完全無欠のゴーストハンター

─ 3 ─

 放課後になった。
 俺は相沢に、何をどう聞こうか1日中考えていた。
 休み時間や昼休みにも声をかけようとしたけど、限られた時間内にうまく聞き出すなんてできないだろうと思って放課後まで待つことにしたんだ。
 確か週番の放課後の仕事には、ゴミ捨てや教室の戸締まりなんてのがあったから、相沢は残ってやってくだろう。
 授業が終わってまだ5分くらいしか経ってねぇのに、教室の中にはもう10人くらいしか人が残ってない。そいつらも帰る用意はできてるみたいだ。たぶん、もうすぐ帰るだろう。
 この学校、教室から人がいなくなるのがとにかく早い。部活やってる奴はもちろんだし、それ以外の奴らもほとんどバイトをしてるからだろう。俺も1年の時から家の手伝いやったりしてるから、早く帰ってるけど(ちなみに俺の家はパン屋をやってる。親父の趣味で始めた店だけど、それを手伝うのはなかなか楽しい。店を継ぐ気はねぇけどな)。
 そんなわけで、毎日やることになってる掃除も言われたときにするくらいになっちまってる。だから教室の中は年中ゴミだらけ。だけど教室に長居するような奴はいないから、授業受ける空間が汚かろうが誰も何も言わない。結局うちのクラスはアバウトな連中ばっかりなんだよな。
 俺が教室の端に転がっているゴミを見ていると、相沢は黒板を消し始めた。授業中もほとんど動かない背中を見ていた俺には、相沢のその姿はすごく新鮮だった。(相沢でも、黒板消したりするんだ)なんて、妙に感心したりして。
(さて、どーするか)
 とりあえず仕事を手伝ったほうがいいよな。今日一日の俺の仕事は、授業の最初と最後に号令をかけることだけだったし。
 教室の後ろに置いてあったゴミ箱は、八分目くらいまでゴミが入っていた。それを両手で抱え(けっこうデカいゴミ箱だった)、相沢の背中に話しかけた。
「相沢、俺ゴミ捨ててくるから」
 すると相沢は、さっき声をかけたときよりすんなりと振り向いた。
「いいよ。これ終わったら俺が行くから」
「いーって。まだ日誌書いてねぇんじゃねぇか? 相沢」
「……」
「んじゃ、行ってくっから」
 返事も聞かずに、俺は教室を出た。
(だめだっ、あの目はいかん!!)
 あの目で見られると、なんだかそれだけで落ち着かなくなっちまう。まともに話なんかできないような気にさせられる。
「くっそー、しっかりしろ、航平!!」
 ゴミを捨てて教室に戻ったら、あの目を見ながら話をするんだろ!? 今からこんなにビビってどうすんだっ。
(えっと、まずは、本当に霊能力者なのか聞いて……)
 廊下を早足で歩きながら、何度も何度も頭の中で繰り返す。……よし、落ち着いてきたぞ。
 あとは、向こうのペースに巻き込まれないようにするだけだ。
 ゴミを焼却炉に捨てたあと、空になったゴミ箱をひっさげて急いで教室に戻った。駆け込んだ教室には、予想通り相沢一人しかいなかった。
 相沢は俺が戻ってきたのに気づき、日誌を書いていた手を止めてこっちを見た。
「悪い」
「いんや、これくらいいーって」
 ゴミ箱をもとの場所に置き、相沢の席に近づいた。机の前に立ちはだかっても、すでに日誌の上に戻していた視線を上げようともしない。
「……何か用?」
 手を休めずに聞いてくる。日誌を覗くと、そこには几帳面な性格を表わしているような字が並んでいた。一字一字丁寧に文字を書いている手は、思っていたよりも骨張った男らしい手だった。
「ちょっと聞いていいか?」
 いよいよだ。奴の機嫌を損ねないようにしねぇと……。
「何?」
 抑揚のない声。おかげで、何を言おうとしてたのか忘れかけた。
「あ、俺、青木航平って言うんだけど」
 とりあえず自己紹介する。昨日のホームルームでやったのなんて、相沢は聞いてなかっただろうと思って。
 だけど、そんなことはなかったらしい。
「知ってる」
「え?」
「自己紹介しただろ? 昨日」
「あ、そっか……」
「それで、聞きたいことって?」
 相沢は日誌を書き上げ、今度はカバンの中を整理しだす。
 俺は焦った。焦りすぎて、最初に聞こうと思ってたこととはまったく違うことを聞いちまったんだ。
「おまえ、俺といて何か感じないか?」
「……………………」
 たっぷり一分以上の沈黙。
 カバンに注がれていた相沢の視線が、ゆっくり俺の目を捕らえる。
「……何かって?」
 そう言った相沢の声は、今まで聞いた奴の声のどれよりもそっけなかった。
(やっべえ!! 順番まちがえたっ!!)
