【第14話】

「もしも──」
『──っ!? 〜〜、〜〜っ!!』
 電話をかけてきた相手の剣幕は激しく、適度に騒がしい店内でも電話の向こうの様子が伝わってきた。タロウ君が携帯を耳から離したから聞こえた、というのもあるが。
「ごめん、今亨さんに会って……そうじゃなくて、偶然だって──えっ? な、なんでっ? ──わ、わかったよ。ちょっと待っててくれ」
 いつもより声を張って話していた彼は一度耳につけた携帯を離し、困惑したような表情で俺を見た。
「すみません亨さん、電話──出てもらっていいですか?」
「俺? 誰だい?」
「……ハジメです」
「!」
 突然出てきた名前に一瞬思考が止まる。二度と聞きたくなかった名前と言ってもいいかもしれないその名に眉間に皺が寄るのを抑えるのは難しかった。
『タロウ!! 早くしろよ!!』
 携帯の向こうからデカい声がする。人によっては可愛く心地良いのだろう人懐っこい声は、今の俺には酷く耳障りなものでしかない。
「あっ……」
「──もしもし」
 タロウ君の手から携帯を掴み取り、素早く耳に当てて短く応える。
『あ、亨さん! こんばんは〜ハジメですぅ』
「こんばんは。俺に何か用か?」
『うわぁ素っ気なーい。亨さん、そこで何してるんですかー? あ、今晩のお相手でも探しに来たんですかぁ〜? なんてねっ』
 舌足らずな話し方。酔っているのか、それとも俺の神経を逆撫でするためにわざとしているのか。
『ていうか、なんでタロウを引き止めたんですかー? まさかタロウを狙ってるとかじゃないですよねぇ?』
「なっ……!?」
『龍太と付き合うのに疲れたからって、龍太と真逆の性格のタロウと付き合いたいとか? そんな都合のいいこと考えてないですよねー?』
「そんなわけないだろう!」
 まるで俺を挑発するようなことを言うハジメ。その安い売り言葉に簡単に乗ってしまう自分は大人気ないのかもしれないが、相手がこいつだと思うと湧き上がる感情を抑えるのは難しかった。
「君こそ、龍太と仲良くやってるんじゃないのか?」
『え〜俺が? 亨さん、俺と龍太の関係が気になるんですかぁ?』
「別に気にしてない。俺には関係ないことだ」
『またまたぁ、実はすごーく気になってるんじゃないですか? 俺と龍太が付き合い始めちゃったんじゃ──』
「気になってないと言ってるだろっ!」
 自分でも驚くほど大きい声を出してしまい、すぐに我に返って周囲に目を走らせる。俺の隣に座っていたタロウ君はもちろんのこと、近くにいた客や店の人間も訝しげな目で俺を見ていた。
「話はそれだけか。タロウ君に代わるぞ」
『ちょっとぉ! まだ話は終わってないんだってー!!』
「………………なんだ」
 持ち主に無理やり押しつけようとしたもののハジメの声はタロウ君の耳にも届いていたらしく、すまなそうな顔はされたが受け取ってもらえなかった。仕方なく再び携帯を耳に当て素っ気なく声を出すと、それまで通りとぼけた口調で耳を疑うようなことを言った。
『今龍太と呑んでるんですけど、亨さんもこっちに来て一緒に飲みませんかー?』
「──なんだと?」
『ていうか〜正直メイワクしてるんですよぉ。龍太のやつ、亨さんと別れてから俺のこと頻繁に呼び出して、めいいっぱいグチってきて〜』
「…………」
『今日もずっと聞かされてるんですけど、ぶっちゃけ本人に直接話すのが一番早いと思いませんかぁ?』
『おい、何言ってんだよハジメっ!』
 迷惑と言っている割にはどこか楽しんでいるような口調。その彼の声より遠かったが、焦ったような声が聞こえてくる。
『何言ってるって、そのままの意味だけど? なんか問題ある?』
 俺に、というより電話の向こうで会話をしているんだろう。それまでより多少甘さの抜けた声が少し遠くなる。それこそがハジメの本当の話し方なのだとすると、聞こえてきたもう一つの声の主はハジメと親しい間柄なんだろう。
 俺の耳が確かなら、その声の主は龍太だろうから……『親しい』と思ったのは間違いじゃないはずだ。
「……タロウ君と一緒に行けばいいのか?」
 しばらくは言い合いを続ける声を聞いていたものの、俺は無意識のうちにそんなことを言っていた。
『あ、来てもらえます〜? じゃあタロウと一緒に来てくださいね、待ってますからー』
「わかった」
 必要最低限の会話を終え、携帯を持ち主に返す。タロウ君は突然渡された携帯がまだ通話状態だと気づき話し始め、俺はそれを横目に店を出る準備に入った。
 龍太と別れて二ヶ月。別れた相手と冷静に会うのにその期間が長いのか短いのかはわからない。だが、俺の感覚では短すぎるんじゃないかと思う。
 そう思うのに会うことを決めたのは、ハジメの挑発的な態度のせいだけとは言えなかった。……そうだ、俺は龍太に会いたかったんだ──会って、ちゃんと話し合いたかったんだ。
 今話し合ったところで事態が好転するわけでも、元鞘に戻れるわけでもない。けど、前に進むためには必要なことだと思う。俺自身のためにも──龍太のためにも。
「あの、亨さん……本当にいいんですか?」
 電話を切ったタロウ君が気遣うように聞いてくる。それに強く頷いて、俺は龍太たちが待つ店に向かった。
 店を出て歩き始めてから、自分の足取りが多少おぼつかないことに気づき冷静に話ができるのか不安になった。が、多少酔っていたほうが素面のときより口が動くだろうと気にしないことにした。


 ■ 13 ■ BACK ■ 15 ■