ダムを識るドライブ(かつて公開していた旅行記)

水上・奥利根編 草津・吾妻編

ダムを識るドライブ〜水上・奥利根編〜

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ダムへの目覚め?

1999年9月某日午前7時、筆者ほか3人を乗せた車は外環を西へ快調に飛ばしていた。目的地は利根川の源流近くにあるダム群である。ひょんなことから前橋でダム管理をしている人と知り合いになり、彼が「(自分たちが管理する)ダムを見に行こう」と言うので、彼の友人と3人でこうして出掛けることになったのである。

「ダム」と聞いて人は何を連想するであろうか。「実にに力強い響きの日本語だ」「渇水や洪水から守ってくれる」「ああいうビッグプロジェクトこそ男の仕事だ」「先進国はもう作らないのに時代遅れの土建国家日本はまだ作ろうとしている」など様々あろうが、これらの多くは「ダムの巨大さ」から連想されたものだと思う。

しかし、ダムというものは大概人目につかない山奥にあるためか、その巨大さの割には普段の人々の生活ではあまり意識されていない。

かく言う作者も、「目を凝らして見たダム」は、立山・黒部アルペンルートの途中にある「黒四ダム」くらいである(ここでは天端といってダムのてっぺんを歩かされる)。せっかく実際にダム管理をしている人が誘ってくれたので、これ幸いと彼の引率でダムを見に行くことにした。行先は彼が管理する利根川の源流、水上・奥利根方面である。

ダムには「重力式」「アーチ式」「フィルダム」と大きく分けて3種類あるが、これらを一気に見てしまう予定である。

 

藤原ダム

朝5時、松戸を出発する。

関越自動車道は、渋川を過ぎると景色が一気に山がちになる。曲がりくねった道路と深い切り通し、連続するトンネルと高架橋。

電車(上越線)から見上げると、「よくこんな深い谷にこんな高い橋を作ったな」と驚嘆させられるが、車の中から見るとただのトンネルと高架橋にしか見えない。特に橋の場合、ドライバーはどんな高いところを走っているか、走っているうちはをほとんど自覚していないはずである。

谷川岳のふもと水上インターに到着。国道を水上温泉・湯桧曽と上がって、途中から片品へと抜ける県道に出る。6キロほど上がったところにあるのが藤原ダム。建設省(当時)の手によって利根川のダム群の中では最初(昭和33年)に完成したものであり、現在も建設省(当時)が直接管理している。

重力式ダム(ダムの自重で水をせき止めている)の後には総貯水容量0.53億トン(25mプール約20万杯分)のダム湖が細長く続いている。苔むしたダム本体やスレート葺きの機械室が時代を感じさせる。駐車場や資料館など、見学者のための施設はほとんどない。ダム湖のほとりに建っている慰霊碑に手を合わせて、その場を辞す。

矢木沢ダム

藤原ダムの天端は片品へと抜ける県道の一部になっており、これを渡って利根川の対岸に出る。

この谷筋で見るべきダムはまだたくさんある。10キロほど走った先、大芦という小さな集落に到着。この近くにも須田貝ダムというダムがあるが、筆者達はさらに上流にある矢木沢ダムへと向かう。県道から外れてダムサイトに向かう道の途中には詰所と遮断機があり、出入りする人と予定帰宅時間とをノートに書かせられる。何だか民間企業の敷地に入るかのようだ。

車は舗装されていない山道を走る。最低限ダンプがすれ違えればいい道であり、車高を落とした車で走り抜けるのはいささか厳しいかもしれない。我慢してしばらく走ると紫色のコンクリートの建物が見える。ここは冬の間は泊まり込みでダム管理をする基地となる。矢木沢ダムは関東の最北端、利根川の源流部に位置しており、冬の間は非常に過酷な気象になる。

スキーのジャンプ台みたいな矢木沢ダムの放水路をくぐり、舗装された山道を少し登ると矢木沢ダムの天端に着く。見に来ている人は誰もいないと思っていたのだが、キャンプやボートのトレーラーを牽いた四輪駆動車が多い。来ている車の台数こそ10台前後だったが、彼らはみなアウトドアの「通」に見える。小雨の降る中キャンピングカーからテントを広げてキャンプをやっている人もいた。

矢木沢ダムは、昭和42年に完成した総貯水容量2億トンにもおよぶアーチ式ダムである。アーチ式ダムは、ダム堤体にかかる力をアーチで分散させ地盤で受けとめるものである。少ない材料で作られ材料の無駄が見えないこと、ダムの形も美しい曲面を描いており、素人目に見ても美しい形をしている。(最初に取り上げた黒四ダムもこの型式のダムである)。

雨の降る中ダムの天端に出る。矢木沢ダムの場合、天端はダム本体から張り出した「断崖絶壁」になっている。ダムのほとりには資料館・展望室が建っており、矢木沢ダムの四季の写真や歴史などの資料・模型を見ることが出来る。特に冬のダムの写真は圧巻であった。人はそこそこ来ていた。

ロックフィル・奈良俣ダム

もと来た山道を引き返し、県道に戻る。片品方面に少し走ると、程なく平成3年に出来たばかりの奈良俣ダムの真下に出る。ダムを下からまじまじと見上げるのは初めてである。

もう少し車を進めると、天端に上がる道がある。もともと工事用として作った道路を観光客に開放しているものであろう。奈良俣ダムは工事の着手が比較的最近だったこともあり、取り付け道路はトンネル主体で作られている。2つ目のトンネルを抜けると、目の前がダム湖になっている。

奈良俣ダムが他と大きく異なるのは「堤体の基本的な材料がコンクリートではなく石である」ことである(このようなダムを「ロックフィルダム」という)。工法としてはきわめて原始的な方法であるが、これが今なお通用しているところが痛快である。外見は、堤防のように非常になだらかな斜面になっており(石同士を接着しているわけではないので、そうでないと崩れてしまう)、底と天端の間を歩いて移動できそうな錯覚を覚える(奈良俣ダムには歩いて降りられるように堤体の表面に階段が付けられている)。

帰路

奈良俣ダムを見終わった後、帰路の途中で昼食を食べた。宝川温泉の近くにあるラーメン屋に寄る。名前は失念したが、「うまい」と評判の店である。席に座るまで待ち、ラーメンが出てくるまで待っている間に、谷底から何やらピヨピヨした音が聞こえてくる。

よく「ダム放流時にはサイレンが鳴ります」と川縁に警告看板が立/244iBook/Users/tsuyoshi/user/HP関連/up%2F244%2Fwtnb/travel/told/99ydam/drv0a1.htmlっているあのサイレンかと思うが、釈然としない。看板にボタンでも付けて「こんな音だよ」と警報サイレンを「試聴」出来るようにしておけば、見過ごされるだけの警告看板とはまた違った効果を産むだろう。

これらのダムの管理を行っている、国土交通省利根川ダム統合管理事務所には「利根川ダム資料館」が設けられており、これら利根川とそのダム群に関する情報を分かりやすく仕入れることが出来る。

 

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更新日 2005.4.6/無断転載および無断引用はご遠慮ください/Link Free/・・・
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