 だけど、いまさらそんなこと思っても遅いってもんで。
「いや、その……っ」
 相沢の目に気圧されて、何を言っていいのかわからなくなる。
(いっ、言い訳しなきゃっ!)
 そして苦し紛れに言った言葉は、俺をさらに窮地に立たせた。
「あっ、相沢ってさ、霊能力者なんだろ!?」
「……それが?」
「──っ」
 もはや、取り付くシマもなかった。
(やばい、やばいっ、やばいー!!)
 完全に機嫌を損ねちまった。このままだと、相沢はさっさと帰っちまうだろう。
(なんだ? 何を言えばいいんだ!?)
「えーっと、あのよ」
 とりあえず声をかけたものの、相沢はすでにイスから立ち上がっていて。
「待てよ、相沢っ」
「聞きたいことがそんなことなら、答えられない」
 カバンを持って、出入り口に向かって歩きだす。
「待ってくれよ、相沢!」
 俺は無意識のうちに、遠ざかっていこうとする相沢の腕を掴んでいた。そしてその腕の細さに驚いて、手を離した。
 相沢が立ち止まり、ゆっくり振り返る。学ランの襟からのぞく白い首も、よく見ると細いことに気づいた。
 身長は、175ある俺より5センチくらい低いんだろうか。学ランの下の体は、俺が思っていた以上に細いみたいだ。
 ひとしきり奴の全身に目をやったあと、そんなことをしてる場合じゃないとあわてた。
「こ、答えられないって、なんでだよ」
 とにかく、このまま帰すわけにはいかないと思った。こんな気まずい雰囲気で別れたら、相沢は明日から俺と口をきいてくれなくなるだろうと予測できたから。
「他の連中に言ったりしないからさ、聞かせてくれよ」
 必死で頼み込む。だけど、奴の態度は変わらなかった。
「言葉を間違えた。『答えられない』んじゃなくて『答えたくない』だ」
「────」
 人を寄せつけない何か。俺はその何かを、『答えたくない』ときっぱり言い切った相沢に感じた。表情からは何も読み取れないけど、目がすべてを語っているような気がした。
 ──前にどこかで見たことがある……少し寂しげな色を含んだ目が。
 俺は初めて、相沢の視線をまっすぐに受けとめてみた。気を抜けば吸い込まれてしまいそうだ。だけど、この瞳の奥に『真実』がある。──相沢が頑なに他人を拒絶する、その理由が。
「────」
「────」
 一言もしゃべらず、ただひたすら見つめ合って、いったいどれくらい時間が経ってたんだろう。
「航平!」
 突然声がして、はっと視線をそっちにずらした。相沢の肩越しに見えたのは、今年は別のクラスになった直紀だった。
「何やってんだよ。早く帰ろうぜ」
 心なしか、いつもより声が低い。
「あ、ああ……」
 答えつつ、俺はすぐに動けなかった。もう少しで相沢の何かがわかるような気がしてたから、かもしれないけど……。
 もう一度相沢を見ると、相沢は直紀のほうを見ていた。だけど突然俺のほうに振り返って、俺の目を覗き込んできた。…その目が妙に色っぽくて、俺は一瞬どきっとしちまった。情けねぇ……。
「航平っ」
「ああ、今行く」
(直紀のやつ、何をそんなに急いでんだ? だったら先に帰りゃいいものを……)
 仕方なく、相沢と話をするのはあきらめた。机の上に置いてあったカバンを掴んで、さてと歩き出そうとした。相沢……は、すでに教室を出ていこうとしてた。なんだ、途中まで一緒に帰ろうと思ったのに。
 だけど、そのままさっさと帰っていくのかと思ってたのに、予想に反して相沢は立ち止まった。──しかも、直紀の前で。
「……なんだよ」
 直紀は、まるで怒っているような声で言った。……おい、ちょっと……にらみつけてるように見えるけど……。
「なんだよっ!?」
 もう一度直紀が言うと、
「……さよなら」
 さらりと言って、相沢は出ていった。
 その後ろ姿を、今度ははっきりにらみつけてる直紀。
(なっ……)
 なんだ!? なんだってんだ!?
