チャリを飛ばして約30分。陽が傾きかけたころ、ようやく直紀の家についた。
「ちょっと待ってて」
勝手知ったる他人の家。俺はチャリを直紀のチャリの横に留めたあと、郵便受けの中に入っていた鍵を取り出して、ドアの鍵を開けた。
「この時間だと、まだおばさん帰ってきてないんだ。あいつ兄弟いねぇから、今も1人で寝てると思うけど」
スリッパを並べて「どーぞ」と相沢の前に置くと、相沢がぼそっと声を洩らした。
「……慣れてるんだな」
「ん? まぁな。中学の時からずっと同じクラスだったし、それに──一時期入り浸ってたから」
そのままなんとなく言葉をにごす。俺にとってその話は、あまり口にしたくないことだったから。
俺にも人に話せない過去の1つや2つはあるってことで……そして相沢は、それをわかってくれたんだろう。
「彼はどこにいるんだ」
そう切り出して話を終わらせてくれる。だから俺も気持ちを切り替えて、少しだけ声のトーンを上げた。
「2階の自分の部屋だと思うけど……ちょっと探してみるか」
とりあえず相沢を連れたまま1階の部屋を全部見て回った。そうして直紀がどこにもいないのを確認してから2階へ上がる。
「この部屋だ」
俺がドアをノックしようとしたとき、相沢が「待て」と俺を止めた。
「部屋に入る前に……ちょっと」
「え?」
「手、貸して」
「手?」
「ああ。……右手だけ」
突然言われて、訳もわからず反射的に右手を差し出した。手がどうしたって?
相沢は俺の手を両手で包み込むように握り、そのまま胸のあたりまで持ってくると──ゆっくり目を閉じてうつむいた。
「力抜いてて」
その言葉に、さらに困惑する俺。力抜くって……だらーんとしてればいいのか? こ、こんなカンジで?
よくわかんねぇけど、そのままの姿勢でじっとしてた。相沢の手って、俺の手より熱かったんだな。…………っつーか……だんだん加熱してる気が──
「……え?」
(加熱、してる?)
気のせいじゃない。これは……何だろう?
加熱してるっていうよりは……じんじんしてるいったほうがあってるかもしれない。
相沢の両手から俺の右手へ──何かが流れ込んでくる、みてぇな……
「あ、相沢──」
「──黙って」
うつむいてる顔を覗き込んでみると、相沢はきゅっと眉をよせた辛そうな表情をしていた。それっきり話しかけられずに、俺は体の中に入ってくる『何か』だけを感じていた。違和感なく入り込んでくる、これは……何だ?
時間にしたら1分程度のできごとだった。
ふっと、俺の手を握っていた相沢の手から力が抜けた。その途端、だらんとさせてたつもりでいつのまにか硬まっていた体が動いた。
ぎくしゃくと右手を握り、開いてみる。
……何ともなかった。
「今の……なん、だったんだ……?」
ぼうぜんとしたまま聞く俺に、相沢はあくまで冷静に答えた。
「彼に憑いてる霊がおまえに乗り移らないとは限らないから。──魔除けだとでも思ってくれ」
「……ずいぶんと強力な魔除けだな……」
「そんなことはないはずだが。……中に入ろう」
「ああ……」
相沢にとってはあたりまえのことで、それを普通に話してるだけなんだろうけど……
(やっぱ相沢って……すごい奴だったんだな)
そしてこれが、相沢が他人を遠ざける理由なんだろうか。
そう考えて気がついた。そういえば、相沢の家族はどうなんだろう。みんな同じように霊能力を持っているんだろうか?(だとしたらすごい家族だな)
「直紀、入るぞ」
ドアを軽くノックして部屋に入ると、カーテンの閉まった薄暗い部屋の中には苦しそうな息遣いだけが響いていた。
「直紀?」
もう一度呼ぶと、ベッドに横になってた体がもぞりと動くのが見えた。うっすらと目を開け、俺たちの(正確には俺の、らしい)存在に気づいた途端──
「こうへい!!」
弾んだ声でそう叫び、がばっと布団をはねのけて──、直紀は突然俺に向かって突進してきたんだ!!
