エッセイ「風色のスケッチブック」D 
photo&essay by masato souma 奥日光・戦場ヶ原付近
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 夫婦げんかは犬も食わぬ、という。そうかもしれない。大抵、取るに足りないことが発端となるので、

そのうち何が原因でけんかをしているのかわからなくなることがある。

わが家のそれは、冷戦になる。というのは、ぼくも家内も口数が少ない方なので、

けんかとなると子供も気付かない水面下の戦いとなるのだ。表面的には当たり障りのない会話を

しているのだが、心の通う会話が途絶えてしまい、次第に息が詰まってくる。

こうなると初めから口げんかをして発散してしまった方が、さらっと短時間で切り上がってさっぱり

するだろうに、と青息吐息だ。


 けんかが長期戦になるとさすがにくたびれて、こちらも早く穏便に終結させたい、とあれこれ思案に

暮れる。いっそのことこちらから謝ってしまおうかと弱腰になるのだが、日本男児の沽券にかかわるので、

それもできない。そこでたどり着いた名案が、家内の好きな花をプレゼントするということだった。

そういえば婚約時代、クリスマスに二人でフランス料理を食べに行った時、銀座の街角の花屋の前で、

一輪でいいからと花をせがまれたことがあった。その時の花が黄色いフリージアだった。


 善は急げ、と早速作戦実行。フリージアを買って恐る恐る帰宅。家内の顔色をうかがいながら、

そっとフリージアを差し出す。と、途端に相好を崩す。作戦は見事に成功した。

しばらくこの戦法で破局(?)を切り抜けてきたが、最近家内の趣味が変化してきて(というより、

こちらの目論見が初めから見透かされていたのだろう)、フリージアでは効果がなくなり、

作戦変更を余儀なくされている。


 こうなるともう、姑息な手段は通用しない。そろそろ、相手の気持ちを思いやる謙虚な心を持たない

といけない、と思いつつ、今時自分の奥さんに花を買って帰るご主人がいるだろうかと、

また自分を正当化したくなる。結局、自画自賛したくなる自我との戦いだ。

                                           (月刊『恵みの雨』'02/7月号より)
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