 どうして相沢は直紀に『さよなら』なんて言ってったんだ!? 俺には何も言わないで!!
「おい直紀、おまえ相沢と何かあったのかっ?」
 確か、昨日は知り合いじゃないって言ってたのに……って、まてよ? なんでこいつ相沢のこと、にらんでたんだ?
「おい、直……」
「何にもねぇよっ!! 早く行こうぜっ」
 怒ってる……らしい。なんで?
 一人で歩き出した直紀をあわてて追って隣に並ぶと、直紀はぶすくれた顔をして俺を見た。
「何怒ってんだよ」
「怒ってなんかねぇよっ」
(それのどこがだっつーの)
 何かヘンだ。いったい何があったっていうんだ?
 直紀は昔から、滅多なことでは怒ったりしなかった。普段おちゃらけてるぶん、怒った時は手がつけられない。所かまわず暴れまくるか、一言も話さなくなるか。
 今はまだ話してるから、そんなに怒ってないってことだろう──と思ったんだけど。
 どうも、そうでもなさそうだった。
「……相沢と、何話してたんだよ」
「え?」
 靴を履いて、チャリ置場に向かっているとき。俺の前を歩いていた直紀が、突然そんなことを聞いてきたんだ。
「あいつと、何話してたんだって聞いてんだよっ」
「何って……別に、なにも……」
 そうだよな。いろいろ聞き出そうとしてたときに、こいつが来たんだから。
「話そうと思ってたらおまえが来たんじゃねぇか。……ったく、もうちょっとで何か聞き出せると思ったのによ」
 俺が何気なくそう言うと、直紀は突然立ち止まった。俺もそれにつられて立ち止まる。……なんとなく、これ以上近寄ったらいけないような気がしたんだ。
「聞くって……何をだよ。何を聞くつもりだったんだよ」
 地を這うような声。こいつのこんな声、初めて聞いた気がする……。
「言えよ! 何、聞こうとしてたんだよ!?」
 そう叫んで振り返った直紀の顔は、怒ってるというよりも、むしろ……憎らしげに歪んでいた。
「俺には言えないことなのか!? そうなんだろっ!?」
(おかしい!!)
 こいつ、いったいどうしちまったんだ!?
 俺は直紀に走り寄り、肩を掴んで体を強く揺さぶった。
「おい!! どうしたんだよ、直紀!!」
「言えよ!! あいつの何が知りたかったんだよ!?」
 俺の手を振り払おうとしながら、さらに激しく聞いてくる。
 なんでこいつがこんなに相沢のことを聞いてくるのか、俺にはさっぱりわからなかった。それに、こんなに怒ってる理由も。……いや、この様子だと、ただ怒ってるってわけじゃなさそうだけど──。
「落ちつけよ、直紀っ」
「あいつと仲良くしてどうするつもりだったんだ? 俺とクラスが別になったから、ちょうどいいとでも思ったんだろっ」
「何言ってんだよっ。おまえ、昨日自分で言っただろ!? 相沢と仲良くしとけって!!」
 ヘンだ。絶対ヘンだ!
