支出が倍の90兆ですから、収入を増やし支出を減らすしかないでしょう。長期に人口減が続くのは見えてますので、子供が2割増で働く大人になっても(景気が回復しても)、労働人口が2割減ったら税収増はないわけですから。

<消費税を上げない場合>
  →世界的に見て税率の低い日本は危ないと市場に見られる
  →欧州のいくつかの国が破綻したときに、類推で日本が売り叩かれる
  →突然コントロール不能のインフレが始まり、国債の引き受け手がなくなる
  →ババ抜きのババ(国債)を沢山抱え込んだ、銀行、保険会社、農協、郵貯が連鎖的に破綻
  →預金者の残高消滅、同時に年金支給停止

<消費税を上げた場合(10%以上)>
  →日本は財政規律改善中と評価
   (状況によりさらに税率を上げるとアナウンスするのが大事)
  →欧州のいくつかの国が破綻したときに、逃避先として日本が買われる
  →さらに円高が進むが、国外にも日本国債を売れるようになる
  →欧州破綻国の再建に、日本が投資する余力ができる
  →破綻国を他山の石として世論を喚起し、適正水準まで年金、福祉を削る

 経済素人の医者の戯言ですが、こんなもんじゃないでしょうか。
 「武士の家計簿」を読み明治維新を参考にすると、これだけの乱世での適切な投資先は子供の教育しかないでしょうね。
 さて、今日は子供の勉強を見てやろうかな。
 
 
     
     
   2012年4月14日

 なかなか更新できず申し訳ありません。患者様に徒然メモ読んでますよ、と言われると大してマメに書いているわけでもないので、顔から火が出るほど恥ずかしく思います。もう少しマメに書かなくては。
 4月12日にお休みをいただいて、ホテル・ニューオータニで開かれた形成外科学会総会に出てまいりました。東京それも国会議事堂や東宮御所のお隣ですので、久々にスーツ、ネクタイでのお出かけでした。
 特別講演は生命倫理の大御所、木村利人(リヒト)先生のお話でした。彼は「幸せなら手を叩こう」の作詞者です。倫理を専門とする学者で、書庫に埋もれることなく、常に社会に働きかけて社会を変革した実践家を、私は彼しか知りません。
 人権、それも医療における患者の人権をテーマに提言を続けて、生命倫理という分野を築いた方です。現在医療の現場では、種々の治療法を患者に説明し、患者に治療の選択権を持たせ、主体的な同意を得て治療が開始されることが当たり前のようになっていますが、このような世の中を作ってきたのが、彼なのです。
 私が東北大の学生だった頃、解剖実習室の前に広いロビーがあり、手のあいた学生があちらでもこちらでも碁をしていたものです。そのロビーの真ん中に、大きな柱があり、その柱に三畳ほどの大きな墨書がかけられていました。なぜか薄墨でゴクブトの字でなぐり書き書体で 「俺は仕事をして死にたいのだ」 と書かれていました。静かなロビーに永遠に響き続ける咆哮でした。
 今週また一人、仕事をした人間の話を聞きました。
 男一人、家族を食わせるだけの人生ではいけない。さて自分に何ができるのだろうか、深く深く考える週末になりました。
 
     
     
  2012年3月10日

 台湾映画の名作「悲情城市」、結局自分でDVDを買って見ました。
 ネットで私と同じようにDVDレンタルを探している人たちがいて、結局その方たちに対する答えは、日本で版権を持つ紀伊国屋がDVDの販売権だけを手に入れて、レンタル権を買わなかったため、どこを探してもレンタルDVDはないとのことでした。これだけのアジア映画を代表する名作を、日本でレンタルできないのは残念なことですね。なんとか探せばVHSのレンタルはあるとのことですが。
 映画は、日本統治時代から台湾に住んでいた本省人の特に知識人が、蒋介石と共に中国本土から渡ってきた200万人の外省人の手によって、不条理に抹殺されていく事件を淡々と描いたものです。重いです。胸に鉄球をのせられたような圧迫感を感じます。
 人権の問題とか、責任追及だとかそんな次元を超えています。これは中国固有の行動様式なのか、それとも戦時の特殊な状況が台湾でだけ大戦後も40年以上続いてしまったのか、私にはわかりません。
 南京事件(1937年12月、日本軍中華民国首都南京を攻略)に関して、中国は、1938年1月開催の国際連盟理事会にて「日本が南京を攻略した際、2万人の民間人を虐殺した」と非難したのを皮切りに、ことあるごとに虐殺された人数を増やしてゆき、2010年日中歴史共同研究では30万人説を唱えるまでになっています。
 何が真実かはわかりませんが、「非情城市」を見ると、中国軍が首都南京を捨ててまで守ろうとしたものは何なのか、毛沢東の大躍進で3000万人が餓死したことを不問に付し、未だに戦中の日本を避難するのはなぜなのか、何となく理解できたような気がしました。
 
     
     
  2012年2月25日

 2月の第二週にお休みをいただいて、職員旅行で台湾に行ってきました。贅沢な感じがしますが、職員みんなでコツコツと積立をしての旅行です。開業して13年が過ぎましたが、開業6年目になんとかハワイに行き、今回がそれ以来の2度目の海外旅行でした。皆様にはご迷惑をかけましたが、おかげで本当にいい骨休めになりました。
 1日目の仇份はお天気が良くて、眼下に見下ろす緑と海が綺麗で、「千と千尋」のロケ地を満喫出来ました。2日目3日目は肌寒い雨の日になりましたが、故宮博物院やチーリン夜市、忠烈祠の衛兵交代、鼎泰豊の小籠包、台北101と満喫してきました。
 台湾の人は、基本的に親切でマナーがいいですね。車はクラクションを鳴らさないし、人は信号を守って横断歩道をちゃんと渡るし、地下鉄では困っている人にすぐに席を譲るし、とにかくマナーがいい。観光地のトイレは綺麗で、あっちこっちでウォッシュレット付きが置かれているのには驚きでした。食べたものはなんでも美味しかった。思い返しても唾が湧いてくるので、豚になってもいいからもっと食べてくればよかった、と反省するほどです。
 皆様、台湾旅行おすすめです。
 帰国後、仇份が舞台のヴェネチア映画祭グランプリ映画「非情城市」を見ようと思ったら、なかなかビデオ屋さんには置いていませんね。残念です。

 
 
     
     
  2012年1月14日

 新年明けましておめでとうございます。どんと祭の日ですね。
 私は今年最初の勉強会があり、東北大の医局にお出かけの日です。八幡神社に近いのが気になりますが。
 医局の教授が私より2年下で、大学時代に一緒に仕事をした最後の後輩がもう准教授ですから、他の医局員とは馴染みが無くて勉強会に出るのは実は億劫なのです。でも医師として生きていく限り、勉強は続けなければなりません。
 最近の医者の学会では、70歳代80歳代の参加者が目立つようになりました。私程度で学会参加を億劫がっていてはいけませんね。以前は70代以上の参加者といえば歴代の学会長あたりが胸に名誉会員の花飾りをつけて参加しているぐらいでしたが、今は一般の高齢の参加者がたくさんいます。そして結構積極的に質問したりしています。自分の経験を長話でひけらかすのではなくて、基礎研究に関してとか、新薬に関してとか、まだまだ貪欲に知識を深めようとしているのです。
 私もせめてもう20年は頑張って、常に教養を深める努力をしていきたいですね。
 震災翌年、起きてしまったことを受け入れる冷静さと、そこから立ち上がる勇気を持ち続けられることを祈りながら、頑張っていきたいと思います。
 みなさま、今年もよろしくお願い申し上げます。