「すみません、お待たせしました」
十分も経たないうちに戻ってきた彼は、手にビールらしき液体の入ったグラスを持っていた。誘ったのは俺のほうだし奢ってやるつもりだったのに、自分で買ってきてしまったらしい(この店は料金前払い制なんだ)。
「えっと、君──名前は?」
「あ、タロウです。亨さん、でしたよね?」
「そうだけど……よく覚えてたね」
「前から龍太さんにお話は聞いていたので」
「龍太に? あいつ、俺のことを話してたのか?」
「あの、聞いたと言っても少しだけですけど」
俺の声のトーンが上がったことに驚いたんだろう、タロウと名乗った青年は慌てたように付け加えた。
「君の勤めている店で、龍太は俺のことを話していたのか?」
「名前を出されてはいなかったと思いますが、付き合っている人がいるんだろうなってことはわかりましたよ。お客様の会話はなるべく聞かないようにしてるので、何を話していたのか内容までは覚えていませんけど」
「俺のことを話してるとき、怒っているようだったとか──そういうことは?」
「怒っている様子はなかったと思いますが……」
彼の言葉が真実かどうかは計りかねるが、疑っても仕方ないし信じることにした。あいつが人前で俺の話をしていたってことが聞けただけで十分だ(外でパートナーの存在を匂わせていたとは思わなかったから)。
「あいつは、君の店に行ってるかい?」
「はい、週末にときどき来てくださっています」
「不躾なことを聞くようだが、その……ハジメ君と付き合い始めた、なんて話はないのか?」
「それは──俺が知る限りでは、そんなことはないと思いますけど」
「そ、そうか。変なことを聞いてすまなかった」
困惑したような顔を見せる彼に、いくら聞きたかったこととは言え聞く相手を間違えたと後悔する。なんとなく酔いたい気分で普段は水割りにしてもらうウィスキーをロックで飲んでいたことを忘れ、一気に煽って喉の熱さにむせてしまった。
タロウ君に当然のように心配され、恥ずかしさを押し隠して照れたように笑いながら今度はチェイサーを煽る。すると、今度は彼のほうが話を振ってきた。
「あの……失礼を承知で一つ聞きたいのですが」
「なんだ?」
「龍太さんに別れを切り出したのは、亨さんのほうだったんですよね?」
「ぶふぉっ!」
「あっ、すみません!」
突然聞かれたことに必要以上に反応してしまい、飲んでいた水を逆流させるという失態を見せてしまう。
「どうして君が知ってるんだ? 客の話は聞いてないんじゃ──」
「先日、引越しの日に龍太さんがそう言っていたので……」
「ああ……そうか」
確かにあのときになら聞いていてもおかしくない。動揺してそこまで考えが及ばなかった……。
「君が言う通り、俺のほうから言ったんだ」
「どうしてですか?」
「どうしてって…………」
横からじっと見られているのが気配でわかり、グラスに落とした視線を上げられなくなる。
誰かに別れの理由を聞かれる日が来るとは思わなかった。俺自身、何が理由でこうなったのか──はっきりとはわからないものを。
「……一番の理由は、性格の不一致かな」
「性格、ですか?」
「あいつの行動や考え方を受け入れられなくなったというか……無理して合わせたり我慢していたつもりはないけど『限界かもしれない』と思ったときから、このまま付き合い続けるのは難しいと思っちまったんだ。
五年も付き合って、今さらだなと自分でも思うんだけどな」
「……龍太さんのことを、嫌いになったわけではないんですよね?」
「それは……自分でもよくわからない。本当に好きなら、別れるなんて選択をしないんじゃないかな」
自分自身の自嘲めいた口調に内心驚きつつ、それが本心だったのかもしれないと合点がいったような気分になる。いつの間にか、俺の気持ちはあいつから離れていたのかもしれないな……。
そのとき不意に電子音が鳴り響き、タロウ君が慌てたようにズボンの尻ポケットに手を伸ばした。どうやら彼の携帯が鳴っているらしい。
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