「お飲み物はいかがですか?」
そのとき、絶望的な思考を断ち切るように誰かが声をかけてきた。床に落としていた視線を上げると、そこには入り口で出入りチェックをしていた店員が立っている。
「……ありがとう。いただくよ」
数種類のドリンクが載ったトレイからビールを受け取り、今の自分にできる精一杯の笑みを返す。だがその顔はどこか不自然だったのか、店員は用事が済んでも俺の前から離れようとしなかった。
「お身体の調子が優れないようですが……大丈夫ですか?」
「え? ――ああ、大丈夫だよ」
「そうですか。差し出がましいことを言って申し訳ありませんでした」
「いや、心配してくれてありがとう」
こういった場所でこんなふうに気にかけてもらうのは初めてで、照れ臭く感じながら素直に感謝の気持ちを伝えると、その店員は控えめな笑顔で応えてくれた。
身長は龍太と同じく180センチほどあり(ちなみに俺は172センチだ)、体型は痩せすぎにも見えるほどスリムだ。妙に足が長いところは今時の若者のようだが、落ち着いた雰囲気と人当たりのいい物腰を考えると、実は俺と年が近いのかもしれない。
「ちょっと、聞いていいかな?」
店内にいる誰よりも話が通じそうだと勝手な印象を抱いた俺は、珍しく自分から彼に声をかける。
「なんでしょう?」
「君は、ここに勤めて長いの?」
「3年目になります」
「そう。……龍太は、よくここへ来てるのかな?」
「頻繁というわけではないですが――週末に来てくださることが多いですね」
「誰かと?」
「は? いえ、店の者と一緒に来られますけど……」
「そうか。……すまなかったね、仕事の邪魔をして」
彼は俺の質問に素直に答えてくれたものの、龍太について探るようなことばかり尋ねる俺を訝しんでいるらしいのが表情でわかり、それ以上は何も聞けなかった。店に入るときに『龍太のツレ』としか言わなかったし、一方的に龍太の仲間だと思い込んでる面倒な奴だと思われるかもしれなかったから。
だけどその店員の視線は既にうろんなものになっていて、こういう事態に慣れていない俺の心臓は一気に高鳴り始めた。
嘘をついたわけじゃないし別に後ろめたいことはないのに、どうしてこんな気まずさを感じなきゃいけないんだ。そう思う半面、疑われるようなことを聞いた自分が悪いのかと考えてしまうあたり、俺も小心者だよな。
常連客に関するトラブルをどうするべきか思案してるのか、店員はなかなか俺の前から立ち去らない。居心地の悪さにじっとりとした汗が額に浮かび始めたとき、脳天気な声が俺の名を呼んだ。
「なんだよ亨、来てたのか」
「龍太……っ」
さっきまで店の奥で仲間たちと騒いでいたはずの奴がすぐ近くに来ていたことに驚き、だけど同時に安堵する。これで俺が一方的に龍太を追いかけ回してるという疑いは晴れるだろう。
しかし龍太が続けた言葉は、彼に新たな詮索のタネを与えるものだった。
「来てるなら声かけろよ。ハジメにおめでとうくらい言わないと失礼だろ?」
「つっても、俺は彼と面識ないし……」
「はぁ? 面識なくても、わざわざ招待してくれたヤツに挨拶するのは常識だろ?」
龍太の言ってることはもっともで、だが俺の側の都合をまるで考えてない物の言い方にカチンときてしまう。
「だったらお前のほうから連絡してこいよ! 初めて来た店の、しかもこんだけ人がいる中で俺が自分から行動できるわけないだろ!?」
「いい加減そんくれーできるようになれよ。いい年したおっさんなんだしよ」
「おっ……!?」
「とにかくハジメのとこに行くぞ。今のうちに声かけとかねぇと、酒入ったらもっとヒデー騒ぎになるからな」
そう言うと、龍太はそれとなく俺たちの様子を窺っていた店員からビールを2つ受け取り人の輪に戻っていく。一度も俺のほうを振り返らず、だ。
「…………」
「あの、行かないんですか……?」
早くも仲間たちとの談笑を再開している龍太を見ていると不意に背後から聞かれ、それがさっきまで話していた店員の声だと気づいたとき俺の口は勝手に動いていた。
「龍太とハジメ君は……深い関係じゃないんだよね?」
視線の先で、龍太が持って行ったビールの1つを今日の主役に渡し仲良く乾杯している。その姿は、俺には余計なことを勘繰りたくなるほど意味深なものに見えた。
「えっと……俺は普通にダチだと思いますけど……」
律儀に答えた店員に「そう」とだけ返し、あまり近づきたくなかった集団の中に入っていく。目だけは龍太を捕らえたまま。
従業員が常連客の不利になることを言うわけはない。もちろん真実を言っていたのかも知れないが、彼の言葉を100%信じるには、俺の心は荒みきっていた。
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