アウトサイダー―時間的蛸壺の外へ

大間々2

         Aggression2

クリシュナムルティ なぜ我々は、我々の誰もが、我々の現に行っているように生きているのでしょうか? 薬物やマリファナを手にし、飲酒し、喫煙し、快楽を追求し、攻撃的になるのはなぜでしょうか? お分かりでしょうか? なぜでしょうか? なぜ我々はそうなのでしょうか? 宜しいでしょうか、そのことを私と一緒に検討して下さい。なぜ我々は攻撃的なのでしょうか? 我々の生きている全社会、西洋のこの社会では、攻撃性は最も重要なものの一つです、そして、競争です、それら二つは手に手を取っています。なぜでしょうか? あなたは動物の中にこの攻撃性を見ることができます、その繁殖のためのとき。それらは競争しません、違いますか? あなたは知っています、ライオンがシマウマを殺すと、他のライオンたちがそれを分け合います。あなたはそれをテレビなどで見たことがあります。しかし、思うに、我々の中に攻撃性が深く根を下ろしています、そして、競争も同様です。なぜ我々はそうなのでしょうか? それは社会の欠陥でしょうか? 我々の教育の欠陥でしょうか? しかし、社会は我々が作り出してきた当のものです。従って、言わないで下さい、社会と、あるいは社会のせいにしないで下さい、あるいは、教育のせいにしないで下さい、しかし、見たところ、我々は深いところで攻撃的であり、そして、競争的です。そして、もしあなたが競争的でないなら、攻撃的でないなら、この社会の中で、あなたは踏みにじられます。違いますか? あなたは見捨てられます、あなたは見下されます。なぜ我々は攻撃的なのでしょうか? 宜しいでしょうか、それを検討して下さい。それはそれが個人の自由を強調するからですか、お分かりでしょうか、個人の自由です、そして、その自由が要求するのです、人は自分自身を何としても表現しなければならないと。そういうことでしょうか? とりわけ、この国ではそうです、西洋ではそうです、その自由の感覚です、お分かりでしょうか? もしあなたが本能的に何かをしたいと思うなら、もしあなたが何かをしたいと思うなら、そうしなさい。逡巡するな、そのことを検討するな、それを問題にするな、もしあなたがその感情を抱くなら、そうしなさいと。
 あなたは攻撃性が何を行うか見て取れます。違いますか? あなたは攻撃的です、私も同じ仕事に対して攻撃的です、これやあれや、他のことに対してもそうです。そのように、我々は何かにつけてお互いに戦っています―違いますか―心理的にも身体的にも。我々はそうし続けます。それが我々のパターンの一部です、我々の社会的な教育の一部です、そして、そのようなパターンを打ち破るために、我々は言います、我々は我々の意思を働かせなければならないと。違いますか? それは別の攻撃性です。私はあなたがこのことを分かるのかどうか知りません。違いますか? 違いますか? あなたはこのことが分かっていますか? 私が意志を働かせるとき、その意志は“私はそうしなければならない”という別の形です。お分かりでしょうか。それは別の形の攻撃性です。そうすると、あなたは攻撃性がどういうことか閃きますか? あなたは私の質問を理解しています、あるいは、それは難しすぎますか? あなたは私の質問を理解するでしょうか? つまり、私は攻撃的です―幸いにも、私はそうではありません、私は決して今までそういうことはありません、そうでありたいとは思いません(笑)―仮に、私が攻撃的であるとすると、そして、それが子供の時からのパターンだとすると、それが教育です、母、父、そして、社会、私の周りの少年たちはみな攻撃的です、そして、私はそれを見て取ります、そして、私はそのようなことが好きです、それは私に快楽をもたらします。そして、私はそれを受け入れます、そして、私も攻撃的になります。違いますか? そうして、私が成長すると、誰かが私に攻撃性の性質を指し示します、それが社会の中で果たすことを、いかに競争が人間を破壊しているのかを指し示します。話し手だけがそう言っているのではありません、科学者たちがそう言い始めています―そのように、恐らく、あなたはそれら科学者たちを受け入れるでしょう。そのように、あなたはそれを非常に注意深く説明します、あらゆる理由、原因、そして、競争の破壊的な性質を説明します、それは比較することです、いつも比較しています。お分かりでしょうか?
 宜しいでしょうか、全く比較しない精神は―お分かりでしょうか―全く異なる種類の精神です。それにはもっと多くの活力が備わります。そのように、人はそれら全てを説明します、それでも、我々は攻撃的であり続けます、競い続けます、自分自身を他の誰かと比較しています、いつももっと偉大な誰かと比較しています、自分よりも劣る人ではなく、いつも自分よりも偉大な誰かと比較しています。そのように、そのパターンが確立しています、その骨組みが、その枠組みが確立しています、そして、その中に精神は囚われています。そして、そのことに耳を傾けて、あなた言います、“私はそこから抜け出さなければならない、私はそれについて何かをしなければならない”と、それはどういうことでしょうか? それは別の形の攻撃性です。お分かりでしょうか? あなたはこのことを見て取るでしょうか。そうすると、あなたは、我々は、攻撃性が何なのかに閃きますか? お分かりでしょうか? 何らかの説明ではありません、そのあらゆる意味の記憶などではありません、そうすると、それは絶え間なく検討することであり、そうして、何らかの結論に達することです、そして、その結論に従って行動することです。それは閃きではありません。一方、もしあなたがそのことに即座に閃くなら―お分かりですか―そうすると、あなたは攻撃性のあらゆるパターンを打ち破っています。      ―1980年5月15日 オーハイ
            参考:krishnamurti PodcastAggression3