「待ってたんだ、ずっと。来てくれるって信じてたっ」
「えっ? ちょっ……」
焦ってる俺にはおかまいなしで、直紀は俺の首に腕を巻きつけてぎゅっとしがみついてきた!! ぎぇ〜、こ、このカッコ……恋人同士みてぇじゃねぇかっ!!
「おいっ、なおきっ!!」
「今日は泊まってけばいいよ。俺……1人じゃ寂しくて──」
「なぬっ!?」
いつもだったらなんともないセリフも、今のこいつの口から出てくると、なんか響きが違って聞こえるような──
(やっぱり今日もおかしい!)
いや、これはもしかしたら……昨日よりもおかしくなってるかもっ!!
俺はあわてて後ろに立っていた相沢を見た。相沢は目を細めて、直紀に憑いてる見えない『何か』を見ようとしてるみたいだった。
「あっ、相沢っ……」
思わず声をかけてから、(まずかったかな)と後悔した。集中とかしてるんだったら、気ぃ散らしちまったんじゃねぇかと思って。
昨日図書館でちょこっと読んだ本の中に、『霊能力を扱うには体力と集中力を必要とする』……みてぇなことが書いてあった気がしたんだ。だからそれが本当なら、今のは完璧ジャマな声だったわけで。
でも、俺の声に反応したのは、相沢じゃなくて──
「あ、いざわ?」
俺の首にしがみついてた直紀……だった。
「あいざわって……」
ゆっくり顔を上げると、ジロリ……と相沢を見た。その目つきがものすごく鋭くて──俺は心底ゾッとした。この目は……いくら何かが憑いてるにしても普通じゃねぇ!!
そう思った瞬間、
「そいつから離れろ、青木!!」
と叫ぶ声が聞こえ、俺はとっさに直紀を自分の体から引きはがしていた。そのまま何歩か後退りして、相沢の横に並んで立つ(自分でもかなりすばやく動けたと思う)。
直紀は驚いたような顔をして俺を見たけど、俺が相沢の隣に立つと、一変してにらみつけてきた。
「なんで……逃げるんだよ、航平……」
(おまえが怖ぇからに決まってんだろぉ!?)
いったいあれは、どこからどこまでが本物の直紀なんだ!?
「航平──」
(少なくとも、あんなふうに俺を呼ぶあいつは別人だなっ)
表情がころころ変わる。今の今まで怒ってるようだったのに、いつのまにか悲しげな目で俺を見てる。
「相沢、あいつに何が憑いてるかわかったか?」
「ちょっと待って」
相沢は直紀に近づくと、すばやく右手を上げて直紀の顔の前にかざした。そしてそのまましばらく動かなくなって。
直紀は相沢のことをずっとにらみつけてたけど、手をかざされてから少し経つと、眠そうな目で相沢の手の平を見ていた。
相沢はそのままベッドに直紀をつれていき、ベッドの端にゆっくり座らせた。そして一言、
「寝ろ」
と言うと──
(え? あれ!?)
