店を出てから時計を確認するとまだ7時にもなっていなかった。どこかで飯でも食って帰ろうかと思ったが食欲があるはずもなく、家の最寄り駅のスーパーでビールを買って帰宅した。
「ただいま……」
誰もいない空間にこの言葉を投げるほどむなしいこともない。だが2人で暮らすようになってから習慣になっている言葉は、この家のもう1人の住人がいなくても口から出るようになっていた。
(あいつも俺と同じように、俺がいなくても『ただいま』って言ってんのかな。…………そんなわけないか)
俺は絶対馴染めそうにないあの店で生き生きと楽しんでいた龍太。まざまざと見せつけられた好みの違いは、俺たちは性格もまるで違ったんだってことを思い出させてくれた。
「はぁー……」
ソファに座った途端、数時間前の出来事が頭の中によみがえり大きな溜息が洩れる。気が緩みすぎて涙まで出てきそうだ。
どうしてあいつは俺と付き合う気になって、さらには一緒に住もうと思ったんだろう。俺が文句も言わず家事をするからか? それとも、あいつが好き勝手に遊び歩いても何も言わないからだろうか?
もしそんな理由だったら(その可能性もないとはいえないけれど)、龍太の中では俺とずっと一緒にいるという道はないのかもしれない。
俺が今の状態に不満を洩らしたら、そのときは簡単に俺と別れることを選ぶ。俺があいつを想ってる気持ちほど、あいつは俺のことを想ってないだろうから。
そして龍太のそんなスタンスは、付き合い始めた当時からまったく変わってないように思う。
つまりそれは、俺たちの関係は簡単に解消できるようなものだと──はっきり言えば『俺があいつに片思いしてるだけの状態が続いてる』っていえるのかもしれない。
……最初から、俺たちの気持ちには大きな差があったんだ。
「はぁぁ……」
どん底まで落ち込んだ気分を浮上させるのは難しく、酒の力で無理にでも浮上しようとテーブルに置きっぱなしになっていた袋からビールを一缶取り出す。
そのとき、ジーンズのポケットに突っ込んだままだった携帯が着信音を鳴らした。
のろのろと手を伸ばして携帯を取り出し、液晶画面を確認することもなく通話ボタンを押して耳に当てる。
仕事が休みの日に電話してくる相手など1人しかいない。だがそいつと話したい気分ではなく、電話に出る声も自然と低くなってしまった。
「……もしもし」
『亨? 今どこだよ?』
──予想は当たり、電話をかけてきたのは唯一の心当たりである龍太だった。
「家だよ」
『はあっ!? なんで帰ってんだよ!?』
「…………」
なんでと聞かれても、帰りたくなったから帰ってきたとしか言えない。でもそう言えば龍太がキレるのはわかってたから、あえて何も言わずに受話器の向こうからの言葉を待った。
そんな俺の判断は間違っていなかったようで、龍太は憤慨していたらしい態度をコロリと変え話も変えてきた。
『まぁいーや。今パーティ終わってこれから二次会だから』
「……そうか」
『焼きそばあったよな? 終電で帰っから作っといてくれよ』
「あぁっ?」
『腹減ってんだよ。たぶんこのあとも食えねーからさ。頼むぜ』
「…………しょうがねぇな」
一方的な頼みに腹も立ったが、こいつがわがままなのはいつものことだ。ここで引き受けずに後々揉めるくらいなら焼きそばの1つや2つ作ってやってもいいかと、しぶしぶヤツの要求に応えてしまった。
『っと、ダチが呼んでるから切るわ』
「あんまり飲みすぎるなよ」
『わかってるって。じゃーな!』
「あっ、──ったく」
電話は慌ただしく切られ思わず悪態をついたが、くさくさした気持ちは嘘のように軽減していた。ちょっと甘えられたからって機嫌直すなんて、単純すぎるよな。
けど俺も結局何も食べずに帰ってきたし、1人分作るのも2人分作るのも大差ない。3食入りの焼きそばを全部使い、汁物を作ればちょうどいいだろう。
「じゃー作るか」
さっきまでの鬱々とした気分はどこへいったのか。完全に調理モードになった俺はキッチンへ向かい、飲もうと思っていたたビールを冷蔵庫にしまい早速焼きそばを作り始めた。
作り慣れた料理を完成させるには1時間もかからず、先に食べることも考えた。だけどあと少し待てば終電の時間だったし、龍太が帰ってきたら一緒に食おうと先に風呂に入ることにする。
「──あ、酒のつまみも作ればよかったな」
あいつは大量に飲んでるだろうけど、俺はビール1杯飲み干さずに帰ってきたんだ。週末の夜なんだしゆっくり酒を楽しみたい。
……それに、今夜は久々にセックス解禁日だ。別にする日を決めてるわけじゃないが、このところのペース(だいたい2週間に1度)を考えるとそうなる可能性が高い。
(もしかして、それが頭にあったから機嫌直ったのか、俺?)
「ゲンキンな性格だよな、俺も」
自己分析した結果改めて自分の浅ましい一面に気づかされ、誰も聞いてないのに照れ隠しでぼやく。熱い夜への期待が高まってるせいか、いつもだったら口にしないようなことまで言っちまった。
だけど、この性格のおかげで今まで龍太と別れずに済んだのかもしれない。好きなヤツの鼻につく部分がすぐに気にならなくなるってのは、裏を返せばそいつに対して粘着的なほど盲目になってるってことだろう。
30にもなった男がそんなことでどうするって自分でも思うけど、俺はこういう恋愛しかできないらしいから仕方ない。
ムカつくことがあってもあいつの言動で機嫌が直せるうちは大丈夫。そう思ってる俺は、このままずっとあいつにとって都合のいい男でしかないのか。
(そうだとしたら俺はどうするべきなのか……そろそろ真剣に考えるべきかもしれないな)
「……でも、とりあえずはつまみの準備だ」
せっかく浮かび始めた気持ちをあえて落とすことはない。今は楽しい週末の夜に心を躍らせておくべきだと自分に言い聞かせ、風呂から上がった俺は再びキッチンに立ちつまみを作りながら龍太の帰りを待った。
──けれど、問題を先送りにする日々はその日唐突に終わりを告げた。
俺の期待を裏切るように、龍太は終電の時間をとっくに過ぎても帰ってこなかったんだ……。
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