エッセイ「風色のスケッチブック」C 

photo&essay by masato souma
朝露(自宅裏の畑で)
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 何もかもがうまくいっていなかった。そんな時に、よりによって自分の誕生日を迎えた。

わが家では、家族の誕生日には家内が手作りのケーキを焼き、みんなで祝うのが習わしになっていた。

しかし気持ちが沈んで、とてもそんな気分ではなかった。息子も風邪をこじらせて点滴を受けるなど

していて、家内も多忙でいつものように準備ができず、この日はあっさり食事を済ませた。

これといって何もせずに終わった。とにかく面倒だった。


 家内が後片付けを始めても、娘はうつむいて、じっといすに座ったまま動こうとしなかった。

どうしたのかといぶかり、顔をのぞき込むと、娘は大きな目に涙をいっぱい浮かべていた。

ぼくはすぐに何の涙か察し、胸が締め付けられる思いがした。

娘は楽しみにしていたケーキが食べられなくて泣いていたのではなかった。「ハッピーバースデイ」を

みんなで歌い、ケーキの上にともされたろうそくをフーッと一息に吹き消し、拍手をする。

その家族の温もりを感じる団らんのひとときが持てなかったことに、寂しさを覚えていたのだった。


 見ているぼくも辛かった。娘は家族の誕生日のたびに共に過ごす喜びを感じ、かけがえのない時を

過ごしていたのだ。そんな気持ちをよそに、覆いかぶさる試練に翻弄され、家族の気持ちを置き去りに

していた自分が恥ずかしくなった。うれしい時も悲しい時も、いつもそばにいてくれる人がいる。

それが家族なんだということを、この時初めて知った。


 幼い娘に愛されている。それだけで十分だった。見失っていた大切な落とし物を見つけたような思い

だった。ことばにならない思いがある。でも、伝えられない思いはない。娘の涙がそれを教えてくれた。


 娘の頬を伝う一粒の涙は、静かな時間(とき)の流れのうちに恵みとなって、

ぼくの心の中で、真珠のように輝きだした。そしてそれは、ぼくの大切な宝物になった。


                                       月刊『恵みの雨』('02/10月号)より
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