首をガクンと垂らして、直紀は眠っちまったようだった。
「ね、寝ちゃったのか? 直紀のやつ」
「ああ」
相沢はそのままベッドの横に座り、さっき俺にしたように直紀の手を取って目を閉じた。
あれは何をしてるんだろう。……って、それよりさっきのも何だったんだ? 『寝ろ』って言っただけでカクン……なんて。
(すっげー気持ちよさそうな顔してやがる、直紀のやつ)
部屋に入ってきたときは、あんなに苦しそうだったのに。
「青木」
しばらくすると、二人からちょっと離れたところで様子を見ていた俺に、相沢から声がかかった。
「そっち、行ってもいいか?」
なんとなく近寄りがたかったからそう聞いて、「ああ」という返事をもらってようやく足を踏み出した。
「……どうだ?」
相沢の横に並んで座る。相沢はふうっと息を吐くと、直紀の手をベッドに置いた。
「どうやら心に取り憑かれたらしい」
「え? 霊って普通、心に憑くんじゃないのか?」
よく知らねぇけど……でも『取り憑く』って聞くとそんな感じがするよな……。
相沢は俺の問いに、投げやりにって感じじゃなくて真剣に答えてくれた。
「体に憑くときと心に憑くときがあるんだ。
どっちかっていうと、心に取り憑かれるなんていうのはあまりないんだが……」
「──そうなのか?」
「人間の心に取り憑くには、それなりに人を選ばなくてはいけないから。霊と似たような激しい想いを持っている人間にしか取り憑くことができないんだ」
「……直紀も、その激しい『想い』を持ってたのか?」
珍しくいろいろ話してくれるな、なんて思いつつ、どんどん聞こうとする俺。
「いや。だから拒絶反応で熱が出たんだ。
昨日学校で見たときには、俺にも霊がどこにいたのかわからなかった。気配は感じてたんだが……。
青木の話だと、学校にいるときに熱が出たってことだから、すでに心に取り憑こうとしてたんだろう。
でも、今でも完璧には取り憑くことができないでいるはずだ」
「どうして?」
(──相沢のこんな目……見たことない)
今まで見てきた相沢の目の中で、一番生命力が感じられる。
──力強いものが、感じられる。
「自分の意思で動くことができないでいる。飯島の心に自分の感情を同調【シンクロ】させることで、ああやって話したり動いたりしていたんだ」
「へぇ……」
(すっげー……。よくそんなことまでわかるな……)
直紀の手を握っただけでそこまでわかるなんて、そこらへんのイカサマ霊媒師とは格が違うよ。……なんて、そんな奴らと比べたら相沢に悪いか。
「それで、これからどうするんだ?」
何気なくそう聞くと、相沢は俺の顔をじっと見てきた。いつもの冷たい視線とはちょっと違ったけど、
(えっ? 俺、また何かやっちまった!?)
相沢に見つめられて、反射的にあたふたと考えちまった。
だけど、どうやらそういうことではなかったらしく、
「実は、飯島に憑いてる霊のことなんだが──」
と、相沢は俺を見たまま話しだした。
「ああ、何?」
「……どうやら、青木にも関係のある人物を捜してるみたいなんだ」
「──へ?」
予想もしてなかったことを言われて、思わず口を開けたまま硬まる俺。
俺にも関係ある奴? いったい誰のことを捜してんだ、直紀に取り憑いてる霊は。
(……待てよ?)
そこまで考えて、何かが引っかかった。
「……なぁ、相沢」
「なに?」
「どうして直接会いたい人の所に行かないんだ、その霊。俺のことを見つけられたんなら、会いたい人なんてすぐにでも捜せそうなのによ」
(そうだよ、そうすりゃわざわざこんなまわりくどいことする必要なんかねぇはずだ)
俺がもっともらしいことを聞くと、相沢は寝ている直紀を見ながら言った。
「……生きてるならそうしてるだろうな、当然」
「え?」
「この霊が捜してる人物も、すでに亡くなっているらしい」
「──え」
ということは……
「つまり……どういうこと?」
あっ、鳥肌立ってきたっ。なんか、いやーな予感……。
「つまり、この霊は──青木の所へ通ってきてる霊に会うために飯島に取り憑いたんだ」
(なっ………………なんだとー!?)
予感的中──どころか、もっと大変なことになってる!?