 まるで人が変わっちまったみてぇだ!!
「直紀、どうしたんだよ !! しっかりしろよ!!」
 血走った目で暴れまくる直紀。その顔が、だんだん赤くなってきてるのに気づいた。すばやく額に触ってみると、かなりの熱を感じて。
「おまえ、熱あんじゃねぇか? そんなに暴れんなよっ」
 俺は直紀の後ろに回り、体を羽交い締めした。直紀はしばらくもがいてたけど、急に力が抜けたように、ガクンと膝が折れてそのまま俺にもたれかかってきた。荒々しく息をしてんのは、暴れたからってだけじゃなさそうだった。
「大丈夫か、直紀」
 俺が声をかけると、
「こーへー……」
 かすれた声で言い、直紀は俺を見上げてきた。熱のせいで、目が潤んでる。
 俺はひとまずほっとした。こいつが正気を取り戻してくれたんだろうと思って。
 さっきの直紀は絶対におかしかった。本当に何かが取り憑いてんじゃねぇかと思うくらいに。
「立てるか?」
 よいしょと無理やり立たせてみたけど、直紀はくらげのようにへたりこみそうになった。
「しょーがねーな……チャリの後ろになら乗れるか?」
 俺は直紀を地面に座らせ、急いでママチャリを持ちにいった。いきなり何しだすかわかんねぇから、目だけは直紀を見たまま。だけど直紀は俺が戻るまで動かなかった。
「ほら。送ってってやるから、無理でも後ろ乗れ」
 そう言って手を貸すと、直紀は素直に従った。ちゃんと座れたのを確認して、俺も乗って。途中で振り落としたりしないように、直紀の両手を俺の腰に巻きつけた。
「しっかり捕まってろよ」
 そう言って、ゆっくりペダルを踏んだ。ママチャリは、バランスを崩さずに走り出してくれた。
「大丈夫か? 落ちんなよ」
「──ん」
 声と一緒に、背中に何かが押し当てられた。何かと思って見てみると、それは直紀の顔だった。背中のその部分だけが急激に熱くなってくる。かなり熱が上がってきたみたいだ。
「航平……」
 突然声がして、俺の腰に回されていた腕に力がこもった。
「……なんだ?」
 答えてみたけど、返事は返ってこなかった。気になって、俺の背中に押し当てられていた顔を無理やり覗き込む。
 直紀は苦しげな顔で目をつぶっていた。……どうやら眠っちまったらしい。
(どうしたってんだよ、直紀のやつ……)
 相沢のことをしつこく聞いてきたり、暴れ出したと思ったら突然熱出してダウンしたり……。
(……相沢?)
 俺は『相沢』っていうキーワードで、さっき教室であった出来事を思い出した。
(あいつ……なんで直紀に『さよなら』なんて言ってったんだ?)
 あのときは、相沢と直紀の間に何かあったのかと思ったんだけど……実はそうじゃなくて──
(相沢には何かが見えてた……とか?)
 だから気になって直紀に声をかけた……。──ってのは、考えられないことじゃ、ない。
(そうすると、こいつには何かが取り憑いてるってことなのか……?)
 ……こうしてる今も……?
「くっそー……」
 一瞬寒気を感じて、あまり余計なことは考えないことにした。それにいろいろ考えても、俺にはさっぱりわからない。なんせそういう知識はまったくねぇからな。
(……明日、相沢に聞いてみようか)
 ふと思った。
 直紀の様子は相沢も見てるんだし、変だと思っていたら俺の問いにも答えてくれるんじゃねぇだろうか。──そうだ、そうしよう。
(よしっ)
 話のネタはできた。あとはいろいろ聞き出すだけだ。
「絶対、話させてやる……」
 俺はそう呟きながら、ペダルを踏む足にぐっと力を加えた。
 俺の背中にもたれかかったままの直紀の様子を気にする余裕は、そのときの俺には全然なかった。


バックでし。戻るでし。ネクストでし。