「それは、どーゆーことだよっ。おっ、俺の所にれっ、霊が、通ってきてるだってっ?」
動揺しすぎで声がどもる。でも仕方ねぇよっ、急にそんなこと言われれば、誰だってこうなるってっ!! ……相沢は別としても。
「えーっと、そのっ」
(と、とりあえず、落ちつかねぇとっ)
今まで焦っていろいろ聞きすぎて、相沢の機嫌を損ねてきてるからな……今度は失敗しないように気をつけなきゃいけねぇぞ。
「か、通ってくるってことは、普段は俺の側にいないってことか?」
「ああ」
「今も……いないんだよな?」
「いない。たぶん、俺が青木に会ってからは来てないと思う。
俺も、さっき青木に力を送るときに気づいたんだ。霊気が──……ああ、霊の持ってる特別な力のことなんだけど──それがほんの少し残ってただけだったから、見ただけじゃわからなくて」
「1番最後に来た日って、わかるか?」
「感じからすると、1週間くらい前だろうな」
1週間くらい前……っつーと、春休み中か……。別に、これといって何もなかったけど。
「俺には何か起きたりしないのか、その霊が来たからって」
「危害を加えることはないはずだ。……おまえを守ることはあるかもしれないが」
「え?」
「青木の所に通ってきてる霊も含めて、人間の所に周期的に来ている霊というのは少なくない。そういう霊のほとんどは、死んでからもその人のことが心配で、様子が気になるから見に来てるんだ。
だから、災厄から守ろうとはしてくれるだろうが、その人にマイナスになることは絶対にしない」
「それじゃ……どういう霊が通ってきたりするんだ?」
「……その人間とごく親しかった霊、だ」
相沢のその言葉を聞いて、俺の心臓は一瞬跳ね上がった。
「……つまり……俺の所に来てる霊も──俺とごく親しい仲だったって、ことだよな……?」
「……ああ」
知らない間に喉がカラカラになっていた。声が掠れて……うまく話せない。
(まさか)
頭の中が、ものすごい勢いで整理されていく。いつのまにか、俺は真剣に考えていた。
直紀に取り憑いた霊は、俺の所に通ってくる霊に会いたがっている。
俺の所に通ってくる霊は、俺とごく親しい関係だった……。
(──まさか)
1枚の相関図が、俺の頭の中で書き上げられた。──しかも、一生思い出すまいと決めていた、過去の記憶と一緒に……。
「相沢……」
「…………なんだ」
「相沢は直紀に憑いてる霊が誰なのか、わかってんのか? 俺の所に来る霊が誰かも……」
震えちまいそうな声を、なんとかまともに吐き出す。
(相沢は、もう知ってんのか?)
俺と、俺の所に来る霊と……直紀に憑いてる霊の関係を。
(何があったか……そこまで知られちまってんのか?)
体中の血液が、ものすごいスピードで流れてる気がする。どくんどくんと脈打って……まるで全身が心臓にでもなっちまった気分だ。
「…………」
沈黙が重い。相沢は、なかなか口を開かない。
相沢の返事を聞くのが怖かった。……忘れたつもりでいたことを、相沢にまで知られるのが嫌だった。
今の俺とはまったく違う──まるで別人のような性格をしてた過去の自分を、今の俺しか知らない相沢にはどうしても知られたくなかったんだ。
硬直したまま床をにらみつけてると、ようやく相沢のいつもと変わらない声が聞こえてきて。
「いや。残念だけど、話すことができなかったんだ。どうやら試行能力が低下してしまってるらしくて」
「……え?」
「長い間人の声を聞いたり、話したり、考えたりということをしないでいると、そのうちにその機能はマヒしてしまうらしいんだ。
地縛霊といわれてるものにも、同じ所でじっとしているうちに運動能力が落ちて動けなくなった奴がたくさんいるし。
この霊も、長い間他の霊と接触したりいろいろ考えたりしてなかったようだから──頭の中にあるのは『捜してる霊と会う』ってことだけなんだ」
「……」
相沢は、たぶん本当のことを話しているんだろう。
でも、相沢くらい力があれば……話せない霊に話させたりすることくらい、簡単にやれるんじゃねぇかって気がした。……俺たちの関係も、口にしないだけで本当は全部知ってるような……。
それでも、相沢の話を聞いたあとには、心臓も落ちついてきていた。
たとえ相沢が本当のことを知ってるとしても「かまわない」と思った。──そりゃもちろん、知られずに済んでるんだったらそれに越したことはねぇけど……でも、相沢にだったら全部知られてもいいやって、そう思えたんだ。
それはきっと、相沢が何も言わなかったからかもしれない。本当のことを知っても何も聞かないでいてくれたのは、相沢が初めてだったから。
まだ確かな話はしてないから、俺が思い浮かべてる人物が、直紀に取り憑いたり、俺の所に来てるとは限んねぇけど……。
(だけど、あの人たちしか考えられない)
俺の知っている人たちの中で相沢の言った条件に合う人物はそう多くはいないし──それに俺は、「絶対にそうだ」と妙に確信めいたものを俺は感じていた。
「相沢、俺……心当たりあるんだけど、その2人に」
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